目次
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A
A-1 【釧路湿原国立公園交通事情】 … 概況
A-2 【釧路湿原国立公園交通事情】 ・・・ 道路情報
A-3 【釧路湿原国立公園交通事情】・・・JR釧網本線を利用して①
A-4 【釧路湿原国立公園交通事情】・・・JR釧網本線を利用して・・・②
A-5 【釧路湿原国立公園交通事情】…バスを利用して
A-6 【釧路湿原国立公園交通事情】…その他の交通手段
A-7 【釧路湿原国立公園交通事情】…釧路川堤防の利用について
A-8 【湿原展望地ミニガイド】…①岩保木山・岩保木水門周辺
A-9 【湿原展望地ミニガイド】…②細岡・達古武沼周辺
A-10 【湿原展望地ミニガイド】 …③塘路湖・サルボ周辺周辺
A-11 【湿原展望地ミニガイド】…④シラルトロ沼周辺
A-12 【湿原展望地ミニガイド】…⑤ コッタロ湿原周辺
A-13 【湿原展望地ミニガイド】…⑥キラコタン岬周辺
A-14 【湿原展望地ミニガイド】…⑦宮島岬岬周辺
A-15 【湿原展望地ミニガイド】…⑧北斗、温根内周辺(その1)
A-16 【湿原展望地観にガイド】…⑧北斗、温根内周辺(その2)
A-17 【細岡展望台からの鳥瞰】
A-18 【野営場(キャンプ場)情報
A-19 【公園内外の行事やお祭】
A-20  【タンチョウの給餌場情報】 …その1
A-21 【タンチョウの給餌場情報】 …その2
A-22 【タンチョウの給餌場情報】 …その3
B
B-1 【釧路湿原の生い立ち】
B-2 【釧路湿原のまわりには多くの遺跡がある】
B-3 【釧路川】…①概況
B-4 【釧路川】…②釧路川推計とその流域
B-5 【釧路川】 ③大正9年の大洪水
B-6 【釧路川】 ④釧路川の治水 その1
B-7 【釧路川】…⑤釧路川の治水(その2)
B-8 【湿原の瞳。谷地眼】
B-9 【海跡湖】
C
C-1 【湿原には3つのタイプがある】
C-2 【ヨシとスゲ】 …湿原の主役?脇役?
C-3 【ヨシとスゲの観察】
C-4 【ミズゴケ湿原】 …その発達は年1ミリ
C-5 【湿原景観の演出家・ハンノキ林】
C-6 【湖沼に生活する直物(水草)】
C-7 【マリモの種類と生育地】
C-8 【湿原周辺で見られる樹木は約30種】
C-9 【釧路湿原の花暦】…①
C-10 【釧路湿原の花暦】…②
C-11 【釧路湿原の花暦】…③
C-12 【谷地(野地)坊主はどうして作られる】
C-12 【谷地(野地)坊主はどうして作られる】
C-13 【湿原の植物と人間】…"湿原の植物生産性"と北方民族の知恵①
C-14 【湿原の植物と人間】…"湿原の植物生産性"と北方民族の知恵②
C-15 【湿原と人間社会のかかわり】 …湿原の機能と利用①
C-16 【アイヌ民族における有用植物】…①
C-17 【ヨシはアイヌ民族の大事な建築資材】
C-18 【ヒシの実、ペカンペ】…pe(水)ka(の上)un(にある)pe(もの)
C-19 【ノリウツギ(糊空木)】 …北海道ではサビタ
C-20 【マコモの実は野生の米(ワイルドライス)】
D
D-1 【釧路湿原の動物相】
D-2 【釧路湿原の哺乳類】
D-3 【エゾシカの生活】
D-4 【湿原のエゾシカ】
D-5 【リス】 …齧歯目・リス科の小型哺乳類
D-6 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …森林・高山の鳥①
D-7 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …森林・高山の鳥②
D-8 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …原野、低木林の鳥①
D-9 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …原野、低木林の鳥②
D-10 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …河川、湖沼の鳥
D-11 【湿原周辺で見られる鳥の特徴】 …田園、都会の鳥
D-12 【釧路湿原とその周辺で見られる主な野鳥】 …①
D-13 【タンチョウの生活】…①
D-14 【タンチョウの生活】…②
D-15 【タンチョウの生活】…③
D-16 【タンチョウの生活】…④
D-17 【タンチョウの生活】…⑤
D-18 【タンチョウの保護増殖事業】
D-19 【タンチョウの給餌場の条件】
D-20 【タンチョウの被害と事故】
D-21【タンチョウ小史】…①
D-22 【タンチョウ小史】…②
D-23 【釧路湿原で見られるワシ、タカ類】
D-24【シマフクロウ(亜種、エゾシマフクロウ)は神の鳥】
D-25【日本に渡来するハクチョウ】
D-26 【渡りのチャンピオン「オオジンギ」】
D-27【動物たちのメッセージ(足跡)】
D-28 【おしゃれな旅人(カモ類)】
D-29 【森の中は住宅難(巣穴)】
D-30 【動物たちの食事あと(食痕)】
D-31 【釧路湿原にすむ魚】
D-32 【湿原の主「イトウ」】
D-33 【湿原のホタル】
D-34【トンボ─釧路湿原は日本で貴重な生息地】
D-35 【釧路湿原だけにすむ「キタサンショウウオ」】
E
E-1 【釧路地方1年の気象の移り変わり】
E-2 【釧路湿原を作った気候】
E-3 【釧路はなぜ霧が多い】
E-4 【湿原おろし】
E-5 【天気を当てる ─観天望気とは─】
E-6 【釧路地方のお天気・一口メモ】
E-7 【塘路湖の御神渡り】
E-8 【スター・ウォッチングと星座】
E-9 【四季の星座】
F
F-1 【開拓夜話(1)・鳥取士族】
F-2 【開拓夜話(2)・貫誠社】
F-2 【釧路川を五十石船が行く】 ─地名の話─
F-3 【塘路湖のペカンペ祭り】
F-4 【アイヌ民話】 ─釧路湿原にクジラがいた─
【アイヌ民話 ─湿原と丹頂─】
F-5 【アイヌ民話 ─遠矢のチャシとタンチョウヅル─】
【アイヌ民話 ─オオジンギ(白糠に伝わる神話)─】
F-6 【アイヌ民話─蚊の長老の娘とアイヌの英雄─】
F-7 【アイヌ語─地名の話─】
【アイヌ語─地名に出てくる主な単語─】
F-8 【アイヌ語─地名の解釈─】
F-9 【アイヌ語─地名の解釈─】…②
G
G-1 【日本の自然保護制度】
G-2 【日本の自然公園制度の歴史】
G-3 【日本の自然公園制度】
G-4 【世界の国立公園】
G-5 【釧路湿原国立公園の誕生まで】 …釧路湿原保護行政の歴史
G-6 【釧路湿原国立公園】
G-7 【自然公園の保護と利用】…①保護のための規制
G-8 【自然公園の保護と利用】…②保護のための開発規制
G-9 【自然公園の保護と利用】…③保護のための費用負担
 G-10 【自然公園の保護と利用】…④自然公園の利用
G-11 【自然公園の保護と利用】…⑤利用のための施設等の整備
G-12 【国設・釧路湿原鳥獣保護区】
G-13 【天然記念物・釧路湿原】
G-14 【野生動植物保護と国際協力】
G-15 【ラムサール条約】…①
G-16 【ラムサール条約】…②
G-17 【渡り鳥保護の国際協力】
G-18 【渡り鳥保護条約】
G-19 【ワシントン条約って何】
G-20 【昭和60年釧路湿原の火災】
G-21 【釧路湿原の水利用】
G-22 【8月第一日曜日は「自然公園クリーンデー】
G-23 【自然解説の目的と考え方】
G-24 【自然解説(観察)の実際】
エピローグ
[参考文献]
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F

F-1 【開拓夜話(1)・鳥取士族】

 今でこそ国立公園にもなり、訪れる人々が「すばらしい!」と感嘆の声を上げる釧路湿原ですが、昔、この地に開拓民として初めて入った人々はどんな思いを抱いたことでしょう。
 釧路湿原の開拓は、明治17、18年鳥取士族の集団入植に始まります。
 明治維新、あの動乱と政変の時代に、武士階級は経済的基盤を根底から覆され、生活に困る者が続出しました。時の政府はその救済策の一つとして屯田兵制度を採用しましたが、鳥取士族もそんな事情の中で明治17年6月には41戸、翌明治18年には64戸が釧路に入植しました。その時の様子が鳥取町史に記録されています。「上陸してみると、斯うだらうとはおおよそ覚悟しておったものの、海岸に三四十の家が立ち並び、上の方にはアイヌの小さな草小屋が点在している。其余は目も届かぬ茫々とした野原で、年寄共の内には、声を上げて泣くものさへあり、全く胸のつぶれる様な気がした。」それでも「何糞!やってみせるぞ!とふるいたった」のですが、何しろ生まれて初めての野良仕事、「何とも彼とも言い様のないつらさで、口には出さなんだが腹の中では泣いたもんだ。そうやって汗水流し、手のひらに血豆をつくって、ようやくできたのが、わずかばかりのじゃがいも、大根、ニンジンに一握りの粟かソバ。それもひと度阿寒川の氾濫にあえば…」
 入植草々からたびたび阿寒川の洪水に見舞われ、初期の開拓は水との戦いであったようで、のちに「開拓とは治水工事である」とまでいわれました。夏はご存じの海霧、冬は掘立小屋のような家に住み、「水はもちろん、酒や醤油も飯びつの飯も、見ている前で凍る始末である。布団をかぶって寝ていれば、寝息の当たる部分が凍ってバリバリになり、朝には掛布団の上に人型の霜が凍りつく…」ありさまだったようです。
 鳥取村、鳥取町を経て、今は釧路市の地名として鳥取の名を止めています。


F-2 【開拓夜話(2)・貫誠社】

 明治25年旧暦6月初旬、貫誠社と呼ばれる、香川県からの開拓団が塘路湖畔に入植しました。団員の多くは農民で、その他大工、左官、鍛冶職人など一行11戸47名、団長は神官の息子で高岡縫殿という青年でした、。彼らは、ただ同然で、国有未開地80万坪(約2,700ヘクタール)の払い下げを受け、この広大な土地にサトウキビ畑を作ろうと、3年分の食料を持ち、製糖機具も携えてやってきたのでした。塘路湖のほとりに八幡様の分霊をまつる社を建立し、就業、休憩、食事などすべて八幡社の太鼓を合図に、共同で働き生活したいということです。
 しかし、ここの土地は郷里の土地とはあまりにも違っていました。熊笹やヨシの根をやっとの思いで掘り起こしてみればそこは泥炭土、もちろんサトウキビ畑には適さず、おまけに蚊やブヨの大軍。一人去り、二人去り、しかもその年12月には火災で家財道具や蓄えの食料まで消失し、貫誠社の一行はとうとう離散ということになってしまいました。


F-2 【釧路川を五十石船が行く】 ─地名の話─

 北海道の地名はアイヌ語を語源にしたものが多くあります。札幌、旭川の年もアイヌ語起源の地名です。ほかの地名もほとんど同様で、それだけアイヌ民族とのかかわりの多いことがわかります。そして、その生活文化の漂いを感じます。しかし、アイヌの伝説、伝承と同じように未解明、難解なものも多くあります。特に道東と呼ばれる釧根地方は難解な地名が多いので知られています。珍問迷答もよく耳にします。
 釧路湿原を取り巻く各地名もほとんどアイヌ語にカナや漢字をあてたものです。釧路の語源にはいくつかの解釈がありますが、その一つは、クシルまたはクスル説で、クシは「越える」、ルは「路」の意。釧路を中心に、斜里、根室などに人や物資の往来が盛んに行われたのでそう名付けられたというものです。釧路川は昔、上流の標茶まで船での往来ができましたが、標茶は、着いた船から人や荷を下ろすところ、シ・ペッ・チャ「大・川・岸」で、これを大川端と訳すことができます。アイヌ語地名ではありませんが、JR釧網本線の駅名ともなっている五十石という地名は、釧路川の航行が曳船で行われていた昔、五十石船が航行できる上流端を名づけて呼んだものと聞きます。


F-3 【塘路湖のペカンペ祭り】

 まつりは、捧げものをして神「自然)と祖先とのきずなを良い状態に保つためコミュニケーションを行い、間を釣り合うように調整するという大切な意味合いがあります。このような古式のスガタを伝承している塘路湖のペカンペ(又はペカンペ、ヒシの実)まつりは、毎年9月のはじめに取り粉われます。
 オンネムシというヌサ(幣場)のある浜辺に新しいイナウ(木幣)が並べられ、祈り詞(ことば)が天上の神、湖の神、村の神にささげられてから、ユリカモメの群れを脅かさぬよう迂回をして、一行は小舟をカムイ崎にむかわせます。
 カムイ崎では、シトウイナウ(イラスト参照)に酒粕がおかれ祖先祭が始められます。朗々とした先祖への語らいは、輝きを最高に増した湖と周りの自然へと吸収されます。あとは手作りの捧げものをおいしく頂きながら、江戸期の文献に著されたような盛大なペカンペまつりをなつかしみ、語らいの時を過ごします。
 知里真志保夫人でもある萩中美枝氏は、「新しい見せるためのまつりも生まれれば、こうして気負いもてらいもなく自然に自分たちのものにしているまつりもある。アイヌの情趣が感じられるまつりである」と書いています。

F-4 【アイヌ民話】 ─釧路湿原にクジラがいた─

 釧路湿原が海であった大昔のことです。知人岬から遠矢、塘路にわたる東側の給料と白糠丘陵から連なる標茶丘陵キラコタン、コツタロまでの西側と北部丘陵に包まれた湿原は深い入り江になっていました。そして、東に釧路アイヌ、西には白糠アイヌのコタンがありました。
 海が時化たある日の朝、一頭のクジラが遠矢の岸に打ち寄せられました。知らせを受けたアイヌのエカシ(長老)は、近くのコタンに知らせ、クジラをみんなで分け合い、人々はフンベヤン(鯨があがった)と叫び喜び踊り出しました。太鼓をたたきのろしを上げての賑わいに、対岸の白糠アイヌも加わり更に大賑わいになりました。
 それから釧路アイヌと白糠アイヌは仲良くなり、入り江に鯨が入った時は、のろしを上げて知らせ合い、クジラ漁がおこなわれるようになったといいます。知人、遠矢、北斗、キラコタンにはのろし台があったともいいます。

「フンベヤンの歌」 トオヤ フンペヤン 遠矢の浜に鯨があがる
   セイアンナニシ シコトリ 紫色の煙がたなびくよ
   ハ~ホ~ ホイヤホ~  は~ほ~ほいやほ~
(上田カム伝・佐藤直太郎 談)

【アイヌ民話 ─湿原と丹頂─】

 大昔、丹頂はアイヌコタンの近くに住んでいました。アイヌの人々は丹頂を家畜の様に可愛がっていました。
 ある時、釧路のアイヌコタンに千島のアイヌコタンが攻めてきました。根室、厚岸のアイヌを破って勢いのある千島アイヌとの戦いは熾烈を極め、釧路アイヌも多くの犠牲者を出しましたが、やっと勝利を収めることができました。
 その時、多くの丹頂が戦いの犠牲になりました。矢に当たって死んだ丹頂、敵に食べられた丹頂、コタンには丹頂の死骸が累々とできました。わずかに生き残った丹頂は、傷ついた哀れな姿で哀しい声を上げ啼いていました。心の優しい美しいエカシのビルカメノコは、この丹頂をいたわりながら湿原の奥深く入っていきました。
 そして、ビルカメノコも丹頂も再びコタンにその姿を見せませんでした。それから丹頂が釧路湿原に棲むようになったと言われています。
 湿原のほぼ中央に今も真冬でも凍らず、こんこんと湧き出る泉があります。ひとびとは、これを「ビルカの泉」と言っています。(八重九郎翁 談)


F-5 【アイヌ民話 ─遠矢のチャシとタンチョウヅル─】

 昔々、遠矢付近に平和な釧路アイヌの村がありました。そこの村長の名はキラウコロエカシといい、今の龍谷寺の裏にあるチャシ(砦)に住んでいました。
 ここには一つがいの鶴が飼われておりました。鶴は、餌を求め、朝飛び立ち夕方になると戻ってくるという生活で、村人たちに親しまれて暮らしていました。鶴も子を増し、コラウコロエカシの孫が村長になった頃にはたくさんの鶴が繁殖するようになっていました。
 そんなある日、千島アイヌだといわれるクルムセが根室、厚岸軍を破り、釧路領内にまで侵入してきました。時の村長カネキラウコロエカシは、釧路連合軍を率いて防戦し、戦は勝ったかのようにみえましたが、釧路郡の不平分子を買収していたクルムセは、不意に、間道から遠矢のチャシに攻め込んだのです。老人、女、子供だけが残っていた遠矢チャシは、たちまちクルムセ軍に占領されてしまいました。占領したクルムセ群は、いつものように夕方になると戻ってきた鶴を射殺し、夕食のごちそうにしてしまいました。遠矢チャシの異変を知らされた釧路軍は、ただちに一隊をさしむけ、クルムセ勢を倒し、遠矢チャシを奪い返しましたが、鶴たちは二度とこの村へは帰ってきませんでした。
 今、釧路湿原にいる鶴はこの時帰ってこなかった鶴の子孫だということです。
(佐藤直太郎 釧路地方の伝説)

【アイヌ民話 ─オオジンギ(白糠に伝わる神話)─】

 私は、天の神から大事なことをいいつかって人間の村に来ました。折から村は春の真っただ中で草も木も花盛り、何処へ行ってもいい香りと美しさにみとれ遊びほうけて、私は神様の用事をすっかり忘れたのです。そのうち木の花も草の花もすっかり散り、私は神様から言いつかった用事を思い出しました。私は慌てて用事を終え神の国へ戻ろうとすると神様の声がします。「人間のところが良くて言いつけを忘れた者はもう天に戻ってくるな」と神様は私を叩きます。仕方なく私は地上に下りましたが、でも神の国に戻りたい、私は途中から戻っていくと、「二度と来るな」とまた叩かれました。とうとう帰ることができず、神の国を思い出して泣きながら下りてくるのでした。チビヤク(シギ)が物語るのです。(コタン生物記より)


F-6 【アイヌ民話─蚊の長老の娘とアイヌの英雄─】

 釧路地方の伝説です。人間界に悪の種をばらまいていた魔神をアイヌの英雄オタスッウンクルが退治し、再び生き返らないように六昼夜かけて焼き払ったところ、その灰が夜風に吹かれて飛んでしまった。初めはアブ、次は蚊、そしてブヨ、ヌカカになったとのことです。だからこれらの蒸しは今も悪魔の性が抜けずに人間にまといつき血を吸うのだといわれています。
 ある時、蚊の長老の娘がアイヌの英雄オタスッウンクルに恋をしました。夫婦になりたいと思いましたが、人間のところに行けば叩き潰されるので、オタスッウンクルに夢を見せて自分の想いを伝えました。同情したオタスッウンクルは、妻に、蚊と言っても生き物だ。生きるために命がけで血を吸いに来るのだからむやみに殺すなというと、妻はだからといって食われるこちらだってやりきれたものではない。殺すのは当然だと言い張るのでした。オタスッウンクルは黙って裸になって外に出ていきました。すると蚊の大群が真っ黒に彼を取り囲み、ありったけの血を吸い取ってしまいました。ふらふらになって歩いていくと、大きな砦がありました。中には立派な長老と姥がいて、美味しい油の入った混ぜご飯を食べさせてくれました。食後オタスッウンクルの傍らにきれいな娘が現れました。そして長老がいいます。「あんたがここに来たのは、娘があんたを好きになったからだ。私どもの仲間が殺されるのを同情してくれたので、娘の仲間や家来があんたの血を皆吸い取った。あの混ぜご飯の油はあんたの血で作ったものだ。あんたはもう人間に戻ることはできない」。オタスッウンクルの家では、出かけて帰ってこない夫を探しましたが夫は死んで発見され、泣く泣く葬式を出しました。その晩、夫が家人の夢枕に立ちことの次第を話しました。そして「子供を丈夫に育ててくれ、明日の朝、二匹の蚊が飛んでくる。それは私と娘だから」といいました。翌朝、おかみさんが子供に乳を飲ませていると二匹の大きな蚊が飛んできて、ポタポタ涙を落として何処かへ飛んでいきました。(コタン生物記より)


F-7 【アイヌ語─地名の話─】

 アイヌ語地名は言葉の順、音が日本語とほとんど同じで単語を覚えれば気軽に読め、親近感のある地名だと言われ「文化遺産である」といわれます。
 地名は、その時代の生活環境の反映だと言われ、日本語地名では黒田とか山田とか「田」が多いことは、それが稲作農業経済の土地であったことの反映で、アイヌ語地名には田などは出てこず、たとえばベツとナイ(共に川の意」のつく地名が多い。これはそこが主食である魚を取る場所であり、狩りに行くにも沢筋を通ったなど狩猟採取にかかわっているといえます。
 また、北海道には同じ地名、似た地名が至るところにあります。古い時代、アイヌの人々は小さなコタン(村)と、その周辺の狩猟採集地の中で、自給自足の生活をしていました。 アイヌ語地名はそのほとんどが地形を呼んだもので、当時はどこの村でも同じような生活慣習で、どこの村に行っても同じような地名があったに違いなく、これが転じて現在の地名になったため、同じ地名、似た地名が多くあるのです。地名は、人類がその地に集団を形成し、生活の営みをするようになって発見したものであり、人間の歴史と証でもあります。地名のもつ意味を正しく知ることは歴史を理解するうえで大きな助けになると思います。

【アイヌ語─地名に出てくる主な単語─】

(1)川筋の地名

・ベツとナイ(共に川の意。アイヌ民族は川筋にコタンを持ち生活。別とか内のつく地名が特に多い。)・ポロ(大きい、多い)・ポン(小さい、少ない)・フシコーペツ(古い川)・アシリーベツ(新しい川)・ホロカーナイ(後戻りする川)・ソ(ソー・滝)・ト(トー・湖・沼・池)・クッチャロ(喉口)・パンケ(川下のところ・の)・ペンケ(川上のところの・の)パンケ・トー(下の・沼)・ペンケ・トー(上の沼)

(2)海辺・山野の地形・地物

・アトゥイ(海)・オタ(砂・砂浜)・レブ(沖)・コイ(波)・エトウ(鼻・転じて岬)ノッ(あご・岬)・シレトコ(地の・頭・の突出部・岬)・ヌプリ(ふつうは高い、聳えた山)・シリ(山)・マツネ・シリ(女である・山)・ピンネ・シリ(男である・山・雌阿寒がマツネシリ・雄阿寒はピンネシリ)・フル・(丘)・ビラ(崖・ペシは奥地の方に多い崖)・ニタッ(低湿荒野・やち)・トマム(奥地に多いやち)・サル(あし原)・ヌプ(野・草原)・ル(道)・コッ(窪地)・シュマ(スマ・石)・シラル(岩)・ワッカ(石)


F-8 【アイヌ語─地名の解釈─】

〇釧路:由来には3つの説があります。その1 クシュル説。クシュルは越える道、通る道の意味で、釧路は昔から交通の要所であったことから名づけられたとする説。その2クッチャロ説。クッチャロは本来は咽喉の意。寛永年間、時の松前藩がクッチャロ(屈斜路)湖畔のアイヌを今の釧路に移住させてそこをクスリ場所としたとする説。クッチャロ─クスリ─釧路と発音が天かしたもの。その3クスリ説。クスリの本来の意味はクスリ、あるいは温泉の意。クッチャロ湖の原名、クスリ湖を水源とするクスリ川、すなわち釧路川にちなんで、その河口にある集落をクスリと名付けたとする説。
〇仁々志別:(ニニシベツ) 樹木や魚の豊富な川
〇幌呂:(ホロロ) ポロ・大きい、ル・道で、大きい道
〇久著呂:(クチョロ) 人間の咽喉の意で、入り口、川の入り口、沼の入り口
〇恩根内:(オンネナイ)オンネ・ナイは親・川。大きな川、年老いた川、支流の多い川など。
〇雪裡:(セツリ)セッチリウシまたはシチリウシに由来し、クマや鷹の多いところ
〇達古武(タッコブ、タブコブ、小さな丘のある常呂、離れてポツンと建っている円山、瘤のような丘に由来する。
〇遠矢(トオヤ) 沼岸の丘。
〇塘路(トウロ) トー・オロ沼あるいは湖・の所。なお、ポロ・トーは大きな・沼、親沼の意味もある。
〇ポンピラ:ポン・ヒラ(ピラ)小さい・崖
〇サルボ:サル・ボ(ポ) 葦原(湿原)の・子。ポは指、元々の意味は子。小さい葦原(湿原)の意味。
〇エオルト沼:繊維をとるために、ニレノ木の皮を漬けておく沼。
〇マクントー・マク・ウン・トー奥へ・入る・沼
〇ポント:ポン・トー小さい・沼
〇シラルトロ沼:シラリ:ウトル岩ないし岩磯の・間であるがシラルトロ沼には岩や磯浜はない。この沼の水源シラルトロエトロ川の上流にあるという岩の間を流れ下る水が流れ込む沼なのでシラルトロ・トーになったという解釈がある。
〇タンネウシ:タンネ・ウシ長い・所。湖岸がまっすぐに長く続いている所。
〇タンネヌタフ:タンネ・ヌタフ長い・湾曲内の土地。ヌタフまたはヌタブは湾曲する川に囲まれた土地、川沿いの岩崖の上の平地などの意味がある。塘路湖を川に見立てて呼んだものか。5万文の1地形図ではタンネヌタップとなっている。

F-9 【アイヌ語─地名の解釈─】…②

〇モヤサム:入り江の奥。 やはり塘路湖畔の地名
〇ワッカオイ:ワッカ・オ・イ 水が・沸いている・所
〇オモシロンベツ川:オ・モシリ・ウン・ペ川尻に・島・ある・川(者)であるが現実の川尻に島があるようにはみえない。
〇アレキナイ川:旧くはアルキナイであるが、「阿歴内」の字を当てたのでアレキナイになってしまったものか。意味は解明されていない。アレキナイ川は昔からの交通路であったことから「アルキ・ナイ来る・沢」かとも推定されている。
〇モアレキナイ川:モ・アレキナイ小さい(子の)・アレキナイ。アレキナイ川の支流のひとつ
〇チョクベツ川:これもアレキナイ川の支流。古くはチョロヘツ。チ・ホロ・ペツ我ら・(水に)漬ける・川で、オヒョウニレの多いところでその樹皮から繊維をとるためにつけた川であったのだろうとする説。
〇コッタロ川:豊島三右衛門「豊島地名解」(1882)の引用、「コッタロト云ハ深キト云言也 ロヲ云ハ静ヲ云名ナリ 此処ハ小サキ小川ナレトモ底深シ 水ノ流レ静ナルヲ名付ルナリ」。音だけからはコツ・タロ沢の低地となるが、解釈は諸説あって定説。
〇ヌマオロ川:ヌマ・オロ、ヌマは毛髪、ヲロは在る、生える。シカの骨が非常に多かったとのことで、ヌマはあるいは毛、毛皮のこととも考えられているが明解ではないようである。
〇オソベツ川:オソッ・ペッ川尻の滝。湿原の中で滝があるとは思えない。未解明。