閉じる


祭典

試し読みできます

ハノイオリンピック

 シファとミスフィは翼を背中から広げ、見えないエレクトリックファンとジェットを使って推進し、環太平洋高々度回廊と呼ばれる航空路を南下しつつあった。
 背中から翼を広げ、戦闘可能な鎧を装備し、剣を構えたその姿は翼騎士、ウイングナイトの名の雄々しさがまさしくふさわしい。

「オモイカネよりダークスター、現在開会式が始まった。ベトナム総理の演説が予定通りであれば、そのままのプランで状況を開始する」
「ダークスター1、了解」
 シファとミスフィは目の前のホログラフィHUD標示を確認した。
「ホーチミンコントロール、アプローチに入った機を整理し、スタジアムまでのパスを確保中。現在風は東の風、微風」
「ホーチミンコントロール、了解。お願いします」
「ダークスターへ。ようこそベトナム・ハノイオリンピックへ。貴艦による演出、楽しみにしています」
「ホーチミンコントロール、ありがとう」
 コントロールセンターも、この祭典にうきうきとしているようだ。
「ダークスター3、4、現在バックアップのIP点へ到着。トラックパターンで空中哨戒に入る」
「ありがとう、ラヴァダ、アクリア!」
「シファ様、ミスフィ様、我らの名誉をお願いします」
「ええ」
 シファは傍らにオリンピック開会式のライブラインを表示した。生中継の流れるストリーミング放送である。
「スタジアムへのアプローチに入る」
 シファはジェット噴射を停止し、翼を変形させてエアブレーキにしながらベトナム・ホーチミン市に降りていく。
 途中、ホログラフィで、他の上空待機となっている民航機が見え、そのうちの一つがベトナム空軍の丙戦、戦闘機である標示が浮かぶ。
 接近した彼らが指信号を使う。
 シファも了解と応える。
 航路図を標示すると、延々と海に向かってスタジアム上空を航過する順番を待つ航空機や空中艦艇が並んでいる。スタジアム上空を等間隔で通過するために、逆算をそれぞれの速度域に合わせた結果だ。
 これを制御する能力を持つベトナム空軍は、かつてとは違う、立派な空軍だ。
 敬意を向けながら、シファはミスフィと合図を交わした。

 IOC会長の演説が始まった。

 そして最後の聖火ランナーへの聖火リレーが行われる。

 各国語をもつ合唱が、ビッグバンドを継いだ名オーケストラ・上海国立交響楽団の演奏から、弦楽カルテットと次第に人数を減らしながらエモーショナルに演出していく。

 そして、リレーの最終ランナーがあらわれた。
 歓声が沸き起こる。
 彼は重度障碍者のベトナムの英雄、金メダリスト、リュ・サフォンである。
 かつて、脳侵襲インターフェイスをつかった義体で初めてのオリンピックに出場した彼を、皆は尊敬を持って語る。
 サフォンは事故で重度障碍となるまえは陸上選手だった。
 それも、 100メートル走の選手で、世界最速を競ったのだ。
 元々科学者として東京大学で物理を学びながらのトレーニングに明け暮れる彼は、その事故を悲しんだ皆に、彼は語った。
「避けようのない事故は誰にでもある。私は、それを乗り越える人類の技術を信じているし、それを証明したい」
 そこで、知性が集まった。彼のための義体の研究プロジェクトが始まったのだ。
 しかも、世界でもっとも人間らしく、人間として再び100mを全速で走れる義体の研究だ。
 さまざまな苦闘があった。
 さまざまな悲劇があった。
 正確なデジタルモックアップの物理シミュレーションがあっても、実物を作っての試験で、サフォンは何度も転倒した。
 人間を人間として作るのは、テクノロジーとして無理であるという多くの批判が寄せられた。
 それだけでなく、神への挑戦との反発もあった。
 その批判を、サフォンは何度も反駁し、研究開発を守った。
 彼自身が、物理学を研究する学者として、彼らの批判にも反発したのだ。
 守られた技術陣は、なおさら必死の開発を続けた。

 そして、サフォンは義体の脚で、リビアで開催されたトリポリ・オリンピックの100m走のトラックに立った。
 IOCと世界陸連の説得に努めたものの、結局パラリンピックへの出場となるところだった。
 でも、サフォンは参考記録にしかできないといわれても、オリンピックへの出場を選んだ。
 それが本当のノーマライゼーションだとサフォンは決断したのだ。

 そして、運命の100m予選で、サフォンは易々と他の選手を置き去って流してゴールする俊足を発揮した。
 だれもが、その義体の前の健康体の時と同じランニングフォームに、感嘆のどよめきとともに、拍手を送った。
 だが、それはそこでおわらなかった。

 サフォンは決勝まで進んだのだ。

 そして、運命の決勝レース。
 サフォンは多くのライバルとともに、トラックに立ち、スタートブロックで構えた。
 審判とスターターが緊張の面持ちで、準備せよを告げた。
 フライング判定用のセーフレーザーが各選手を捕捉する。
 そして、スタジアムと各選手のスタートブロックを結ぶラインを、破裂音を組み合わせて調製された発砲音に似たスタート音が駆け抜けた。

 一斉に選手が皆スタートする。
 美しいスタートだった。
 脚の筋肉がブロックを蹴り、上体を起こす前に前傾のままで加速していく。
 そして若干の前傾のまま、両手を振り、脚を回すようにフィールドを蹴りながら、さらに加速を続ける。
 22世紀のオリンピック100m走では、ドーピング禁止と言いながら規制外のさまざまな強化法が研究され、加速は100mの間、絶え間なくすべての選手が続ける。
 そして、中継のアナウンサーとともに、スタジアムの興奮は、二人の希代のアスリートの対決に沸き続ける。
 サフォンの一番のライバル、ブラバム・マークレイ。
 彼と、サフォンの一騎打ちになったのだ。
 しかも、マークレイを、サフォンはリードしていた。
 サフォンは義体とはいえ、IOCが彼と彼の技術陣に突きつけた条件は、すべての動力システムを独立して義体の中に納め、人体にない突出部を一切持たず、なおかつ表面には模造皮膚による接触事故対策だった。
 その困難を乗り越えて、サフォンの義体は活動し続けていた。
 義体技術というモノが呼ばれて以来の頂点を続けていた。

 そして、ゴール直前だった。
 マークレイは、最後の一踏ん張りで、ほぼ誤差に近い僅差で、サフォンを追い抜いたのだ。
 それでもまだゴールまで距離があった。
 まさに死闘だった。

 そして、それに勝ったのは、

 マークレイだった。

 世界新を出しての勝利だった。

 その戦いは、晴れやかに終わった。
 サフォンとマークレイは力尽きてフィールドに倒れる寸前、スタッフに支えられ、そして二人はすぐに握手し、抱き合った。
 マークレイの金メダル、そして銀メダルはサフォンではなく、その次にゴールした山沢伸介に与えられることになったが、みなマークレイの母国・ソマリア民主主義共和国の国旗を持ってのウイニングランに加わった。

 そしてその結果、IOCは義体による正式競技への障碍者の参加を認め、その次のオリンピックで、サフォンはついに金メダルを手にしたのだった。

 しかし、その義体はサフォンの残っていた肉体との齟齬を解決しきれなかった。

 多くの悲しみとともに、サフォンは義体を更新しながらも、惜しまれつつの引退となった。


 その彼が、このハノイオリンピックの聖火リレーの最終ランナーだった。

 彼が、聖火を受け、聖火台へ昇っていく。

 だが、遙かに高い聖火台まで、階段は途中で途切れている。

 息をのむ静寂。


 だが、そこに有翼の「天使」が2人舞い降り、サフォンを抱えた。
 そして羽ばたいて持ち上げていく。
 それにもう2人の天使が加わる。

 空を昇っていく天使4人と、サフォン。

 そして、オリンピック伝統の鳩の群舞がホログラフィとして標示される。

 驚きとともに、歓声が広がり、そして満場を見たし、それにも持ち上げられて、サフォンは聖火台にトーチを差し出す。

 ふうっと風が舞い、炎が沸き起こり、聖火がともされた。

 天使は、シファとミスフィ、そしてラヴァダとアクリアだった。

 世界最強にして、最新の究極の守護天使、シファ級戦艦が、奇跡を起こしたのだった。

 この演出に、皆が賞賛を惜しまなかった。



 ハノイオリンピックは、こうして競技日程が始まった。
 その祭典は、まさに、世界に平和をもたらした彼女たちも加わってのものだった。