目次
1.エアロバイク乗りの日常
1.エアロバイク乗りの日常(1)
1.エアロバイク乗りの日常(2)
1.エアロバイク乗りの日常(3)
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~(1)
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~(2)
3.正反対、だから気になる
3.正反対、だから気になる(1)
3.正反対、だから気になる(2)
3.正反対、だから気になる(3)
4.地表
4.地表(1)
4.地表(2)
4.地表(3)
5.平穏な生活
5.平穏な生活(1)
5.平穏な生活(2)
5.平穏な生活(3)
5.平穏な生活(4)
6.ネズミ
6.ネズミ(1)
6.ネズミ(2)
6.ネズミ(3)
6.ネズミ(4)
7.テロリスト
7.テロリスト(1)
7.テロリスト(2)
7.テロリスト(3)
7.テロリスト(4)
7.テロリスト(5)
7.テロリスト(6)
7.テロリスト(7)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(1)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(2)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(3)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(4)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(5)
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8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(3)

 マイトのエアロバイクに便乗して降りる道すがら、マイトにティムの話を語って聞かせた。もちろん個人的な部分は伏せ、これからティムたちが何をしようとしているのか、その部分のみだったけれど。
 マイトは相槌を打つこともなく、視線をこちらに向けることもなく、ただ黙ってエアロバイクを走らせた。私はマイトの保つ沈黙こそが、私の話を聞いてくれている証拠だと思い、淡々と事のあらましを語った。
 語り終えた数十秒後、マイトは一言だけ「シマダさんに連絡しなきゃな」と呟いた。その口調は重く暗かった。
多分マイトは悔しかったのだと思う。自分たちが懸命に守ろうとしたものを、見捨てなければならない結末になってしまったという事実が。
 もちろん私だって悔しい。
 でもこうなってしまった以上、仕方がないことだ。ここで無理に意地を押し通し、しがみ付いて殉職したって何も残らない。いや、一つだけ残るとしたら、それは「犬死」という馬鹿馬鹿しい二文字だ。
 生きていれば、また何かできる。
 きっとできるのだから。
「早く知らせて、全員逃がさなきゃ」
 私が小声で囁くと、マイトは無言で頷いた。
 シマダへと伝えた爆破予告の話は、すぐにエツコや課長に伝えられ、課長は更にEEの上層部へ、EE上層部はポリスや政府のトップへと伝達し、あっという間に緊急避難警告が広められた。
 セントラル中の飛行交通手段を掻き集め、まだ逃げ遅れていた人々を片っ端から拾っては五キロ以上先の地表へ下ろすという作業を、蜂の巣を突付いたような大騒ぎをしながら最後の一人がいなくなるまで繰り返した。その間およそ一時間半。危ないところだった。
 マイトに私のエアロバイクが停めてある場所まで戻ってもらい、そこからは二台で下層へと降りてエツコたちと合流した。私たちはポリスや政府の避難活動をサポートすることにした。慌てふためきパニックとなった一般市民を宥めすかし、スムーズな移送のための人員整備に徹することになった。
 死への恐怖から暴れ出す人もいた。人の雪崩が起きて、爆破でビルの側面にできた穴から転落し、死ぬ人もいた。私たちは拡声器を使って怒鳴りまくり、時には励まし、時には叱りつけ、マイトやエツコは拳まで使って人々の群れを統制した。
 途中、ホワイトが私に愚痴をこぼした。
「俺たちは整備工なのに、これじゃあ政府の牧羊犬だ」
「良いんだよ、それで。さっきの一働きが、整備工としての最後の仕事だったのよ。もうじき、このビルは崩れるわ。そうしたら、私たちの役割はなくなるんだから」
「……」
 ホワイトは唇を噛み締めて、何も返してこなかった。
 多少のアクシデントは至るところで起きていたが、全体的に見れば、避難活動は何とか無事に完了した。
 無線により、シンディ以外の第三雑居ビル整備課の全員が集めらた。私たちは、ずっと遠くから自分たちが住んでいたビルを無言で眺めていた。こんな時、いつもならすっ飛んできて粗探しをしては私たちを怒鳴りつける課長ですら、今は何も言わなかった。あまりにも事が大き過ぎて、怒る気力さえないのだろう。
 課長に怒られずとも、おそらく今後私はポリスの尋問を受けることになるだろうし、整備課の全員が、社の命令を無視して動いたことに対しての査問委員会が開かれることになるだろう。それを考えると、ウンザリする。
 人々がざわめいている。
 子供の泣き声。
 大人の怒り声。
 ボソボソと小さく囁きあう声。
 足音。
 政府やポリスのメッセージを、機械的な声で読み上げる特設テレビの音声。
 ニュースキャスターの事務的な声。
 ざわざわ。
 ざわざわ……。
 ドッ。
 低音が響いた。
 一瞬にして消えるざわめき。
 ドドン!
 再び低音。静寂の中にドロドロと地響きが響き渡る。
 ビルの横っ腹に数箇所、灰色の煙が噴き出した。
 ドドドドドドド……。
 更に強くなる地鳴り。
「ビルが……」
 誰かが呟く声がした。
 数え切れないほどの人々の目が、私たちのビルに注がれていた。
 隣接する第六企業ビルを巻き込んで、南極の氷のように崩れ落ちる長い長い灰色の影。
 すぐに濃い粉塵に飲み込まれ、見えなくなってしまう。
 溜息。
 落胆の声。
 啜り泣きが近くで聞こえた。
 私の隣でホワイトが、手で目元を押さえて泣いていた。
「泣くなよ、バカ」
 私はホワイトを小突いた。
 爆風で膨らんだぶ厚い粉塵のカーテンが、私たちのいる場所まで広がってきた。まるで雪山の雪崩に飲み込まれるように、私たちは灰色の中に閉じ込められた。
「皆さん、吸い込まないように! 埃が風で流されるまで、口元を覆っていて下さい」
 大きな特設スピーカーから、消防士の怒鳴り声がワンワンと響いた。言われなくったって、こんな中で大口開けて深呼吸する人間なんていないだろう、と私は思った。
 ゴウン、ギュイイイィィィィィィィ……。
 マシンが作動する音。
 どこから持ってきたのか、軍用大型トラックで運ばれてきた巨大な工事現場用らしきファンが、人の群れの所々に設置されており、それが一斉に動き出した。すぐに強風が巻き起こり、粉塵を遥か彼方へと吹き飛ばしてゆく。ファンの轟々鳴る音と、粉塵とファンの音に驚いて火が付いたように泣き出した子供の甲高い声、それにあちらこちらでゲホゴホと咳き込む音が聞こえた。
 私はゴーグルを装着して口元をタオルで覆っていたので、特に苦しくはなかった。ゴーグルのお陰で、煙が徐々に薄くなってゆく過程を観察することができた。灰色のカーテンが切れ切れになり、再び覗いた空の色は目が痛くなるような美しい青だった。
 粉塵が去り、ファンが役目を終えて電源を切られると辺りは静かになった。そして再び人々のざわめきが戻ってきた。
 隣に立つホワイトを見ると、彼はゴーグルをしないまま啜り泣いていたようで、涙が流れた跡に粉塵が付着して、ドロドロに汚れていた。
「げぇ、お前、きったない顔!」
「え?」
「普段は仕事に不真面目だったくせに、こんなときばっか、人一倍泣きやがって」
 私は口元に当てていたタオルを、ホワイトに突き出した。無言で顔をゴシゴシ拭うホワイトの肩に、エツコが苦笑いしながら腕を回した。
「ったく、あんたはホント赤ん坊だねェ。うちのチビの方が、まーだマシよ」
「エツコの子供って、いくつだっけ?」
「五歳」
「俺、五歳に負けてるんすか?」
 タオルから顔を出したホワイトが、いじけて呟いた。
 課長以外の整備課の皆が笑った。
 笑うしかなかった。
 悲しい顔をしていたって何も始まらない。
「課長、これからどうなるんすか」
 マイトがぶっきらぼうに課長に尋ねる。
 課長はこれ以上ないくらいに不機嫌だった。怒るといつも真っ赤になる課長の頬が、今は土気色に見える。
「わしが知るか!」
 吐き捨てるように言って、課長はEEの重役たちが鎮座する仮設テントの方へドスドス歩いて行ってしまった。
「カンカンですね」
 チェが困惑して呟く。マイトが肩を竦めた。
「俺たちはともかく、課長だって良くて左遷、悪けりゃクビだろうからな。そりゃ不機嫌にもなるだろ」
「まあ、そうですよね」
「俺たち、どうなるんすかね……もう中階層には住めないし、エアロバイクにも乗れないのかなぁ」
 ホワイトがぽつりと漏らした。
「そうかもしれんが、最後にやれるだけのことはやったんだ。気持ち良いじゃねぇか」
 シマダが腰を伸ばしつつ、風呂上りのようなさっぱりした顔で言った。
 そうだ。
 やれるだけのことはやった。
 正義の味方を気取るつもりはないし、自分たちの力を過信しているつもりもない。
 私たちはヒーローではない。ただの一般市民、特別な人間ではない。
 けれど、できる範囲の中で、もがいてもがいて出せる力は出し切った。例えその結果が報われなかったとしても、やれるだけのことはやったのだ。
 私たちはきっと大丈夫。
 また一から出直せる。
『ティム……』
 私は心の中で、彼の名を呟いた。
 もう二度と会うことのない恋人の名を。
 下から三分の一ぐらいを残して瓦礫の山となった私たちのビルを、私はずっと見つめていた。
 ティムはおそらく、あの中に埋もれているのだろう。
 そう考えたら目頭が熱くなってきた。

8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(4)

「まーた泣いてんのかよ、ロンカは」
 マイトが呆れた声を出す。煙草の匂いがした。振り返ると、マイトは一人、暢気に煙草をふかしていた。
 私はマイトを睨んで目元を拭った。
「だって、しょうがないでしょ! 恋人がテロリストで、おまけに死んじゃったんだから……」
「はいはい、そりゃあ悲劇的だな。でもよ、そんなろくでもない男なんて、さっさと忘れちまえよ。だって、結局騙されてたんだろ?」
「うっさいわね。それでも幸せだったのよ。だからこそ、こんなにショックなんじゃない! すぐに忘れられるわけがないでしょ、マイトの無神経」
「大丈夫大丈夫、新しい男ができりゃ、すぐに忘れるって」
「ふざけんじゃないわよ。そんなに簡単に男なんてできないわよ! だから、ティムにまんまと引っかかったんじゃない。簡単に次なんて、見つかるわけが……」
「じゃあ、俺が付き合ってやるよ」
 マイトがにんまり笑って言った。
 私は白けた表情で肩を落とした。
「つまんない。もう、そういうジョークはいらないから」
「いや本気だから」
「ええッ?」
 大声を出したのは、私ではなくホワイトだ。毒でも飲まされたような顔で私とマイトを凝視している。
「何度も言ってんだろ」
 マイトは何事もなかったかのような、飄々とした調子で言う。私は硬直する。
「……ほ、本気だったんすか……」
 ホワイトが呟くと、マイトは軽く頷いた。
「そうだってば」
「嘘でしょ……?」
「嘘じゃないって。俺、一度もジョークだなんて言ってないもん」
 そうだったろうか?
 マイトの背後で、エツコが笑いを必死で堪えていた。
「ちょ、ちょっと! エツコ、何笑ってんのよ」
「――まあ、私は気付いてたけどね」
「はァ?」
「年の功で、敏感なのよね」
 最低な職場だ。
「はーッ、ハードワーク後の煙草は格別ね」
 エツコも煙草に火をつけて、いかにも美味そうに目を細めた。
 その一言に火をつけられたのか、シマダ、チェ、ホワイトの三人まで煙草を取り出し、火を点けた。
 私以外の全員が煙草を吸っている。
 最低な職場だ。
 私は顔を顰める。
「……もう、全員禁煙しろよなー」
 私は内心物凄くドキドキしているのに、平静を装って毒づいた。エツコが無理無理、と首を横に振る。
「こんだけ長いこと吸ってるとね、もう吸わない人生なんて考えられなくなるのよ」
「おぇぇ、信じらんない。私、煙草のケムリ、大嫌いなのよね。だからね、マイト。煙草吸う男なんて勘弁なのよ」
 私が上目遣いにマイトを睨むと、マイトは少し笑って思い切り煙草を吸い込んだ。肺にも胃にも、体内全ての空洞に煙を充満させようとしているかのような勢いで。
 そして、鼻の穴からも口の穴からもモクモクと煙を吐き出しながら呟いた。
「――じゃあ、煙草やめるよ。それで良いんだろ?」
「えっ……?」
 口をぽかんと開けた私の目を見つめたまま、マイトは煙草を地面に落とし、無骨なワークブーツの踵で捻り潰した。
 私は唖然として、ぺしゃんこになった煙草の吸殻をいつまでも眺めていた。

8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(5)

 騒動が一段落した後、ポリスの厳しい尋問を受けるだろうと覚悟していた私だが、他の社員たちと同じく簡単な事情聴取を受けただけだったので、ちょっと拍子抜けしてしまった。
 もしかしたら泳がされているだけかもしれないと勘繰って、しばらくの間警戒して過ごしていたのだが、特にポリスからマークされているということもなさそうだった。後に判明した話だが、何と課長が上手いこと取り繕ってくれたらしい。裏口のロックを知らぬ間に不正解除され、社のデータをテロリストたちによって盗み出されていたと言い張っていたのだそうだ。
 あの鬼課長にしては珍しく、部下に対する親心でも沸いたのだろうか……と感心したのも束の間で、実は課長はただ自分の保身のために動いていただけだった。部下の私が大きな不祥事を起こせば、ただでさえ分が悪い現在の課長の進退にも当然多大な影響が及ぶ。しかし例え課長の身勝手で打算的な行為だとしても、結果オーライ、私にとってはありがたいことだ。面倒事にならずに済んだので、正直ほっとしている。
 監視カメラはうちの課にも取り付けられていたけれど、ビルが崩壊したので証拠となるものは何も残されていない。更に、ティムは崩れ落ちるビルと運命を共にしたので彼の口から私の名前が漏れることもない。そして、ティム以外のテロに関わった真世界党の連中は、ティムが私を篭絡してEEの社内機密文書を手に入れたことを、彼から報告されていなかったらしく(つまりあれはティムの独断による単独行動だったのだ)、真世界党側からも私の情報がポリスに漏れることはなかった。
 私は重ね重ね、運が良かった。
 そんなわけで、私とティムに関する一連の出来事は、私を含む第三雑居ビル電気系統整備課社員と、ミランダの記憶の中だけに封印されている。彼女はあの騒動の中、無事に逃げおおせることができた。今は別のビルで雑貨屋を営んでいる。レインドロップなんかよりも、もっとフランクでお洒落な店だ。
 第三雑居ビルと、第三雑居ビルが崩れ落ちるときに巻き添えになった第六企業ビルの残骸は、後始末に一年以上も費やすこととなった。掘れば掘るほど犠牲になった人々の遺体が発見され、報道される被害者数は日々増えていった。
 事件から三ヶ月ほど経ったある日、テレビでニュースを見ていたら、崩れ落ちるビルの映像の隣にティムの顔写真が大きく映し出された。
 ショックで息が詰まり、私の指は反射的にリモコンのチャンネル変更ボタンを押していた。これ以上、彼に関する情報を脳にインプットすることは避けたかった。
 忘れたければ、距離と時間を置くしかない。そうすれば例え忘れることなどできなくても、いつしかただの懐かしい過去の一部として、自分自身にダメージを与えることなく受け入れられるようになる。今度の件もそうあって欲しいと切実に願った。
 あれからもう三年の月日が流れた。
 大規模なテロ騒ぎがあったにも関わらず、世の中はほとんど変わっていない。事件のせいで、それまでの政府のトップは引き摺り下ろされ、低所得層に有利なスローガンを掲げた候補者が選挙で当選したけれど、結果的に人々の生活にはあまり変化がなかった。上階層と地表の経済格差はちっとも縮まらないし、貧しい人々は相変わらずの苦しい生活を強いられている。
 でもきっと、少しずつ良くなっていくだろう。
 生き物の進化過程だって急激に変わったわけではない。何世代も経て徐々に環境に適応してきたのだから、人間の世界だって同じように段々変わっていくだろう。そのスピードは目に見えないくらいのスローペースかもしれないけれど、状況は確実に変化している。
 だって私たちは、それぞれがこんなにも毎日懸命に生きているのだから、世界が変わらないわけがない。大勢の人々が自分のより良い生活のために、家族や愛する人が幸せになるためにと願っているのだから、その願いが通じないわけはない。
 きっと、きっと少しずつ。
 例え世界のトップに立てなくても、悪の帝王にならずとも、普通の人間のままだって……私はそう思いたい。
 事件後、私たち第三ビル電気系統整備課の人間は、課長以外の全員が解雇された。
 シマダは整備工稼業から引退し、現在はセントラルからずっと離れた山奥で、大切な奥方と共に、家庭菜園を作って自給自足の隠居生活を楽しんでいる。
 真面目で素行の良いチェは、なんと政府から引き抜かれ、公務用エアロカーの運転手に転職した。時折空中ですれ違うが、いつも白い手袋とパリッとした上品なスーツを着用しており、EEにいた頃のオイル塗れで薄汚れたツナギ姿とは別人のようだった。しかしすれ違い様に交わす挨拶は相変わらずで、エアロバイク乗りの良くやる乱暴な敬礼みたいな動作だ。私はそれを見る度、嬉しい気分になる。
 エツコは専業主婦となり、昨年三人目の子供が生まれた。彼女とは今でもよく飲みに行く。若いと言って良いのか大人げがないと言うべきか分からないが、あのノリは相変わらずだ。
 彼女のエアロバイクの免許はまだ有効で、EEから支給されていたエアロバイクを取り上げられてしまった今でも、旦那のエアロバイクを無断で乗り回しては叱られている。だが、もうすぐ免許更新の時期が迫っているようで、そろそろエアロバイク乗りとして復帰しようと目論んでいるらしい。エアロバイクの免許は、特殊職以外の一般市民には取得が不可能なので、エツコが免許を更新するにはいずれかの会社に所属する必要がある。まだ子供も幼いというのに、エツコはどうしてもエアロバイク乗りの血が押さえられない、と酒の席で漏らしていた。
 シンディの姿を見たのはあの事件の日が最後だった。それ以降の彼女の消息を私は知らない。特に興味も引かれないので誰かに尋ねたこともない。けれど、おそらく今もどこかのビルの上階層から、階下を見下ろして生活しているのだろう。
 ホワイトは、第十五雑居ビル等を管轄としているハロルド・エレキテルの電気系統整備課に転職した。EEにいるときには、仕事に対する愚痴ばかり溢していたホワイトだったが、何だかんだ言っても整備工の仕事を愛しているのだろう。しかしここまで頑張るとは正直思っていなかったので、少しだけ見直した。
 ホワイトにはつい最近、年下の可愛らしい彼女ができた。それは大変良いことだと思うのだが、会う度にデレデレしながら端末に撮り溜めた写真を見せびらかしてくるのには辟易する。だが、しばらくの間彼の教育係だった私としては、後輩が充実した生活を送っているのを垣間見ることは嬉しいものだ。
 マイトもホワイトと同じく別会社の同職に就いた。経験豊富なマイトは、EEを解雇されると同時に複数の会社から引き抜きの電話が掛かってきた。すぐに転職先が決まったマイトだったが、何故か私まで彼にくっついて再就職する運びとなってしまった。
「お前だって、どうせエアロバイクに乗るくらいしか能がねぇんだからさ」
というマイトの発言にはカチンときたけれど、悔しいことに、マイトの意見は的を得ている。それに整備工の職に再び就いたお陰で、エアロバイクも中階層暮らしも、若干の変化はあったにしろ失わずに済んだのだ。ティムと事件のことを思い出すのが辛くて職変えしようかと悩んだ私だったが、今となってはマイトに感謝している。
 私も結局、エアロバイクに乗るのが一番性に合っているのだ。
 現在の職場も相変わらずスモーカーばかりだ。この職場では新人のくせに、私は遠慮の欠片もなく先輩たちに悪態をついては苦笑いされている。
 どうしてこうも、エアロバイク乗りにはスモーカーが多いのだろうか。
 終業後、停車したエアロバイクに跨って遠くの空を眺めながら吸う煙草の味が、スモーカーにとって格別なものなのだろうということには薄々感付いているが、それでも私は煙草なんて健康に悪いものを吸う気にはなれない。
 そうそう、最後にもう一つだけ。
 こんなスモーカーだらけの職場だけれど、マイトの禁煙は奇跡的にまだ続いている。

 

 

 Fin


奥付



第三雑居ビル電気系統整備工の日々


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著者 : Lee Kino
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