目次
1.エアロバイク乗りの日常
1.エアロバイク乗りの日常(1)
1.エアロバイク乗りの日常(2)
1.エアロバイク乗りの日常(3)
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~(1)
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~(2)
3.正反対、だから気になる
3.正反対、だから気になる(1)
3.正反対、だから気になる(2)
3.正反対、だから気になる(3)
4.地表
4.地表(1)
4.地表(2)
4.地表(3)
5.平穏な生活
5.平穏な生活(1)
5.平穏な生活(2)
5.平穏な生活(3)
5.平穏な生活(4)
6.ネズミ
6.ネズミ(1)
6.ネズミ(2)
6.ネズミ(3)
6.ネズミ(4)
7.テロリスト
7.テロリスト(1)
7.テロリスト(2)
7.テロリスト(3)
7.テロリスト(4)
7.テロリスト(5)
7.テロリスト(6)
7.テロリスト(7)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(1)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(2)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(3)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(4)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(5)
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7.テロリスト(5)

 ピリリリリリリ。
 誰かの端末が着信音を鳴らした。私たちは慌てて各々がポケットを漁ったが、それはエツコの端末だった。
「うへ、課長」
 エツコは端末に表示された相手を見て、苦虫を噛み潰したような表情になった。そして「どうする?」とでも言いたさそうに片眉を吊り上げて、私たちをぐるりと見回した。
「取れ取れ」
 マイトに促され、エツコは溜息をついてから端末の着信ボタンを押す。
「――はい、こちら№4」
『№3も一緒か?』
「あ~、5と7も一緒でっす」
 エツコは、課長の声が全員に聞こえるように端末のスピーカーモードを切り替えた。
『おお、無事だったか。エアロバイクは機能するか?』
「№3、4は問題なし」
「№5、7も問題なしです」
 私は顔を突き出して、エツコの端末に向かって喋った。
『よし、それならお前ら、すぐに700階へ向かえ』
「何で?」
『そこに、最上階層住みの政府の要人やら業界人の方々が避難しているから、先行護送で地上までお連れしろ』
「はァ? 何だよそれ」
 マイトが眉をぴくりと痙攣させた。
「一般人は見殺しってわけかい」
『別に、そんなことは言っとらん。後からちゃんと……』
「空気循環システムを復旧させるのが先だろうが! このままじゃビル一本丸ごと、酸欠でデッカイ墓標になっちまうぞ。本来俺らがやるべき仕事はそっちだろ。それにお偉方を運んでる間に、中階層以下がやられたらどうすんだよ。結局、貧乏人は見殺しってことかい」
『馬鹿者、これは政府の命令だ。つべこべ言わんと、命令に従え』
「馬鹿はどっちだよ! 俺らは整備工なんだぞ。ハイヤーの運ちゃんじゃねえんだ」
 一際高い声で叫び、マイトはエツコから端末を取り上げ、スイッチをぶちりと切ってしまった。
「あ~あ、切っちゃった。知らないよぉ」
 エツコが腕を組んで、囃し立てる。端末は再び課長からの着信音を鳴らしたが、今度は端末の持ち主であるエツコが、当然といった顔をしてさっさと切ってしまった。
 マイトは憮然として言った。
「上階層住みだろうが低階層住みだろうが、俺らには関係ねぇし、国の奴らに何言われたって、要人の先行護送なんて真っ平だ。お前ら、課長の言いなりになりたいか? ふんぞり返ってる偉そうな能無し連中に、ヘイコラしたいか?」
「やだ!」
「やりたくない!」
「無理!」
 私たちは口を揃えて叫んだ。
「だろ? 誰が先に助かるべきかなんて、優先順位を決める方がおかしいんだ」
「そっすよ。こんな状況で、俺らが課長に従う義理なんてない! 俺ら、ただの整備工っすし。整備工なら整備工らしく、守備範囲を守りましょう」
 珍しくまともな意見を述べるホワイトの頭を撫でて、エツコがよし、と頷いた。
「そうよ。第三雑居ビル電気系統整備課の意地、見せたろうじゃないの」
 そして子供が逃げていくような不敵な笑みで、力強く曲げた左の二の腕を右掌でパシッと叩いた。
「でも……良いの? 勝手な行動してたら、私はともかく、皆までクビになっちゃうよ」
 私が尋ねると、マイトは皮肉に笑った。
「馬ッ鹿お前、このビルが潰れたら、俺ら全員お払い箱だぜ」
「そうよ。だったら、やりたいようにやった方がずっとマシ」
 エツコも鼻息荒く言った。
「行こう。一丁かましたろうぜ」
 私は嬉しくて、目頭に浮かんだ涙の粒を指の腹で拭い、何度も頷いた。
「うん」
「よし、ロンカとホワイト回収完了、と」
 エツコが呟きながら、端末を操作している。
「あ、シマダさぁ~ん? エツコです。№5と7、たった今、こちらに合流しました」
『無事だったか!』
 シマダの嬉しそうな声が聞こえた。エツコが端末を私に向けたので、私は端末越しに謝罪した。
「ご心配お掛けしました、すみません」
『おう、心配したぞ。この借りは、キッチリ働いて返してもらうからな。覚悟しろ』
「シマダさぁ~ん、それからさ、さっき課長から連絡あったんだけど、ブチ切りして無視しちゃった。まずったかなぁ」
 エツコがぼやくように言うと、シマダは構わんさ、と鼻で笑った。
『あのクソみたいな命令だろ? そんなん知るかってな。俺らは俺らで、空気循環システムを――』
「あ、やっぱそう来る? だと思ったぁ」
『シマダさん、エツコさん、悠長に話してる暇はないんですよ』
 チェの声がシマダとエツコの会話に割って入った。私とホワイトは顔を見合わせて微笑んだ。
「チェ、良かった。元気そうだね」
『ええ。何とか生き延びることができました』
 チェの声が少しだけ緩んだ。しかし彼の声はすぐに緊張感を取り戻す。
『皆さん、良いですか。今、僕とシマダさんは本部近くにいるのですが、これから二人で空気循環システムを修理しに行きます』
「お前らたった二人でか? 無理言うなよ。あんなデカい機械……」
『俺らがやらんで誰がやる。会社がやるわけなかろうが』
 マイトの言葉をシマダが遮る。
『課長の意見は、EE上層部の意見だぞ』
「だとしてもよ、俺らだけじゃ無理だろ、実際問題」
『無理じゃない方法もある。おめぇ、ちゃんと毎年の整備工研修受けてんのか?』
「はぁ? いきなり何言ってんすか」
『勉強不足だな、マイト。このビルの空気循環システムには、メインマシンともう一台、非常時に備えてサブがあることを忘れたか? そっちを起動させるくらいなら、俺とチェだけでも充分さな』
「あぁ、そういやそんなモンもあったんだっけ……」
 マイトはとぼけて上を向いた。エツコがやれやれ、と首を振っている。
『サブマシンは一号機の三分の一の酸素量しか作り出せないが、そんだけありゃ、民間人を避難させる間ぐらいならいけるだろ。まあ素人見解だから何とも言えんが、テロリストの野郎ども、あんなご大層な爆弾装置を作ってる割には、爆破に関しちゃ手を抜いてる。やるつもりなら、もっと手っ取り早くビルを圧し折ることだってできるはずだ。それなのに、どういうつもりかあっちゃこっちゃと効率の悪い爆破を繰り返している』
「もしかして、市民の避難時間も計算のうちなんすかね」
 ホワイトが呟いたが「まさか」とマイトが鼻を鳴らした。
「うちらに手伝えること、何かある?」
 エツコが尋ねると、シマダはそれなんだがな……と若干言葉を濁した。
「――何よ?」
『一つ、難儀なことがあってな。肝心要の二号機だが、年に一度の起動点検をしているのみで、五十年以上前に設置されてから、今まで実用したことがないんだ。おまけに、さっき確認してきたんだが、二号機への電源経路が爆破されとる。従って、電力供給もストップしとる現状だ』
「うわ、面倒くさ……どうすんのよ」
『俺とチェが、まず非常電源を使用して、二号機の起動点検をする。そんくらいなら、僅かな非常電源でもどうにかなる。その間にお前らは手分けして、爆破地点と漏電箇所を修理してくれ』
「何箇所ぐらいあんの?」
 エツコが尋ねる。
「私らだけで回れるような数なの?」
『えっとですね……今のところ、全部で十二箇所です』
 チェが答える。私たち4人は淀んだ溜息をついた。
「大丈夫かな。爆破されてるわけじゃん、どんだけメチャメチャになってるか……代用部品、社に戻って掻き集めてきても、足りないんじゃないの?」
『それは手配済みです。業者に頼んで何箇所かに分けて置いといてもらいましたから、途中で回収して使ってください』
「仕事速いなぁ」
 ホワイトが甲高い口笛を吹いた。
『皆さんの端末に、漏電箇所のデータをお送りします。おそらく、そこにネズミがあるはずです。もしかしたら見張りのテロリストがいるかもしれませんから気をつけて。それからもう一つ。先ほどテロリストの一人が逮捕されたんですが、そいつが吐いた残りのネズミの設置箇所、およびネズミの処理方法のマニュアルがポリスから我が社にも回ってきたので送ります。漏電箇所の方は一応、社のデータと見比べて判断してください。もしかしたら、奴らはまだ設置箇所を隠している可能性もありますから、油断しないで』
「ええ、ネズミの処理方法って……俺ら、爆弾処理までしなきゃならないってことなんすか?」
 ホワイトは、落ち着きのない様子で指の爪を齧りながら呟いた。マイトが、仕方ねえだろ、と諭す。
「非常事態なんだから、爆弾処理班待ってらんねぇよ。なぁに大丈夫。マニュアル見ながらやりゃあ、爆発しねえんだろ。確かなモンじゃなければ、ポリスが民間に情報流すわけねえし」
『さあ……でも、テロリストが逮捕されてからそんなに時間経ってないですから、実際にそのマニュアルの安全性が百%のものであるかは疑問ですけどね……』
 チェが嫌なことを言うので、私たちは押し黙ってしまった。
 しかし、やるしかない。
 チェは咳払いを一つ、そして念を押すように言った。
『良いですか。僕らはポリスでも軍でもない一民間人、非戦闘市民なんです。戦う必要なんてありませんから、危なくなったら逃げてください』
「チェよう、そんな悠長なコト言ってらんねえだろ」
 マイトがぼやく。
『まあ、そうですけど……じゃあそこは、自己責任で。なるべく発弾数は抑えてくださいね。それから、軍やポリスに見つからないように。見つかったら適当に誤魔化してください。会社のバックアップはないんですから』
「分かってるって」
『絶対に死なないで下さいよ。会社に提出する書類作成と遺族への労災手続き、大変なんですからね』
『馬鹿野郎。テロ騒ぎがこのままデカくなったら、皆お陀仏だぜ。会社だって潰れて、そんなん関係なくなるさ』
 シマダがチェの横から毒づいているのが聞こえて、皆が一斉に笑った。
 死ぬかもしれないこの場面で、皆で笑えるなんてカッコイイではないか。
 怖くないわけはない。
 私たちは一般市民。仕事柄、会社から支給されている護身用の銃は持ち歩いているものの、使用することなど滅多にない。現に、チェ、私、ホワイトの三人は、会社の練習場以外では一度たりとも発砲したことがない。
 それでも皆、立ち向かおうとしている。自分にできる精一杯のことをやり通そうと、整備工の意地を貫き通そうとしている。
 私たちを突き動かすのは多分、自分勝手なそれぞれの正義だ。
 無駄なことかもしれない。途中で志半ばにして死ぬかもしれない。しかし、やらなければ後悔するのを分かっているから、私たちは行動するのだ。
 チェからのデータ受信が完了した。私たちは各々の端末画面を覗いて、分担箇所を決めた。
 シマダは通信の最後にこう付け加えた。
『何が起こるか分からんからな。お前らも、大事な人に挨拶しとけよ』
 そのときばかりは、私たちの表情も暗くなった。
 通信を切るとすぐに、ホワイトとエツコは端末で家族に連絡を取っていた。
「――うん。じゃあ、あんたも? そっか、気をつけて。……私は大丈夫よ。そう、ママに頼んだなら子供たちは安心ね。うん、頑張るから。愛してる」
「そうだよ、兄ちゃん今から重大な任務に取り掛かるんだ。え、嘘じゃないって! ホントホント。スーパーヒーロー並みだぜ。かっちょいいだろ? ああ、頑張るよ。大丈夫だから泣くんじゃないよ。おりこうにしてたら、今度遊園地にでも遊びに連れてってやるから、ちゃんと母ちゃんの言うこと聞くんだぞ」
 彼らの方から、途切れ途切れに会話が聞こえてくる。
 私はちらりと横のマイトを見た。マイトだけは誰に連絡するでもなく、煙草をのんびりふかしている。
「電話しないの?」
「俺、若い頃に両親から勘当されてるから。連絡先も知らねーし」
「恋人は?」
「連絡するようなご大層な相手なんていないよ。そういうお前はどうなんだよ」
 私は膨れて視線を落とした。
「こんな事件起こしといて、誰に連絡すんのよ。それとも何よ、あのテロリストでクソったれなティムにでも連絡しろっての?」
「そりゃ無理な話だな。ごめんごめん」
 マイトは肩を竦め、ばつの悪そうな顔をした。
 通話を終えて戻ってきたエツコとホワイトに、マイトが提案した。
「今日はいつもの仕事じゃない。ロンカとホワイトは銃も扱い慣れてないし、何かあったときにベテランがいないと不安だ。ペアを変えよう」
「よし、じゃあ私はホワイトを連れてくわ。マイトはロンカを」
「分かった」
 頷きながらマイトは元素銃を取り出した。手早く動作確認をする。
「本当はこんなもの、私らの使うアイテムじゃないけどね……」
 エツコも銃をチェックしながら呟く。私とホワイトも、緊張した面持ちでそれぞれの銃を手に取った。冷たく重い銃の感触が緊張感を増幅させる。
「使わずに済むなら、それに越したことはないよな」
 マイトが銃をホルダーに収めながら呟いた。
「さあ、ロンカ行くぞ」
「うぃース」
 私とマイトは、エツコとホワイトに片手を挙げて合図した。エツコたちも、片手を挙げる。
 死ぬなよ。頑張れよ。また会おうね。
 多分、お互いの心中に浮かんだ言葉は同じだったと思う。

7.テロリスト(6)

 大方の漏電箇所付近は悲惨な状態になっていた。
 爆破されて、内通路が瓦礫の山となって封鎖されている階もあった。ビルの横っ腹を抉るように大きな穴が開いている場所もあった。
 ポリスや軍の目を掻い潜って移動し、爆破された地点の手前で、まだ無事なケーブルに新しいケーブルを繋いで応急処置を施す。
 時々ケーブルが足りなくなった。そんなときには、チェに連絡する。すると、すぐにその階の外壁まで工場のエアロトラックが飛んできて、私たちにケーブルの大きな束を渡してくれるのだ。
「勝手にトラックなんて飛ばして、大丈夫なの?」
 私が尋ねると、業者のおばさんはからからと笑った。
「大丈夫よ。もう上へ下への大騒ぎになってるんだから、うちらのトラックがその辺飛んでたって、何も言われないわ。大体、検問に引っ掛かったって怪しいものなんか一つも持っていないんだから、すぐ通してもらえるわよ」
「そっか。良かった」
「あんたたち、頑張んなさいよ! ケーブルの他にも足りないものがあったら、すぐ言いなさい。持ってくるからさ」
 おばさんは太い腕で私の肩をバンバン叩いた。
「ありがとう」
「じゃあね」
 走り去るエアロトラックを見下ろしながら、マイトが腕を上げ下げしつつ「よーし」と大声で言った。
「あんだけ期待されちゃ、やるしかねえわな」
「っしゃァ!」
 私もレンチを振り上げて気合いを入れた。レンチを握るグローブは、既に瓦礫や銅線に引っ掻かれてボロボロだ。オレンジ色の作業着も砂埃だらけだった。
「次行くぞ、次」
「はい!」
 四箇所目の修理を終えた私とマイトは、まだ運良くテロリストと鉢合わせしてはいなかった。一箇所だけ、ネズミを発見した。マニュアルを見ながらおっかなびっくりで取り除いたが、何とか爆発させずに済んだ。
 大変だったのはエツコ&ホワイト組の方で、一箇所目から見張りのテロリストと鉢合わせし、銃撃戦に陥った。
 射撃の腕の良いエツコがすぐにテロリストを仕留めたけれど、ホワイトが負傷した。とはいえ左足の腿を弾がかすった程度だったようだが、大袈裟なホワイトは死ぬ死ぬと泣き叫び、私とマイトまで端末越しに宥めすかす羽目になった。
「そのくらいで死ぬわけないでしょ。消毒したんなら大丈夫だってば」
『ロンカさんは見てないから、そういうこと言えるんだ。スゲー血が出てるんすよ!』
『こんな血ぐらい、スゲーなんていう内に入らないわよ。もう、しっかりしてよね……』
 端末の向こうでエツコがぼやいている。私とマイトは顔を見合わせてクスクス笑った。
「ホワイト、名誉の負傷ってやつじゃねえか。ちったァ痛いかもしんねぇけどさ、その状態で頑張ってビルを救ったら、間違いなくヒーローだぞ。女の子たちに、モテモテ確定だな」
『……痛いけど、頑張ります』
『現金な奴だなぁ』
 エツコが呆れて呟いた。
 しかし彼らの不運はその後も続き、二箇所目では積み重なった瓦礫をどかすのに四苦八苦、三箇所目では軍に追い回され、誤魔化すのに一苦労する羽目になった。
「エツコとホワイトから通信が入ってくるたびに、うわあ、また何かあったんかな……って、ビクビクしちゃうわ。それに比べたら、うちらは相当ラクしてるよね」
 私は作業を一休みして、ケーブル業者のおばさんがくれたエネルギーバーを齧りながら言った。
 端末を弄っていたマイトが、眉間に皺を寄せた。
「シマダさんたちも苦労してるみたいだな。まだしばらく掛かりそうだって」
「民間人の避難はどうなってんの?」
「さあ……要人の護送は結局、軍部がやったらしいぞ。わざわざ俺たちを招集しなくったって、余裕でどうにかなってんじゃねえか。馬鹿にしてんのかよ」
「エレベータが使えないから、民間人は階段を歩いて下まで逃げてるんでしょ? うちのビルだけでも五、六万人住んでるから、まだまだ時間が掛かるだろうね」
「民間人が逃げてる通路を爆破されたら、最悪だな」
「端末でニュース見てみようか?」
「やめろよ、見ないほうが良い。せっかくもう一踏ん張りだってのに、嫌な報道なんか聞いちまったら、やる気も失せちまうよ」
「それもそうだね」
 私は頷いた。
 作業に戻ると、途中でチェから連絡があり、また一箇所爆破されたと告げられた。
『すみませんが、そこも修理をお願いします』
「イタチごっこだな、おい」
 マイトがぼやいたが、しかし私たちに振り分けられていた修理箇所は全て修理し終わったところだったので、追加と聞いても精神的には余裕があった。
 その人影を目にするまでは。

7.テロリスト(7)

 指定のポイントまで向かおうと、エアロバイクにキィを差し込んだ時だった。
 私たちが修理したケーブルの向こう側、爆破された瓦礫の山の奥を誰かが歩いていた。
「やっべ、軍が来た?」
 私は慌ててエンジンを掛けようとした。キィを回すと、エンジンが空回りする高い音が瓦礫の上に響いた。
 人影がこちらを振り向く。
「あーッ!」
 私は思わず大声を上げ、慌てて口元を押さえた。開いた口の中に汚いグローブに付着した砂埃が入り込んで、口を閉じたらジャリジャリした。
 人影はすぐに、奥の暗闇へと消えてしまった。
 でも、あの眼鏡面を見間違えるはずもない。
 いた。
 彼だ。
 ティムだ。
 瓦礫の向こうを凝視したまま固まってしまった私に、マイトが近寄ってきた。
「どうした?」
「……」
 ティム……。
 ティム……。
 心の中で、何度も呼びかける。
 大好きだったのよ、ティム……。
 それなのに。
 それなのに。
 それなのに!!!!!!!!!
「ティム――――――――――――――ッ!」
 突然大声を出した私に、マイトは驚いて飛び上がった。
「っんだよー、ビックリすんじゃねえか」
「ごめん、私……」
 私は気が付けば、マイトを押し退けて走り出していた。
「ロンカ、どこ行くんだ?」
 マイトの声が追い掛けて来たが、私は何も答えなかった。
 答えられるような心理状態ではなかった。
 頭の中はティムでいっぱいだった。
 折角乾いた涙が、また溢れ出てきた。
 あの野郎。
 もがくように走り続ける。目を凝らし耳を澄まして、ティムの気配を感じ取ろうと必死だった。
 瓦礫に足を取られつつ、ティムの影を追いかけて奥へ奥へと進んで行く。
 ビル内の通路や広場は、どこもかしこも真っ暗だ。非常灯の光が届く狭い範囲だけ、埃の粒子が光を反射して煙のように鈍い白色に濁って見えた。ビルの内側は爆破の影響なのか、それとも空気循環システムが停止しているせいなのか、息苦しいほどに埃が充満している。
 ここは高階層。先程テロリストと鉢合わせした場所から近い階層で、街はもぬけの空だった。
 私は走りながら、ぽつりぽつりと灯る非常灯に照らされた街を観察した。先ほどは眺めている余裕どなかったが、こうして改めて見ると本当に奇妙な風景だ。
 誰もいなくなったビル内部は、まるで巨大なジオラマみたいだった。大きな箱の中に街が形成されているのだから、奇妙に感じて当然だろう。上から下から両側から、押し迫るような閉塞感が続く街。電力が途絶え、光や映像、音楽の一切が消えた街は、不気味な巨大迷路のようだ。
 どこまで行っても無機質な箱の中。
 上って降りて、曲がりくねった通路を走る。
 ヒョォォォォォォォ……。
 どこからか風の唸りが聞こえる。モンスターの啜り泣きのようで薄気味が悪かった。
 ティムはどこにいる?
 ティム、ティム、ティム……。
 自分が何階にいるのかすら、既に分からなくなっていた。風の音と、時折響いてくる低い爆発の振動音しか聞こえない、不気味に静まり返ったビルの中で、私はティムの足音を頼りに、自分の足音は押し殺して走り回っていたつもりだった。だがいつの間にか、ティムの足音だと思っていた音は、自分の足音が作り出したエコーへと摩り替わっていた。
 ああ、私の間抜け……。
 寂しさと不安、そしてやるせなさが私の心を覆っていた。
 それでも私は走った。走っていないと、背後から闇とともに迫り来る不安に押し潰されてしまいそうだったから。
 暗いビル内に突如光が差した。
 光へと近づいて行くと、一気に視界が開けた。そこはデパートのメインエントランスだった。自家用車持ちの一部の金持ち連中と、エアロバスに乗ってやってくる一般客のための入り口だ。
 エントランスはビルの側面を抉るような形状で作られており、外壁は十数メートルのガラス張り。ガラスの外側には、小型の観覧車やジェットコースターといった、遊園地によくある乗り物が並んでいる、派手な作りだった。もちろん電力が停まっている現在は全てが停止している。
 遊具の狭間には、真っ白い噴水の周りにたくさんのベンチが置かれた小さな公園のようなものが見えた。おそらく、乗り物に乗る我が子の姿を親が休憩しながら眺めていられるような配慮で作られたのだろう。噴水の中心には大きな口を天井に向けて開けた魚が、そしてその魚の背にはじゃれ付いている子供の天使の彫刻があり、魚の口から水が噴き出す構造になっているようだったが水は止まっていた。
 疲労困憊で息の上がった私は、倒れ込むようにベンチに腰を下ろした。
 マイトはどこだろうか。
 急に心配になってきて、腰の端末に手を伸ばしかけたが、端末がないことに気付いた。エツコと通話した際、腰のホルダーに付けるつもりが、うっかりエアロバイクのポケットに入れっぱなしで来てしまったのだ……無線付きの飛行帽も、エアロバイクの中だ。
 やばい。
 これでは帰れない。
 自分のエアロバイクがどこにあるのかすら分からない。
 おまけにここは高階層。歩いて下まで降りるにしても、どれくらいの時間が掛かることか。
 いや……それ以前に生きて降りられるのだろうか。爆破されたらお終いだ。
 そう思った瞬間だった。
 すぐ近くで雷のような爆発音が響いた。
 続いて、ビリビリと足元から伝わってくる大きな地鳴り。何か細かいものが降ってきたので反射的に頭上を見上げたら、天井から鉄板や塗装が落ちてくるところだった。
「キャァァァァァァァ!」
 私は立ち上がったが、振動によろめいて噴水の横に蹲った。蹲るしかなかった。一体どこへ逃げろというのだ? 逃げ場なんてない。
 頭のすぐ上でゴワワワワン、と耳が劈けそうな轟音が響いた。ショックで心臓が飛び跳ねる。
 ――死んだかと思った。
 しかし私は死んでいなかった。
 頭上で響いた轟音が、銅鑼をガンガン打ち鳴らしたように頭や耳に反響して、眩暈と頭痛をもたらした。頭が割れるかと思うほどに激しい音だった。
 私は頭を抱え込んで床に蹲っていた。頭痛の波が収まると、グローブを嵌めたままの手で顔を撫で回した。自分の柔らかい頬の感触を確かめて、やっと自分がまだ生きていることを実感する。
 周囲は真っ暗になっていた。酷い砂埃が両目と呼吸器官を襲う。ゴーグルを額から下ろして目にあてて、口元をグローブの手で覆った。顔を上げて周囲の状況を確認しようとすると、また頭上でゴウン、と音が響いて、今度こそダメかと肩を竦めたが、幸運なことにそれ以上の衝撃は来なかった。
 恐る恐る頭を持ち上げる、すぐに堅い物に頭がぶつかった。身体を捻って上を向き、グローブを外した手で触れてみる。ひやりと冷たい。爪で軽く叩くとカンカン、と鋭い金属音がした。どうやら落ちてきた天井板が噴水に引っ掛かり、私はその隙間にいたために助かったようだ。
 手探りで周囲の状況を確認すると、四つん這いで進めるだけの隙間しかなかった。しかも、前を見ても後ろを見ても、外の明かりは見えない。
 瓦礫の山に閉じ込められてしまったのだ。
 腰の工具ホルダーからペンライトを取り出して灯した。浮かび上がった光景は絶望的なもので、前後ともに天井板の向こう側は、鉄板や太いパイプが絡み合うように積み重なっている。
 試しに身体を折り曲げて、瓦礫の山を足で押してみた。手応えなし。今度は軽く蹴飛ばしてみる。やはり手応えがないのでちょっと強めにガンガン蹴ったら、頭上の鉄板が一瞬軋んだ。私は肝を冷やして蹴るのを止めた。押し潰されてはかなわない。
 仕方がないので動かせる瓦礫を手で取り除こうと、パイプや何かの破片を掴んでは、身体の後ろに押し退ける作業を始めた。しかし、思うように瓦礫は動かず、時間と体力ばかりを消耗してゆく。
 徐々に息苦しくなってきた。酸素が薄くなってきたようだ。
 はぁはぁと肩で息をしつつ、死に物狂いで瓦礫を掻いた。ペンライトを口に咥えて手元を照らしいていたので、開きっぱなしの口の端から唾液がぼたぼた垂れている。
 外への手掛かりは一向に掴めない。
 ああ……。
 ここで私は死ぬのだろうか……。
 せめて一発、ティムの頬に拳をめり込ませてから死にたかった。罵声を浴びせ掛けてから死にたかった。
 ……いや、そんなことはどうでも良い。私は自分自身に強がり、嘘をついている。
 本当は、
 本当の私の気持ちは――。
 ただティムにもう一度会いたかったのだ。
 彼の目を見たかった。
 彼の声を聞きたかった。
 あんな最後ではなく、もう一度だけ。きちんと彼の言葉で別れを告げて欲しかった。
 ずっと騙されていたのだとしても、それでも構わない。
 それでも、
 それでも、私は――。
 また涙が溢れ出す。
 泣いてはダメだ。情けない。
 ぽたり。
 乾いた埃だらけの床に、涙が一粒落ちた。
 私は手を止めた。床に手を着いた。
 苦しい。
 悲しい。
「ティム……」
 彼の名前が唇から零れ落ちる。
「ティム――――――――――――ッ!」
 大声で叫ぶ。
 嗚咽が喉を突いて出る。
 会いたい……。
 会いたいよ……。
 泣けば泣くほど息苦しくなり、私は床に突っ伏した。
 もうダメだ。ここで酸欠で死ぬのだろう。
 ごめん皆。
 くたばれ、ティム……。

8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(1)

 頬に微かに触れる温い風が、頬の産毛を逆撫でして、心地良くもくすぐったい。
 ゆっくりと繰り返す呼吸。
 吸って、吐いて。また吸って、吐いて。
 少しだけ埃っぽい。
 遠くでピィー、と笛のような音が小さく響いている。頼りないその音は、おそらく風鳴りの音。
 私は……瞼を閉じている。
 眠っていたのだろうか。
 あれ、
 私は誰だっけ?
 ここで何をしているんだっけ?
 一瞬の疑問。しかし次の瞬間には徐々に思い出す。
 そうだ。
 私はロンカ。エンリコ・エレキテル株式会社の、第三雑居ビル電気系統整備工だ。
 ゆっくりと瞼を開ける。
 崩れ落ちた天井が見えた。痛々しく配管やコードが飛び出ていて、人間がはらわたを抉られているスプラッタムービーを彷彿とさせた。
 少し首を捻ると、崩れた壁の先に澄んだ青空が見えた。
 私は――。
 瓦礫の山に生き埋めになって、それから……。
 それから?
 我に返って飛び起きた。床に手を着いた拍子に、指先に痛みが走る。グローブを外して両手の指先を見ると、皮膚が擦りむけて真っ赤になり、引っかき傷に血が滲んでいた。爪の間には、グローブの繊維と砂埃が入り込み黒ずんでいる。
 どうして私はここにいるのだろう?
 あの後どうなったのだろう?
 自力で脱出できたとは思えない。
 周囲を見回した。人影はない。
 誰もいない。
 立ち上がり、私は歩き出した。
 誰だ? 私を助けてくれたのは。
 まさか、ティム?
「ティム――――――――――――――ッ!」
 思わず大声で叫んだ。
「そんなに大声で呼ばなくったって、ここにいるよ」
 思いがけずに至近距離で声が聞こえたので、私はぎょっとして振り返った。
 果たしてティムはそこにいた。
 小山のように積み重なった瓦礫の上に腰掛けて、静かに私を見下ろしていた。
 いつものお洒落な服装で、物静かな雰囲気で……どこをどうとってもテロリストには見えなかった。
 今でも嘘だと思いたい。
 でも、これが現実。
「……」
 私は何かを言おうと口を開きかけた。けれど無限に浮かび上がる言葉は、全て喉元で団子のように詰まってしまい、何一つ出てこないのだった。
「怪我は大丈夫?」
 ティムは微笑んで尋ねる。
 これまたいつもの静かな笑顔。
 何も変わらないその表情。
 嘘つきだ。
 全部違うのだ。
 今はもう何もかも違う。それなのに、私は危うく目を眩まされそうになる。
 全部まやかし。
 変わらないように見えても、全てが嘘だ。
「……あんた、私に嘘をついていたんだよね」
 違う。本当はそんなことを言いたいのではない。
 だけど……。
 これで良いのだ。本当の気持ちなんて、言っても仕方のないことだから。
 ティムは頷いた。
「君の会社の電気配線図を手に入れるために、俺は君に近づいた。目的は難なく達成することができた。ロンカ、ありがとう」
「お礼なんて言われたくないわ」
 私はティムを睨んだ。ティムはまた頷いた。
「ごめん。君には本当にすまないことをしたと思っている」
「……」
「でも、俺はやらなければならなかったんだ。ビルの一、二本でも潰してみせれば、政府も焦って考えを改めるだろう。そのための見せしめさ。君だって分かるだろ? 地表に住む貧しい人々の現状ぐらい、知っているはずだ」
「そんなこと、あんたに言われなくったって充分承知よ。言ったでしょう、私は地表の貧民窟出身なんだから」
「だったら尚のこと、君だって思っているはずだ。こんな世の中おかしいってね。地表や低階層の人々がどんなに苦しい生活を強いられていたって、政府は何もしてくれない。解決策など考えようともしない。貧乏人はずっと貧乏で苦しいまま、金持ちはどんどん懐を膨らませる。資本主義社会の悪習ばかりを残したような世の中だ」
「そりゃ、そうだけど」
「誰かが変えないと、ずっとこのままだ。前にも一度話したよね?」
 私は思い出す。
 午後の日差しの差す公園。
 美味しいサンドウィッチ。
 幸せだった日の記憶に、涙が溢れそうになった。

「あの時、俺は言ったよね。世界のトップになるか悪の帝王になるか、そうでもしない限り世の中変えられないって。そして君は、世界のトップなんて到底無理だと言った。その通りさ。だから俺は、悪の帝王側についたわけだ。それで世の中変わるなら、俺は自分の縋るものが正義だろうが悪だろうが、何だって構わない」
「あのときの話は、全部本当だったの?」
「八割方は嘘さ。俺は君の思想に話を合わせていたんだ。その方が君の愛情と、そして信頼を簡単に得ることができるからね。共感こそが、人と人との関係性をより深いものにするための、一番手っ取り早くて簡単なツールなんだから」
「……」
「折角だから、本当のことを教えるよ。俺は君と同じ、セントラルの貧民窟出身さ。皮肉なもんだね。俺の家族も、あの火事で死んだんだよ。それがきっかけとなり、俺は真世界党に入ったんだ。だから君の身上を聞いたとき、あまりの偶然にちょっと驚いた。俺は適当に目星を付けて、君を選んだだけだったから。整備工の女なんて、きっと男日照りだろうから落とすのは簡単だろうと、そう思ってね」
 ティムは困ったように首を傾げた。私は唇を噛んだ。
「同じような悲惨な目に遇いながら、俺は恨みを忘れないまま新世界党の過激派になり、君は仕方がないと割り切って、今じゃビルの整備工か。運命っていうのは分からないもんだな」
「だからってこんな風にビルを爆破して、関係のない人々まで巻き込んで……何人死んだことか分かりゃしないわよ」
「いつの世でも、革命に若干の犠牲は付き物だ。でも、それで世の中が変わるなら」
「そんなの違うわ!」
 私は怒鳴った。
「それは驕りよ。あんただって、あの時言ったじゃない! こんなこと考えるのすら驕っている気がして嫌だって」
「……」
「そりゃあ、私だってこんな世の中カスだと思ってるわよ。だけど、だからって大勢の人の命を奪って革命を起こすなんて、そんなの旧時代的だと思わないの? 下らない過去の遺物よ。これまでだって数え切れないくらい最低な戦争が起きて、何千何万って命が奪われて……そういった悲惨な過去を繰り返さないようにしようって、そう考えることが思考回路と言葉を手に入れた人間の進化ってもんじゃないの? もっと平和的な解決法だってあったはずでしょ!」
「平和的な解決法? じゃあ、どうしろって言うんだよ」
 ティムが鼻で笑った。今まで見たことのない冷たい笑い方だった。
「それは……」
 私は口篭る。懸命に考えたが、良い答えは思いつかなかった。
「ほら、言えないだろう。俺たちだって、暴力を過信するだけの馬鹿ではないよ。君が言うような平和的な解決法っていうの? そんなもの、数え切れないくらい試してきたさ。でも、何も変わらなかった。だから、いつの世だって戦争や革命が起きるんじゃないの? 結局、最終的には力で訴えるという原始的な方法に頼るしかないんだよ。それが俺たちの結論だ。人間っていうのは、そういうもんだ。合理的で平和的な思考回路しかインプットされていないロボットにでもならない限り、俺たち人間から暴力的な思想なんて消えやしないよ」
 ああ、この人とは根本的に分かり合えない。
 私は悟った。
 共感できないことが、堪らなく悲しかった。
 これまで二人で過ごしてきた日常生活の、凹凸がぴったり合わさったようなあの心地良さ、それはもう二度と感じることのできないものなのだと私は理解した。
 それでもやはり、私はティムが好きだ。
 心の底から好きだ。
 そう。本当は、私はティムの顔を見て第一声に言いたかったのだ。
 愛していると。
 けれど私は今、永遠にその感情を封印した。頑丈な箱に押し込めて、もう二度と開かないように永遠の鍵を掛け、脳味噌の奥底に埋めてしまおう。
 だって、
 だって私は……。「あの時、俺は言ったよね。世界のトップになるか悪の帝王になるか、そうでもしない限り世の中変えられないって。そして君は、世界のトップなんて到底無理だと言った。その通りさ。だから俺は、悪の帝王側についたわけだ。それで世の中変わるなら、俺は自分の縋るものが正義だろうが悪だろうが、何だって構わない」
「あのときの話は、全部本当だったの?」
「八割方は嘘さ。俺は君の思想に話を合わせていたんだ。その方が君の愛情と、そして信頼を簡単に得ることができるからね。共感こそが、人と人との関係性をより深いものにするための、一番手っ取り早くて簡単なツールなんだから」
「……」
「折角だから、本当のことを教えるよ。俺は君と同じ、セントラルの貧民窟出身さ。皮肉なもんだね。俺の家族も、あの火事で死んだんだよ。それがきっかけとなり、俺は真世界党に入ったんだ。だから君の身上を聞いたとき、あまりの偶然にちょっと驚いた。俺は適当に目星を付けて、君を選んだだけだったから。整備工の女なんて、きっと男日照りだろうから落とすのは簡単だろうと、そう思ってね」
 ティムは困ったように首を傾げた。私は唇を噛んだ。
「同じような悲惨な目に遇いながら、俺は恨みを忘れないまま新世界党の過激派になり、君は仕方がないと割り切って、今じゃビルの整備工か。運命っていうのは分からないもんだな」
「だからってこんな風にビルを爆破して、関係のない人々まで巻き込んで……何人死んだことか分かりゃしないわよ」
「いつの世でも、革命に若干の犠牲は付き物だ。でも、それで世の中が変わるなら」
「そんなの違うわ!」
 私は怒鳴った。
「それは驕りよ。あんただって、あの時言ったじゃない! こんなこと考えるのすら驕っている気がして嫌だって」
「……」
「そりゃあ、私だってこんな世の中カスだと思ってるわよ。だけど、だからって大勢の人の命を奪って革命を起こすなんて、そんなの旧時代的だと思わないの? 下らない過去の遺物よ。これまでだって数え切れないくらい最低な戦争が起きて、何千何万って命が奪われて……そういった悲惨な過去を繰り返さないようにしようって、そう考えることが思考回路と言葉を手に入れた人間の進化ってもんじゃないの? もっと平和的な解決法だってあったはずでしょ!」
「平和的な解決法? じゃあ、どうしろって言うんだよ」
 ティムが鼻で笑った。今まで見たことのない冷たい笑い方だった。
「それは……」
 私は口篭る。懸命に考えたが、良い答えは思いつかなかった。
「ほら、言えないだろう。俺たちだって、暴力を過信するだけの馬鹿ではないよ。君が言うような平和的な解決法っていうの? そんなもの、数え切れないくらい試してきたさ。でも、何も変わらなかった。だから、いつの世だって戦争や革命が起きるんじゃないの? 結局、最終的には力で訴えるという原始的な方法に頼るしかないんだよ。それが俺たちの結論だ。人間っていうのは、そういうもんだ。合理的で平和的な思考回路しかインプットされていないロボットにでもならない限り、俺たち人間から暴力的な思想なんて消えやしないよ」
 ああ、この人とは根本的に分かり合えない。
 私は悟った。
 共感できないことが、堪らなく悲しかった。
 これまで二人で過ごしてきた日常生活の、凹凸がぴったり合わさったようなあの心地良さ、それはもう二度と感じることのできないものなのだと私は理解した。
 それでもやはり、私はティムが好きだ。
 心の底から好きだ。
 そう。本当は、私はティムの顔を見て第一声に言いたかったのだ。
 愛していると。
 けれど私は今、永遠にその感情を封印した。頑丈な箱に押し込めて、もう二度と開かないように永遠の鍵を掛け、脳味噌の奥底に埋めてしまおう。
 だって、
 だって私は……。


8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(2)

「あんたの言いたいことも良く分かるわ。だけど、私はあんたの話には絶対に頷きたくない。あんたが私を体制側に付いた負け犬だと思いたいなら、そう思えば良い。それでも私はこのビルを最後まで守る。私には、このビルの電気系統を守らなきゃいけないっていう使命があるのよ。だって私は整備工なんだから! それが私の信念、私の正義よ」
 ティムはクソ真面目な顔で、黙って私の話を聞いていた。あんまり怖い顔をしているので、馬鹿にされているのだろうな、と思った。片や理想主義のテロリスト、片やしがない整備工、いくら議論したところで私の言葉なんて、世界の片隅でひっそりと生きる歯車の軋みでしかなく、そこにグローバルで高尚な視点などない。
 分かっている。そんなことは自分自身分かりきっていることだ。
 けれども私は言わずにはいられなかった。息が切れるまで喋り続け、息継ぎのために口を閉じた瞬間、きっとまたティムに鼻で笑われるのだろうと覚悟していた。
 でも、ティムは笑わなかった。
 それどころか彼は頷いた。
「……君の信じる正義がそこにあるのなら、君はそれを貫けば良いよ」
「言われなくったって、そうするわよ!」
 怒鳴り返すと、ティムはちょっとだけ微笑んで立ち上がった。
「そうだ、ロンカ。俺は君のそう言うところが好きだ」
「ふざけないでよ! 騙してたくせに」
「ごめんよ」
「正義云々以前に、それって人としてどうなのよ。この詐欺師!」
「そうだな。俺は最低な人間だ」
 ティムは自分の尻を叩いて、砂埃を払った。
「早くこのビルから降りた方が良いよ」
「うっさいわね、テロリストが指図しないで。それとも何? ここにいてあんたの邪魔をしたら、私のことも殺そうっていうの? はっ、上等だわ。私だって一応武器ぐらい持っているのよ。一騎打ちでもしましょうか?」
 もう私はやけっぱちだった。しかし、ティムは感情的になっている私を諭すように、落ち着き払った口調言った。
「そんな不毛なことは止めよう。とにかく、降りてくれ。あと二時間もしたら、この場所はなくなるんだから」
「は?」
「このビルは、確実に崩れる。下に住む地表の住民たちは、既にずっと遠くへ避難している。予め、俺たちの仲間が誘導して避難させたから」
「ちょっと……そんなこと……」
「何のために、グズグズと小規模な爆破を繰り返していたか、分かるだろ? 俺たちだって、一般人はできるだけ巻き込みたくなかったんだ。だから早く、君も逃げて」
「嫌だ!」
「君が嫌だと言ったって、爆破は敢行されるよ」
「止めてよ!」
 私は素早く腰のホルダーから銃を抜き、安全装置を外してティムに向けた。
「止めなさいよ! あんたなら、止められるんでしょ?」
 ティムはただ、私を見つめるだけ。
「止めないと、あんたのこと撃つよ!」
「俺のことを撃ったって、爆破は止められないよ。もう爆弾は仕掛けられているし、俺の仲間が何人もこのビルの中を見張っていて、邪魔が入らないように爆破地点を守っているんだから。俺一人の力じゃ、どうにもならない。だから諦めて逃げてくれ。無駄な殺生なんてしたくないんだ」
「どうして……どうして私を助けようとするの? あんたにとって大事なのは、あんたの信じるあんたの組織の考え方なんでしょう? 私なんて、そのための踏み台でしかないんでしょう? だから私の気持ちなんて考えずに、騙して上手く利用したんでしょう? だったら私のことなんて、どうだって良いじゃない。私はねぇ、既に一度あんたに殺されているのよ、心をね。もうズタボロよ。だからほっといてよ。今更、良い人面なんてしないで、この卑怯者!」
「……そうだね。その通りだ。だけど、これだけは聞いてくれ。俺は君を騙していたけれど、君と一緒にいた時間はとても楽しかった。だから、全部が全部嘘というわけじゃないんだ……なあ、俺は君を殺したくない。生きてて欲しいんだ」
「うるっさいわね、黙れ、黙れ!」
 私は身を捩って叫んだ。
 ティムは私の方へと足を踏み出し掛けた。私は身体を強張らせて銃を構え直したが、しかしティムはそれ以上こちらへ近寄ることはなく、代わりに大きく息を吐いた。
「――いや、止めておこう。今、君に触ってしまったら、俺はもう前に進めなくなるだろうから」
「……何よ?」
 ティムは微笑んだ。
「さよならだ」
「え?」
 ティムは私に背を向けて、瓦礫の山の向こう側へと歩き始めた。
「ちょっ……どこ行くのよ」
「俺の担当場所だよ」
「担当場所って……あんた、もしかして、ビルと一緒に吹っ飛ばされる気なの?」
 ティムはちらりと私を振り返って言った。
「俺もね、俺の信じる正義を貫き通したいんだ」
「馬鹿ッ、動いたら撃つからね!」
 私は怒鳴った。
 銃を持つ手に力が篭る。
 しかし結局、引き金を引くことはできなかった。
 私を放置したまま、ティムは瓦礫の向こう側へと姿を消した。
 私の腕は、誰もいなくなった空間に向かって頑固に銃を構え続けていた。硬直してしまい、動かすことができなかった。しかし筋力には限界がある。徐々に上げっぱなしの両腕が疲労でプルプル震え始めた。硬直が解けて両腕からがくりと力が抜けるのと同時に、緊張の糸が切れて身体中の力まで一緒になって抜けてしまい、私はその場に膝から崩れ落ちた。
 溜息。
 涙。
 鼻水。
 銃を握ったままの右腕で、それらを顔から拭い去る。
「あぁ……」
 言葉にならない声が、空気と一緒に零れ出した。
 よろよろと立ち上がる。
 降りよう。
 そして、シマダたちに伝えなければ。
「ロンカ――――――――――――――――――ッ」
 エアロバイクの小気味良いエンジン音とともに、喉の奥底から搾り出すような野太い声が響いた。
 私はビルの外に目を向ける。
 マイトと彼のエアロバイクが視界に飛び込んできた。
「大丈夫か?」
 マイトは乱暴にエアロバイクを着地させ、ひらりと飛び降りた。そして、瓦礫を蹴散らしながら私の方へと走り寄ってきた。
「ロンカ!」
 元素銃を手に座り込む私のすぐ傍まで来て、マイトは目を見開いて立ち止まった。
「お前……」
 私は慌てて顔を擦る。涙も鼻水も一まとめになって、ツナギの袖を汚した。
「マイト、ごめんね」
 私が言い終わるか終わらないかのうちに、マイトが筋肉質な腕を伸ばし、私の肩を掴んだ。殴られる、と首を竦めた私の予想とは裏腹に、マイトは私を強く抱き締めて言った。
「良かった……」
 彼らしからぬ行動に私は酷く驚いたけれど、マイトの整髪剤の匂いを嗅いだらとても気分が落ち着いて、深呼吸して目を閉じた。そして、腕を回してマイトの広い背中を軽く叩いた。
「ありがとう」
 私は大丈夫。
 遠退いていた安寧の日常が、少しだけ戻ってきたような気がした。
「中階層から下は、シマダさんたちのお陰で、電気と空気、通ったぞ。皆が避難する間ぐらいなら、何とか持つだろ」
「そっか……」
 私は目を閉じたまま頷いた。
 心の底から嬉しかった。

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