目次
1.エアロバイク乗りの日常
1.エアロバイク乗りの日常(1)
1.エアロバイク乗りの日常(2)
1.エアロバイク乗りの日常(3)
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~(1)
2.エアロバイク乗りの非日常~合コン~(2)
3.正反対、だから気になる
3.正反対、だから気になる(1)
3.正反対、だから気になる(2)
3.正反対、だから気になる(3)
4.地表
4.地表(1)
4.地表(2)
4.地表(3)
5.平穏な生活
5.平穏な生活(1)
5.平穏な生活(2)
5.平穏な生活(3)
5.平穏な生活(4)
6.ネズミ
6.ネズミ(1)
6.ネズミ(2)
6.ネズミ(3)
6.ネズミ(4)
7.テロリスト
7.テロリスト(1)
7.テロリスト(2)
7.テロリスト(3)
7.テロリスト(4)
7.テロリスト(5)
7.テロリスト(6)
7.テロリスト(7)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(1)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(2)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(3)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(4)
8.終幕、そしてまた始まるエアロバイク乗りの日常(5)
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6.ネズミ(2)

 だが、おっかなびっくりで日々の点検作業に精を出す私たちの前に、ネズミは中々姿を現さなかった。
 相変わらず、第三雑居ビルのそこここで盗電事件は起きていたが、私たちが盗電ポイントに近付いたときにはいつも、既にネズミは行方を眩ませた後だった。
 そんな追いかけっこが一週間ほど続いた、とある日。
 昼食まで残り一時間、空腹を抱えて点検作業をしていた私とホワイトは、シマダからの通信を受けて驚いた。シマダにしては珍しく、端末越しにも分かるほど切羽詰った声であったためだ。
『おい! お前ら、今どこにいる?』
「え? 上階層一七八二階ですけど……」
 端末を握るホワイトが、きょとんと目を丸めて私を見た。私は首を傾げてホワイトに尋ねる。
「どうしたの?」
「いやあ、何か、シマダさんが」
『そっちの電力、どうなってる?』
「へ? どうなってるって?」
『測定中じゃねェのか』
「はい、測定中です」
『だったら確認してみろ』
「急に何だってんですかァ? ええ、別に今のところは――あっ」
 突然、測定機の針がグンと下がった。私とホワイトが雁首を並べて見守る中、面白いほど急激に、それはゼロに限りなく近い数値にまで減少していった。
「あーららららら―――――――……何だこれ。電力、なくなっちゃった」
『そっから出てみろ。街は停電で大騒ぎだ』
 慌てて壁の内側から街に飛び出すと、そこは果たして、悲鳴と足音がごった返す混乱のど真ん中だった。
「この騒ぎは、一体……」
『一気になくなったんだよ、電力がこのビル全体からな。明らかに異常事態だってのに、お上からもEEからも何の通達もないもんだから、市民がパニックになっちまってる』
 シマダが言った。
 割り込み通信が入り、エツコの声がキンキン響く。
『どうしよう! ネズミ、発見しちゃったんだけど』
『馬鹿、どうしようじゃなくて逃げろっつったろ! モタモタしてねえで、さっさとそこから離れろ!』
『分かってる、分かってるけど……』
 エツコの声が半泣きだ。初めて聞いた彼女の弱々しい声色を聞いて、私はようやく、今現在このビルが非常事態の真っ只中に陥っているのだと思い知った。
 エツコから通信を奪い取ったマイトが、シマダに告げる。
『シマダさん、こっちは大丈夫だ。ちゃんと逃げるよ』
『おう、マイト。エツコを頼むぞ』
「私とホワイトは、どうしたら良い?」
 私が言い終わるか終わらないかのその瞬間だった。
 ゴウン……!
 轟音。
 そして振動。
 床、壁、そしてガラス、私たちの周囲にあるもの全てが、ビリビリと激しく震えた。
 人々の悲鳴とどよめきがワッと沸き起こる。
「何?」
「ロンカさぁん!」
 ホワイトが泣き顔になって私に飛び付いてきた。私はブルブル震えている軟弱なホワイトを押し退けて、目を凝らし耳を澄まして周囲を観察する。天井からパラパラと埃や 何かの破片みたいなものが落ちてくる。私は腰砕けになっているホワイトを引き摺るようにして、壁の内側に戻った。
「シマダさん、これ何?」
『デカいな……マイト、そっちもか?』
『そっちもこっちもないっすよ。右も左も……うわッ!』
『どうした!?』
『お、俺らの近く、どっかで何か……うぇ、ゲホッ、ゲホッ……』
 マイトが激しく咳き込んでいる。エツコの端末の通信が一端途切れ、再び割り込み通信が入った。
『すんません、電波、悪いっぽいっす。こっち、これ多分、爆発っすよ! 凄い粉塵で、何も見えねェや』
『きっとネズミよ!』
 エツコが叫んだ。私とホワイトは、顔面蒼白で顔を見合わせた。
『お前ら、まだ近くにネズミがあるんだろ? くっ喋ってねぇで、さっさと逃げろ!』
 シマダがエツコを叱咤した。大声で続くやり取りに、鼓膜がビリビリ震えて耳が痒くなった。
「二人とも、早く逃げて!」
 私まで我を忘れて端末に向かって叫んだ。
『言われなくたってそうするよ。通信、一端終了!』
 マイトはそう言って、割り込み通信を切った。
 私たちは事の深刻さについて行けず、途方に暮れて立ち尽くした。
『……カ、ロンカ、ホワイト、聞いてるか?』
 シマダに呼ばれ、二人揃って我に返る。
「は、はい!」
『お前らも一時撤退だ。一端、ガレージに戻って来い。今後の対策を練り直すぞ』
「了解」
 私は通信を切り、ホワイトを見た。ホワイトは表情を強張らせ、私を見つめ返す。
「聞いてたでしょ。撤収よ」
 私は指示を出し、足元に散らばった工具類を手早く纏めた。
 ゴウン……!
 またどこかで鈍い音が響いた。今度の衝撃は弱い。かなり遠くの階層だろう。
「早く、行きましょう」
 爆発音に急かされたのか、点検ポイントの入り口で、ケーブルの束を肩に巻き付けたホワイトが私を呼んだ。私は慌てて工具箱を引っ提げ、走り出した。
 エアロバイクに跨りEEのガレージに戻る途中、無線でホワイトが叫んだ。
『ロンカさん、あれ見て!』
 私の隣にエアロバイクを併走させて、ホワイトが指差した。その人差し指のずっと先、第三雑居ビルの側面には、まるで虫に食われて腐りかけた草の葉のように、爆発で煤けてぽっかりと穴の開いた箇所があった。直径十数メートルはあるだろうか。
『あんなデカい穴が……』
「急ぐわよ」
 私はエアロバイクのエンジンをふかし、スピードを上げてガレージを目指した。

6.ネズミ(3)

 ピットに到着すると、既に№3、4の駐車ラインにエアロバイクが停まっていて、それを確認した私は少しほっとした。更に視線を移動させると、ピット端のドリンクの自 販機脇に立つマイトと、その隣で両膝の間に頭を落として座り込むエツコの姿が見えた。
 停車する間ももどかしく、私はエアロバイクからピットの床に飛び降りた。床をガンガン鳴らして、マイトとエツコに走り寄った。
「着いてるなら連絡してよ! 心配するじゃない」
「――あっ、悪い。うっかりしてた」
 マイトがばつの悪そうな表情で舌を打った。一見落ち着いた様子のマイトでさえ、どうやら気が動転しているようだ。私の声に反応し、エツコが顔を上げる。弱気に歪んだ彼女の顔は、知らない他人のように思えた。
「ロンカぁ……もう私、びっくりしちゃってさァ、情けないったらないわ」
 私はエツコに手を差し伸ばす。エツコは私の手に捕まって力なく立ち上がり、胸を押さえて息苦しそうに何度も大きく呼吸した。
「はぁ、死ぬかと思った。テンパッちゃってさ……」
「無事で良かった。見つけたネズミは?」
「位置データだけシマダさんに送った。シマダさん、ポリスと上層部に転送してくれたはず」
「課長は?」
「この騒ぎで本部に行ってるっぽい。待機してろって連絡が来たけど、それだけ」
「じゃあ、俺らはとりあえず、シマダさんとチェさんを待つしかないってことっすね」
 ホワイトがマイトの隣の壁に身体をもたせ掛けて言った。
「シマダさんからさ、さっき運転中に着信があったんだけど、とる前に切れちゃって、その後何度こっちからかけても繋がらないのよね。電波障害が酷いのかしら」
 エツコが首を傾げて言う。
 私は腕時計を見た。シマダたちの今日の担当箇所は上階層上部だから、戻ってくるのにはエアロバイクでも時間が掛かる。だが、それにしたってそろそろ到着しても良い頃だ。
 全員が揃ったら、おそらく彼らが良策を立ててくれることだろう。第三雑居ビル電気系統整備課のブレーンは、課長でもEE社の上層部でもなく、実質上彼ら二人だ。現場を知らないお偉方には、現場のことなど理解できない。
 ゴウン……。
 また振動。
 足の裏から床の鉄板を通して震えが伝わってくる。
「何発目よ、コレ」
 エツコが天井を見上げる。
「どこら辺かしら」
「ずっと上だな」
 マイトが呟いた。
 事務所への扉が開いた。課長が戻ってきたのかと思い、視線を向ける。しかし出てきたのは課長ではなくシンディだった。
「シンディ、課長は?」
「さあ。事務所には、まだ連絡は来ていません」
「そう」
「ああ、でもシマダさんからは、連絡がありました」
「え? いつ?」
「十五分ほど前です」
 十五分前と言えば、通信を切った直後ぐらいだろうか。
「シマダさん、何だって?」
「テロリストに狙撃されたそうです」
 シンディは何食わぬ表情で言った。まるで簡単な事務報告でもするかのように。
 私たち四人は唖然として、コントみたいに揃ってぽかんと口を開けた。
 シンディの口調と会話の内容にあまりにもギャップがあり過ぎて、それが脳の正常な働きを阻害しているかのようだった。
「――どういうこと? テロリストって?」
「さあ。言葉の通りなんじゃないですか。チェさんは人質に取られていて、シマダさんはちょっと怪我をしたらしいですけど」
「どうして言わねえんだよ! お前、ずっと事務所にいて俺らが帰ってきたのも知ってたんだろ?」
 マイトがシンディに怒鳴った。シンディはちょっと目を丸めて、しかし怒鳴られたことが余程不服だったのか、剣のある目つきでマイトを睨んだ。
「課長には、既に報告しました」
「そういう問題じゃねえよ。普通はよぅ、課の人間全員に連絡するだろ」
「必要ないと判断しました。私たちが騒ぎ立てても、どうしようもないですよ。最早ここまできたら、完全にうちの課の業務外ですし、後はポリスと本社に任せるべきです」
「じゃあ、何もしないでほっとけって言うんか」
「さっきの、シマダさんからの一瞬の着信……きっと、その報告をしようとしていたんだわ。電波障害とばかり思っていたけれど、もしかしたらシマダさんの端末、壊れてんのかも」
 エツコが唇を噛んだ。
「っていうか、チェはその後どうなったの?」
 私は尋ねた。シンディはむっとして、明後日の方を見たまま答えた。
「さあ、知りません」
「確認とってないの?」
「私の仕事ではありませんから」
「ありえないんだけど」
 私は失望して首を横に振った。
「仲間が窮地に陥ってんのに、何でそんなに悠長に構えてんのよ」
「だから、何度も言わせないで下さい。騒ぎ立てても、意味なんてないんですよ」
「さっ、騒ぎ立ててって、そういう言い方ないでしょ!」
「私たちの仕事ではないものに首を突っ込んだって、仕方がないじゃないですか」
「仕事仕事って、これはもう仕事云々じゃないわよ。どうせ課長に任せておいたって、課長は本社かポリスに丸投げするだけだろうし、これだけの大騒ぎの中、シマダさんたちのところへ救助が向かうまでに、どんだけ時間が掛かるかなんて明白でしょう。その間に、シマダさんたちに何かあったらどうすんのよ! 私たち以外に、どうにかできる人間なんていないのよ、誰も助けてくれないのよ!」
「おい、カッカすんなってば。シンディ、最後に連絡が来たときの、シマダさんの端末位置を教えろよ」
 マイトがシンディに詰め寄った。
「……」
 シンディは頑なに口を一文字に結んでマイトを睨んでいた。しかしマイトが凄んで身を乗り出すと、顔を強張らせて渋々口を開いた。
「――上階層一八六六階、R-一三二ポイント付近ですが」
 マイトは返事の代わりに鼻を鳴らし、くるりと踵を返した。
「どんな状況だか分かんねぇけど、怪我してるってんなら、さっさと救助に行ってやらねえとな。エツコ、お前も来い」
「分かった」
「ロンカとホワイトはここで待機だ。二人から連絡があったら、すぐに俺たちにも通信を回せ」
「了解」
「それから、もしテロリストって奴らの方から連絡があったら、それもこっちに回せよ。ロンカ――電話口で頭に来ても、絶対に喧嘩吹っ掛けたりすんなよ、仲間の命掛かってんだから」
「そんなことしないわよ」
 私は溜息をついた。
 動悸が激しい。
 どうなってしまうのだろう。
 ……こういう時こそ落ち着いて。
 最善の行動を見極めないと。
「よし。じゃあ俺、元素銃の調整機、取ってくるわ。――銃のパワーレベル、いつもより三段階ぐらい上げてった方が良いよな?」
「まあ……そうね、レベル8にしときましょ。非常事態だし」
 マイトがエツコと相談している。エベル8と聞いて、私は改めて緊張した。
 私たちの課の人間が標準装備している元素銃の威力は、通常なら例え対象にヒットしても、軽い怪我を負わせる程度に絞られている。相手を威嚇して、一時的に怯ませることができればそれで充分だからだ。
 レベル8は、最高レベルだった。そこまで引き上げなければならないということは、つまり今がそれだけ危険な状況だということだ。撃てば、当たれば、相手が死ぬかもしれない。しかしそれすら仕方がないという状況。
「ロンカ、ホワイト、お前らも8に上げとけよ。いつでも動けるように、準備しとけ」
「……了解」

6.ネズミ(4)

 マイトは事務所の中へ入っていった。後に残された私たちは、重苦しい気分で口を閉ざしていた。エツコは煙草を口に咥えたが、中々火のつかないライターに苛立っている。ホワイトは眉間に皺を寄せ、自分のブーツの爪先をひたすら睨んでいた。私はと言えば、気分が全く落ち着かず、強張った身体を解すため無駄に屈伸ばかりしていた。
 身体が伸び上がった瞬間に、いつの間にかガレージの端に移動していたシンディの姿が目に入った。
 シンディはいつものように一人壁際に座り込み、眼鏡を光らせて漫画を読んでいた。
 ――何?
 何なの、アイツ?
 カッと頭に血が上る。
 一直線に歩いて行って、シンディの読んでいた漫画本を叩き落した。
「何やってんのよ」
 シンディは掴む対象を奪われた手先から視線を上げ、私を睨んだ。
「何って……特に今、私がするべき仕事はありませんし、いつものように待機しているだけですが、それが何か?」
「漫画なんて読んでる場合じゃねーだろっつってんのよ! さっきから爆発はボンボコ続いてるわ、シマダさんとチェが危ないわって時に、よりによって漫画? ……ちょっとは空気読めよ!」
 激昂する私とは対照的に、シンディはいつもの無表情。相変わらず感情の篭らない低いトーンの声で呟いた。
「――私には、関係ありませんから」
 関係ない?
 その言葉を聞いた私は激昂して、思わず手を振り上げた。
 もう止められなかった。
「止めな、ロンカ!」
 エツコが叫んだけれど、私の腕は止まらなかった。宙を斜めに切って、掌がシンディの肉付きの良い頬を打った。
 パツーン、と甲高い音がガレージ内に響いた。直後、シンディの眼鏡が床に落ち、鉄の床がカン、と鋭く鳴った。
 私は反射的に落ちた眼鏡を見た。左のレンズが割れている。それを見てようやく、とんでもないことをしてしまったという若干の後ろめたさと後悔の念が沸き起こった。
 しかし後悔はすぐに打ち消された。やはり腹立たしさの方がずっと強かったから。
 だって、そうじゃない。
 人の命が掛かっているのに。
 心の内に燻り続ける不快さを吐き出すように、私はつっけんどんに言った。
「私は、例え大嫌いな人間が死にそうな目に遇っていたとしても助けるわ。関係ないなんて絶対に言わない」
 シンディは目を真ん丸に見開いて、私を直視していた。彼女の頬は徐々に真っ赤に腫れていった。元から肉まんみたいな頬が、私に叩かれた左側だけ更に膨らんだ。
「大嫌いな人間でも助けるんだもの、職場の仲間だったら、自分の命張ってだって助けるわよ。どうして関係ないなんて言えるの? いつも助け合って仕事してきてんのよ。時々は、そりゃあムカつくことだってあるわよ。でも仲間でしょ? そんなに簡単に切り捨てられるもんじゃないわよ!」
 エツコが私とシンディの間に割って入る。
「分かったから落ち着きなさいよ。ダメよ、興奮しちゃ」
「エツコは黙っててよ! だって、だってこんな……あの二人が死んじゃったら、どうすんのよ!」
「まだ死んでないでしょ。だから、私たちで助けに行くのよ。こんなところでゴタゴタしてる場合じゃないでしょうが」
 その通りだ。私はぐっと詰まってエツコを見た。エツコも強張った表情をしていたが、口元を少し緩めて私に微笑んでくれた。
「大丈夫だからね、ロンカ? さあ、落ち着いて」
「……ごめん」
 私は頷いた。気が昂り過ぎて、泣き出してしまいそうだった。
 その時、私たちのオンボロなエアロバイクのものとは全く違う、お上品で静かな高級エアロカーのエンジン音がピットにゆっくりと降りてきた。それは毎日シンディを送迎しに来る、黒塗りのエアロカーだった。
 ピットに着地するとすぐに、中からスーツ姿の運転手が現れてシンディの傍へ立った。運転手は赤くなったシンディの頬を見て驚いたように口を開きかけたが、何も言わなかった。シンディに仕える彼はシンディと同じように、自分の仕事外のことは一切しないように教育されているのだろう。
「シンディ様。ご両親からお迎えに上がるようにと」
「……」
「ご両親は、既に避難する準備を整えてございます。停電により空気循環システムが停止しておりますので、一刻も早く外部に脱出しませんと、危険な状態でございます」
「えっ、マジで?」
 エツコが詰め寄ると、運転手は若干身を引いて、嫌そうな表情を浮かべつつ頷いた。
「は、はい。酸素が薄くなり、中階層から低階層にかけての避難民が集中しているエリアは大騒動になっているようです」
「うえぇ~、やっばいじゃんか!」
「さあ、シンディ様。お急ぎください」
 運転手は一刻も早くこの場から立ち去りたくて仕方がない様子でシンディを促した。しかしシンディは壁のように突っ立ったまま動こうとしない。私に叩かれた瞬間の姿勢のまま、立ち尽くしていた。
そこへ元素銃の調整機を手にしたマイトが戻ってきた。
「――どうした? 何騒いでんだ」
「いや、それが……あっちで話しましょ」
 首を傾げるマイトと青ざめたホワイトの袖を引いて、エツコがピットの脇へと連れて行った。残された私は、それでも意固地になってシンディと睨み合っていたが、エツコの言う通り、こんなことをしている場合ではないと気持ちを切り替えた。
 出発の準備を始めたエツコたちをサポートしようと、シンディに背を向ける。背中越しに、私は吐き捨てるように言った。
「行くならさっさと行っちまいなよ!」
「……ロンカさん」
 シンディが私の名を呼んだ。
「何?」
 相変わらずカッカしたまま、私は再びシンディに向き直り怒鳴り返した。シンディは私の勢いに怯んだが、おちょぼ口をもごもごさせて言った。
「……もし、私がチェさんのような目に遭っていたら……シノダさんのように怪我をしたら、それでも助けに来てくれるんですか?」
 シンディは割れた眼鏡を拾い上げつつ尋ねた。不意打ちの質問に、私は一瞬返事に窮したが、大きな声で答えた。
「当たり前でしょ! 私はあんたが大ッ嫌いだけど、それでも間違いなく、助けに行くわよ」
 シンディの無表情が少しだけ歪んだ。小鼻がぴくりと動いて、彼女の目がじわりと潤んだような気がした。
「……そうですか」
「それが何よ」
 シンディは俯いた。
「いえ……」
「は?」
「すみません、失礼します」
 シンディは、くるりと踵を返して運転手が待つエンリコ・エレキテル重役専用車へと乗り込んでしまった。
 ……何言ってんだ、あのデブ。
 私は呆気に取られて、シンディの広くて丸い背中を見送った。
「ロンカ、あんたの銃も調整するから貸しな」
 いつの間にかエツコがこちらに戻ってきて、私の肩を叩いた。
「うん……ありがと」
 私はもう一度だけシンディに視線を送り、腰の元素銃をホルダーから外した。
「シンディ、泣いてたね」
 遠退いてゆくエアロカーを見送りながら、エツコが呟いた。
「そう? ……っていうか、マジで意味分かんないんだけど、あの子」
 私が鼻から息を漏らしてぼやくと、エツコは肩をちょっと竦めた。
「できる子には、できない子の気持ちが分からないのよね」
「――どういうこと?」
「シンディは人付き合いが苦手なのよ。他人に自分の気持ちを伝えるのも、逆に他人の気持ちを汲み取ることも思うようにできない」
「確実に、空気は読めないわよね。でもさ、分からなきゃ聞けば良いし、分かってもらえてないなら、分かってもらえるまで話し合えば良いだけじゃんか。そんな簡単なことを……」
「だから、それがどうしてもできない人間だって、世の中にはたくさんいるのよ。あんたの定規で全てを測っちゃいけないよ、ロンカ」
「そりゃそうかもしれないけどさ」
「どうしてあの子がこんな職場に入ってきたのか分かる? きっと自分の殻を打ち破りたかったのよ。まあ、結果的に難しかったわけだけど。うーん、ちょっと可哀想なことしたかね」
「ええーっ、ただ単にオタクなミーハー心から、エアロバイクに乗りたいって言って、入ってきたんじゃないの」
「それもあるかもしれないけど、でもきっと、あの子なりに頑張っていた部分もあったはずよ。私らが気付いてあげられなかっただけでさ。なーんて言ってる私だって、ワガママで使えない、太りすぎのお嬢様だとばかり思っていたけどね。ハハハ」
「だって、その通りじゃん。それ以外の何者でもねーわ。頑張ってたって言われても、努力が見えてないんじゃ評価のしようもないしね」
「全くあんたも若いわね。その辛辣な意見ったら。自分のこと棚に上げてさ」
 からかうようなエツコの言葉に、私は思わず赤くなった。
 そうだ。シンディの文句ばかり言ってもいられない。
 私にだって直すべき点はたくさんある。例えば、こうやってすぐに手を上げてしまう暴力的なところ。。他人を傷つけるようなことを、平気で口走ってしまう短絡的な愚かさ。その他色々……挙げ始めたらきりがない。
「でもさ、あれできっとシンディも、何か学べたんじゃないの。この先、ちっとはマシな人生歩めるわよ。きっとね」
「……うん」
 私は去り際のシンディが浮かべた表情を思い出していた。
 多分彼女にとって、あの若干の顔の歪み、それが外に出すことのできる感情の全てだったのだろう。
 結局最後まで、私は彼女の内面に渦巻く感情の波を捉えることができなかった。
 このゴタゴタが落ち着いたら――今度はもう少し諦めないで、シンディとのコミュニケーションを図ってみようかな。
 心の隅の方でそう思ったけれど、結局私が彼女の肉まんみたいな顔を見たのは、その時が最後だった。

7.テロリスト(1)

 私とホワイトはガレージに待機、マイトとエツコはシノダを救助に向かった。
 いつもなら、何かあればすぐに私の神経を逆撫でするような発言をするホワイトだったが、私とシンディとの一悶着については触れてこなかった。黙って俯き、ただ煙草を次から次へと消費するばかりだった。
 私はと言えば、やはり沈黙を守ってピットから見える風景を眺めていた。
 青い空。高く高く伸びる、超高層ビル群。それはとても静かな風景だ。
 それなのに、その風景の中に時折響く轟音と振動は、まるで地獄から這い出てきた巨大な悪魔の足音のようで、聞こえる度に私とホワイトは首を竦めて震え上がった。
 最初の爆発が起きてからおよそ三十分が経過した。その間に合計6回の爆発があった。幸い私たちの近くで爆発は起きなかったけれど、しかしここだっていつまで安全なのか分からない。もしかしたらあと数分後、いや、あと数秒後には瓦礫の山になっているかもしれない。そう考えると背筋が寒くなった。
 周囲が静かになってようやく、私はティムのことを思い出した。途端に酷い不安と動悸に襲われた。
 大丈夫だろうか?
 まさか、爆発に巻き込まれたりしていないよね……。
 ティムに電話を掛ける。
 しかし繋がらない。
 何度掛けても、ただ虚しく呼び出し音が繰り返されるだけ。
 そうこうしているうちに課長から連絡が来た。
『どこにいる?』
「ピットにいます」
 マイトとエツコがシマダの救出に向かっていることは伏せておいた。何となくそうした方が良いような気がした。どうせ課長に言ったところで、そんな命令はしていないとガミガミ怒られるだけなのは目に見えていた。
『よーし、そのまま全員、課で待機だ。上からの命令が来るまで、エアロバイクの点検でもしておけ。何かあったらすぐに出動できるようにな』
「えっ……さっきから爆発が続いているのに、私たちをここに置いておくんですか?」
 課長は鼻を鳴らした。
『お前らは、自分たちだけさっさと逃げようっていうのか?』
「じゃあ、課長はどこにいらっしゃるんですか? もしかして、もう本社のお偉方と一緒に地表に降りてたりして」
『……いいから、そこで待ってろ!』
 おそらく図星だ。何て理不尽なのだろうか。
「あっ、あの、課長」
『何だ』
 通信を切ろうとしていた課長は、私がそれを止めたので煩そうに唸った。
「№2は……チェはどうなりました? テロリストから連絡は?」
『何かあれば伝えると言っているだろう。お前らは、黙ってわしの命令を聞いていれば良いんだ。分かったか?』
 課長は刺々しい口調でまくし立て、そのままブチリと通信を切ってしまった。
 私は今度こそキレそうになったけれど、ここで揉めても仕方がないと、ぐっと堪えた。
「くっそー……シマダさんとチェのことがなけりゃ、アンタの命令なんて無視して、速攻で逃げ出してやるのに」
 私は端末を睨み付けて毒づいた。
 マイトたちが出て行ってから十五分が経過した。私は数分おきにひたすらティムに電話をし続けたが、やはり繋がることはなかった。
「皆、地表に避難してるんでしょうねぇ」
 ホワイトが気の抜けた声で呟いた。最早自分には関係ないといった感じだった。
「俺たち、生き残れるんですかね」
「馬鹿言わないでよ。当然でしょ」
 私は端末を弄りながら、憮然として答えた。ホワイトはちょっと笑った。
「強気だなぁ」
「どこがよ。私今、滅茶苦茶怖いんだけど」
「え、そうなんすか? 俺はむしろ、もう全然怖くないんすけど」
「嘘ォ、マジ? さっきまで真っ青な顔してたじゃんか」
「ホラ、空腹もピーク超えると食えなくなるでしょ? アレと一緒でェ、恐怖心もピーク超えると、どうでも良くなるっていうか」
「あんた、空腹と恐怖心を同じレベルで考えてんの? やっぱホワイトはホワイトだな」
「あっ、何すかその言い方。今、すっげー馬鹿にしたでしょ」
「うん」
 床の上で私の端末が鳴った。私とホワイトはびくっと飛び上がり、端末を見た。発信元はマイトだった。ティムでないことに少しガッカリし、課長とテロリストでないことにはほっとした。
「はい!」
 端末を耳に当てると、マイトの声が響いた。
『こちら№3。今、シマダさんを回収したぞ』
「よかったぁ」
 私はホワイトを振り返り、シマダの無事を伝えた。ホワイトは半泣きの笑顔で頷いた。
『撃たれた怪我は大したことない。ただ、エアロバイクと端末を壊されて、立ち往生してただけだ』
「なァんだ、そうだったの」
『――ちょっと待て。今、シマダさんに代わる』
 雑音が入って、シマダの声になった。
『よう、心配掛けたな』
「シマダさん! ああ、良かったァ。チェは?」
『それが……』
 シマダが舌を打つ。
 先程チェの端末から連絡が入った、とシマダは言った。テロリストたちに、チェが喋らされていたらしい。
『映像データを送るから、それをメディアに流せという要求だった』
「ええ、そんなことうちらに言われたって、テレビ局じゃないんだから……」
『俺だってそう言ってやったけどよ、相手はテロリストだぜ。そんな理屈が通じる相手かよ』
「どうすんの。データは?」
『俺の端末に入ってる。でもよ、そんな映像、速攻でポリスに止められるだろ』
「局に直接交渉してもダメかな? 得ダネだよ、流すんじゃないの」
『こんな非常事態に、益々混乱を引き起こすようなモン流してくれっかよ。どうしたもんだか』
「う~ん……」
 私は考えを巡らせたが、元々良く回る頭でもないし、良案など即座に出てくるわけがない。
『とりあえず、そっちに戻るから待ってろ』
「了解」
 私は通信を切った。
「今から戻ってくるって。待ってろってさ」
「チェさんは?」
 シマダの話をホワイトに伝えた。ホワイトは口を尖らせて聞いていたが、彼も唸るばかりで、やはり解決策は見出せなかった。
「でも、流さないとチェさんの命が危ないわけでしょ?」
「流したからって助かるとは限らないけどね。そんな生易しい相手じゃないもの」
「そうっすね……」
「まあ、やらないよりは確率的にマシだろうけどね」
 疲労感に襲われて、私はピットに座り込んだ。ホワイトも私の隣に腰を下ろす。
 法定速度を完全に無視したエアロマシンが、さっきからひっきりなしにピット前を横切って行く。企業のものもあったし、役人用の高級エアロカーも通った。
 酷いクラッシュ音が聞こえた。階下を覗き込んだら、灰色の煙を濛々と立ち上らせながら、鉄屑の残骸となったエアロカーが地表目掛けて落下してゆくのが見えた。
「あ~あ」
 私の頭上から顔を出したホワイトが、首を振って呟いた。
「派手にやってますね、死んだかな」
 無感動な声だった。

7.テロリスト(2)

 目の前を、またエアロバイクの集団が横切った。
 見たことのないペイント。どこの会社のものだろうか。
 ピット前の空間を左下から右上へ、斜めに横切る。連続する全てのエアロバイクが、二人乗りだった。目に止まったのは、誰も飛行帽やツナギを着用しておらず、全員がエアロバイク乗りらしからぬカジュアルなファッションだったためだ。
 何だ、この集団。
 視線で追っていた私は、その中に見知った顔を見つけて血の気が引いた。
 ティム!
 見間違えることはない、大切な恋人の顔。
 ティムは私の後ろでいつもそうしているように、一台のエアロバイクの後部シートに跨っていた。
 一瞬、目が合ったような気がした。
 私はピットの端まで走り、手摺から身体を思い切り乗り出して、ぐんぐん上昇して遠退いてゆくエアロバイクの集団を見送った。
 ティムだ。
 絶対にティムだ。
 何故あんな集団にいたのだろう。
 そこで私は、チェの境遇を思い出した。
 もしかしたら……ティムも何かのアクシデントに遭って、チェのようにテロリストたちに人質に取られてしまったのではないだろうか。
 私はいてもたってもいられなくなり、自分のエアロバイクに飛び乗った。
「ロンカさん、どうしたんすか」
 尋常ならぬ様子の私に驚いて、ホワイトが走り寄って来る。私はエアロバイクのエンジンを掛けながら叫んだ。
「ティムがいたのよ! 今のエアロバイクの集団に」
「え、ええ?」
「もしかしたら、テロリストに拉致られてるのかも」
「マジっすか? 本当にティムさんなんすか?」
 私はエアロバイクを発進させる。フォン、と気の抜けた高音を響かせ、エアロバイクが宙に浮いた。
「ロンカさん、勝手に動いたらマズいですってば」
「うるさい!」
 ホワイトが私のエアロバイクのフロントにしがみ付き、必死で止めようとする。私はエアロバイクを左右に大きく揺らしてホワイトを振り払い、急上昇させた。
「ロンカさん、ああもう……!」
 ホワイトが自分のエアロバイクを慌てて発進させようとしている光景が視界に入ったけれど、私はすぐに視線を天に向け直す。
 エアロバイクの集団は、既に随分上まで行ってしまっていた。もう胡麻粒ぐらいにしか見えない。
 私もエアロバイクを加速させる。
 絶対に見失うわけにはいかなかった。
 エアロバイクのスピードと比例するかのように、私の中の不安もどんどん加速していった。
 ティム、ティム、ティム……。
 最悪の事態が脳裏にちらつく。私は時折目をぎゅっと瞑って、嫌な妄想を振り払おうとした。
 私と集団との距離は、徐々に縮まっていった。胡麻粒ぐらいにしか見えなかった集団の影が、少しずつ大きくなってくる。だが胡麻粒から大豆大になったとき、その集団はふいに私の視界から姿を消した。おそらくどこかに停車したのだ。
 私は更にエアロバイクのスピードを上げる。頬がブルンブルンと風圧に煽られた。メーターを見るとレッドランプが点滅している。未だかつて出したことのない高速だった。バイクのフレーム全体がガタガタと微振動している。これ以上のスピードを出したらエンジンが焼きつくか車体が空中分解してしまうのではないだろうか、と思った。
 集団のエアロバイクが乗り捨てられたかのような乱雑さで停車していたのは、上階層中部、一四二三階だった。私は勢い余ってその三階上まで行ってしまい、慌ててUターンした。
 エアロバイクを停めて周囲を見回したが、ビルの裏口に人影はない。
 私は深呼吸を一つ。それから腰のホルダーから元素銃を手に取って、そろそろと裏口の扉を開いた。
 ビルの中は静かだった。時折、どこからか爆発の振動が響いてくるだけ。音を立てないようにビル内部へと足を踏み入れる。
 若干息苦しい気がする。もう酸素が薄くなっているのだろうか。――いや、まさか。低階層の避難民が集中して混雑しているエリアならともかく、既に人気のないこの階層ならば、まだ空気は有り余っているはず。空気循環システムが停止してしまったと聞いたものだから、きっと自己暗示に掛かっているだけだ。
 人の話し声が遠くで聞こえた。私は壁に背をつけて、声のする方へじりじりと近づいて行った。
 そこは高級住宅が建ち並ぶ居住エリアだった。しかし上階層の人間はとうに避難した後で、無人となった今、街はまるでゴーストタウンのようだ。電力が途切れているので 街を照らす太陽光代わりの照明も消え、弱々しい光の非常灯のみが、所々にぼんやりと光を発している。
 薄暗闇に目を凝らす。一箇所だけ妙に明るい場所があった。誰かが携帯ライトを使用しているようだ。放たれる強い光の中心から放射線状に、長い人影がいくつも揺れている。
 私は闇に紛れて人影に近付いた。徐々に彼らの輪郭がはっきりとしてくる。書類を広げ何事か話し合っているようだ。彼らの足元には大きな鞄や謎の機械がいくつもあった。
 携帯ライトに照らし出される顔の中に、私はティムを探した。
 ――いた!
 額から汗が一筋流れた。
 ティム、待ってて。
 今、助けるから。
 私はティムから目を逸らさずに、元素銃の安全装置を解除した。

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