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 娘に何をどうやって教えるかには、いつも気をつけなくてはいけないと思っていた。

 夜泣きにも夫婦してふらふらになったが、わたしたち家族にとっては、娘が話せるようになってからが正念場だった。
 言葉には責任がともなう。だから慎重に使ってほしかった。
 汚い言葉は使わないでほしいし、その意味はもっと知らないでいてほしい。言葉でひとを傷つけたり痛めつけたりできることには気づかないでいてほしい。すくなくとも、今は。
 つまり、そんなわけで、絵本ひとつ選ぶにしても、おとぎ話ひとつ聞かせるにしても、いったいその小さな頭のどこからそんなにあふれでてくるのかという毎日の「なんで?」に答えるにしても、いつまでも純粋無垢でいてほしいという願いとそんな無理無茶なという良心のささやきの板挟みになるというあんばいなのだ。
 ああ、子育てはかくも難しい。

 しかも、わたしも親であると同時にしょせんは人の子であるので、知ったかぶりをするとか、生活にはまったく必要ないトリビアを教えるとか、ごまかすということの誘惑にあらがえないこともあるのである。
 さらに、わたしは掃除がきらいで、日頃は見えるところしかきれいにしないという悪い癖がある。


 そんなわけで、大掃除の最中、一年ぶりに動かしたソファーの下には、ほこりで覆われた灰色の床が広がっていて、わたしたち二人ともをくしゃみの渦へと叩きこんだ。

「おかあさん、ほこりだらけー!」

 くしゃみの発作がおちついたとたん、鬼の首をとったように娘は言った。
 なぜその歳ですでにひとの揚げ足取りをするときにそんなにうれしそうな顔をするのだ、娘よ。
 わたしは一瞬ぐっとだまりそうになったものの、ここでやりこめられては母親の威厳がすたるので、掃除機片手に娘に教えた。

「ほら、ときどきほこりが勝手にあつまって、かたまりになってるのがあるでしょう。あれはねー英語では『ほこりうさぎ』って言うんだよー」
「ほこりうさぎ!」
「あっ触らないでね、キタナイから!」
「うさぎ、かわいいよ?」
「ほこりうさぎはキタナイの。すぐふえるし、よくないうさぎなのよ」
「飼えないの?」
「だめよーほら、吸いますよー」

 のばしかけた手をさえぎられた娘はしょんぼりしたが、うまいこと娘の矛先から逃れたわたしは、これまで家事をさぼっていた証拠を隠すべく掃除機でぐんぐんほこりを吸い込んだ。


 こうしてどうにかこうにか家中の掃除を終え、数日後にはまぼろしとなるきれいな部屋で、ごはんを食べ、眠りについた夜のことである。
 わたしは、娘の泣き声で目を覚ました。
 また怖い夢か、ベッドの下に怪物でもいたかと、わたしはあわてて起き上がった。
 母親たるもの、ある時はハウスキーパー、ある時はコック、ある時は遊び相手、ある時は先生、そしてまたある時は勇者でなければならず、しかも年中無休、1日24時間フルタイムでの稼働を要求されて当然なのである。

「はいはー……ぃぎゃっ」

 しゃくりあげながらわたしを呼ぶ娘に適当に返事しつつドアを開けて、わたしはわれながら可愛くない悲鳴をあげた。
 娘の部屋の床は完全にふわもこした黒い物体で埋めつくされていて、それがいっせいに赤く輝く目でわたしをふり返ったのだ。

「な、なな、な」

 なななな。七七。わたしはパニックのさなか、必死で壁紙を探った。指がつるっとした四角にさわったとたん、それを力任せに押す。パチッと頼もしい音とともに部屋の明かりがついた。

 幸いにも、ベッドの上でべそべそと毛布にくるまっている娘にケガはないようだった。
 そして、ベッドを取り囲んでいるものは、黒いと思ったのは暗かったせいで、ほんとうはみんな灰色だった。
 それがみんな、ななな……、わたしは思わず目を覆った。

よんじゅうきゅう……」

「おきゃあさーんっ!!ふえたようっ!!!」

 ぐったりしてつぶやくと、娘が金切声で叫んだ。
 うん全部で49匹いるのよ……、おきゃあさんことわたしは、仕方なく娘とわたしの共同作業の結果と向き合った。
 長い耳の向きをぴくぴく変えているの、やわらかい鼻をひこひこさせているの、カーペットを勝手にもっさもっさかじってるの、とにかくいろいろ居たけれど、ぜんぶ椅子ほどの大きさの巨大なうさぎだった。
 そして49匹とも今の状況にたいそうふまんげだった。というのも、うさぎたちはとつぜん、いっせいに後足で「だーん!」と床を叩きはじめたのだ。
 あとになってわたしたちは、これは『スタンピング』と呼ばれるうさぎのクレーム表現だということを知るのだが、49匹のいっせいスタンピングときたら、とにかくたいそうやかましかった。

 ほんとうに、ほこりうさぎは、すぐふえる、よくないうさぎであった。
 わたしは昼間の自分の言葉を呪った。

「おかあさんは、きょう、なんていいましたかー!」
「ご、ごめんなさいぃぃ」
「ほこりうさぎは、すぐふえるし、よくないって、言ったでしょー!」
「でも、でもすっごくかあいかったんだもん……」 

 自分のことを棚にあげて、だーんだーんという足音のあいまに叱ると、娘はぐふぐふ泣いた。
 ベッドから下りられないほど怖がっているままにして、一晩反省させようかとも思ったが、49匹もの怒れるうさぎをほっておくわけにもいかない。
 わたしは「おかあさんのいうことをきかないからこんなことに」という決め台詞だけでがまんして、ほこりうさぎをなんとかする作業にとりかかった。

「なんでこんなことになっちゃったの?」
「さいしょはすごくちっちゃかったの。でもね、ほこりをね、たべてね、すぐおおきくなってね、おなかすいてるんだけど、たべものなくってね、すごくおこってる」

 隅から隅までぴかぴかにしたと思ってたのに、まだほこりが残っていたなんて。わたしはがっかりしながら、娘に提案した。

「じゃあ、おなかがすいたほこりうさぎがそんなにおこるのは、『食べないとまたちっちゃくなっちゃうから』っていうのはどう?」
「うん。たべないとほこりうさぎはちっちゃくなっちゃう」

 娘がうなずくと、ほこりうさぎたちの体はいっきに最初に見たときの半分くらいの大きさにちぢんだ。

どんどん、どんどん、ちっちゃくなっちゃう

 わたしも、ひえてきた爪先をかわりばんこに温めながら言った。
 ふつうのうさぎよりもちいさくなってしまったほこりうさぎたちは、不安そうにふわふわした体をよせあった。

くっついたほこりうさぎはいっぴきになる!」

 娘がおもいきりよく宣言した。そのとたん、ほこりうさぎたちの数はいっきに減った。その発想はなかった。わたしは娘に拍手したくなった。

ほこりうさぎはさみしいからくっつく

 さっきの足を踏み鳴らす様子からすると、うさぎはさみしいと死んでしまうという噂はとても信じられたものではなかったが、一応わたしは言ってみた。
 すると、ほこりうさぎは次々とくっつき、あまり考えたくはないけれども仲間を吸収(?)して、とうとう最後の1匹になった。
 わたしが最後に残った灰色のちいさなうさぎをどう始末しようか考えている間に、娘がすかさず言ってしまった。

「最後のほこりうさぎはいいうさぎ! もうわるいことをしないので、もう消えません
「えええー!?」

 娘の言葉が聞こえるなり、最後のほこりうさぎはベッドの下にひとはねで駆け込んだ。

「『もう消えない』って言っちゃったの!?」
「だって、うさぎ、かわいそうだよぅ」

 まずいことをやらかしたのを十分承知の顔で、娘はくすんくすんと鼻を鳴らした。
 わたしは膝を折って、ベッドの下に手を伸ばし、死にものぐるいで暴れるふわふわのかたまりをひっぱり出した。
 それから、うさぎの両脇を支え持って、思いつく限りの言葉を言ってみたけれど、娘の言葉を打ち消すことはできず、うさぎはつやつやした毛皮に包まれた体をくねらせるだけだった。

「なんてこと……」

 わたしがじたばたするうさぎに根負けして手を離すと、うさぎはすごい勢いで飛びだし、ぴょんと空中で方向転換すると、ドアと壁のすき間に入りこんだ。

「でも、いいうさぎなんだよ……?」

 娘はわたしの顔におそれをなして言ったが、わたしにはいいうさぎとはどんなものか想像できなかった。
 娘にもできていなかったらしい。ちょうどその時、うさぎになる前の姿にふさわしい隠れ場所から、またもや「だーん!」という音が響いてきたからである。

「……ねぇおかあさん、飼ってもいーい?」
「……おとうさんに聞きなさい」

 娘はスタンピングなどなかったふりで、わたしに猫なで声を出した。こりないというか、したたかというか。
 わたしはめんどくさくなって、夫に丸投げしたのだが、娘に極甘の夫がノーといえるわけもなく、わが家にはその夜以来、灰色のちいさいうさぎがいる。

 いまでは大抵おとなしくケージの中でニンジンをかじったりして、ふつうのうさぎとまったく変わらないようにみえる。

 でもわたしがちょっと掃除をさぼって家中にほこりがたまりはじめると、赤い目を輝かせて、ふんかふんかと鼻をうごめかすので、わたしはそのたびにうさぎを放して勝手にほこりを食べてもらうという誘惑と戦うはめになる。
 なにしろ、ほこりを食べたうさぎが、また大きくなったあげくうさぎ算式に増えるかどうかはやってみるまでわからないのだ。
 残念ながら、娘の言葉の効き目には、まだまだムラがあるようなので。

 しかたなく、わたしは子育ての前途多難さにため息をつきつつ、掃除機を出してくるのである。







この本の内容は以上です。


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