目次
はじめに
第1回「『資本論』を読む会」の案内
第1回「『資本論』を読む会」の報告
第2回「『資本論』を読む会」の案内
第2回「『資本論』を読む会」の報告
第3回「『資本論』を読む会」の案内
第3回「『資本論』を読む会」の報告
第4回「『資本論』を読む会」の案内
第4回「『資本論』を読む会」の報告
第5回「『資本論』を読む会」の案内
第5回「『資本論』を読む会」の報告
第6回「『資本論』を読む会」の案内
第6回「『資本論』を読む会」の報告
第7回「『資本論』を読む会」の案内
第7回「『資本論』を読む会」の報告
第8回「『資本論』を読む会」の案内
第8回「『資本論』を読む会」の報告
第9回「『資本論』を読む会」の案内
第9回「『資本論』を読む会」の報告
第10回「『資本論』を読む会」の案内
第10回「『資本論』を読む会」の報告
第11回「『資本論』を読む会」の案内
第11回「『資本論』を読む会」の報告
第12回「『資本論』を読む会」の案内
第12回「『資本論』を読む会」の報告
第13回「『資本論』を読む会」の案内
第13回「『資本論』を読む会」の報告
第14回「『資本論』を読む会」の案内
第14回「『資本論』を読む会」の報告
第15回「『資本論』を読む会」の案内
第15回「『資本論』を読む会」の報告
第16回「『資本論』を読む会」の案内
第16回「『資本論』を読む会」の報告
第17回「『資本論』を読む会」の案内
第17回「『資本論』を読む会」の報告
第18回「『資本論』を読む会」の案内
第18回「『資本論』を読む会」の報告
第19回「『資本論』を読む会」の案内
第19回「『資本論』を読む会」の報告
第20回「『資本論』を読む会」の案内
第20回「『資本論』を読む会」の報告
第21回「『資本論』を読む会」の案内
第21回「『資本論』を読む会」の報告
第22回「『資本論』を読む会」の案内
第22回「『資本論』を読む会」の報告
第23回「『資本論』を読む会」の案内
第23回「『資本論』を読む会」の報告
第24回「『資本論』を読む会」の案内
第24回「『資本論』を読む会」の報告
第25回「『資本論』を読む会」の案内
第25回「『資本論』を読む会」の報告
第26回「『資本論』を読む会」の案内
第26回「『資本論』を読む会」の報告
第27回「『資本論』を読む会」の案内
第27回「『資本論』を読む会」の報告
第28回「『資本論』を読む会」の案内
第28回「『資本論』を読む会」の報告
第29回「『資本論』を読む会」の案内
第29回「『資本論』を読む会」の報告
第30回「『資本論』を読む会」の案内
第30回「『資本論』を読む会」の報告
第31回「『資本論』を読む会」の案内
第31回「『資本論』を読む会」の報告
第32回「『資本論』を読む会」の案内
第32回「『資本論』を読む会」の報告
第33回「『資本論』を読む会」の案内
第33回「『資本論』を読む会」の報告
第34回「『資本論』を読む会」の案内
第34回「『資本論』を読む会」の報告
第35回「『資本論』を読む会」の案内
第35回「『資本論』を読む会」の報告
第36回「『資本論』を読む会」 の案内
第36回「『資本論』を読む会」の報告
第37回「『資本論』を読む会」の案内
第37回「『資本論』を読む会」の報告
第38回「『資本論』を読む会」の案内
第38回「『資本論』を読む会」の報告
第39回「『資本論』を読む会」の案内
第39回「『資本論』を読む会」の報告
第40回「『資本論』を読む会」の案内
第40回「『資本論』を読む会」の報告
第41回「『資本論』を読む会」の案内
第41回「『資本論』を読む会」の報告
第42回「『資本論』を読む会」の案内
第42回「『資本論』を読む会」の報告
第43回「『資本論』を読む会」の案内
第43回「『資本論』を読む会」の報告
第44回「『資本論』を読む会」の案内
第44回「『資本論』を読む会」の報告
第45回「『資本論』を読む会」の案内
第45回「『資本論』を読む会」の報告
第46回「『資本論』を読む会」の案内
第46回「『資本論』を読む会」の報告
第47回「『資本論』を読む会」の案内
第47回「『資本論』を読む会」の報告
第48回「『資本論』を読む会」の案内
第48回「『資本論』を読む会」の報告
第49回「『資本論』を読む会」の案内
第49回「『資本論』を読む会」の報告
第50回「『資本論』を読む会」の報告
第50回「『資本論』を読む会」の報告(補足)

閉じる


<<最初から読む

101 / 101ページ

第50回「『資本論』を読む会」の報告(補足)

第50回「『資本論』を読む会」の報告(補足)

 

  第50回の報告に本来は付属していた資料を別頁として以下、掲載します。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

【付属資料】

 

●第15パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈前に指摘しておいたように、一商品の等価形態は、その商品の価値量の量的な規定を含んでいない。金が貨幣であり、したがって、それがすべての他商品と直接的に交換可能である、ということは知っていても、だからといって、たとえば10ポンドの金がどれほどに値するかは、知られていない。どの商品でもそうであるように、貨幣は、自分自身の価値量を、他の諾商品で相対的にのみ表現することができる。貨幣自身の価値は、貨幣自身の生産に必要とされる労働時聞によって規定されており、この労働時間と同じだけの労働時間が凝固されているところの、他のそれぞれの商品の量のうちに、表現されている(43)。貨幣の相対的価値量のこういった確定は、貨幣の原産地において、直接の物々交換のなかで生ずる。貨幣が貨幣として交換過程にはいり込んでいるとき、この貨幣の価値はすでに与えられている。すでに17世紀の最後の数十年間には、貨幣分析の端緒がかなり進んでいるために、貨幣が商品であるということは知られていたにしても、ほんの端緒でしかなかった。困難は、貨幣が商品であるということを理解することではなく、いかにして、なぜ、なにによって、商品が貨幣であるか、ということを理解することである(44)。〉(80頁)

 

《フランス語版》

 

  〈すでに述べたように、商品の等価形態は、この商品の価値量についてなにも明らかにしていない。金が貨幣であること、すなわち、金がすべての商品と交換可能であることを知っても、そのためにたとえば10ポンドの金がどれだけに値するかは、全然わからない。貨幣もあらゆる商品と同様に、それ自身の価値量を他の商品のうちに相対的にしか表現することができない。貨幣の固有の価値は、その生産に必要な労働時間によってきめられ、同時間の労働を必要とした他のすぺての商品の分量のうちに表現される(12)。貨幣の相対的価値量をこのようにきめることは、それの生産源自体で、それの最初の交換において行なわれる。それが貨幣として流通に入りこむやいなや、その価値は与えられるのである。すでに17世紀の最後の数年には、貨幣が商品であることは充分に認められていたが、これについての分析はまだやっと緒についたばかりであった。困難は、貨幣が商品であることを理解することにあるのではなく、どのようにして、なぜ、商品が貨幣になるか、を知ることである(13)。〉(69頁)

 

●注48

 

《初版本文》

 

  〈(43) 「もしある人が、1ブッシェルの穀物を生産することができるのと同じ時間で、1オンスの銀をペルーの地中からロンドンに運んでくることができるならば、後者は前者の自然価格である。さて、もしある人が、もっと採掘のたやすい新鉱山のおかげで、以前1オンスの銀を手に入れたのと同じたやすさで2オンスの銀を手に入れることができれば、穀物は、その他の事情が等しければ、1ブッシェル当たり10シリングであっても、以前に5シリングであったのと同じ安さであろう。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論。ロンドン、1667年』、31ページ。)〉(80頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(12) 「もしある人が、1ブッシェルの穀物を生産するために要したのと同じ時間で、ペルーの鉱山で採掘された1オンスの銀をロンドンまで届けることができれば、そのばあい、一方は他方の自然価格である。さて、もしある人が、いっそう新しくていっそう富んだ鉱山の採掘によって、以前に1オンスの銀を獲得したのと同じ容易さで、2オンスの銀を獲得でぎるならば、他の事情が等しいかぎり、穀物は1ブッシェルあたり10シリングでも、以前に5シリングであったのと同じ安さであろう。」(ウィリアム・ペティ『租税貢納論』、ロンドン、1667年、31ぺージ)。〉(69-70頁)

 

●注49

 

《初版本文》

 

  〈(44) ロッシャー教授はわれわれにこう教えている。「貨幣の誤った定義は、二つの主要なグループに分けることができる。それは、貨幣を商品以上と考えるものと、これ以下と考えるものとである。」 こう述べたあとで、彼は、貨幣制度にかんする諸著作の雑然とした目録を示しているが、それを見ても、貨幣理論についての現実の歴史のどんな微光さえも見いだされない。そのあとで、次の教訓が登場してくる。「なお、たいていの最近の経済学者たちが、貨幣を他の諸商品から区別する諸特性(それでは、貨幣は商品以上のものかまたは以下のもの、ということになりはしないか?)を充分には限中に置いていなかったことは、否定すべくもない。……そのかぎりでは、ガニル等々の半ば重商主義的な反動は、全く無根拠なものではない。」(ヴィルヘルム・ロッシァー『国民経済学原理、第三版、1858年』、207-210ページ。)以上--以下--充分ではない--そのかぎりでは--全く、ではない! なんという概念規定だ! しかも、このような折衷的な大学教授風のたわごとを、ロッシァー氏は控え目に、「経済学の解剖学的・生理学的方法」と命名している! といっても、貨幣は「好ましい商品」であるという一つの発見は、彼のおかげなのである。〉(80-1頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(13) 教授ロッシャー氏は、まずわれわれにこう教える。「貨幣の誤った定義は、二つの主要群に区分することができる。すなわち、貨幣が商品以上であるとする定義と、商品以下であるとする定義とがある、次いで、彼はわれわれに、貨幣の性質にかんするきわめて雑然とした著書目録を提供するが、そういうことは、貨幣理論の真の歴史についてどんな光もあてるものではない。最後に、お説教がやってくる。彼はこう言う。「大多数の最近の経済学者が、貨幣を他の商品から区別する特殊性(いったいそれは、商品以上のものか以下のものか?) にはほとんど注意しなかったことは、否定すべくもない。……この意味では、ガニルの半重商主義的反動は、……全く無根拠なものではない」(ヴィルヘルム・ロッシャー『国民経済学の基礎』、第三版、1858年、207ページ以下)。以上--以下--余りにわずか--この意味では--全くそうでない--、言葉の概念上、なんと明晰でなんと正確なことよ! そして、ロッシャー氏が控え目に「経済学の解剖学的・生理学的方法」と命名するものは、このような雑駁な大学教授的折衷主義なのだ! それにもかかわらず、一つの発見、すなわち、貨幣が「快適な商品」であるということは、彼のおかげによるものである〉(70頁)

 

●第16パラグラ

 

《初版本文》

 

  〈われわれが見たように、すでに x量の商品A=y量の商品B という交換価値の最も単純な表現にあっても、他方の物の価値量がそれのうちに表わされているところの物は、自分の等価形態を、この関係にかかわりなく、社会的な自然属性として、もっているかのように見える。われわれは、この虚偽の仮象の固定化を追跡した。この虚偽の仮象は、一般的な等価形態が、ある特殊な商品種類の現物形態に癒着するやいなや、すなわち、貨幣形態に結晶するやいなや、完成されることになる。ある商品は、他の諸商品が自分たちの価値を全面的にこのある商品で表わすがゆえに初めて貨幣になる、とは見えないのであって、逆に、このある商品が貨幣であるがゆえに他の諸商品が自分たちの価値を一般的にこのある商品で表わしている、というように見える。媒介する運動は、運動自身の結果のなかに消滅して、なんの痕跡も残さない。諸商品は、なにもすることなしに、自分たち自身の価値姿態が、自分たちのそとに自分たちと並んで存在している一商品体として、完成されているのを、見いだすのである。これらの物すなわち金銀は、地の底から出てきたままで、同時に、いっさいの人間労働の直接的な化身になる。ここから貨幣の魔術が生ずる。社会的な生産過程における人々のたんに原子論的なふるまいは、したがって、彼らの制御や彼らの意識的な個人的行為にはかかわりのない、彼ら自身の生産諸関係の物的な姿は、彼らの労働諸生産物が一般的に商品形態をとるということのうちに、まず現われている。だから、貨幣物神の謎は、商品物神の謎そのものが目に見えるようになり、人目を肢惑させるにいたったもの、にほかならない。〉(81頁)

 

《フランス語版》

 

  〈すでに見たように、最も単純な価値表現である x量の商品A=y量の商品B においては、ほかの物体の価値量を表わす物体は、自己の等価形態を、この関係とはかかわりなく、自己が自然から引き出すところの社会的属性としてもっているかのように見える。われわれはこの虚偽の外観を、それが固定される瞬間まで追究した。この固定化は、一般的等価形態がもっぱら特殊な一商品に付着する、すなわち貨幣形態に結晶するやいなや、完了した。一商品は、他の諸商品が自分たちの価値をこの一商品のうちに相関的に表現するがゆえに、貨幣になるとは見えない。全く逆に、一商品が貨幣であるがゆえに、他の諸商品は自分たちの価値をこの一商品のうちに表現するように見えるのである。媒介の役を果たした運動は、それ自身が産んだ結果のうちに消え失せて、なんの痕跡も残さない。諸商品は、なんらこの運動に関与したようには現われずに、自分たち自身の価値が、自分たちとならんで自分たちの外にある一商品体のうちに表わされ、固定されているのを、見出すわけである。これらの単純な物、すなわち、地球の胎内から出てきたままでの銀と金は、ただちに、すぺての人間労働の直接の化身として姿を現わす。ここから貨幣の魔術が生まれる。〉(70頁)

 

 

 

 


この本の内容は以上です。


読者登録

亀仙人さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について