目次
はじめに
第1回「『資本論』を読む会」の案内
第1回「『資本論』を読む会」の報告
第2回「『資本論』を読む会」の案内
第2回「『資本論』を読む会」の報告
第3回「『資本論』を読む会」の案内
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第4回「『資本論』を読む会」の案内
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第5回「『資本論』を読む会」の案内
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第6回「『資本論』を読む会」の案内
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第7回「『資本論』を読む会」の案内
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第8回「『資本論』を読む会」の案内
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第50回「『資本論』を読む会」の報告(補足)

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第47回「『資本論』を読む会」の報告

第47回「『資本論』を読む会」の報告

 

 

 

◎原発再稼働反対デモに20万人!

 

  毎週金曜日に首相官邸前で行われてきた原発の再稼働に反対する集会は、6月22日は主催者発表で4万5千人とされていましたが、7月1日の大飯再稼働を前にして、29日には、爆発的と言ってもよいほど増えて、同20万人という規模に膨れ上がりました。

 

  これは政党や労働組合等による組織的な動員などはまったくなく、ごく普通の市民が、ツィッターなどインターネットで得た情報をもとに集まったものだと言います。だから動員規模が大きくても、統制がとれず、ただ集まり、思い思いに抗議の意志を示したというものに過ぎないのかも知れません。しかし、これがさらに膨れ上がって、「アラブの春」のように何百万人もの規模になれば、そして自然発生的にせよ、何らかの組織的な統制がとれてくれば、時の政権といえども無視することは出来なくなるでしょう。

 

  その意味では、インターネットという新しい情報機器とネットワークの形成は、政治的闘いの形態そのものを変化させ、旧態然たる古い組織にしがみついているような運動体はもはや現実の運動から見放され、新しい階級闘争の形態から弾き飛ばされてしまうのかも知れません。

 

  しかし現実の運動形態がどのように変わろうとも、その運動がめざす将来の社会が、自覚した個人によって自主的に営まれるものであるならば、それは彼らが、彼らをとりまく客観的な歴史的・社会的な現実を科学的に認識して、彼ら自身の社会的物質代謝を意識的に統制することでにかかっています。だから、現実を科学的に認識することは不可欠の契機なのです。現実の資本主義的生産様式とそれが不可避に向かうであろう未来の新しい生産様式の萌芽を理論的に解明している『資本論』から真剣に学ぶことは、また不可欠のことだろうと思っています。

 

  というわけで、“我田引水”の誹りを受けそうですが、私たちの「『資本論』を読む会」は、一見迂遠のようでいて、その意義は大きいものと確信します。

 

  まあ、その意義を確認したところで、前回の報告を行うことにします。前回は第7と第8の二つのパラグラフを進みました。これまでと同じように、まず本文を紹介し、各文節ごとに記号を付して、それぞれについて平易な解読を行いながら、そのなかで議論の紹介も行っていくことにします。

 

◎第7パラグラフ

 

【7】〈 (イ)貨幣結晶は、種類を異にする労働生産物が実際にたがいに等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の必然的産物である。 (ロ)交換の歴史的な拡大と深化は、商品の性質のうちに眠っている使用価値と価値との対立を発展させる。 (ハ)交易のためにこの対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立した形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によってこの自立した形態が最終的に達成されるまでとどまるところを知らない。 (ニ)したがって、労働生産物の商品への転化が生じるのと同じ度合で、商品の貨幣への転化が生じるのである(40)。〉

 

  (イ) 貨幣というのは、種類の違う労働生産物が実際にたがいに等置されて、商品に転化される交換過程の必然的な産物なのです。

 

  先のパラグラフでは、それまで分析されてきた交換過程の矛盾が、結局は、現実の交換過程における当事者である商品所持者たちの社会的行為によって、そうした矛盾は解決されること、だから諸商品のなかでどの商品が貨幣になるかは歴史的・社会的に決まってくることが指摘されたのでした。


  だからこのパラグラフでは、そうした指摘を受けて、だから貨幣結晶というのは、交換過程の必然的産物であり、それは商品に内在する対立が、交換の歴史的発展のなかで、外的な対立として表示されたものだという指摘がされています。


  同じような説明は、『経済学批判』でも次のようになされています。

 

  〈それ(貨幣--引用者)は、諸商品が交換過程そのものにおいて形成する、諸商品の交換価値の結晶である。〉(全集13巻33頁)〈貨幣は反省や申合せの産物ではなく、交換過程のなかで本能的に形成されるのであるから、きわめて多様な、多かれ少なかれ不適当な諸商品が、かわるがわる貨幣の機能を果たしてきた。交換過程の発展のある段階で、交換価値と使用価値との規定が諸商品のあいだに両極的に配分され、たとえば一つの商品は交換手段として機能するのに、他の商品は使用価値として譲渡されるようになる必然性にともなって、いたるところで最も一般的な使用価値をもっている一つまたはいくつかの商品が、さしあたり偶然に貨幣の役割を演じるようになる。これらの商品が当面の欲望の対象ではないにしても、素材の点で富の最も重要な構成分であるというその定在が、それらに他の使用価値よりもいっそう一般的な性格を保証する。〉(同34頁)

 

  (ロ)、(ハ) 交換の歴史的な広がりと深まりは、商品のなかに眠っている使用価値と価値との対立を発展させます。そして交易の必要のために、この対立を外的に表示しようとする欲求は、商品価値の自立した形態へと向かわせ、商品と貨幣とへの商品の二重化によって、この自立した形態が最終的に達成されるまでとどまることを知らないのです。

 

  (ニ) だから、労働生産物の商品への転化が行われるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化も生じてくるのです。

 

  さて、学習会では、このパラグラフの位置づけについて若干の議論になりました。報告者のJJ富村さんは、このパラグラフは、次のパラグラフへの橋渡しの位置にあるのではないかとの意見でしたが、亀仙人は、そうした位置づけもあるが、むしろそれまでの交換過程の矛盾の分析を踏まえて中間的に総括する位置づけもあるのではないかと主張しました。つまり第6パラグラフで、交換過程の矛盾は、結局は、社会的行為によって解決されること、それは理論の問題ではなくて、現実の交換過程の歴史的・社会的行為そのものが解決する問題だという指摘を受けて、貨幣は交換過程の必然的結晶であることが指摘され、交換過程の歴史的発展こそが貨幣を産み出したということがこのパラグラフでは指摘されていると思います。そして次のパラグラフから、実際の諸商品の交換の歴史的考察が始まると考えられるわけです。

 

  ところで、このパラグラフは、他のパラグラフに較べて、初版本文が比較的大きく書き換えられたところでもあります。初版本文では次のようになっていました。

 

  〈貨幣結晶は、諸商品の交換過程の必然的な産物である。使用価値と交換価値との直接的な統一としての商品の、有用な諸労働の一つの自然発生的な総体系すなわち分業の個々別々にされた一肢体であるにすぎない有用な私的労働の生産物としての商品の、そしてまた、抽象的な、人間的な、労働の直接的に社会的な具象物としての商品の、内在的な矛盾--この矛盾は、それが商品と貨幣とへの商品の二重化の形をとるまでは、とまりもしなければ休みもしない。だから、労働生産物の商品への転化が行なわれるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が行なわれるのである(35)。〉(73-4頁)

 

  この初版本文と較べると第二版では歴史的な考察が前面に出ているような気がします。マルクスは、実際、次のパラグラフから交換の歴史を辿り、そこから如何にして貴金属が貨幣として商品世界から排除されていくかを明らかにするのですが、このパラグラフは、そのための導入であるとともに、それまでの交換過程の分析を締めくくるものでもあると言えるのではないでしょうか。

 

◎注40

 

【注40】〈 (40) これによって、小ブルジョア社会主義の小ずるさを判断されたい。それは、商品生産を永遠化し、しかも同時に「貨幣と商品との対立」を、したがって、貨幣そのものを--というのは、貨幣はこの対立においてのみ存在するのだから--廃止しようとするのである。それができるなら、教皇を廃止して、しかもなおカトリック教会を存続させることもできるであろう。これについての詳細は、私の著作『経済学批判』の61ページ以下〔『全集』、第13巻、66ページ以下〕。〉

 

  この注は貨幣は商品交換の歴史的発展の必然的産物であり、だから商品生産を認めながら、貨幣を無くそうという小ブルジョア社会主義者たちの主張の無意味さを指摘していると思いますが、ここに出てくる〈小ブルジョア社会主義〉については、すでにこれまで出てきた原注24と38でも次のように紹介されていました。

 

  〈(24) じっさい、一般的直接的交換可能性の形態を見ても、それが一つの対立的な商品形態であって、ちょうど一磁極の陽性が他の磁極の陰性と不可分であるように非直接的交換可能性の形態と不可分であるということは、けっしてわからないのである。それだからこそ、すべての商品に同時に直接的交換可能性の極印を押すことができるかのように妄想することもできるのであって、それは、ちょうど、すべてのカトリック教徒を教皇にすることができると妄想することもできるようなものである。商品生産に人間の自由と個人の独立との頂点を見る小市民にとっては、この形態につきもののいろいろな不都合、ことにまた諸商品の非直接的交換可能性から免れるということは、もちろんまったく望ましいことであろう。この俗物的ユートピアを描きあげたものがプルドンの社会主義なのであるが、それは、私がほかのところで示したように、けっして独創という功績などのあるものではなく、むしろ彼よりもずっと前にグレーやブレーやその他の人々によってもっとずっとよく展開されたのである。こういうことは、このような知恵が今日でもある種の仲間のあいだでは「科学」という名のもとに流行しているということを妨げないのである。プルドンの学派ほど「科学」という言葉を乱用した学派はかってなかった。じっさい、
   「まさに概念の欠けているところに、
   言葉がうまくまにあうようにやってくるものなんだ。」

 

  〈(38) プルドンは、まず第一に、正義、永遠の正義という彼の理想を、商品生産に対応する法的関係から汲み取る。ついでに言えば、これによって、商品生産という形態も正義と同様に永遠だというすべての俗物にとって大いに慰めになる証明も与えられるのである。次に彼は、逆に、現実の商品生産やそれに対応する現実の法をこの理想に従って改造しようとする。もしも、物質代謝の現実の諸法則を研究して、これを基礎として、一定の課題を解決しようとはしないで、そのかわりに「自然状態」や「親和性」という「永遠の理念」によって物質代謝を改造しようとする化学者があるとしたら、ひとはこんな化学者をどう思うだろうか? ひとが、高利は「永遠の正義」や「永遠の公正」や「永遠の相互扶助」やその他の「永遠の真理」と矛盾すると言うとき、ひとが「高利」について知るところは、教父たちが、高利は「永遠の恩寵」や「永遠の信仰」や「神の永遠の意志」と矛盾すると言ったとき、彼らが高利について知っていたところよりも、はたしてより多いであろうか?

 

  またこの注では、『経済学批判』が参考文献に上げられていますが、『批判』の当該部分ではジョン・グレーの〈労働時間を貨幣の直接の度量単位だとする学説〉が批判されています。グレーは商品に含まれている労働を直接尺度にして銀行を介して、社会的に生産物の交換が可能としたのですが、それに対して、マルクスは次のように批判しています。

 

  〈労働時間が価値の内在的尺度であるのに、なぜそれとならんでもうひとつの外在的尺度があるのか? なぜ交換価値は価格に発展するのか? なぜすべての商品は排他的な一商品でその価値を評価し、こうしてこの商品が交換価値の十全な定在に、貨幣に転化されるのか? これこそグレーの解決しなければならなかった問題であった。これを解決するかわりに、彼は商品は社会的労働の生産物として直接互いに関係しあうことができる、と想像する。だが諸商品は、ただそれらがあるがままのものとして互いに関係しあえるにすぎない。諸商品は、直接には個別化された独立の私的労働の生産物であって、これらの私的労働は、私的交換の過程でその外化によって、一般的社会的労働であるという実を示さなければならない。すなわち、商品生産を基礎とする労働は、個人的労働の全面的な外化によってはじめて社会的労働となるのである。ところがグレーは、商品にふくまれている労働時間を直接に社会的なものと想定するのだから、彼はそれを共同体的な労働時間、つまり直接に結合された諸個人の労働時間だと想定することになる。そうだとすると、実際上、金や銀のような独特な一商品が、一般的労働の化身として他の諸商品に対立することはできないし、交換価値は価格とはならないであろう。それで使用価値も交換価値にならず、生産物は商品とならず、こうしてブルジョア的生産の基礎が揚棄されてしまうであろう。しかし、グレーの意見は、けっしてこうではない。生産物は商品として生産されなければならないが、商品として交換されてはならない 、というのである。グレーは、この敬虔な願望の達成を国民銀行にまかせる。社会は一方では、銀行のかたちで個人を私的交換の諸条件から独立させ、他方では、同じ個人に私的交換の基礎のうえで生産をつづけさせる。しかしグレーは、ただ商品交換から発生する貨幣を「改良」しようとしただけなのに、内面的に首尾一貫させようとして、彼はブルジョア的生産諸条件をつぎからつぎへと否定することになった。こうして彼は、資本を国民資本に、土地所有を国民的所有に転化させる。そして彼の銀行をこまかく観察すると、それは一方の手で商品を受け取り、他方の手で提供された労働にたいする証明書を発行するだけでなく、生産そのものをも統制していることがわかる。グレーはその最後の著作『貨幣にかんする講義』で、小心翼々として、彼の労働貨幣が純粋にブルジョア的な改良だ、と述べようとしているが、もっとひどい矛盾におちいっている。〉(全集13巻67-68頁)

 

◎第8パラグラフ

 

【8】〈 (イ)直接的な生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない。 (ロ)あの形態は、x量の商品A=y量の商品B であった。 (ハ)直接的な生産物交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B である(41)。 (ニ)AとBという物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品となる。 (ホ)ある使用対象が可能性からみて交換価値である最初の様式は、非使用価値としての、その所有者の直接的欲求を超える量の使用価値としての、その定在である。 (ヘ)諸物はそれ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって譲渡されうるものである。 (ト)この譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、黙って、その譲渡されうる諸物の私的所有者として、またまさにそうすることによって相互に独立の人格として、相対しさえすればよい。 (チ)しかし、このようにたがいに他人である関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては--その共同体が、家父長制的家族の形態をとっていようと、古インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと--存在しない。 (リ)商品交換は、共同体の終わるところで、諸共同体が他の諸共同体または他の諸共同体の諸成員と接触する点で、始まる。 (ヌ)しかし、諸物がひとたび対外的共同生活で商品になれば、それらのものは反作用的に、内部的共同生活においても商品になる。 (ル)諸物の量的交換比率は、さし当りはまったく偶然的である。 (ヲ)それらの物が交換されうるものであるのは、それらをたがいに譲渡し合おうとする所有者たちの意志行為によってである。 (ワ)しかし、そのうちに、他人の使用対象に対する欲求がしだいに固まってくる。 (カ)交換の不断の反復は、交換を一つの規則的な社会的過程にする。 (ヨ)したがって、時の経過と共に、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換めあてに生産されざるをえなくなる。 (タ)この瞬間から、一面では、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性とのあいだの分離が確定する。 (レ)諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離する。 (ソ)他面では、それらの物が交換されあう量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになる。 (ツ)慣習はそれらの物を価値の大きさとして固定させる。〉

 

  (イ) 直接的な生産物の交換、つまり物々交換では、一面では単純な価値表現の形態を持っていますが、他面ではまだそれを持っていません。

 

  ここから商品の交換過程の歴史的な発展の考察が始まるのですが、マルクスは、商品の交換の原生的形態として、労働生産物(使用価値)が商品になる条件の考察から始めています。『経済学批判』では、次のように述べています。

 

  〈交換過程の原生的形態である直接的交換取引〔物々交換〕は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。〉(全集13巻34頁)

 

  つまり、まず労働生産物が商品になるのは歴史的にはどういう場合かという形で問題を始めているのです。労働生産物が商品になるのは、労働生産物の交換が一定の広がりと深さを獲得してからであることは、すでに第1章第4節のなかで、次のように述べていました。

 

  〈労働生産物は、それらの交換の内部で、はじめてそれらのたがいに感性的に異なる使用対象性から分離された、社会的に同等な、価値対象性を受け取る。有用物と価値物とへの労働生産物のこの分裂がはじめて実際に発現するのは、有用物が交換を目あてに生産されるまでに、したがって、諸物の価値性格がすでにそれらの生産そのものにおいて考慮されるまでに、交換が十分な広がりと重要性とを獲得した時である。99頁)

 

  第36回の報告では、この部分を、ここに出てくる「価値物」の理解と関連させて、次のように解説しました。

 

  【ここでは交換されるのは「労働生産物」です。そして交換関係に潜む価値の表現形態ではなく、実際の交換そのもの(その歴史的な発展段階)が問題になっています。労働生産物の価値性格がハッキリ現れてくるのは、労働生産物の交換の一定の発展段階においてだということが指摘されているのです。その意味では、労働生産物の価値性格が明確に現れてきて、初めて労働生産物は「商品」になるとも言えるわけです。そうした問題を論じるなかで、「価値物」というタームが出てくるということがまず確認されなければなりません。
 そしてパラグラフの本文にそって問題を考えてみますと、そこでは労働生産物が価値を持つのは、労働生産物の交換の内部においてであること、しかも、その労働生産物の交換がある程度発展して初めて、そうした労働生産物の価値性格がハッキリ現れてくるのだと述べているわけです。
 われわれが商品の価値の形態を問題にした時には、交換されるのは商品であることは当然のことながら、前提されていました。しかし、このパラグラフでは、労働生産物が交換され、その交換される労働生産物が価値を持つようになるのは、どういう交換の発展段階かが問題になっているのです。労働生産物は一つの有用物です。つまりそれは本来は、直接に生産者の欲望を満たすものなのです。生産者は自らの欲望を満たすために、物を作るわけです。しかし、それが価値という性格を持つのは、もはやそれが彼の、つまりその労働生産物を生産した者の欲望を直接満たすものとしてではないのです。それは生産者にとっては、それ以前に持っていた有用物としての性格とは違ったものとして、すでに彼には現れているのだ、というわけです。だからマルクスはそうした性格は、有用物とは〈分裂して〉現れてくると述べているのだと思います。つまり労働生産物の交換が発展して、生産者がその生産物の価値性格を意識するような段階、つまり交換を目的に生産を行うような段階、そのような段階においては、労働生産物はもはや生産者の欲望を直接満たす有用物ではなく、ただ彼のさまさまな欲望を満たすために必要なさまざまな他の労働生産物を彼が入手するための「手段」でしかなくなるわけです。だからここには、それが本来は持っていた有用物という属性とは分裂した、ある一つの属性が労働生産物に付け加わっているとマルクスは指摘しているわけです。それはすなわち他の労働生産物との「交換のための手段」という属性です。そしてその限りではそれは他の労働生産物と社会的に同等な性格を持ったものとして存在している、それをマルクスは「価値物」と述べているのだと思います。だから価値形態に出てくる「価値物」は、相対的価値形態にある商品の価値が一つの他の等価形態にある商品の物的姿をとって現れてきた物でしたが、このパラグラフにおける「価値物」とは、そうしたものではなく、労働生産物そのものが「価値物」として現てくるということを述べているのだと思います。 
 マルクスは、有用物と価値物とに労働生産物が分裂する段階を、労働生産物が、すでに交換を目的に生産される段階、だから生産においてすでにその価値性格を意識する段階と述べています。これは価値形態の発展段階としては、どの段階を意味するでしょうか。それは労働生産物のうちの主に剰余物だけが、たまたま偶然に、個別的に、交換されるような段階ではないことは明らかです。だから価値形態の発展段階としては、形態 I(「簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態」) の段階ではなく、形態II(全体的な、または展開された価値形態」)か、あるいは形態III(一般的価値形態)の段階だと考えられます。形態IIというのは、ある特定の労働生産物が次々と他のさまざまな労働生産物と交換されていく段階です。これは具体例を上げて説明しますと、遊牧民族がその遊牧の過程で、接触したさまざまな定着農耕民族と自分たちの生産物である羊を小麦やジャガイモなどと交換してゆくような段階と考えることができるでしょう。羊はすでにさまざまな労働生産物を自らの価値の表現形態にしますが、しかし羊と交換される小麦やジャガイモなどは、それらを生産する定着農耕民族にとっては剰余生産物であり、彼らからみれば、この交換は依然として個別的・偶然的なものにすぎないわけです。つまり彼らから見れば、価値形態としては形態 I の段階です。しかし交換がさらに発展し、商品交換がそうした定着農耕民族までをも捉えるようになると、彼らも交換を目当てに生産するようになり、互いの労働生産物をも交換し始めるようになりますが、そうした段階では彼らが自分たちの労働生産物の価値性格を羊という彼らにとって共通の物差しで秤量し、そうして互いの労働生産物を交換するようになった発展段階が、すなわち形態IIIだったわけです。】

 

  だから直接的な生産物の交換の段階では、まだ労働生産物の価値性格は、ハッキリとは出てこない段階です。だからこそ、マルクスは〈直接的な生産物交換は、一面では単純な価値表現の形態をもっているが、他面ではまだそれをもっていない〉と述べているのだと思います。〈一面では単純な価値表現の形態をもっている〉というのは、単純な価値形態というのは、すでに労働生産物が商品になり、互いに交換されている現実を前提して、それらの交換関係を純粋に考察したものです。その限りでは、それは抽象的な思考の産物なのですが、しかし、そうした抽象性においては、それらは同時に、歴史的にはもっとも最初に現れるものにも妥当すると言えるからです。しかし〈他面ではまだそれをもっていない〉というのは、実際に歴史の最初に現れるものは、いまだ交換されるものは商品とは言えないからです。それらは労働生産物(使用価値)の交換とは言えても、商品の交換ではないからです。マルクスは、それを次に具体的に価値形態の等式を使って説明します。

 

  (ロ)、(ハ)、(ニ) この形態はx量の商品A=y量の商品B というものでした。しかし直接的な生産物の交換の形態は、x量の使用対象A=y量の使用対象B なのです。つまり交換される生産物は、必ずしも商品になっているとはいえない場合もあるということです。AとBという生産物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品になります。

 

  最初の単純な価値形態(形態Ⅰ)は、x量の商品A=y量の商品B でしたが、実際の直接的な生産物の交換は、いまだ商品の交換とはいえず、x量の使用対象A=y量の使用対象B、つまり労働生産物(使用対象物)の交換に過ぎないのです。だからこそ、それらはいまだ単純な価値表現の形態をまだ持っていないのです。マルクスは〈AとBという物は、ここでは、交換の前には商品ではなく、交換を通してはじめて商品となる〉と言っていますが、もちろん、〈交換を通して〉ということを、交換されれば、すぐに商品になるというふうに理解してはいけません。というのは、すでに説明したように、交換の一定の広がりと深まりを待って、初めてそれらは商品になると言えるのだからです。

 

  (ホ) ある使用対象が可能性からみて交換価値である最初の様式は、非使用価値としての、その所有者の直接的欲求を超える量の使用価値としての、その定在です。

 

  単なる生産物が交換の対象になり、よって商品になりうるのは、それが生産者自身の欲求を満たす以上に生産された余剰物としてあるということです。しかしここでも注意しなければならないのは、マルクスは〈可能性からみて交換価値である最初の様式〉と厳密に述べていることです。というのは余剰物であるということだけでは、まだそれらは商品になるとは言えないからです。個別の余剰物が、一時的・偶然的に交換される段階では、いまだ労働生産物は価値対象性を獲得したとはいえず、よっていまだ商品とは言えないからです。それらは〈可能性からみて交換価値である〉に過ぎないのです。

 

  (ヘ)、(ト) 諸物はそれ自体としては人間にとっては外的なものですから、だから譲渡されうるものです。だからこの譲渡が相互的であるためには、人々は、ただ、諸物の私的所有者として、そしてそうしたものとして互いに独立した人格として、相対すればよいわけです。

 

  この文節は商品交換が前提する商品所有者相互の関係をもう一度、根底から問うものになっています。つまり「第2章 交換過程」の冒頭のパラグラフを彷彿とさせる内容になっているわけです。もう一度、その部分を紹介しておきましょう。

 

  〈商品は物であり、したがって人間に対して無抵抗である。・・・・これらの物を商品としてたがいに関係させるためには、商品の保護者たちは、自分たちの意志をこれらの物に宿す諸人格としてたがいに関係しあわなければならない。それゆえ、一方は他方の同意のもとにのみ、すなわちどちらも両者に共通な一つの意志行為を媒介としてのみ、自分の商品を譲渡することによって他人の商品を自分のものにする。だから、彼らはたがいに相手を私的所有者として認めあわなければならない。・・・・諸人格は、ここではただ、たがいに商品の代表者としてのみ、したがってまた商品所有者としてのみ、存在する。

 

  (チ) しかし、このような互いに他人である関係は、自然発生的な共同体の成員にとっては、存在しません。その共同体が家父長制的な家族の形態をとっていようと、あるいは古代インド的共同体の形態をとっていようと、インカ国家などの形態をとっていようと、私的な個人はいまだ存在していないからです。

 

  こうした商品交換が前提する人間相互の関係そのものが、ここでは問題になっています。つまりそうした人間相互の関係(互いに私的所有者として認め合い相対する関係)というのは、決して歴史の端緒に存在するものではなく、一定の歴史的な発展段階において初めて生まれてくるものだとマルクスは言いたいわけです。原始共同体の社会では、個人は共同体に埋没していていると、マルクスは次のように述べています。

 

  〈人類の文化の発端で、狩猟民族のあいだで、またおそらくインドの共同体の農業で、支配的に行なわれているのが見られるような、労働過程での協業は、一面では生産条件の共有にもとついており、他面では個々の蜜蜂が巣から離れていないように個々の個人が種族や共同体の臍帯(サイタイ)からまだ離れていないことにもとついている。〉(23a438頁)

 

  またここに出てくる家父長制的家族や古代インド的共同体、インカ国家等については、マルクスが第1章第4節で〈共同的な、すなわち直接的に社会化された労働を考察するためには、われわれは、すべての文化民族の歴史の入口で出会う労働の自然発生的形態にまでさかのぼる必要はない〉と述べていたものに該当するように思います。その時は、〈自家用のために、穀物、家畜、糸、リンネル、衣類などを生産する農民家族の素朴な家父長的な勤労が、もっと手近な一例をなす〉とここに出てくる〈家父長制的家族の形態〉が例として上げられ、具体的に論じられていました。

 

  それ以外の〈古インド的共同体の形態〉や〈インカ国家などの形態〉についても、マルクスはさまざまなところで言及しています。今、その主なものを紹介しておきましょう。

 

  〈古インド的共同体の形態〉について

 

  〈たとえば、部分的には今日なお存続しているインドの太古的な小共同体は、土地の共有と、農業と手工業との直接的結合と、固定した分業とを基礎としており、この分業は、新たな共同体の建設にさいしては与えられた計画および設計図として役だっている。このような共同体は自給自足的な生産的全体をなしていて、その生産領域は百エーカーから数千エーカーに至るまでさまざまである。生産物の大部分は共同体の直接的自己需要のために生産され、商品として生産されるのではなく、したがって、生産そのものは、商品交換によって媒介されるインド社会の全体としての分業からは独立している。ただ生産物の余剰だけが商品に転化するのであり、しかも一部分は、いつともない昔から一定量の生産物が現物地代として流入してくる国家の手のなかではじめて商品に転化するのである。インドでも地方によって共同体の形態は違っている。最も簡単な形態では、共同体は土地を共同で耕作して土地の生産物を成員のあいだに分配し、他方、各家族は、紡いだり織ったりすることを家庭的副業として営んでいる。これらの一様な仕事をしている民衆のほかに、次のようなものが見いだされる。裁判官と警察官と徴税官とを一身に兼ねている「人民の長」。農耕について計算し、それに関係のあるいっさいのことを記録する記帳人。犯罪者を追及し、外来の旅行者を保護して一村から他村に案内する第三の役人。近隣の共同体の境界を見張る境界管理人。農耕のために共同貯水池から水を分配する水の監視人。宗教的行事の諸機能を行なうバラモン〔婆羅門〕。共同体の子供に砂で読み書きを教える教師。占星者として播種収穫の時期や、すべての特別な農耕作業の時期の適否を告げる暦術バラモン。あらゆる農具を製造し修理する鍛冶師と工匠。村に必要なすべての容器をつくる陶器師。理髪師。衣類を清潔にするための洗濯人。銀細工師。ところによっては詩人。これはある共同体では銀細工師の代わりをし、また他の共同体では教師の代わりをする。この一ダースほどの人々は共同体全体の費用で養われる。人口が増加すれば、新しい共同体が元のものを模範として未耕地に設けられる。この共同体機構は計画的分業を示してはいるが、しかしマニュファクチュア的分業は不可能である。というのは、鍛冶師や工匠などにとっての市場は変わることがなく、せいぜい、村の大きさの違いにしたがって一人の鍛冶師や陶器師が二人か三人になるくらいなものだからである(60)。共同体労働の分割を規制する法則は、ここでは自然法則の不可侵的権威をもって作用するのであるが、他方、鍛冶師などのようなそれぞれの特殊な手工業者は、伝統的な仕方に従って、しかし独立的に、自分の作業場ではどんな権威も認めることなしに、自分の専門に属するあらゆる作業を行なうのである。このような、絶えず同じ形態で再生産され、たまたま破壊されてもまた同じ場所に同じ名称で再建される自給自足的な共同体の簡単な生産体制(61)は、アジア諸国家の不断の興亡や王朝の無休の交替とは著しい対照をなしているアジア的諸社会の不変性の秘密を解く鍵を与えるものである。社会の経済的基本要素の構造が、政治的雲上界の嵐に揺るがされることなく保たれているのである。
 (60) 陸軍中佐マーク・ウィルクス『インド南部の歴史的概観』、ロンドン、一八一〇―一八一七年、第一巻、一一八―一二〇ページ。インド共同体のいろいろな形態の適切な比較対照は、ジョージ・キャンブル『現代インド』、ロンドン、一八五二年、のなかに見いだされる。
 (61) 「この簡単な形態のもとで……この国の住民たちはいつともない大昔から暮らしてきた。村々の境界は、まれにしか変えられなかった。そして、村そのものはときには戦争や飢饉や疫病に見舞われ、また荒らされさえもしたが、同じ名称、同じ境界、同じ利害関係、そして同じ家族さえもが久しく続いてきた。住民は王国の滅亡や分割には少しも心を煩わされない。村が完全に残っているかぎり、それがどんな権力に引き渡されようと、どんな君主にゆだねられようと、彼らは少しも気にかけない。村の内部の経済は相変わらず元のままである。」(元ジャワ副総督トマス・スタンフォード・ラフルズ『ジャワ史』、ロンドン、一八一七年、第一巻、二八五ページ。)〉(23a468-470頁)

 

 〈インカ国家などの形態〉について

 

  〈また他面では次のように言うことができる。非常に発展してはいても歴史的には比較的未熟な社会形態があって、そこにはどんな貨幣も存在しないのに、経済の最高の諸形態、たとえば協業や発展した分業などが見られるものがある、と。たとえばペルーがそれである。スラヴ人の共同体にあっても、貨幣や貨幣の生まれるための条件である交換は、個々の共同体の内部ではまったく現われないか、またはわずかしか現われないで、むしろ共同体の境界で他の共同体との交渉で現われる。じっさい、交換を共同体そのもののなかに本源的な構成要素としてもちこむことは、およそまちがいなのである。むしろ、交換は、当初は、一つの同じ共同体のなかの諸成員のあいだでよりも別々の共同体の相互関係のなかでのほうがより早く現われるのである。〉(経済学批判への序説「経済学の方法」、全集13巻929-30頁)

 

  〈もう一つの場合としては、統一体が労働そのものにおける共同性にまで拡大されることがありうるのであって、この共同性は、メキシコ、とくにペルーにおけるように、また古代ケルト人、インド人のいくつかの部族の場合のように、正式の一制度(システム)となっていることもある〉(草稿集②121頁)

 

  〈{たとえばペルーに見られるような共同的生産および共同所有は、明らかに、二次的な形態であって、征服諸部族によって導入され、移植されたものである。これらの征服諸部族は自分自身のところで、インドで、またスラヴ人のあいだで見られるような、古い、もっと単純な形態における共同所有および共同的生産を知っていたのである。〉(草稿集②142頁)

 

  〈さらに明らかなことは、交換者たちが交換価値を生産するという前提が、単に分業一般を前提しているばかりでなく、分業の特殊な発展形態をも前提している、ということである。たとえばペルーでもやはり分業は行なわれていた。自給自足を行なっていたインドの小さい共同体においても同様である。しかしこの分業が前提しているものは、交換価値に基礎を置く生産ではないどころか、逆に多かれ少なかれ直接に共同態的な生産なのである。流通の諸主体が交換価値を、つまり直接に交換価値という社会的規定性のもとに置かれている生産物をすでに生産しており、したがってまた特定の歴史的姿態をまとったひとつの分業のもとに包摂されて生産を行なっている、という根本前提は、一連の諸前提を含んでいるが、これらは個人の意志から生じるものでもなければ個人に直接に具わっている自然的性質から生じるものでもなく、歴史的な諸条件と歴史的な諸関係から生じるものである。こうした歴史的諸条件および諸関係によって、個人はすでに社会的に、つまり社会によって規定されたものとして、存在している。上記の〔根本〕前提はまた、諸個人が流通のなかで対応しあう単純な生産諸関連とは別の、諸個人の生産諸関連のなかで現われる諸関係をも含んでいる。交換者が生産したものは商品であり、しかも商品を生産する者たちのために生産された商品である。このことは二つのことを含んでいる。一面では、交換者は、独立した私的個人として、自発的に、ただ自分自身の欲求と自分自身の諸能力によってのみ規定されて、自分自身からまた自分自身のために、生産を行なったのであって、ひとつの自然生的な共同体の成員として行なったのでもなければ、直接に社会的な個人として生産に参加し、したがってまた自分の生産物に対しても直接の生活源泉に対するようなふるまい方をしない個人として行なったわけでもない。しかし他面では、この私的個人が生産するものは交換価値である、つまり、ある特定の社会的過程、すなわちある特定の変態を通じてはじめて彼自身にとっての生産物になるような生産物である。だから私的個人はすでにひとつの速関のなかで、つまりある生産諸条件および交易諸関係のもとで、生産を行なっていたのである。この生産諸条件および交易諸関係は、ひとつの歴史的過程を通じてはじめて生成したものであるのに、彼自身の目には自然必然性として現われるのである。こうした意味で、個別的生産の独立性は、分業に適切な表現を見いだす社会的な依存性によって補完されている。
  交換価値を生産する個人が行なう生産の私的な性格は、それ自身歴史的産物として現われる、--つまり、生産の内部での彼の孤立点在的な自立性は、ひとつの分業を条件としており、この分業はさらにまた、個人を他の個人との連関においても彼自身の存在様式においても、あらゆる側面から条件づけているような一連の経済的諸条件全体の上に成り立っている。〉(『批判』原初稿、草稿集③115-116頁)

 

  〈ところで、私的交換が分業を前提とするというのは正しいが、分業が私的交換を前提とするというのは誤りである。たとえばペルー人のあいだでは、私的交換、商品としての生産物の交換はおこなわれなかったが、分業は極度におこなわれていたのである。〉(『批判』全集13巻44頁)

 

  (リ) だから商品交換は、共同体の終わるところで、諸共同体が他の共同体または他の諸共同体の成員と接触するところで、始まるのです。

 

  (ヌ) しかし、諸物がひとたず対外的共同生活で商品になれば、それらのものは反作用的に、内部的共同生活においても商品になります。

 

  『批判』では、〈ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす〉(13巻34頁)と指摘されています。

 

  (ル)、(ヲ) しかし、諸物の量的交換比率は、さしあたりはまだ偶然的です。またそれはらの物が交換されうるものであるのは、それらを互いに譲渡し合おうとする所有者たちの意志行為によって決まってくるものです。その意味では、交換はまだ個人的な過程なのです。

 

  これはまだ価値形態では形態Ⅰの段階(単純な、個別的な、偶然的な段階)と言えます。交換されるのは商品といえず、単なる使用対象(労働生産物)です。

 

  (ワ)、(カ)、(ヨ) しかし、そのうちに、他人の使用対象に対する欲求がしだいに固まってきます。交換の不断の反復は、交換を一つの規則的な社会的な過程にします。そして時の経過と共に、労働生産物の少なくとも一部分は、意図的に交換目当てに生産されるようになるのです。

 

  これは価値形態では形態IIの段階(全体的なまたは展開された段階)といえます。ある特定の生産物(例えば猟師の毛皮や遊牧民の羊など)が、季節によって移動する遊牧民や狩猟民族がその行き先々で接するさまざまな定着農耕民と習慣的に交換を行っていくようになる段階です。交換は一つの規則的な社会的な過程になり、狩猟民や遊牧民自身の生活をささえる重要な柱になってきます。だから彼らは毛皮や羊を交換を目的に生産するようになるわけです。

 

  (タ)、(レ) この瞬間から、一面では、直接的必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性との間の分離が確定します。諸物の使用価値は、諸物の交換価値から分離します。

 

  この段階から、次々と他の生産物と交換を行う労働生産物は、それを行う者にとって、一つは自分たちの欲求を満たす生産物であると同時に、他面では、交換手段という新たな属性を獲得し、また彼らは彼らの生産物のうち自家需要のためのものと、交換のためのものというように物的にも区別し、分離するようになります。交換手段としてはそれは他の諸物との同等なものとして、価値対象性を持ったものとして存在することになります。

 

  (ソ)、(ツ) 他面では、それらの物が交換されあう量的比率は、それらの物の生産そのものに依存するようになります。つまり習慣はそれらの物を価値の大きさとして固定するのです。

 

  そしてそうなると、それらが交換される割合も、その偶然性は徐々になくなり、徐々にそれれらの生産そのものに依存するようになり、やがては習慣はそれらを価値の大きさとして固定するようになるわけです。

 

  さて、このパラグラフから、商品交換の歴史的発展を跡づけて、如何にしてそれが貨幣を産み出すかを論じるのですが、しかし、このパラグラフでは、その最初のものとして、そもそも労働生産物が商品になるのは如何にしてか、ということから、マルクスは考察を開始しています。だから交換されるのは、いまだ商品ではなく、単なる使用対象(労働生産物)であり、その直接的な交換の形態(物々交換)というわけです。労働生産物が商品になるのは、こうした物々交換が一定の発展をとげ、一部の労働生産物が、少なくとも交換を目当てに生産されるようになってからだ、というわけです。

 

◎注41

 

【注41】〈(41) 二つの異なった使用対象がまだ交換されず、未開人のあいだにしばしば見られるように、混沌とした諸物のひとかたまりがある第三の物の等価として提供される限りでは、直接的な生産物交換そのものはやっとその入口に立ったばかりである。〉

 

  この注は〈直接的な生産物交換の形態〉そのものにも発展段階があることを示しています。つまり最初の〈直接的な生産物交換〉は、最初はひとかたまりの物が、他の物の等価として交換されるというようなものであり、いまだ個別の生産物同士が交換されるというものではなかったと指摘されています。学習会では、そもそも共同体のなかでは生産物は共同生産の結果であり個別の成員のものではなかった、だから共同体の首長が共同体を代表して、他の共同体やあるいはその成員と交換することになるが、もっとも最初の場合は、共同体を訪れた外部の者が、自分が属する共同体を代表して、自分の共同体からの贈り物としてひとかたまりの物を差し出し、それに対して、その送られた共同体の首長も、自分たち共同体の総意としてその共同体のあれこれの産物のひとかたまりを、返礼として差し出すというような形で始まったのではないか、こうした段階では、最初は当事者には贈与とその返礼という認識しかなく、「交換」するという意識がないのだから、いまだ〈直接的な生産物の交換の形態〉とさえ言えないような段階ではなかったかという意見も出ました。他方、マルクスは、〈直接的な生産物交換〉(すなわち物々交換)の一つの例として、『経済学批判』のなかで、貨幣の価値尺度の機能の観念的性格を説明して、実際上の取り引きは物々交換でありながら、しかし交換当事者たちは観念的な貨幣によって彼らの物の価値を尺度しながら、互いに交換し合う例を紹介しており(「またシベリアと中国とのあいだの商品交換では、実際上取引はたんなる交換取引〔物々交換〕にすぎないのに、銀が価格の尺度として役だっている。」全集13巻57頁)、こうした場合の物々交換は、その意味では、同じ〈直接的な生産物交換〉といえども、貨幣を前提したものであり、その限りでは発達した一連の社会的関係を前提したものだろうという意見も出されました。

 

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【付属資料】

 

●第7パラグラフに関連するもの

 

《初版本文》

 

 〈貨幣結晶は、諸商品の交換過程の必然的な産物である。使用価値と交換価値との直接的な統一としての商品の、有用な諸労働の一つの自然発生的な総体系すなわち分業の個々別々にされた一肢体であるにすぎない有用な私的労働の生産物としての商品の、そしてまた、抽象的な人間的な労働の直接的に社会的な具象物としての商品の、内在的な矛盾--この矛盾は、それが商品と貨幣とへの商品の二重化の形をとるまでは、とまりもしなければ休みもしない。だから、労働生産物の商品への転化が行なわれるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が行なわれるのである(35)。〉(73-4頁)

 

《フランス語版》

 

 〈貨幣は、交換--この交換によって、さまざまな労働生産物が実際に互いに同等とされ、まさにそのために、商品に転化されるのである--のなかで自然発生的に形成される結晶である。交換の歴史的な発展は、ますます労働生産物に商品の性格を押しつけ、同時に、商品の性質が包蔵している対立、使用価値と価値との対立を発展させる。商業の必要性そのものは、この反立(アンチテーゼ)に体躯を与えることを強制し、手で触れることができる価値形態を産むことを目ざし、商品を商品と貨幣とに二重化することによってついにこの形態に達するまでは、もはや休止も中断も許さない。したがって、労働生産物の商品への一般的な転化が完成するのにつれて、商品の貨幣への転化もまた完成する(4)。〉(64頁)

 

●注40に関連するもの

 

《初版本文》

 

 〈(35)この点から推して、小ブルジョア的な社会主義の狡猾さを判断せよ。この社会主義は、商品生産を永遠化しようとし、このことと同時に、「貨幣と商品との対立」を、したがって貨幣そのもの--なぜならば、貨幣はこの対立においてのみ存在しているのだから--を、廃止しようとする。もしそんなことができるなら、教皇を廃止してカトリック教を存続させることもできるであろうに。これについてさらに詳しい事情は、私の著書『経済学批判』、61頁以下、を見よ。〉(74頁)

 

《フランス語版》

 

 〈(4) 商品生産を永遠化し、同時に「商品と貨幣との対立」すなわち貨幣そのもの--貨幣はこの対立においてのみ存在するのであるから--を廃止しようとするブルジョア社会主義は、このことによって評価することができる。この問題については、私の『経済学批判』、61ページ以下を見よ。〉(64頁)

 

●第8パラグラフに関連するもの

 

《経済学批判》

 

 〈交換過程の原生的形態である直接的交換取引〔物々交換〕は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。交換価値は自由な姿を得ておらず、まだ直接に使用価値に結びつけられている。このことは二重に示される。生産そのものは、その全構造において使用価値を目的とし、交換価値を目的としていない。だから使用価値がここで使用価値であることをやめて、交換の手段、商品になるのは、ただ生産が消費のために必要とされる限度を越えることによってだけである。他方では、諸使用価値は、たとえ両極に配分されているとしても、直接的な使用価値の限界内でだけそれ自体商品となるのであって、したがって商品所有者たちによって交換される諸商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、ただし各商品は、その非所有者にとっての使用価値でなければならない。実際には、諸商品の交換過程は、もともと原生的な共同体の胎内に現われるものではなく〔*〕、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。だから、異なった共同体のあいだの交換取引で商品となる特殊な使用価値、たとえば奴隷、家畜、金属が、多くの場合、共同体そのものの内部での最初の貨幣を形成する。すでに見たように、一商品の交換価値は、その等価物の系列が長ければ長いほど、つまりその商品にとって交換の範囲が大きければ大きいほど、それだけますます高度に交換価値としてあらわされる。だから交換取引の漸次的拡大、交換の増大、交換取引にはいってくる商品の多様化は、商品を交換価値として発展させ、貨幣形成にまでおしすすめ、こうして、直接的交換取引に分解的な作用を及ぼす。経済学者たちは、拡大された交換取引がつきあたる外部的な諸困難から貨幣をみちびきだすのが例となっているが、そのさい彼らは、これらの困難は交換価値の発展、したがって一般的労働としての社会的労働の発展から生じるものだということを忘れている。たとえば、こうである、商品は使用価値としては任意に分割可能ではないが、交換価値としては任意に分割可能でなければならない、と。あるいは、Aの商品はBにとって使用価値でありうるが、Bの商品はAにとって使用価値でない、と。あるいは、商品所有者たちが互いに交換しようとする分割できない商品を等しくない価値比率で需要することがありうる、と。言いかえれば、経済学者たちは単純な交換取引を考察するという口実のもとに、じつは使用価値と交換価値との直接的統一としての商品の定在が包み隠している矛盾のいくつかの側面をみずからに具体的に示しているのである。ところが、他方、彼らは一貫して交換取引を商品の交換過程の十全な形態として固執し、それにはただいくつかの技術的不便が結びついているだけであり、この不便にたいしてたくみに考案された方便が貨幣である、というのである。このまったく浅薄な立場からすれば、イギリスの才知にあふれた一経済学者が、貨幣は船や蒸気機関のように一つのたんなる物質的な用具であって、社会的生産関係の表示ではなく、したがってまたなんらの経済学的範疇ではない、と主張したのももっともだったのである。だから実際に技術学となんの共通するものももたない経済学で貨幣が振り扱われているのは、まったくまちがいだというのだ〔**〕。
 〔*〕 アリストテレスは、最初の共同体としての私的家族について同じことを述べている。しかし家族の最初の形態はそれ自体種族的家族であって、その歴史的分解からはじめて私的家族が発展するのである。「なぜならば、最初の共同社会(これが家族であるが)では、明らかにこれ(つまり交換)にたいする必要はすこしもなかった。」(前掲書)
 〔**〕 「貨幣は実際には、売買をおこなうための用具にすぎないのであって、」(だが売買とはなんのことか?)「そして貨幣の考察が経済学の一部をなさないのは、船や蒸気機関、あるいはまた富の生産と分配を容易にするために用いられるその他のなんらかの用具の考察が、経済学の一部をなさないのと同じことである。」(トマス・ホジスキン『通俗経済学等々』、ロンドン、一八二七年、一七八、一七九ページ)

 商品世界では、発展した分業が前提されている、あるいは発展した分業が、特殊な諸商品として対立しあっている諸使用価値の多様性、同様に多様な労働様式がふくまれている諸使用価値の多様性のうちに直接にあらわされている。すべての特殊な生産的作業様式の総体としての分業は、その素材的側面から、使用価値を生産する労働としてみた社会的労働の総姿態である。しかしそのようなものとして分業は、商品の立場からすれば、また交換過程の内部では、ただその結果のなかにだけ、諸商品そのものの分化のなかにだけ実在している。
 諸商品の交換は、社会的物質代謝、すなわち私的な諸個人の特殊な生産物の交換が、同時に諸個人がこの物質代謝のなかで結ぶ一定の社会的生産諸関係の創出でもある過程である。諸商品相互の過程的諸関係は、一般的等価物の種々の規定として結晶し、こうして交換過程は同時に貨幣の形成過程でもある。さまざまな過程の一つの経過としてあらわされるこの過程の全体が流通である。〉(全集13巻34-36)

 

《初版本文》

 

 〈直接的な生産物交換は、一面では単純な相対的価値表現の形態をとっているが、他面ではまだこの形態をとっていない。この形態は x量の商品A=y量の商品B であった。直接的な生産物交換の形態は x量の使用価値A=y量の使用価値B である。AおよびBなる物は、ここでは、交換以前には商品ではなくて、交換によって初めて商品になる。ある使用対象がその可能性から見て交換価値であるという最初の様式は、非使用価値としての、この使用対象の所持者の直接的な必要を越える量の使用価値としての、この使用対象の存在である。諸物は、それ自体としては人間にとって外的なものであり、したがって譲渡可能なものである。この譲渡が相互的であるためには、人間たちは、暗黙のうちに、この譲渡可能な諸物の私的所有者として相対しているだけでよいのであって、まさにそうすることによって、互いに独立な人として相対しているだけでよいわけだ。とはいえ、このように互いに他者であるという関係は、共同体が、家父長制的家族、古代インド共同体、インカ国等々の形態をとるにしても、この自然発生的な共同体の構成員にとっては、まだ存在しない。商品交換は、共同体が果てるところにおいて、この共同体が他の諸共同体または他の諸共同体の諸構成員と接触する地点において、始まるのである。ところが、諸物がひとたび対外的な共同生活において商品になると、それらは、反作用的に、内部的な共同生活においても商品になる。諸物の量的な交換割合は、最初は全く偶然である。それらが交換可能であるのは、それらを相互に譲渡しあうそれらの所持者たちの意志行為に依拠している。だから、それらは、価値として表示される以前に、交換可能なものという形態を得ているのである。そうこうするうちに、他人の使用対象にたいする必要が、しだいに固定してくる。交換の不断の反覆が、交換を規則正しい社会的過程にする。だから、時がたつにつれて、労働生産物の少なくとも一部が、交換の目的のためにわざわざ生産されなければならなくなる。この瞬間から、一方では、直接的な必要のための諸物の有用性と交換のための諸物の有用性との分離が、確立される。諸物の使用価値が、諸物の交換価値から分離する。他方では、諸物が交換しあう量的な割合が、諸物の生産そのものによってきめられる。慣習が諸物を価値量として固定させる。〉(74-5頁)

 

《フランス語版》

 

 〈直接的な生産物交換では、価値表現は一方では単純な相対的形態を帯び、他方ではまだこの形態を帯びていない。この形態は、x量の使用価値A=y量の使用価値B であった。直接的な交換の形態は、x量の使用価値A=y量の使用価値B である(5)。ここでは、物体Aと物体Bとは、交換以前にはけっして商品でなく、交換そのものによってはじめて商品になる。ある有用物は、豊富でみるために、その生産者の必要を越える瞬間から彼にたいし使用価値ではなくなるのであって、状況が与えられれば交換価値として使用されるであろう。物は、それ自体としては人間にとって外的であり、したがって譲渡可能なものである。この譲渡が相互的であるためには、ただたんに、人間がこの譲渡可能な物の私有者として、まさにそのために独立の人として、暗黙の承認によって互いに関係しあうだけでよい。しかしながら、このような相互的な独立という関係は、原始共同体の成員にとってはまだ存在しない。たとえこの共同体の形態が家父長家族、インドの共同体、ペルーのようなインカ帝国等であろうとも、そうなのだ。商品交換は共同体の終わるところで、共同体が外部の共同体または外部の共同体の成員と接触する地点で、始まる。物がひとたび外部との共同生活のなかで商品になるやいなや、物は反作用的に、内部の共同生活でも同じように商品になる。それらの物が交換される比率は、最初はもっぱら偶然である。それらの物は、互いに譲渡することを決心した所有者の意志行為によって、交換可能になる。外部から生ずるところの有用物にたいしての必要が、しだいによりいっそう感じられるようになり、強固になる。交換の不断の反復が交換を一つの規則正しい社会的事業とし、時の経過につれ、有用物の少なくとも一部が交換を目あてに意図的に生産される。この瞬間から、直接的必要のための物の有用性と、互いに行なわれるべき交換のための物の有用性とが、すなわち、物の使用価値とその交換価値とが、明瞭に分離される。他方では、それらの物の交換される比率が、それらの物の生産そのものによって規制されはじめる。慣習はそれらの物を価値量として固定する。〉(64-5頁)

 

《資本論》

 

 〈社会のなかでの分業と、それに対応して諸個人が特殊な職業部面に局限されることとは、マニュファクチュアのなかでの分業と同じように、相反する諸出発点から発展する。一つの家族のなかで(50a)、さらに発展しては一つの種族のなかで、性の区別や年齢の相違から、つまり純粋に生理的な基礎の上で、自然発生的な分業が発生し、それは、共同体の拡大や人口の増加につれて、またことに異種族間の紛争や一種族による他種族の征服につれて、その材料を拡大する。他方、前にも述べたように〔*〕、生産物交換は、いろいろな家族や種族や共同体が接触する地点で発生する。なぜならば、文化の初期には独立者として相対するのは個人ではなくて家族や種族などだからである。共同体が違えば、それらが自然環境のなかに見いだす生産手段や生活手段も違っている。したがって、それらの共同体の生産様式や生活様式や生産物も違っている。この自然発生的な相違こそは、いろいろな共同体が接触するときに相互の生産物の交換を呼び起こし、したがって、このような生産物がたんだん商品に転化することを呼び起こすのである。交換は、生産部面の相違をつくりだすのではなく、違った諸生産部面を関連させて、それらを一つの社会的総生産の多かれ少なかれ互いに依存し合う諸部門にするのである。この場合に社会的分業が発生するりは、もとから違ってはいるが互いに依存し合ってはいない諸生産部面のあいだの交換によってである。前のほうの場合、つまり生理的分業が出発点となる場合には、一つの直接に結成されている全体の特殊な諸器官が、他の共同体との商品交換から主要な衝撃を受ける分解過程によって互いに分離し、分解し、独立して、ついに、いろいろな労働の関連が商品としての生産物の交換によって介される点に達するのである。一方の場合には以前は独立していたものの非独立化が行なわれるのであり、他方の場合には以前は独立していなかったものの独立化が行なわれるのである。
 
 〔*〕 全集、第二三巻、一〇二(原)ページを見よ。
  (50a) {第三版への注。――その後の非常に根本的な人類の原始状態の研究は、著者を次のような結論に到達させた。すなわち、元来は家族が発達して種族になったのではなく、反対に、種族こそが、血縁関係にもとづく人類社会形成の本源的な自然発生的な形態だったのであり、したがって種族団体の解体が始まってからはじめているいるに違った家族形態が発展するようになったのだということである。――F・エンゲルス}〉(23a461-2頁)


●注41に関連するもの

 

《初版本文》

 

 〈(36) まだ二つの相異なる使用対象が交換されるのではなく、未開人のあいだでしばしば見いだされるように、諸物の無秩序なひとかたまりが、ある第三の物にたいし等価物として提供されているあいだは、直接的な生産物交換そのものは、やっとその玄関口に立ったばかりである。〉(75頁)

 

《フランス語版》

 

 〈(5) まだ二つのちがった有用物が交換されず、未開人のあいだで見受けるように、諸物の混沌としたかたまりが第三の有用物にたいし等価物として提供されているかぎり、直接的な生産物交換自体はやっと生まれたばかりである。〉(65頁)

 

 

 


第48回「『資本論』を読む会」の案内

『 資 本 論 』 を 読 ん で み ま せ ん か 

                                    

                                      

 

  福島第一原発の国会事故調査委員会の最終報告書が出された。

 

 

 今回の報告書は、「この事故が『人災』であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった」とするなど、これまで出された政府や民間等の幾つかの調査報告書より、より踏み込んだ内容になっている。

 

 例えば「事故の根源的な原因」は、3.11以前にあるとし、福島第一原発はそもそも地震にも津波にも耐えうる保証の無い脆弱な状態であったこと、にも関わらず、事業者である東電や規制当局である原子力安全委や安全・保安委、経産省が馴れ合って、「それまでに当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかった」からだとしている。

 

 具体的には、2006年、耐震基準が改訂され、保安院が、耐震安全評価の実施を求めたが、東電は、報告を先送りし、耐震補強工事の必要を認識しながら、まったく実施していなかった。保安院もそれを黙認していた。また同年には、原発の敷地を超える津波が来た場合に全電源喪失に至ることは、保安院と東電の間で認識は共有されていたにも関わらず、東電は対応を先延ばしし、保安院も明確な指示を怠った、等々と指摘し、「このように、今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった」としている。

 

 「東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。

 

 このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。


 事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた」等々。

 

 このように今回の報告書では、これまで指摘されてこなかった新しい知見もあるが、なぜ、東電や規制当局は、こうした「人々の命と社会を守るという責任感」を「欠如」させたのか、という点については、当然のことながら、何も明らかにすることは出来ていない。

 

 日本が高度成長で有頂天になり、「自信」が次第に「おごり」変わったからとか、国民の命を守るより、「組織の利益を守る」ことが優先されたからだとか、色々と現象的なことが書きつらねられているだけである。

 

 しかし、根源的にはすでに何度も指摘してきたが、原子力発電が「資本の生産力」として存在し、国家が「資本の国家」であるからである。

 

 〈科学や自然力や大量の労働生産物のこのような社会的労働に基づく充用は、すべてそれ自身ただ労働の搾取手段としてのみ、剰余労働を取得する手段としてのみ、それゆえ、労働に対立し資本に所属する諸力としてのみ現われる・・・・このようにして労働の社会的生産力の発展もこの発展の諸条件も、資本の行為として現われるのであって、これにたいして個々の労働者は受動的な態度をとるだけでなく、むしろ労働者に対立してこれが進行する。〉(『学説史』26巻 I 498頁)

 

 そして〈われ亡きあとに洪水は来れ! これが資本家、すべての資本家国家の標語なのである。〉(『資本論』23a353頁)。

 

 原子力発電など膨大な自然力をコントロールし、それだけに一層危険と隣り合わせの巨大な技術は、歴史的には、もはや資本主義的生産様式のなかでは制御不能なものとして存在しているということを我々は知らなければならない。

 

 そのために貴方も、共に『資本論』を読んでみませんか!

 

 


第48回「『資本論』を読む会」の報告

第48回「『資本論』を読む会」の報告

 

 

 

◎政府事故調の最終報告

 

 23日、福島第一原発の政府の事故調査・検証委員会の最終報告が発表されました。

 

 これでこの種の事故調査報告は出揃ったことになるそうです。今回の報告書では、福島第一原発における東電の対処は第二原発におけるそれと較べても、「適切さが欠けていた」と指摘、先に出された国会事故調査委員会の報告と較べると、事故の背景にまで切り込むというより、ただ淡々と事実を述べたというような印象が強いように思えます。

 

 ところで、こうした一連の事故調査報告書に先駆けて、昨年10月、いち早く「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」という報告書を発表した大前研一氏は、先に発表された国会事故調査委員会の最終報告を、クソミソに批判しています(日経BPnet)。国会事故調の報告書は「しょせんは風聞を集めた三面記事のようなレベル」のものでしかなく、「幼稚な報告書を公表することで世界に対して恥をさらした」云々。

 

 すでに述べたように、国会事故調の報告書は、今回の事故を「人災」と断定し、根本的な原因は東電と規制官庁とが馴れ合って必要な対策を怠ってきたからだとしていました。大前氏はそれに対して、「究極の事故原因は外部電源がすべて崩壊したことだ」と自己の主張を対置しています。しかしその大前氏も、ではどうして外部電源がすべて崩壊したのかというと、それは「原子力安全委員会の『外部電源の長期喪失は考えなくてもいい』という指針があったから」だともいうのです。つまり「規制当局と東電の関係が『逆転関係』になり、原子力安全の監視・監督機能の崩壊が起きていた」という国会事故調の指摘に行き着くわけです。結局、大前氏の批判は言葉は辛辣ですが、その内容は“目くそ鼻くそ”の類に過ぎません。

 

 いずれにしても、すべての報告書が見ることができない本質的な原因は、原子力にしても、すべての科学や技術が資本主義的生産においては資本の生産力として存在しているという事実です。だからこそそれらは人間に対して疎遠で、そればかりか人間に敵対的な形でしか存在し得ないのです。

 

 一見すると、工場では労働者は直接機械に向き合い、それを操作し生産物を作っているかに見えます。しかし、労働者が機械などの生産諸力と結合して生産活動ができるのは、彼らが「賃労働」という社会的衣装をまとい、資本としての機械に対峙するからなのです。つまり労働者は決して直接機械に向き合いそれを操作しているのではなく、一定の社会的な関係、すなわち資本-賃労働という生産関係のもとでしかそれが出来ないのです。そしてそれは科学や技術においても同じことが言えるのです。

 

 科学者や研究者は、純粋に真理を追究し、技術を発達させようとしているかに自分では思っているかも知れません。しかし彼らが科学を研究し、技術の発展を追求できるのも、一定の社会的関係においてに過ぎないのです。つまり何らかの企業の研究機関に雇用されるか、ブルジョア大学に所属して初めて研究が出来るのです。そしてこれらの諸機関もやはりこのブルジョア社会のもっとも基本的な関係であり、すべての社会的なものをそれによって染め上げている資本制的な生産関係によって規制され従属させられています。

 

 だから現在の社会の物質的な生産諸力は直接労働者を豊かにするものとして存在しているのではなく、直接には資本が剰余労働を搾取し、利潤を上げるために存在しているのです。科学や技術も同じように資本の生産力として、その自己増殖欲に奉仕させられ、それに有効な限りで評価されるのです。

 

 原子力発電のような膨大な自然力をコントロールしなければならない巨大な技術は、それだけに資本主義的生産様式の下では危険といわなければなりません。原発事故のもっとも本質的な原因はここに起因しているのです。

 やや前置きが長くなりすぎましたが、本題の学習会の報告に移りましょう。前回(第48回)は第2章の第9~11パラグラフを学習しました。さっそくその報告を行いましょう。

 

◎第9パラグラフ

 

 報告は、これまでと同じように、まず本文を紹介し、文節ごとに記号を打ち、それぞれについて平易に解説しながら、そのなかで学習会での議論も紹介していくことにします。なお、今回から見やすいように、本文は青字(太字)、平易な書き下しは太字(黒)とします。

 

【9】〈 (イ)直接的な生産物交換においては、どの商品もその所有者にとっては直接的に交換手段であり、その非所有者にとっては等価物である--もっとも、その商品がその非所有者にとって使用価値である限りでのことであるが。 (ロ)したがって、交換品は、それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態をまだ受け取ってはいない。 (ハ)この形態の必然性は、交換過程に入りこむ商品の数と多様性との増大と共に発展する。 (ニ)課題はその解決の手段と同時に生じる。 (ホ)商品所有者が彼ら自身の物品を他のさまざまな物品と交換したり比較したりする交易は、さまざまな商品所有者のさまざまな商品がその交易の内部で同一の第三の種類の商品と交換され、価値として比較されることなしには、決して生じない。 (ヘ)このような第三の商品は、他のさまざまな商品にとっての等価となることによって、直接的に--たとえ狭い限界内においてにせよ--一般的または社会的な等価形態を受け取る。 (ト)この一般的等価形態は、それを生み出す一時的な社会的接触と共に発生し、それと共に消滅する。 (チ)この形態は、あれこれの商品に、かわるがわる、かつ一時的に帰属する。 (リ)しかし、それは、商品交換の発展につれて、排他的に特殊な種類の商品に固着する。(ヌ)すなわち、貨幣形態に結晶する。(ル)それがどのような種類の商品に固着するかは、さしあたり偶然的である。 (ヲ)しかし、一般的には、二つの事情が決定的である。 (ワ)貨幣形態が固着するのは、外部から入ってくる最も重要な交易品--これは、事実上、内部の諸生産物がもつ交換価値の自然発生的な現象形態である--か、さもなければ、内部の譲渡されうる所有物の主要要素をなす使用対象、たとえば家畜のようなものである。 (カ)遊牧諸民族が最初に貨幣形態を発展させるのであるが、それは、彼らの全財産が動かしうる、したがって直接的に譲渡されうる形態にあるからであり、また彼らの生活様式が彼らをたえず他の諸共同体と接触させ、したがって、生産物交換へと誘いこむからである。 (ヨ)人間はしばしば人間そのものを奴隷の姿態で原初的な貨幣材料としてきたが、土地〔Grund und Boden〕をそうしたことはかつてなかった。 (タ)このような観念は、すでに発展をとげたブルジョア社会においてのみ出現しえた。 (レ)その始まりは一七世紀の最後の三分の一期のことであり、その実施が国民的規模でこころみられるのは、それからやっと一世紀後、フランスのブルジョア革命の中においてであった。〉

 

  (イ) 直接的な生産物の交換においては、どの商品の所有者にとっても、自分の商品は自分にとって必要な生産物を入手するための交換手段です。そして自分の持っていない(つまり相手が持っている)商品は、それが彼にとって自分の欲望を満たすもの(彼にとって使用価値であるもの)であなるならば、自分の商品の等価物となります。

 

  ここでもやはり〈直接的な生産物交換〉が問題になっています。これは当然です。というのは我々はこれから商品交換の歴史的発展を辿って如何にしてそれが貨幣を産み出すに至るかを見ていくわけですから、まだ貨幣は登場していないからです。しかし注意が必要なのは、先のパラグラフでは、交換されるのは、いまだ商品ではなく、単なる使用対象(労働生産物)でしかなかったのですが、ここではすでに交換されるものは「商品」であることが前提されています。つまり交換されるものが商品であることが前提されながら、尚且つ、その交換が直接的な生産物交換であるような発展段階が問題になっていることが分かるのです。そしてこれは先のパラグラフから考えるなら、労働生産物の交換がある一定の広がりと深まりを獲得して、交換当事者が交換を目当てに、労働生産物を生産し始める段階だということが分かります。価値形態では形態II(全面的な展開された価値形態)の段階です。この段階では自身の価値をさまざまな商品で次々と表す商品は、すでに最初から交換を目当てに生産され、よってその価値性格が徐々に現れてくるものと言えるわけです。しかし、その商品と交換されるさまざまな物は、いまだ個別的・偶然的である可能性もあり、いまだ価値形態としては形態Ⅰの段階を抜けていないかも知れないのです。

 

  (ロ) だから交換される物は、いまだそれ自身の使用価値や交換する当事者の個人的欲望から独立した価値形態をまだ受け取っていません。

 

  自身の価値を次々とさまざまな商品で表現する形態IIの段階でも、それが想定する交換の歴史的な発展段階としては、当事者は、例えば遊牧民のように季節によって移動して、その移動の過程で接触するさまざまな定着農耕民と交換していく様な段階であり、こうした段階では、いまだ交換当事者自身の必要に応じて、それらは交換されると言えるでしょう。しかし、これがどんどん発展してゆけば、やがては遊牧民は、次の共同体との交易のことを考えて、その前に接触した共同体との交換では、特に自分には必要のない物品でも、次に接触する定着農耕民が欲するものであれば、そこでの交換を目当てに、交換するようになってくるようになります。彼はそれをただ交換を目当てに交換するわけです。これはすでに商業民族としての登場ですが、こうした段階は早期に訪れたと考えられます。

 

  アフガニスタンとパキスタンに跨がって広く生活していたパシュトゥーン族は、冬季はパキスタン西部の低地にあり、春から夏にかけて、アフガンの高原まで羊を遊牧しながら、移動して生活していたのですが、彼らはその過程でアフガンの定着農耕民と農産物と羊を交換しながら遊牧していました。しかし、やがて彼らはアフガンの定着農耕民が必要とするさまざまな物品をパキスタンで仕入れて、それをも行き先々の農耕民と交易しながら、遊牧するようになったと昔読んだ本にはありました。カルタゴやフェニキアなど古代の商業民族も、最初は海洋民族として、さまざまな海に出かけてゆくなかで、その行く先々で海産物を交換するだけでなく、やがては、さまざまな物品を仕入れて、交換をするようにもっぱらになり、やがては商業民族として歴史の早くから登場したのではないでしょうか。

 

 またここでは〈それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態〉という言葉で出てきますが、これは後にも出てきます〈一般的等価形態〉を指しているのだと思います。

 

  (ハ) この形態(=「それ自身の使用価値や交換者の個人的欲求から独立した価値形態」=「一般的等価形態」)の必然性は、交換過程に入り込む商品の数と種類の増大とともに発展します。

 

  (ニ) 一般に課題はその解決の手段と同時に生まれます。

 

  この〈課題はその解決の手段と同時に生じる〉という言葉は、『経済学批判』序言にも、次のような形で出てきます。

 

  〈一つの社会構成は、それが十分包容しうる生産諸力がすべて発展しきるまでは、けっして没落するものではなく、新しい、さらに高度の生産諸関係は、その物質的存在条件が古い社会自体の胎内で孵化されおわるまでは、けっして古いものにとって代わることはない。それだから、人間はつねに、自分が解決しうる課題だけを自分に提起する。なぜならば、詳しく考察してみると、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに存在しているか、またはすくなくとも生まれつつある場合にだけ発生することが、つねに見られるであろうからだ〉(全集13巻7頁、下線は引用者)

 

  (ホ) 商品所有者が彼らの物品を他のさまざまな物品と交換したり比較したりする交易は、さまざまな商品所有者のさまさまな商品がその交易の内部で、同じ第三の種類の商品と交換され、それによって価値として比較されることなしには、決して生じないのです。

 

  これはすでにある特定の商品が次々とさまさまな商品によって自らの価値を表すような展開された段階(形態II)とは異なります。この段階では、次々と自ららの価値を表す商品は、その価値性格を表してきますが、しかしその商品と交換されるさまざまな商品は、いまだまだ単純な段階、偶然的・一時的段階(形態Ⅰ)と考えられるからです。

 

  しかし、ここで想定している交換過程の発展段階は、こうしたものではなく、ある特定の商品が次々とさまざまな商品と交換され、その価値を表すだけではなく、その交換されるさまざまな商品そのものが互いに交換し合うような交換過程の発展段階を想定しているわけです。こうしたさまざまな商品の交換が行われるためには、しかし、第三の商品、例えば、展開された段階で次々にさまざまな商品と交換して、自分の価値を表した商品を尺度にして、そうした全面的に交換し合おうとする諸商品が、互いに価値を比較し合わないとそうした全面的な商品交換は不可能なのです。だからこれはすでに価値形態では形態IIが逆転された段階(形態III)、すなわち一般的価値形態の段階にあるものです。

 

  (ヘ) このような、その交易において、さまざまな商品がその価値を比較し合うための基準になるような商品は、他のさまざまな商品にとっての共通の等価物になることによって、最初はまだその交易の狭い範囲や限界のなかにおいてに過ぎませんが、一般的または社会的な等価形態を受け取ることになります。

 

  だからこうした第三の商品は一般的価値形態における一般的等価物になるのですが、しかし、マルクスは、こうした一般的等価形態そのものは、最初は、まだある交易の狭い範囲内の、限定された、限界のあるものに過ぎないことも指摘しています。

 

  (ト)、(チ) この一般的等価形態になる商品は、最初はそれを生み出す交易と同様に、一時的または社会的な接触と共に発生し、それと共に消滅します。だからこの形態は、最初は、あれこれの商品に、かわるがわる、且つ一時的に帰属することになります。

 

  さまざまな商品が交換し合うような交易は、最初から恒常的にあったわけではなく、それ自体が一時的であったと考えられます。例えばある祭祀が行われる時期だけに開かれる市であるとか、ある時期に限って開かれる市というようにです。だから最初の一般的等価形態も、そうした交易が行われる時にだけ、その時点、時点である特定の商品に帰属し、別のある交易では、また別の商品がそうした形態を受け取るというようなものだったと考えられるわけです。

 

  (リ)、(ヌ) しかし商品交換がさらに発展すると、徐々に、ある特殊な商品が恒常的にそうした役割を担うようになります。そしてそうなってくると、もはや他の商品がそうした役割を担うことが出来なくなるのです。そうなると、その交易は貨幣形態を獲得したことになるでしょう。

 

  商品交換の発展は、さまざまな商品が互いに交換される交易そのものが、一時的ではなくなり、恒常的になるとともに、交換されあう商品そのものもその数も増え、種類も多様になってきます。そうなるとそれらの価値を互いに比較し合う商品がその度に異なるのでは都合が悪くなってきます。だからますますある特定の商品が排他的にそうした役割を担うようになるわけです。つまり貨幣形態に結晶するわけです。そして一度、ある商品がそうした形態を受け取ると、他の商品はもはやそうした形態を受け取ることは出来なくなるわけです。

 

  (ル)、(ヲ)、(ワ) 貨幣形態を受け取るのがどういう種類の商品であるのかは、さしあたりはまだ偶然が作用します。しかし、一般的には次の二つの事情がそれを決めます。一つは外部から入ってくる最も重要な交易品です。これは事実上、内部の諸生産物がその価値を表す自然なものだったと考えられます。もう一つの事情は、内部で譲渡されうる所有物のなかでもっとも主要な要素をなすよう使用対象です。例えば家畜のようなものです。

 

  貨幣形態そのものも、最初から、貴金属に結晶するとは限らないこと、最初はまだどの商品が貨幣になるかは、偶然的だとマルクスは指摘しています。しかし、二つの事情が決定的だと。

 

  一つは、外部からもたらされる物品のうち重要なものです。これはある意味では自然です。というのは、すでに指摘されてきたように、商品交換が発生するのは、共同体の内部からではなく、共同体が他の共同体と、あるいは他の共同体の成員と接触するところから生まれるからです。共同体の外部からその共同体にはない物品が交換によってもたらされるわけです。そうして始まった交換は、やがては共同体の内部に反射して、共同体の内部でも交換が盛んになり、共同体の成員同士でも互いに交換し合うことが想定されているわけです(しかしそのためにはすでに共同体の内部に私的所有が生まれ、共同体そのものが半ば崩壊しつつあることも前提されています)。だからこの場合、彼らにとって共通な尺度は、共同体の外部からもたらされた商品、そのうちの誰もが必要とする重要な商品がなるのは自然の成り行きなのです。

 

  共同体の内部でも商品交換が頻繁になると、やがて貨幣形態は、彼らにとって主要な使用対象をなすような商品に移っていきます。例えば、家畜のようなものです。私的所有の発生は、最初は、共同体において共有されているような土地などではなく、それぞれの家族や個人が占有している動産から生まれるとマルクスは指摘しています(そして家屋やその回りの菜園などから土地の私有も発生する)。しかし動産と言っても道具のようなものは、一般的ではないために、家畜などがそうした役割を担うことになったと考えられわけです。

 

  (カ) 遊牧民族が最初に貨幣形態を発展させるのですが、それは彼らの全財産が動かしうるから、よって直接に譲渡可能なものからなっているからです。また彼らの生活様式が、つまり放牧によって一定の地域を移動する生活が、絶えず別の共同体と接触させ、だからそれぞれの接触する共同体と生産物の交換を促すことになるからです。

 

  イスラム教はムハンマド(マホメット)によって興されたとされていますが、ムハンマドが属したクライシュ族も、もとをただせばラクダを放牧して生活していた砂漠の民、ベドウィンの一部族でした。ところが、7世紀にビザンチン帝国とササン朝ペルシャの争いによって、ヨーロッパとアジアの通商路(いわゆる「絹の道」)が閉ざされたために、それに代わるものとして、紅海やアラビア半島の西南端を経由する通商路が開発され、その中継貿易を独占して栄えたのが、クライシュ族であり、イスラム教が興った歴史的背景でもあったと言われています。遊牧民族が商業民族へと発展するなかで、イスラム教も興ったわけです。いわゆる経典の民といわれるユダヤ教やキリスト教、イスラム教も、すべて神との契約をその教義としているように、商業民族から興ってきたと考えられています。

 

  (ヨ)、(タ)、(レ) 人間はしばしば人間自身を奴隷として原初的な貨幣材料としてきましたが、不動産である土地をそうしたものにしたことはかつてありませんでした。土地を貨幣材料にするような観念が生まれるためには、土地を売買が発展するブルジョア社会においてのみ出現し得たからです。その始まりは17世紀の最後の3分の1期のことで、それが国家的規模で最初に実施されたのは、それからやっと一世紀後のフランスのブルジョア革命の時でした。

 

  ここでは奴隷が貨幣材料になったという指摘がありますが、『経済学批判』でも次のような指摘があります。

 

  〈交換過程の原生的形態である直接的交換取引〔物々交換〕は、商品の貨幣への転化の開始というよりも、むしろ使用価値の商品への転化の開始をあらわしている。交換価値は自由な姿を得ておらず、まだ直接に使用価値に結びつけられている。このことは二重に示される。生産そのものは、その全構造において使用価値を目的とし、交換価値を目的としていない。だから使用価値がここで使用価値であることをやめて、交換の手段、商品になるのは、ただ生産が消費のために必要とされる限度を越えることによってだけである。他方では、諸使用価値は、たとえ両極に配分されているとしても、直接的な使用価値の限界内でだけそれ自体商品となるのであって、したがって商品所有者たちによって交換される諸商品は、双方にとって使用価値でなければならないが、ただし各商品は、その非所有者にとっての使用価値でなければならない。実際には、諸商品の交換過程は、もともと原生的な共同体の胎内に現われるものではなく、こういう共同体の尽きるところで、その境界で、それが他の共同体と接触する数少ない地点で現われる。ここで交換取引が始まり、そして、そこから共同体の内部にはねかえり、これに解体的な作用を及ぼす。だから、異なった共同体のあいだの交換取引で商品となる特殊な使用価値、たとえば奴隷、家畜、金属が、多くの場合、共同体そのものの内部での最初の貨幣を形成する。〉(全集13巻34頁、下線は引用者)

 

  また『経済学批判要綱』には、次のような叙述があります。

 

  〈本源的に、貨幣として役立つであろう商品は、すなわち、欲求と消費の対象としてではなく、ふたたびそれを他の諸商品と交換で引きわたすために、交換で受けとられるであろう商品は--もっとも多く欲求の対象として交換され、通用し、したがってふたたび他の特殊的な諸商品と交換されうることがもっとも確実であり、したがってあたえられた社会的組織においてなにより第一に富を代表し、もっとも一般的な需要と供給との対象であり、特殊的な使用価値をもっている、そういった商品である。塩、毛皮、家畜、奴隷がそれであった。そのような商品は、実際上、商品としてのそれの特殊的な姿態において、他の諸商品よりもより多く交換価値としての自分自身に(残念だが、ドイツ語では、消費物と商い物の区別をうまく翻訳できない) 照応している。商品の特殊的な効用--特殊的な消費対象(毛皮)としてであれ、直接的な生産用具(奴隷) としてであれ--が、このばあいにはその商品に貨幣の烙印をおしている。ところが発展が進むにしたがって、ちょうどこの反対のことが起こってくるであろう。すなわち消費の直接的対象とか、または生産の用具とかであることのもっとも少ない商品が、まさしく、交換そのものの必要に役立つという側面をもっともよく代表するようになるであろう。第一のばあいには、商品はその特殊的な使用価値のゆえに貨幣になる。第二のばあいには、商品は、それが貨幣として役立つということから、その特殊的な使用価値を受けとる。永続性、不変性、分割可能性、再合成の可能性、大きな交換価値を小さな容積のなかに含んでいるので相対的に容易な運搬可能性、これらすべてのことがあるために、後の方の段階においては貴金属が特別に貨幣に適したものとされるのである。それと同時に、貴金属は、貨幣の最初の形態からの自然的移行をなしてもいる。生産と交換とがある程度高度になっている段階では、生産用具は諸生産物よりも優位を占める。しかも金属(最初は石) は最初の、しかも不可欠の生産道具である。古代人の貨幣においてとくに大きな役割を演ずる銅のぼあいには、生産用具としての特殊的な使用価値と、商品の使用価値から生じたのでなくて、交換価値としての商品の規定に照応するその他の諸性質(交換手段〔としての規定〕もそのなかに含まれている) との両方が、まだいっしょになっている。さらにつづいて、貴金属は、酸化しないことなどや、その均質性などによって、他の金属から区別され、そしてその次には、消費や生産のためのその直接的な効用はおとるが、その稀少性のゆえからしてすでに純粋に交換にもとつく価値を他の金属よりも多く表示していることによって、より高度な段階にいっそうよく適合している。貴金属は初めから剰余を、つまり富が最初に現象するところの形態を表わしている。金属でさえ、他の諸商品よりは好んで金属と交換される〉(草稿集①150-1頁、下線はマルクスによる強調、太字は引用者)

 

  またマルクスの抜粋ノートには、『ドイツ人の歴史』からの次のような引用があるのだそうです。

 

  〈「ホメロスやヘシオドスにあっては、金と銀ではなくて、羊と牡牛とが、価値尺度として、貨幣であった。トロイアの戦場では物物交換が行なわれた。」(ジェイコブ。)(同様に中世では奴隷がそうであった。同上。)〉(同上197頁)

 

  また学習会では、土地を貨幣材料とする観念が、〈17世紀の最後の三分の一期〉に出現したとありますが、それは具体的にはどのようなものかという質問がありましたが、調べてみましたが、ハッキリしたことは分かりませんでした。ただ〈その実施が国民的規模でこころみられ〉たとする「アシニャ紙幣」については、マルクスは色々なところで言及しています。それを紹介しておきましょう。

 

  〈ステュアートの意味での観念的貨幣に近いものとしては、フランスのアシニャ紙幣、すなわち「国民財産100フランのアシニャ」をあげることができよう。たしかにこの場合、アシニャがあらわすはずの使用価値、すなわち没収された土地は明示されていたが、度量単位の量的規定は忘れられていて、したがって「フラン」は無意味なことばであった。すなわち、1アシニャ・フランがどれだけの土地をあらわすかは、公けの競売の結果いかんにかかっていた。とはいえ、実際には、アシニャ・フランは、銀貨幣にたいする価値章標として流通し、したがってその減価は、この銀の度量標準で測られたのである。〉(『経済学批判』全集13巻64頁)

 

  〈一九世紀にはいって貨幣制度についての研究に直接の刺激をあたえたものは、金属流通の諸現象ではなくて、むしろ銀行券流通の諸現象であった。前者は、後者の諸法則を発見するために、さかのぼって研究されたにすぎない。一七九七年以来のイングランド銀行の兌換停止、それにつづいて起こった多数の商品の価格騰貴、金の鋳造価格のその市場価格以下への下落、とくに一八〇九年以来の銀行券の減価、これらは、議会内での党派闘争と議会外での理論上の試合とに直接の実際的な動機をあたえたのであって、いずれも等しく熱情的にたたかわれた。討論の歴史的背景となったものは、一八世紀の紙幣の歴史であった。すなわち、ローの銀行の破綻〔33〕、一八世紀のはじめからなかごろにかけて北アメリカのイギリス諸植民地で価値章標の量の増加にともなってすすんだ地方銀行券の減価、ついで、独立戦争中にアメリカ中央政府によって法律で強制された紙幣(大陸紙幣〔Continental bills〕)、最後に、なおいっそう大規模におこなわれたフランスのアシニャ紙幣の実験がこれである。当時のイギリスのたいていの著述家は、まったく別の法則によって規定される銀行券の流通を、価値章標または強制通用力をもつ国家紙幣の流通と混同しており、そして、この強制流通の諸現象を金属流通の法則で説明すると称しながら、じつは逆に、後者の法則を前者の諸現象から引き出している。われわれは、一八〇〇年から一八〇九年までの時期の多数の著述家たちをすべてとびこして、ただちにリカードに向かうことにする。それは、リカードが彼の先行者たちの説を総括しており、彼らの見解をいっそうするどく定式化しているからでもあり、また彼が貨幣理論にあたえた形態が現在までイギリスの銀行立法を支配しているからでもある。リカードは、彼の先行者たちと同様に、銀行券または信用貨幣の流通をただの価値章標の流通と混同している。彼の頭を支配していた事実は、紙幣の減価と、それと時を同じくする諸商品価格の騰貴とである。ヒュームの場合のアメリカの諸鉱山にあたるものは、リカードの場合にはスレッドニードル街〔34〕の紙幣印刷機であって、リカード自身もある個所で、この二つの要因をはっきりと同一視している。彼の初期の著作はもっぱら貨幣問題だけを扱ったものであるが、それらは、閣僚と主戦党とを味方としたイングランド銀行と、議会の反対党であるウィッグ党および平和党を周囲に結集したその反対者とのあいだで、きわめて激烈な論争がおこなわれていた時代に書かれた。これらの著作は、一八一〇年の地金委員会の有名な報告書の直接の先駆となったのであって、この報告書にはリカードの意見が採用されている〔*〕。貨幣をただの価値章標だと説明するリカードとその追随者たちとがBullionists(地金主義者)とよばれているのは奇妙なことであるが、これはたんにこの委員会の名称に由来するはかりでなく、彼の学説の内容自体にも由来している。リカードは、波の経済学にかんする著書で同じ見解をくりかえし述べ、さらに発展させているが、しかし彼が交換価値、利潤、地代等々についておこなったような研究は、貨幣制度そのものについては、どこでもおこなっていないのである。〉(同全集13巻145頁)

 

  なお草稿集③では同じ『批判』本文に対する注解として次のような説明があります。

 

  〈(3)〔注解〕 「アシニャ紙幣」--1790年4月1日、国民議会によって国債償還のために布告されたフランスの紙幣。はじめそれは没収された教会禄の価値の指図証であったが、のちには王室財産および亡命者の財産の指図証ともなった。その後アシニャ紙幣の発行が実際の流通必要量をはるかに凌駕するようになるにしたがって、経済ははなはだしい混乱に陥った。アシニャ紙幣のフランス語の銘文は、「国[有財産。何々リーヴル割当てと書かれている。〉(403頁)

 

  またマルクスはシーニアの著書からアッシニア紙幣に関連する部分を抜き書きしています。

 

  〈{アッシニア紙幣。「国民財産100フランのアッシニア紙幣。」法貨。それは、なにか特定のものを代表すると表明することさえしていない点で、他のすべての紙幣とは区別された。「国民財産」という言葉が意味していたのは、この紙幣をもって、〔革命のさいに〕没収された地所を、それの常設的競売の場で買うことによって、この紙幣の価値が維持されうる、ということであった。しかし、なぜこの価値が100フランと名づけられるのか、ということには根拠がなかった。この価値は、そのようにして購買できる土地の相対的な量とアッシニア紙幣の発行数とにかかっていた。(ナソー・W ・シーニア『貨幣調達費……に関する三つの講演』、ロンドン、1830年、78、79〔ぺージ〕。)〉(草稿集②665頁)

 

◎第10パラグラフ

 

【10】〈 (イ)商品交換がそのもっぱら局地的な束縛を打破し、したがって商品価値が人間労働一般の物質化にまで拡大していくのと同じ割合で、貨幣形態は、一般的等価という社会的機能に生まれながらにして適している商品に、すなわち貴金属に、移っていく。〉

 

  (イ) 商品交換がますます盛んになり、局的な束縛を打ち破って拡大していくにつれて、商品の価値はますます人間労働一般が物質化したものとしての性格を強めていきます。そしてそれと同じ割合で、貨幣形態も、ますます一般的等価という社会的機能に適した商品に、すなわち貴金属に移っていきます。

 

  『経済学批判』には、〈一商品の交換価値は、その等価物の系列が長ければ長いほど、つまりその商品にとって交換の範囲が大きければ大きいほど、それだけますます高度に交換価値としてあらわされる。だから交換取引の漸次的拡大、交換の増大、交換取引にはいってくる商品の多様化は、商品を交換価値として発展させ〉(全集13巻34頁)ると指摘されています。そして商品の価値がますます人間労働一般の物質化にまで拡大すると同時に、貨幣もまた貴金属に移っていくと指摘されています。貴金属が一般的等価という社会的機能に〈生まれながらにして適している〉という事情は、次のパラグラフで説明されています。

 

◎第11パラグラフ

 

【11】〈 (イ)ところで、「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である(42)」ということは、金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示している(43)。 (ロ)しかし、われわれは、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知らない。 (ハ)すなわち、商品価値の現象形態として、または商品の価値の大きさが社会的に表現される材料として、役立つという機能だけである。 (ニ)価値の適切な現象形態、または抽象的な、したがって同等な、人間労働の物質化となりうるのは、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質だけである。 (ホ)他面、価値の大きさの区別は純粋に量的なものであるから、貨幣商品は純粋に量的な区別ができるもの、したがって任意に分割ができてその諸部分がふたたび合成できるものでなければならない。 (ヘ)ところが、金銀は生まれながらにしてこの属性をそなえている。〉

 

  (イ) ところで、「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である」ということは、金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示しています。

 

  ここで学習会では、〈「金銀は生まれながらにして貨幣ではないが、貨幣は生まれながらにして金銀である(42)」〉ということが〈金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適していることを示している〉と言われているのですが、いま一つよく分からないという意見が出されました。どうして最初の文言が後の理由になるのかがいま一つ納得が行かないというのです。そこでこの一文が出てくる『経済学批判』をみてみることにしましょう。マルクスは、「4 貴金属」において、〈なぜほかの諸商品ではなく金銀が貨幣の材料として役だつかという問題〉(全集13巻130頁)について論じています。その内容を箇条書き的に紹介してみましょう。

 

  ①まず〈一般的労働時間そのものはただ量的な区別を許すだけであるから、その独特な化身として通用すべき対象物は、純粋に量的な区別をあらわすことができるものでなければならず、したがって質の同一性、一様性が前提とされる〉が〈金銀は、単一体としていつでもそれ自体同等であり、したがってそれらの等しい量は等しい大きさの価値をあらわす〉。(同)

 

  ②〈一般的等価物として役だつべき商品にとっての、純粋に量的な区別をあらわすという機能から直接に生じるいまひとつの条件は、それが任意の諸部分に細分することができ、また諸部分をふたたび合成することができるということであり、したがって計算貨幣が感覚のうえでもあらわされるということである。金銀はこれらの属性を非常によくそなえている。〉(同上131頁)

 

  ③〈流通手段としては、金銀は他の諸商品にくらべて次のような長所をもっている。すなわち、その比重が大きく、相対的に大きな重量を小さな容積であらわすことができるし、それにおうじてその経済的比重も大きく、相対的に大きな労働時間、すなわち大きな交換価値を小さな容量のうちにふくむことができる、ということである。これによって、運搬の容易さ、一人の手から他の人の手への、一国から他国への移転の容易さ、急速に出没する能力――要するに、流通過程の永久機関〔perpetuum mobile〕として役だつべき商品の必須条件〔sine qua non〕である物質的可動性が保証されている。〉(同)

 

  ④〈貴金属の高い価値比重、耐久性、相対的に破壊しにくいこと、空気に触れて酸化しないこと、金の場合にはとくに王水以外の酸に溶解しない性質、これらすべての自然的属性が貴金属を貨幣蓄蔵の自然的材料にする。〉(同)

 

  ⑤〈金属一般が直接的生産過程の内部でもつ大きな意義は、生産用具としての金属の機能と関連している。ところが金銀は、それらが稀少であることを度外視しても、鉄はもちろんのこと、銅(古代人の用いた合金状態の)とくらべてさえきわめて軟らかいので、生産用具として利用することができず、したがって金属一般の使用価値の基礎をなす諸属性を大幅に奪われている。金銀は直接的生産過程の内部ではこのように役にたたないのであるが、これと同様に、生活手段として、消費の対象として現われる場合にも、なければなくてもすむものである。だから金銀は、直接的な生産と消費との過程をそこなわずに、どんなに任意の量ででも社会的流通過程にはいることができるのである。〉(同上131-2頁)

 

  ⑥〈他方で金銀は、消極的な意味で余分な、すなわちなくてもすむ対象物であるばかりでなく、金銀の美的な諸属性は、それを華美、着飾り、盛装、日曜日にふさわしい諸欲望の天然の材料に、つまり贅沢と富の積極的形態にするのである。それらは、いわば地下界から掘り出されたまじり気のない光として現われる。というのは、銀はすべての光線をそれらの光線の本来の配合のままに反射し、金は最も強い色彩である赤だけを反射するからである。だが色彩感覚は美的感覚一般のうちで最もとっつきやすい形態である。〉(同上132頁)
 ⑦〈最後に、金銀が鋳貨の形態から地金形態へ、地金形態から奢侈品の形態へ、そしてまた逆の方向へ転化されうるということ、いちどあたえられた一定の使用形態に縛られないという他の諸商品にまさった長所、これらが金銀を、たえず一つの形態規定性から他の形態規定性に転化しなければならない貨幣の自然的材料にするのである。〉(同)

 

  このようにマルクスは金銀が貨幣としての社会的機能を果たす上で、優れている属性を上げたあと、次のように述べています。

 

  〈自然は銀行家や為替相場を生みださないのと同じように、貨幣を生みださない。しかしブルジョア的生産は、富を一個の物の形態をとった物神として結晶させざるをえないから、金銀は富のそれ相応な化身である。金銀は生まれながらに貨幣ではないが、貨幣は生まれながらに金銀である。一方では、銀または金の貨幣結晶は流通過程の産物であるばかりではなく、実際上その唯一の停留する産物である。他方では、金銀はできあがった自然生産物であって、それらは第二のものであるとともに、そのまま第一のものであり、なんらの形態的相違によっても区別されない。社会的過程の一般的生産物、または生産物としての社会的過程そのものが、一つの特殊な自然生産物であり、大地の奥ふかいところに隠れていて、そこから掘り出すことのできる金属なのである。〉(全集13巻132頁、下線は引用者)

 

  このマルクスの説明を見ると、〈金銀は生まれながらに貨幣ではない〉というのは、〈自然は銀行家や為替相場を生みださないのと同じように、貨幣を生みださない〉という意味だと分かります。そして同じように〈貨幣は生まれながらに金銀である〉というのは、貨幣というのは、人間の社会的関係が物の形態をとったものであり、ブルジョア的生産では、こうした物象的関係は不可避に生まれくること、だから物象的関係である貨幣は、生まれながらにして金銀という物的なものに癒着して登場するのだというわけです。そして金銀が貨幣という社会的機能を果たす上で物性的に優れていることは、すでに縷々述べてきたということだと思います。

 

  (ロ)、(ハ) しかし私たちは、これまでのところでは、貨幣の一つの機能しか知りません。つまり、商品の価値の現象形態として、あるいは商品の価値の大きさを社会的に表す材料として、役立つという機能だけです。

 

  〈金銀の自然諸属性が貨幣の諸機能に適している〉と言っても、私たちがまだ貨幣の機能として知っているのは、価値の現象形態であり、価値の大きさをその物的素材によって表すという機能だけだとマルクスは指摘しています。これは後に第3章「貨幣または商品流通」に出てくる説明にもとづけば、「価値尺度の機能」と言えます。その意味では、(イ)の解説のなかで紹介した『経済学批判』の一連の説明は貨幣のそれ以外の諸機能(流通手段としての機能等)も含んだものだったと言えます。

 

  (ニ) 価値の適切な現象形態、すなわち抽象的な、したがって同等な、人間労働の物質化となりうるためには、どの一片をとってみてもみな同じ均等な質をもっている物質でなければなりません。

 

  この属性は、先に紹介した『批判』で指摘されていたものとしては、①に該当しますが、『批判』では、必ずしも質と量とが明確に区別されて論じられていないことが分かります。

 

  (ホ) また価値の大きさの区別は純粋に量的なものでしかありませんから、貨幣商品は、純粋に量的に区別ができるもの、だから任意に分割できて、その分割された諸部分から再び合成できるものでなければなりません。

 

  これは『批判』の説明では①と②に該当します。

 

  (ヘ) ところが、金銀は生まれながらにして、こうした諸属性をそなえています。

 

  全集版や新日本新書版では〈この属性をそなえている〉となっていますが、これでは〈この属性〉が指しているのは、直前の〈任意に分割ができてその諸部分がふたたび合成できる〉というものだけと誤解されかねません。やはりここは(ニ)(ホ)で述べられている二つの属性を指しているわけですから、やはり「こうした諸属性」と訳すべきでしょう。因みに長谷部訳では「こうした諸属性」となっています。

 

◎注42と43

 

  第11パラグラフには二つの注がついていますが、それらも本文を紹介し、簡単な解説を加えておきます。

 

【注42】〈(42) カール・マルクス『経済学批判』、135ページ〔『全集』、第13巻、132ページ〕。「これらの金属は・・・・生まれながらにして、貨幣である」(ガリアーニ『貨幣について』、所収、クストーディ編、前出叢書、近代篇、第三巻、一三七ページ)。〉

 

  この注によれば、先に見た『経済学批判』に出てくる〈金銀は生まれながらに貨幣ではないが、貨幣は生まれながらに金銀である〉という一文は、ガリアーニの『貨幣について』の中の主張に対置されたものだということが分かります。ただ『批判』では、ガリアーニの『貨幣について』からの引用は幾つかありますが、上記の一文の引用はありませんでした。マルクスはガリアーニついて、〈多かれ少なかれ適切な着想で商品の正しい分析にふれている一連のイタリアの経済学者たち〉(全集13巻42頁)の一人とみていたようです。

 

【注43】〈(43) これについての詳細は、前出の私の著作の中の「貴金属」の節を見よ。〉

 

  この注で触れている〈「貴金属」の節〉の内容については、すでに本文の(イ)の解説のなかで詳しく紹介した通りです。

 

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【付属資料】

 

●第9パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈直接的な生産物交換にあっては、どの商品も、その所持者にとっては直接的な交換手段であり、その非所持者にとっては等価物である。といっても、それが非所持者にとって使用価値であるというかぎりにおいてのことでしかないが。だから、この交換品は、それ自身の使用価値または交換者の個人的必要から独立した価値形態を、まだなんら獲得していない。こういった形態の必然性は、交換過程にはいってくる諸商品が数を増し多様になるにつれて、発展する。課題は、その解決手段と同時に生まれる。商品所持者たちに彼ら自身の物品を他のいろいろの物品と交換させ、したがって比較させる交易は、いろいろな商品所持者たちのいろいろな商品が、これらの商品の交易の内部で、一つの同じ第三の商品種類と交換されたり価値として比較されたりしなければ、けっして行なわれない。このような第三の商品は、それがいろいろな他商品にたいする等価物になることによって、たとい狭い限界内であろうとも、一般的なあるいは社会的な等価形態を直接に獲得する。この一般的な等価形態は、それを産み出した一時的な社会的接触とともに、生成し消滅する。かわるがわるしかも一時的に、それはあれこれの商品に帰属する。ところが、商品交換の発展につれて、それは排他的に、特殊な商品種類に固着する、すなわち、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類に付着したままになるかは、最初は偶然的である。とはいえ、一般には二つの事情がことを決定する。貨幣形態は、事実上域内諸生産物の交換価値の自然発生的な現象形態である最も重要な外来の交換品に、付着するか、または、域内の譲渡可能な財産の主要な要素を成している使用対象に、たとえば家畜のようなものに、付着する。遊牧民族が最初に貨幣形態を表示するが、そうなるのは、彼らの全財産が可動的な形態、したがって直接的に譲渡可能な形態にあるからであり、また、彼らの生活様式が、彼らを絶えず他の共同体と接触させ、したがって、彼らに生産物交換を促すからなのである。人聞はしばしば、人間そのものを奴隷の形で原始的な貨幣素材にしたが、土地については、そうしたことはけっしてなかった。土地を貨幣素材にするような考えは、すでにできあがった市民社会においてのみ生ずることができた。このような考えは一七世紀の最後の三分の一期に始まり、このような考えの一国的な規模での実施は、一世紀後に、フランス人たちのブルジョア革命において、初めて試みられたのである。〉(75-6頁)

 

《フランス語版》

 

  〈直接的な生産物交換では、各々の商品は、それを所有する人にとっては直接的な交換手段であるが、それを所有しない人にとっては、それが彼にとって使用価値であるばあいにかぎって等価物になる。したがって、交換物品はまだ、それ自身の使用価値あるいは交換者たちの個別的必要から独立した価値形態を、全然獲得していない。この形態の必然性は、しだいに交換のうちに入りこむ商品の数と多様性とが増すのにつれて発展するのであって、課題はその解決手段と同時に生まれる。さまざまな商品が価値として、そのさまざまな持ち主によって同一の第三の商品種類と交換され、比較されなければ、これら商品の所有者たちはけっして自分の物品を他のさまざまな物品と交換し、比較することがない。このような第三の商品は、他のさまざまな商品にたいして等価物になることによって、狭い限界内ではあるが、一般的あるいは社会的な等価形態を直接に獲得する。この一般的等価形態は、これを産んだ一時的な社会的接触とともに発生し消滅するのであって、迅速にしかもかわるがわる、あるときはある商品に、あるときは別の商品に付着する。交換がある程度の発達に到達してしまうやいなや、この一般的等価形態はもっぱら特殊な商品種類に付着する、すなわち、貨幣形態に結晶する。それがどんな商品種類に固定されたままになるかは、最初は偶然によってきまる。しかし、一般には二つの決定的な事情による、と言ってよい。貨幣形態は、域内生産物の交換価値を実際上最初に示すような最も重要な輸入物品に付着するか、あるいは、たとえば家畜のごとき、その域内の譲渡可能な富の主要素をなすような物体あるいはむしろ有用物に、付着する。遊牧民が最初に貨幣形態を発展させる。というのは、彼らの財貨と財産のどれもが、動産形態、したがって、直接に譲渡可能な形態にあるからである。さらに、彼らの生活様式は、彼らを外部の社会と絶えず接触させ、まさにそのために、彼らを生産物交換に駆り立てる。人間はしばしば、人間自身を奴隷の形で自分の原始的な貨幣材料にした。土地については、こうしたことは一度もなかった。そのような思いつきは、すでに発達したブルジョア社会ではじめて生まれることができた。そのような思いつきは一七世紀の最後の三分の一期に始まっており、その実現はそれからやっと一世紀後、フランスの一七八九年革命において、全国的に大規模に試みられたのである。〉(65-6頁)

 

●第10パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈商品交換がそれの単なる地方的な枠を突破し、したがって、商品価値が人間労働一般の具象物にまで広がってゆくのと同じ割合で、貨幣形態が、一般的な等価物という社会的機能に生来適している諸商品の上に、貴金属の上に、移ってゆくのである。〉(76頁)

 

《フランス語版》

 

  〈交換が純粋に地方的な絆を断ち、その結果、商品の価値がますます人間労働一般を代表するようになるにつれて、貨幣形態は、一般的等価物の社会的機能を果たすに適した性質をもつ商品、すなわち貴金属に、移行する。〉(66頁)

 

●第11パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈ところで、「金銀は生来貨幣でなくとも、貨幣は生来金銀である(37)」ということは、金銀の自然的な諸属性が貨幣の諸機能に適合していることを、示している(38)。ところが、われわれはこれまで、貨幣の一つの機能しか知らない。その機能は、商品価値の現象形態として、あるいは、諸商品の価値量がそのなかで社会的に表現されるところの素材として、役立っているという機能である。価値の適当な現象形態、あるいは、抽象的でありしたがって同等である人間労働の具象物は、ある物質--この物質のすべての見本が同じ一様な質をもっている--でしかありえない。他方、価値量の差異は、純粋に量的であって、凝固した労働時間のいろいろな量を表現しているから、貨幣商品は、純粋に量的な区別が可能なもの、つまり、随意に分割可能でありまたそれの諸部分から再び合成可能なもの、でなければならない。ところが、金銀は生来これらの属性をもっている。〉(76-7頁)

 

《フランス語版》

 

  〈さて、「銀と金は生来貨幣ではないが、そういっても貨幣は生来銀と金である」ということは、これら金属の自然属性と貨幣の機能とのあいだに存在する一致と類似とを、示している(7)。だが、われわれがこれまでに知っている貨幣の機能は、一つの機能--商品価値の表示形態として役立つ、すなわち、商品の価値量を社会的に表現するための材料として役立つ、という一つの機能--だけである。ところで、価値を表示するのに適切な形態でありうる、すなわち、抽象的な、したがってまた同等な人間労働の具体的な形象として役立ちうる材料は、たった一つしかない。それは、どの一片も同じ画一的な質を有する材料である。他方、価値は量だけが異なるのであるから、貨幣商品は、純粋に量的な差を示しうるものでなければならない。貨幣商品は、任意に分割可能なものであり、その諸部分の総和で再構成されうるものでなければならない。金と銀が生来これらの属性のすべてをもっていることは、誰でも知っている。〉(66-7頁)

 

●注42と43

 

《初版本文》

 

  〈(37)カール・マルクス、前掲書〔『経済学批判』〕、135ページ。「貴金属は……生来貨幣である。(ガリアーニ『貨幣について』、所収、クストディの叢書、近世篇、第三巻、72ページ。)〉(77頁)

 〈(38) これについてさらに詳しいことは、私の前記著書の「貴金属」という節を参照せよ。〉(77頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(6) カール・マルクス『経済学批判』、135ぺージ。「貴金属は生来貨幣である」(ガリアーニ『貨幣について』、クストディの叢書に所収、近世の部、第三巻、137べージ)。〉(67頁)

 〈(7) この問題についてさらに詳細なことは、すでに引用した私の著書の「貴金属」の章を見よ。〉(67頁)


 

 

 


第49回「『資本論』を読む会」の案内

『 資 本 論 』 を 読 ん で み ま せ ん か 

                                    

                                      
  EUの信用不安は一向に収まる気配はないが、ここにきて新たな問題が出てきた。LIBOR(ライボーと読むらしい)の不正疑惑である。LIBORというのは「ロンドン銀行間取引金利のこと」で「指定された複数の有力銀行から報告された11:00時点のレートを英国銀行協会(BBA)が集計し毎営業日発表している」ものらしい。まあ銀行が営業や互いの貸し借りで貸し出す場合の予定金利を毎日BBAに報告して、それにもとづいて一定の手続きの上で、その時点での平均金利として発表されているもので、さまざまな金融取引における利率の目安になっているようなものらしい。

 

  その「有力銀行」の一つ英大手銀行バークレイズが2005~09年にたびたび不正操作していたことが発覚したという。しかも不正操作をしていたのはバークレイズに限らずHSBC(世界最大級の金融グループ)や仏ソシエテ・ジェネラル、クレディ・アグリコルがバークレイズと共謀していたともいう。EUの金融機関全体が(各国の中央銀行も含めて)不信の目で見られるような状態なのである。

 

 

  しかし銀行が貸し出す金利の「不正操作」と言っても、金利そのものに何か絶対的な基準というものがあるわけではない。今回のBBAへの報告の対象になっているものも、ただ銀行がこれだけの金利なら貸し出してもよいという程度のものでしかなく、実際に貸し出した実勢の金利ではない。つまり金利には常に一定の恣意性と人為性がつきまとうものなのである。だからそこには常に「不正操作」が、つまり詐欺や瞞着が付きまとうのであり、むしろそれが金融の世界の常態と言ってよいほどのものでさえある。

 

  利子率というのは、銀行が貨幣商品を売り出す(貨幣を貸し出す)ときの「価格」であるが、一般の商品の価格とは大きく異なる。一般の商品の価格やそれを最終的に規定する価値というものは、社会の物質代謝を維持するに必要な諸商品の生産に、その時の生産力において、どの分野にどれだけの労働力を配分すべきかを示す指標であり、この社会を物的に維持するために、さまざまな偶然や攪乱を通して貫いている客観的な法則である。それに対して、利子率というのは、一方に貸付可能な貨幣資本があり、他方にそれを借り出す需要があったときに、その供給と需要によって決まってくるものでしかなく、客観的な基準というものは何もないのである(もちろん、利子も資本が労働者から搾取した剰余価値〔利潤〕から分割したものだから、社会全体の剰余価値〔利潤〕以上にはなりようはないという限度はあるのだが)。

 

  マルクスは信用には二つのものが概念的に区別されるべきと指摘している。一つは一般の商品が流通する過程で生まれる信用(商業信用)であり、もう一つは銀行などが貨幣を貸し出す場合の信用(貨幣信用、通常は「銀行信用」とも言われている)である。前者は再生産過程の内部の信用であり、後者は再生産過程の外部の信用である。もちろんこの二つの信用は現実には複雑に絡まり合って現れてくるのであるが、再生産過程の内部の信用には、物質的な再生産を構成するという客観的な基準はあるが、外部の信用である貨幣信用には、だからそうした客観的な基準というものはなく、よってこの場合の信用には、常に恣意性と人為性が付きまとうというのである。ただこの世界で問題になるのは、労働者から搾り取った剰余価値の分け前を巡る資本家同士の醜い争いであり,労働者には直接には無関係の、おどろおどろしい世界の話でしかないのだ。

 

  マルクスは次のように述べている。

 

  〈信用は、個々の資本家に、または資本家とみなされる人々に、他人の資本や他人の所有にたいする、したがってまた他人の労働にたいする、ある範囲内では絶対的な支配力を与える。・・・・成功も失敗も、ここではその結果は同時に諸資本の集中になり、したがってまた最大の規模での収奪になる。収奪はここでは直接生産者から小中の資本家そのものにまで及ぶ。・・・・そして、信用はこれらの少数者にますます純粋な山師の性格を与える。所有はここでは株式の形で存在するのだから、その運動や移転はまったくただ取引所投機の結果になるのであって、そこでは小魚は鮫(さめ)に呑みこまれ、羊は取引所狼に呑みこまれてしまうのである。〉(全集25巻a559-560頁)

 

  金融諸現象はなかなか理解しずらい分野の一つであるが、しかし、『資本論』はそうした複雑な諸現象を基礎的な視点から解明する指針を与えてくれる。貴方も共に『資本論』を読んでみませんか?

 


第49回「『資本論』を読む会」の報告

第49回「『資本論』を読む会」の報告

 

 

◎領土問題の背景

 

  竹島や尖閣諸島の領有をめぐる争いは、俄かに波立ってきましたが、ジャーナリストの山田厚史氏(元朝日新聞編集委員)は、〈反日に走らす「韓流経済」の深き“影”〉と題して、興味深い問題を指摘しています(8.30ダイヤモンド・オンライン)。

 

  今回、李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が竹島(韓国名・独島〔ドクト〕)を訪問したり、天皇に謝罪を求めたりしたのは、大統領選挙を控え、身内にまつわる汚職・腐敗に対する批判を逸らし、「外に敵を作って」求心力を高めようという安易 な手法に走ったためだと指摘されていますが、それだけではなくて、韓国で燃え上がる愛国主義の背後には「躍進する経済等の光に潜む深き“影”がある」というのです。

 

  それによるとソウル聯合ニュースが4月23日、「所得格差拡大でポピュリズム台頭の恐れ」という記事を掲載したのだそうです。〈国策シンクタンク・韓国開発研究所(KDI)の分析を紹介し、「1990年代前半まで改善に向かっていた所得格差がアジア通貨危機の前後から再び悪化している」「一握りの人々だけが豊かな暮らしをしているという考えが広がり、ポピュリズムや保護貿易論が台頭する可能性がある」と警告した〉と。

 

  所得格差が拡大しているのは、何も韓国だけの話ではないでしょう。経済的躍進を遂げた中国においては「赤い貴族」など遥かに極端な格差が指摘されていますし、長く経済的停滞の中にある日本も例外ではありません。

 

  日本では、「ハシズム」と揶揄される橋下徹大阪市長率いる「大阪維新の会」の躍進に見られるように、「ポピュリズム台頭の恐れ」は、すでに現実の問題ですが、現在の激しくなるばかりの排外主義や愛国主義の背景には、こうした資本主義的生産の矛盾の深まりと、その結果としての深刻な格差の拡大が背景にあるのかも知れません

 

  さて、残暑厳しいなかで開かれた第49回「『資本論』を読む会」でしたが、相変わらず参加者は“お寒いかぎり”でした。「読む会」が行われた南図書館の3階も閑散としており、われわれが使っている1号室以外は誰も使っていない有り様でした。この暑い中、わざわざ出かけるのは余程のヒマ人か物好きなのかも知れません。しかし、まあ、愚痴を言っていても始まりません。報告に移りましょう。

 

◎第12パラグラフ

 

  今回は第12~14パラグラフを進みました。それぞれについて、まず本文を紹介し(青字)、そして各文節ごとに記号を打って、平易な読みくだしを行い(太字)、そしてその解説のなかで議論の紹介もして行くことにします。まず本文です。

 

【12】〈 (イ)貨幣商品の使用価値は二重化する。 (ロ)貨幣商品は、たとえば金が虫歯の充填(ジュウテン)、奢侈品(シャシヒン)の原材料などに役立つというような、商品としてのその特殊な使用価値のほかに、その独特な社会的機能から生じる一つの形式的な使用価値を受け取る。〉

 

  (イ)、(ロ) こうして貨幣になる商品である貴金属の使用価値は二重化します。というのは、貴金属は、例えば金が虫歯の充填に役立ったり、奢侈品の原材料に役立つというような、商品としてのその本来の特殊な使用価値の他に、貨幣としての独特な社会的機能からくる一つの形態的な使用価値を受け取るからです。

 

  学習会では、JJ富村さんがレポートを担当し、簡単なレジュメを用意してくれました。そのレジュメではこの12パラグラフは、次の13パラグラフと一緒になって一まとめに報告するという形になっていました。それに対して亀仙人は疑問を呈し、そもそもこの第12パラグラフはどういう位置に(あるいは課題が)あるのかが問題になりました。というのは、この12パラはその前の11パラを直接受けたもののように思えるからです。

 

  先の第10パラグラフまでで、商品の交換過程の発展を跡づけて、それが貨幣を生み出すことが論証されました。そして最終的に貨幣が貴金属に固着するわけですが、どうして貨幣が貴金属に最終的に固着するのかについては、貴金属の自然属性が貨幣としての社会的機能を果たす上でもっとも適しているからだ、ということも第11パラで指摘されたのでした。

 

  今回のパラグラフ(第12)は、そうした貴金属が貨幣の社会的機能を果たす上でもっとも適した材質を持っているという先のパラグラフの指摘を受けて、だから貨幣になる商品の使用価値は二重化すると受けているわけです。マルクスは使用価値について、次のように述べていました。

 

  〈鉄、紙などいっさいの有用物は、・・・・どれも、多くの属性からなる一つの全体であり、したがって、さまざまな面で有用でありえる。・・・・ある物の有用性は、そのものを使用価値にする。〉(全集23a48頁)

 

  諸物のさまざまな諸属性が人間にとって有用である場合、その諸物は使用価値なわけです。貴金属は、古代から装飾に使われてきましたが、必ずしも生産手段としての役立ちはありませんでした。せいぜいその耐久性を利用して虫歯の充填に利用されたり、食器類等に使われたに過ぎません。しかし、貴金属は同時にその諸属性が貨幣としての社会的機能を果たす上で、最も適したものでもあったわけです。

 

  前回紹介した『経済学批判』では、その属性は次のようなものでした。①質的に均一で純粋に量的区別を表す。②任意の諸部分に細分でき、また合成できる。③比重が大きく、小さな容量のうちに大きな価値をもち、運搬・移転が容易である。④耐久性があり、容易に酸等に溶解しない。⑤希少であり、生産用具としての役立ちが少ない。⑥装飾的な美しさがある、等々。

 

  こうした諸属性が社会的機能を果たすのに適し、貨幣としての社会的に必要な有用な効果をもたらすわけですから、これも貴金属の別の意味での使用価値であると言えます。マルクスはこうしたものを、社会的機能から生じる使用価値であるということから、これを形態的使用価値と規定しているわけです。こうした意味で貨幣商品(貴金属)の使用価値は通常の貴金属の属性が有用効果をもたらす使用価値(虫歯の充填等)とその属性が社会的機能(貨幣としての機能)を果たす上でもっとも適切であるという使用価値に、二重化するというわけです。

 

◎第13パラグラフ

 

  次は第13パラグラフです。

 

【13】〈 (イ)他のすべての商品は貨幣の特別な等価にほかならず、貨幣はこれらの商品の一般的等価であるから、これらの商品は、一般的商品としての貨幣(44)に対して特別な商品としてふるまう。〉

 

  (イ) 貨幣は他の諸商品の価値を表す一般的等価物です。それに対して、貨幣自身の価値は、それによって表される諸商品の列によって表されます。そしてこれらの諸商品は、だから貨幣に対して特殊な等価物となるわけです。こうしたことから、一般的商品である貨幣に対して、他の諸商品は特殊な商品として位置づけられることになります。

 

  貨幣が〈一般的商品〉であるということはどういうことでしょうか。商品が商品であるということは、それが価値を持つということです。だから一般的商品とは、価値の絶対的な存在だということです。

 

  第3章では〈支払手段は流通にはいってくるが、しかし、それは商品がすでに流通から出て行ってからのことである。貨幣はもはや過程を媒介しない。貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、過程を独立に閉じる〉(23a178頁)という一文が出てきますが、〈交換価値の絶対的定在〉を言いかえて〈一般的商品〉という言葉が使われています。

 

  それに対して、それ以外の諸商品は特殊な商品として振る舞うわけです。それらは直接にはそれぞれの使用価値(特殊な使用価値)として存在しており、そのままでは〈交換価値の絶対的定在〉たりえません。だからそうなるためには、まずは交換によって貨幣にならなければならない存在なわけです。だから貨幣が一般的商品になることによって、他の諸商品は特殊な諸商品として位置づけられるというわけです。

 

  ところで、このパラグラフは貨幣=一般的商品、それ以外の諸商品=特殊な商品という関係を論じたものですが、果たして、これが如何なる意味があるのか、それまでの展開とどのように関連しているのかがいま一つよく分かりません。学習会でもそれが問題になりましたが、結局、ハッキリした結論は出ず、宿題になりました。

 

  しかし、よく考えてみると、このパラグラフも先のパラグラフを直接受けたものと考えることが出来るように思えます(その意味では、JJ富村さんのレジュメがこの二つのパラグラフを一まとめに論じていたことそのものが問題であったとは言えないかも知れません)。というのは、貨幣が一般的商品であるというのは、貨幣の形態的使用価値から直接出てくるものだからです。他の諸商品が特殊的商品というのは、他の諸商品の直接的定在は、それらの特殊な使用価値であり、それぞれの物的定在だからです。貨幣商品も、もちろんその直接的定在は一つの特殊な使用価値ですが、しかし貨幣商品の使用価値は二重化し、他の諸商品と同じように特殊的な物的定在でありながら、同時にその形態的使用価値によって、その直接的定在そのものが価値の絶対的定在でもあるという社会的機能を果たす存在でもあるわけです。だから貨幣商品の使用価値はまさに価値そのものを表す存在として一般的商品たりうるわけです。だからこのパラグラフはやはりその前のパラグラフを直接受けたものとして捉えるべきでしょう。

 

  因みに、〈一般的商品〉という用語がどのように使われているのか、少し他の文献から紹介しておきましょう(下線はマルクスよる強調、赤字は引用者)。

 

  〈貨幣の諸性質、(1)商品交換の尺度としての、(2)交換手段としての、(3)諸商品の代表物としての(したがって契約の対象としての)、(4)特殊な諸商品とならぶ一般的商品としての。--これらはすべて、諸商品それ自身から切りはなされた、対象化された交換価値という貨幣の規定から単純に出てくる。(すべての他の商品にたいする一般的商品としての貨幣の性質、商品の交換価値の化身としての貨幣の性質は、同時に、貨幣を資本の実現された形態であるとともに、いつでも実現できる形態にする。つまり、いつでも通用する資本の現象形態にする。 〉(『経済学批判要綱』草稿集①120頁)

 

  〈第四。すなわち、交換価値は、すべての特殊的商品とならんで、一般的商品として貨幣のかたちで現われるが、それと同様に、そのことによって同時に交換価値は、すべての他の商品とならんで特殊的商品として貨幣のかたちで(というのは、貨幣は一つの特殊的存在をもつから)現われる。〉(同126頁)

 

  〈交換過程では、すぺての商品は、商品一般としての、商品そのものとしての、特殊な一使用価値における一般的労働時間の定在としての排他的商品に関係する。だから諸商品は、特殊な諸商品として、一般的商品としての特殊な一商品に対立して関係する。〉(『経済学批判』全集13巻33頁)

 

  〈ただここで注意しておきたいのは、W―G―Wでは両極のWは、Gにたいして同一の形態関係に立っていない、ということである。第一のWは、特殊的商品として一般的商品としての貨幣に関係するのに、一般的商品としての貨幣は、個別的商品としての第二のWに関係する。〉(同76頁)

 

  〈鋳貨のたえまない流通の条件は、鋳貨の大なり小なりの部分がたえず停滞して、鋳貨準備金――流通内部でいたるところに発生するとともに、この流通を制約するところの――となることであって、この準備金の形成、配分、解消、再形成はつねに交替し、その定在はたえず消滅し、その消滅はたえず定在する。アダム・スミスは、鋳貨の貨幣への、貨幣の鋳貨へのこの間断ない転化を次のように表現している。すなわち、どの商品所有者も、彼の売る特殊な商品とならんで、彼が買うための手段である一定額の一般的商品をつねに貯えておかなければならない、と。〉(同105頁)

 

  〈一般的支払手段としては、貨幣は契約の一般的商品となる。〉(同122頁)


  〈*〕 べーリ、前掲書、三ページ。「貨幣は契約の一般的商品である。すなわち、将来履行されるべき大多数の財産契約を結ぶのに用いられるものである。」〉(同)

 

  〈金と銀は貨幣としては、その概念上一般的商品であるが、それらは世界貨幣で普遍的商品というそれに適応した存在形態を得る。〉(同129頁)

 

  〈流通の目的としての貨幣は、生産を規定する目的および推進する動機としての交換価値または抽象的富であって、富のなんらかの素材的要素ではない。ブルジョア的生産の前段階にふさわしく、あの真価を認められない予言者たちは、交換価値の純粋な、手でつかむことのできる、光り輝く形態を、すべての特殊な商品に対立する一般的商品としての交換価値の形態を、しっかりとらえたのである。〉(同135頁)

 

◎注44

 

  第13パラグラフには注がついていますが、一応、それも紹介だけしておきます。

 

【注】〈(44) 「貨幣は一般的商品である」(ヴェッリ『経済学に関する諸考察』、〔前出叢書〕一六ページ)。〉

 

  マルクスはこのヴェッリ著『経済学に関する諸考察』から『資本論』の幾つかの注で引用していますが、全集版の人名索引にはヴェリについて次のような説明があります。

 

  〈ヴェリ,ピエトロ Verri,Pietro(1728-1797)イタリアの経済学者,重農学派の学説を批判した最初のひとり。57,58,104,147,349〉

 

◎第14パラグラフ

 

【14】〈 (イ)すでに見たように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関係の反射が、一つの商品に固着したものにほかならない。 (ロ)したがって、貨幣は商品である(45)ということは、貨幣の完成した姿態から出発して後から分析する者にとっての一つの発見であるにすぎない。 (ハ)交換過程は、それが貨幣に転化させる商品に、その価値を与えるのではなくて、その独特な価値形態を与えるのである。 (ニ)この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考えを生み出した(46)。 (ホ)貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤りが生じた。 (ヘ)他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態にすぎないという予感があったのである。 (ト)この意味では、どの商品も一つの章標であろう。 (チ)なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)。 (リ)しかし、一定の生産様式の基礎上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するならば、そのことによって同時に、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明することになる。 (ヌ)これこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸関係の謎のような姿態から少なくともさしあたり奇異の外観をはぎ取ろうとして、一八世紀に好んで用いられた啓蒙主義の手法であった。〉

 

  (イ) すでに見ましたように、貨幣形態は、他のあらゆる商品の諸関係が反射して、一つの商品に固着したものにほかなりません。

 

  〈すでに見たように〉とありますが、第7パラグラフには、次のようにありました。

 

  〈貨幣結晶は、種類の違う労働生産物が実際に互いに等置され、したがって実際に商品に転化される交換過程の、必然的な産物である。交換の歴史的な広がりと深まりとは、商品の本性のうちに眠っている使用価値と価値との対立を展開する。この対立を交易のために外的に表わそうという欲求は、商品価値の独立形態に向かって進み、商品と貨幣とへの商品の二重化によって最終的にこの形態に到達するまでは、少しも休もうとしない。それゆえ、労働生産物の商品への転化が実現されるのと同じ程度で、商品の貨幣への転化が実現されるのである。

 

  しかし〈すでに見たように〉というのは、〈これまで展開されてきたように〉という含意であり、この第7パラグラフだけを指すのではないかも知れません。

 

  (ロ) だから、貨幣が商品であるということは、貨幣の完成した姿から出発して後から分析する者にとっては、一つの発見ですが、しかしそれだけに過ぎません。

 

  ここでは〈一つの発見であるにすぎない〉とありますが、〈すぎない〉というのは、貨幣が商品であることを発見しても、貨幣の何たるかを解明するには決定的に不十分であり、貨幣が商品であることを発見した古典派経済学も、しかし、依然として貨幣の物神崇拝に囚われていたのだという含みがあると思います。そしてそれがそれ以下の文節に繋がっているわけです。

 

  (ハ) 交換過程は、貨幣に転化させた商品に、その価値を与えるのではなくて、その独特な価値形態を与えるのです。

 

  現象に囚われている経済学者は、貨幣の価値は流通から与えられると考えるわけです。これは別に古典派経済学者たちだけではなく、現在の経済学者のなかにもこうした考えがどんなに多いことでしょうか。古典派経済学は価値形態の重要性を見なかったのですが、それには深いわけがあるのだと、マルクスは第1章の原注32で次のように述べていました。

 

  〈古典派経済学の根本的欠陥の一つは、それが、商品の分析、ことに商品価値の分析から、価値をまさに交換価値にする価値の形態を見つけだすことに成功しなかったことである。A・スミスやリカードのようなその最良の代表者においてさえ、古典派経済学は、価値形態を、まったくどうでもよいものとして、あるいは商品そのものの性質にとって外的なものとして、取りあつかっている。その原因は、価値の大きさの分析にすっかり注意を奪われていたというだけではない。それはもっと深いところにある。労働生産物の価値形態は、ブルジョア的生産様式の最も抽象的な、しかしまた最も一般的な形態であり、ブルジョア的生産様式はこの形態によって一つの特別な種類の社会的生産として、したがってまた同時に歴史的なものとして、性格づけられている。だから、人がこの生産様式を社会的生産の永遠の自然的形態と見誤るならば、人は必然的に、価値形態の特殊性を、したがって商品形態の、すすんでは貨幣形態、資本形態等々の特殊性を見落とすことになるのである。だから、労働時間による価値の大きさの測定についてはまったく一致している経済学者たちのあいだに、貨幣、すなわち一般的等価の完成した姿態、については、きわめて種々雑多なまったく矛盾した諸見解が見られるのである。〉(全集23a108頁)

 

  (ニ) この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考え方を生み出しました。

 

  〈この二つの規定〉というのは、いうまでもなく〈価値〉と〈価値形態〉ということでしょう。『経済学批判』では、次のように書かれています。

 

  〈金銀がそれ自身の価値をもつとすれば、流通の他のすべての法則を度外視しても、ただ一定量の金銀だけが諸商品のあたえられた価値総額にたいする等価物として流通できるということは、明らかである。だからどれだけであろうと、たまたま一国内に存在する金銀の量が、商品価値の総額にかかわりなく、流通手段として商品交換にはいりこまなければならないとすれば、金銀はなんら内在的価値をもたず、したがって実際には現実的な商品ではない。これがヒュームの第三の「必然的帰結」である。彼は、価格をもたない商品と価値をもたない金銀とを流通過程にはいりこませる。だから彼はまた、商品の価値と金の価値とについては全然論じないで、ただそれらの相関的な量についてだけ論じるのである。すでにロックが、金銀はただ想像上のまたは慣習上の価値をもつにすぎないと言ったが、これは、金銀だけが真の価値をもつという重金主義の主張にたいする反対論の最初の粗野な形態である。金銀の貨幣定在は、ただ社会的交換過程におけるそれらの機能からだけ発生するということが、金銀はそれ自身の価値、したがってそれらの価値の大きさを社会的な機能のおかげでもっている、というように解釈されるのである。だから金銀は価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る。金銀は、この過程によって貨幣に転化されるのではなくて、価値に転化される。金銀のこの価値は、それ自身の量と商品量とのあいだの比率によって規定される。なぜならば、両者の量は互いに一致しなければならないからである。だからヒュームは、金銀を非商品として商品の世界にはいりこませておきながら、それらが鋳貨という形態規定性で現われると、逆にそれらを単純な交換取引〔物々交換〕によって他の商品と交換されるただの商品に転化させてしまうのである。〉(全集13巻139-140頁)

 

  ここで〈金銀の貨幣定在は、ただ社会的交換過程におけるそれらの機能からだけ発生するということが、金銀はそれ自身の価値、したがってそれらの価値の大きさを社会的な機能のおかげでもっている、というように解釈される〉というのが、その前の文節(ハ)で述べていることと同じだと思います。だから〈交換過程は、それが貨幣に転化させる商品に、・・・・その独特な価値形態を与える〉という場合の〈その独特な価値形態〉とは、〈金銀の貨幣定在〉のことです。金銀が貨幣になるのは、社会的な交換過程においてそうした機能を果たすことから生じるのに、それが金銀自身の価値を、そうした社会的な機能のおかげで持っているのだというように解釈されるわけです。金銀の価値というのは、金銀が貨幣だから、貨幣としての機能を果たすことから生まれている、貨幣としての機能によって与えられている、と理解することでしょうか。

 

  そしてそこから〈金銀は価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る〉という解釈が生まれ、金銀の価値というのは想像的なものだとみなす考え方が出てきたというわけです。それは上記の『批判』によれば、ロックやヒュームによって主張されたと指摘されています。

 

  (ホ) 貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標に置き換えられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤りが生まれました。

 

  ここに出てくる貨幣の〈一定の諸機能〉というのは、いうまでもなく第3章に出てくる、「流通手段としての機能」あるいは「鋳貨としての機能」だと思います。少し先回りしますが、どうして流通手段としての貨幣の機能が章標への置き換えを可能にするのかを論じている部分を紹介しておきましょう。

 

  〈最後に問題になるのは、なぜ金はそれ自身の単なる無価値な章標によって代理されることができるのか? ということである。しかし、すでに見たように、金がそのように代理されることができるのは、それがただ鋳貨または流通手段としてのみ機能するものとして孤立化または独立化されるかぎりでのことである。ところで、この機能の独立化は、摩滅した金貨がひきつづき流通するということのうちに現われるとはいえ、たしかにそれは一つ一つの金鋳貨について行なわれるのではない。金貨が単なる鋳貨または流通手段であるのは、ただ、それが現実に流通しているあいだだけのことである。しかし、一つ一つの金鋳貨にはあてはまらないことが、紙幣によって代理されることができる最小量の金にはあてはまるのである。この最小量の金は、つねに流通部面に住んでいて、ひきつづき流通手段として機能し、したがってただこの機能の担い手としてのみ存在する。だから、その運動は、ただ商品変態W―G―Wの相対する諸過程の継続的な相互変換を表わしているだけであり、これらの過程では商品にたいしてその価値姿態が相対したかと思えばそれはまたすぐに消えてしまうのである。商品の交換価値の独立的表示は、ここではただ瞬間的な契機でしかない。それは、またすぐに他の商品にとって代わられる。それだから、貨幣を絶えず一つの手から別の手に遠ざけて行く過程では、貨幣の単に象徴的な存在でも十分なのである。いわば、貨幣の機能的定在が貨幣の物質的定在を吸収するのである。商品価格の瞬間的に客体化された反射としては、貨幣はただそれ自身の章標として機能するだけであり、したがってまた章標によって代理されることができるのである。〉(全集23a168頁)

 

  ところで、ここでは(では)マルクスは貨幣の価値を想像的なものと考える誤りと、貨幣を単なる章標であるとする誤りを区別して、それらが貨幣の違った社会的機能から生じてくることを論じています。最初の誤りは交換過程が金銀の価値ではなく、価値形態(=貨幣形態)を与えるのだということを理解せず、貨幣の価値は流通そのものから生じる想像的なものとする誤りであり、もう一つの誤りは貨幣の一つの機能である流通手段としての機能から生じるもので、貨幣は単なる章標だという理解です。

 

  この貨幣についての二つの間違った理解は、しかし決して過去の古い考えというようなものではなく、今日においても、まさに一般的に生じていることなのです。

 

  いわゆる「金廃貨論」というのがありますが、金はすでに貨幣ではない、という主張です。ということは、現在、貨幣、あるいは通貨として通用しているものは、単に流通から与えられた機能を果たしているだけのものだ、ということになるわけです。例えば次のように言われています。

 

   〈今では貨幣は、ただ「通貨」として、流通過程における機能的な存在としてのみ現れる。〉)『変容し解体する資本主義』12頁)

 

  つまり現在の通貨は、〈価値のないものであるが、しかし流通過程の内部では諸商品の代理者として一つの擬制的な価値の大きさを得る〉(前掲『批判』)ので、そのことによって貨幣としての機能を果たしているだけなのだ、という理解です。

 

  金はすでに貨幣ではない。金との繋がりは何もない円やドル、ユーロ等の銀行券は、〈それ自体としては内在的な価値を持たず、単なる紙っぺらである〉(同前)。ただ流通からその貨幣としての機能を与えられて、通貨として通用しているだけなのだというのです。最近もある新聞で、〈現代資本主義は「通貨」も・・・・確かな根拠を持たず――というのは、貨幣は内在価値を有せず、近似紙幣に堕し、いくらでも減価する〉云々という一文を読みました(『海つばめ』1178号)。これはつまりマルクスが指摘している二番目の誤った理解に立っているわけです。すなわち〈貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるという・・・・誤り〉です。現在の通貨は金との関連がないので、もはや金(貨幣)を代理しているとはいえない、だから現在においては、貨幣そのものが単なる章標になってしまったのだ、という考えが、こうした理解の根底にあるように思えます。

 

  確かに現代の「通貨」、すなわち「日本銀行券」は金との繋がりがまったくないように見えます。しかしそれは本当でしょうか。確かに現在の日銀券は不換券です。それを日本銀行に持って行っても金と交換してくれるわけではありません。だから1万円札がどれだけの金を代理しているのか分からないというかも知れません。しかし、もし現在の1万円札がどれだけの金を代理しているのかを知りたいなら、その1万円札で金を購入すればたちどころに分かります。金何グラム買えるかが分かれば、それが1万円札が代理している金の大きさであり、その目に見える形で表された価値とその大きさそのものなのです。

 

  金の購入は、一見すると他の商品の購入と何一つ変わらないように見えます。しかし、そうではないのです。貴方がリンゴを買う場合、それはリンゴを食うためです。つまり消費するためです。しかし金を買っても、金を消費するわけではなく、せいぜい、眺めて一人ほくそ笑むか、金庫に保管しておくだけでしょう。つまり貴方が金を購入するのは、決して、リンゴを買うのと同じではないのです(後者は社会的な物質代謝の一環ですが、前者はそうではない)。金を購入するということは、流通貨幣を蓄蔵貨幣に転換しているのです。代理物をその代理している当のものに戻しているのです。つまり価値の絶対的定在である金に置き換えているのです。

 

  世界中の国々はその中央銀行の金庫に金塊を保管しています。何のためにでしょうか。世界の先進国が石油やレアメタルを備蓄しているように、金も同じように備蓄しているだけなのでしょうか。決してそうではありません。石油やレアメタルは将来の消費に備えて、在庫として備蓄しているのです。しかし金は決してそうした意味での将来の消費が目的ではありません。それは価値の絶対的定在として、国家の信用の最後の軸点として保管されているのです。だから金が貨幣でないとか“廃貨”されたなどというのは、まったく現実を見誤った主張に過ぎません。

 

  現在の通貨が直接には、あるいは制度的に、金との繋がりがないということは現在の通貨が金を代理していない、あるいは代理することをやめたことにはならないし、そもそも金を代理せずして、貨幣として、あるいは通貨として通用するというようなことは決してないのです。これは貨幣のなんたるかを知れば、明らかなことです。にも拘らず『資本論』を専門的に研究している学者のなかにも、多くの金廃貨論者が存在している現実は、一体どうしたことでしょうか。如何に彼らが『資本論』をただ表面的にしか理解しておらず、金が現実に貨幣として流通していないという、目の前の現象に囚われてしまっているかが分かるのです。しかし流通していないから貨幣ではない、などという理解は、同じような現象に囚われて蓄蔵貨幣を理解できなかった古典派経済学のレベルに後戻りすることです。実際には、多くの金が蓄蔵貨幣としてさまざまなところで保管されているのです。こうした現実を彼らは見ることができないのです。

 

  (ヘ) 他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態は、その物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態に過ぎないという予感があったのです。

 

  ここでは〈この誤りのうちには〉となっており、その直前の貨幣は単なる章標だとする誤りだけを指すように捉えられます。しかし文脈からするなら、やはりマルクスが指摘している二つの誤りを指すと考えるべきではないでしょうか。

 

  金銀の光り輝く物的姿が価値そのものとして、大きな社会的な力を持つのは、人間の社会的な諸関係が金銀の物的姿をとって現れているからにほかなりません。だからこうした誤った貨幣論にもそうした予感があったのだとマルクスは指摘しているわけです。しかし、マルクスの『資本論』によって、貨幣の謎も解明されたのに、尚且つ、そうした誤った貨幣論に立っている人たちに対しては、こうした指摘は当てはまらないのではないでしょうか。

 

  (ト)、(チ) この意味では、どの商品も一つの章標でしょう。というのは、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮に過ぎないからです。

 

  貨幣形態がその背後に隠されている人間諸関係の現象形態に過ぎないとするなら、当然、どの商品も価値としては、同じことがいえるわけです。

 

  (リ) しかし、一定の生産様式の基礎の上で、諸物が受け取る社会的諸性格、あるいは労働の社会的諸規定が受け取る物的諸性格を、単なる章標として説明するのでしたら、それは結局、それらの性格を人間の恣意的な反省の産物として説明するのと同じです。

 

  ここで〈一定の生産様式の基礎上で〉とあるのは、当然、資本主義的生産様式の基礎上でという意味だろうと思いますが、学習会ではどうして、ここでは〈一定の生産様式〉というように一般的な形で述べているのだろうか、という疑問が出されました。しかし、必ずしも十分な説明もなく、また質問者もあまり拘らなかったので、それ以上、議論は発展しませんでした。
 
  ここでは物象的な属性は、確かに労働の社会的諸性格が物の社会的属性として現れているものですが、しかし、それを単なる章標(シンボル)として説明するとするなら、結局は、そうした物の属性をただ人間が恣意的に造り上げたものと説明することに通じてしまうということだと思います。

 

  フランス語版では、このパラグラフそのものは二つに分けられて、だから〈(ヘ)他面、この誤りのうちには〉以下の部分は別のパラグラフになっています。そしてその間に(すなわち、その前のパラグラフの後に)、注(1)(注45と同じ)が挿入されています。今問題になっている(リ)に該当する部分は次のようになっています。

 

  〈ところが、特殊な生産様式の基礎の上で物が帯びる社会的性格、あるいは労働の社会的規定が帯びる物的性格のうちに、単なる表章しか見なくなるやいなや、この性格は、いわゆる人間の普遍的な合意によって承認された慣習的な擬制という意味を与えられる。〉(江夏他訳68頁)

 

  (ヌ) そしてこれこそは、その成立過程がまだ解明されえなかった人間的諸関係の謎のような姿から、少なくともさしあたりのその奇異な外観を取り除こうとして、18世紀に好んで用いられた啓蒙主義の手法であったわけです。

 

  しかし物象的関係を、ただ人間の作為的な産物であるかに説明して事足れり、とする手法は、18世紀に好んで用いられた啓蒙主義者のやり方だというわけです。

 

  この部分もフランス語版を紹介しておきましょう。

 

  〈これこそが一八世紀に流行した説明のやり方であった。人は、社会的関係で装われた謎めいた形態の起源も発展もまだ解読できないので、この謎めいた形態は人間の考え出したものであり、天から降ったものではない、と宣言することによって、この謎めいた形態を厄介払いしたわけである。〉(同上)

 

  さて、このパラグラフからは貨幣物神に囚われた経済学者たちの主張が批判的に取り上げられており、それまでの展開とは明らかに対象が違っています。そしてこのパラグラフは〈すでに見たように〉という一文から始まっていますが、次の第15パラグラフも〈先に指摘したように〉という一文から始まっており、最後の第16パラグラフも〈われわれが見たように〉という文言から始まっています。つまりこれらの三つのパラグラフは、共通して、これまで述べてきたことを踏まえた展開になっているわけです。こうしたことから、恐らく、このパラグラフから以下最後までは、この第2章そのものを締めくくる位置にあるのではないかと考えられます。

 

◎三つの注

 

  この第14パラグラフには、三つの比較的長い注がついています。それぞれについても、本文を紹介して、簡単に検討しておきましょう。

 

【注45】〈(45) 「われわれが貴金属という一般的名称で呼ぶことのできる銀や金そのものは・・・・価値が・・・・上がったり下がったりする・・・・商品である。・・・・そこで、そのより小さい重量でもってその国の生産物または製造品のより大きい量が買われるのならば、貴金属の価値は高くなったものとみなされる」(〔S・クレマント〕『相互関係にある貨幣、商業、および為替の一般的観念に関する一考察。一商人著』、ロンドン、一六九五年、七ページ)。「銀や金は、鋳造されていてもいなくても、他のすべての物の尺度として用いられるけれども、ワイン、油、タバコ、布や織物と同じく一つの商品である」(〔J・チャイルド〕『商業、ことに東インド貿易に関する考察』、ロンドン、一六八九年、二ページ)。「厳密に言えば、王国の資産と富を貨幣に限定するのは適切でないし、金や銀を商品ではないとすべきではない」(〔Th・パピロン〕『東インド貿易は最も有利な貿易である』、ロンドン、一六七七年、四ページ)。〉

 

  この注は〈貨幣は商品である(45)ことを発見した幾つかの主張を紹介したものですが、最初の〈S・クレマント〉からの引用だと貨幣商品の価値やその大きさは、他の諸商品によって表されることもすでに指摘されていたことが分かります。


【注46】〈(46) 「金銀は、それが貨幣である前に、金属として価値をもっている」(ガリアーニ、前出〔七二ページ〕)。ロックは言う。「人々の一般的合意は、銀を貨幣として適切にさせたその性質のゆえに、銀に想像的な価値を与えた」〔ジョン・ロック『利子引き下げおよび・・・・その結果の若干の考察』、一六九一年、所収、『著作集』、一七七七年版、第二巻、一五ページ。田中・竹本訳『利子・貨幣論』、東京大学出版会、三一ページ〕。これに対してローは言う。「どのようにしてさまざまな国民は何らかの物に想像的な価値を与えることができようか?・・・・あるいは、どのようにしてこの想像的な価値は維持されうるだろうか?」と。もっとも、彼自身いかにわずかしか問題を理解していなかったかは、次の通りである。「銀は、それがもっていた使用価値に従って、それゆえその現実的価値に従って交換された。銀は、貨幣としてのその規定を通して追加価値(une valeur additionelle)を受け取った」(ジョン・ロー『貨幣と交易に関する考察』〔エディンバラ、一七〇五年〕、所収、E・デール編『一八世紀の財政経済学者たち』〔パリ、一八四三年〕、四六九、四七〇ページ〔吉田啓一訳『貨幣と商業』、所収『ジョン・ローの研究』、泉文堂、二〇九、二一〇ページ〕)。〉

 

  この注は〈この二つの規定の混同は、金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考えを生み出した(46)に付けられたものであり、当然、〈二つの規定(価値と価値形態--引用者)の混同〉によって〈金銀の価値を想像的なものとみなす誤った考え〉に陥っている一例が紹介されているものと考えられます。しかし、この注そのものは、それほど単純なものではないように思えます。

 

  まず最初の〈ガリアーニ〉からの引用文を見ると、〈「金銀は、それが貨幣である前に、金属として価値をもっている」〉となっており、むしろ反対に金銀の価値を想像的なものと見なすような主張とは正反対のもののように思えます。これはどうしたことでしょうか、学習会では、そもそもこのガリアーニの引用文は、何のためになされているのかが問題になりました。

 

  そのあとのロックの主張は、明らかに金銀の価値を想像的なものと見なす主張として紹介されていることは明らかでしょう。

 

  ではそのあとに紹介されているローの主張はどうでしょうか。ローの主張は、ロックの主張を批判しているものの、ローも、しかし如何にわずかしか問題を理解していなかったかということの一例として紹介されているように思えます。とすると、最初のガリアーニの主張は、むしろ問題を正確に理解している一例として紹介していると考えた方がよいように思えます。

 

  そこでこの三人を全集版の人名索引で調べてみると、次のようになっています。

 

  〈ガリアーニ,フェルディナンド Galiani,Ferdinando(1728-1787)イタリアの経済学者,重農学派の敵,商品の価値は商品の効用によって規定されるという見解を主張したが,同時に商品や貨幣の本質について二,三の適切な推測を述べた.〉

 

  〈ロツク,ジョン Locke,John(1632-1704)イギリスの哲学者,感覚論者,経済学者.「彼は,あらゆる形態の新興ブルジョアジーを代表していた.労働者階級と貧民とにたいしては産業家を,時代おくれの高利貸にたいしては商業家を,国家の債務者にたいしては金融貴族を,そして独自の一著においてはブルジョア的悟性が人間の正常的な悟性であることさえ証明した」(マルクス).〉

 

  〈ロー,ジョン・オヴ・ローリストン Law,John of Lauriston(1671-1729)イギリスの経済学者,財政家,フランスの財務総監(1719-1720年).彼が有名なのは,紙幣発行による投機が,1720年に破綻をきたし,フランスの経済全体が被害をうけたことによってであった.〉

 

  これを見ると、年代的にはガリアーニがもっとも後世の人であり、ロックがもっとも最初の古い学者であり、その次がローという順序になっています。だから金銀の価値を想像的なものと見なしたのはロックであるが、しかし、それを批判したローも、問題をほとんど理解していなかったこと、しかし、その後のガリアーニになって、ようやく問題が正確に捉えられたというような形になったというのでしょうか。果たして、そうしたことを説明する意図がこの注にはあるのかどうか、ハッキリしたことは分かりません。

 

【注47】〈(47) 「貨幣は、それらの」(諸商品の)「章標である」(V・ド・フォルボネ『商業に関する基本原理』、新版、ライデン、一七六六年、第二巻、一四三ページ)。「章標としてそれは諸商品に引きつけられる」(同前、一五五ページ)。「貨幣は物の章標であり、それを代表する」(モンテスキュー『法の精神』、著作集、第二巻、ロンドン、一七六七年、三ページ〔根岸国孝訳、『世界の大思想』16、河出書房新社、三二一ページ〕)。「貨幣は単なる章標ではない。なぜなら、それ自身が富だからである。それは価値を代理するのではない。それは価値の等価物なのである」(ル・トローヌ『社会的利益について』、九一〇ページ)。「価値の概念が考察される時には、物そのものは章標としてのみ見られ、それ自身としてではなく、それが値するところのものとして通用する」(ヘーゲル『法の哲学』、一〇〇ページ〔藤野・赤沢訳『世界の名著』35、中央公論社、二六二ページ〕)。経済学者たちよりずっとまえに、法学者たちは、王様に媚びへつらって、貨幣は単なる章標であり、貴金属の価値はひとえに想像的なものだという考え方を振りかざし、王の鋳貨変造権を、中世全体を通して、ローマ帝国の伝統とパンデクテン〔ローマ法典〕の貨幣概念に基づいて支持した。彼らののみ込みのよい弟子であるヴァロワのフィリップ〔ヴァロワ朝を創設したフランスのフィリップ六世〕は、一三四六年の勅令の中で次のように言っている。「貨幣鋳造の業務、すなわち製造、形状、発行高、および鋳貨をわが意のままに、意のままの価格で流通させるための鋳貨にかかわるすべての法令が・・・・ひとりわれおよびわが王位のみに属するということは、だれも疑いえず、また疑うべからざることである」。皇帝が貨幣価値を法令で定めるということは、ローマの法的教義であった。貨幣を商品として取りあつかうことは明文で禁止されていた。「しかし、貨幣を買うことは、だれにも許されるべきことではない。なぜなら、貨幣は、一般的使用のためにつくられたのであって、商品であってはならないからである」。この点についてよく説明しているのは、G・F・パンニーニ『諸物の公正な価格に関する試論』、一七五一年、所収、クストーディ編、近代篇、第二巻である。ことに、この著述の第二篇において、パンニーニは法学者諸君に論争をしかけている。〉

 

  この注は〈なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)〉という文節に付けられたものですが、しかし注の内容を見ると、(ホ)から(チ)までの四つの文節全体につけられた注であるように思えます。しかし、その内容を考える前に、まずここで紹介されている人物を人名索引で調べてみることにしましょう。

 

  〈フォルボネ,フランソア・ヴェロン・デュヴェルジェ・ド Forbonnais,Frangois・Veron・Duverger de(1722-1800)フランスの経済学者,貨幣数量説の支持者.〉

 

  〈モンテスキユー,シャルル・ド・スゴンダ,バロン・ド・ラ・ブレド・エ・ド Montesquieu,Charles de Secondat,baron de La Bredeetde(1689-1755)フランスの社会学者,経済学者,著作家,18世紀のブルジョア的啓蒙主義の代表者.立憲君主制および三権分立の理論家.貨幣数量説を主張.〉

 

  〈ル・トローヌ,ギヨームーフラソソア Le Trosne,Guillaume・Frangois(1728-1780)フランスの経済学者,重農主義者.〉

 

  〈へ一ゲル,ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ Hege1,Georg Wi1helm Friedrich(1770-1831)ドイツ古典哲学(客観的観念論)の最も著名な代表者.ドイツ古典哲学は,ヘーゲル体系において頂点に達し,「この体系においてはじめて--そしてこれがその偉大な功績なのだ--全自然的,歴史的および精神的世界が一つの過程として,すなわち絶えざる運動,変化,変革および発展として把握されて叙述され,そしてこの運動と肇展とにおける内的関連を明らかにしようという試みがなされたのである」(エンゲルス).〉

 

  〈フィリップ6世,ヴァロア家の Philippe VI.de Valois(1293-1350)フランス国王(在位1328-1350年).〉

 〈パニーニ,ジョヴァンニ・フランチェスコ Pagnini,Giovanni Francesco(1715-1789)イタリアの経済学者,貨幣に関する著作の筆者.〉

 

  まず気づくのは、フォルボネとモンテスキユーの主張は、明らかに〈貨幣が、一定の諸機能において、それ自身の単なる章標によって置きかえられうるところから、貨幣は単なる章標であるというもう一つの誤り〉に該当します。しかしル・トローヌの主張していることは、必ずしも同じではありません。そればかりか彼は〈貨幣は単なる章標ではない〉とさえ述べているわけですから。〈それ自身が富だ〉という主張や〈それは価値の等価物〉(初版やフランス語版では〈それは価値と等価である〉となっています)といった主張を見ると、むしろ貨幣について正しい主張のように思えます。それに対して、ヘーゲルの主張は〈他面、この誤りのうちには、物の貨幣形態はその物自身にとって外的なものであり、その背後に隠されている人間の諸関係の単なる現象形態にすぎないという予感があったのである。この意味では、どの商品も一つの章標であろう。なぜなら、どの商品も、価値としては、それに支出された人間労働の物的外皮にすぎないからである(47)。〉という一文を正確に言い当てているように思えます。ところが不思議なことに、フランス語版では、このヘーゲルの『法哲学』からの引用文は削除されているのです。この意図もいま一つ不明です。

 

  そしてその後に続く一文は、中世ではローマ帝国の伝統にもとづいて、貨幣が単なる標章であり、貨幣の価値を決めるのは王の特権の一つてあるかに主張されてきたことが紹介されています。しかし、この中世やローマ法の教義の説明部分は、果たして本文のどの部分に対する注と考えられるのかがいま一つよく分かりません。

 

  この部分はその前に紹介した経済学者たちの「貨幣は表章だ」という主張は、実はもっと古くから国王に媚びへつらう中世の法学者たちによって唱えられてきたものの蒸し返しに過ぎないのだと言いたいのかも知れません。

 

  最後のパニーニについては、その著書からの引用がないので分かりませんが(ただし、その前にある〈「しかし、貨幣を買うことは、だれにも許されるべきことではない。なぜなら、貨幣は、一般的使用のためにつくられたのであって、商品であってはならないからである」〉という引用文は、どこから引用されたものかはハッキリしません。〈ローマの教義〉の一文の紹介のようにも思えますが、あるいはパニーニの著書からの引用なのかも知れません)、こうした中世の法学者の主張を批判したもののようです。マルクスが、〈よく説明している〉とか〈名論〉(初版)、〈すぐれた注釈〉(フランス語版)などと紹介しているところを見ると、パニーニの主張はその限りでは正しいものだったのかも知れません。

 

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【付属資料】


●第12パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈貨幣商品の使用価値二重になる。貨幣商品は、商品としてのそれの特殊な使用価値--たとえば金が虫歯の充填やぜいたく品の原料等々に役立つというごとく--のほかに、それの独自な社会的諸機能から生ずる形式的な使用価値を得ているのである。〉(77頁)

 

《フランス語版》

 

  〈貨幣商品の使用価値は二重になる。貨幣商品は、商品としての特殊な使用価値--たとえば、金は奢修品や入れ歯等のための原料として役立つ--のほかに、その独自な社会的機能から生ずる一つの形態的な使用価値を獲得する。〉(67頁)

 

●第13パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈すべての他商品は貨幣の特殊的な等価物でしかないし、貨幣はそれらの一般的な等価物であるから、それらは、一般的な商品としての貨幣(38)には、特殊な諸商品として関係している。〉(77頁)

 

《フランス語版》

 

  〈すべての商品は貨幣の特殊な等価物にほかならず、後者は前者の一般的等価物であるから、貨幣はすべての商品にたいし一般的な商品(8)としての役割を演じるのであり、すぺての商品は貨幣にたいし特殊の商品しか代表しない。〉(67頁)

 

●注44

 

《初版本文》

 

  〈(39) 「貨幣は一般的な商品である。」〈ヴェリ、前掲書、16ページ。)〉(77頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(8) 「貨幣は一般的な商品である」(ヴェリ、前掲書、16ページ)。〉(67頁)

 

●第14パラグラフ

 

《初版本文》

 

  〈すでに見たように、貨幣形態は、すべての他の諸商品の諸関係の反射が一商品に固着したものでしかない。したがって、貨幣が商品であるということ(40)は、貨幣の完成した姿態から出発してあとからこれを分析する者にとってのみ、一つの発見なのである。交換過程は、それが貨幣に転化させる商品にたいして、この商品の価値を与えるわけではなくて、この商品の独自な価値形態を与える。この二つの規定を混同することは、金銀の価値を想像的なものと考える誤りに導いた(41)。貨幣は、特定の諸機能においては、それ自身の単なる象徴(シンボル)によって代理されうるから、貨幣は単なる象徴であるというもう一つの誤りが生じた。他方、この誤りのうちには、物の貨幣形態は、その物自身にとっては外的なものであって、その物の背後に隠されている人間関係の単なる現象形態である、という予感があった。この意味では、どの商品も一つの象徴であろう。というのは、それは、価値としては、それに支出された人間労働の物的な外皮でしかないからである(43)。しかしながら、ある特定の生産様式の基礎の上で諸物が受け取る社会的な諸性格を、または、この基礎の上で労働の社会的な諸規定が受け取る物的な諸性格を、単なる象徴であると公言すれば、そのことは、同時に、これらの性格を人間の気ままな反省の産物であると公言することになる。これこそは、一八世紀において、人間関係の謎めいた姿態--この姿態の生成過程は当時まだ解明することができなかった--から、さしあたって少なくとも奇異の外観をはぎ取るために、好んで用いられた説明方法であった。〉(77-8頁)

 

《フランス語版》--フランス語版では、このパラグラフは二つのパラグラフに分かれており、その間に注が二つ入っているが、ここでは続けて紹介しておく。

 

  〈貨幣形態は、あらゆる種類の商品が唯一の商品種類においてもつところの価値関係の反映にほかならない、ということがわかった。したがって、貨幣のすっかり完成した形態から出発してあとから貨幣の分析に到達する人にとってだけ、貨幣そのものが商品であるということが、一つの発見になりうるのである(9)。交換運動は、この運動によって貨幣に転化される商品に、その価値を与えるのではなく、その独自な価値形態を与えるものである。人は、このようにちぐはぐな二つの事柄を混同して、銀と金を純粋に想像的な価値と見なすようになった(10)。貨幣がその数々の機能ではそれ自身の単なる表章によって代替されうるという事実は、貨幣が単なる表章にほかならないというもう一つの誤謬を産んだ。〉(67-8頁)

  〈他方、この誤謬は確かに、貨幣が外的な物体という外観のもとで社会的関係を実際には隠している、ということを予感させた。この意味ではどの商品も表章であろう。というのは、どの商品も、その生産に支出された人間労働の物的外被としてのみ、価値であるからである(11)。ところが、特殊な生産様式の基礎の上で物が帯びる社会的性格、あるいは労働の社会的規定が帯びる物的性格のうちに、単なる表章しか見なくなるやいなや、この性格は、いわゆる人間の普遍的な合意によって承認された慣習的な擬制という意味を与えられる。これこそが一八世紀に流行した説明のやり方であった。人は、社会的関係で装われた謎めいた形態の起源も発展もまだ解読できないので、この謎めいた形態は人間の考え出したものであり、天から降ったものではない、と宣言することによって、この謎めいた形態を厄介払いしたわけである。〉(68頁)

 

●注45

 

《初版本文》

 

  〈(40) 「われわれが地金という一般的な名称で呼ぶことのできる銀と金そのものは……商品であり……その価値は……上がったり下がったりする。……そうであれば、地金は、より小さな重量でその国のより多量の産物または製造品が買えるようなところでは、より高い価値をもっと見なされてもかまわない、云々。」(『相互関係にある貨幣、商業、および為替の一般的観念にかんする一論、一商人著、ロンドン、1695年』、7ページJ 「銀と金は、鋳造されていようといまいと、他のすべての物の尺度として用いられているとはいえ、葡萄酒、油、煙草、ラシャ、または布地と同じように、一つの商品である。」(『商業、特に東インドの商業にかんする一論、ロンドン、1689年』、2ページ。)「王国の貯えや富を貨幣に限定することは適切でありえないし、また、金銀は商品から除外されるべきではない。」(『東インド貿易は最も有利な貿易。ロンドン、1677年』、4ページ)。〉(78頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(9)「われわれが地金という一般的な名称を与えることのできる銀と金そのものも、価値の騰落する商品である。より小さい重量でその国のより大量な商品が買われるところでは、地金はより大きな価値をもっている」(『相互関係にある貨幣、商業および為替の一般的観念にかんする一論、一商人著』、ロンドン、1695年、7ページ)。「銀と金は、鋳造されていようといまいと、すべての物にたいし尺度として役立つが、葡萄酒、油、煙草、ラシャ、布地と全く同じように、商品である」(『商業、特に東インドの商業にかんする一論』、ロンドン、1689年、2ページ)。「金銀は、数多くの商品から除外されるべきではない」(『東インド貿易は最も有利な貿易』、ロンドン、1677年、4ページ)。〉(68頁)

 

●注46

 

《初版本文》

 

  〈(四一)「金銀は、貨幣であるより以前に、金属として価値をもっている。」(ガリアーニ、前掲書)。ロックはこう言う。「人々の一般的な合意は、銀が貨幣に適した諸性質をもっているがゆえに、銀に想像的な価値を与えた。」これに反対してローはこう言う。「どうして、いろいろな国民は、なにかあるものに、想像的な価値を与えることができようか?……あるいは、どうして、この想像的な価値は、維持することができようか?」と。だが、彼自身、事柄をどんなにちょっぴりしか理解していなかったかは、次のとおりである。--「銀は、それがもっていた使用価値に応じて、つまり、それのほんとうの価値に応じて、交換された。貨幣であると規定されることによって、それは一つの追加的な価値(une valeur additionnelle)を受け取った。」(ジョン・ロー『通貨および商業にかんする考察』、所収、E・デール編『一八世紀の財政学者』、470ページ。)〉(78-9頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(10)「金銀は、それが貨幣になる以前に、金属として価値をもっている」(ガリアーニ、前掲書)。ロックは言う。「銀は、その性質が貨幣の役割を果たすのに適切なものであるために、人々の普遍的な合意により想像的な価値を受け取った」。これに反して、ローは言う。「どうしてさまざまな国民が、なんらかある物に想像的な価値を与えることができたのであろうか? ……あるいは、どうしてこの想像的な価値を保持することができたのであろうか?」だが、彼自身この問題についてなんら心得がなかった。彼はほかの場所で次のように自分の考えを述べているからである。「銀は、それがもっていた使用価値にしたがって、すなわち、その真実の価値にしたがって、交換された。銀は、貨幣として採用されることによって、 一つの追加価値を与えられた」(ジョン・ロー『通貨および商業にかんする考察』、デール編『一八世紀の財政学者』、469ー470ページ)。〉(68頁)

 

●注47

 

《初版本文》

 

  〈(42) 「貨幣はそれら(諸商品〉の象徴である。」(Ⅴ・ド・フォルボネ『商業原理。新版、ライデン、1766年』、第二巻、143ページ。)「象徴として、貨幣は諸商品によって引きつけられる。」(同上、155ページ。)「貨幣は物の象徴であって物を代表している。」(モンテスキュー『法の精神』。著作集、ロンドン、1767年、第二巻、2ページ)。「貨幣は単なる象徴ではない。というのは、それ自身が富であるから。それは価値を代表していない。それは価値と等価である。」(ル・トローヌ、前掲書、910ページ。)「価値の概念を観察するならば、物そのものは象徴としか見なされないのであって、その物は、そのもの自身として認められているのではなく、その物が値するところのものとして認められている。」(へーゲル、前掲書〔『法哲学』〕、100ページ。)経済学者たちよりもはるか以前に、法学者たちは、貨幣は単なる象徴であり、貴金属の価値はたんに想像的なものである、という観念を大いに流行させたが、それは王権にへつらってのことであって、この王権の鋳貨贋造機を、彼らは全中世を通じ、ローマ帝国の伝統とパンデクテン〔東ローマ皇帝エスティニアヌス一世の命で編集されたローマ民法〕の貨幣概念とにもとづいて、支持したのであった。彼らの呑み込みのはやい弟子であるフィリップ・ド・ヴァロアは、1346年の勅命のなかで、こう言っている。「鋳造業務、すなわち製造、品位、貯蔵が、および、鋳貨をわれわれの意のままの価格でわれわれの意のままに流通させるための鋳貨にかんするいっさいの命令が、……われわれとわれわれの陛下に専属していることは、なんびとも疑うことができず、また疑つでもならない。」皇帝が貨幣価値を布告することは、ローマ法の教義であった。貨幣を商品として扱うことは、明文をもって禁止されていた。「とはいえ、貨幣を買うことは、なんびとにも許されてはならない。というのは、貨幣は、一般的な使用のために作られたものであって、商品であってはならないからである。」この点にかんする名論としては、G・F・パニーニ『諸物の正当な価値にかんする研究。1751年』、クストディ編、近世稿、第二巻、がある。特にこの著作の第二巻では、パニーニは法学者諸氏に反論している。〉(79頁)

 

《フランス語版》

 

  〈(1) 「貨幣はその(商品の)表章である」(V ・ド・フォルポネ『商業原理』、新版、ライデン、1766年、第2巻、143ページ)。「表章として、貨幣は商品によって引きつけられる」(同上、155ページ)。「貨幣は物の表章であって、物を代表する」(モンテスキュー『法の精神』)。「貨幣は単なる表章ではない。それ自身が富であるからである。それは価値を代表しない。それは価値と等価である」(ル・トローヌ、前掲書、910ページ)。経済学者よりずっと以前に、法学者は、貨幣が単なる表章でしかなく貴金属が想像的な価値しかもたない、という考え方を流行させた。王権の下僕であり追従者であった彼らは、中世全般にわたり、ローマ帝国の伝統にもとづき、また、パンデクテン〔ローマ民法の主要部分〕のうちに見出されるような貨幣の役割の概念にもとついて、王の鋳貨贋造権を支持した。彼らの有能な弟子フィリップ・ド・ヴァロアは、1346年年の勅令のなかでこう言っている。「鋳貨業務、すなわち製造、品位、貯蔵、および、鋳貨をわれわれの意のままの価格でわれわれの意のままに流通させるための鋳貨にかんするいっさいの命令が、……われわれとわれらの陛下に専属していることは、なんびとも疑うことができず、疑ってもならない」。皇帝が貨幣価値を制定することは、ローマ法の教義であった。貨幣を商品として扱うことは、明文で禁止されていた。「とはいえ、貨幣を買うことは、なんぴとにも許されるべきでない。なぜならば、それは、一般的使用のために作られたものであって、商品であってはならないからである。」この点については、すぐれた註釈がG・F・バニーニ『物の正当価格にかんする研究』、1751年、クストディ編、近世の部、第二巻、のなかに掲載されている。とりわけ彼の著作の第二部で、パニーニは法学者たちに反論している。〉(68-9頁)

  



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