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英語前史

 

英語史




*英語前史

英語のはるかな祖先は、印欧祖語である。


印欧祖語とは、かつて黒海沿岸に居住していた人々が使用していた、と想定されている言語である。そしてそこから幾つもの言語集団がインドからイラン、ヨーロッパにかけて移動し、ヒンドゥー語、ペルシャ語、ヨーロッパ諸言語として発展していった、というのが今日の歴史言語学の定説である。

そのなかで黒海からヨーロッパ北部へ移動していった言語集団を「ゲルマン語派」と呼び、その中に現在の英語、ドイツ語、オランダ語、北欧諸言語が含まれていた。


そしてこのゲルマン語派の分布は、ほぼゲルマン族の分布と重なることから、ゲルマン族がゲルマン語を使用していたと、推測されている。(インド人が英語を話すように、言語と民族の分布は必ずしも一致しない。だが、民族は言語の有力な手がかりとなる)


そのゲルマン族のうち、ドイツ西北部に移住した支族には、「アングル人・サクソン人・ジュート人」の支族がいた。彼らはしばらくくドイツに滞在していたが、やがて4世紀ころフン族(注)の西進を受けて、ヨーロッパ西部に押し出され、イングランドを目指すことになる。

注)フン族の出自は明らかでないが、古代中国王朝と対立した匈奴(当時音でフンヌと発音)という説が有である。もっとも文献・考古学的史料が残ってないため、定説にまでは至っていない。フン族は3世紀から4世紀にかけて中央アジアから東欧に移動し、ゲルマン人大移動の因を作った。その後5世紀にはアッチラ大王の下、大帝国に成長しイタリアにまで進出したが、大王の死により瓦解フン族は東方に帰還、あるいは現地民族と融合して歴史の舞台から姿を消す。


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古英語

*古英語(5世紀から11世紀中ごろまで)

紀元前からイギリス本島(グレート・ブリテン島)には、ブリトン族などのケルト民族が長らく住み着いていたが、その内、南東部のブリタニアはシーザー(カエサル)の遠征(A.D. 43年)によってローマ帝国に組み込まれた。


しかし帝国が衰退するにつれ、ローマ軍は大陸へ撤退その空白を縫って、ゲルマン人の部族であるアングル人・サクソン人・ジュート人が5世紀ころブリテン島に侵出し、ケルト系住民をスコットランドやアイルランドに押しやって、イングランドを支配した(ゲルマン民族大移動)。

彼らはつの王国を樹立し(七王国時代)、あい争っていたが9世紀に統一され、アングロ・サクソン王朝が成立した。この王朝の下、古期英語(or 古英語)、つまりアングロ族・サクソン族の言語が隆盛する。


古英語は現代英語のベースとなっているため、現代英語の基礎的な語彙、文法はアングロ・サクソン語に基づくものが多い(folk, mind, ghost, shape, withなど。)。アングロ・サクソン語はゲルマン語の一方言であったから、これらの語彙は同じゲルマン語のドイツ語、オランダ語、スウェーデン語などと共通なものが多い。


    英語    ドイツ語

    good     gut

    morning   morgen

    night      nacht

           folk              volk

           wagon          wagen


またアルフレッド大王が即位すると、大王は学芸を保護したことから、大陸からキリスト教典などのラテン語文献も翻訳され、多くのラテン語彙が流入してきた。これらは主に宗教、学術用語であり、450語ほどが確認されている。(angel, candle, organ, Antichrist, prophet, grammarなど。)

しかし繁栄は長く続かず、8世紀ころから南下するようになったデーン人(バイキングのイギリス側呼称)によって王国は崩壊し、統一的支配は失われる。以後、11世紀はじめデンマーク王クヌートが北欧一帯を支配におさめるまで、イングランドでは長い混乱がつづく。

 

バイキングの侵入を通し、彼らの言語である古ノルド語の語彙が大量に英語に流入した。流入は日常語彙を中心に数千にも及ぶ(awkward, band, bank, weak, die, graspなど)。もっとも古ノルド語と古英語は同じゲルマン系であるため、両者の語彙は見分けがつかない事も少なくない。

クヌート王の死後、彼の大王国は崩壊。イングランドではアングロ・サクソン人の支配が一時復活するが、その支配力は弱く、内乱が相次いだため、最終的にはノルマン人の占領に服することとなる(ノルマン・コンクエスト、1066年)。

まとめれば、5世紀から11世紀という中世前半の暗黒時代に、アングロ・サクソン人のゲルマン語が母体となって、ラテン語・古ノルド語の影響を受けて英語が出来上がっていった。

 

同じ頃、スパインやフランスといった大陸部でも現地語とラテン語の融合が見られたが、そこではローマに近かったせいでラテン語の影響が圧倒的だった。これに対し、島国のイギリスではゲルマン語が主体を保ちつつ、選択的にラテン語を摂取したため独特の言語「英語」が確立した。なおEnglishとはAnglo族の言葉、という意味である。(注:ラテン語はローマ帝国の公用語である)

ただしこの頃の英語とドイツ語・ノルド語はそれほど変わらず、むしろ方言関係くらいの差しかなかった。古英語がノルド語から多くの日常単語を借用できたのは、それが理由でもあった。この差異が別言語ほどに大きく発展するのは、次のノルマン人の時代からである。


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中英語

*中英語(11世紀から15世紀ごろまで)

ノルマン人とは、ノルマンジー地方に住むバイキングの一派である。彼らもゲルマン人ではあるが、4世紀のゲルマン民族大移動の時には北欧に留まって動かず、8世紀になってから南下を開始した。


彼らは主に北フランスを侵略し、フランス王らと争いを繰り広げたが、やがて妥協が成立し、フランス王の臣下となる代わりにフランス北西部(ノルマンジー)に領地を与えられた。


その地にフランス貴族として暮らすうち、ノルマン人はフランス語やラテン語などのフランス文化を身に付けるようになったが、バイキングの血はフランスの一領主に安住することを許さず、11世紀にはドーバー海峡を渡ってイングランドを征服するに至る。これがNorman Conquestノルマン・コンクエスト(ノルマン人の征服)である。


ノルマン・コンクエストは政治社会のみならず、言語面でも大きな変化をイングランドに与えた。イングランドの支配階級はほとんどフランス語しか話さない人々によって占められることになり、フランス語が支配階級を通じて大量に流入したのである。その結果上流階級の話すフランス系語彙と、中下層階級のゲルマン系語彙の二系統が混在する現在の英語ができあがった。


たとえば同じ「牛」という単語でも、フランス語由来のbeefは食用の牛肉を表し、ゲルマン系のcowは酪農用の牛を表す。これはフランス語を使用していたノルマン貴族は牛肉を食べ、古英語を使っていた庶民がその肉を養っていたことから来た、単語のちがいである。


(同様の例は、他にもmutton – sheep, pork – pigなどがある)

この時期に英語化したフランス語にはpavilion, tennis, umpire, nasty, bribe, gentleなどがある。そのときまでに英語には十分な語彙が存在していたため、新しく入ってきたフランス語は従来の英語の意味を変えたり、変えられたりして定着し、結果として英語の表現力は大きく向上した。例えば判決を下す、の英語は元来doomであったが、それはフランス語のjudgeにとって代わられ、doomは「神による最後の審判」という特殊化した意味へと変化していった。

このように英語を大きく変化させたルマン人であったが、その絶対数は少数であったため、英語そのものが取って代わられることはなかった。これは第二次世界大戦後、日本はアメリカ人によって支配されたため、多くの英語語彙が日本語に入ってきたものの、日本語そのものは消失しなかったのを想像してもらえば理解できるだろう。

 

ノルマン侵略から二世紀を経た13世紀になると英語がイングランドの国語としての地位を確立し始め、百年戦争(注)の敗退などを受けてフランスとの靭帯が切れた14世紀には、ノルマン貴族でさえ英語を母語とするに至った。だがこの間にフランス語から借用された語彙は一万語に及び、その75%が現在まで生き残っている。

古代から中世に至るまで、英語では話し言葉と書き言葉(ラテン語)が分離していたが、ルネサンス(文芸復興;1416世紀)の運動がようやくイギリスにも伝わると、両者を一致させる動きが見られ、チョーサーの『カンタベリー物語』などがかかれた。


このようにしてフランス語と混ざりあった英語は、長い中世を通して次第に統一的な言語へと熟成していったが、世界的にみれば、それはヨーロッパの片田舎の一言語にしか、過ぎなかった。ヨーロッパで通用していたのはラテン語やそれに連なる南欧系諸語(イタリア語、フランス語、スペイン語など)であり、世界的に見ればアラビア語や中国語が、当時の公用語であった。


だが次のエリザベス女王の時代になると、イギリスはスペインの無敵艦隊を打ち破り、一躍世界のヒノキ舞台に踊り出る。そして英語も世界言語への階段を昇り始めるのである。



注)百年戦争

イングランド王となったノルマン貴族は、同時にフランス王の臣下でもあり、フランス王族との婚姻を通してフランスの王位継承権をも得ていた。特にイングランド王・エドワード3世はフランス王シャルル4世の甥であり、シャルルが息子をもうけずに死んだことから、有力な王位継承者であった。

 

しかし王位を継いだのはシャルルの従兄弟であるフィリップ6これを不服としてエドワードはフィリップに宣戦布告した。


戦争は当初イングランドが優勢に進め、クレシーの戦いではイングランドの誇る長弓隊がフランス騎士隊を撃破ポワティエの戦いではフランス王ジャン2世を捕虜とするほどの大勝を重ねた。さらにフランスでは王権が確立しておらず、イギリスに味方するものもいるなど内部分裂の有様であった。


だがイングランドは占領地に圧制を敷いたことから、フランス人の間に反英意識が広まった。そして聖女ジャンヌダルクの登場をきっかけに、フランス勢は結束を固めて戦局を挽回最後にはイングランド軍を駆逐することに成功する。


この戦いによって英仏双方で国民意識が確立され、イングランド王がフランス王臣下となるような錯綜した関係は解消された。そして以後、英仏はそれぞれ独立した近代国家として発展していく。


ちなみにこの戦争は14世紀から15世紀にかけての百年間、戦われたので「百年戦争」と呼ばれるが、実際には休戦やペストなどによって何度も中断があったので、百年間ずっと戦い続けたわけではない。


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