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まとめ

 
 足したり引いたり比べたりする「数」は、同じ種類であるのです。違うものを比べる時も、同じ性質の部分を引っ張り出して足したり引いたり比べたりするのです。
 自転車と新幹線を比べる時にも、重さだの速さだの、同じ種類の数で比べれば特に問題はないのです。逆に、違う種類の数を比べても意味はありません。完熟マンゴーの糖度と、太陽の南中高度を比べてもしょうがありません。
 でも、違う種類の数でも、かける場合はあります。あんまりないけどあります。ある場合の多くは、一方が「割合」であるケースです。
 割合にもいろいろあるけれど、「全体における部分の大きさの程度」として使われることはけっこう多いみたいです。それは「部分を全部で割った、0と1の間にある数」になります。
 分数が分からないと困るのは、さあ、これからです。
 
 ……なんて具合の話を、してきましたっけ?
 してきたような気もしますし、全然違う別の話をしていたような気もします。
 すごく分かりにくいような、誤解させるような、微妙な話だったかもしれませんが、ここまで読んでいただいてありがとうございます。
 面白く読んでいただけたのなら、それで充分ではあるのですがね。
 ここまで書いてきて思うのは、結局、一般的な数学教育、算数教育は、それはそれでよく考えられた、隙を見せない手順で出来ているのだろうなあ、ということでした。この原稿なんて、そういう意味ではあちこちほころびている隙だらけの代物です。
 でも、こうも思うんですよ。
 隙だらけでほころびだらけの方が、考えるきっかけにはなるんじゃないのか、ってこと。
 ついでに、「考える」ことは面白い、とも思うんです。
 
        (フェードアウト)
 
 あれ? 1+1が分からなくて学校に行けなかったのって、エジソンじゃなくてアインシュタインでしたっけ?
 

この本の内容は以上です。


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