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前回のおさらいと今回の方針

 
 数には不思議な魔力があった。ひとたびその力に見せられた者はものごとをすべて数えてみないではいられなくなる。果てはすべての事象が数に見えてくるようになる。たとえば1とは自分自身のことであり、世界は127だ。
 ……といったことはまったくなくて……。
 あらためまして前回「かずばなし(1)」のおさらいです。
 数とは、数えて比較するのが便利になるように発明された概念なのであった。数えにくいものもあれこれあるので、そこは基準を設けることで無理矢理数えてしまったのである。ここで扱われる基準というのが単位と呼ばれるのだ。
 さらに、エジソンはあまり偉くないし豊臣秀吉もそれほど偉くない。
 1+1が2になるのがなぜかというと、そこには計算という概念が含まれるのでパス!
 とまあ、こんなところですかね。
 改まって今回は、「計算という考え方」に踏み込んでゆこうと思います。だいたい、計算について書いておかなかったら数について書いたことにならない、かもしれない、と言いたくならないこともない、くらい(自信はありませんが)重要なところです。
 ただし、計算の技術とかそういう話はするつもりがありません。今回も、ものの考え方として数学を扱ってゆきます。
 しかも、書いておきたいことがちょっとあっちこっちするかもしれません。なるべく面白く読めるように工夫はしてみますが、整理がつかなくなったらごめんなさい、と、今のうちに謝っておきます。

最初の計算は足し算でしょう

 
 さて、数とはなにかを比較する時に便利になるように考えられた方式であります。並べておいて順番に言葉を対応させていって、その言葉が数(文字で表したら数字)ってことになります。
 ってことだったんですが、ここで大切なのは、基本的に同じものを比べる時に、数は使われるのだ、ということです。ぜんぜん違うものを比べるなら、数なんかよりもっと重要な項目があるはずなんです。使い道であるとか、味であるとか、食べたら死んじゃうとか、そういうふうに、数で比べるより大切なところ、あるもんなんですよ。
 でもまあ、同じものである時に限っては、いろんな細かい違いはあるとしても、数で比べるってことに意味が出てくるんですよね。
 あー、とても大切な点をあえて無視してますが、それに気づいた人、ここは黙って通り過ぎましょう。たぶんそのこと、後でやります。善処します。
 ここはひとまず、数は同じものを比較する時に使うのであった、ということにしときましょう。お願いですからそうしておいてください。
 で、同じものを比べてたら、混ざってしまうこと、ありますわな。混ぜてしまったら、数が変わります。元の数をきちんと覚えていれば、元の数に分けることもできるでしょう。
 
 「○○○○」--これと
 「○○○○○」--これを比べてたら、
 「○○○○○○○○○」--わあ、混ざってしまった。
 でもでも、えいやっと、覚えていた「○○○○」を取り分けて、
 残った「○○○○○」とに分けられました。
 
 はい、これで足し算と引き算の主な考え方が終了しました。
 同じものを持ってきて、混ぜ合わせてやるのが「足し算」。なにか数がある時に、ふたつの数字を混ぜ合わせてできたとすれば、どういうふうに考えられるのか、ってとこから引っ張り出されてくるのが「引き算」と。
 いやいや、「引き算」については異論もあるでしょうね。別の道を通って引き算が考え出された可能性も小さくありません。
 けど、話の都合で今回は、引き算は、足し算しちゃったのを元に戻すために使うのだ、ってことにしといてください。
 こんなまだるっこしいことを書かずに数式で書いてしまえばいいですな。
 
 4+5=9
 9=4+5  もしくは、 9-4=5
 
 馬鹿にしてるわけじゃないんですがね、こんな簡単なことを言葉できちんと「説明」しようと試みると、なんだかややこしくなっちゃうんです。
 で、この説明を見て、前回の原稿をちゃんと読んだ人は「あれ?」と思うかもしれません。
 だって、前回の説明では、原始人のゲンちゃんとゴンちゃんが●と○で比較してたじゃないか、と。それって、「違うもの」を比較してたことになるんでねえの?
 そうなんですよねえ。
 このあたりに数の魔法的な性質がにじみ出てきちゃうのです。
 繰り返し、「数で比べるのは同じもの」と言ってるくせに、違うものを比べることもできてしまうんですよね。ただし、その場合でも、数にして比べることができるのは、同じものに限ってしまうのですよ。
 なんじゃそりゃ、と。
 同じじゃなくても同じ?
 筆者が馬鹿で混乱してるんじゃねえの? あー、完全には否定しきれませんが、今回は混乱しているのではありません。
 つまり、数ってのは、より詳しく言うならば、なにか比べるべきものの、同じである部分を取り上げて(抽出して)数えて作るのだ、ってことなんです。(ここ、さっき無視して通り過ぎた説明の答えになってるかもしれません。不足ぶんはさらに後回し)
 前回の原稿を読み直してみてください。原始人のゲンちゃんとゴンちゃんが比較しているのは、たしかに白と黒ではありますが、どちらも貝で、しかも「同じくらいおいしい」ってことわってありました。
 だから、同じおいしい貝ということで、数の比較が意味を持ったのです。
 さっきの足し算を○と●にしてみましょう。
 
 「○○○○」+「●●●●●」=「○○○○●●●●●」
 どちらもおいしい貝の足し算です。
 ところでここで、ゲンちゃんがこう考えます。「どっちも同じくらいうまいんだが、せっかくだから両方の種類の貝を食いたいねえ」と。そこで、混ぜ合わせてしまった後で、白黒両方を持ち帰ることにしました。
 「○○○○●●●●●」-「○○●●」=「○○●●●」
 厳密には最初の時と違うんですが、それでも数式にしちゃえば 4+5=9 9-4=5
 どちらも同じくらいおいしい貝なので交換可能である、という前提で成立する式、ってことになるわけです。
 ここで「交換可能」っていう考え方、出てきました。
 もちろん、数にはいろんな発生させかたがあるわけですし、それによって変わります。前回の話で「基準」とか「単位」とかってことにこだわりましたが、そこんところとつながってきます。
 数を使う時には、まず単位が統一されなければなりません。そこで単位を統一できると、対象となるなにかしらは「交換可能」となります。そうでなければいけないのです。微妙にニュアンスが間違ってますが、「等価交換」ってやつ。
 
 マンガでありましたっけ。『鋼の錬金術師』って作品。作中でやたらと「等価交換」っていうルールが引き合いに出されます。マンガの話ですし、細かいツッコミをするのは野暮ってもんですが、最初の頃この作品を読みながら思ったのは、「じゃあ価値ってどうやって決めるんだい?」ってことだったりしました。価値を比較するには、なんらかの方法が必要です。それが「同じ」だってことを言えるようにするなら、極論すると、数字にできるってことです。数字にできるためには、そのためのなんらかの「単位」「基準」が必要になります。
 一般的に、こういう「価値」はお金、金額なんですよね。それ以外に、たいていのものを数にしてしまえる方法が、今のところありません(質量とかそういうのは、あまりに普遍的なので「交換」する基準には使いにくい面があります。今はこれでご勘弁)。でも、マンガでは金銭的な価値ではないものが扱われているような印象も(微妙ですが)あります。また、等価交換というルールが、人の印象では崩れるようなケースも発生しているようです。ひょっとしたら、なにか見たこともない「単位」が出てくるんじゃないかと、ちらっと期待してしまったりもしたのでした。
 結局『鋼の錬金術師』は、そういう面倒な領域には踏み込むことなく、多くの読者をうまいこと感動させて終わってしまいましたが。
 
 ともかく「交換可能」という考え方が「数」の基本(裏側)にあるわけですね。
 そうして、「交換可能」の時にだけ、足し算が有効になるのであります。
 数という概念が発生したのとほぼ同時に、足し算の基礎ができたに違いあるまい、と思います。このへん、強引に主張しておいてもいいかもしれません。
 どのみち記録も残らない遠い昔の話ですから、反論するのも難しい。
 もちろん、この考えが正しいってことも、全然証明できないんですけれど。
 ま、いいや。
 ○と○を持ってきて並べたら○○になった。そういう状況を、1と1を持ってきて2にした、と思えるかどうかってのが1+1を2にできるかどうかの分岐点なんですね。
 分かりましたかエジソンくん?
 

いろんな数がある

 
 次にかけ算の話が始まるんです。今回の主要な目的は割り算にたどりつくことにあるので、さっさとかけ算に行きたいのです。
 けれどその前に、書き忘れていた大切なことをここにはさみこんでおきます。
 さっき、「あえて無視した」ところの説明の残りです。
 数は、基本、同じものを比較する時に使う。けど、同じじゃない時にも使うんじゃないの? という、そういう疑問の説明を残してきてしまったのでした。
 答えは、「同じものしか扱わない」です(比較する時と、足し算引き算の時に限る)。
 ただし、「同じもの」という考え方に、もうちょっとふくらみをもたせてやらなくちゃなりません。
 ものには、いろんな性質があるのだ、という話はさっきしました。おいしいとか毒だとか、そういうやつですな。それは、あるひとつのものに、さまざまな性質がくっついてる、ってことなのです。数も同じ。たいていの物には、いろんな数え方がくっついています。いろんな数で表現されます。それが普通なんです。その上で、「同じ数え方」をした数同士しか比較(や足し算)には使えないのです。
 たとえば、重さとか質量とか呼ばれる数は、たいていのものにくっついてますな。これは比較するのが簡単。
 
 ここで問題です。鉄1キログラムと綿1キログラム、どっちが重いでしょう?
 
 子ども向けのお勉強系クイズに、わりと見かけるタイプの問題ですな。
 こんなもん知ってるよ、と思うでしょう。答えは「どちらも同じ」。
 ま、そうでしょうとも。
 これは「重さ」という数が既に書かれていて、そこしか比較する手がかりがないのだ、と思えば当然の結果です。
 間違って「鉄」とか答えてしまうと、
「どっちも同じ1キロじゃん。やーい、だまされたー」
 的な言葉を、いじめっ子(かなり古風なタイプ)が叫んだりするのでした。
 けれど子どもの頃の筆者は、この答えでは、どうも釈然としなかったのです。
 つまり「重い」ってどういうこと? という疑問がはりついてしまったのでした。はかりで量って出た数字だけで「重い」という感覚的なものを処理していいのだろうか、と。大人になった今ならそういう文章にして明確にできます。子どもの頃はただ「重い」かどうかは「重量」だけじゃ決まらない感じがする、ってだけでしたが。
 これは「重さ」を生活実感として持っているために出てくる疑問です。
 重さというのは、形や状態によって、ずいぶん違うもんなんだ、ってことです。たとえば同じひとりの子どもを運ぼうという時、上手に背負われてくれる時と、むずかって背中にくっついてくれない時とではまるで違います。長い棒を、中心近くで持つのと端の方で持つのでは、まるで感じる重さが違います。重心うんぬんという話、テコの原理うんぬんという話、あれこれありますが、説明はどうでもよし。重いかどうか、という感覚の話です。
 だから、鉄と綿というのも、実際に持ってみたらずいぶん違うんじゃないか、と思えてくるんですよね。運びやすさが、まるで違うはずなんです。
 イソップ童話にありましたっけ。塩を運ぶロバが、ある時、川で転んだら急に荷物が軽くなったことに気づいて、その後しょっちゅう転ぶようになる。そこで荷主は、綿を運ばせてやった。川で転ぶとてきめん重くなってロバは困ったことになった、とかいう話。
 あ、これはちょっとたとえが違いましたかね。
 ためしに、鉄と綿がどちらも百キロあるとしたら、と考えてみましょう。すると、運搬方法はまるで違うものになるはず、です。綿百キロって、ちょっとイメージしにくいですが。
 いや、つまり、実際の生活の中では、「重さ」というのは輸送方法に関わってくるってことです。輸送コストが関係してくる問題なのです。
 というわけで、「たぶん綿の方が重い」というのが、生活の中では正解に近いことになるんじゃないかと思います。あるいは、鉄百キロをひとりで運ぶのは大変だけれど、綿なら何回かに分けて運べるぶん楽だ、という正解になる場合もあるかもしれません。
 子どもの頃の筆者の疑問は、そのあたりまで考えれば自分なりに納得するでしょう。
 それでも、数として明記されているのは重量だけなのだから、(周辺状況についてはまるで分からないのだから)、やはりここは「同じ」を正解にするべきなのだ、と。大人になった筆者は子ども時代の筆者に言ってやりましょう。
「だいたい、運ぶなんてこと言ってねえだろ」
「でもでも、重さを量るのだって、鉄と綿じゃ違うし、綿の方が面倒だ」
「いいんだよ。どっちも、巨大な上皿天秤に、もう乗せてあるんだ。しかも真空状態で湿度や風の影響も無視できる。これで比べてるんだ」
「ずりいや。そんなこと言ってねえじゃん」
「そうじゃない、とも言ってねえだろうが。つうことはな、「重さ」を量るのに、余計な条件が入らない、いわゆる理想的な条件でやる、っつうことなんだ。条件によって答えが変わるような問題は、問題って言わねえんだよ!(強引)」
 大人になった筆者の力をもってすれば、子どもだった頃の筆者のやり口なぞ分かりきってますから。これでぐうの音も出ないことでしょう(笑)。「ちきしょう、俺はこんな大人なんかになるもんか」なんて思ったりして。いやぁ、なっちゃうんですけどねえ。
 
 ともかく、なにかを数にするには「数え方」が重要である、ということはお分かりでしょう。数え方によって別のイメージが出てくるのです。しかも、同じひとつの物に、複数の数え方があるので、そこいらを混乱させちゃいかんのだろう、と、そういうふうに思えてくるはずです。
 いやいや、そういうふうに思ってください。大人になっても、このへんが混乱してる人ってけっこういます。気をつけましょう。
 

かけ算はまとめる

 
 さて、本当は、ここで0(ゼロ)の発見っていう話を入れるべきなのかもしれません。たぶん、すごく大切なところです。が、引き算の話と一緒にパスしちゃいます。
 なんだか面白くなさそうだから、勘でパスするんです。
 ま、実のところ0は便利ではあるんですよね。0,1,2,3,4,5,6……。こういう文字を使って数を表すやつをアラビア数字とか呼ぶわけですが、ここでは(複数桁の)特定の桁にゼロを入れることができるってことが、いろんな点で便利になってるんです。日本語で五万八千九百四十二とか書くと、数の塊はイメージしやすいんです。けれど、五万九百四十二なんて場合に、千の桁が抜けていることを後から考えないといけません。五万零千九百四十二って、あえて書けばいいのかもしれませんが、それも鬱陶しい。足し算するのも面倒だ。あんなことこんなこと、ゼロはとっても便利なのです。でも、その話はこれくらいでパス(この後、ちょこっと出てきますけどね)。それだけで一冊の本になってたりもしますし、興味がある人はそういうのを探しましょう。
 
 で、かけ算です。
 こいつがどうやって出てきたのか、よく知りません。
 推測ですが、最初は気づかずに使ってたんじゃないか、と思うんです。
 変な話ですけどね。最初のかけ算は、それと知らずに使っていたのだ、と。たぶん、ですが。
 どういうこと?
 つまり、数の数え方(えーと、並べた物に言葉を対応させてゆく、という意味の「数え方」のことです)の限界突破についての話になってゆくんでありますよ。
 つまりです。
 並んだ物に順番に言葉を対応させてゆく、ってやり方だけだと、今の数の概念で使われているところの「桁」とか「位」って方式が含まれないんですよ。これ、すげえ不便です。つまり、たとえば一万まで数を数えようと思って、桁の概念がないとしたら、すべて異なる別々の言葉を、順番ごとに全部覚えておかなければならないんですよ。
 そんなん覚えられっこない。たとえ作った自分が覚えても、他の人が覚えてくれなかったら役に立たない。
 英語なんかだと、そのややこしさが残ってます。
 わん、つー、すりー、ふぉー、ふぁいぶ、しっくす、せぶん、えいと、ないん、てん、いれぶん、とぅえれぶ、さーてぃーん……。
 なんか、「めんどくさっ!」って感じ。十でひとまとまりになってない言葉なんですよね(かわりに最初だけ十二でひとまとめにしてる)。その点日本語は、桁ごとに言葉が整理されてますなあ。じゅういち! とか、ごせんさんびゃくにじゅうはち! とかね。漢字にします。「十」「百」「千」「万」ここで一区切りで、「十」から「千」までは再利用。「千万」の上が「億」、「千億」の上が「兆」とどんどん続くのが論理的で嬉しい(これは中国のやり口?)。
 ちょっと本論から話がずれました。
 
 これが「かけ算」とどう関係しているかというと、つまり、「桁が上がる」というのは、数をひとまとめにして処理した、ってことだからなのです。
 この、「ひとまとめにして処理する」というのが、そもそものかけ算の基本的考え方になるのですね。
 だから、桁上りがかけ算より先にあった、という保証はないのですが、考え方の根っことしては同じであるわけ。漠然と思うのは、数の数え方の拡張として桁の概念が発生して、そこにかけ算の基礎が隠れていた、ってことなんじゃないのかな、って感じです。
 
「やあゲンちゃん、ひま?」
「それがヒマじゃねんだよ。相談にのってくんねえ?」
「なになに」
「数ってやつさ。どうも言葉の並びじゃ面倒だからさ、いいこと考えたんさ」
「いいことって?」
「指だよ。指。言葉じゃなく、指で数えたらいいんじゃねえかと思ってさ。数えたぶんだけ指を曲げてくと、その場所で数ってことになるべえよ」
「おお。そうだなあ」
「けどよお、これだと指の本数と同じだけしか数えられねえ。な、ここにある栗を指で数えべえと思ったんだけど、足りねえのさ」
「そりゃそうだ」
「なにかいいこと、お、そうだゴンちゃん、おめえの指を貸してくれや」
「いいよ。それで足りるかねえ」
 原始人のゲンちゃんとゴンちゃんには、よく分かってないでしょうが、ただ単純に指を借りるんではふたりで二十までしか数えられません。しかし現代人の我々はもう知ってます。そのやり方で、ふたりで百(本当は百十)まで数えられるんです。
「うわー、ふたりぶんの指じゃ数えられない」
「お、そうだ。いいこと思いついた」
 つまり、ゲンちゃんが十まで数え終わったら、ゴンちゃんに指を1本折ってもらいます。ゲンちゃんの指はリセット。また最初から指折り数えてゆきます。それが数え終わったらまたゴンちゃんの指をひとつ折ってもらう、という感じですね。で、これが現在の数字の作り方。十で桁上りするので十進法と呼ばれますな。
 もし指じゃなくて腕でやったらどうなるでしょう。2まで数えたら隣のゴンちゃんの腕に桁上り。ということで、二進法と呼ばれるようになるのです。これはコンピュータの基礎の……なんて話はまあいいや。パス! このへんにはややこしい問題も隠れてます。本によってはそっちを大切にしなくちゃならない場合もありますが、ここではそれもパス。
 
 なんとか数をまとめる、ということの意味は分かったかと思います。
 あとは、いくつごとにまとめるかを変えてやるだけで、かけ算という考え方にたどりつきます。
 この、まとめて数える方式は、並べ方として考えてやることもできます。つまり、
 
 ○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○ を、
 
 ○○○○○○○○○○
 ○○○○○○○○○○ こう並べてやる。十がふたつ並んでるわけですね。
 でも、十ずつ並んでるのは、人間が直感的に見分けるには多いような気がします。そこで、
 
 ○○○○○
 ○○○○○
 ○○○○○
 ○○○○○  こんな風に並べてやる。
 
 同じ二十でも、なんとなく直感的になってきました。ただしもちろん、これはかけ算九九を知っているからこそ、二十という数がすぐに分かるのです(分かるというのとは本当は違うんです。実は単に、答えを知ってるだけ)。
 まとめてやる、という話はこのへんにしておきます。
 あとはかけ算というのをいかに効率的にやるのか、という計算技術になります。ま、基本は「覚えておく」だったりします。うわあ、なんだか泥臭い。でもまあ、九九ってのを覚えてなきゃどうにもならんわけですよ。かけ算なんてものは。極端な話、どこまでだって答えを覚えておけば、本当の意味で計算なんてしなくてかまわんのです。それは無駄すぎるので、なるべく少なく覚えておくようにしよう、というのが九九の基礎ですな。
 しかし正直なところ、九九も半分くらいは覚えるの無駄な気もしますね。
 
 ということでかけ算が終わり、になるといいんですが、実はいよいよここからが本番。
 かけ算は、まとめて数える方法として考案されたには違いないのですが、ここでとても大切な考え方が出てきているのです。
 ここのところ、すごく混乱しやすいところなので、間違ってはいけないのでていねいにやってゆこうと思います。
 では、節を改めましょう。
 


かけ算を使って作る新しい概念

 
 実は、かけ算には二種類あります。(そんなものは分け方しだいですがね)
 このへんのこと、たぶんあまり学校じゃ教えていないんじゃないかと思います。
 その二種類とは、
 
 ・ 考え方に割り算が含まれている
 ・ 考え方に割り算が含まれていない
 
 この二種類です。(強引にそう分けます)
 割り算が含まれているというのがどういうことか。そういうかけ算がなんなのかについては、この後で改めてやります。ですから、考え方に割り算が含まれていないかけ算について、ここでは先に書き進めてゆきます。
 まず、代表的なものを紹介しましょう。
 面積! です。
 わー! パチパチぃ!
 
 あれ?
 なんだか盛り上がってないなあ。
 当然ですけどね。面積とか言われたって、面白くもなんともない。小学校の最初の頃に計算の仕方を教えられて、後は覚えた通りにできるかどうかの勝負。底辺かける高さ割る2とかって、呪文のように覚えさせられて、なにが底辺でなにが高さで、縦かける横とどう違うのか、なんてことも分からなくなってくる、ってわけ。
 まあねえ、ここのところの深遠な思想性については、ガキにゃ分からんでしょう。
 面積(に関わるかけ算)というのは、「長さ」という大きさを、「広さ」という新たな大きさに変化させるための、考え方のジャンプ台なのですよ。
 
 まず最初に、「広さ」をどう比べるかを考えてやりましょう。
 面積という概念がまだなくても、感覚的に広いか狭いかはありますよね。で、それを比べるのに、すでに数にする方法を見出した「長さ」を使えそうだ、ってくらいの勘は働くでしょう。
 そこで、長さを測る方法で広さを導こうとするわけですが、さて、これはなかなか簡単じゃない。だいたいにおいて、比較したい「広さ」は、それぞれの形からしてぜんぜん違うものであるだろうからです。
 これじゃ比べようがない。さあ、どうしましょう。
 
「で、どうするんだいゲンちゃん?」
「こいつを使うんさ」
「へ? その板っぺらがどうかしたのかい?」
「見りゃあ分かるだろ。こいつは同じ大きさに作った板っきれさ。夜なべしていっぺえ作ったからよお、こいつを並べてみようってのよ」
「お、相変わらずあったまいいねえ」
 長さを比較する時にも、基準になる長さをいくつ並べられるか、というのが大切でありました(本当はここで直線とか平面とか、そういう細かい話が入るんですが、あえて無視)。ですから、広さを比べる時にも、同じ広さ(基準)を、いくつ並べられるか、というのが比較に使える方法だろう、ってことになるわけですな。
「並べたねえゲンちゃん」
「並んだなあゴンちゃん」
「ところどころはみ出したり、隙間になったりしてるなあゲンちゃん」
「まあ、どっちもどっちで、いいことにしようやゴンちゃん」
 これで「広さ」を比べられるようになった、と。
 
 ちょっと脱線します。
 ここで使った「板きれ」について、どういう形をしているのが好ましいか、ということを考えておくべきなんです。
 面積について正しく扱えるようになっている人ならば、「それは正方形だろう」とすぐに答えにたどりついてしまうでしょう。けど、正方形である必要がどこにあるのだろう、と考えたことはありますか?
 長さを元にして広さを作る時に使う形について、考えられる条件は「隙間なく埋められる」「形が安定している」「そもそも広さという大きさを持っている」といったところです。で、実はこの考え方で最も適しているのは、ひょっとして「正三角形」なんじゃないかと思えるんですよ。
 実は正方形という形には、きわめて面倒な条件がひとつ含まれています。それは、内角が(すべて)直角であること、です。一方、正三角形の方は、同じ長さをみっつ組み合わせて作れば勝手に正しい形が出来上がります。圧倒的に簡単です。たとえば一辺が1センチの正三角形の面積を1トリセンチとか決めちゃって、あとはそれがいくつ並べられるかで広さを決めたらどうでしょう?
 原始時代的には、たぶんそれでもいけたはずです。
 なのに現実の「面積」は、正方形を基準にして作られる数値なのです。
 理由はいくつか考えられるのですが、……こんな感じじゃないでしょうか。
 広さを比較したいと思った最初の動機は、田畑の広さの問題だったのではあるまいかと想像しています。狩猟生活だったら、あまり広さを比較する場面には遭遇しません。農耕で生活するようになって初めて、具体的な広さの比較が必要になったのです。
 そうなった時に、きっと畑は四角形を基本としたものになったでしょう。苗を真っ直ぐ植えていって、その列の数が広さに対応していたかもしれませんし、もしそうなら、畑は細長い四角形を積み上げていった形になるでしょう。正三角形を基準とするやりかたでは、必要とする広さとイメージ的にもうまく合わせられません。
 苗を植えた列の数と、一列に植えた苗の数が、広さを測る目安になるでしょう。それは、四角形を元にした広さの考え方です。だからきっと、四角形同士の広さを比べる方法が必要とされることになるのです。
 それが、正方形を基本とした「面積」の求め方として発達していったのではないでしょうか。
 あくまで想像に過ぎませんけれど。
 さらに四角形にして良かったことが出てきます。それは、「かけ算を使えば数えやすい」ということなのです。ちらっと並べてみましょう。順番に数えるより、数を知るのが楽ですよね。
 
 □□□□□
 □□□□□
 □□□□□
 □□□□□  4×5=20 これを20□(にじゅっしかく)と呼ぶことにしよう。
 
 さっき○だったのを□にしてみました。面積を考えるのなら本当は互いの□がくっついてなくちゃいかんのですけど、諸般の事情によりこんなもんで。くっついてるつもりでお考えあれ。
 さて、面積なんですが、すでに書きましたとおり、本当は基準になる広さがいくつあるかを「数える」のが考えの基本です。たとえば日本では、広さを測る基準に「坪」っていう単位がありますよね。これはまさしく、一坪の大きさの板なりなんなりが、いくつ並べられるかを表したもの、ということになります。
 で、さらに言えば一坪は、一間(いっけん)と呼ばれる長さで作った正方形のことだったりするんですが、あまりそんなふうには思わないんじゃないですかね。長さと広さは、まったく別のものなのですからして。
 ん?
 いや、まったく別ってことないんじゃないの? と思っちゃいますよね。
 □が二十個並んださっきの図を眺めてみると、あることに気づきます。それは、□の個数を数えている時に、□の並んだ辺の長さと同じになってること、です。つまり、□ひとつの一辺の長さを基準として、それを1なんちゃらと考えるなら、横は5なんちゃらで、縦は4なんちゃら。それは個数といっしょ。縦の個数と横の個数をかけるのと、縦の長さと横の長さをかける、どっちも同じ答えが出てきます。
 ただ「なんちゃら」じゃ分かりにくいかな。ここは大人の事情でセンチということにします。
 で、4センチと5センチをかけて出た答えが20平方センチ。
 おっと、いきなり「平方センチ」とか出てきちゃいましたねえ。みんな小学校で教わっている広さの単位「平方センチ」。なんじゃそりゃ。cとmを並べて肩の上に小さい2をくっつけた、あの「平方センチ」。なんじゃそりゃ。意味不明?
 さあ、ここがキモですぞ。
 センチという単位を持つ「長さ」をふたつかけ合わせて作られた新たな数、実はこの時に、長さから広さへの、意味の変化が生じたのです。そうして、そのことを表すために、ただの「センチ」じゃなくて「平方センチ」という新しい言葉に変わったのです。そうして「平方」ってのは、「同じものを二回かけ合わせた」っていう意味だったのです。センチとセンチをかけたから平方センチということであったのです(さらに言うなら、「方」ってのは直角を意味してもいます。互いに直角な長さを二回かけたわけですな)。
 こんなふうに、なにかとなにかをかける時には、単位が変わるのです。それぞれの数字が持っている「単位」同士もかけ合わさらなければならないのです。
 つまりかけ算によって、新しい意味が生じます。
 面積ではなくて体積もありますよね。体積は、一辺が1の立方体がいくつ並べられるかを数えることで求めます。これもかけ算で数えるので、単位は「立方センチメートル」とかになるわけですね。立方ってのは、三回同じものをかけた、っていう意味。cとmを並べた肩に小さく3ってくっつける、その3が「立方」です。
 長さから面積ができて、さらに体積ができる。こんな具合に、数をかける時には、新たな概念が必要なのですね。面積みたいに同じ単位をかけ合わせるだけでなく、別の単位をかけ合わせるケースも出てきます。そのたびに、新たな概念が登場してくるってわけです。
 ただし……。
 
 さあ、割り算が関係したかけ算の話に踏み込んでゆきますぞ。
 やれやれ、であります。
 



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