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はじめに

 生きていれば、思い出せないことがたくさんある。
 子供の頃の思い出は鮮烈なものしか覚えていないだろう。

 今自分がどうしてここにいるのか、こうなることの些細なきっかけすらも、忙しい現実の毎日に押し流されて忘れていってしまう。

 思い出は忘れてしまうわけではなく、ただ、引き出しの中へとそっとしまいこんで引き出すことができないだけ。
 それを“忘”れたと思うのか、思わないのかはあなた次第。

 ひとりで生きていたのなら、その出来事は自分が思い出さない限り、埋もれていってしまうのだろう。

 みんなが一緒にいたら―?

 あなたが思い出せないことも、きっと誰かが、教えてくれる。



(1)

「だから、あなたは、あそこの乗馬クラブにいた仔犬たちを見て、欲しい欲しいって騒いだんだよ」

 犬がほしい、と言ったきっかけが思い出せなかった。
 気が付いたら、そばにいた、というわけではなく、両親に犬がほしい、犬がほしい、と訴えたことだけは覚えていた。でも、犬が欲しいと思った理由がどうしてもぼやけてしまって、確信が持てない。

 母親はそんな私の思い出の隙間を埋めるように、前述の事を言ったのだ。

 場所は日本ではない。
 日本を出て、海外。世界地図で言うなら、日本の右側だ。ハワイを飛び越えて、もう1つの大きな大陸。
 そこの国の名前はアメリカ合衆国。

 父親の仕事の都合で、私は1993年からアメリカ合衆国ジョージア州アトランタに住んでいた。
 まだ小学1年生で、小学校に入学してすぐに転校してしまったので、日本語(漢字)はおろか、英語ですら上手にしゃべれない。
 それでも両親は、こんな経験は滅多にないのだから、と、学校が夏休みになるとサマーキャンプと称したいくつかのイベントに連れ出してくれた。
 「少年野球」の合宿、「乗馬クラブ」、「キャンプ実習」・・・2週間ほど毎日通うことになるこの期間、私は現地人の友達がいないので、1つ年の離れた兄の影に隠れるようについて回っていた。



(2)

 動物たちと一番のふれあいがあったのは「乗馬クラブ」だ。今思うと、何ともセレブな響きだが、当時のアメリカでは地域によっては観光客が楽しむために道路を馬車が歩いていたし、たまに知らないおっさんが道路を馬で歩いていることもあった。そのせいか不思議には思わずに、「乗馬」を始めたのだった。

 当時は6歳くらいだったので、大人サイズの馬にはまず自分ひとりでは乗れなかった。
 大人サイズの馬は、男の子や、少し年上の子供たち用の馬で、小さい子供たちのために用意された馬は、いわゆるポニーと呼ばれる仔馬だった。

 馬にはそれぞれ名前が与えられており、私はこの乗馬クラブに毎年通っていたけれど、毎回乗る仔馬の名前は「ブーティ」と言った。ブーティは鼻の周りが白い、少しロバに似た馬だった。というかロバだったかもしれない。

 自分が乗る馬には、自分で餌を与えたり、蹄を掃除してあげたり、ブラッシングをしてあげてね、と乗馬クラブのスタッフから教えられる。私もブーティにニンジンを与えてそのまま指ごと食べられたり、蹄を掃除しようとしゃがんだ瞬間にブーティの逆鱗に触れたのか後ろ脚で勢いよく踏まれたりと、動物と触れ合う上で様々なトラブルを経験した。

 動物が苦手な人は、子供のときに犬にかまれたり、猫にひっかかれたりと、トラウマを抱えていることが多い。

 私はブーティに「手をかじられる」「背中を蹴られる」「顔中を舐めまわされる」「頭突きされる」...etc と今思えばトラウマになるであろう恐ろしい攻撃を加えられたが、ブーティにかまってもらえた!という謎の達成感に満たされてしまい、ブーティは怒っているからこその行動であるにも関わらず果敢に立ち向かっていった。

 そんなブーティへのストーカー行為を超えて、動物とのふれあいがたまらなく楽しくなってしまった私。

 「乗馬クラブ」では、1日のスケジュールが終わる時刻になると、親が車で迎えにくることになっている。
 その親の迎えを待つまでの間、小さな小屋で待っているのだが、そこの小屋にいたのが、たくさんの仔犬だったのだ。


(3)

 仔犬たちは、それぞれ雑種だった。
 おそらく、この乗馬クラブでは犬のブリーダーもいるのだろう。4~5匹の仔犬の群れが転がったり寝ていたり、おもちゃで遊んでいたりとたくさんいるのだ。

 親がくるまでの間、仔犬とじゃれていてOKだよ、とイケメンだったか忘れた金髪のスタッフにお墨付きをもらった私は犬を抱っこしながら、親が迎えにきてくれるのを、ずうっと待っていた。

 暫くすると、親が迎えに来る。
 親が迎えに来てくれるのはうれしい。
 でも、迎えにきたということは、家に帰らなければならない、ということだ。自分の膝で寝ている仔犬は、つれていってはいけないよ、と親にもう何回も言い含められている。

 友達と別れるともまた違う、仔犬たちとの別れ。
 「乗馬クラブ」は、夏の期間だけ通える、期間限定のイベントだ。
 1年目に出会った仔犬たちは、2年目に会いに来た頃にはもういなかった。
 だから、もう会えないかもしれないということには、薄々感づいていた。

「わんちゃんをおうちに連れ帰りたい」

 母親にすがるような目で訴えた。
 母親は、当時まったく犬に興味はなかったらしく、2つ返事でNOだった。
 それでも、諦めきれない。この子をおうちに連れ帰りたい。
 母親は渋い表情で何回も私の訴えを却下した。

 「乗馬クラブ」への通いが終われば、仔犬のことなど忘れてしまうだろう。
 子供の一時的な「欲しい」はすぐに新しい興味へと移ってしまうだろうと。

(4)

 「乗馬クラブ」へ通う期間が終わり、動物とのふれあいもなくなった頃。母親に何度もおねだりを繰り返していたところ、面倒臭くなったのか「お父さんに聞いてみなさい」という、一家で決定権のある父親へと尋ねろというお達しがでたのだった。

 父親は私がかねてより犬を飼いたがっていることは知っていた。
 母親は犬を飼ったことがなかったが、父親は犬を飼っていたことがあった。その話を何回か、うっすらと聞いたこともある。

 父親はおねだりをして何かを買ってもらうとき、必ず条件をつける。

 部屋を掃除しろ、テストを頑張れ、今思えばこれは条件ではなく「約束」だったのかもしれない。
 しかし残念なことに、私は1回くらいしかその約束を果たしたことがなかった。
 それでも、父親は、果たせない約束がいくつ続いても、約束をする度に頷く私に、決して呆れたりしなかった。
 今回の「犬がほしい」というおねだりも、今までした数多くのおねだりの一つだったかもしれない。

 きっとまた、テストを頑張ったり勉強したり、しなくてはいけないのだと私は覚悟をしながら父親にお願いをしたのだった。

 父親からの「約束」は、「約束」ではなかった。


 「覚悟」だった。


 犬は、生きている。
 語弊があるかもしれないが、今まで買い与えていた本や、ゲームとは、違う。
 犬は、生きている。

 君と変わらない。世話をしなければならない。優しくするだけでもだめだ、ご飯をあげるだけでもだめだ、かわいいところだけ見てもだめだ。

 そして、必ず、君より早く死ぬ。

 犬の命は、人間よりも、ずっとずっと短いんだよ。
 今、君は6歳だから、生まれたばかりの犬をもらってきても、平均寿命が15年くらいだとして、20歳を超えるくらいには、死んでしまうだろう。

 その時、君は乗り越えられるか?

 大事に、大事に、犬として、友達として、一緒に育った家族が先に逝ってしまうのを乗り越えられるかな?

 そのことをよく考えて、それでも犬がほしいのなら、みんなで飼おう。


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