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スカート

   結論から言うと、僕は妻を殺しました。

 不本意ながら。

   
 僕が勤めていた店は40代からをターゲットとした高級婦人服店で、23歳だった妻が店に入ってきたときに、ショーウィンドウにディスプレイしたばかりの若々しいスカートのせいに違いないと思った。

 2月でまだ寒いのに何となく春の兆しを感じた朝、届いたばかりの段ボールを開けて、最初に取り出したそのスカートを一目で気に入った。

 オーナーの趣味にはいつも感服しているけれどこれは抜群。  
 光沢のあるシルクで白地にパステルグリーンのマーブル柄。
 膝丈のフレアで裾のアシンメトリーがとても上品かつ清楚。
 裏地はまるでベルベッドのような肌触りでとても心地いいだろう。
 早速同じく春物のピンクのセーターと合わせてレディに着せた。
 首にはオーナーの私物のスカーフを結んだ。
 金のチェーンの白い本皮のバックも持たせた。
 パールイエローのヒールを履かせて完了。

 店のコンセプト的には明らかに若すぎる。
 でもバッチリだレディ、凄く綺麗だよ。

 春を先取りだ!
 
 「あのスカートなんですけど、」

 案の定、ディスプレイし終えたばかりのスカートを指さされて僕は複雑な気分だった。
 せっかく完璧なのにもう脱がせるなんて。
 それにシャッターを開けてから着替えさせるのは失礼だ。

 「少々お待ち下さいませ。」

 そういって、ラックから同じく届いたばかりの少し丈の短いオレンジの小花柄を選んで取った。

 「こちらも届いたばかりの春物なんですよ。」

 妻はふんわりと微笑んだ。
 もう一着、オフホワイトにブルーの格子が入ったプリーツスカートを取った。

 「お客様でしたらこちらもお似合いかもしれません、ご試着してみますか?」

 「あれなんです。」

 ディスプレイを指さす妻に僕はにっこりして頷いた。
 ですよね。
 ディスプレイの前に立ち、レディを見上げてため息をついた。
 そう、妻はこうと決めたら一直線だった。
 欲しいものは何がなんでも手に入れないと気が済まない人だった。
 ある意味強引に。

 不器用なほど一途に。
 
 ごめんねレディ。公衆の面前で。
 (マネキンの名前…僕が命名した)


 マーブル柄を脱がせてハンガーにかけ、すかさず格子のプリーツに着せ替えた。
 こっちも悪くないよ。
 君は何を着ても似合うように出来ている。
 せっかく結んだけどスカーフは取った方がいいね。
 ネックレスにしよう。パールがいい。ちょっと待ってて取ってくる。
 ヒールも紺に変えようね。
 バックは…ああ留め具が金のリングの小さなショルダーがあった、あれがいい。
 コーディネートし終えて振り返ると妻がじっと僕を見ていた。

 「ストッキングまで履かせてるんですね。」

 「え?ああ、はい、その方が足が自然なので。」

 「ふぅん…で、それ、着てみてもいいですか?」

 「ああ、はいどうぞ。」

 マーブルを差し出した。
 試着室のカーテンが閉まる。
 右だけ倒れたヒールを揃えて並べ直した。
 某ブランドの可愛いピンクのヒール。
 残念なことに踵に傷。
 扱いが丁寧じゃなかった証拠。
 衣擦れの音がする試着室から離れた。
 マーブルを丁寧に扱ってくれてますようにと願いながら。
 きっとマーブルは買われると思った。
 似合うと思った。

 とても。
 悔しいけどレディ、彼女に譲る事になるだろうね。
 
 案の定妻は「これにします。」と即答した。
 やっぱりサイズも丈もぴったり。

 これまで何度もこういう場面を繰り返しているけれど、これほどあつらえたようにぴったりな事は珍しい。

 妻もそう感じたようで、なんとそのまま着て行きたいと言った。

 「では値札を切らせて頂きますね。」

 「あ、そうですね、っていうか、いくらですか?」

 「12000円になります。」

 「…高いかも…。」

 「ですよね。」

 「え?」

 「およしになりますか?」

 びっくりしたように妻は瞬きした。
 とてもよく似合っている。
 その姿をしみじみ眺めた。
 美しい女性だ。

 (みなさんが想像する美しい女性像をそのままにしてください。)

 諦めて言った。

 「冗談です。」

 僕は笑った。
 妻も笑った。

 「これからの春物ですし、イタリア製の一点物ですから本当はむしろ安いくらいなんですよ。とてもいいお品なんです。とてもお似合いですよ。」

 「ほんと?」

 「冗談ではなく。」

 そう言って微笑むと妻は恥ずかしそうにうつむいてバックから財布を出した。
 妻が着てきたスカートを畳もうとすると、「いらないわ。」という。

 「え?」

 「これから出かけるのに荷物になるから。」

 僕はがっかりした。
   そのせっかくの美しさにも。
 貴重なスカートを売った事にも。
 こっちをいらないなんて。

 「ですがこちらもとても素敵な…。」

 妻が着てきたスカートを広げて呟いた。

 「そんなに見ないで。もう何度も着たし、安物だし、いいの。捨てて下さい。」

 捨てるっ?!
 眉間にしわを寄せてしまって慌てて取り繕った。

 「かしこまりました。」

 「ずっと気になってたの。」

 妻はぐるりと店内を見渡して僕に視線をもどした。

 「ありがとうございます。ですがお客様には多少品揃えがシックですよね。」

 答えずに妻は僕を見つめ、艶やかな唇を少しとがらせた。


 妻が店を出て行った後、残されたスカートをよく見た。
 裾に紺色の花が散りばめられたシンプルなプリーツスカート。
 確かに生地や裏地、裁断や縫いも高級品とは言えない。
 でも着古されたようには見えない。むしろ今日初めて着たような…。
 どうであれ、きっと一度もクリーニングされずに数回着用されただけで使い捨てられていい代物ではないはず、ましてや僕にそんなことは出来っこない。
 まだ微かに妻の温もりが残っているそれをすぐ隣のクリーニング店に持っていった。
 夕方には出来るという。
 それが妻のスカートを初めてクリーニングに出した日だった。
 それから僕と妻と、妻のスカートとの戦いが始まった。

 ♦

 妻はそれからたびたび店に来てはレディのスカートを指さした。
 その都度僕は他のスカートを提案してみるものの、結局レディから脱がせるのだった。
 そして妻は履いていたスカートを置いていく。
 捨てることが出来ずに僕はそれをクリーニングに出す。
 9着目をクリーニング店から持ってくる帰りに店の前で妻と出くわした。
 自分が捨てたスカートを僕が持っているのを見て当然妻は凄く驚いた。
 立ち尽くしている妻に僕は慌てて言った。

 「いつかお返しする機会があるんじゃないかと思って。」

 しばし僕を見つめ、「じゃあ今夜。」と妻は呟いた。
 
   初めて妻の部屋に入ったときしばし、目の前の光景に立ち尽くした。
 悪びれた様子もなく無邪気に「散らかしっぱなしなの」などと花のような笑顔で妻は、コーヒーの入ったマグカップを差し出した。
 衣類の山に呆然としながら受け取って、無意識的にそれを口に含んだ僕はそのおいしさにびっくりして妻を振り返った。

 「私、コーヒー専門店で働いているの。どう?美味しいでしょ?」

 頷いて今度は味わって、不可解な妻を見つめながら飲んだ。
 温度といい、濃さといい、知るはずもない僕の好みといい、こうも丁寧な仕事の出来る人がどうして着るものをこういう有様にしておくのか…。

 「恥ずかしいわよね。」

 肩をすくめて妻は、いましがた脱いだばかりのジャケットやいつから放置してあったか分からないそれらを適当に拾い集めて、やはり適当にバサバサと振って、それもぎっしりと満員でゆがんでいるパイプハンガーに埃よけの布のようにそっとかぶせた。

 「君、」

 それは無意味だ。

 「分かってる、分かってる。」

 言いかけた僕を遮るように妻は広げた両手を振った。

 「苦手なの、片付け。」

 そして、「ゆるして。」と責めようのない愛らしさで微笑み、僕にため息をつかせた。


 まさかここまでとは。
 店に捨てられていったスカートといい服へのぞんざいな扱いにはがっかりさせられた。
 でも何故か妻を嫌いにはなれなかった。
 むしろどこかホッとしたようにも思えた。
 その弱点に、不完全さに、自分の存在も許されるような気がして。
 必要と、された気がして。 

 洗濯、クリーニング、ポールハンガー、クローゼット、それぞれ分類されて収まって、入りきらないものは壁際にきちんと畳まれて積まれて、すっかり片付いて「久しぶりに座れる」って妻が喜んだソファーの上で僕らはキスした。
 私にはあなたが必要よ。と妻は言い、僕は深く頷いた。

 「あなたにも私が必要。そうでしょう?」

 更にそう言われて僕は素直に「はい。」と頷いた。

 僕らは一緒に暮らし始めて、それからすぐに結婚した。

 ♦

 十も年の離れたチャーミングな妻が自慢だった。
 でも自慢できるような親しい間柄の友達はいなかった。
 仕事中も店員は僕一人。
 僕と、レディだけ。
 レディをディスプレイするときにおのずと妻をイメージするようになった。
 しかし店の品揃えではどうしても妻には地味で、若めのものばかり合わせてもちぐはぐで、それまで楽しんでいたレディのコーディネイト作業が思うようにはかどらなくなった。
 リスペクトしていたはずのオーナーの趣味にも心がときめかなくなってしまった。
 品物は変わらずセンスの良い価値のあるものに間違いなかったのに。
 妻と重ねてしまうかぎり、それらを綺麗に飾り、おすすめすることが出来なくなってきた。
 仕事は仕事で妻と切り離して考えなくてはいけないと気持ちを改めた。
 それくらい僕の中で妻の存在は圧倒的だったのだ。
 
 「最近私にスカートを選んでくれないのね。」

 不服そうにそういった妻に一連の事情を説明しないまま僕は「君には似合わない。」と告げた。

 「じゃあ誰になら似合うの。」

 初めて妻は激高して泣いた。
 違う、誰ならとかそういう話じゃない。
 店の品物の対象年齢が違うから無理がある、そう説明しても妻は聞く耳を持たなかった。
 しばらくして、やっと口を聞いてくれた妻が僕に言った。
 
 「これからは自分で選ぶわ。」

 僕は返答に詰まった。

 「何もスカートはあなたのお店だけじゃないわ。」

 「そうだね。」

 「あなたはきっと、気に入ってくれると思う。」

 真剣な顔で妻が言うから、僕も真剣に頷いた。
 同年代の店で選んでくる若々しいスカートに身を包んでいる妻の姿を想像してうっとりしたし、安堵した。
 妻は解ってくれたと思った。

  

 それからだ。
 ひたすらスカート。

 何枚も何枚も、毎日、自分の給料と、僕の給料のほとんどを費やして取り憑かれたように妻はスカートを買いあさった。
  その量も値段もいわば暴力的で、感想を問われると僕は怯えて「似合う」と答えるしかなかった。
 しかし妻は満足しなかった。
 僕はただひたすら、脱ぎ散らかされたスカートを拾ってハンガーに掛けたりクリーニングに持っていったりし続けた。
 一枚も捨てず、ないがしろにせず、妻に選ばれて僕の元へやってきたスカート達を精一杯慈しんだ。
   妻の衣類を片付けるのは最初から僕に課せられた任務だったし、僕に気に入られようとして選んでいるスカートならば、それらは妻の気持ちであり、大切に扱うのは妻を大切にすることと同じだと思った。
 寝室にしていた部屋のクローゼットには収まらず、ベッドの上に壁から壁にポールを渡して掛けていった。
 のれんをくぐるようにして寝室入って、ベッドに横になってスカート、目が覚めてまずスカート、終いにはリビングもソファーやテーブルをどかして、まるでショップのようにスカートを飾った。
 スカートだらけの窮屈な部屋。

   まともじゃないかもしれないけどこれは愛だ。そう思った。
 キッチンで立ったまま気もそぞろに食事をし、無数のスカートが生み出す色彩にざわめきながら妻を抱いた。
 息も出来ないほどお互いを求め合っていると思っていたのに、妻が浮気していることを知って僕はまさに青天の霹靂だった。

 妻の浮気の事実は追求しなかった。出来なかった。
 理由は僕がいたらないからに違いないし、何がどうであれ妻を失いたくはなかったから。
 朝になっても戻らない妻を僕は、スカートに囲まれて待った。
 何も気づかないふりをし続けながら、地の底まで堕ちてマグマを飲んでは溶けた体の組織と一緒に吐き出すような最悪な気分で毎日を耐え、出来る限り最善を尽くしたつもりでも状況は改善されなかった。
 別れて浮気相手に潔く譲るべきだろうかとも悩んだ。

 でもそんな勇気もないまま時間だけが過ぎ、裏腹に増え続けるスカートだけが僕の唯一の心の支えだった。

 自分から行った病院で妻は「買い物依存症」だと言われた。
 そのあまりにざっくりとした、既にわかりきった名称と診断に僕は笑ってしまった。
 けれど妻は笑わなかった。

 「あなたのせいよ。」

 そう言って僕を責めた。


 私じゃない。あなたが満足しないから。


 そしてこうも言った。

 「あなたは辟易してみせるけれど、これは全部あなたの世界なの。あなたの理想なのよ。セックスできるマネキンと、大好きなスカートに囲まれてあなたは本当はとても幸せなの。私はあなたの理想を叶えようとしただけ。愛されようと思っただけ。なのにあなたはまだ足りないの。私に汚いことをさせて狂わせて、まだ満足出来ないで私を苦しめる。おかしいのはあなたなのよ。ちがう?」

 僕には返す言葉が見つからなかった。

 何を言っているのかさっぱり解らなかったのだ。

 

 死んでいる妻を発見した時には既に3日経っていた。
 
 それまで妻は一晩戻らない事はあったけれど、二晩戻らない事はなかった。
『スカーフはあなたが巻いて。あんな風にして。』
 という不可解なLINEのメッセージを最後に連絡は途絶えたまま、いよいよ戻らないつもりなのかと僕は3日目の朝、思い切って妻の職場へ出向いた。
 別れたくない。
 意地でも連れ返すと意気込んで行ったのに、妻は既に半年前に退職していると聞かされて途方に暮れ帰宅した。
 確かに、妻は僕より遅く出勤して、僕より早く戻る勤務だったけれど、だからといって全く気付かなかったなんて。
 だったら妻はどこで何をしているのか。行きそうな所を考えても思い浮かばなくて「仕事辞めてたんだね。気づかなくてごめん。どこにいるの。話がしたいんだ。」とLINEした。

 これまで妻が戻らなくても連絡はしなかった。
 現実を直視するのが怖くて。でももうそんなこと言ってはいられない。
 LINEは既読されないから電話をかけた。何度も、何度も。
 頼むから一度だけでいいから出て欲しいと願った。
 そうしたらちゃんとやりなおそう。
 まず話し合おう。
 妻が望むとおりになんだってする…これまでもなんだってしてきたつもりだったけどきっと足らなかったんだろう、方向性が間違っていたんだろう、理解が誤解だったんだろう。寂しい思いをさせていたなら改める、病院で笑ってすまなかった。その想いを一つ一つ丁寧に聞き出して、一緒に解決しよう。努力する。…だから頼むから出てくれ、と電源が切られたままの電話に心底祈った。


 この際妻の浮気相手に電話もした。
 外泊から帰り妻がシャワーを浴びている間にロックされていなかったスマホを見て知ったその存在と番号だった。
 かけてみると「知らねえよ」と切れた。
 もう一度かけて、事情を訴え、行きそうな場所を知らないかと聞くと「もう別れたし。夫のくせに何にも知らないんだな。」と笑われた。
 
 「あんただっていなくなって清々してるんじゃないの。あいつおかしいじゃん?いやあんたがおかしいのか。そもそもさ、愛された事なんか一度もないって言ってたよ。」

 「そんな…、」

 「それより金返してくんないかな。当然だよなあ?あんたらのプレイに利用されてさ。あいつにどんだけスカート買ってやったと思ってんの。」

 「え?一体、」

 どういうことですか?言いかけたところで電話は切れた。
 電話の内容を反復し、混乱して憤って途方に暮れて天井からぶら下がる無数のスカートを見上げた。
 それら一枚一枚に、妻が着ている映像が浮かぶ。
 583枚、そのどれにもだ。
 端からずっと目で追っていく。
 重なったスカートの僅かな柄で、その姿と形をすぐに思い浮かべることが出来る。
 
 あれ…。
  
 先日春物のスカートをこの列に並べたはずだったが、あのマーブル柄がなかった。
 端から慎重に確かめていった。
 やっぱりない。
 もしかして…。
 あれを着てでかけたのだろうか…。
 僕らが初めて出逢ったあの日の大切な一枚。
 あのパステルグリーンのマーブル。
 一番目立つ場所に掛けておいたはずなのに。
 ベッドを飛び降りてリビングの棚やハンガーも確かめた。
 
 「ない…。ない。ない。」

 衣替えしたばかりだからそこにはないことは分かっているけれど、寝室に戻ってクローゼットを開けた。
 その瞬間、妻の付けていた甘い香水の香りに混じって異質な匂いがした。

 下に並べられた靴の箱の上に、パールイエローのヒールが片方だけ倒れて置いてあった。


 何故。


 もう片方を探して暗いクローゼットの奥を探った。
 濃厚な闇のようなその先で指先がつるりとした布地に触れた。
 そぅっと引っ張る。
 スカートを覆っていた埃除けのカバーだった。
 無性に恐ろしくなり、投げ捨ててクローゼットから出た。 
 乱れた呼吸を飲み込んで、血眼になって端からスカートを確かめた。
 
 パステルグリーン…
 マーブル…。
 春物の…
 シルク…。

 どこ…
 どこ。
 どこ!

 「どこなんだ!」


 苛立って両手で力一杯スカートの束を左右に開いた。
 本当は分かっていた。
 死の匂いだった。
 圧迫されるようにずんと重く、微動だにしないよどんだ不穏な空気も。

 

 「このスカート、出したのね。」

 「もちろんだよ、今年も履くだろう?」

 「そうね。」

 「どうしたの?お気に入りだろう?」

 「あなたのね。」

 後ずさり、がくりと膝をついた。
 ヒールのもう片方は妻の足が履いていた。
 マーブルのスカートから伸びる、まるでマネキンのように不自然に白い足。
 ピンクのセーターに手首にチェーンのバックを巻き付けて、パールイエローのヒール。


 レディ。
 
 あの日、着せたそばから脱がせたレディの春のコーディネートだった。

 レディだったのだ。


 
 妻は毎日僕によってディスプレイされるレディと戦っていました。
 僕は鈍感で残酷だったのです。
 妻以外の「女性」を毎日…毎朝、思いつけば昼も夕も裸にしては自分好みに完璧に仕立てて満足していたのだから。
 時給の安いパートを辞めて、体を売ってまでして高級なスカートを買って、これでもかと履いて見せても、僕は似合うと言いながらも一方でレディのコーディネイトを止めませんでした。
 それは僕が妻に満足していない証拠だと妻の目には映ったのでしょう。
 最後の手段、妻はレディになりました。


 ベッドに降ろしてあげてからバックの前ポケットにスマホを見つけた。
 電源を入れてLINEを開いた。
 コーディネートを終えて最後に送ったんだな。そう考えるとつじつまが合う。
 『スカーフはあなたが巻いて。あんな風にして。』
 そのメッセージの後に、三日も過ぎてから送った僕からのメッセージが全て既読となった。

 仕事中で夕方までメッセージに気づかなかった。気づいても意味が分からず返信を躊躇した。どうしたの、そんな一言さえ返せなかった。
 返していたら間に合っていただろうか。
 いや、もうきっと手遅れだった。
 時間はたくさんあったのに、妻はいつも訴えていたのに。
 スカートの数だけ。

 バックの中に入っていたスカーフを妻の首に巻き、変色して痛々しい首のロープ跡を覆った。
 あの日のレディのように丁寧にひだを寄せて華やかな大きいリボンを作った。
 完璧だよ。
 とても…綺麗だ。
 僕は笑った。叶えてくれたんだね。僕の理想を。
 

 「満足しろって言うのか…。」

  
 でも妻は答えない。
 不透明に白くむくんだ顔のまま微動だにしなかった。
 わかったよ。もうわかった。とても満足だ。だから起きてくれ。
 頬を両手で挟んで口紅の乾いた唇にキスした。
 けれど冷たくて、もう全然動かないのだ。

 「頼むよ…。」

 涙が溢れた。

「愛してるのに…。」

 頼む。どうか、どうか戻ってと、妻を抱きしめて揺さぶって何度も名前を読んだ。

  

 「マネキンとそのスカートに心を奪われた狂った夫なんですよ。僕は。とても不本意ですが。」

 オーナーへ電話で、店を辞めたいとても続けられる気分じゃない旨を伝え、事情を説明した後に僕はそう言った。

 「言葉もないよ。とても辛い想いをしたね。心からお悔やみ申し上げます。でも…むしろ君を辞めさせるわけにはいかないよ。」 

 遠いイタリアの地から、一度も会ったことのないオーナーはいつもの連絡と変わらない中性的な声で囁いた。

 「その申し出は、受けられない。」

 「ですが、妻はもう我慢が出来ないのです…僕がその…、」

 「マネキンに触れることに。」

 「…はい。」

 「トルソーにしても構わないよ。ハンガーでも。」

 「え?ではレ、いえあのマネキンは。」

 「処分すればいい。」

 「捨てると?」

 「そう。出来ない?」

 妻に問われている気がした。

 「いえ、いえ出来ます。捨てます。」

 僕は答えた。

 「これからはもう二度とさわりません。」

 ほんとかしら?

 「本当に。誓って裏切らない。」

 すがるように受話器を握りしめて僕は言った。

   オーナーは「頼むよ」と少し笑った気配がした。 



 

 妻の残した大量のスカートの管理は相変わらず僕のライフワークのまま。

 妻にとっては忌まわしい戦いの痕跡かもしれないけれど、反面僕がそれらを捨てられない事を解っていて、一生縛られ続けるだろう事実には勝ち誇っているはずだ。

 先日夏物と入れ替えた。
 何せ枚数が多いし、妻亡き今、一枚たりとも損なう訳にはいかないから大変だ。
 変色したり虫に食われたりしないように細心の注意を払っている。
 ボーナスで桐のタンスを買おうかと検討中だ。
 それにこの際きちんとしたリストを作る必要があるかもしれない。
 最終クリーニング日、購入先、購入季節、値段。
 そしてその時の妻のコーディネイト。
 記憶の中で、いつまでも鮮明に妻もスカートも色あせはしない。
 しかしスケッチ、いや写真で残そうか。
 でも、だったら誰に着せる……?


 君、それは無意味だ。

 分かってる分かってる。

 苦手なの。片付け。許して?

 …片付けるのが面倒で捨ててしまうのかい?

 興味を失うの。新しい対象が見つかると。

 じゃあ迷惑だったね。スカート、取って置いたりして。

 そんなことないわ。

 でももう履かないだろう?

 履くわ。あなたがそうして欲しければ。

 …あのグリーン、個性的でとても可愛いよ。

 ほんと?着替えてくるわ。

 今?じゃあ僕はここを片付けているから。

 ありがとう。上には何を着ればいい?

 そうだな。パフスリーブのジャケットなんかどう?

 確かあったわ。白?ベージュ?黒?チェック?

 どれだけ持ってるんだ…。

 ちょっと待ってて。全部持ってくる!

 君!

   


この本の内容は以上です。


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