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十五才の夏休み1

1 十五才の夏休み

  

俺は樋渡勇気。ひわたしゆうきと読む。ちょっと変わった名字だろ。まず初対面の人からは正しく呼んでもらったためしがない。

中学三年生。この夏、十五歳になった。

今一緒に歩いている、ちょっと気の弱そうなヤツは石田宏明。小学校の頃からなぜか気が合って結構一緒に遊んでいる。

俺と宏明は今、塾に向かって歩いている。このクソ暑いのに模擬テストがあるらしい。しかも休憩なしのぶっ続けで五教科。あー、やだやだ。だんだん足が重くなってくる。

「おい、勇気。もっと早く歩けって。遅れるぞ」

「わかったよ」

俺は宏明の今にも泣きそうな間延びした顔に向かって言った。

交差点の横断歩道を渡ると、学校が見えてくる。道路に面した校庭で、野球部のやつらが走りこみをしている。

「き、た、ちゅう、そーれ、き、た、ちゅう、そーれ」

ふっ、相変わらずダせえ掛け声だ。

「あいつら、暑いのにがんばってんなあ」

「若いってのはいいねえ」

俺と宏明は軽口を叩きあいながら、校庭の横を歩いた。

つい一ヶ月前までは俺たちもあの中にいた。いや、いたどころか俺たちが中心だったんだ。なのに今は――この状況の差は一体何なんだ。

俺らが立っているこの道路と、後輩たちが走っている校庭を挟む緑色のフェンス。

一年生の頃、外に飛び出したボールを拾いに行くたびに何度も乗り越えたはずのこのフェンスが、まるでどうやっても乗り越えられない要塞のような気がしてきて、俺は、グランドから目をそらしたまま通り過ぎた。 


十五才の夏休み 2

模擬テストは最悪だった。結果は見なくてもわかる。また親父の鉄拳が飛んでくるのは間違いない。ったく、中三のこの時期にわざわざ俺たちに自信をなくさせて一体どうするっていうんだろう。

「なあ勇気、ハラすかね?」

「そうだな。じゃ、ジャスコにでも寄ってくか」

俺と宏明は小腹を満たすために近くの大型スーパーに寄ることにした。地下のフードコートで何か食っていこうとエスカレーターに向かうと、同じクラスの小野寺力とすれ違った。

リキだ。

「なんだ、リキじゃん」

「おう、お前ら何やってんだよ。こんなとこで」

「塾だよ、塾。お前こそ何やってんの」

「別に。今帰るとこ」

リキも小学校からの友達だ。

俺は、腰に銀色のチェーンをやたらとぶら下げているリキを見た。去年くらいまではいつもニコニコしたヤツだったけど、最近少し目つきが変わったように見えるのは俺の気のせいだろうか。俺たちと話している時には相変わらずニコニコしてるけど、ちょっとした瞬間の目つきがきつくなっている。

「な、お前らもう塾終わったんだろ。遊ぶべ。ゲームやろうぜ」

「じゃ、俺んち来る?新しいロープレのやつ買ったんだ」

ということで、俺たち三人はそのまま宏明の家に行くことになった。

宏明の家は、スーパーの隣にあるでかいマンションだ。考えてみれば宏明の家に行くのはずいぶん久しぶりだ。小学生の頃は毎日のように行ったり来たりしてたもんだけど、中学に入ってからは、部活、部活でお互い時間がなかったからな。

「ただいまあ」

「おじゃましま~す」

「あら勇気くん、久しぶりね。いらっしゃい」

玄関に出てきた宏明の母ちゃんが、俺のうしろにいるリキを見た。

「リキくんも・・・・」

おばさんの顔が一瞬曇ったのがわかった。

リキは無言のまま、おばさんを無視するように玄関を上がり、宏明の部屋のドアを開ける。

「・・・」

そんなリキを見て、ますますおばさんの顔つきが険しくなる。大人はすぐこんなふうに感情を出すんだ。

「ひ、宏明、おやつ後で持っていくからね」

「ああ。さ、早速やろうぜ」

宏明はドアを閉め、ゲーム機をセットし始めた。

「相変わらずきたねえ部屋だなあ」

「うるせえって」

あとは俺たちはひたすらゲームに興じた。新しいゲームをやる時は心底ワクワクする。でもひとしきりやってしまうとさすがに飽きてくる。だが、こう暑くてはまた外に行く気にもなれない。

「あーあ。ヒマだなあ」

俺は宏明のベッドにごろりと寝転んだ。勝手しったる友達の部屋、だ。

「俺たちってさ、これでも一応受験生なんだよね」

宏明が情けない声を出した。

「おまえ、受験生とか言うなって」

「だってさあ。何だか最近ストレスたまってさあ」

リキは俺たちの会話には入らず、しばらく一人でコントローラーを握っていたが、ふとそれを床に置くと、

「なあ、明日みんなで東京に行かないか?」

突然、わけのわからないことを言い出した。

「は?リキ何言ってんだよ、急に」

俺は思わず体を起こした。

「駅から東京行きの高速バスが出てんじゃん。朝イチで出て、また夜の便で戻ってくれば楽勝だろ」

「いいなあ、東京か。俺エビちゃん見てみたいな」

宏明がマンガに目を落としたまま、のん気なことを言う。

「エビちゃんに会えんじゃねえか。きっとさ」

「だよなあ。東京ってさ、芸能人がその辺普通に歩いてるんだよな」

「そりゃそうだろ。あとさ、渋谷も行こうぜ」

「いいね。行こいこ」

リキと宏明の二人は勝手に盛り上がっている。

「バカ。金はどうすんだよ。ただで行けるわけじゃねえんだぞ。無理にきまってんだろ」

「でもな、片道三千円くらいで行けるらしいぞ」

「へえ、往復で六千円かあ」

「あのなあ」

俺は呆れて言った。

「だから無理だって。宏明、明日もまた塾だぞ」

「そっか」

リキもそれ以上は何も言わなかった。

(ったく・・・くだらねえこといってんじゃねえよ)

俺は心の中で舌打ちをして、

「な、別なゲームやろうぜ」

ベッドから飛び降り、またコントローラーを握った。


十五才の夏休み 3

「じゃあな」

「また明日な」

宏明んちを出て、さっきのスーパーの前を通り過ぎたところで、

「じゃあな。俺こっち」

リキが俺たちの家とは逆方向に向かって歩きだした。

「あれ、おまえんちこっちだろ」

「まだ帰んねえよ」

「もうこんな時間だぞ」

「どうせ帰ったってうちに誰もいねえし」

「そっか・・。でもおまえ今からどこ行くんだよ」

「適当に遊んでくわ。じゃな」

俺はその場所に立ったまま、少しづつ薄い闇の中に消えていくリキの背中を、ちょっとだけ見送った。

 

家に着いた。路地の奥にある何の変哲もない一戸建ての家だ。

俺は無言で家の中に入る。普通に「ただいま」と言っていたのがいつだったか、もう思い出せない。

玄関の靴箱の上に、家族の写真が飾ってある。赤い色のフレーム。嫌でも必ず目に飛び込んでくる。こんなもの別に見たくもないのに。写真にはなぜか俺の姿はない。写っているのは、親父とあの女、そして弟と妹。一体どういうつもりであの女がこんな写真をわざわざここに飾っておくのか、俺にはさっぱりわからない。どういうつもりなんだろう。

部屋の奥から弟たちが騒ぐ声が聞こえる。その声が、俺が廊下を歩き出した瞬間、さっと静かになる。いつものことだ。

「あんたたち、静かにしなさい」あの女が弟たちにそう言っているのが目に浮かぶ。

(ま、どうでもいいや)

俺はそいつらがいるリビングには寄らずに、まっすぐ奥の洗面所に行って水道をひねった。水が生ぬるい。

「お帰りなさい。勇気くん」

顔に水をバシャバシャやっていると、頭の上でロボットみたいな声がした。一応今は俺の母親、ということになっているあの女の声だ。

俺は黙って水を止め、タオルで顔を拭いた。

「もうごはん食べるんでしょ?」

「うん」

「じゃ、すぐ持っていくから」

ああ、イライラする。何でこの女は、俺の顔を見るたびにひどく引きつった顔をするのだろう。俺は猛獣か。悪魔か。ばかやろう。心の中で毒づいてやる。

そのまま二階の自分の部屋に行き、ベッドに寝転んでいると、

「勇気くん、開けて」

あの女が晩飯を運んできた。

「これ・・・」

俺は無言でそれを受け取り、あの女も俺にトレイを渡すとさっさと下に下りていく。また弟たちが騒ぎ出したようだ。テレビをつけると何回か見たことのあるドラマをやっている。俺はそれを見ながら、皿の上のとんかつやら野菜の煮物やらを咀嚼していった。

味なんかしない。うまくてもまずくてもどっちでもいいんだ。これはただの栄養補給なんだから。

ちょうど画面に、家族が揃って飯を食っているシーンが映った。

夕食をこの部屋で一人で食べるようになったのはいつからだったっけ。俺はふと考えてみた。たぶんお母さんが死んで、あの女がうちに来てからだから、小六の頃だ。もう三年になるのか。あれから・・・。

女優のキンキン声がどうも耳に障る。俺はリモコンでチャンネルを変えた。

 

お笑いタレントが司会をやってるバラエティを少し見たところで、ドアがいきなり開いた。親父だ。帰ってきたのか。

「おい、勇気」

「何だよ」

俺は慌ててテレビを消す。親父はいつもこうだ。絶対にノックをしない。中三男子の部屋にいきなり入ってくるのがどれだけやばい行為か考えないのだろうか。おかげで俺はいつも気が抜けない。自分の部屋にいる時でさえ、だ。

前に一度、親父に抗議したことがある。

「ノックしてから入ってよ」

あの時の親父の言い分。

「ノックだあ? 何で親が子供の部屋に入るのにいちいち確認を取らなきゃならないんだ?ふざけるな。この家のローンを払ってるのは誰だと思ってるんだ。この俺だぞ。俺には、この家のすみからすみまで全部自由にできる権利がある」

――だとさ。ああ、くだらねえ。あれ以来、この親父には何を言っても無駄と言うことがわかったので、もう一切抗議するのはやめたんだ。

「勇気、おまえ、今日もまた帰りが遅かったんだってな」

「知らないよ」

俺は横を向いた姿勢のまま答える。またあの女か。ちくり女め。あの女はいつもこんなふうに俺の行動を逐一親父に言いつける。それがまるで生きがいのように。

「夏休みだからって遊んでばかりいるんじゃないぞ」

「遊んでねえよ」

「塾のほうはどうなんだ。ちゃんと進んでるのか」

「まあね」

「そんなにのんびりしてたら高校に行けないぞ。うちはおまえの下に小さいのが二人もいるんだ。おまえには何が何でも公立に入ってもらわないと困るんだからな。今が勝負だ。わかってるのか」

「ああ、わかってるよ。もういいだろ」

「とにかくしっかりやれ」

これでやっと出ていってくれる、とほっとした瞬間、親父が振り向きざまに言った。

「あとおまえ、お母さんにあんまり反抗するなよ」

その瞬間、俺の中で何かがはじけた。

「何だよ、俺が何したっていうんだよ。アイツ親父に何て言ってるんだよ!」

「お母さんのことアイツなんて言うんじゃねえ!」

いきなり頬に親父の拳が飛んだ。火花が飛び散る。

ちくしょう!

起き上がろうとするが目の前がくらくらして立ち上がれない。

「わかったか。ガキのくせに生意気な口聞くのは俺が許さねえからな!」

親父が捨て台詞を吐いて出て行った。

俺は拳で思い切り目の前の壁を叩く。

ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!

壁紙がめくれ、穴があく。俺はもう一度ありったけの力をこめて、その穴に向かってこぶしを突っ込んでやった。ドスン、と鈍い音が響く。

おそらく驚いたあの女がまた引きつった顔で二階を見上げているはずだ。

そんなこと俺には知ったこっちゃない。ちくしょう!


3
最終更新日 : 2015-03-14 14:41:39

十五才の夏休み 4

俺は机に置いていた携帯をつかんでベッドに仰向けに寝転んだ。その姿勢のままメールを打つ。壁を殴った右手が痛い。

To宏明

メッセージ『明日やっぱり東京行くべ』

送信――と。

すぐに携帯が震え出し、着信音にしているスキマスイッチの曲が流れた。

「おう」

「勇気?メール読んだけど・・・どうしたんだよ、急に」

「そのままだよ。明日東京行こう」

「だっておまえ、さっきはそんなの無理だとか言ってたじゃん」

「気が変わったんだ。でさ、おまえ自分専用のパソコン持ってるだろ。くわしい時間とか予約方法とか調べてくんね? 俺んち、親父と共用だからさ」

「まあいいけど。でもおまえ大丈夫なの?勇気んちって、門限とかあんじゃん」

「バカ、そんなの関係ねえよ。とにかくもう決めたんだ。みんなでパーッと遊んでこようぜ」

「塾はどうする」

「一日くらい休んだってどうってことねえだろ。どうせ来週から嫌でも毎日塾ばっかになるんだしさ」

「まあそうだな。わかった。じゃあ調べてみるわ」

「悪いな。よろしく」

さて、次はリキだ。

 

= リキ in ゲームセンター =

 

ジーンズの腰のポケットに入れた携帯がブルルと動いた。リキはゲームの画面に見入ったまま、片手でそれを取り出した。メールか。勇気からだ。

From勇気

メッセージ『明日東京行くぞ!くわしいことは調べてまたメールする』

は?東京?何だよ、さっきはのってこなかったくせに。何考えてんだ?

リキがさっき東京に行こうと言ったのは、別にいきなり思いついたわけではなかった。もうずっと前から東京に行きたいと思っていた。渋谷、原宿、新宿。六本木。テレビや雑誌の中にある、あのキラキラした場所に行ってみたかった。仙台という地方都市に住むリキにとって、東京はすべてが揃った万能の街だった。ほしいものは何でもあるような気がする。

わけはわからないが勇気がその気になってくれたらしい。

よーし。東京だ!東京に行くぞ!

リキは残りのメダルをつかんで立ち上がった。


4
最終更新日 : 2012-04-25 18:46:04

十五才の夏休み 5

= 宏明 in 自分の部屋 =

 

風呂から上がり、髪をこすりながら部屋に戻ると、なんと妹の詩乃がいる。あろうことか、宏明の携帯を見ているではないか。

「勝手に見んじゃねえよ!」

宏明は慌てて妹の手からそれを取り返した。

「だって何回も鳴ってたから、急ぎなのかなと思って」

「ほっとけよ。いいから」

全く油断もすきもない。

「ねえ、お兄ちゃん、明日東京行くの?」

げっ。やっぱしっかり俺のメール見てるじゃねえか、コイツ。

「おまえに関係ねえだろ」

「お母さんには言ったの?」

「言うわけねえだろ。おまえ、絶対親に言うなよ。言ったらみろよ」

「わかったよ。でも条件がある」

詩乃はただでさえ細い目を更に細めて言った。

「原宿でね、これ買ってきてほしいんだ。仙台じゃ売ってないんだもん」

派手な女の写真がいっぱい載った、わけのわからない雑誌を持ってきて、白っぽいスカートを指差す。

「店の名前はね、えーと」

「俺、そんな余分な金ねえんだけど」

「お兄ちゃん、お年玉とか結構ためこんでるの、あたし知ってるけど」

宏明は思わず言葉につまった。全く、まだ中一のガキのくせに、こんなことにばっかり興味をもつようになって。

「約束ね」

「買えたらな。ほらさっさと自分の部屋に行けよ」

宏明は強引に詩乃を部屋から追い出すと、まだ濡れている髪の毛をごしごしとこすった。

さっき勇気に頼まれてネットで調べたら、サンバード観光とかいう会社の高速バスにたまたま三席分の空席があった。リキが言ってた通り、片道三千円。すぐに予約を入れ、支払いもさっきコンビニで済ませ、三人分のチケットもとってきた。もちろん立て替えた金はあとで集金する。これで準備はOK。

あとは明日の朝、新宿行きのこのバスに乗り込むだけだ。


5
最終更新日 : 2012-04-25 18:46:04


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