閉じる


<<最初から読む

6 / 20ページ

十五才の夏休み 6

= リキ in 自宅 =

 

巨大なマンションの裏に隠れるように建っている二階建ての古い木造アパート。この二階の部屋がリキの自宅だ。

ギシギシときしむ階段を上り、部屋の鍵を開ける。ドアを開けた瞬間、すえたような匂いが鼻をつく。いつものことだが、いつも決まってため息が出る。

奥からガンガンテレビの音が鳴っている。姉貴が帰ってるのか。

「ただいま」

中に入ると、姉のハルカが煙草を吸いながら一心不乱にメールを打っている。

彼女は十七才だが、去年高校を一年で中退し、今はアルバイトをしたりやめたりする生活を送っている。

「食うもの、何にもないよ」

ハルカが携帯に視線を落としたまま、独り言のように言う。

「いらねえよ。適当に食べたから」

「あっ、そう」

リキはそこに立ったまま、しみじみと姉を見た。散らばったモノの中に埋もれるようにしてメールをしているその姿は、何だかこの部屋に落ちているごみのひとつのようだ。

それにしてもきたねえ部屋だ。

「なあ、おまえさ、少しここ片付けようとか思わねえの?一応女だろ」

「うるせー。あいつに言いな」

あいつというのは母親のことだ。リキの母親はスナックに勤めている。その他に保険の代理店みたいなこともやっているらしく、年がら年じゅう家にはいない。父親とはもうだいぶ前に離婚していて、それ以来リキは父親と一度も会っていない。

別に家にあいつがいないのはかまわないけど、困るのは飯だ。作って置いていってくれるならいいが、あいつはそんなことは一切おかまいなしだ。おかげでこっちはいつも腹をすかせている。

姉貴にはああ言ったが、夕方から何にも食ってない。腹ペコで死にそうだ。台所に行って一応冷蔵庫を開けてみる。使いかけのマーガリン、干からびた味噌。変なつくだ煮みたいなのが入ったビン。だめだ。やっぱり何もねえ。

がっかりしてドアを閉めようとしたその時。台所の床を何か黒いものがさっと横切っていくのが見えた。でっけえゴキブリだ。それを見た瞬間、リキは心の底からもうこの家にはいたくない、と思った。

もううんざりだ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!

リキはありったけの力で冷蔵庫のドアを閉め、台所の横にある自分の部屋に行った。

「うるせえな、何してんだよ!」

ハルカが怒鳴るのにもかまわず、リキは押入れからスポーツバッグを引きずり出し、それに目につくまま服や下着などを詰め始めた。

 


6
最終更新日 : 2012-04-25 18:46:04

東京 1

2 東京 

 

次の日の朝。携帯の音楽が鳴る前に俺は自然と目をさました。

珍しい。普段朝は地獄の苦しみなのに。毎朝こんなふうにすっきりと起きられたらどんなに幸せな人生だろう。

宏明の話だと、バスの出発時刻は七時半。その前にコンビニにも寄りたいし、髪の毛も今日はちょっと気合入れないとな。一応東京に行くんだから。

俺はベッドから飛び降り、たんすをあけ、着ていく服を選び始めた。とはいってもそんなに選ぶほど服を持っているわけじゃない。結局いつものTシャツにお気に入りのジーンズ。上に半そでのシャツをはおる。ま、こんなもんか。

ザックを持って下に下りると、

「勇気くん、朝ごはんは?」

またロボットの声がした。あの女だ。

俺の顔見りゃ「ごはん、は」か。それしか言うことがないのか。うんざりだ。俺にはめしさえ食わしておけばいいとでも思ってるみたいだ。俺が何時に家を出ようがどこに行こうがこの女には何の関心もないんだろうな。

「朝ごはんは?」

ああもう、うるせえな。どう答えようか考えあぐねている間に、体が先に家の外に出てしまった。まあいいや。俺はそのまま小走りに駆け出した。

あーあ。いつもこうだ。そんなつもりはなくても、結果的に俺が悪いことになってしまう。またあの女は親父に俺のことをチクるだろう。

「今朝ね、勇気くんが私のこと無視したのよ」

「またか、あのクソガキ。俺がガツンと言ってやる」

また殴られるのか。ちくしょう。もうどうだっていい。今日は東京で思いっきり遊ぶんだ。むかつくことなんか全部忘れてやる。

 

途中コンビニで飲み物やガムを買い、駅の集合場所に行くと、リキと宏明はもう来ていた。

「遅いぞ勇気」

「ごめんごめん」

「えっと、バス代が往復で六千円な」

「わかった」

俺は宏明に立て替えてもらっていた分を渡した。

「勇気、金、大丈夫だったか」

「何とかな。こづかいとか適当に貯めてたやつかき集めてきた。リキは?」

「俺も何とかなったよ」

見ると、リキの荷物がやけに多い。背中にいつものザックと、手にはパンパンにふくらんだスポーツバッグを下げている。

「リキ、おまえ何だよ、その格好。まるで家出するみたいじゃん」

俺がふざけて言うと、リキは黙って笑いながら目をそらした。

すぐにバスが来た。俺たちは嬉々としてそれに乗り込んだ。

「一番後ろ行こうぜ、後ろ」

「バカ。遠足じゃねえんだぞ。席は指定なの」

「そっかあ」

ここから東京までは高速で約五時間だそうだ。新宿に着くのはお昼過ぎになるらしい。

バスが走り出してからしばらくは、大してかわりばえのしない景色が続く。さすがにめったにしない早起きがたたったのか眠くなってきた。揺れに合わせてうとうととするがすぐに目が覚めてしまう。

隣にいる宏明がうるさいのだ。俺の体をつついてきたり、がさがさとお菓子を食いだしたり。何でこいつこんなにテンションが高いんだ?

それと対照的なのがリキだ。後ろの席でずっと黙ったまま窓の外を見ている。自分から東京行こうって言い出したくせに、いまいち気が乗らないんだろうか。

ふと気付くと一人で騒いでいた宏明がいつのまにか眠っている。だんだんとこっちに傾いてくる宏明の頭を何度か押し戻してから、俺もシートを倒して目を閉じた。

やれやれ、これでやっと一眠りできる。そのあとは一切記憶がない。

「着いたぞ!」

何時間たっただろう。宏明のかん高い声で起こされた。慌てて窓の外を見る。えっ、ここが東京?

「なあなあ、エビちゃんいるかないるかな」

「バーカ。恥ずかしいからやめろって」

と言いつつ、俺もひそかにテンションが上がってくるのを感じていた。

やった! とうとう来た! 東京だ!

 


東京 2

降車場所である新宿のセンタービルの前でバスが止まった。

「すげえ、見ろよ。ヨドバシがある。マックも!」

「バカ。当り前だろ。東京なんだから」

「そっか」

「ほら、降りるぞ」

俺は異様にはしゃぐ宏明をせきたてて立ち上がった。リキもついてくる。

「お世話になりました~」

「どうも~」

ドライバーさんにお礼を言って、俺たちはとうとう東京の地に降り立った。いつも映像の向こうにあるだけの街に、自分が実際に立っていることがちょっと不思議な気分だった。同時に体の深いところから押さえきれない昂揚感がわきあがってくる。

あの息の詰まりそうな場所からやっと飛び出てきたんだ。

今、俺たちは自由だ。自由なんだ。

「まずどこ行く」

「やっぱ渋谷だろ」

「でもどうやって行くかわかる?

「いや、わかんねえけど・・とにかく駅に行こう。新宿駅」

ということで、まず駅に向かうことにしたが、歩いている人が多いのにはびっくりだ。ただ普通に歩いているだけで常に誰かとぶつかりそうになる。仙台の人の数とはけたが違う。これで普通の日なのか?まるで七夕祭りだ。

ひたすら案内板を頼りに、数分後俺たちはどうにかこうにか渋谷の駅に着いた。

「すっげえ、渋谷だ、渋谷」

「ハチ公じゃーん」

異様なテンションできょろきょろしながら歩く俺たちは、誰の目にも田舎から出てきたばかりの中坊に見えたに違いない。マックで昼めしを食い、パルコの中をうろうろし、センター街をぶらぶらと歩いた。

「次どこ行く?」

「東京タワー!」

「は?まんまおのぼりさんじゃん」

「いいじゃん。東京にきたらやっぱ東京タワーだろ」

「何だ、それ」

そんな調子で俺たちは何度か路線を間違えたりしながら、それでも思いつくまま東京の街を精力的に回った。六本木ヒルズも見たし、竹下通りでは安い服も買った。だんだん電車の乗り方にも慣れてきた頃、気がつくともう夕方になっていた。

早いなあ。あっという間だった。同時に俺の財布の中身もずいぶんあやしくなってきている。所持金を確認すると、もうここからバス乗り場までの電車賃くらいしか残っていない。

「あーあ、もう東京も終わりかあ」

「エビちゃんに会えなかったなあ」

「それはあきらめろって」

俺たちは屋台で買ったクレープを食いながら公園の中をぷらぷらと歩いていた。

もう帰らなくちゃいけないんだな。そんな余韻に浸っていると、

「勇気、俺、もう家には帰んねえから」

リキが俺に小声でそう話しかけてきた。俺たちより少し前を歩いている宏明には、リキの声は聞こえていない。

「え? 何だよそれ」

俺は思わず立ち止まった。

「言った通りだよ。初めからそのつもりで来たんだ」

「だ、だって、どうするんだよ」

「このままこっちで働く。お前らは帰れよ」

「・・・」

俺は何て言ったらいいのか言葉が出てこなかった。リキが本気で言っていることがわかったからだ。

「あーっ!」

突然宏明が素っ頓狂な声を上げた。

「どうしたんだよ」

「財布がない」

「なにぃ?」

「どうしよう。財布の中に親父のカードとかも全部入ってたんだよ」

「さっきの屋台に忘れてきたんじゃねえか」

「戻って聞いてみようぜ」

俺たちはダッシュで公園を抜け、さっき寄ったクレープの屋台に戻った。並んでいる客をかきわけて店員に財布が落ちていなかったか聞いてみる。が結果はバツだった。

ていうか、あるわけないんだよな。仮にここに落としたとしても、もうとっくに拾われてるだろ。のどかな田舎町じゃないんだから。

「どうする」

「どうするっていったって」

宏明は泣きそうな顔になっている。ふと気がつくとリキがいない。

「おい、宏明。リキがいない」

「迷子かよ。こんな時に何してんだよお、あいつ」

「あのさ」

俺は少し躊躇しながら言った。

「実はさ、あいつさっきもう家には帰らないとか言ってたんだよ」

「何だよ、それ」

「俺もよくわかんねえけど」

「ったく。勇気電話してみろよ」

「そうだな」

俺は慌てて携帯を出し、リキの番号にかけた。だめだ、つながらない。

「どうすんだよお。もう時間ないよ」

宏明は本当に泣きそうだ。

「とにかくまずバス乗り場に行こう」

「リキは?」

「バスが出る場所はあいつも知ってる。案外そこに来てるかもしれないし」

そうだ、リキのことだ。面倒くさくなってきっと先に行っちゃったのかもしれない。乗り遅れたら大変だ。急いでいこう。

「あのさ、勇気、悪いんだけど、俺の電車代貸してくれる?」

「そうか・・・・」

俺は財布を出し、祈るような思いで小銭を数えた。ここから新宿まではたしか・・・その二人分として・・・ああ、だめだ。絶望的だ。

 

 


それぞれの一夜 1

3 それぞれの一夜 

 

夏の夜とはいえ、さすがに七時を過ぎると辺りはうっすらと闇がかかってくる。

俺と宏明は無言のまま人ごみの中を歩いた。数時間前、東京に着いた時の、まるで世界征服でもしたかのような気もちとは打って変わって、今はとんでもなくしょぼくれた気分だ。何だかとてつもなく遠いところへ来てしまった気がする。

「勇気。これからどうしようか」

「わかんねえよ」

俺は少しいらだって言った。

「な。線路沿いに歩いていけばいつかは帰れるんじゃねえか」

宏明が小学生みたいなことを言い出す。俺はまたいらだった。何か言おうとすると怒鳴ってしまいそうで慌てて口をつぐむ。

このままいつまでも歩いていても仕方がない。けど、足を止めたところで行くところなんかないんだ。大体ここがどこなのかさえよくわかんねえ。

「もう腹が減って動けねえよ」

「・・・」

何度確認しても財布には五円玉と一円玉が数枚しかない。さっきあまりに喉が渇いてジュースを買ってしまったその残りがあるだけだ。もう何も買えやしない。

「俺、もうだめだ」

宏明がとうとう道端にしゃがみ込んだ。俺も仕方なく横に腰を下ろす。

道路を挟んだ目の前にコンビニがある。見慣れたいつものコンビニだ。特に何を考えることなくいつも気軽に入っていたコンビニ。それが今は、あの光った看板が俺たちのことを全身で拒否しているみたいだ。

「ちくしょう、腹減ったなあ」

「言うなよ」

「だってさあ」

お前が財布なんか落とすから悪いんだろ。そういいかけそうになるのを俺は必死でこらえる。そういったら最後、宏明だって「東京に行こうって言ったのはおまえだろ」といいたくなるに決まってる。

俺は必死で考えた。他の高速バスに頼んで乗せてもらうのは? 電車や新幹線でもいい。それならまだ最終には間に合うはずだし、係員に言えば何とかしてもらえないだろうか。いや、そんなことをすればきっと親に連絡がいく。それだけはだめだ。いっそ、その辺の交番に飛び込んで金を借して下さいと頼むとか。バカ。それこそすぐ家に連絡されて終わりじゃないか。どうしよう。どうするのがベストだろうか。

「宏明。とりあえず今日はもう帰るのは無理だ。明日になったらバス会社の人に相談してみよう」

結局それが今、俺の頭の中で考えられる限界だった。

「今夜はどこに泊まるんだよ」

「しらねえよ。そのへんで寝るしかねえだろ」

「やだよそんなの」

宏明が泣きの入った声を出した。もうだめだ。このままじゃ「おまえが悪いんだろう」なんてことを口に出してしまいそうだ。

俺は顔を前に向けた。目の前をたくさんの足が通り過ぎていく。足、足、足――。

しかし誰一人として、ここに座っている俺たちのためにその足を止めてくれる人はいない。俺たちに誰も目を向けない。この無関心さは見事だ。

さすが大都会、東京だ。もはやもう俺たちは、この街で誰も目に止めることのないゴキブリみたいな存在なんだ。待てよ、ゴキブリなら誰かが悲鳴を上げてくれるだけましかもしれない。俺たちはゴキブリ以下なのか。

 

「おいお前ら、何やってんだ」

ふいに背後から誰かの声がした。びっくりして振り向くと、小柄なおっさんが俺たちの後ろに立っている。

「どうした?坊主たち。泣きそうな顔してよお」

「いえ――」

何でもありません、と答えようとした俺の腕を宏明が引っ張った。

「おい。勇気」

わかってるよ。俺は心の中で言った。宏明の言いたいことはわかってる。

たぶん、いや確実にこの人はホームレスだ。おっさんの体から、かすかに独特の臭いがする。

突然、おっさんがごそごそと体をまさぐって、

「お前ら、これ食うか」

パンを二個差し出した。どこにしまっていたのか、ペッちゃんこにつぶれた菓子パンだ。いつもならそんなもの間違っても食べるわけがないが、今は究極に腹が減っている。俺と宏明はどちらからともなく顔を見合わせた。

「遠慮すんな、ほれ」

ホームレスの人から食べ物をめぐまれるほど、そんなに俺たち、ひどい顔をしていたんだろうか。えーい。もうどうでもいい。まさか死にはしないだろう。

「じゃ、いただきます」

「す、すいません」

俺たちはおっさんからパンを受け取り、それをむさぼるように食った。何だか中のあんこが妙に固まっているが、この際気にしちゃいられない。

「おい、これ大丈夫だよな」

宏明がパンをほおばりながら小声で聞いてくる。

「わかんねえけど、まあ死ぬこともねえだろ」

「・・・だな」

うまい。こんなうまいアンパンは今まで食ったことがない。俺は大げさじゃなく心からそう思った。おっさんは俺たちが食べ終わると、短いタバコに火をつけながら俺たちのそばに腰を下ろした。

「ところで、お前らここで何してんだ」

「いや、別になんでも・・・」

「お前たち、こっちの子じゃないな。どっから来た。北のほうか」

「えっ、そんなのわかるんですか」

「そりゃあ、しゃべり方を聞けばすぐわかるさ」

俺はちょっとショックだった。自分じゃちゃんと標準語をしゃべっているつもりだったのに。

「家出でもしてきたのか」

「いや・・」

仕方がない。パンをもらったんだし、あまり邪険にするわけにもいかない。俺はおっさんに事の顛末を簡単に話した。

「そうか、そりゃ大変だなあ」

おじさんの間延びした言い方がいかにも他人事だといっている感じがして、俺は理不尽だとは知りつつも、少し腹をたてた。

「あの、じゃすみませんでした」

俺は立ち上がり、

「おい行くぞ」

座ったままの宏明に声をかけた。もうこれ以上、こんなホームレスに関わっていても仕方がない。

「で、お前ら今日はどこに泊まるんだ」

「いやそれは・・・」

「金のことなら俺は力にはなってやれねえなあ」

「いやいいんです。すいません、それじゃ」

「でも、宿は提供できるぞ。」

おっさんは、にかっと笑って、後方に広がっている公園を親指で指し示した。

は?何言ってんだ、このおっさん。

「今夜はゆっくり寝てさ。朝になってからゆっくり考えろや、な」

俺たちはまた顔を見合わせた。

「ほらほら。ついてこい、ほら」

おっさんは独特なリズムをつけて歌うように言いながら公園のほうに歩き出した。

「何だあれ、変なおっさん」

「勇気、いいからほっといて行こうぜ」

「うん・・・」

俺は少し迷っていた。こんな時に迷っている自分が不思議だった。

「ほうらほら」

おっさんが俺たちに手招きをしている。それにつられるように歩き出した俺を

「おい」

宏明が慌てて止める。

「大丈夫かよ。やめといたほうがいいんじゃね」

「だってさ、どっちにしてもこのままじゃ野宿するしかねえんだぞ。ほかに行くとこもないだろ」

「でもさあ」

わかってるよ。警戒心がなさ過ぎるよな。自分でもびっくりだ。ここは素朴な人たちが住む田舎町じゃないっつうの。かりにも日本の中心地、大都会だぞ。大丈夫なのかほんとに。俺はあきれていた。他の誰でもない自分自身に。でもちょっとばかし、どっかでこの状況を楽しんでいる自分もいた。この余裕は一体何なんだろう。きっと今が、夏休みのどまんなかだからかもしれないな。

俺は渋る宏明を追い立てて、ホームレスのおっさんについていくことにした。


9
最終更新日 : 2015-03-14 14:43:28

それぞれの一夜 2

= リキ In 歌舞伎町 =

 

リキは新宿の大きな通りを一人歩いていた。道を進むたびに倍々ゲームみたいに人の波が増えていく。

――毎日が初もうでだな、こりゃ。

リキはそんな内心とは裏腹に、周囲に合わせていつもより早足で歩いた。ほとんど走っているように。そうでもしなければ人の大群に自分だけどんどん押し出されてしまいそうだった。

――勇気たちはどうしたかな。大丈夫だっただろうか。ま、今頃はもう仙台に向かっている頃だろう。黙って離れてきたのは悪かったけど、俺はもう家には帰らないって決めたんだ。

人の流れに沿って適当に歩いているうちに、「歌舞伎町一番街」と書かれた看板が見えてきた。おう、ここがあの歌舞伎町か。リキはちょっと気合を入れてその派手派手に光ったネオンの下をくぐりぬけた。

とにかくこの街にくればどうにかなると思っていた。ここなら働き口の一つや二つ見つかるだろう。なんてったってこれだけ怪しげな店が並んでるんだから。

しかし当り前だが、ただブラブラしているだけでは何も起きない。何も始まらない。その辺を歩いてるきれいなお姉さんも、見るからにホストっぽいお兄さんも、みんなリキの横をさっさと通り過ぎていく。これだけ大勢の人がいるのに、誰もリキのことを見ていない。

もう同じような道をどのくらい歩いただろう。いつのまにかリキは、ピカピカしたネオンが立ち並ぶ大きな通りを抜けて、細い裏通りに入りこんでいた。

――とにかく今夜中にどこか働き場所を見つけないと。どうしたらいいんだろう。

ふとある店の看板に目が止まった。「スナックじゅん」その看板の下に「洗い場募集。十八才以上。委細面談」と書かれた張り紙が貼ってある。

――十八才以上か。

リキはその張り紙の前で少し考え込んだ。

――ま、そうだろうな。十五歳で働けるところなんかあるはずがないのはわかってる。どうせ初めから年はごまかすつもりでいた。背が高いせいか、初対面の人からは今も大抵高校生に間違えられるんだ。なんとかなるだろう。

ただ「委細」という字をなんて読むのかわからない。イホソ? どういう意味だ? まあ、細かいことはいいや。レッツトライだ!

リキは勢いよく赤い化粧板のドアを開けた。

「あのう・・すいませーん」

狭い店の中はがらんとしていて、誰もいない。と、

「だあれ?」

カウンターの奥から前髪にカーラーを巻きつけたおばさんがぬっと顔を出した。

「あら。ボク、なんの用?」

げっ、いきなりボクかよ。

「あ、あの、表の張り紙見て」

「ああ。面接ね。ちょっと待ってねえ」

おばさんはタオルで手を拭きながらカウンターの外に出てきた。よく見ると、リキの母親よりずっと年くっている。おばさんというよりおばあさんだ。いくつくらいの人なのかリキには見当もつかない。

「じゃ、こっちに座ってくれる?

そう言いながら、おばさんはリキの全身にサッと視線を走らせた。ちょっと嫌な感じだ。リキは指示されるまま、おばさんと向かい合う形で入り口から一番近い椅子に腰をおろした。

「ところでボク、いくつなの?」

「十八です」

リキはできるだけさらっと答えた。(よし!成功だ)心の中でガッツポーズをする。

「じゃ、履歴書見せて」

「は?

リレキショ?なんだそれ。

「もしかして持ってこなかった?」

「は、はあ・・・」

「普通、面接に来る時には履歴書を持ってくるものなんだけどねえ」

「・・・」

そういうもんか。知らなかったな。

その時だ。店のドアが開いて

「おはようございま~す」

女の人が入ってきた。こっちは若い女の人だ。姉のハルカよりちょっと年上くらいだろうか。

「ママ、この子誰?」

その女の人はリキを珍しい動物でも見るようにじろじろと見ながら言った。そのあまりにも遠慮のない視線にリキはちょっとたじろぐ。

――俺は動物園にいる白熊じゃないんだぞ。

「バイト希望の子らしいんだけど」

「バイトって、この子、まだ子供じゃない!」

リキの心臓がドクンとなった。やっぱりわかるのか?

「でも十八才なんでしょう。ボク」

おばさんがリキの顔をのぞき込むようにして言う。

「は、はあ・・一応」

「十八なんて嘘!どう見ても高校生・・・ううん、中坊かも」

やばい。なんだよ、この女。リキは下を向いて黙り込んだ。

「ね、あんたもしかして家出してきたんじゃないの?」

「あらやだ、そうなの」

「そうなんでしょ」

そんなこといわれてもなんて答えればいいんだ。まさか「はいそうです」というわけにもいかない。リキはますます黙り込むしかなかった。

「家出人なんて困るわあ。とにかく本気で働きたいんだったら今度ちゃんと履歴書持ってらっしゃい。今日はもう帰りなさい、ね」

おばさんはハエでも追い払うようなしぐさをしながら立ち上がり、またカウンターの奥に入っていった。

そう言われても帰るところなんかない。履歴書とかいうものがないと働けないなんて知らなかった。じゃあどこに行ったって無理じゃないか。

リキは急に激しい心細さに襲われた。さっきまで処女航海に出る船の船長みたいに意気揚々だったのに。これからどうしたらいいんだろう。

「ママ。この子私に任せてくれない?」

女の人が突然そんなことを言いだした。リキは驚いて顔を上げた。

「ねえ。ママ。いいでしょ」

「まあうちは別にかまわないけど。ただ店に迷惑がかかるのだけはごめんだからね」

「わかってる」

おばさんはもう奥に入ったきり顔を出さなかった。

「ね、あんたここに先に帰ってなさい」

女の人は、テーブルの上のメモ用紙に何か走り書きをすると、リキにそのメモと鍵を手渡した。

「これ私のアパートの住所。店が終わるのが十二時だから、十二時半すぎには帰れると思う。ここで待ってて」

「え、でも俺・・・」

「これから開店準備で忙しいの。ほら、早く行きなさい」

リキは追い出されるように外に出た。改めて渡されたメモを見る。確かにどこかの住所が書いてある。

ここに行けっていうのか。俺一人で?どうやって行くんだよ。こんなとこ。途方に暮れるとはまさにこういうことだ、とリキはつくづく思った。

でもとにかく今は何とかしてここにたどりつくしかない。それもわかっていた。この東京でとりあえず知り合いになった人は、あの女の人しかいないんだから。はたしてこれを知り合いとよんでいいのかはわからないけどな。

ま、どうにかなるだろ。リキはメモを丁寧に折りたたみ、それを鍵と一緒にしっかりポケットにしまい、あてずっぽうに歩き出した。

 

 



読者登録

雪姫さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について