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 青地に白いライオンの模様の旗がはためいている。スウェン軍を全滅させ、ようやく戦を終わらせたリオン軍は首都トリプトに凱旋した。反スウェン家の民衆たちは喜び合い、リオン軍の騎将を一目見ようと、城に続く沿道に群がった。         

 総騎将は首都から遠く離れたレトスにいる。実際に軍を動かしていたのが、ラグナイアス・リオン、若干19歳の若き騎士だった。彼は先頭の馬上で、しっかりと前を見つめ、城を目指していた。

「若君、おめでとうございます!」

「ラグナイアス様、万歳!」

民衆たちの声に、彼は微笑みを返した。見知らぬ人々が喜んでくれるのは嬉しいものだ。国王トレグゼマも安心しているだろう。だが、ラグナイアスにとって最も喜ばしいことは、レトスで待っている兄ユナイガース・リオンの顔を見ることだった。兄のために戦い続けた。兄がスウェン打倒の挙兵をしてから、一年足らず。こんなに早く決着がついたのはラグナイアスが戦上手だったからに違いない。トリプトの人々は彼を褒め称えた。

「彼こそが我らの師子王だ」

ラグナイアスはこれを聞いてつぶやいた。

「本当の師子王は兄さんだよ」

兄に代わって政治に関わる気は全くない。自分はただ、父の敵を討っただけだ。これからは数人の仲間と愛するデラとアルバロンを北ザスカに連れていき、恙なく暮らそう。ラグナイアスの心は既に決まっていた。


 タルカ暦365年、ラーザス・スウェンは騎士で初めて宰相となった。娘を皇太子妃にしたて、一族を次々と高官に就けていった。そして、368年には、ラーザスとともにこの国で騎士の二大勢力であったヤーグ・リオンを滅ぼした。それから、スウェン家は栄華を極め、毎晩のようにタルカ城で宴を催していた。

「父上、今夜も月がきれいですなぁ」

「そうとも! この世は皆、スウェンのものだ。おい、酒をもっと出してやれ。キセノン、お前をレトスの領主にしよう」

「しかし、あそこはリエンツ家が…」

「かまわん、そんなことは。レトスのウルベ島にはヤーグの息子がいる。あいつはリエンツの娘と結婚したそうだ。早いところリエンツも抑えねばなるまい」

ラーザスはグラスの葡萄酒を軽く飲み干した。

 今夜の宴は隣国の外商たちを呼び集めている。国内の領土は大半がスウェン家が保有しており、ラーザスは貿易も掌握している。船がトリプトの港に着くたびに、彼の懐には莫大な利益が転がり込んできた。邸宅はトリプトに三軒所持し、今や騎士としては最高の、いや、国王をも凌ぐ富を獲得していた。スウェン家の女たちが絹のスカーフを纏えば、民衆もそれを真似し、スウェンの食卓に北ザスカ産の牛肉が出たと言えば、こぞってこれを求めるあり様だった。

 しかし、全ての人がスウェン家に近づこうとしているわけではなかった。スウェン家によって高官職を追われた者や、租税をより多く納めなくてはならなくなった農民など、スウェン家に反感を持つ者の方がむしろ多い。ただし、スウェン家の悪口を言った、ある町衆は、翌日その姿を消した。スウェンが国内に密かに放っている密偵の仕業と言われている。

 

「ラーザス様に申し上げます」

宴の席に一人の騎士が飛び込んできた。ラーザスはうるさそうに「何だ」と答えた。

「西の山中で密会を開いている者たちを捕らえました。スウェンを討つ計画を立てていたとのこと。全員、切り捨てました」

ラーザスの動きが止まった。彼はしばらく考えると、拳を強く握りしめた。

「もっと力が必要だ。トレグゼマ王を幽閉しろ。わしが王になれば、何も恐れることはない」

ラーザスは立ち上がり、憑かれたように叫んだ。

「スウェンに刃向う者は皆斬れ! スウェン以外の人間は人間ではない、虫けらどもだ!」

酔いが回っていたキセノンも叫ぶ。

「そうだ、この世は我がスウェンのものだ。スウェンは太陽のごとく永遠だ!!」


3-1

 368年、タルカ国王トレグゼマは城の奥深くに幽閉された。ラーザスを倒そうにも、国王には事実上、軍がない。名ばかりで実のない国王軍では、貴族化してはいるものの本業が騎士であるスウェン軍には勝てない。王の幽閉は首都トリプトから南東に300キロに位置するレトスまで伝えられた。その近海に浮かぶウルベ島にはラーザスに敗れたヤーグ・リオンの嫡男、ユナイガース・リオンが流民生活を送っている。

「ラーザスのやつ、遂に国王を幽閉したか」

「はい。スウェンの横暴には我慢できません。今こそユナイガース様がリオンの指揮をお執りになり、憎きスウェンを滅ぼす時でございます」

「だが、カテリノ王子の挙兵は失敗した。私がやっても同じこと…」

父の幽閉を知ったカテリノ王子は、以前から苦々しく思っていたスウェンを討つべく兵を挙げたが、数が思うように集まらず失敗に終わった。

「ですから、各地に散ったリオンの騎士を集めるのです。きっと、ユナイガース様のお味方になるでしょう。それに…」

ユナイガースの忠臣ルトは一通の書状を主君に手渡した。

「これは、カテリノ王子の御命令の文です」

ユナイガースは書状の紐を解いた。そこにはただ一言が書かれていた。

――獅子たちよ、必ず白鳥を仕留めよ  カテリノ ――

「この文は全国のリオンに下ったそうです。スウェン家を滅ぼし、亡きヤーグ総騎将のご無念を晴らさらんとする者は皆、ユナイガース様の出陣の命令を待っております。今こそ真に騎士のための、騎士が報われる国を作る時なのです」

ルトはユナイガースを見つめた。

「どうか、お考えください」

蝋燭の炎が揺れる。ユナイガースの瞳に4歳の初陣の時、横に立っていた父の顔が浮かんだ。父は戦場でも恐れることなく堂々としていた。いつか騎士が国の中心となり、活躍することを望んでいたヤーグ・リオン。ユナイガースは目を開いた。

「兵を集めろ、ルト。私は島から一歩も出なかった。17年間もだ。しかし、それも今年で最後だ。今まで何事も起こさぬようひっそりと暮らしてきた。それは表面上だけだった。心の中ではいつも父の敵を取ることを考えていた。それは今日で止める。実行に移そう。……スウェンを、討つ」


3-2

 ユナーガースは決して多いとは言えない兵とともに海上に浮かんでいた。レトス側の海岸を背にしているのは、スウェンの親族であるサンコスタ軍だ。日が昇ってから2時間後、北風が吹き始めた。一際強い風が通り過ぎると、海上に戦闘開始の角笛の低音が響き渡った。

「放て!」

両軍の船から何百という矢が流星のように落ちてくる。海面から人の落ちる音が相次いだ。海戦では矢を使うか、ぎりぎりまで相手の船に近寄り、剣で戦うかのどちらかである。その法則に従い、リオン軍とサンコスタ軍は距離を縮めつつあった。ところが、サンコスタの船がリオンの船と横並びになった時、異変が起こった。

「何だ、どうなってるんだ!? 船が沈んでるぞ!」

叫んだ兵士はリオン軍の船に乗っていた。サンコスタ軍の船の腹には、槍の先端部分が一定間隔に取り付けられていて、それらがリオン軍の船底に穴をあけてしまう仕組みになっていた。味方同士がぶつかりさえしなければ効果抜群の戦法だった。

「サンコスタの船に近寄るな!」

ユナイガースは叫んだ。しかし、既に半数の味方の船が沈没し始めていた。その上、慌てふためいているリオン軍の船に敵の兵が次々に乗り込んできた。リオン軍は応戦したが、勝負はあっけなく終わった。

「全船退却だ。いったん、レトスの東に上陸する」

ユナイガースは退却命令を出したが、損傷していない船は20隻もなかった。逃げようとするリオン軍に向けて火矢が放たれた。リオンの兵士たちは必死に矢を海へ叩き落としながら、命からがら軍を引き上げた。

 生き残った兵士はたった50人ほど。ユナイガースは彼らを連れて東レトスに上陸した。元から多勢に無勢で勝てる割合は低かったが、それが情けなく思われた。

「ルト、すまない。大敗だったな。私の読みが甘すぎた」

「今回は、全滅をまぬがれたことだけでも良しと思いましょう。味方が増えるのはこれからです」

ルトは主君を慰めると、海岸に陣を構えるため残った兵たちに指示を出し始めた。

 ユナイガースは鎧を着たまま横になっていた。眠ってはいない。真夜中の赤い星がユナイガースを見下ろす。自分は戦に向いていないかもしれない、と彼は考えた。初陣の時も、父の傍らで戦いを見るだけだった。彼の兄弟のうち、生きているものでヤーグ・リオンの顔を覚えているのはユナイガースただ一人だった。彼は父の他にもう一人の顔を瞼に映した。フロリナ・リエンツ。リエンツ家の一人娘で結婚してから5年も経たない妻だった。リエンツ家はスウェンの遠戚であるが、レトスの地に落ち着いてからはスウェンの貴族化に愛想を尽かし、リオン側に組するようになった。

 フロリナはユナイガースよりも1歳年上で、気の強い女性だ。瞼のフロリナが「こんなところで負けてどうするの。勝つまで家に入れてあげませんからね」と怒った。ユナイガースは苦笑すると、急に眠気に引きずられて朝までぐっすりと寝てしまった。

「ユナーガース様、何やら無数の騎士がこちらへやってきます」

味気ないパンと干した果物を朝食としていたユナイガースのもとに、ルトが走ってきた。ルトが指さす方には数千はいるだろうと思われる騎士や歩兵がこちらの陣に押し寄せてきていた。そのうちの3騎が足を早めて駆けてきた。

「総騎将にお目通り願いたい」

老将は馬から降りて門兵の前に跪いた。ルトはそれを聞き、どうしようというふうにユナイガースを見た。ユナイガースは剣を手にすると、老将の目前に立った。

「私がユナイガース・リオンだが。お前たちは?」

「はい。我らはお味方に参上つかまつった者どもにございます。亡きヤーグ騎将にお仕えいたしておりましたジェイ・サラトフ。一門をあげてユナイガース殿にお力添えしたく駆けつけた次第でございます」

「そうか、それはありがたい。これで軍が生き返ったようだ」

サラトフの軍に続き、ユナイガースの挙兵を聞きつけたリオンの仲間が入れ代わり立ち代わりやってきた。一日にしてリオンの軍は50人から2万人という大所帯となった。

 リオン軍はレトスの北に位置する南ルシア山脈を目指していた。東レトスの海岸を出発してから数日後、またしても進行方向から大軍がやってきた。先頭の騎士は、ジェイ・サラトフと同じようなことを言った。

「どうかリオン軍の仲間にしていただきたく存じます」

騎士はシルベット家だと名乗った。彼らもヤーグの忠臣であった。だが、ユナイガースはにこりともせずに冷たく言い放った。

「遅い」

後ろについていたルトは耳を疑った。シルベットの騎士もその言葉を理解していない。

「来るのが遅いと言っているのだ。遅刻してくるような軍は必要ない。帰れ」

ルトはますます主君の言葉に混乱した。5千騎を引き連れてきた軍を必要ないとは、何を考えているのか。しかし、シルベットの騎士はその言葉に怒るどころか、むしろ感激したようである。

「仰せの通りでございます。もっと早くはせ参じるべきでした。さすがは、ヤーグ騎将の嫡男でおられる」

「もうよい。感心している暇があったら、最後尾について軍を守れ」

ユナイガースは黙々と山脈を目指した。


 レトスの夜は暗かった。リオンの青旗は闇に隠れて見えない。ユナイガースは騎士を集めて会議を開いていた。ランプの灯りがレトスの地図を照らす。

「我が軍はここにいる」

ルトが示した場所は南ルシア山脈から流れ出るルシア河より数キロ手前だ。

「そして、スウェン軍は山脈を越えてルシア河の辺りに待機している」

「スウェン軍が河を渡らないうちにこちらから攻める。戦闘開始は明後日の早朝だ」

ユナイガースは数週間のうちに大軍を率いることに慣れた。初めは全体に指示が伝わっているかとか、自分についてきてくれるだろうかとか、心配もしたが、総騎将はそのようなことで悩んではいけないのだ。スウェン家は毎晩、城のホールで豪華な宴を催し、ラーザスはあたかも自分が国王であるかのようにふるまっていることだろう。ユナイガースは許せなかった。騎士である者が貴族化し、騎士の奉公と彼らへの恩賞を忘れてしまうとは。ユナイガースは騎士が中心の国を作るつもりだった。それは父の志でもあり、ユナイガースについてきた騎士たちの悲願でもある。だからスウェン家のように国王や貴族と手を結ぶこともしない。自分自身が騎士として国を治めればよい。国王や貴族の世界と全く決別した新しい国を統治すればよいではないか。そのためには明後日のスウェン軍との戦に勝たなければならなかった。

 翌日の夕刻、シオン軍はルシア河の辺でスウェン軍と対峙した。敵将はキセノン・スウェン。敵は3万騎、リオン軍より多い。ユナイガースは夜になると、灯を最小限にして兵たちを休ませた。スウェン軍も同じ方法を取っていた。戦いは明日の朝、少し眠ったほうが良い。キセノンはそう考えた。ところどころにランプが置いてあり、甲冑の表面を光で濡らす。赤い星が天に昇るころ、スウェンの兵士たちは河の水面で一斉に何かが跳ねた音を聞いた。それはとてつもなく大きな音だった。

「夜襲だ! 獅子軍が攻めてくるぞ!」

誰かが叫んだ。その声が引き金となり、今まで夢をさまよっていた騎士たちは目を覚ますや否や、我先にと馬に乗り逃げだした。

「待て、逃げるな、戦え!」

キセノンが命令しても効果はなかった。スウェン軍は完全にパニックに陥っている。武器を蹴散らし、雑用係の女官たちは助けてもらえず恐怖で泣き叫ぶ。とうとうキセノンも諦め、逃げる騎士たちの後を追った。逃げるが勝ちだ。

 朝日が地平線から顔をのぞかせた。リオン軍は戦の準備万端でルシア河の岸部に並んでいる。太陽が完全に姿を現した時、リオン軍は一気に河を渡り始めた。初夏の清々しい空気が騎士たちの士気を高めた。だが、対岸についた時、そこにスウェン軍の姿はなかった。地には赤い房で周囲を囲まれた黄色いスウェンの旗がまばらに横たわっている。ランプの燃え残りからは、うっすらと煙が立ち込め、まるで天才が町を壊滅させたようだった。ユナイガースは唖然としてその光景を俯瞰した。

 リオン軍の不戦勝は早くも全国に知れ渡った。

「聞いたか? キセノンの軍が鳥の飛び立った音に驚いて逃げたって話」

「みっともねえよな。騎士の名が廃るよ」

「ほんと、ラーザス様の面目は丸つぶれ。ユナイガース様も幸運だったわね」

首都トリプトでは、挨拶より先にこんな会話が交わされたという。

 南ルシア山脈まであと一歩というところで、ユナイガースは進軍を止めた。

「どうなされましたか?」

「レトスに帰ろうと思う」

ユナイガースの思いがけない言葉に、ルトは驚いた。

「レトスの領主リエンツ家は、私の味方になった。だからレトスの地をリオンの根拠地にすることに決めたのだ。味方になった者の土地は保証する。私が進まずとも兵は動かせるだろう」

ユナイガースは雄大な山脈を振り仰いだ。



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