閉じる


<<最初から読む

23 / 26ページ

section 18

赤い舟による川下りのイメージ

 

 

 夢の川の舟下りの船頭は、すべて片眼だった。眼窩にしなびた瞼がいかにも陰鬱に貼りついていたり、あるいは、まるで両眼が健在であるかのようにみえても、一方は義眼なのである。

 船頭の視野から墜ちかかる風景は、むきだしの岩肌である。

 船頭があやつる竿は、われらの生あたたかくやわらかい肉の中に突き立てられる。われらの血しぶきは舟を染め、舟にすがりつくのは、舟下りをたのしむあかい口だ。

 船頭の盲目の眼に汗がひかり、百粒の汗に百艘のあかい舟が彎曲にうかんでいる。船頭の視野の外をわれらは滑走しているのだろう、岩肌のとある樹の根にからまれながら。

 船頭の生活する眼に残像として積みのこされる観光客がひとりふたり、あるいは何万人もいて、もちろんかれらはいまわれらの舟にはいない。(船頭たちは、あす、どのような運命の上に立つのだろう。)

 あの千鳥たちは、われらの飛翔である。

 川下では、鳥類の卵のようにカメラマンが岩に嵌めこまれている。だが、われらがかれと出合うとは限らない。

 あの千鳥たちを見よ!

 船頭は訛りのつよいことばで、われらの眼をカメラに向けさせようとし、あかい舟に一瞬、重心のたわむれがある。


section 19

飛翔欲と飛行の構造

 

 

 水のまわり道をたどっていく、われらにいかなる泳法が身についたというのだろう、かすかに酢のにおいをたてながら、われらの歩みは、いっぽんの天蚕糸てぐす()のように、まだ見ぬ水の底へと降り立っている気がするのだ。

 水のまわり道をたどるわれらは、たがいに他者の流域にひきこまれ、馴れた手つきで波は、われらをまっ青な海に仕立てるのだ。

 われらはひとつの海鳴りである、冷たさあたたかさ、ぬらすのであり、蒸発するのだ。

 かつてわれらは腐敗する物Jの腐敗の円環運動を脱落し、さらに自虐的に蒸発へと歩いてきた。それはわれらの抑圧された飛翔慾の燃焼行程である。

われらの飛翔慾は、ほかならぬ水によって規制されてきた。

 かたちに従順な水は、それなりに多くのかたちを内包していたのであり、かたちのひとつにすぎない《慾望》もまた水に内蔵されていた。水をみつめていて、ふいに襲ってくる、腋の下や膝の空疎感は、ゆえなきことではなく、それは飛翔慾の肉体的な覚醒であり、追体験である。われらはここで、ついに葬り去られることのなかった飛翔慾の核としての自らを発見する。

 飛行は、腐敗あるいは蒸発を鳥瞰する構造である。

 酷寒の二月、北陸の海は浴槽のごとく朦朦と湯気をあげ、飛行する物Oは、腋の下のようにうすく汗ばんでいる。上昇気流の澄明さ、痴呆じみた楽天性のただ中から、物Oは、引揚げられることのない《死》を見ている。われらが水によって規制されたように、物Oは飛行の構造の裡に探くとざされ、なおかつ、ある〈もの〉への浸透を余義なくされている。

 しかし、飛行する物Oの水性は、われらの最後の自由のひとつであろう。われらは、苦痛や悲哀によって手をぬらすことができ、ぬれた手は、この大気の中で花のように咲き誇りさえするのだ。

 水のまわり道を、あくまでも遠まわりに氷河期へと遡行しつつ、飛行の構造は無限にうずくまる。


section 20

標識《妻殺し》

 

 

 標識《妻殺し》は、その貪食性によって肥満し、自らの醜怪な容貌を羞じて行方をくらませた。

 いまや《妻殺し》は手足の区別さえつかぬ、ものいわぬいくつかの眼をその肉体に嵌めこんでいるばかりである。彼女の棲みついた山脈ぜんたいが、われらの地図に死臭を染みわたらせる。

 それでもなお、妻を殺害する気になるだろうか、それがわれらの唯一の愉しみにしても。

 標識《妻殺し》を見失ったのではなく、いままさにわれらが標識《妻殺し》を実践しているのだ。

 ところがわれらは、われらが真相であること、われらが標識《妻殺し》として林立し、遭難していることを信じていない。

 つねに逆上している標識のなかでも、とりわけ《妻殺し》は、拡がりや奥行きを失神させ、あの光景の母胎をえぐりとった。そしてその母胎では、正気な標識《妻殺し》が無数に捏造され、市場に出回りはじめている。われらは容易にしかも正当にその道を歩むことができる。

 標識《妻殺し》はたしかに存在した、何もかもを見過ごすわれらの眼がそれを見た。

 不倫の汗、頭蓋が砕けるにぶい音、ほとばしる血の匂い、それらもたしかにわれらを狂喜させた。だが、ついにわれらはその現場に到達することがない。

 さて、われらはなぜ、いまにも朽ちて落ちそうな小枝を相手に、こうも勢いよく鉈をふりかぶらずにはいられないのか。そらはリスのように快晴へと捗り、その青さは鉈の上にとどまる。鉈は鉈、怒りは怒り。その二つの〈もの〉の印象半径にたちあらわれた《妻殺し》は、あかく熟れたからすうりのごときものであったか。


あとがき

『兇器L詞書』に関するメモ――2011年1月

 

*1974年11月から1976年12月まで連続して執筆した「恋人よ、ふしあわせに―〈もの〉から夢へ―」を改題。

*総35篇のセクションから21篇をえらんで構成、配列は執筆順に非ず。

 さらに、刊行本のセクション1718をつなぎ、計20のセクションとしている。

 刊行本の誤植を改め、手を加えた箇所もある。

刊行本では見出しをsection 1、2…としているが、ここではそれぞれ新たにタイトルをつけている。

 

*初出誌

 第三者/詩現象/魔法と新説/日本未来派/天文台/ゑひもせす/詩界/四次元/水葬/燈台/花祭り/カウボーイ

 

(刊行本=発行/1977年8月 発行所/ワニ・プロダクション 1978年第10回横浜詩人会賞)


この本の内容は以上です。


読者登録

ワニ・プロダクションさんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について