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section 4

はねより軽い埋葬を

 

 

 それは、ぼくの夢のなかで育てあげられた土を、夢から醒めた朝、ぼくの冬枯れの手が練り、築いた堤防である。

 堤防のむこうでは、だれかが、かさこそと包装紙のしわをのばしている。まだ見られたことのない夢が、しわのひとつひとつに自らをとどめておこうと、あのしなやかな掌に抗っている。

 ぼくの夢のなかで土を育ててきたのは、土に還るべき死者や、そのほかの腐敗物などではなく、殺意に満ちみちた男たち、数多のアルビノの群れたちだ。憎悪と執念に燃えさかる潜伏、冷酷一徹の泳法が、夢から夢へと装置されたベルト・コンベアの上で、フラスコの中で、加熱と冷却をくりかえし、弾力性に富んだ、そしてきわめて緩慢に揮発する土を産んだのだ。

 堤防の上には、堤防そのものよりも重圧的な水蒸気がたちこめている。かれらは自分が何者であるかすっかり忘れはてて、立ちつくしている。堤防のむこうが見えないのは、そのためだ。

 ぼくの夢のなかで育った土には埋葬の重さがない。殺人者やアルビノの群れは、すでにぼくに見られてしまった夢の囚人として、永遠に生きるしかない。


section 5

神経を除去されたテーブルの上に

 

 

 かれが否応なしに犯罪者であるとき、かれの外延をめぐる心臓はもっとも安らぎ、背は呼吸を荒らげ、盲目の眼となって全存在を匿まう。かれはいま物Fを奪うのではなく、物Eとしての発熱が物Fをして溶解せしめるのである。いわば、二者の均衡は、発熱から発汗への音階的過程に組入れられている。

 あらゆる犯罪は耳に快く、耳自体に集約できる。ちなみに、平均台をわたる少年を見よ、かくも蝶を髣髴させる腕のひろがりは、そのまま犯罪へのかぎりない憧憬ある。ふらつく足はすでに消えかかり、かれの耳は何にもまして熱い。

 罪の重さとは、テーブルがかかえている重さである。このテーブルにいかなる神経がかかっていたか、その分析、抽象が罪の重さを決定し、テーブルは、いまやそこにない物の重さ以上の桎梏を加えられる。たとえばそれは撃叩され、あるいはくつがえされる。

 穴のあいたテーブルがある。もろもろの神経が抜きとられた痕跡であり、罰、または物Gがこれをふさぐ。ところがなにびとも、罰、または物Gをこれに加算できない。穴は罪でありつづけ、それは、身をのりだして自らの足もとを確認する機会を、われらに与えつづける。


section 6

家族がそれぞれ射程距離内にいれば

 

 

 かれも、ときには猟に出た。

 夕食前の無味乾燥なテーブルに、まだぬくもりのありそうな獲物をどさりと置く、すると俄然、家じゅうが活気づく。かれは満足する、死臭がたちのぼるなか、やつらが射程距離にはいってくる!

 しかし、あれをはたして《猟》といえたろうか。たしかに銃の重さは腕から肩へ緩慢な速度でながれ、肩をまろやかに、背ぼねへむけて横すべりに落ちるのだが、背にひろがりながら、銃としての実感は希薄になり、銃とかれ自身との境界を曖昧にしてしまう。背から腰へ、脚へ、そして爪先に至って、その重さは何のものともつかず、かれを大地に釘づけにしているのである。

 銃の眼に、はじめ幾本かの灌木が立ちはだかっては沈み、やがてゆらゆらとひとりの男がこちらに向って歩きはじめるのだ。

 かれは、あの種の倦怠を憎んだ。小動物のくせして、人間づらをさげているのだ。かれは、近づいてくる者を憎みぬいた。(……あの擬態を、なぜ愛嬌といってはいけないのだろう、装うことで自らを敵にひきわたす無邪気さを、なぜ……)

 その直前の大気のまばゆさに、視界が引金に集約されるやいなや、標的はその意味を引落し、羽根や尾、飛行や疾走、いっさいを投げだしてしまうのだ。かれはすくみあがる、いま生が地上一・五メートルの高さのなめし皮をつんざき、のどもとの小さな空洞をつらぬいて、そのままとある小枝にからみつく。かれは吊るされた、殺される者は、その一瞬をしか生き得なかったのだ。かれはぶるんとひと跳ねした。

 バスの中のかれは土のいろをしている。節ぶとの指で小鼻の脂汗をぬぐうと、呑みこむ呼吸は海の味がする。だがここは、海からははるかに遠い野の道だ。


 

section7

死者が編む籠の中には

 

 

 祖母はわたしの耳に、あのつるっと皮がむけるような息を吹きかけました。祖母の打ち明け話には、いつもその背景に納屋があり、すべりの悪い戸があいたり閉じたりしていました。あけたのはまちがいなく父です。しばらくして閉じに行くのは、だれだったのでしょう。

《あれは、納屋の空気を入れ換えるくらいのできごとだった!》

 堅い空気の舞台で、がらくたは少しばかりの光と闇とに囲繞されていました。腐敗するものなど、ひとつだってありはしませんでした。あるとすれは、堅い空気そのものにちがいありません。

 醜聞は、あの戸が閉じられるたびに町にあふれたのではないでしょうか。閉じに行ったのは、だれだったのでしょう。


《密通》に蝕まれたのは、わたし自身でした。それがわたしの生理でした。死者はむしろあまりに靭くしなやかなので、籠が編めました。籠にはいくらでもわたしの生を摘むことができました。清潔な竹べらがいくつもわたしに向けられていました。

 あれが納屋の空気を人れ換えるほどのできごとなら、いっそ納屋の戸を取りはずすべきなのです。

 ぎっしりと並んだ鳥居のように、表情のむこうにいくつもの表情が透けてしまうので、可笑しいのです。ときにはわたし自身の顔が映っているものと錯覚して身ぶるいしたり。たしかに祖母は《無表情》へとかぎりなく接近していたのです。ただひとつ、それが生き延びる方策であるかのように。けれど、それも祖母の《密通》にほかありません。祖母は、わたしを共犯者に仕立てるつもりだったのです、おまえも知らん顔をしてるんだよと。

 わたしにはついに《無表情》を理解できませんでしたけれど。

 吐き気をこらえてかしいだ納屋でした。納屋の周囲をめくるめく速さでかけめぐる影が、納屋の昏倒を防いでいました。

 その棚から一丁の錠を消すことは、納屋をいくらかでも現実離れした存在に置き換えたかもしれません。殺意にかられた父はすでに鳥でした。わたしの母の頭部は、鳥の巣であったわけです。



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