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 と、世間知らずのカマキリは早合点する。

 相手がどんな習性の生きものであるかなど知る由もない。

 あかんぼのカマキリの体長はまだ五ミリにもたらぬ。まるで緑色の糸くずだ。おなじ仲間が四、五十ぴきかたまれば、いま目の前にしている相手のからだの大きさとつりあいがとれるかもしれない。それほど相手は大きい。いや、こちらが小さすぎる。

 さらにあいにくなことにカマキリ自身の頭部は最大に成長しても、目前の生きもののが口をひらけば余裕をもってくわえこまれる寸法しかない。こちらだって脳ミソの量は顕微鏡ものだ。

 篠竹からツルバラの枝へと歩を進めたかれは、意気揚々、左右の鎌を振りあげる。

 その瞬間、かれは息をのむ。目の前にとつぜん出現したのは、からだつきこそ自分より小さいが、たしかにいましがたわかれてきたばかりの仲間とおぼしき姿だ。それがいきなり数をふやして、何百、いや何千という数になっている。そしてかれが鎌を振りあげたのと同時に、相手もいっせいに鎌を振りあげてこちらへ向かってきたのだ。

 …どうしてこんな目にあわなきゃならないんだ。

 ぶん、と音がして、幾千とう仲間がふいに消える。現れたときよりももっと素早い。

 

 相手が複眼の持ち主だなどとカマキリが知るはずもない。

 かたわらではツルバラの血のような若葉が幾重にも抱き合ってふるえている。


               

         ◆

 あぶは、みどり色の糸くずみたいな生きもの一匹になんの関心も持たなかったのである。ただただ、その場所に退屈していた。もみ手をするだけでもこの虫けらをおびえさせるには十分だろう。だがそれすら退屈しのぎにならない。

 そうしてあぶは、おのれの複眼をみどりから青に塗りつぶしてあてもなくそらへ飛び立ったのだった。

 

●写真は、蜜を吸いながら同時に羽をつくろうハナアブ


おれを喰ってくれるかい?

【写真】カマキリ/2008年1月2日撮影

 

 固く小さい逆三角形の頭部をみれば、

 カマキリは高音域を発するかのように空想される。

 とがったあごに低音域はのぞむべくもないようだ。

 しかしそれは声帯とのかかわりを前提としての想像だ。

 

 ほかの昆虫のように羽根をこすりあわせて奏でるとすれば、

 どんな音色になるか。

 飛ぶのもたよりなげなやわらかい羽根は

 低音域でささやくだろうか。

 飛ぶにはふさわしくないぼってりとした太い腹部が

 低い音を野太くするか。

 

 交尾のあと、オスは役目を終えると、あいかたに甘い声で告げる。

 ――さあ、おれを喰ってくれ。


きみをだれかがそらと呼んだ

 

 

 

 きみは目深にかぶっていた帽子をあぜ道にかなぐり捨てた。

 なにに腹を立てたのか、わからない。

 あずまやからだれか女のひとが、

「そら」

 と呼んだ。

そうか、そらという名前なんだ。

きみはあたかも、

「わたしは、そらじゃない」

とでもいうように無視している。

こぶしを握って虚空をにらんだまま動かない。

 四歳くらいになると、ああして頑固にじぶんの想いを主張するのか。

 

■こちらの拙文をイメージして曲『きみをだれかが「そら」と呼んだ』を創ってみました。4分半ほどのDTMによる作曲です。関心がおありでしたらどうぞ聴いてください。こちら


 テコでも動かない、といううしろ姿がほほえましい。

 おさないわがままゆえのたわいない怒りにしても、名を呼ばれて返事もしないきみは、愛すべき女の子だ。

 そして、そらと呼んだそのひとをきみは愛している。そのことをきみじしんが知っているのだろう。

 だから虚空に向かってはっきりといえる。

「おとうさんはきらい」

 そんなふうにいえば、父親が急にやさしくなることもきみは知っているのかもしれない。

 なかばあきれ声で女のひとがまた呼びかける。

「ぼうしをかぶらないと、あついでしょう」

「ちっともあつくない!」

 スイセンの枯れた花にとまって動かないヤンマと、あぜ道でそっぽを向いて仁王立ちしている女の子のあたまを真夏の太陽が照りつけている。

 

 

  【写真】ウチワヤンマ 2008年7月19日


この本の内容は以上です。


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