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 これでは、日持ちもなにもなく、あっというまに散ってしまうかもしれない。

 だが、つぼみのままの姿を寒気にさらして、こちらのからだまで固まってしまうようなながめのバラよりは、ひとときでも華やかに、そして大輪らしく豪華に花ひらくのを見たほうがいいにきまっている。

 出窓に置いたのを移動させたりせず、一気に花ひらいて散るまでの時間をすごすことにした。

 手狭で、飾り気のない部屋には、バラ一輪でけっこう贅沢な装飾となる。

 べつの部屋から移ってこちらの部屋へはいると、かすかにだが、甘い香りもいきわたっているのがわかる。

 きょう晦日、あすの大晦日と、ことしをしめくくるには恰好の手慰みだ。

 さて、もう一輪をどうするか。

 あちらもついでに活けるとするか。

 いちにち遅れて、つまり大晦日だが、一輪を花瓶に加えた。

 こちらもテンポが速かった。

 といっても、花ひらく方向へむかってではない。

 つぎの日(元日)に指ではさんで押してみると、奥のほうがスカスカになってきているのがわかる。花びらはかたくなに閉じたままだ。

 あのままほうっておいても結果はたいしてちがわなかったろう。はさみを入れるタイミングを誤ったのだろうとあきらめるほかない。

 花ひらいたものと、つぼみのままのものが先をきそってポロポロ散るのだろうか。

 出窓のけしきが無残にならないように、ころあいを見て捨てることにする。


カマキリは帆翔するか

【写真】カマキリ/熊ン蜂を捕食中。花はホトトギス。次ページの写真も同じ。2008年10月16日撮影。動画あり、文末参照。

 

 

 自然観察園のネイチャーセンターの一室で昆虫図鑑のカマキリの項をみていたら、帆翔はんしょうということばが出てきた。書棚に並べきらないで奥のほうにしまわれていたものまでひっぱりだして、昆虫図鑑を五、六冊あたってみたが、帆翔がつかわれているのは一冊のみだった。

 帆翔といえば、けっこうな高みを浮遊する鳥の姿しか想いうかばない。それをカマキリにおきかえるのはむずかしい。風でも上昇気流でも、カマキリがそれに乗っかって宙に浮かんでいるなんてことがあるのだろうか。

 カマキリが帆翔する、といわれると、語感がこちらに愛想よく寄り添ってきて、あたかも事実がかたられているように理解してしまうが、にわかには信じがたい。昆虫学者が詩人であってはならないいわれはない。しかし記述には詩人の粉飾のにおいもする。

 じっさいにカマキリが飛ぶさまを見ればわかることだが、かれらはあまりに鈍重であり、ハネじたい、風に乗るとか上昇気流に乗るとかに耐えられるつくりとはみえない。からだぜんたいからすればハネはさほど大きくなく、張りがない。たとえば紡錘形の腹部の大きさにしたって、とうていこれを空高く運べるようなハネではないのだ。

 


 かれらの胸部は棒状であり、かれらの体型を単純に図式化すれば、スカートをさげる首ながのハンガーのようなものだ。そんなかれらの飛行は、目的をもっているというより、たいていのばあいやみくもな逃避行による決死の舞いのようだ。美しくもなく、香気もなく、ひたすら鈍重でけだるい。うす茶とうすみどりのスカートの、数秒の飛行ののちの着地のようすときたらさらに目もあてられないぶっかっこうさだ。折りたたみの鎌のかたちをした前脚からして、着地にかなう脚ではない。飛んだら最後、着地のさまはほとんど地面にたたきつけられるのである。

 だから、もしかすると、一冊の昆虫図鑑でカマキリの項を執筆した日本のその昆虫学者は、カマキリが飛ぶすがたをたんにヨットの帆に見立てただけではないのか。飛んでいるところをみればたしかに帆を張っているようにもみえる。

 …とは、しろうとの感想である。帆翔といえば鳥類のことと私などは考え、カマキリを捕食する鳥がチャンスをうかがって帆翔する、ということと混同してしまう。

 長距離を飛ぶチョウの仲間ならありそうだが、カマキリが帆翔するのがほんとうなら、そのわけをひとこと付け加えておいてもらいたかった、とおもう。

▲この画像は動画でごらんいただけます。「ご馳走は熊ン蜂」YouTubeこちら 撮影:著者

 


つよがりなニセ天使

【写真】カマキリ:ふ化したばかり…/2006年6月12日撮影

 

 

 

 

 生まれてまもないカマキリのハネは見てとれないほど小さい。かぼそい胸部とふっくらした腹部のさかいめに<天使の羽>みたいについている。

 前脚は死神の鎌だが、それだって愛らしいことにかわりなく、かつ無力だ。

 そうして尻をつんとそらへ突き出している。このお尻こそが世界の中心だというふうに。

 つまり自分についてなにもわかっていない。気の強さだけがおもてに出て、腕っぷしの強さに過剰な自信を持っている。

         ◆

 きゃしゃなからだで枯れた篠竹をするする這いのぼる。

 ほどなく、ツルバラの枝に巨大な目玉のもちぬしがいるのを発見する。

 …よくよく見れば、頭ぜんたいがふたつの目玉だ。

 …ということは、脳なんかないにひとしいのだ。こいつはうすのろにちがいない。


 と、世間知らずのカマキリは早合点する。

 相手がどんな習性の生きものであるかなど知る由もない。

 あかんぼのカマキリの体長はまだ五ミリにもたらぬ。まるで緑色の糸くずだ。おなじ仲間が四、五十ぴきかたまれば、いま目の前にしている相手のからだの大きさとつりあいがとれるかもしれない。それほど相手は大きい。いや、こちらが小さすぎる。

 さらにあいにくなことにカマキリ自身の頭部は最大に成長しても、目前の生きもののが口をひらけば余裕をもってくわえこまれる寸法しかない。こちらだって脳ミソの量は顕微鏡ものだ。

 篠竹からツルバラの枝へと歩を進めたかれは、意気揚々、左右の鎌を振りあげる。

 その瞬間、かれは息をのむ。目の前にとつぜん出現したのは、からだつきこそ自分より小さいが、たしかにいましがたわかれてきたばかりの仲間とおぼしき姿だ。それがいきなり数をふやして、何百、いや何千という数になっている。そしてかれが鎌を振りあげたのと同時に、相手もいっせいに鎌を振りあげてこちらへ向かってきたのだ。

 …どうしてこんな目にあわなきゃならないんだ。

 ぶん、と音がして、幾千とう仲間がふいに消える。現れたときよりももっと素早い。

 

 相手が複眼の持ち主だなどとカマキリが知るはずもない。

 かたわらではツルバラの血のような若葉が幾重にも抱き合ってふるえている。



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