目次
まえがき
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タイトル目次
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第1章 エコ技術と生産技術
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アメリカの新車燃費規制
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公差の魔術
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海賊版対策とIpadの中身
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第2章 資源と環境技術
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リサイクルされるレアメタル
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レアアース戦争
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微生物と植物が地球を救う
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日本が産油国になる日
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第3章 電気社会の到来
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宇宙太陽光発電衛星計画
海洋温度差発電
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直流送電技術
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ワイヤレス送電技術
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電気自動車の可能性
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キャパシタ搭載バス
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ハイウェイトレイン構想
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ギガンティック・トウキョウ
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第4章 食料生産技術
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野菜工場
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CAS冷凍技術
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クロマグロの養殖
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第5章 宇宙科学技術
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小惑星探査機「はやぶさ」
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アブレータ耐熱技術
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イカロスの翼
学術・科学技術予算について
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第6章 軍事技術
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CSMミサイル構想
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F22とF35はガンダムとジムくらいに違う
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自衛隊がF22を持つ意味
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空母型護衛艦「ひゅうが」
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第7章 日本の安全保障と国家モデル
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軍事力による平和
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ODAは肉食動物を太らせた
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アメリカの強さの源泉
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日本がスネ夫になるための2つの条件
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しずかちゃんに成りかけた日本
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かつての日本はノビスケだった
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日本が出来杉君になる日
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あとがき
あとがき

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第7章 日本の安全保障と国家モデル

 

 

 

 

 

 

 

第7章 日本の安全保障と国家モデル


軍事力による平和

前章では、軍事技術の進展について考察してみたけれど、昨今の日本周辺の状況は風雲急を告げている。

 

軍事技術の発展は、自国民を一人も死なせないで相手国民のみを殺す戦争を可能にしつつある。近いところで言えば、湾岸戦争とかイラク戦争などはそれに近かったと言える。

 

アメリカ空軍が相手の攻撃が届かないロングレンジから誘導ミサイルを撃って一方的に攻撃していた。アメリカはイラク相手に空爆だけしていたら、自国民を死なせることは殆どなかっただろう。犠牲者が増えたのは、占領後のテロ攻撃によってだった。

 

湾岸戦争でのアメリカ軍のM1戦車とイラク軍戦車のキルレシオは540:1とも言われている。これは、M1戦車を1台で、イラク軍戦車540台を破壊できることを意味している。

 

兵器性能の圧倒的差があれば、自国民を一人も死なせないで相手国民のみを殺す戦争も理論的には可能になる。今や無人爆撃機グローバルホークに代表される、無人機の開発も進んでいる。

 

他国に対して、性能で圧倒する兵器を配備するだけで抑止力は高まる。勿論、兵器である以上、金は掛かるし、使わないに越したことはないのは当然なのだけれど、「あるけど使わない」と「無くて使えない」では抑止力という意味において天と地ほどの差がある。

 

こうした軍事技術を要する軍隊を持つ国の政治家は、どうあるべきだろうか。

 

日本の平和ひいては、東アジアの平和を政治家の立場として考えてみるとどうなるか。進歩する軍事技術に対して私達はどうあるべきなのか。本章では、これについて考えてみたい。

軍隊は別に「悪の手先」ではない。軍隊が、国民にとって、悪の手先になるか、守護者になるかは、統制者の判断に依る。

 

軍は、軍の最高司令官の指揮に従うけれど、その指揮官がどういう断を下すかで聖にも邪にもなる。

 

天安門では、人民解放軍が中国人民を多数殺したけれど、これは悪の手先になった例。逆に、阪神大震災では、自衛隊が救助活動に尽力したのは、聖となった例だといえる。だけど、どちらも最高司令官の命令がなければ、軍は動けない原則がある。

 

2010年の春に発生した、宮崎口蹄疫で私達が体験したように、政治がきちんと判断して命令しないととんでもない事態を招いてしまう。

 

命を奪うも護るも、国防の在り方と指揮官の判断で決まる。備えがしっかりとして、軍事の天才が指揮をとれば、どう見ても勝ち目がない、即ち、国民の命が奪われるしかない場合でも、それを防ぐことだってある。

 

日本海海戦で、東郷率いる日本艦隊はバルチック艦隊を破ったけれど、バルチック艦隊は壊滅したにも関わらず、日本側の損害はごく軽微で、「パーフェクトゲーム」と呼ばれるくらい完璧な勝利だった。

 

指揮官の資質と判断はとても重要であることは論を待たない。人の生死に直結する。

 

民主主義には、権力の専横を防ぐ機能があるけれど、それを軍という物理強制力にも適用させるための前提として、シビリアンコントロールがなければならない。

 

だけど、そのシビリアンのトップを選出するのは国民だから、軍の統治者は国民でもある。したがって、国家組織たるはずの軍が戦争に従事することがあるとすれば、そういう断を国民自身が下していることになる。どこか別の専制者がさせているという訳ではない。

だから、民主国家の国民は死にたくなかったら、簡単に戦争をしでかすような文民を選んではいけないし、逆にまた、戦争をしたくないが故に、何もせずに降伏して隷従を選ぶ文民を選ぶのも問題がある。

 

軍隊をシビリアンコントロール下に置いている国家では、政治家のトップ、つまり首相は、自国軍の最高司令官でもある。だから、軍の存在をまるっきり無視することはできない。

 

軍の存在を無視するということは、自ら最高司令官であることを放棄することになる。これは文民統制を自ら否定することになる。

 

だから、政治家、特に最高司令官でもある首相は、自国軍の特性、能力を十分に理解した上で、更に政治家としての判断と手腕によって国家の平和と繁栄を守らなければならない。

 

ここで、平和の定義について、少し考えてみたい。

 

仮に、軍というものが全く存在しない、所謂「草食動物しかいない世界」は別として、軍という物理強制力を国家が保持している世界において、「平和」というものがどう定義されるかというと、筆者は「戦争していない状態」がイコール平和(=平和維持状態)である、と考えている。

 

朝鮮半島は、先般、北朝鮮による砲撃で緊張状態にある。1960年の朝鮮戦争から現在までの50年を「平和」だったということも出来るけれど、あれだって、一時休戦、つまり戦争をしてないだけの状態であっただけだと証明された。

 

軍事力によって、「戦争をしていない状態」というものを、如何にして作り出すのか、といえば、大きくは2つある。

 

ひとつは「逆らえない平和」、もうひとつは「睨み合いの平和」。

「逆らえない平和」とは、文字どおり、軍事超大国による一極支配による平和のこと。近年でいえば、パックス・アメリカーナがそれに当たる。

 

そして、「睨み合いの平和」とは、軍事力均衡による、戦争抑止状態、巷でよく言われるところのバランス・オブ・パワーのこと。

 

そして、今は、例のサブプライムに端を発する金融危機や、アメリカそのものの経済力の陰りもあって、「パックス・アメリカーナ」から「バランス・オブ・パワー」に移行しつつあるのではないか、と筆者は思っている。

 

軍事は兎に角、金がかかる。特に軍事的優位を確保するための、絶えざる兵器開発・配備に兵の補充と訓練。近代戦になればなるほど、莫大な金が必要になる。

 

アメリカの軍事予算は、年間60兆円もある。日本の年間税収の2倍も使っている。そのうちの何割だか、何パーセントだかは分からないけれど、その一部は、日本を含めた東アジアの平和維持のために使われている。

 

それに対して、自衛隊の予算は全部で5兆円ほどだから、もしも、在日米軍が全面撤退した場合には、日本の国防予算は確実に、かつ爆発的に増えることはほぼ間違いない。

 

これは、東アジアの軍事力均衡状態に持っていく、すなわち、「睨み合いの平和」によって、平和維持を行なうという場合になるけれど、もちろん、もう一つの「逆らえない平和」による平和維持も当然有り得る。

 

つまり、アメリカを除いた東アジアのどこかの国が、軍事力を拡大して東アジアを一極支配する、ということ。

 

では、どの国が、東アジアを一極支配するほど軍事力を拡大し得るか、といえば、それはもう言うまでもない。日本では絶対ない。日本にそれだけの力はない。

経済、兵員、その他を考えても、東アジアを支配するだけの基地を建設して、第7艦隊並みの海軍を持つなんて、ちょっと無理だろうと思われる。

 

日本がアメリカと戦争しても負けないくらいの軍事力を持たない、又は持てない場合には、日本が選択できるのは、アメリカによる「逆らえない平和」か、別の軍事大国による「逆らえない平和」、そして「睨み合いの平和」の3択しかない。現実問題としてそうなってしまう。

 

もしも、日本がアメリカによる「逆らえない平和」を放棄して、なおかつ「睨み合いの平和」も選択しないとするならば、後は、アメリカ以外の軍事大国による「逆らえない平和」の中に組み込まれるしかない。

 

だから、これは、大きく言えば、日本がそういう選択をして、それでよいのか、という問題に行き当たる。

 

筆者は「我儘で乱暴だけれど自由と正義を標榜する国」による「逆らえない平和」か、「友好ばかり口にするけれど、政府批判は弾圧して、民族浄化するような国」による「逆らえない平和」かのどちらかを選べ、と問われたら、文句なく前者を選ぶ。 

 

アメリカによる「逆らえない平和」を選択した場合は、アメリカ自身が昔ほどの力が無くなってきているから、東アジアは序々に「睨み合いの平和」に移行すると予想される。

 

今、アメリカは、その「睨み合いの平和」のための軍事力の一部を、当事国に受け持って貰いたいと考えたならば、日本を含め、同盟国に色々と負担を求めてくることになる。

 

その視点からみれば、アメリカの軍事再編ロードマップも、なるべく自国の負担を減らしつつ、平和維持のための方策を模索しているといえる。

 

普天間は、嘉手納のバックアップ飛行場でもあるし、国連軍指定基地でもあるから、東アジアが「睨み合いの平和」に移行する以上、その戦略的価値が高まることはあっても、下がることは有り得えない。

そうしたことを考えると、一番現実的かつ、安上がりに日本を守ろうとすれば、アメリカ軍には居て貰ったほうが良い。

ODAは肉食動物を太らせた

もうひとつ、政治的論理による平和維持、すなわち、外交努力による平和維持の模索、こうした観点がある。

 

これは、要するに、みんな草食動物にしてしまえ、ということ。

 

皆がみんな「争い」なんて考えたこともない、そんな言葉聞いたこともない、「戦争?何それ、おいしいの?」くらいにまでなってしまえば、戦争など起きるわけがない。

 

自然界でもそうだけれど、争いが起こるときというのは、大抵の場合は、餌が無くなったときと相場が決まっている。

 

勿論、国内の不満があるときにそれを逸らす意味で、軍事行動や威嚇行動をすることはあるけれど、ほとんどは、国民が飢えたときに、他国への軍事行動を起こす危険がある。

 

腹が減ったら獲物を探して、餌にする。生きるためには仕方がない、そういう論理。

 

だけど、肉食動物であっても、腹が満たされている限り、狩りをするわけでもない、というのもまた事実。ライオンだって、満腹のときは狩りなんかせずに、寝そべったりなんかしている。

 

これを現実問題に当てはめるとどうなるかというと、身も蓋もない言い方をすれば、「バラマキ」をするということ。要するに、他国へ経済援助をバンバンやるということ。相手を満腹にしてやれば、襲ってこないだろう、という理屈。

 

けれど、これは、これまで日本がODAとして、散々やってきたこと。

 

日本は、世界各国に対してODAを何十年もやってきたけれど、それによって、世界のどの国が「草食動物」になったのかを考えてみると、「草食動物」になったのもあるかもしれないけれど、「肉食動物」のまま変わらなかったのもある、というのが現実の姿だと直視する必要がある。


日本から遠く離れた、アフリカだとか、中東だとか、近いところでは東南アジアなどもそうだけれども、彼らは、日本に対して非常に友好的。

 

それは、ODAによって腹が満たされたからというのもその理由のひとつであることは疑い得ない。その意味では、このやり方は成功したといえる。だけど、それが通じなかった国もまたあることも、認めなければいけない。

 

日本は特に、隣の中国に対して沢山の餌をばら撒いてきたけれど、中国はODAの餌をたらふく食べては、ミサイルも作っていた。日本は、中国という「肉食動物」にせっせと餌をやっては、肥え太らせていった結果を自ら招いた。

 

そんな肉食動物が、なぜ日本に襲い掛かってこなかったというと、その理由は2つある。

 

ひとつは、日本も庭先に最強の肉食動物を飼っているということ。もうひとつは、日本自身もほんの60年ほど前までは、最強の肉食動物であった、ということ。

 

日本が今、飼っている肉食動物とは、言うまでもなく、在日米軍のことだし、日本自身も、かつて、大日本帝国と呼ばれていた頃は、アメリカ以外には負けたことのない、最強の肉食動物だった。

 

それがあるがために、現在の肉食動物である中国も、迂闊に手を出せないでいる。(民主党政権になって、味見的に尖閣に手をだしてきたが。)

 

その一方、そんな相手を刺激するような真似なんかしなくても、経済交流を活発にして友好関係を築けばいいじゃないか、という考えもある。

確かに友達になってしまえば、襲われることはない、というのはそのとおり。だけど、たとえば、腕力に自信のあるガキ大将が、絶対に逆らうことのないと分かっている金持ちの友達を持ったとしたら、かなりの確率でお金をたかる事になるだろうというのは、容易に推測できる。。

 

いわば、ドラえもんでいうところの、ジャイアンに対するスネ夫かのび太のような関係。

 

いくら友達になったとしても、その相手がジャイアンだったとしたら、のび太のままでは、ヤラれ放題になってしまう。だから、それでいいのかどうか、今の日本は、その選択を問われている。

 

日本はこれまで、アメリカというジャイアンに対して「こころの友よ」の関係を作ることで、守って貰っていた。

 

そのジャイアンに出て行けと言ったとして、代わりのアテがあるのかというと今はない。中国を「新しいジャイアン」にすればいいという意見もあるかもしれないけれど、その隣の「新しいジャイアン」が「きれいなジャイアン」である保証はない。

 

とすると、今のジャイアンが、まだ「こころの友」でいてくれるうちに、自分がジャイアンになるくらい鍛えるか、それが出来なければ、圧倒的軍事的優位を確立する技術力の開発と配備しかない。つまり、日本がドラえもんの「ひみつ道具」を作ってしまうという選択。

 

日本がいきなりジャイアンになる、なんて言ったら、中国は益々いきり立ってしまうだろう。故に、アメリカというジャイアンと「こころの友よ」の関係をがっちりと維持しつつ、時にはジャイアンの「ジャイ子の悩み相談」でもしてやって、その裏で、こっそりと「ひみつ道具」を開発しておくのが得策ではないかと思っている。


アメリカの強さの源泉

一方、ジャイアンにとっては「こころの友」でも、「こころの友」に認定されたほうにとっては、迷惑この上ない。

 

アメリカをジャイアン、日本をのび太だと仮定してみると、現実にも、似たようなことは起こっていると言える。

 

例えば、ジャイアンリサイタル(米国債)の切符を押しつけられたり、貸した本(ベイグンキチ)を返してくれと言っても、中々うんと言わなかったり、挙句の果ては「いつ返さなかった、永久に借りておくだけだぞ」といわれたりしているかもしれない。

 

今の世界には、アメリカに無理矢理言うことを聞かせる、所謂、「ジャイアンの母ちゃん」にあたる存在は居ない。では、日本という「のび太」はアメリカという「ジャイアン」とどうやって付き合っていくべきか。

 

それを考える前に、アメリカというジャイアンの強さについて、少し見てみたい。

 

まず、アメリカというジャイアンの強さは、その腕力、即ち、軍事力だけではない、という点は、ポイントとして忘れてはならない部分。

 

ドラえもんの中のジャイアンは、「ジャイアンズ」という野球チームを作っているけれど、あれと同じで、アメリカは自分のそばに、価値を有む色んな仲間を呼び寄せては、集めている。

 

手先が器用なのもいれば、勉強ができるのもいる。お金持ちもいれば、身体能力があるのもいる、という具合に、総体として、ありとあらゆる分野のトップがアメリカには集まっている。

 

それゆえに、アメリカは、経済力、文化・学問、で世界のトップを走っており、それがまた、アメリカの力の源泉にもなっていることは認めざるを得ない。


なぜ、そんなことができるかといえば、能力や才能ある人をそれなりに遇することができる、つまりこれは、と思う人物や研究になら、大枚をはたいてでも呼び寄せる、そうした懐の深さがあるから。

 

たとえば、研究学問分野ひとつとっても、見込みがあると思う研究には、ドバッと予算をつけて、好きなように研究できる環境を整えている。だから、腕に覚えのある人は、皆アメリカに行きたがる。

 

そのお陰で、アメリカの学問分野での実績には目覚しいものがある。

 

一例として、ノーベル賞の国籍別の受賞者数はのトップ10を上げると、次のとおり。

 

国籍別の受賞者数

 

全部門

 

順位 受賞数

1 アメリカ合衆国 305

2 イギリス 106

3 ドイツ(+ 東ドイツ) 80

4 フランス 54

5 スウェーデン 30

6 スイス 22

7 ロシア(+ソビエト連邦) 19

9 日本 15

9 オランダ 15

10 イタリア 14

Wikipediaより引用)

 


一覧してお分かりのとおり、アメリカの受賞者数が群を抜いている。これも、それだけの研究環境とそれだけの頭脳を集めているからこそ可能なこと。

 

ドラえもんの中のジャイアンも、自分のチームを強くするために、野球のできる子をスカウトしたりとかしているけれど、いつも自分が一番のジャイアンとて、野球の上手い子は4番に据えたり、エースにするくらいの「度量」は持っている。

 

同じことは、スポーツ分野でも、芸術分野でも言える。つまり、ある意味一芸に秀でた人、優れた人達を集めては、彼らの能力を最大限に「引き出して」やることで、自らの国力に変えていっているのが、アメリカの力の源泉になっているということ。

 

ゆえに、アメリカという「ジャイアンズ」はチームとしてみた場合、現時点では世界最強のひとりであることは間違いない。


日本がスネ夫になるための2つの条件

日本がのび太の立場だとすると、当然ジャイアンからは、いろいろといじめを受けることになるわけだけれど、現実の世界には、ドラえもんは存在しないし、「ひみつ道具」を持っているわけでもない。

 

ただ、そんな世界の中にあったとしても、ジャイアンからの被害を少しでも軽くする方法が無いわけでもない。

 

それは、のび太が、のび太でない別のキャラクターになるという方法。

 

ドラえもんでは、いつも、のび太はいじめられるのだけれど、のび太以外のキャラクターはそれほどでもない。そこに活路がある。

 

では、日本というのび太が目指すキャラクターとは何か。それは3つある。スネ夫、しずかちゃん、そして出来杉君。

 

まず、スネ夫について見てみたい。

 

ご存知のとおりスネ夫はお金持ちでおべっか使い。新しい漫画やおもちゃを手に入れるとジャイアンに貸して(取り上げられ)やったり、おだててやっては、ジャイアンの機嫌を取ることで、自分を守っている。

 

金と口の上手さ。スネ夫は、自身の持つこの2つの力を活用してジャイアンと付き合っている。

 

ただし、このスネ夫になるやり方には、いくつかの条件がある。もちろん、お金持ちで口が上手いというのは前提条件なのだけれども、それ以外に必須の条件が2つある。

 

ひとつは、自分はジャイアンの味方である、という態度でいなければならないこと。もうひとつはスケープゴートを用意しておく、若しくは用意しなければならない、ということ。

スネ夫はいつもジャイアンと行動を共にするけれど、基本的にジャイアンに逆らうことはしない。

 

ただ、ドラえもんのひみつ道具を借りて、影でこっそり、復讐することはあるけれど、面と向かって逆らうようなことは決してしない。そんなことをしたら、ジャイアンの機嫌を損ねてしまう。

 

だから、機嫌を損ねないように、始終おべっかを使っている。そして時には、珍しいおもちゃをジャイアンに貸してあげたりもする。

 

要は、スネ夫は、いつもジャイアンの味方であるという態度を取り続けている。仮にそれがフリであったとしても、そういう素振りをすることで、自分にジャイアンの怒りが向かないように気をつけている。

 

それでも時には、ジャイアンの怒りが自分に向けられるときがある。そのときは、スネ夫得意の口の上手さでそれを回避してしまう。つまり、ジャイアンの怒りの矛先を他の誰かに向けるように口説いてゆく。

 

たとえば、「これもみんなのび太のせいだ」という具合に、あること無いことを吹き込んで、ジャイアンの怒りをそちらに向けさせる。要するに、誰かをスケープゴードにすることで難を逃れるということ。

 

この方法は何もジャイアンの怒りだけとは限らない。「あっちにいけば、もっといいのがあるよ」とか言って誘導したりする、つまり、ジャイアンの慾望を煽ってコントロールすることもできる。こうした方法がある。

 

この、スネ夫になることによって、ジャイアンからの被害を軽くする方法は、先ほども述べたように、「ジャイアンの味方である」ことと「スケープゴートを必要とする」という2点が必要になってくるために、必然的に国家戦略としては取りうる選択肢が狭まる可能性がある。

どういうことかというと、ジャイアンがジャイアンとして君臨している間はまだ良いのだけれど、ジャイアンが落ち目になったときには、スケープゴートにされた側が一斉に反撃に出る恐れがあるということ。

 

そのとき、スネ夫がジャイアンの一味だと思われてしまっていたら、一緒に袋叩きにあう可能性が高くなってしまう。

 

だから、いかに彼らを敵にしないで、うまく立ち回れるか、という狡賢さが必要になってくる。

 

ドラえもんの中でのスネ夫も、そうした「コウモリ的」な立ち回りの上手さを持っているけれど、意外とスネ夫でいるのも簡単な話ではない。

しずかちゃんに成りかけた日本

ジャイアンからの被害を軽くするために、スネ夫になる以外には、しずかちゃんになる、という方法がある。

 

ジャイアンは乱暴者ではあるけれど、しずかちゃんを苛めるような真似はしない。これは、女の子に手を出してはいけない、という自制が働いているから。

 

スネ夫は、その金と口の上手さによって、ジャイアンの怒りの矛先を向けられないようにしているのだけれど、別に彼自身の人物に尊敬が集まっているわけではない。

 

スネ夫から金と口の上手さが無くなったらただの嫌な奴というだけで、総スカンを食らってもおかしくない。

 

それに対して、しずかちゃんは、お金持ちでも、おべっかを使うわけでもないけれど、ドラえもんの世界では、しずかちゃんは「神聖にして侵すべからずの存在」というキャラクターとして定着していて、ジャイアンからの怒りの矛先を向けられることがない、という強みがある。

 

この日本がしずかちゃんになるという方法は、要するに、日本が世界に対する、神聖にして侵すべからずという何らかの「権威存在」となる、ということに当たる。

 

ひらたく言ってしまえば、日本が例えば、「ローマ法王」になってしまえば、簡単に襲われることはないだろう、ということ。

 

アメリカとて、裏ではいろいろな工作をするかもしれないけれども、表立ってローマ法王を攻撃することはしない。

 

それは、全世界のキリスト教徒を敵に回してしまうから。それ以前に、アメリカ国民の大多数はキリスト教徒だし、大統領も就任式では、聖書に手を当てて宣誓をする。

したがって、アメリカは事実上のキリスト教国と言って差し支えないのだけれども、そうであるが故に、そのアメリカがローマ法王を攻撃するのは非常に難しい。

 

要するに、何がしかの「権威」に逆らうものは、即座に悪と断じられてしまう。それを利用するということ。

 

つまり、日本が世界にとっての何らかの「権威」になって、「日本を護ることは正義、日本を攻撃することは悪だ」という構図を作ればいいということになる。

 

そして、そのような世界的コンセンサスを得ることができれば、日本を攻撃することは、必然的に難しくなる。そういう手がある。

 

日本には、天皇陛下がおられるけれど、アメリカ大統領が国賓として海外の要人を招くとき、空港までホワイトタイでお迎えするのは、天皇陛下、ローマ法王、イギリス女王の3人だけ。

 

アメリカとて、そういう権威は認めている。

 

では、そうであるのに何故、今の日本は、ジャイアンの「心の友」扱いされてしまうのか。

 

それは、そういった陛下の権威が、国際儀礼上のものにとどまっており、所謂「政治的権威」ではないからということと、陛下は神道の祭司長であって、キリスト教の法王ではないという2つの理由にあるからだと思われる。

 

つまり、天皇陛下は「他宗」の宗教的権威として丁重に扱うけれど、アメリカとは別の宗教でもあるし、政治とはまた別だ、ということ。

 

アメリカ大統領が、ローマ法王に礼を尽くしたとて、アメリカ国民は取り立てて批判はしないだろうけれど、2009年11月に来日したオバマ大統領が陛下との面会に際して、最敬礼したときには、アメリカの世論は沸騰したけれど、そういう違いがある。


だから、日本がしずかちゃんになるためには、キリスト教に対するアプローチを行なって、日本はキリスト教と無縁というわけでもないのだ、とアピールしつつ、同時に「政治的権威」にまで日本の存在を高める必要がある。

 

では、そんなことが本当に可能なのか、ということなのだけれども、一時期そちらの方向に近づいた事がある。2008年の麻生政権がそう。

 

麻生元総理に、一定以上の政治手腕があったことは、多くの人が認めるところだと思うけれど、例のサブプライム危機において、IMFへの1000億ドルの貸付など、一時期であるにせよ、政治的に世界を引っ張っていたことは事実。

 

バブル崩壊を経験した国として、麻生元総理は他国にいろいろとアドバイスしていた。だから、ある意味において、バブル崩壊に対して、国としてどう対処すべきかについての「政治的権威」になっていたとも言える。

 

とりわけ、IMFの貸付などは、IMFのストロスカーン専務理事をして、人類史上最大の貢献、とまで言わしめたのだから、世界もそれを認めていた。

 

もしもあの時、日本を攻撃していたら、世界が沈没していたかもしれなかったのだから、日本の言うことを聞くことはあっても、蔑ろにすることは有り得ない。

 

そして、もうひとつのキリスト教との繋がりについてだけれども、これについても、麻生元総理は、実にぴったりの資質を備えていた。

 

それは勿論、麻生元総理がクリスチャンであるから。そして更に、麻生元総理は天皇陛下とも親戚関係にあるから、麻生元の存在自身が、日本神道とキリスト教を結びつけていたということを意味してる。


日本の宗教的権威と外戚関係にあり、同時に、キリスト教との繋がりを持っているという2つの宗教的権威に属する人物。それが、日本の総理であった。この意味は決して軽いものではない。

 

麻生元総理は、ローマ法王に招かれバチカンで単独会見をしたし、総理就任時には、外国メディアにクリスチャン首相誕生だと大々的に報道されていた。

 

世界の目は当時の日本の総理に集まっていたのだ。

 

だから、あの時期の日本は、宗教的にも、政治的にも一つの権威存在となりつつあり、しずかちゃんに近づいていたとも言える。

 

ただ、この方法にもやはり難点はあって、残念ながら「権威を無視する国」には一切通用しないことは留意しておく必要がある。

 


かつての日本はノビスケだった

日本というのび太は、何も、最初からのび太だったわけではない。昔はそれなりに強かった。

 

ドラえもんには、のび太が、大人になったのび太に会いに行くという話があるけれど、大人になったのび太は、しずかちゃんと結婚して、ノビスケという一人息子をもうけている。

 

このノビスケは、外見こそのび太にそっくりなのだけれど、乱暴者で喧嘩が強く、ジャイアンやスネ夫の息子と思われる同年代の子達(ジャイチビ、スネ太)を苛めたりしている。

 

つまり、戦前の日本は、ああいったノビスケのように、強くて、ある意味恐れられている存在でもあった。

 

そのノビスケが、ジャイアンとタイマンの喧嘩をして、死闘の果てに敗れたのが先の大戦だった、とみることも出来るだろう。

 

だけど、問題なのは、その後で、ノビスケと喧嘩したジャイアンも、勝ったとはいえ、相当なダメージを受けてボロボロになってしまった。

 

ノビスケの余りの強さに恐れをなしたジャイアンは一計を案じ、ノビスケを弱くしようと考えた。

 

つまり、ノビスケに眼鏡を掛けさせて、お前はノビスケではなくて、のび太だ、と言い聞かせて、そう思い込ませるようにしようとしたのだ。

 

一方、ノビスケの方も、ノビスケなりの計算があって、ズタボロになったままジャイアンに逆らうよりは、今はまず、体力の回復が先だとして、自分はのび太だ、と思い込むことにとりあえず同意した。


この、戦後日本はノビスケからのび太になった、というのは、日本とアメリカの関係を比喩的に述べたに過ぎないのだけれど、現実を良く言い表している。

 

つまり、自身の腕力を封印するために、自分で両手両足を縛りつける、いわゆる平和憲法を制定して、ジャイアンに逆らわないと誓う代わりに、在日米軍を受け入れることで、ジャイアンに傍に居て貰う約束を取り付けたのがこれまでの姿。

 

おそらく、始めのうちは、そのうちチャンスを見て、両手両足の縄を解く、すなわち憲法改正を考えていたのだろうけれど、両手両足を縛ったままにしているうちに、いつしかノビスケは本当に自分がのび太だと信じ込むようになってしまったのが悲劇の始まりだったのかもしれない。

 

そして、更に厄介なことに、ノビスケとジャイアンの喧嘩の際に、あおりをくらって怪我をした連中、すなわち、中国や韓国、北朝鮮がノビスケを責め苛むようになった。あのときの喧嘩で俺達は怪我をした、どうしてくれるんだ、治療費よこせ、と。

 

もはやすっかり自分がのび太だと信じ込んでしまっているノビスケは、彼らの文句にビビっては、顔色を伺う毎日を過ごしてきた。これが、有る意味において、今の日本の置かれている状況ではないかと思う。

 

そんな自分をのび太を思い込んでいるノビスケだけど、最近になって、やっぱり自分はノビスケなんだ、と思い出して、ノビスケ宣言しようという動きがあったた。安倍政権のこと。

 

安倍元総理は、戦後レジュームの総決算と銘打ち、憲法改正を睨んだ改革に着手していった。のび太からノビスケへの目覚めを志向したのだ。

 

ところが、ノビスケへの復活の動きは、周辺国をいたく刺激した。過去の記憶に恐れをなした各国が警戒を始めた。

 


のび太が本来のノビスケに戻るというのは、本人にとっては至極当たり前のことかもしれないけれど、周りからみれば、危険極まりなく映ってしまう。

 

だから、ノビスケとジャイアンの喧嘩で煽りを食らって怪我した連中は、殊更にノビスケは悪い奴だ、と喧伝し、のび太がノビスケとして目覚めないように牽制している面もあるだろう。

 

世界はノビスケを警戒している。昔の乱暴者のイメージが抜けていない。本人はもうそんな気は全然無いのだとしても、周りはそうは思わない。

 

安倍政権は志半ばで潰えてしまったけれど、仮にそのまま続いたとしても、世界から警戒の目で見られた可能性はあったと思われる。もちろん、ノビスケの方にも言い分はあるのだけれど、世界から黙殺されている。

 

ただ、最近になってようやく、アメリカでも、やっぱりノビスケの方がよいという声が強くなってきているようだ。

 

だけど、ノビスケとジャイアンの喧嘩で、煽りを食らって怪我した連中はそうは思わない。これはほぼ確実だと思われる。

 

だから、日本はノビスケとして目覚めるのもひとつの方法かもしれないけれど、もう一段違ったキャラクターとして生きていく道もあるのではないか。

 

それは出来杉君になるという道。

日本が出来杉君になる日

日本がスネ夫ではなく、しずかちゃんでもないキャラクターになろうとすれば、ノビスケに戻るよりは、出来杉君になるほうが良いと思われる。

 

ただし、これは半ば空想に近いくらい難しい話になるのだけれど、ひとつの可能性として、述べてみたい。

 

ドラえもんの中での出来杉君は、完璧に近いキャラクターとして存在している。

 

勉強が出来て、テストはいつも100点。スポーツ万能でジャイアンの野球チームでプレーすれば大活躍。ジャイアンをして、お前のお陰で勝てたとまで言わしめたこともある。

 

何事にもソツがなく、クラスからの尊敬を集めている。先生からの信頼も篤い。読んで字の如く「出来過ぎ」なキャラクターが出来杉君。

 

そんな、出来杉君というキャラクターを国に当てはめるのに無理があることは重々承知しているけれども、あえていうとするならば、グローバルレベルでの世界のリーダー、それも、みんなが出来杉君に宿題を教わりに来るように、世界各国が国家運営について、教わりにくるレベルの国ということになるだろう。

 

もう少し具体的に言うならば、政治、経済、文化、いずれも一級品であり、かつ時代に一歩先んじている、即ち、未来の国家モデルを体現している国だということ。

 

かつて、日本も敗戦後は、アメリカの国家モデルを理想として、それに追いつこうと走ってきたけれど、未来を指し示し、他国がその真似をしたいと思うくらいのレベルに達して始めて、出来杉君のレベルに到達する。

学校の宿題をただ解いているだけでは、未来モデルの国家になることはできない。日々起こる問題に対処しているだけでは、普通に国家運営をしているレベルを超えられない。

 

だから、出来杉君のような国とは、今の時代にあって、今を超えた国。例えば、進学塾か何かで、小学校4年生が、4年生の勉強なんかとっくに済ませて、5年生、6年生の勉強をするように、50年、100年を先取りした国家になることによって、他国が教わりに来るような国があれば、それは出来杉君のレベルに達した国。

 

そして、それは科学技術といったものだけではなく、文化・政治・経済システム等、あらゆるものが未来を先取り、若しくは予感させるものでなくてはならない。

 

果たしてそんな国家があり得るのか。

 

過去を振り返ってみると、たとえば、フランス革命などはひとつの転機であったように思われる。

 

あのフランス革命によって、王制が終わりを告げ、民主制が始まったわけだけれど、あの時代に提示された「自由と平等」の精神が、当時における未来モデルの提示であったと思う。

 

その後、その精神に立脚した国家がどんどんと建国され、今も尚「自由と平等」は民主国家の精神的基盤を為している。

 

ですから、事は簡単ではないのだけれど、ある国が出来杉君になるということは、つきつめていえば、未来への時代精神を持っている、ということになると思う。

 

フランス革命から早や200年が過ぎ、共産主義は崩壊し、自由主義もサブプライムとその後の金融危機で、その問題と限界が露呈してきているけれど、世界各国はこれらの問題を解決しようと躍起になり、なんとか国家立て直そうとしているようにも見える。

だけど、その国家モデルは、未だ、フランス革命に端を発する「自由と平等」に立脚しており、それを越えているとは言えないのではないか。

 

要するに、世界中のどの国も、昨今の金融危機にアップアップする段階で留まっている。いわば、皆、学校の宿題を解けずにウンウン苦しんでいる状態にある。

 

ドラえもんでは、みんなが宿題がどうしても解けずに、出来杉君に聞きにいくと、そんなのとっくに終わっちゃったよ、と言ってスラスラと解いてみせるけれども、同じように、未来モデルを提示する国家としては、そこまでいかないと駄目。

 

確かに、今のアメリカはその繁栄に陰りが見えてきているけれど、アメリカは、世界中から人材をかき集めては自らの国力に転化している国だから、また新たな未来モデルを提示しうるだけの潜在力を秘めている。だから、アメリカから人材の流出がない限り、まだまだ侮れない。

 

世界中の人が、行ってみたい、留学してみたいと思わせる国は、やはり時代の最先端を走っている。そして、その中からまた次の時代精神が出てくることもある。

 

よく、アメリカが衰退して、次は中国の時代だ、なんて言われることがあるけれど、こうした未来の時代精神を宿すという意味において、中国はまだまだアメリカには及ばないと言わざるを得ない。

 

金に任せて、人材を引っ張ってきたところで、自由な精神の発露を弾圧するところに未来があるとは思えない。

 

だから、これからアメリカが没落していって、未来の時代精神を示す力が無くなったとしても、どこか別の国がそれを引き継がないといけない。できれば、その国が日本であることを望みたい。

 

半ば空想に近いけれど、もしも、日本がこれから未来の時代精神を持ち、それに基づいた建国を果たしてみせるのであれば、日本はのび太から、出来杉君になる日を迎えることになる。