目次
若き日の自分
それが夢ならば
アンコントローラブル
MZ-2000の頃
ここじゃないどこかへ
千葉工業高校の頃
夢中! 熱中! MSX2
ゼッパチ人間の過去・現在・未来
プログラマになるべきか
社会人になって
出てけと言われたその日から
ダリアの花散るとき
はじめての機械設計(1)
はじめての機械設計(2)
エディトリアルデザイナー
瞬きもせず
目覚めの朝、午前5時
ナナゼロ世代のこれから
思索と模索の日々
デジタルネイティブ
恐慌突破!
倒産したら、どうする
とほほな中小企業
これはもうダメかもわからんね
神様がくれた最后の5分
時には母のない子のように
アラフォー世代の挑戦
ブレイクスルーしたくて
謹賀新年2009
応用情報技術者試験
セミナーを受けに行きました
サーチエンジン 小説大好き!!
小説 個人情報の住む街
能動的に生きるということ
勉強嫌いの勉強法
浴びるほど 飲んだ奴ほど 死んで行く
サバイブするということ
仮想自営体験
自営するということ
自己観察 ―セルフモニタリング―
ハチロク世代がやってきた
なぜコンピュータにこだわるのか
JWNTUGの頃
人生の踊り場で小休止
拝啓 15歳の僕へ
90歳のミスター
自分をメンテナンスする
ワークライフバランス
花の生涯
2010年はチカラを温存する年に
謹賀新年2010
思索と模索の果てに
勉強嫌いな学生の皆さんへ
応用情報技術者試験、その後
これから製作所
ハッタリのススメ
中小企業が守っていない企業経営の基礎
ギスギスした職場への処方箋
選手からコーチへの転身
タクシードライバー
デイ・ドリーム・ビリーヴァー
関東と関西の境界線
10年前に、クラウドがあったなら
輝く人になりたくて
工業高校生の就活について(1)
工業高校生の就活について(2)
糖尿病 ―40歳からの警告―
後に続け青春たちよ
小説を始めました
工業高校生の夏休み
校舎の外の世界では
快適!! 朝型生活のススメ
ルック・アジア型にシフトしよう
幸せって何だっけ
連載2周年 書き始めた動機について
最近思うエトセトラ
気合いだ! はどこから来ているのか
PHPビジネス新書『伝える力』/池上 彰
Twitterに違和感を覚える人々
「させていただきます」の濫用
Windows 7 のHDD換装は超簡単!!
電子書籍の奔流
隣の芝生が青く見えた時
休筆のお知らせ
最近思うエトセトラ Part2
MSX PLAYerに寄せるノスタルジー
プログラミングの現場で『もしドラ』を生かす
ソニーの電子書籍 Reader を試してみた
Outlook 2007 で、KB2412171のアップデートをされた方へ
母校の恩師、クリティカルシンキングを語る
神奈川県座間市の電脳書房さん
近況報告 64bitパソコン導入など
ソーシャルメディアがたこ焼きを変える
最近思うエトセトラ Part3
東北地方太平洋沖地震
SPAMはSPAMであってspamにあらず
マイクロソフト スマートビジネスセンター 景品当選!!
呼吸をするように、自然にものが書けるようになればプロ
日本語という言語を極めたい
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時には母のない子のように

 2009527日午後5時、わたくしの元父、横尾照雄が永眠しました。享年77歳でした。死因は肺水腫による呼吸困難でした。心筋梗塞も併発していました。お医者さまも、すでになす術がありませんでした。

■時には母のない子のように

 昭和7年、北九州市八幡東区(当時の八幡市)生まれ。戦時中を、軍国少年として育つ。三男であるため、長男の敏彦とは生まれながらに食事や座る場所、寝る場所さえ区別されて育てられ、ねじけて育つ。戦後は日本国憲法に惹かれる。地元の文学部を出たかったらしいのだが、父親である熊彦の強い奨めもあり上京。成蹊大学商学部に入学。関係者曰く「喫茶店などで女性をひっかけて、勉強せんと遊んでばっかり」で中退。

 「三男だから横尾の家を継げるものとは思わないように」という掟もあり、なにくそ精神で頑張り、前述のスラッグウール工業所の専務(断熱材の技術営業)に抜擢。33歳で結婚するも、嫁と長男芳彦が相次いで病死。36歳でうちのお母さんと再婚。長男に、日本国憲法から一字を取った、憲雄と名付ける。これが僕です。で、うちのお母さんをナンパした曲が、カルメン・マキの「時には母のない子のように」だったのです。寺山修司さん作詞の、なんともうらさびしい曲です。

■片手落ちのソリューション営業

 「九州グラスロン」という名の、自分の会社を持てたまでは良かったのですが、FRP(ファイバー・レインフォースト・プラスチック)などの、比較的良いソリューションを提供できながら、営業力という点においては、たとえば、資金回収がうまくできなかったり、情に流されたりで、経営は芳しくなかったそうです。技術のまずさは自宅にも出ていて、たとえば、セントラルヒーティングの家を造っても、配管の圧力損失(たとえばストローの長さが長くなると、ジュースが吸いづらくなるような現象)などを考慮に入れていないせいか、ボイラー室での冷媒や熱水が家全体に回らない、などのトラブルもありました。

 とにかく、兄貴が失敗すると、兄貴の尻ぬぐいができることをチャンスと考え、兄貴より役立ちます、といった自己アピールに終始。結局、自分の仕事はきちんとできていなかったようです(普通の技術営業に比べれば)。もしも長男だったら、こんないらぬ意地の張り合いはなかったように思います。三男だからこそ超えられない壁がある……古い家ならではの確執がそこにはあったように思います。

■親父は骨になった

 こういう体験は初めてだったので、恐怖でその夜は眠れなかったのですが、棺桶の中には、安らかな親父の姿がありました。九州出身で「なんかこの洟垂れが」などと威勢良く振る舞って、元ライオンズクラブで、会社社長だった親父からは、すでにそういった面影はありませんでした。無数の花に囲まれて、静かに最期の時を迎えようとしていました。

 最期の時はあっという間でした。読経が済むと、さっさと霊柩車に載せられ、火葬場に着いたら、早速焼きにかかる準備がなされました。火葬場の5番ランプが点灯すると、いよいよです。まるで、死刑台のエレベーターのようなたたずまいです。やがて、1時間15分かかって焼かれた遺体は、大腿骨とのどぼとけを残してほぼ粉砕されていました。「親父が骨になったか」……そうつぶやきました。いちばん大きな骨壺にも納めきれなくて、ふたができないので、係員が棒で遺骨をつっつくのですが、余り良い気持ちはしませんでした。他人ならともかく、実の親父ですから。

 きわめて軽量化され、コンパクトになった遺骨は、父方の親戚に預けられました。きっと佐賀県の菩提寺に納められることでしょう。僕は、初めての恐怖で、その後飯ものどに通らず、ホテルに戻っても眠ることさえできず、幼いころしてもらった数々のことを思い出しながら、お茶ばかり飲んでいました。翌朝になっても食欲がなく調子が悪かったので、近所の薬局でセデス錠と、しまいには救心を買って飲んでいました。午後4時発の新幹線を、午後1時発の新幹線に切り替えて、さっさと大阪へ帰ることにしました。

 死んだら終い。天国も地獄もなく、そこには無があるだけ。無から生じて生を受け、やがて無に帰っていく。そこには無があるのみです。


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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浴びるほど 飲んだ奴ほど 死んで行く

 NHKラジオ第一放送のかんさい土曜ほっとタイムの中で「ぼやき川柳」というコーナーがありまして、その中で紹介されていた川柳が「浴びるほど 飲んだ奴ほど 死んでゆく」というものでした。詠み人知らず、です。

■桜の下でのお花見酒が始まったのは、東京都北区の飛鳥山公園から

 江戸時代、庶民の花見酒は幕府により御法度。そのため、現在の東京都北区、飛鳥山公園でのお花見では、このルールが適用除外され、都内(江戸)で唯一、桜の下で酒を飲むことが許されたのです。このような理由で、庶民の春の酒宴は、桜の下で行われるようになったとのことです。なにかというと酒を飲むチャンスを探している酒飲みの宴会好きは、今に始まった話ではなさそうです(200942日付け TBS NEWS BIRD の気象情報による)。

■下戸には酒をすすめるな!!

 まあ、商工会議所というところも、青年会議所も、ふつーの会社でも、イベントの懇親会でも宴会でも見かけますが、堅物に限って「飲みュニケーション」でないと胸襟が開けない、本音が明かせない哀れな大人たちがいます。たちが悪い人間は、下戸にまですすめる。しまいには「オレの酒が飲めねえってーのかー」とキレる大人たち。ますます哀れです。ここはいっちょ、酒なしでも、ユーモアを交えて話ができるテクが求められますね。

■肝臓という臓器にもやがて限界が訪れる

 僕もかつて、夜食には何年か「マヨ牛丼」「チキン南蛮」「ビール」に「日本酒の冷や」などといった、不健康極まりない食生活を送っていました。しかし、肝臓は「沈黙の臓器」ですので、気がついた時には、チューハイ1本で「血糖値500で意識混濁」「救急搬送」「5日間入院」「インシュリン点滴注射」「脂肪肝」「2型の糖尿病」「果てしない服薬」「食事制限」というペナルティが待っています。血糖値が正常に戻りつつある5年後、ようやく薬が効き始めてきました。2型(インシュリン非依存型)の糖尿病は、インシュリン注射は必要としないものの、3度の服薬は必要です。

■すい臓を失うということは、職業生活を失うということ

 それ以上進行すると、1型(インシュリン依存型)の糖尿病になり、インシュリン注射をしなければなりません。すい臓からインシュリンが出ないためです。もっと言えば、1型の糖尿病は網膜剥離の原因になり、免許証を返納するだとか、コンピュータ作業ができなくなるだとか、職業生活において、酷い結果になりかねません。それより何より、自分で自分の腹に注射を刺すって、嫌でしょう?

■糖尿病には「予兆」がある

 もしここにケンシロウさんがいたら「お前はもう死んでいる……」ということ間違いなしですね。例えば、いま、おしりの周りにニキビ状の吹き出物ができている。お前はもう糖尿だ。お前はもう死んでいる……。例えば、いま、腹部エコーで「真っ白な肝臓」が出てきた。お前はもう糖尿だ。お前はもう死んでいる……。頭がぼーっとして平熱なのに熱っぽい。お前はもう糖尿だ。お前はもう死んでいる……。下腹が出てきていないのに、体脂肪率はアップ。お前はもう内臓脂肪症候群だ……。ホゥアタタタタタタタタタタ、ホゥワタアッ!!

■飲み会? ウーロン茶がなければ帰ります、と言える勇気

 これがなかなかできないものですが、ここは心を鬼にして、友達を失う覚悟で「お酒はお断りします」と言いましょう。でなければ、盛り下がるのを承知で「ウーロン茶でお願いします」と言いましょう。酒のつきあい上の友達は、自分の病気で酒が飲めなくなった段階で、飲み友達でなくなりますので、人間関係もいずれは切れますから、一切心配いりません。我が身を大事にしましょう。友達は終生面倒を見てくれません。友達は関係が切れれば他人、冷たいものです。職場も、いまどき一生ものという時代ではなくなりましたから。

■浴びるほど 飲んだ奴ほど 死んでゆく

 酒ごときに殺されたくはありませんね。僕の親父は、新日鐵化学の下請けか孫請けだったので、夜になると、いつも酔っぱらっては帰宅していました。皆から「宴会部長」とあだ名されるほどでした。それが30代ならまだしも、蓄積された酒糖分体脂肪は、老化とともに血管に吹き出してきて、動脈硬化や血管の狭窄を進めます。そして案の定、45歳で心筋梗塞を起こしました。76歳になった現在、会社も財産も何もかも失って、病院のベッドに横たわっています。そうして、これまで「ざるそば」ばかりを食べる偏食から来たのか、現在はインシュリン注射を必要としています。

 親父はかつて「北九州小倉ライオンズクラブ」に所属していました。これまで、自分の女房を泣かせるぐらい酒ばかり飲んできて、ことあるごとに家族に癇癪を起こし、ヘビースモーカーで、体調不良と手形の裏書きで事業に失敗し、女房子供に離縁状までたたきつけた親父が、いまひっそりと死んでゆこうとしている末路が、やはり哀れです。


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自己観察 ―セルフモニタリング―

 僕が20年前、社会に出て、まず真っ先に言われたのが「よそさまは、どうしているんだろう」「よそさまから見て、自分はどう見えているんだろう」といったセルフモニタリングということを意識しろ、ということです。自分で自分自身を観察する能力が必要だということです。ひとりよがりになってはいけない、会社員たるもの、芸術家タイプになってはいけない、周囲との協調能力が必要だ、という意味です。

■日常にも、職務にも必要なセルフモニタリング

 セルフモニタリングをしていないプログラムソースや、セルフモニタリングをしていない言葉や服装などの端々にもそれは自然とにじみ出るものです。たとえば「このドキュメントを見て、みんなはどう思うだろう」「こういうものを作っていて、でき上がったら、それを見てみんなはどう感じるだろう」という類推能力が必要とされるのです。

 たとえどこにいても、何をしていても「こういうことをしていて、みんなはどう思うだろう」という類推能力を働かせてください。仕事だから、単に作ればノルマは達成、さあカネをくれ、オレを褒めてくれ、どうだすげーだろう……では、上司も納得しないでしょうし、対外的な信用も失うことになるでしょう。美しく作る。きれいに、配慮して作る。これは、やっつけ仕事をしているスパゲッティコードな人たちには、到底理解が及ばないとは思うのですが……

 わかりやすく言えば「自分にアンテナを張る」ということです。しかも、全方位にアンテナを張るのです。アンテナを張って「自分はどう見られているのだろう」ということを意識するのです。足りなければツールや解決手段を用意するのです。プログラミングであれ、HTMLソースであれ、取り敢えず動けばいいや、ではなく「よそさまから見てわかりやすいコードを書く」ことも、必要なことだと思います。

 立ち居振る舞いということを、最近はあまりやかましく言わなくなったような気がするのですが、あなたの性格はあらゆる振る舞い……ウェブサイトに、メールに、プレゼンテーションに、文章に、そしてでき上がった成果物はおろか、その人の立ち居振る舞いや服装、髪型、言葉遣いや態度などにまで表出してきます。

■相手を思い測る類推能力

 最近は、あまりやかましく言わなくなったこととして、もう1つ。「自分がこう言われたら、相手はどう思うだろう」という、言葉遣いの問題です。同じ意見を言うのでも、紋切り型に言われるのと、慮(おもんぱか)って言われるのでは、同じ意見でも、上司は違う風にとるでしょう。まあ、上司の質にもよりますが、少なくとも「自分が上司だったら、こう言われたら嬉しい」と感じるような言葉遣いを目指すことから始めましょう。

 上に向かって吐いたツバは、やがて自分のところに戻ってきます。上司でない人にでも、たとえば駐車場のおじさんや、定食屋のおばさんにでも、そのような配慮をすることにより、あなたの人格が明日は少しマシになり、決して、数値化できる能力とか、資格とか、学歴とか、カタログスペック的なパフォーマンスなどでは測定不可能な部分で、自分自身の向上に資すると思うのですが、あなたはどう思われますか。

 再三、新渡戸稲造先生の例で申し訳ないのですが、こう言われました。お金を出せば買えるものは幾らでもあるし、お金に困っていない人が、お金を出せば買えるものは多いのですが、ただ1つ買えないものがあります。それは人徳です。店へ行って「10円の徳をくれ」と言っても、どこにも売っていないし、どこかで買えるものでもないので、徳の高い人は、結局得をしているのです、といった趣旨です。

■必殺!! 微笑み返し

 曹洞宗(そうとうしゅう)の仏教用語で、顔施(がんせ)という言葉があります。わかりやすく言えば「微笑み返し」のことです。「何々さん」と言われて振り向いて「あ~?」と怪訝に振り向くより、にこやかに振り向いた方がいいに決まっています。情報技術者の方たちの中には、ごく少数、この「微笑み返し」ができない方がいます。

 微笑みをするどころか、「オレは大企業の人間で、優秀なんだから、低脳な人間どもに右顧左眄(うこさべん)する必要はない」と威張る人がいますが、そんな人は、メールの書き方1つ取っても、失礼千万な場合があります。中には、着信されたメールを読まずに黙ってデリートする人までいます。他人の揚げ足ばかり取ったりしています。そんな失礼なやからは、微笑みながら「お前さん、うぬぼれなさんな」と言ってあげましょう。

 そんな人は、人としての性能が優秀なのではなく、親に行かせてもらった学校が「たまたま優秀とされているところ」であったり、たまたま入社した「会社や官公庁が優秀なだけ」で、それらレッテルをはがした素の人間として見ると、その人は会社も肩書きもなくした時、果たしてうまくやっていけるのでしょうか。余計なお世話かも知れませんが……

 結論。どんなときも、イライラ思って煮詰まっているより、ここは社会通念上「にっこり笑ってありがとう」の気持ちですね。昔の人は言いました。「稔った稲ほどおじぎする」。最初からふんぞり返って出世したという人を、残念ながら僕はあまり見聞きしません。どんなに国際化が進んでも、どんなにIT化が進んでも、礼を失することのないよう注意したいものです。


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ハチロク世代がやってきた

 1986年生まれの「ハチロク世代」が入ってきます。1970年生まれの僕も、彼らと同僚、あるいはライバルになるわけでして、それ相応の競争力をつけなければ、と思っています。まあ、ここはひとつ、おぢさんたちと、仲良くやろうぜブラザー(笑)。


 ハードウェアの黎明期にいた僕ら「教官」たちも、負けてはいられませんね。気合いです、気合い……とはいえないんですよね。彼ら、生まれてこの方、ずっとIT、めっちゃITに囲まれて育っていますから。むしろ、分からないところは、謙虚に教えてもらうしかなさそうです。「君、何して遊んでるの?」「げっ、上司だ、うぜー」……なんて場面はざらにあるのでしょうねえ。


■僕らの世代は至って地味だったコンピュータ


 
ハチロク世代がやってくる……の年表を真似して作ってみました(笑)。Fireworksを使って、3時間で作った割にはうまくできているでしょう?


1970
年生まれの教官たちの成長と、
IT
業界の主な出来事


 僕ら世代は、まずコンピュータプロセッサの進化(ムーアの法則)があり、次いでハードウェアの進化があり、それにOSが後追いする、といった形で、それに付随するアプリケーションといえば、テキストベースの事務作業でやってることと、簡単なゲームぐらいでした。ネットワークといっても2400 baudのパソコン通信。今みたいに、Webで情報の洪水、という現象はまだまだだったのではないでしょうか。例えば、ケータイよりも、ポケベルでしたし。ニンテンドーDSよりも、ファミコンやゲームウォッチでしたし……


 ちなみに、(財)日本生産性本部が
毎年名付ける新入社員のタイプ。平成元年(1989年)度 新入社員のタイプは「液晶テレビ型」だったそうです。「反応早いが、値段高く色不鮮明。改良次第で可能性大」だったそうです。いま、液晶テレビが地デジとして普及している現在を見ていると、僕ら世代もあながち捨てた物じゃないなと、そう思うのです。


 嗚呼、オレも歳を取ったなあ……。と、前髪にぶらさがる白髪を1本、また1本と抜くのでした。街角に出れば、あちこちで禁煙。嗚呼、肩身が狭くなったなあ……。と、近くの喫茶店に入って、喫煙コーナーを探すのでありました。アイスコーヒーにフレッシュを入れて、ふーっと溜息……。これも時代の流れなのか……


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90歳のミスター

 御年90歳にもなって、まだまだ会社関係の人とお話ができる、驚異的な健康達人をご紹介する。にんにく卵黄は関係ないみたいなのだが……

 東京都武蔵野市吉祥寺のNさん(前述のシスコのNさんのお父さん、僕の叔父さん)が、わざわざ親父の形見を届けるために、阪急神戸線、武庫之荘駅に来てくださったのだ。ありがたいことだ。

90歳のミスター

 ミスターは時間厳守で、ふと、駅南口へ通ずる連絡通路から、ひょっこり現れた。意表を突かれた。どうやら間違えて南口改札でお待ちいただいたようだった。このミスターは確か、若い頃はM商事で重役を務めていたらしい。だから、仕事のクセが抜けず、御年90歳になっても、足腰カクシャク、耳はばっちり聞こえる、眼は裸眼で遠くまできちんと見える、スーパーおじいさんなのだった。

 そのミスターが「喫茶店はどこ」と訊くので、長旅の疲れが癒されるよう、ワッフル付き洋食喫茶、つまりは阪急系列の店に案内した。無難だろう。お冷やをゴビゴビ飲むと、ふーっとため息をついて「やれやれ、今日は5時起きじゃった」とニヤリ。冷たいアイスクリーム付きコーヒーをおいしそうに食べる。「のぞみ号でしたか」「いや、ひかり号の自由席が安くて空いているから」とのこと。

 洋風な店なので、訳の分からないカタカナ語のメニューのそれを適当に注文すると、出てきたのは「生野菜のどんぶり盛り」だったので、これまたカクシャクと食べる。もちろん、全部自前の歯だ。すごい。恐れ入りました。僕は、アイスティーとワッフル1個で充分です……

■月光院観月照道居士

 元親父の戒名が決まった。というより、Nさんが大枚はたいて、佐賀のお坊さんに頼んで付けてもらったのだ。……なんか立派過ぎやしないか、この戒名(苦笑)。闇夜の道を照らす月のようなストーリー性すら感じるぞ。見方を変えれば、まるで「セーラームーン」のようではないか……。「月に代わって、おしおきばい!!」。……うう、想像するだに気色悪い。まあ、これで、成仏したと思えば、それでいい。それでいいのだ。

■電子メール感覚で葉書を

 ミスターNさんは、電子メール感覚で葉書をしたためられる。一方、インターネットと親和性の高い世代にとって、葉書を書く、という行為はハードルが高い。書き損じる心配があるし、一旦、脳内メモリに文案を練って、それからそれを葉書に写し取る、といった作業が必要となる。葉書には、バックスペースキーもなければ、コピー&ペーストもないのだ。

 たぶん、我々が常識としている電子メールと同じように、ミスターの頭脳では、葉書を常識としておられるのだろう。葉書ならば、住所さえ分かれば、電子メールのアドレスが、ドメインがどこだと狼狽する必要もなく、きちんと届く。パケットの不着、コリジョンなどを気にせずとも、葉書の場合、集配の日本郵便さえしっかりしていれば大丈夫なのだ。

 葉書を書く作業は、脳内での漢字変換を伴う。ひらがなやローマ字を入力して変換するのとは違い、脳内でつくりとへんを組み合わせて漢字をこしらえてから、それを筆記転写する。葉書は自然と脳トレーニングになっている。一方、電子メールはというと、それほど脳を使わなくとも、つらつらと文章が出てくる。自動筆記の要領だ。……我々電子メール世代の老後が心配になってきた。もしや、パソコン依存症のぼけ老人が多発するのではないかと心配になり、思わず郵便局で葉書(かもめーる)を買うのだった。

90歳のミスターはサイクリングと散歩がお好き

 健康の秘訣は「サイクリングと散歩」だそうだ。さすがに一度兵隊に行った人は違う。どこまでもフィジカルで、健康的なのだ。


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花の生涯

 田所郁子(77)。昭和81933)年、兵庫県武庫郡今津町(西宮市)上甲子園生まれ。戦前は、兵庫県尼崎市難波中通(西難波)育ち。滋賀県大津市丸屋町に戦時疎開。戦後は、兵庫県尼崎市立花町近辺で生活する。疎開先である、現在の滋賀県立大津高等学校普通科卒。


才色兼備のキャリアウーマン 阪急百貨店写真室にて 昭和30年頃

戦後復興のさなかに

 戦争で、焦土と化した大阪。まだ、日本に進駐軍GHQ(連合国軍総司令部)があった昔。当時の心斎橋そごうが、米軍のPX(米軍専用売店)として接収されていた時代。女性の社会進出が、まだままならない時代の中で、キャリアウーマンの先駆けとして勤務。弱冠18歳で心斎橋大丸の正社員になった。当時の初任給が6000円だった時代、PX600円のパンストを購入して売り場に立った。


 ラジオからは「復員兵情報の時間」が流れていた頃である。音響製品はまだ、「電蓄」や「真空管ラジオ」の時代である。国道2号線には、神戸と野田阪神とを結ぶ路面電車「阪神国道電車」が走る、のどかな時代だった。電話がない家もまだ多く、あっても手回し式の「交換手扱い」の電話だった。


 当時の大阪市営地下鉄は御堂筋線だけ。梅田~心斎橋間を走る車両はたったの2両編成。当然、冷房なし。汗だくになって勤務先に到着。現在では、パンストが伝線することは余りなくなったが、当時は舶来のナイロン製。すぐに伝線した。戦後、荒廃した御堂筋を、ハイヒールの靴音高らかに闊歩した。同僚からは……いや、京阪神全店の従業員からは「ミス大丸」とあだ名された。その美貌と知性は、瞬く間に会社中の噂になった。時の人である。当時、宣伝部にいた、現在のサトウサンペイ(漫画家)も同僚のうちのひとりだった。ニックネームは「サンペイちゃん」。まだ、脱サラしてはいなかったようだった。


当時のレジスターは機械式


 現在では、POS(ポイントオブセールス)システムが当たり前の時代だが、当時は機械式計算機によるレジスターだった。部門キーなどの他に、置数キーが横に桁の分だけ並び、その桁の置数キーが、更に、下に向かって0から9まで並んでいて、桁数は確か8桁か9桁あたりまで。具体的な操作は、各桁の置数キーを何度か押して、計算を終わらせる際には、一回ずつ、本体脇のレバーを回転操作する。そして、総計が出た段階で、ようやくレシートを印字するのだ(余りに昔すぎて、詳細はよく分からないが)。


 たとえば、販売員がモノを売る。すると、レジ係員がチェックして、レジスターを操作する。まるで、スロットマシンのような要領である。そうすると、レシートとは別に、請求金額が、レジスター上部の窓に表示され、そこで合計請求金額が分かるという仕組みだ。勿論、消費税を計算する必要がなかったので、処理される数字は整数だけで良かった。バベッジの「解析機関」ほど古くはなかったが、これもまた同様に、機械式計算機の一種である。


 また、各レジに座っている出庫係員は、商品出荷と同時に、帳簿をつける。接客、販売から出荷までのプロセスが、実に3人掛かりだった。これら一連のプロセスは、まだまだ電算化する価値があったようだ。このような面倒くさいことを、当時は平気でやっていたのである。まだ、社内に「電算室」すらない時代の話だった。なお、当時の詳しい様子は、日本NCRのホームページに記載があるので、そちらをご覧いただきたい(日本NCR レジスター博物館 1933年からの項を参考のこと)。


飛び抜けたリーダーシップ


 旧ホテル阪神(大阪中央郵便局うら、当時の新阪神ビル)の会員制クラブ「スターライト」で、若い女の子を仕切るマネージャをやっていた時期もある。阪神エンタープライズが経営する、各界の著名人御用達の高級店である。顧客の中には、有名な漫才作家、秋田実もいた。そんな幾多の顧客のうちの、ある人の紹介で、喫茶店を開業しないかと誘われた。そこで、取得中の普通自動車免許は「仮免」で終わっている。今考えれば、惜しいことをしたものだ。ちなみに、当時の自動車はもちろんクラッチつきのミッション車。それに加えて、ハンドル脇の変速レバー「コラムシフト」が付いていた時代の話である(現在でも、一部のタクシー運転手さんの車両が、コラムシフトである)。


 現在の梅田北ヤード近くのJRA(日本中央競馬会)の馬券売り場の近くに、喫茶店「ジュリアン」を開店した。なぜ「ジュリアン」なのかって? 理由はただ単に、沢田研二(ジュリー)のファンだったからだ。一応、喫茶店のオーナーだったが、そのうちに、実質的な経営権を、雇っていたバリスタと、その彼女に乗っ取られたりして、いろいろ大変だったようだ。


本小曽根合資会社の頃


 心機一転、今度は神戸での勤務になった。当時の神戸市生田区(中央区)多聞通。今で言うところの、UCC上島珈琲本社に近いところ。神戸高速鉄道の、高速神戸駅直上のビル(阪神大震災で倒壊)。当時の本小曽根合資会社という、旧小曽根財閥の管財会社での事務作業である。事務作業といっても、普通の事務作業ではない。簿記会計もこなしたが、主に、神戸ロータリークラブでの、本小曽根合資会社代理としての仕事だ。なので、実業界のロータリアンとの面識も多々あった。


 ちなみに、小曽根さんとは、あの小曽根実さんだ。その子ども、現在のジャズミュージシャン、小曽根真さんが、まだ、抱っこができる幼子だった時代の話である。当時の本小曽根合資会社は、たとえば、阪神電鉄や、阪神内燃機(阪神ディーゼル)などの大株主だった。これら小規模な在阪財閥は、俗に「関西財閥」と呼ばれ、GHQによる財閥解体の対象にはならない程度の、比較的小規模な資産家集団だった。


洋裁のプロになりたかった


 勤務のかたわら、当時の国鉄芦屋駅近くにあった「田中千代服飾学院」に入学。師範科(3年制)には入らなかったものの、洋裁の基礎から応用まで習う。現在でも東京田中千代服飾学院には卒業写真集が残っていて、評価点数が5段階評価でオール5だったことを、現在でも誇りに思っている。「ほこりだけでは飯は食われへんけどね」と自虐的に笑うが、それにしても、大したものだと、長男としても思っている。


 が、しかし、大阪万博の前後から、人生が暗転する。普通の女性ならば誰もが思う「結婚適齢期」とのたたかいだった。当時36歳。女性ならば、誰もが身の振り方を考える時期だ。キャリアパスは上手に渡り歩いて来た。が、女性ならば、誰もが「自分の子どもを抱いてみたい」と考えるはずだ。そのへんが、普通の女性よりも、不器用な処し方しかできなかったのだ。なにせ、彼女のような生き方は、「これまでに日本国で前例がない」ものだったからだ。


間違いだらけの男選び


 取引先の「石丸さん」なる人物が、福岡県八幡市(北九州市八幡東区)に住む、ある「青年実業家」の写真を持ってきた。横尾照雄という青年が、お見合いの相手だ。製鉄会社の下請けか孫請けか、関連会社の専務で、小倉ライオンズクラブに所属。東京にある大学卒。相手にとって不足はなかった。ここで、現代女子に注意してもらいたい点なのだが、「青年実業家」と言えば聞こえがいいが、要は、親の財力でのし上がった人間だ。この場合、自分のチカラで青年実業家になったのではなかった。ここは、要注意。メモメモ。


 折しも、はしだのりひこが「花嫁」という歌を唄い、街角に流れていた頃だった。もう、職場では、いわゆる「お局様扱い」を受けていて、目下ハートブレイク状態だった。大黒摩季の「夏が来る」という歌にもあるように、「お見合い相手のプロフに、一瞬くらっとするけどワン・モア・チャンス、本気の愛が欲しい」という状態だ。お見合い相手は、彼女の母性愛をくすぐるかのように、当時流行していた、カルメン・マキの「時には母のない子のように」を唄って聴かせた。ぱっと見、シャイな青年を装っていた。


間違いだらけの結婚生活


 しかし、結婚生活は当初から双方、意地の張り合いで上手く行かず、親父にしてみれば、はじめて「女を征服した」という気持ちで一杯で、夫婦生活というよりは、どちらかといえば「性的暴行」に近かったらしい。はい、そうですかと、素直に旦那に調教されるほど、妻だってバカではない。先ほどの歌ではないけれど、大黒摩季の歌を借りれば「本気でエッチしたら、その日から都合の良い女扱い」だったそうで、大変気の毒な思いをしたらしい。


 本来、母体の健康を守るべき「産婦人科」は、彼女にとっては「堕胎院」と化していた。あるとき、産婦人科医から、釘を刺された。「今度ばかりは、貴女の命の保証はいたしかねますよ、旦那さんも厳重に注意するように」と宣告される程の性的暴行ぶりだった。僕が何となく、中島みゆきのファンである理由は、このへんにあるのかも知れなかった。中島みゆきの父、慎一郎さんは、若くして夭逝されたが、産婦人科医だったからだ。成年男子諸君、事に当たっては「家族計画」を念頭に置くように。


訣別の時を過ぎて


 そして、長男が20歳になった、平成31991)年1月。調停離婚は成立した。僕も3月には「横尾」ではなくなっていた(家庭裁判所に申し立てる子の氏の変更)。僕としては、最初、中立的な立場を保っていたが、仲裁も限界に達したので、子の氏の変更に素直に応じた。まるで、合併を繰り返した銀行のような気分になった。なぜ、夫の理不尽な暴力に耐えてまで長男が成人するまで待ったのか。それは、幼児期では、親権を経済力のある夫に取られることを恐れていたからだ。折しも「熟年離婚」がニュースなどで喧伝されていた時期にあたる。


 あれから20年余り。帰郷して、すっかり落ち着いた母親は、静かな余生を送っている。あれだけ彼女を粗末に扱ってきた旦那が死んだ、と息子に聞かされて、あれ、喜ぶのかな、と思ったら、意に反して「なんだか寂しいね、次はわたしの番かね」とつぶやいたりする。こんな心の動きが、僕にはよくわからない。男性の、直線的な考え方しかできない僕とは、どうやら心の振り子が違うらしい。


 来年、母親は喜寿を迎える。初めて、旦那だった人間の年齢を超えて生き続ける。うちは決して豊かではなく、どちらかと言えば貧しいほうだけども、何か、心に残るお祝いをしてあげたい、そんな気持ちになった。彼女はいま、自分に与えられた「残り時間」が、どれだけ残されているのかを、気にし始めているらしい。残り時間が、幸多かれと祈るばかりだ。


 そんな一輪の、花の生涯。


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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ギスギスした職場への処方箋

 人は、生まれ落ちてすぐは、みんな素直だったはずです。泣く理由もなく泣いていた、幼き日々があったはずです。やがて、取り巻く環境が、その人の心を変え、じわりじわりと壊れていった。結果、職場にもまれる、などを通り越して、ギスギスした職場がその人をギスギスにする。そして、ギスギスした人は、隣人や他人も巻き込んでギスギスする。その繰り返し。


 そんなケースが近年非常に多いと体感しています。事実、僕はワーカーホリックなギスギス上司に振り回され、ついにアタマの「ブレーカーが落ちた」人なのです。なので、僕はシステムインテグレータの前職を辞めて今年で6年、いまだにメンタルクリニックから離れられない現実があるのです。


■ギスギスした職場への処方箋


 『「職場がツライ」を変える会話のチカラ』という書籍。著者はここでもコラムを連載しておられる、おなじみ「マインドセラピストの匠」、竹内義晴さんです。ほぼ僕と同い年……いや、1年、年少さんです。アラフォーであることは間違いありません。自動車メーカーを振り出しに、ソフトウェア開発、そしてその管理職に就かれました。そんな経験をもとに作られた本が、今回のテーマです。書籍を購入してからしばらく経つのですが、僕には、応用情報試験があり、自分のコラム執筆があり、中小企業診断士の受験勉強などがあり、延び延びになっていました。


■お休みの日、新潟まで大胆に生電話!!


 兵庫県尼崎市から、0033NTTコミュニケーションズ)をつけてダイヤルしました。なぜいきなりダイヤルできるかというと、Twitterであらかじめ面識があったからです。堂々と、そして、内心こわごわダイヤルしてみました。お話をしてみると、まるで牧師さんのような落ち着きと暖かさ。1年年長の僕が逆にちょっと浮ついた感じになっちゃいました。どっちが年下なんだか分かんない。はー、僕も年齢相応の落ち着きを見せなきゃダメだな。何を話したのかは秘密……というより、緊張しすぎて忘れました(苦笑)。


 覚えているのは、出版に至った経緯。企画の売り込みに出版社を回った訳ではなく、メルマガの読者さんに、たまたま編集者さんがいたこと、それがきっかけだそうです。また「どうしてマインドセラピーをやっているのですか」とお聞きしたら、「偶然たまたま巡り合わせでなったもので、意図的に目指してなったわけではないですよ」とのお返事でした。お話ししていて、「クールヘッドの、ウォームハート」を地でいく人だなあ、と実感した次第です。いよいよ、僕は落ち着きのある人にならなければならないなあ。まあ、僕は、小学校の通知表から「落ち着きがない」と書かれていましたからね。これは性分でしょうかねえ。


■職場を、喜びの場に変えるプロセス


 最初は取引先と部下との板挟み、という責め苦に遭っていた竹内さん。管理者になっちゃったけど、何でこんなにツライんだ。そこで、どうすべー、どうすべーと思案。職場がとてもツライ。ある夜、布団に横になりながら、ぼんやり点る天井の麦球を見て涙が出た。ストレスで、十二指腸潰瘍を患った。それを見た妻からは、「そんなにツライのなら、会社やめてもいいわよ」と言われた。そんなある日、「信頼関係を築きながら話を聞く会話術」を標榜するある先生との出会いで、竹内さんは変わりました。何かが吹っ切れた。ならば、されてよくないことの真逆をやろう、と行動に移しました。


 指揮命令ばかりではモチベーションが下がるので、褒めて、自発性をうながそう。ベクトルがバラバラならば、共通のゴールづくりを目指そう。過去の失敗をほじくり出して部下を責めるよりも、未来志向で一緒に解決策を探ろう。何かものが言いたそうだけど、なかなか言い出せないなら、いっそ、こちらから聞いてやろう。ここから、手作りで、手探りの「マインドセラピー」が職場で実践されていくのです……。おっと、ここからは、本書を手に取りよく読むように。たった1400円(プラス外税)で、あなたの職場も「マインドセラピストの匠」のチカラで、劇的ビフォーアフターできるかも!!


■部下を持ったなら必ず読むべき書籍


 もしも、13年前にこの本があったなら、僕の印刷所時代の部下は離れていかなかったでしょうね、きっと。結束力のある、最強のチームになっていたと思います。誰しも、部下を持ったなら、「リーダーの孤独」というものに遭遇すると思います。この本は、リーダーの孤独を解消するとともに、ぽつんと取り残されたメンバーを結集する良い示唆が含まれているように思います。この本には、決してお説教じみたことは一切書いてありません。また、こうしなさい、と決めつけることもしていません。ましてや、スピリチュアルなことは一切書いてありません。それはそれは、淡々と、事実と結果とが、実に素朴な言葉で、一段一段、段階を踏んで書かれているだけです。


 また、会社員のみならず、学校の先生にも読んでいただきたい1冊ですね。子供が言うことを聞かない。子どもが、みんなバラバラ。グレる、スネる、へこたれる。そこで、担任の先生という名のリーダーが、教室というチームを作るときの一助になり得るのかも知れませんね。そういう応用も期待できます。この本は、教育者の方にもぜひお読みいただきたい1冊です。お金を払う価値は充分にあります。むしろ、おつりが返ってくるかも知れませんね。


「職場がツライ」を変える 会話のチカラ/竹内義晴
こう書房 ISBN 978-4-7696-1023-6


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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関東と関西の境界線

 皆さん、特に東京と大阪の皆さん、ご存じでしたか。日本の東西で「馬鹿」と「阿呆」のニュアンスが、強烈に違うことを。東京では「馬鹿」は軽くて「阿呆」は罵倒ですが、大阪では「阿呆」は軽くて「馬鹿」は罵倒なのです。真逆なのです。これ、知っておいて損はないです。

 たとえば、大阪でむやみに「お前はバカだ!!」などと気楽にやると、関西人は、激怒するかもしくは立ち直れなくなるかのいずれかになります。また、東京で「お前はアホや!!」だなんて、気楽に言ったら、もしかすると半殺しの目に合うかもしれませんね。

■神戸に来て、おやっ? と思ったこと

 初めての会社。関東人の僕は、澄ましておとなしくしていました。そうしたら、同僚の社員から不気味がられました。どうやら、初対面から腹を割って打ち解けて話をしないと、打ち解ける気がないものと見なされるそうです。最初からフレンドでもないのに、フレンドリーにしなければ、なかなか仲良くなれません。もっと言えば、しゃべくりの街。それはもうテンション全開で……それは言い過ぎにしても、しゃべくらないと通じませんね。

■たぬきそばは、揚げ玉入りにあらず

 また、関東人の僕が、神戸高速鉄道の新開地駅の立ち食いそば屋さんで、平成3年ごろに困ったことがあります。僕は朝ご飯に「たぬきそば」、つまり、揚げ玉が乗っているそばを期待して「たぬき」を買ったのです。そうしたら、油揚げの乗ったおそばが……。「揚げ玉がはいってないんですが」「お客さんが買わはった食券はたぬきでっしゃろ? 間違いおませんがな」「いいや、揚げ玉が乗ってないからダメだ」「そんなことおまへん」「じゃあ、何を買えと言うのだ」「そしたらお客さん、『ハイカラそば』を買うてくんなはれ」……揚げ玉が乗ったそばの、どこがハイカラなんだ、という、釈然としない気持ちを胸に、油揚げの乗ったそばをすすったのでありました……。ハイカラ……。

■関東では「ねこまんま」関西では「お汁かけご飯」

 関西に来て、味噌汁の中にご飯をぶちこんでサラサラと注ぎ込む人がいますが、関西では立派な「お汁かけご飯」なので、関東の人におかれましては、「わー、ねこまんましてるコイツ」とかいうと、ジモティーはたいへん立腹します。また、「お好み焼きにご飯」とかいうメニューも普通にあるので、決して「おい、デンプンばっかり食べてるな」とか茶化さないでください。郷には入れば郷に従え……レッツゴー!!

■釣りに行って「チヌ」ってどんな魚?

 印刷会社時代の平成8年ごろ、直属上司に、淡路島に釣りに連れていってもらいました。そこまでは良かったのですが、上司が「みんな、チヌが釣れたぞ、やっほー」と言うので、魚を見てみると、なんと「クロダイ」。それからしばらくして言い争いがあって、「チヌじゃ!!」「いいえ、クロダイです!!」「チヌじゃ言うてるのに!!」「いいえ、クロダイです!!」「チヌ言うてるやろボケ」「ボケ言われたくありません、全国的に見ればこれはクロダイです!!」……とまあ、しょうもない言い争いが延々とありました。帰りの車中でも延々と……。

■メロンパンにあらず、サンライズ?

 神戸では、瓜を縦半分に切ったような形のやわらかいパンの中に、白いこしあんが入っているのが、メロンパンだったりします。少なくともコープこうべでは、全国的に見られるいわゆる「メロンパン」は、「サンライズ」と呼びます。あ、ガンダム作っている会社と同じ名前か。それにしても、なにゆえメロンパンをサンライズと呼び、メロンパンでないものをメロンパンと言うのか、僕は釈然としませんでした。メロンパンでないものがメロンパンでハイカラで……(無限ループ)

■移住から20年が経って……

 もう、メロンパンがメロンパンでなくても、たぬきそばがたぬきそばでなくても、怒ることはなくなりました。チヌはチヌとして理解し、例えアホとからかわれても、そば屋で醤油臭くないダシのおそばが出てきても、何にも感じなくなりました。最近ではタクシードライバーに、「お客さん、地元の人でっしゃろ?」と誤認されるぐらい、関西ナイズされてしまいました。20年も経てば、いい加減なじむものです。このように、慣れというものはおそろしいものです。


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糖尿病 ―40歳からの警告―

 ある日、久しぶりに近所の内科医に行ったら、ビタミン注射の針が静脈に刺さらない。そして、涙が出るほど痛い。原因は、適切な血糖値管理ができないまま、約1年もよその病院で検査もせずに放置したため、静脈が硬化を起こしていたのです。「静脈硬化」と聞かされた時には、驚きました。そして、全身これなのか、と思うと、鳥肌が立つのでした。関西では「さぶいぼ」とも言います。身の毛がよだつ、とはこのことです。

■こうすればあなたも生活習慣病!!


 10歳のとき、ドラえもんのテレビ本放送が始まりました。場所は川崎市高津区(宮前区)宮前平。そこで、○ヤリースジュースのおまけとして、1ダース12本買うと、もれなくドラえもんグラスがもらえる仕組みになっていました。まだ、家が豊かだったので、グラス全種類をコンプリートするために、それはもう湯水のようにバ○リースジュースを飲んでいたわけです。酒屋さんが、1ダースの瓶を持ってくるたびに、ドラえもんグラスがゲットできた。そんなわけで、11歳にして僕は「オナカの大きな王子様」になってしまったのです。メタボの前兆ですね。


■高校には食べに来ていました


 前述の通り、高校には食べに来ていました。正直に申し上げますと、食べるのが趣味。朝は立ち食いそばを食べ、昼は学食で満喫し、夕方は千葉駅の目玉焼き入り焼きそばと、電車の車中では退屈なので成田駅まで車中で駅弁。しかもとんかつ弁当。そりゃー肥えるわな、誰だって。パソコンいじってるか、寝てるか、食べてるか、電車に乗ってるか、といった生活でしたし、しかも、運動は苦手で、体育系の部活にも行かなかった。なので、おかげさまで、余ったカロリーで身体がふくよかになって、肥満に拍車がかかるというものです。


■大人になってバランスを欠いた食事で


 某システムインテグレータでの勤務は過酷で、電車がなくなる寸前まで帰らせてもらえませんでした。朝はコンビニ弁当。昼は定食屋のチキン南蛮。おやつはおやつグ○コ。夜はす○家のマヨ牛丼。もしくは、宴会で酒やビールを浴びるように呑む。そして、退職して初めて分かった病名が「2型の糖尿病」という結果でした。肝臓エコーや、CT(コンピューテッド・トモログラフィ)を撮って見た自分の肝臓が、腹の真ん中で、どでかく真っ白に写っている。これ、みんな脂肪。つまり、肝臓に脂が巻ききった、極度の脂肪肝になって、現在に至ります。


■グラクティブという新薬で様子を見る


 今では、比較的節制はしているのですが、どうしても運動不足。脳みそに栄養を与えるために、どうしても高血糖にキープしがち。そこで、最近になって、新薬に切り替えました。アマリールと、グラクティブというクスリ。前者は、インシュリンの分泌を促すクスリ。後者は、インシュリンを破壊しようとする酵素を破壊するクスリ。これがダメなら……。


医師
「これがダメなら、インシュリン注射しかないね。見てご覧、ほら、ゲーム感覚で楽しいよ、針も細いし痛くはないし」

田所「い、いえ、あまり楽しそうじゃないです……」


 こうして、日々、インシュリン注射になるのを恐れながら、びくびくと食生活を送るのでありました。おやつ好き好きなのはいいけど、結果は40歳代になって現れるので、若いからと言って油断禁物です。高カロリーなものばかりを食べて、運動不足でいると、やがて将来、大変なことになりますよ。


■インシュリン注射に突入……


 ランタス注ソロスターという、最新式のインシュリン注射です。量にもよりますが、蚊が刺すより痛くないです。昔に比べれば。最近では、患者のQOL(クオリティー・オブ・ライフ)を損なわないために、工夫をされているそうですが、注射は注射。寝る前だけとはいえ、皮膚をアルコール消毒したり、何かと面倒だし、痛くはないとはいえ、れっきとしたインシュリン注射には違いないのです。


 薬で刺激し続けてきた、弱った膵臓をかばい、膵臓の機能を補うために行う、インシュリンというホルモン(だということは、案外知られていない)の注射を行うことになったのです。僕はまだマシな方で、14単位で済んでいます。これは粘度の高い液体で、しかも結晶でして、もし、この注射器をガシガシ振るようなことがあると、インシュリンの結晶が壊れます。

 過ぎたるは及ばざるがごとし、という言葉があるように、人間、度を越して暴飲暴食すると、肝臓は沈黙の臓器、知らない間に糖尿病になります。これは、普通のレントゲンではわからないものでして、肝臓エコーや、CTスキャンでないと、内臓脂肪は分かりません。それはもう、不気味に、秘密裏に進行していきます。


 また、インシュリン注射は、低血糖リスクも存在するのです。人間、低血糖や高血糖になると、意識を失って昏倒(こんとう)します。意識朦朧となります。だから、こんな面倒なことになる前に、お酒を控え、甘いものを控え、脂っこいものを控えて、もっと楽な生き方をしようではありませんか。


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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気合いだ! はどこから来ているのか

 最近はもう、「エンジニア」を名乗るのも、ここで書かせてもらうのも恥ずかしいのが本音なんですが、僕はちゃんと働いてましたよー。終電がなくなりそうになるまで。今はものを書くことに専念することに決めましたけどねえ。最近思うんです。たとえ、僕がエンジニアをやらなくても、誰も困らない……ということに、最近、気付いたのです。

 

■内科医の先生が褒めてくれました

 

 僕の作文。むかし、内科医の先生が褒めてくれました。学歴なんかなくったって、建築家の安藤忠雄さんみたいな生き方もありなんじゃないかと、おっしゃっていただいて。なるほどね。もの書きに専念したっていいわけだ。僕が、安藤忠雄さんレベルになれるかは別問題として、そういう道もアリか。今の立場ならば。もの書き修行ですね。稲川淳二さんも機械設計エンジニアだったのが、今では怪談語りをしておられます。

 

 僕のへたくそな生き方。職務経歴書を見るプロ何人かに見てもらいました。エッジの効いた、必殺技がないのです。なので、即戦力にはならないだそうです。どんなにマジメに勤め上げても、今、人材を欲している企業と、自分がミスマッチを起こしていては、職務経歴書はただの紙くずになるのです。

 

■そうだ、物書きがいい

 

 幾百の眠れぬ昼と夜を越えて分かったこと。僕は得意分野を見誤った。そもそもの始まりは、キヤノンのキャノワードがOAデビューであって、パソコンが先ではなかったこと。プログラム言語をつむぐより、日本語をつむいでいる方が気が楽なこと。自分に向いていると思います。なので、エンジニアライフでありながら、エンジニアとしてのこだわりを棄てて、35歳定年説に倣った生き方をしてみよう。そう思いました。

 

 もっといえば、仕事がないなら、自分で仕事を作り出してしまおう。足りないモノは補いつつ、ライターさんの仕事のまねごとをしよう。最初からプロ級の文章は書けないので、自分なりのスタイルで……。夢や希望を送り届けることはできなくても、ぼうぜん自失や底しれない空しさから、その人を救うことができるかもしれない。大それたエンターテインメントでなくても、等身大のエンターテインメントでいいじゃないか。そうだ、作家がいい。そうだ、作家がいい。ノンフィクションからファンタジーまでをこなす、そんなもの書きになりたいのです。

 

■会社の主戦力は20~30歳代

 

 人間は老いていく。これはベルトコンベアのようなもので、あらがいようのない事実です。元旦を迎えるたび、誕生日を祝うたび、人間はいつの間にか老いてゆくものです。いつか、中島みゆきさんの「まつりばやし」(歌詞)を引用したことがありましたが、人間はいつの間にか片隅に追いやられて、静かに死んで行くものなのです。無に帰るのです。

 

 ここで僕が1人頑張って、まだエンジニアです、と必死にアピールしたとしても、世間が認めなければ、世間にニーズがなければ、その場を去るしかないと思います。これは、どなたにでもいえることで、管理者になるか、業界を去るか、会社の片隅に追いやられていくかの、いずれかになると思います。なぜなら、現在、主に会社で活躍しているのは、20~30歳代の現役世代の方々だからです。

 

■人生二度なし ~実践人の家~

 

 人間の性能は有限です。だから、限りある若さを大切に生きましょう。歌の文句でいい古された言葉、「二度と戻らない日々」。このことを「人生二度なし」といわれた先哲の先生がおられます。森 信三(もりしんぞう)先生といいます。愛知県の教育関係者で、「修身教授録」をお書きの方です。兵庫県尼崎市西立花町に「実践人の家」があり、また、関係する出版社としては「致知出版社」という会社もあります。

 実践人の家
http://www.jissenjin.or.jp/

 

 1994~2000年まで、尼崎市にあった阪神印刷株式会社というところで、月刊実践人担当だったのですが、当時DTPをしながら、この人の原稿を打つと、いろいろとためになりました。僕が40歳になった現在。いかに生涯を熱く生きるか、ということへの示唆を与えてくれます。40歳にもなったなら、後進の指導をやらなければなりませんねえ。

 

■伊達や酔狂でいってるんじゃない

 

 あの、アニマル浜口さんも40歳代を迎え、森 信三先生の「修身教授録」に衝撃を受け、この人なりに考えた結果が「気合いだ!」の域に達した、というわけです。「気合いだ!」という一言に、すべてが込められているのです。だから、アニマル浜口さんは、伊達や酔狂で「気合いだ!」といっている訳ではなかったのです。

 

 まあ、実践人も懐かしい思い出でしたが、アニマル浜口さんの「気合いだ!」のルーツが、まさか、森 信三先生だったとは、実践人の家ホームページを見るまで知らなかった。というわけで、後進の指導かあ……僕は一体、何をどうすれば。人間、気合いだけでは生きては行けませんが、気合いなしでも、とても生きられない。なので、取りあえず、叫んでおきましょう。気合いだ! 気合いだ! 気合いだ! 気合いだ! 気合いだ~!!


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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MSX PLAYerに寄せるノスタルジー

 お久しぶりです皆さん。1日で、郵便局と信用金庫とコンビニとスーパーと自転車店と書店と灯油店と病院と100均ショップに行き、心底へとへとになっていて(全行程チャリ)もはやこれは文筆より眠るしか他になさそうです。

 眠る前に一言、言っておきたいことがあります。ファミコンがはやる前、「ガキでも分かるBASIC付きゲームマシン」というのが、20年ほど前にあって、それが、MSX2でした。このたび、MSXPLAYerとして、アスキーから発売されました。もうすでにお求めになられた方も少なくはないでしょう。

 


MSXマガジン 永久保存版 表紙

 

■ちょっとした演算処理をさせるのに便利

 

 10 FOR I=1 TO 10
 20 PRINT I
 30 NEXT
 40 END

 

 最低限、たったこれだけのソースで動くプログラム言語(インタプリタ)だったのです。今みたいに、イベントドリブン方式ではなく、ウインドウの制御や、ボタン類の配置を決めてからコンパイルしなくても、電子計算機としては、電卓よりも便利でした。なにせ、計算式だけ入れれば動くのですから、当然と言えば当然ですね。

 


MSX2エミュレータの起動画面

 

 さすがに、20有余年も経つと、マシン語をいじくっていた昔とは違って、FOR文の文法さえど忘れしてしまうのですが、この、起動画面を見ているだけで、それはもうノスタルジーを感じるわけなのです。ちなみに、このエミュレータは、Windows Vista以降では動作しません。

 

■MS-DOSの基礎はここから学んだ

 

 そうして、なぜ若くしてMS-DOSのコマンドが分かったかというと、実は、MSX-DOSでこっそり練習していたのです。1984年から、マイクロソフトフリークだったのです。なので、ファミコン前の世代は、MSXで育てられたと言っても過言ではないと思います。

 


MSX-DOSのファイル一覧

 なんと、標準でZ80のコンパイラとアセンブラ、そしてデバッガ付きだったのです。まあ、Z80の知識しか身に付かなかったけどね。その後の Visual Basic は敷居が高くなってしまったのですが。お手軽という点では、MSXの他にないでしょう。

 追伸:12月16日だというのに、もう鏡餅セットを展開してしまいました。僕には、クリスマスも神戸ルミナリエもお節料理もないのでした。

 
鏡餅セットを展開するの図

 (というわけで、久しぶりの投稿でした)


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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ソーシャルメディアがたこ焼きを変える

 僕は、阪急神戸線の武庫之荘(むこのそう)駅が最寄り駅なのですが、冬頃から武庫之荘1丁目の「たこ之荘」さん がツイートのお仲間に加わって、実際に何度か足を運んでいます。一見、ふつうのたこ焼き屋さん。小粒のたこ焼きがポイント。しかし、他のたこ焼き屋さんとは明らかに違うところは、コンピュータに囲まれた上で、ソーシャルメディアを活用して、日々たこ焼きを改善していっている点にあります。そこが、他と違って、賢いところです。

 

 毎日新聞、平成23年3月3日(木)、朝刊の紙面です。(兵庫・阪神版)

 

 
通称「きよさん」です たまに「キヨミ」になってツンデレします

 UStreamを駆使して、たこ焼きの実況中継をしたり、Twitterで寄せられた意見をもとに改良を進めたり、「一人終礼」もUStreamで生中継するなど、ある意味「いまだかつてない」たこ焼き屋さんなのです。時代の波にうまく乗っかった、というよりは、普通、たこ焼きとソーシャルメディアを組み合わせて何かをしよう、なんて考えつきません。

 

 惜しむべきは、国内で成功したら、海外進出を目論んでおられるそうで、武庫之荘からできれば消えてほしくはないお店なんです。今回、お店の新聞記事が掲載されるに当たっても謙虚で、「勝って兜の緒を締める」覚悟だそうです。

 

 ちょっと発想を変えてみる。これまでのタブーを少し破ってみる。思い切り、自分を表現してみる。いつもポジティブに考える。あらゆる方向にアンテナを張る。失敗を恐れずにチャレンジしてみる。目標は高く大きく持つ。そして、聞き上手になる。これ、すべての人に当てはまることだと思います。

 

 ちなみに、この記事が公開される3月12日(土)は、尼崎商工会議所主催の「武庫之荘バル」が行われます。飲食店の活性化が目的なようですが、武庫之荘の街を挙げたお祭り、とも行ってもいいでしょう。このたこ焼き店も参加しています。

 

 尼崎商工会議所/武庫之荘バル 

 

 (たこ焼きも、ソーシャルメディアの時代になりました)


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最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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東北地方太平洋沖地震

 3月11日(金)に発生しました三陸沖を震源とする東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして心よりお見舞い申し上げます。

 

 関東・甲信越・東北地方の皆様におかれましては、このたびの地震や津波などで甚大な被害をこうむられ、謹んで心よりお見舞い申し上げます。特に千葉県を含めた関東地方は、第2の故郷と言っても差し支えない場所であり、遠く関西より皆様の無事をお祈りするものであります。

 

 ここは、記事が予約配信でして、地震当日がたこ焼きや、武庫之荘バルの記事になりまして、発信した者としても「あちゃー」と思った次第です。地震。こればかりは予測がつかず、予約配信によって、気分を害された方々には、心よりお詫び申し上げます。

 

 16年前、阪神大震災(自分の記事)を経験した者としては、落ち着けオレ、落ち着けオレ、と言い聞かせながら、街が壊滅だ、原発で被爆だ、体育館に安置されている遺体だ、リーマンショック以来の相場下落だ、などと報道される度に、複雑な気持ちになるのです。

 

 NHK大阪・NHK神戸「リエゾン被災人」 http://www.nhk.or.jp/hisaito/

 

 できること。東京電力のホームページにアクセスして、メールやツイート、それからファクシミリで関東地方の親類縁者に計画停電のスケジュールと地域の情報を送ったことです。また、NHKラジオニュースで、緊急地震速報が流れる度に、都度ツイートしたということです。

 

 関西にいても、本気で心配していれば、疲れるぐらいですから、当事者の皆様におかれましては、相当のストレス、疲労感というのが感じられるかと思います。なお、母校の高校では、今日現在、内房線・外房線・京葉線が不通なので、学校はお休み、だそうです。

 

 ちょうどこれを書いている日(3月15日)の晩に、メンタルクリニックに通院しました。「神戸を思い出してつらいのです」と言うと、院長先生が「最近、そういう人多いですよ、本当に」と言われました。それにしても、神戸には津波も原発もなかったのですから、マグニチュード9.0の厳しさは、いかほどのものか。

 

 また、僕は一時PTSDを発症しました。「兵庫県 こころのケアセンター」に相談したところ、次のポイントを伺いました。

  1. ここは安全だ、今は揺れてない、揺れてないんだ、と暗示をかける
  2. 報道やニュースからできるだけ遠ざかる
  3. メンタルクリニックでカウンセリングを行う

 そういうことが必要らしいです。まあ、これは神戸の場合で、現在進行形なのでまた違った治療があるのかも知れませんが……。

 

 周波数変換で、電力量の融通に限度がある近畿ですが、どうか無事に生きてください、と祈ることしか、為す術がないのです。


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SPAMはSPAMであってspamにあらず

 ネット上には、スパムメールというものがある、ということは、情報技術者はほとんどが知っています。では、そもそもスパムメールの「スパム」って何? ということに、情報技術者はあまり知らないのではないでしょうか。

 

 僕は今年になって初めて知ったのですが、アメリカには「スパム」という名のランチョンミートがあるということを……。

 

 

 ホーメルフーズ/SPAMランチョンミート http://www.spam-jp.com/ なお、CMでは「焼くなり煮るなり好きにして」ということらしいです。

 

 沖縄やハワイに行ったギークでマニアな人々には、このSPAMの味が忘れられないそうです。僕は、随分前に沖縄へ社員旅行で行ったのですが、ジモティーが食べるこのSPAMランチョンミートは知らなかったです。沖縄の県民食にもなっていて、もともとは、米軍が持ち込んだとされています。料理としては、チャンプルーか何かにも混ざっている場合があるそうです。また、薄く切ってスパム寿司というのもアリだそうです。

 

 ホーメルフーズでは、スパムメールを、小文字で表記するよう推奨しています。「spamメール」と書けと。で、ランチョンミートの方は、大文字で「SPAMランチョンミート」と表記するよう推奨しています。なかなかややこしい。

 

 元を正せば、アメリカのコメディアンが、スパムランチョンミートしかないお店の給仕で、お客様にメニューを「スパムと、スパム、スパム……」と際限なく言う古典的なギャグから生まれた皮肉の一種だそうです。また、冷戦下、西ベルリンに唯一空輸された肉類ということで、「飽き飽きする食べ物」という暗喩を含んでいるそうです。

 

 なので、これからは、SPAMランチョンミートと、spamメールをごっちゃにしないようにしましょう。飽き飽きするメール、それがspamメールだそうです。弁えて使いましょう。

 

※2011年4月8日追記:
 その後、Twitterで"SPAM"の記事に間違いがあるというご指摘を受けました。アメリカのコメディアンではなく、英国の「モンティー・パイソン」という番組の1シーンであることが分かりました。お詫びして訂正します。


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マイクロソフト スマートビジネスセンター 景品当選!!

 えー、いつのことだか、思い出せないぐらい……確か、今年の1月か、2月ぐらいだったのですが、マイクロソフト スマートビジネスセンターでアンケートがあって、何の気なしに、ありのままをお答えしたのです。で、今日(4月16日)午後5時に、宅配便が。おかしいな、何も注文してないのに、変だな、怪しいな、と扉を開けたら、なんと西濃運輸さん。

 マイクロソフト スマートビジネスセンター

 http://www.microsoft.com/business/smb/ja-jp/default.mspx

 

   

 一見、何の変哲もない段ボール箱。しかし、送り主がいつもと違っていた。「日本マイクロソフト株式会社」という……。ええっ! まさか、もしかして、何か当たった!?

 スマートビジネスセンターの景品であることに気付いた。なんと、1等賞ですよ。640GB(正味596GB)のHDDですよ。えらいこっちゃですよ。前の会社でも、こんなに大きなストレージは支給されなかったから、サポートで大失敗しちゃったんですが。もしあの時ストレージがあれば、あんな惨めな思いはしなくて済んでいた。

 

   

 中堅中小企業向け、お客様総合サイト、の懸賞に応募したら、忘れた頃に1等賞ですよ。これも、天の神様が、地元中小企業のパソコンの設定に、ほぼ手弁当でがんばる田所にくれた慈悲だと思います。すげー! やったー!!

 

 というわけで、会社辞めてもくじけへんぞ、というわけで、現在に至ります。さて、バックアップに使って……あとは何に使おうかな……。妄想は膨らむ一方であります。トルネがあれば、それに使えるそうですが、プレステ3も買えないのに、トルネは……。

 

 ありがとう、マイクロソフトさん! お礼のメールを差し上げたのは、言うまでもありません。たとえ下層でも、マイクロソフト パートナープログラムの一員ですからね。中小企業の皆さん! マイクロソフト スマートビジネスセンターを利活用しましょう。


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呼吸をするように、自然にものが書けるようになればプロ

 どうも、お久しぶりです。どうにかこうにか、起承転結のあるお話を一個書き終え、さて、次はどうすっかなあ、と考えている一介の貧乏人です。

 

■呼吸をするように、自然にものが書けるのがプロ

 

 先日、大阪で、東京の旧知のシナリオライターさんとお会いしまして、どちらも照れ屋さんなので、余り突っ込んだお話はできなかったのですが、まあ、ラブでプラスなゲームのシナリオの一部を担当された方なのですが、その方がおっしゃるには「呼吸をするように、自然にものが書けるのがプロ」とおっしゃっていたことを思い出します。

 これは、ある一定の境地に達した人でなければわからないと思うのですが、なまじっか、文学をかじっていると、煮込みが足りない大根のような、くさいうんちくを傾けたくなるものですが、達観されておられると、逆に、世の中に対して謙虚になるようで、大きな仕事をした人ほど、きさくで、大所高所から物事を見ることができると感じました。すっかり煮込まれた大根のように、味わいと深みが出て、くさい話はしたがらないものです。

 こんな貧乏なわたくしに、そのシナリオライターさんは、僕に……目方で言うと、8.5キログラム相当のラノベの文庫本を恵んでくださいました。勉強せえよ、ということですかね。事実、そのシナリオライターさんは、大学を卒業して、僕とほぼ同い年にもなるのに、日本脚本家連盟のシナリオスクールに時々足を運ばれます。また、蔵書が豊富な、国立国会図書館に出かけられて、資料の収集に当たられます。

 前述の池上彰さんではないですが、ふんぞり返って出世したという高級官僚がいないのと同じように、人間、謙虚に、まだまだだ、まだまだなんだと思っていないと、これはまずいかも知れませんね。新渡戸稲造さんがおっしゃっていたのは、盆栽の松になるな、大樹になれ、という意味のことを、確か「修身」の著作の中でおっしゃっていたようです。盆栽の松とは、狭い世間でねじ曲がって、ひねくれて育つ小さな松のこと。同じ松でも、でっかい松の木は、広い世間を見渡して、まだまだだ、まだまだなんだ、と成長をやめないそうです。

 

■呼吸をするように、プログラムを書けてこそプロ

 

 僕は一時期、ある小さなプログラム受託開発会社に籍を置いていた時期があったのですが、すばらしいJava使いさんに会ったことがありました。Kさんという人なのですが、普段はとってもきさくで、後輩思いで、やさしい人なんですが、プログラマとしてはきわめて優秀な人で、チームリーダーを務めるぐらいの方でした。2000年当時ですから、まだそんなにJavaで開発するということは、あったのでしょうが、あまり一般的ではなかったように思います。

 そのKさんは、まだ一般にオブジェクト指向が世間に知られていなかった頃からのJava使いさんで、受託先で仕事を真っ先に片付け、他の言語のチームの助っ人までなされていた、余裕すら感じられる、すごい人でした。しかし、決して威張らず、それこそ呼吸をするように、プログラム言語を扱っていた人でした。本当に凄い人は、前述のように、ふんぞり返らず、常に謙虚で、世間を広く生きて、なおかつ仕事もする。プログラマになるにはもう遅すぎるけれども、ああいう懐の広い人に、僕はなりたいものです。

 

■職業、職域は、社会的機能に過ぎない

 

 世間は広いし、いろいろな考えの人がいて、いろいろな身分階層に住み、いろいろな境遇があり、仕事というか、生きるためのやり方は、顔のかたちの数だけ、人の数だけあると思うのです。理想型なんて、きっとないものだと思います。気がついたらこうなっていた。生きてたらこうなっていた、といった、偶然も作用するかも知れません。

 今の不平不満を嘆いているうちに、もっと劣悪な境遇に陥るかも知れませんし、不平不満がいつの間にか取れていた、というの事もあるかと思います。落とし穴を掘ったつもりが自分で落ちていたり、良いことをしていると、いつの間にか誰かが助けてくれたり。そんな風にして因果応報があり、チャンスのはずがピンチになったり、ピンチのつもりがチャンスだったりするのでしょう。

 僕は、DTPはやったことはありますが、物書きとしては見習い同然です。努力はしますが、果たしてこの目論見がうまく行くかどうかの保証もありません。ここ二十年、情報技術業界周辺を転々として、ただひとつ、得られたものは、謙虚な人ほど他人の上を行くのだということ。これだけです。そして、職業というか、職域というものは、広い世の中にある、ひとつのファンクションに過ぎないことです。情報技術だって例外ではありません。ひとつのファンクションに過ぎないのです。言い換えれば機能。小説も情報技術も、ひとつの社会的機能に過ぎないのだろう、と僕は思います。

 

■自然体でものが書けるようになれたらいいな

 

 というわけで、少々理屈っぽくなってしまいましたが、僕の小説、まだまだ他人様にお見せするには、年甲斐もなく稚拙な文体で、申し訳ないです。修行はこれからも続くと思います。どこにもない物語を書いてゆく。オリジナリティだけは誰にも負けないと思っていますので(なにせこんな経歴ですから)、やがては自然体でものが書けるような境地に達することが出来ればいいな、と思っています。人生80年。めざせ新人賞。ではまた。


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日本語という言語を極めたい

 どうも、デビュー前の作者です。35歳になる前に、もっともっと社内SEになる勉強をしておくべきだったのですが、時既に遅し、同じような事を考える同世代の対抗馬が多すぎた。

 さて、ライトノベル。何と、今年の電撃大賞では、約5800作が編集部に届いたそうです。これでは下読みをするのにも苦労しますね。つまり、5800分の1で、大賞が決まるのです。ラノベデビューも、難しくなってしまいました。

 

 僕が応募した、講談社ラノベ文庫新人賞では、1109作が編集部に届いたそうです。下読みしづらい原稿を送ってしまって、ああ、しまったー、と嘆くばかりです。今となっては。佳作でも奇跡に近いですね。

 

 田所稲造、41歳になる前に、拙作「紅葉野日記」を書いて送りました。これ、バインダークリップとレターパック500に収めるの、苦労するんですから。紙に空気を吹き込んで、何とか紙を束ねる。140枚前後が、物理的で、事実上の限界ですね。

 

 おかげさまで、キヤノンのLBP-3100は、インジケーターが壊れるなどの故障に見舞われ、いまだに家に帰って来ません(まあ、インクジェットはあるのですが)。予備機を買おうにもお金がない。いやあ、一作品で、校正用紙も含めて、2000枚の紙(ゲラ)が飛んでゆくのですから、レーザープリンタは必須ですね。苦しいけど、一番安い通販(NTT-Xストア)で、9800円で買いました、予備機を。

 

 よろしければ、こちらをご覧下さい。http://p.booklog.jp/users/inazotaddy/

 

 読書→プロット→執筆→校正→送付→読書……という流れはエンドレスでして、また、プロデビューしてからの売りになるようなとっておきの作品は置いといて、ひたすらこのプロセスを繰り返します。

 

 プログラム言語もそうでしょうが、日本語でバグを出すわけにはいかず、大変に神経を遣います。また、レーベル毎に、求めているターゲットが違うわけです。ティーンの少女向け、ティーンの少年向け、大人向け……いろいろですね。レーベルのカラーを知らないと、せっかく書いたのに不採用、ということもままあります。

 

 執筆は孤独な作業です。小説は知れば知るほど、奥が深いです。あと、貧困に耐えなければなりません。孤独に耐えるチカラと、深みにはまらないチカラ、貧困に負けないチカラが必要です。

 

 しかしながら、僕は新しい地平を見たような気がします。ここ20年間、情報技術というくくりだけで職を選び、いいように中小企業に遊ばれて……という繰り返しはもうこりごりです。自分が得意とするのは日本語なので、それを極めたい。そして、これまで情報技術という狭い井戸の中で見上げていた空が、文筆業を選んだ段階で、クリアに拡がりました。新しい地平……例えば、業界人ぶらず、カタカナ言葉に振り回されることもなく、休みたい時に休み、書きたい時に書く、という自由を獲得したのです。

 

 それでも、職業作家になったら、作品を量産しなければならない楽しい苦しみに耐えていかなければなりませんし、アイデアの枯渇が死を招くかも知れません。それは大げさにせよ、作家生命の終わりを覚悟しなければなりません。

 

 15歳の頃、目指したかったものは「マルチプル・クリエイター」。初心に帰って、がんばりたいと思います。僕のフリーエージェント先は、まず、ライトノベル作家ということ。これに尽きますね。むむむ、デビューしなければ。

 

※追伸※
 ふと入ったユニクロで、エヴァTシャツを買いました。アスカ・ラングレーですね。

 あまりにもデザインが良いので、もう一枚追加発注しました。ではでは~。
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