目次
若き日の自分
それが夢ならば
アンコントローラブル
MZ-2000の頃
ここじゃないどこかへ
千葉工業高校の頃
夢中! 熱中! MSX2
ゼッパチ人間の過去・現在・未来
プログラマになるべきか
社会人になって
出てけと言われたその日から
ダリアの花散るとき
はじめての機械設計(1)
はじめての機械設計(2)
エディトリアルデザイナー
瞬きもせず
目覚めの朝、午前5時
ナナゼロ世代のこれから
思索と模索の日々
デジタルネイティブ
恐慌突破!
倒産したら、どうする
とほほな中小企業
これはもうダメかもわからんね
神様がくれた最后の5分
時には母のない子のように
アラフォー世代の挑戦
ブレイクスルーしたくて
謹賀新年2009
応用情報技術者試験
セミナーを受けに行きました
サーチエンジン 小説大好き!!
小説 個人情報の住む街
能動的に生きるということ
勉強嫌いの勉強法
浴びるほど 飲んだ奴ほど 死んで行く
サバイブするということ
仮想自営体験
自営するということ
自己観察 ―セルフモニタリング―
ハチロク世代がやってきた
なぜコンピュータにこだわるのか
JWNTUGの頃
人生の踊り場で小休止
拝啓 15歳の僕へ
90歳のミスター
自分をメンテナンスする
ワークライフバランス
花の生涯
2010年はチカラを温存する年に
謹賀新年2010
思索と模索の果てに
勉強嫌いな学生の皆さんへ
応用情報技術者試験、その後
これから製作所
ハッタリのススメ
中小企業が守っていない企業経営の基礎
ギスギスした職場への処方箋
選手からコーチへの転身
タクシードライバー
デイ・ドリーム・ビリーヴァー
関東と関西の境界線
10年前に、クラウドがあったなら
輝く人になりたくて
工業高校生の就活について(1)
工業高校生の就活について(2)
糖尿病 ―40歳からの警告―
後に続け青春たちよ
小説を始めました
工業高校生の夏休み
校舎の外の世界では
快適!! 朝型生活のススメ
ルック・アジア型にシフトしよう
幸せって何だっけ
連載2周年 書き始めた動機について
最近思うエトセトラ
気合いだ! はどこから来ているのか
PHPビジネス新書『伝える力』/池上 彰
Twitterに違和感を覚える人々
「させていただきます」の濫用
Windows 7 のHDD換装は超簡単!!
電子書籍の奔流
隣の芝生が青く見えた時
休筆のお知らせ
最近思うエトセトラ Part2
MSX PLAYerに寄せるノスタルジー
プログラミングの現場で『もしドラ』を生かす
ソニーの電子書籍 Reader を試してみた
Outlook 2007 で、KB2412171のアップデートをされた方へ
母校の恩師、クリティカルシンキングを語る
神奈川県座間市の電脳書房さん
近況報告 64bitパソコン導入など
ソーシャルメディアがたこ焼きを変える
最近思うエトセトラ Part3
東北地方太平洋沖地震
SPAMはSPAMであってspamにあらず
マイクロソフト スマートビジネスセンター 景品当選!!
呼吸をするように、自然にものが書けるようになればプロ
日本語という言語を極めたい
奥付
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社会人になって

出てけと言われたその日から

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最終更新日 : 2012-07-20 18:42:17

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ダリアの花散るとき

 あれはまだ、僕が工業高校を出たてのころ……。はじめての事業所、千葉市にある百貨店の電器売り場で、せっせとアルバイトをやっていた、そんな1991(平成3)年ごろ……

■ダリアの花咲くとき

 百貨店で母親がアルバイトをしていて、キーパンチャーが足りないから、パソコンに詳しい人を……というので、「キーパンチぐらいならまかしとけ!!」といった案配で、1日だけ手伝うことにしました。

 幸いにして、日本語106キーボードだったので、パートのお姉さん2名がカードを入力するのですが、僕はその700枚のカードの山を、たった8時間で入力し尽くしてしまったのです……。おかげで、自律神経をこわして、3日間寝込むことになったのですが(苦笑)。僕はそこで、くだらないながらも「伝説」になったのでした。

■大学生に混じり、生活費を稼ぐためのアルバイト

Y係長 「田所くん、ちょっと玩具売り場に助っ人で行ってくれないか。明日から1週間」

田所 「はい、わかりました」

Y係長 「えー、玩具のSさんという係長がいるから、そっちで子ども広場の応援ね」

田所 「わっかりました、はい、日報です」

Y係長 「はい、理由なきハンコ、なんちゃって。ほれ、ぽちっとな」

 「なんちゃって」が好きな、AV商品売り場のY係長さんでした。ジェームス・ディーンが主演のアメリカ映画、『理由なき反抗』(1955年)というものがあると知ったのは、それからずいぶん過ぎてからでした。

 その翌日から1週間は、玩具売り場へ配属されました。当時はやっていた、ゴマフアザラシのゴマちゃんが主人公の「少年アシベ」というアニメのキャンペーン中で、そのテーマソングがエンドレステープに詰められて繰り返し流されていました。

 チントンシャンテントン いますぐ チントンシャンテントン……♪

 僕は、フルタイムかつエンドレスで繰り返される「チントンシャンテントン」にいささか辟易していました。ヨーヨー掬いのゲームの実演をしていて、くそ生意気なガキども……、いや、お客様のお子さま、お坊ちゃま、お嬢さまたちから、おっさん呼ばわりされて、内心、オレはおっさんちゃう!!……と、ムカついていたのだけれど。

 僕は、ダークグレイの背広の上に、百貨店のハッピ(!)を着て、頭に手ぬぐい巻いて(苦笑)、確かに、子供たちからしたらおっさんに見えたことでしょう。1100円をもらうのは、こんなにしんどいことなのか……。「おっさん、こっちー」「おっさん、僕もー」……お、お前らああああ!!(怒)

 それにしても、バブル末期の玩具売り場は、毎日たいへんな忙しさで、僕や仲間を含めてアルバイト7人が配置されていました。女性のアルバイトは、子どもをなだめたりするのが上手です。さすがは母性本能というべきでしょうか。僕ら野郎どもには、子どもをだっこして、よしよしして、泣き止ませるような真似ができません。

 玩具売り場のS係長は、もの静かな人でした。いつもニコニコしていました。まるで、売り場の空気に溶け込んでいるように、ちんまりとデスクに座っている人でした。何事も、与えられたことを、黙々と作業する、温厚な仕事人……、そのように見えました。僕は、勤務日報にハンコが押されるのを順番に待っていました。

S係長 「はい、お疲れさま」

田所 「ありがとうございます」

 交わした言葉は、これが最初で最後。翌日は土曜日。土曜日曜に向けて、催事場の大規模な模様替えをする、通称「撤去」の日になっていました。正社員は深夜にかり出され、バイトには何も知らされていなかったけれども、漏れ聞こえてくる声は「撤去は大変だよ、なにせ徹夜だから」という仕事のハードさでした。

■ダリアの花散るとき

 ……週明けの食堂の壁に、1枚の訃報が張り出されていました。それは、先週まで元気だった、S係長の死を報せるものでした。撤去の終わりかけ、午前4時に救急搬送され、そのまま息を引き取ったというのです。死因は脳内出血。千葉市(若葉区)都賀(つが)にある、とある斎場で儀式が執り行われる旨が書かれていました。

 信じられなかった僕は、アルバイト担当の人事の正社員Kさんに、改めて確かめたのです。「はい、S係長は先般、お亡くなりになりました」と、いつもより深刻な表情を浮かべていました。過労死を、身近に、肌で感じた最初の瞬間でした。

 売り場の入り口には、かならず自動的におじぎをしてご挨拶する「ダリアちゃん」人形。そして、当時の百貨店のシンボルフラワーは、白いダリアでした。確かに、ダリアの花がひとつ、間違いなく散った気がしました。企業戦士が戦死したのです。そのことだけは紛れもない冷厳な事実でした。

 あれから、千葉市を去るまで、まるで何事もなかったように振る舞っていました。20歳の成人式は幕張メッセであったらしいのですが、バイトが理由で欠席しましたので、その後、千葉市から紅白饅頭が我が家にもたらされました。兵庫県にある、伯父の会社に転職予定だったので、「契約社員にならないか」と言われても、お茶を濁していました。帰郷することを腹に決めていたからです。

 ……初めて勤めた会社は、なかなか忘れられない。ひとつの命が、壊れた瞬間でした。そしてそれは、僕が歳を重ねても、白いダリアを見るたびに思い出されるのでした。死ぬぐらいしんどいのならば、そんな職場はやめておいた方がいい。そう思うのでした。謹んで、ご冥福をお祈り申し上げます。


最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

はじめての機械設計(1)

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はじめての機械設計(2)

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エディトリアルデザイナー

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瞬きもせず

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目覚めの朝、午前5時

 冷たい冬の夜空を肌で感じるこの時期。思い出すのがつらいけど、震災のことです。……まず、無事に生かされた、という事実に感謝しなければなりませんね。幾千の風になって、犠牲者の魂が神戸の空を今も包んでいます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

■阪神大震災発生 震度6強の兵庫県尼崎市

 平成7年(1995年)117日、午前546……。尼崎市北部の住宅で……。ドーン!!ガッシャ、ガッシャ、ガッシャ……。母親が何故か、僕を素っ頓狂な声で慌てて起こしに来ました。

 「あんた、揺れたん分かっとる!? 地震やで!! 地震!!」「へ?」……寝ぼけ眼の僕は「へ?」としか言いようがなかったのですが、仕方なく起き上がって懐中電灯で照らすと、食器棚の硝子や食器が砕けて粉々になっていました。テレビやパソコンは後ろから蹴飛ばされたように、配線によって辛うじてぶら下がっていることが分かりました。夜が白み始めると共に、電気がつかないこと、ガスが点火しないことが分かりました。

 電話はランプが明滅していてダイヤルが出来ない状態に陥りました。携帯電話なんて気の利いたものもなく、当時は一部のPHS業者があっただけで、携帯電話よりポケベルが一般的に主流でした。「災害用伝言ダイヤル171」もなかった時代のお話です。電気が復活したのは午前72……。その後も瞬間停電を繰り返して……

 家の掃除をして、取りあえず会社に行かなければいけないのですが、南へ下る道路上に、山陽新幹線の高架橋が落っこちているような有様。他に家族もなく、母親に何かを食べさせないといけない、何かを飲ませないといけない。まずは水を確保するために、近所の大規模災害避難所の小学校に行きましたが、ゴミ箱に汚い葉っぱが浮いた水しかなかったのでお話にならない。

 2級河川「武庫川」の河川敷でバケツに水を汲んだのですが、そこへ陸自のヘリコプターが飛んできたので、バケツを持って空に合図を送りました。合図は届いたのでしょうか……。川の水だって、余り衛生的ではない上に、自転車に乗せるとふらふら揺れて全て路上にこぼれてしまう……。我が家では、当時の映像記録は、午前7時からのNHKニュースとして録画しています。見返す度に、胸が痛みます。

■灯油用18リットルのポリタンクを求めて、京都・滋賀方面へ

 近所のスーパーは耐震判定がつかないので、この先ずっと休業。阪急電車で塚口に降り立つも、スーパーが開く気配ゼロ。十三で乗り換えて、阪急京都線方面へ。琵琶湖(大津市)に行くことまで想定してお金とクレジットカードを用意したのは良かったのですが、阪急淡路、茨木市、高槻市のスーパーもポリタンクが悉皆(しっかい)売り切れている模様でした。

 何とか長岡天神までやって来たものの、駅前でポリタンクを売っている気配がしないのです。おそるおそるコンビニの店員さんに聞いたところ、「郊外に金物屋さんがあるので、そちらへ行かれてみれば」といったお話。こんな日でも阪急タクシーは営業をしている……。事情を説明して、金物店へ向かうのでした。

 ハイヤー然としたクルマの到着に金物店店主は驚いた様子。「なんと、尼崎から来はった!! ささ、いま京都から仕入れたばかりのポリタンク、好きなだけ持って行きなはれ」「……あのー、何で僕がポリタンクを買うって知ってるんですか」「いやあ、午前中に神戸ナンバーのクルマが大挙して押し寄せて来たよってに、それで」「……

 駅のホームで、ポリタンクに「阪急の水」を汲む田所。阪急の駅員にもかなり目立ち、向かいのプラットフォームで駅員同士のヒソヒソ話が絶えなかったのですが、もはやそんな恥や外聞を気にしている場合じゃないのです。武庫之荘では水がまるで出ないのです……

 震災で一番困ったのが水の確保でした。奈良県五條市の給水車、京都府向日市の給水車、そして自衛隊の給水車……。並べども並べども、ここでおしまい。また行列。そして本日はこれにて給水終了。それでは困るので、仕方なく、地図上で最も近い浄水場を探すことになりました。兵庫県伊丹市の千僧浄水場でした。伊丹市水道局のおじさんが待機しており、「あのー、尼崎市民ですが、給水よろしいでしょうか」と問う25歳の僕。「ああ、黄色いタンクの下に蛇口がついているから、そこから」「ありがとうございます」「それから、このアルプスの天然水も持って帰りなさい」「え?いいんですか?」「困った時はお互い様やから」。……見ず知らずの人間にくれた水もさることながら、くれた義理人情がとてもうれしくて、感謝感激でした。

■田所救出作戦と、通信制高校と印刷会社のその後

 印刷会社の営業部では、いつまでたっても出社せず、連絡の取れない田所が心配になって、「田所救出作戦」を発動しようとする動きがあったそうです。一応、連絡をして良かった……。また、通信制高校からは「通学路ががけ崩れ、校舎及び校庭が損壊。通学するには危険を伴うので別途指示あるまで自宅待機」、次いで「平成7年度(4年次)の単位はすべて災害につき免除」というお知らせの郵便が届きました。通常なら「ラッキー」と喜ぶのでしょうが、ニュースで再三報道されている神戸市長田区の状況を見ていたので、それどころではない、死者を悼む気持ちが、まず先に立ちました。

 会社は全壊。3階からトイレの下水が漏る。悉皆パソコンのCRTは床に落ちている。活版印刷部門は活字が崩落して再起不能。総務部長の書類棚から割れた硝子を拾う作業を手伝って、その日は仕事なし、といった状態でした。

 その後、単位制の青雲高校は卒業。3年次で学級副委員長、4年次で学級委員長を務め、復興間もない神戸市長田区の文化祭でバザーを行ったことで成功に導きました(学校特別賞を受賞)。北海道産じゃがいもの箱を、宅急便で3箱、学校に送ったのが利いたかな。そうしてやっと、平成83月に84単位を取って卒業できました。通常に比べ、4単位オーバーだったのです。おかげで再び「自律神経失調症」で県立病院に通うことになったのですが……

 また、印刷会社では、新社屋を建てようという動きがあって、実際に「エメラルドグリーン色」の小綺麗な建物が建ち、組版システムもMacEdian PLUSが導入され、僕自身も震災間もない神戸に行き、兵庫県印刷工業組合のDTP講習を受けに行ったのですが、その後の経営はうまく行かず、平成121月には働ける人から(僕も)解雇、そして平成124月には倒産の憂き目に遭いました。ちなみに今は、その「エメラルドグリーン色」の建物は、印刷とは全く関係のない、おまんじゅう工場になっています。


最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54

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ナナゼロ世代のこれから

 1970(昭和45)年は、日本万国博覧会 EXPO70が開幕された年でした。万博のコンセプトは「人類の進歩と調和」。この時代の雰囲気としては「建っていくぜ団地!!」「産まれるぜベイビー!!」「売れてるぜマイカー!!」……といった景気が右肩上がり、いわゆる「いざなぎ景気」の時代でして、「モーレツからビューティフルへ」や「ディスカバージャパン」といったキャッチコピーがもてはやされた時代でした。

■あれから約40年「人類の進歩と調和」は実現したのか

 あの頃、誰しも夢に描いていた、SFのような21世紀。その青写真は「人類の進歩と調和」でした……。いざ、21世紀になってみると、むしろ「人類の頽廃と牽制」といったような有様でして、あれとこれとを混ぜて行う「硫化水素自殺」だとか、資本主義に抗い、一切の消費をしない「サイレントテロ」だとかは、当時、想像もできなかったでしょう。鉄腕アトムが生まれたはずであろう年を過ぎても、これといってSFライフらしい兆候は微塵も見えず、ただただ、通勤電車の中で、疲れ切った僕ら世代がいるだけです。

■ナナゼロ世代のこれまで

 1970年生まれのことを、ここでは「ナナゼロ世代」と呼びましょう。いわゆる「団塊ジュニア」のことです。ナナゼロ世代は幼児期を高度経済成長期に過ごし、何でも買い与えられ「1人っ子」「鍵っ子」と呼ばれる世代でした。小学生からすでに「教育ママ」に尻を叩かれ、名門校へのアタックコースを歩まざるを得ませんでした。周囲のみんなは、友達というよりも、むしろライバルであり、ライバルを蹴落とし、蔑むテクニックを要求されました。今よりも「私立中学校」への進学熱が高く、競争に次ぐ競争でした。

 それだけ頑張って勉強したのに、20歳代に入る1990年代前半には「円高不況」「バブル崩壊」の憂き目に遭い、バブルのうま味も知らないまま、空前の「買い手市場」になり、街角には映画「就職戦線異状なし」のテーマソング『どんなときも。』が流れているような状態。会社は次々と倒産や合従連衡を繰り返します。また、人材派遣法が改正されると、それまで「正社員」と「アルバイト」しかなかった雇用環境に「派遣」の2文字が付け加わりました。そこで「正社員になるための競争」「正社員と派遣社員とのバトル」が展開され、職場は冷戦状態に。

 30歳代になると、インターネットとクライアントOSが普及し始め、産業構造の大転換を迫られてしまいます。それまでの常識が一切通用しなくなり、旧態依然とした産業は淘汰され、競争は国際間でボーダレスになり、今度は、顔も見たこともない外国人労働者と、雇用や仕事のパイを奪い合うようになりました。また、既存の商習慣も大きく変わり、店舗を持たないネットビジネスが盛んに用いられるようになりました。店舗型営業がバタバタと倒産していき、無店舗型営業が勢力を増してきました。

 そんな「ナナゼロ世代」が、もうじき40歳代を迎えようとしています。競争に次ぐ競争で疲弊した身体に、自身の老化と、かつて「モーレツ社員」や「教育ママ」だった親の介護がのしかかってきました。かつての「教育ママ」は「後期高齢者」と呼び名を変えて、子供のスネをかじり始めました。疲れも限界です。「親の子殺し」「子の親殺し」などという物騒なニュースは日常茶飯事になり、世代間のカネの奪い合いはやがて「振り込め詐欺」「オレオレ詐欺」に代表されるような事件へと発展していきました。

 ふと、気がつけば、競争に追いまくられた「ナナゼロ世代」には、定年までの残り時間があと20年程度しか残されていないことに気付き、焦ります。また、若手の台頭で、再び世代間の競争に追いまくられる「ナナゼロ世代」がいて、ゲームの攻略にも似た、それまでにない難しい「正社員雇用」のゲームが始まり、ついに「ナナゼロ世代」は世を悲観して死を選ぶか、世を悲観して子孫を残さないか、かつての「モーレツ社員」や「教育ママ」をせっせと「姥捨て山」(介護施設)に運ぶ作業か、世捨て人になって「競争を拒絶」せざるを得なくなってきているのです。……このような人生を過ごして、疲れが出ない訳がないでしょう。

■ナナゼロ世代のこれから

 僕としては、情報技術に何らかの形で関わって行きたい反面、それに拘泥したくもない、それに振り回されたくない、という気持ちでもあります。現在、いくつかの金融機関が「農業法人への融資を拡大する」といったニュースも聞こえてきます。たまに、ラジオなどで耳にする「帰農」への動き。それは果たして「疲れ切った日本人への福音」なのか、それとも単なる「サラリーマン減らし」なのか……。政府が、それとはなしに「田舎暮らし」を勧奨する背景には、やはり「飽和した都会での人減らし」、つまりは「棄民」の意図が見え隠れしていて……そこらへんは警戒しています。

 実際、僕のハンドルネームが「田所稲造」なので、ここはいっちょ、農業法人を建てて、文字通り「田の所で稲を造る」人間になってみても悪くはないかな、という気にも、時々ではありますが、そうさせられます。病気になりやすいから便利な都会を選ぶのか、便利な都会にいるのでストレスから病気になりやすいのか、そのどちらかは、まだ判然としませんが(苦笑)。


眼鏡を外し、森の中で、これからを、よーく考えてみる図


最終更新日 : 2015-01-16 01:54:54