閉じる


試し読みできます

第1章 DELHI (デリー)

第1章 DELHI (デリー)




  

試し読みできます

出合いと出逢い

いつもと変わらぬ毎日は、今日からとてつもなく変わることとなった。


<02/27(SUN)>

 

 海外旅行が初めてということもあって、成田空港のすべは全く知らず、午前9時のHIS規定の集合時間に遅れて到着した。何がなんだかわからぬまま、とりあえず出国審査を済ませ、エア・インディアの搭乗口を目指した。そして、インドはここから始まったのだ。AI305便は、頼りなさそうな翼を俺たちに見せ、△(三角)の窓や、香辛料が効き過ぎた空弁カレーは、ありふれた毎日を過ごしていた俺達にとって、大きな衝撃だった。

 

 9時間後の俺のエネルギーは、行く前とは打って変わって微々たるものになっており、それにも関わらずインドの第1ラウンドのゴングは、いつの間にか鳴っていたようだった。周りに群がる真っ黒いインド人だらけの中、黄色人種3人に出題されたの最初の問題は、『如何にして、今日を明日につなげるか』だ。そう、まず目指すは、今日の宿。それを見つけるには、DELHI(デリー)の中心部に行かなくてはならないのだ。

 

 空港内の銀行でUSドルをインド通貨のルピーに換えている時だった。1人の日本人が話しかけてきたのだ。おそらく同い年ぐらいか、妙に落ち着いている。インドには何度も来ているのかと思ったぐらいだ。「今日の宿とか決まっていますか?」「いや、まだ。」「いっしょに行きませんか?」

 3人でインドに来たからには、誰にも頼りたくはなかったが、この時ばかりは、何人いても心強かった。「行きましょう。」この後、彼とは2日間一緒に過ごすことになる。林君。強がらず優しい素直なヒト。

 

 同志も増え、俺達は「地球の歩き方」に書かれている通り、「空港を出て左」のバス停を目指した。しかし、左側には何もなく、そう簡単には生かせてくれないらしかった。少し意地悪にインドは、俺達を迎え入れたようだ。さあ、ついに、頼るは3人の同志のみ。とりあえず、話しかけてくる怪しいインド人たちは無視し、警察官らしき人にバス停を尋ねたが、怪しいインド人たちと同じ答えを出す。「出て右」らしい。もう、どうにでもなれという反面、どうにか乗り切ろうとの葛藤。時差疲れとの戦いでもある。しかたなく、たかってくるインド人の言うことに従い、「出て右」を目指す。俺達は「バス」に乗りたいわけだが、彼らの言うバス停に着いたとたん、「タクシー、モア、ベター」「タクシーノホウガイイヨ」はじまった、少しの笑いと怒りにも似た気持ち。その後、空港の外を2周ほど回ったか、なぜだか同志が十数人増えており、日本人の塊になってしまった。

 結局、俺達は、自称インド2回目の詳しい(?)日本人に、バス停の場所と値段を教えてもらい、バス停でバスを待つことにした。ところが、バス停は、怪しいインド人たちの言った「出て右」にあったのだ。そう考えると、インド人も、みんながみんな、嫌なやつではないようだ。

 

 そうこうするうちに、何かが到着した。どう見ても安全とは思い難い「バスらしきもの」、ターバンをかぶった顔が真っ黒な体格のいい運転手、優しそうなバスの車掌らしきヒト。とりあえず、乗ることにする。50Rsを払った後、ライトなしのバスは、日本人十数人と、欧米人1人を乗せて走り出した。空港がある場所は、DELHIの郊外なので車があまりなかったのだが、車が増えてきて初めて、ここは日本ではないと確信した。鳴り響くクラクション、排ガス、サイドミラーなしの車、逆走する車。ついにインドが、俺達の中に飛び込んできた。

 

 バスの目的地は「メインバザール」と呼ばれる安宿街。ところで、インドに来る前に、外務省のホームページで、海外危険情報なるものに目を通しておいた。そこには、「デリー市の北部に位置するオールドデリー地域及びその周辺(特にメインバザール地区)においては、…爆弾テロ事件が断続的に発生し、多数の死傷者が出ました。…98年には同地域にある長距離バスターミナル内において爆弾テロ事件が発生…昨年も繁華街において爆弾テロ事件が発生し、今年1月には、オールドデリー駅で列車に仕掛けられた爆弾が爆発し、23人が負傷しました。これまで日本人の被害はないものの、今後も爆弾テロ事件が発生し、事件に巻き込まれる可能性も排除できません。なお、ニューデリー地域においても、昨年爆弾テロ事件が1件発生しています。」とあった。

 俺達の目指しているところは、その危険区域であった。その情報を俺は重々承知していたのだが、インド2回目の詳しい(?)日本人に、その「メインバザール」の安宿街を紹介され、側には林君と小松と岡本という頼もしい仲間がおり、バスは日本人だらけで妙な安心感がり、外務省情報ははたして正しいのかという気持ちに傾く自分がおり、その上、極度の疲れが「メインバザール」への冒険を後押していた。

 [Now, we are staying "SHAILAY GUEST HOUSE" Pahar Ganj St.]

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<02/28(MON)>

 

 朝の目覚めは、町のざわめきからだった。牛やら鶏やら犬、予想もつかない何かの鳴き声。インドに来たなと思った。さらに窓を開けると、人の家の台所らしきところ。朝食の炊事の煙が見える。

 昨日はあの後、バスの終点「メインバザール」に到着し、バスターミナル周辺にたむろするインド人の間をくぐり抜け、安宿街へ向かった。2件目の宿に、トリプルルームの部屋が空いていたので、1人70Rs(¥100=約40Rs)という安さで、寝床を確保することができた。

 

 

 小松と岡本は、腹が減っていたらしく、本場のカレーを食いに行ったのだが、俺と林君は、持ってきたカロリーメイトで我慢した。正直言って、インド人の不気味さが少し恐かったのと、エア・インディアの空弁カレーがまずすぎたので、外に出る気も、カレーを食う気にもなれなかった。

 あと19日間のインド。どれが快適な宿であるかはわからないが、この宿は、とにかく安全であったことは確かなようだった。誰も、死んではいないし、何も、盗られてはいないから。そう、その時は“安全だった”と思っていた。

 

 

 

 12時のチェックアウトを済ませ、メインバザールを散歩する。あてもなく、重いリュックを背負って。いろいろな路地から、うまそうなにおいがする。爺さんがやっている靴屋で、岡本は、サンダルを買った。革製で100Rs、¥250ぐらいか。まあ、その後、そのサンダルを50Rsで、俺が買ったのだが。

 インドを理解したのは、今日だったのかもしれない。その事件の後だ。

 

 少し日本語のできるインド人、当時の流行ギャグ「だっちゅーの」を連発、そして、「プリクラ」を自慢する、京都に彼女がいるそう…。俺は興奮した。日本をよく知るインド人にと、英語を何となく理解している自分に。俺はそれにうかれていたようだ。そのジャイプル出身の「FRIEND(彼は自分のことをこう呼んでいた)」に、政府直営のインド政府観光局の場所を聞くと、どこからともなく、あまりにもいいタイミングで、リキシャ(自転車のタクシー)が。

 4人で、4Rs。その時は、リキシャの値段はこんなもんかという気持ちと乗ってみたいという気持ちと、優しいインド人(「FRIEND」)。みょーに、気分がいい。

 リキシャの景色は最高だった。様々な匂いを醸し出すインドの爽やかな風を、身体全体で感じ、リキシャの横を歩くインド人たちは、昨夜のバスターミナルの不気味さとはうって変わって、笑顔で手を振ってくる。「ジャパーニ!」子供たちもそう叫ぶ。

 俺達が目指している政府観光局は、「コンノートプレイス」という、高級住宅街にあるようなのだが、何分走ってもそのような場所は見えてこない。もしやと思い始めたのはこのころだ。しかも、さっきの「FRIEND」が、後から他のリキシャでついて来るではないか。そして、到着した。観光局は観光局だった。「~TOURIST」と書かれているのが見える。スモークがかった入り口を見て、これが噂のかと、確信した。「ぼったくり観光局」。俺達は、騙されかけていたようだ。俺は、インド2日目にして、インド人を怒鳴りつけた。そこには、ある意味、少しの悲しみも含まれていた。-インドに来て初めて語り合ったインド人が「BAD FRIEND」だったこと。

 

 今いる場所が、ついにわからなくなった、尋ねる人尋ねる人が、嘘つきに思えてきた。通りの名前などどこにも書いてないし、道路は網の目のよう。俺が怒鳴りつけたのが効いたのか、「BAD FRIEND」と気の弱そうなリキシャ引きは、俺には、かまわなくなった。が、「獲物はあと3人いるから、お前はもういい」のようなそぶりで、しかも、その後1時間ぐらいついてきた。

 

 

 どうやら「インド」は、こんな感じらしい。相当疲れそうだが、すんごい国に来てしまったみたいだ。怒りはもう薄れ、今度は楽しくなってきていた。退屈な毎日からおさらばして、さんざん周りの人から、危険な国だから行かない方がいいと言われたインドに来た甲斐があった。そんなことを思いながら、腹が減ってきていたので、レストランを探していると、日本でも見慣れた「M」のマークがあった。

 さて、疲れてはいたが、インドの一端に触れた俺達は、少々いい気分で、あの衝撃的な事実を聞かされるマックに入ったのだった。

 

 


試し読みできます

FRIEND

 その衝撃的な事実を語ってくれたのは、真っ黒な顔をした日本人であった。顔を覆い尽くす黒髪と、かすかに見えるどす黒い顔はとても日本人とは思えない。小松が話しかけるまで、俺は日本人だとは思っていなかった。聞くところによると、ネパールを旅してきたらしい。おそらく相当の期間だろう。彼が語った衝撃の事実とは、こうだ。昨日、メインバザールで爆弾テロ事件が起きた。その爆弾テロにより、ホテルは吹っ飛び、怪我人や、死者は定かではないが、今日のインドの新聞にも載るほどのすさまじいものだったということであった。寒気がした。安全だと思っていた宿は、安全じゃなかったのだ。あと何件か宿を探し回っていたら俺達が…。

 

 マックで、マハラジャバーガーという、羊の肉を使ったバーガーを食ったあと、ネパ-ル人(やっぱり、俺にはそう見えた)の話に、飯を食った気にもなれなかったが、リコンファームという帰りの飛行機の予約確認をしに、エア・インディアのオフィスに向かった。この辺りが、高層のオフィスビルが建ち並ぶコンノートプレイスのようだ。

 エア・インディアのオフィスは、思ったよりも小さく、愛想の悪い検問のおやじとカウンターに列ぶ長蛇の列にはまいった。少なくとも2時間ほどかかりそうだったので、小松と共に、コンノートプレイスの中心部、なにやら露店の並ぶ騒がしい公園に向かった。どんなおもしろさがあるのかわからないおもちゃ、何の皮だかわからない財布、新しんだか古いんだかわからない服をさばいている店が列び、日本でいうフリーマーケットのようだった。その一角にあった、検問のおやじを越す無愛想な女主人の経営するお店、これまた、日本でいう海の家の簡易レストラン。ついに俺は、インドに来る前からとっても飲んでみたかった、チャーイを口にすることになった。チャーイというのは、簡単に言えばミルクティー。小松と共に「インドに」乾杯。俺が初めてインドを口にする瞬間だった。これからの20日間の旅で、俺達は何度となく、このスーパードリンクに救われることになる。

 ようやく帰りの飛行機のリコンファームを終え、次は宿探しだ。マックで聞かされた衝撃的な事実に一番ビビッタのは俺で、今日の宿は俺の希望でYWCAに泊まることにする。1人600Rs。昨日の1人70Rsに比べるとおっそろしく高額だが、安全を買えれば安いもの。「荷物はホテルには置かないこと」と書かれている海外旅行ハンドブックは、俺達にはもう無意味であった。なぜなら、死ぬときは死ぬし、盗られるときは盗られるのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 身軽になった俺達は、まずは郵便局まで散歩。インド観光20日間、毎日、日本にいる方々に手紙を書くつもりで、エアログラムを15通ぐらい買う(最終的にそのうちの10通は自らお持ち帰り)。その後、林君は俺たちよりも早くDELHIを発つらしかったので一足先にJAIPUR(ジャイプル)行きの列車チケットを手に入れるためDELHI駅に向かい、俺達3人は、軽いデリー観光を。

 ジャンタルマンタル(天文台)のある公園で、インド人カップルのいちゃつきぶりが日本とあまり変わらないことに少しがっかりしながら、俺達は初めてインド最適の交通手段-リクシャーに乗ることにした。

 昨日4Rsで乗せられたリキシャと、リクシャーの違いはエンジンがついているかいないかだ。しかし、やはりスピードが違うので景色の移り変わるスピードも全く異なる。そう考えると、インドの心地よい風を浴びるには、やはりリキシャが最適なのかもしれない。

 リクシャーで向かう目的地は、インド門。第1次世界大戦での9万人のインド戦死者をまつる慰霊碑インド門は、DELHIの南東だ。1km10Rsが相場(BAD FRIEND曰く)であながち間違っていないようなので、リクシャーのおやじと交渉。20Rs、安い。インド2日目は、ゆったりと過ぎる。インド門についたのは夕方で、公園ではしゃぎ回る子供たちを見ながら俺達も、ブランコに乗ってはしゃぎ回る。時間を気にせず公園を散歩する。

 インドを食したのは、今日。コンノートプレイス中心部の高級レストランでディナーを。タンドリーチキンにナン。そしてビール。「Cheers!!」最高だ。今日は、よく眠れそうだ。生きようと思う、今この時を。今は、何よりも貴重なモノだから。

 [Now, we are staying "YWCA International Guest House" Parliament St.]

 

 
<02/29(TUE)>

 

 今日の始まりはすばらしいものだった。

 林君のTouristBusが来る8時30分までに朝食を済ませる。その時、林君が俺たちにプレゼントした手品ショーは今でも覚えている。「粋」と、岡本は表現した、林君の素敵さを。2日間という本当に短い間だったが、何か心に響き合うものがあった。何かを見つけるためにインドへ。20分遅れでバスが到着し、「Good luck!」俺は林君に心からそう叫んだ。何せ、明日死ぬかもしれない国なのだから。

 出逢いがあれば必ず別れがある、それは自明のこと。しかし別れがあれば必ず出逢いがある、それも一つの真理かもしれない。Bobby(ボビー)。それは突然の出逢いだった。

 

 林君を送った後、俺達はYWCAの前で、昨日のめまぐるしい1日を思いながらしばし佇む。それも束の間、リュックを背負った“カネづる”の3人を見つけて、真っ黒い顔のリクシャー引き達がここぞとばかり営業を始める。1日でリクシャーの交渉に慣れた俺達は、もうすでにこの時間を楽しんでいる。俺達は、笑顔が一番いい彼に決めた。

 Bobby's carは、快調にDELHIの町を駆け抜ける。「町」というより、3人を囲っていたのは大きな「動物園」だ。牛、リス、犬、ネズミ、インコ、猿・・・。「For Free」の動物園を抜け、俺達が着いた先は、DELHIの南に位置する『クプテゥ・ミナール』。ここは、イスラム教の聖地だ。

  

    

 余談だが、Bobbyはヒンドゥー教徒。現在のインドでも、宗教間の抗争は残っているが、ヒンドゥー教徒のBobbyがイスラム教徒の聖地に俺達を連れてきてくれたことは、宗教の意味が少しずつ薄れてきていることを示しているのかもしれない。その証拠に『クプテゥ・ミナール』には、イスラム教徒のモスクと、ヒンドゥー教徒のモスクが混在している。大半が宗教間の争いで壊されているのだが、そこには抗争の歴史と共存の歴史が見える。しかし俺にはまだ「宗教」というものがはっきり掴めない。

 俺達は、リクシャーで退屈そうに待っていたBobbyに持っていたキャンディーをあげる。笑顔が戻ったBobbyに、次の目的地を告げる。「Cheep hotel!」俺のわがままで泊まったホテルは高すぎた、だもんで小松と岡本は皮肉をたっぷりこめて、そうBobbyに叫んだ。インドに英文法はいらない。気持ちが伝わればそれでいい。みんな「Oh! Friend」を口ずさむ国なのだから。

 

 


試し読みできます

インド、日本

 とにかく『ここ』は体力を消耗する。荷物が重いし、インドに慣れてはきたものの明日まで生きれるかの「不安」はまだある。『クプテゥ・ミナール』を背に、Bobby's carは走り出す。

 昨日、めぼしいホテルを「地球の歩き方」からピックアップしておいたが、オールドデリー付近は危険と知っていたので(昨日はメインバザールだけではなく、チャンドニーチョーク付近でもテロ事件が発生)、どの辺のホテルに行ってもらうかを3人で相談する。

 「I have girl friends in Japan」「Here, This is」とBobbyが話しかけてきた。一枚の名詞を見せる。そこには、「SAITAMA-KEN ~ ○○○子」と書いてあり、そして例の「プリクラ」が出てくる。このお決まりのパターンにもう笑うしかない。しかし、少し悲しい。「Bobbyも、これか」という気持ちだ。そんなことを思っているうちに、黒い「スモークがかった入り口」の前にリクシャーをつける。「きたね」3人でアイコンタクトを取る。考えてることは同じ、「今、この状況下をどう乗り切る??」

 『ターバンの男』が、その「入り口」から登場してきたのは、そのすぐ後だ。見るからに今までのインド人とは違い、どこか紳士的な雰囲気を漂わせていた。ターバンをかぶっているので、おそらくシーク教徒だろう。インドでは、少数派の宗教だ。「こんにちは。」その程度ならみんな言うことはわかっていた、「こんにちは。」俺たちも毅然と返した。「どうしました。」「ホテルですか??」「安全なところお教えしますよ。」やけに流暢な日本語。「ん??」3人でまたもやアイコンタクト。考えてることは同じ。「日本語上手すぎ。それと、この落ち着きは何なんだ?」

 『ターバンの男』。半信半疑で彼の誘いに乗り、リクシャーを降りる。この後何が起ころうともインドのルールは大体わかった、「はっきりとした意思表示」これで、大抵は乗り切れる。もちろん、テロは例外だが。

 旅行代理店ということは、店の中に貼ってある地図やら写真やらでわかる。そして『ターバンの男』は、ボスのようだ。彼の名前は、Sin(シン)。おそらく20代後半だろう。日本に留学したことのある切れる男。Sinは、すぐに「ビジネス」を始めようとはしない。今のインド社会の現状、世界におけるインドの位置付け、クリントン訪印、それに伴うテロ事件。多くを俺達に語る。これから社会人になる俺にとって、Sinの口から語られる多くの情報と思いは、インド観光で少し夢心地になっていた俺の気持ちを引き締めた。政治のレベルで行われる外交ではない外交がここにはある。「インドと日本、仲良くやろうや。」と。

 Sinはホテルの手配をしてくれた。「ビジネス」が始まるのはまだまだらしい。「ホテルで休んで来い」そうSinは言った。そこに学ばなければいけない「サービス」があった。おそらく「サービス」とは、マニュアル化できない「思いやり」ということだろう。今日泊まるホテルは、NEW DELHI駅の西に位置する「Safety Place(??)」にある『COSMO HOTEL』。清潔なホテルで、ホテルのボーイは、小松の壊れたかばんを直してくれる。当然、CHIPは持って行くのだが。

 

 

 

  

 

 ホテルで少し休み、お迎えの車がきたのでSinのオフィスに向かう。ここで初めて彼の「ビジネス」が始まる。今までの数日を過ごしてわかったことは、インドでの価格は、土産屋、リキシャ、リクシャーしかりで、大抵の場合は初めにふっかけてくる。しかし、Sinは違った。俺が予め計算していた価格より少し安めで提示してくる。$300、今までのRsの単位が突然$に変わる。3月14日までの交通費と宿泊代だ。今日が2月29日なので、半月分の生活ができる$300で、だ。ホテルは今日泊まっているところ以上のレベルらしい。Sinを完全に信用しきっている俺たちは、15日後もしくは1日後、吉がでようと凶がでようと、どうでもいい。契約終了。運転手付きだ。日本人はインドでマハラジャになれる、そう感じた。

 契約する直前に、Sinにこう言っておいた。「もし良い観光になったら、Sinの店を日本でアナウンスするよ」と、Sinは当然気づいていただろう。「もし悪い観光になったら、Sinの店を日本で酷評してやるよ」ということを。脅迫じみてたかもしれないが、俺達の命には代えられない、なんせテロ日常茶飯事の国だから。

 少し高い「お買い物」をした後、「FRIEND」Bobbyとドライブ。彼の案内で行ったのは、ヒンドゥー寺院だ。Bobbyはヒンドゥー教徒。この寺で俺は初めて小さい頃に見たマンガに登場するインド人風のキャラクターの額についている『赤い丸』の意味を知る。

 

 そのヒンドゥー寺院は、有名な観光地ではなく人も少なかったので神聖な空気がした。裸足で寺院を散策する。お香、壁画、サンダルウッド粉。このサンダルウッドの粉を赤い染料で染めたものをヒンドゥー教の僧侶が聖水と共に額につけてくれるのだ。

 休む間もなくBobby's carは次の目的地へ走り出す。「腹が減った。」Bobby's carに乗ったマハラジャ3人は、わがままを言い放題。レストラン街で止めてくれた。Bobbyも一緒に食わないかと誘ったが、外で待つと言った。まだインド人の思考回路が読めきれてない。Bobbyが、店員からCHIPを貰ったのだけは見えた。「マトンカレー」は、うまいビーフ感、「ボイルドライス」はまずかったことだけは記憶している。余談だが、インドでビーフはタブー。牛は神様。昨今の狂牛病により、日本もタブーになる日も近いのだろうか。次は、Bobbyの希望で「土産屋」。Bobbyは「見るだけ、ね!」と語った。お決まりの日本人観光客対応の教科書通り。店に入った俺たちも連発「見るだけ」。そして、ふとBobbyを見ると、店員からのCHIP。

 この土産屋の後、俺達は素直に見たインド社会について話した。ある一面のインドは、「チップ」「喜捨」「マージン」、これが今のインド社会では「お決まり」の習慣かもしれない。しかし、『「誰かの親切」に対しお金を払う』という単純な構造がそこにあった。そして、そんな話はお構い無しで、排気ガスの中を笑顔のBobby's carは駆け抜けていく。

 インドでは日本車が数多く目に付く。「スズキ」「トヨタ」。ニューデリー北部、有名な「ラールキラー城」に警官が余りにも多いことを不安がりながら観光。「ラールキラー」を後にして、俺達は大統領官邸前で記念写真。

 Bobbyが俺にむかって、そのどこ製だかわからねーcarを運転してみないかと言う。Bobby's Driving manualで運転方法を教えてもらい、少々ドライブ。Bobbyは、俺達にあだ名をつけた。岡本は「アマル」。小松は「アクバル」。俺は「トミー」。後から聞いたが、「アクバル」は、クレイジーらしい。

  

 

 ガンジーは偉大な人であった。非暴力主義。紛争解決、外交問題解決の手段に、「武力」が相変わらず用いられる世界で、彼は非暴力による外交を訴え、そして実践してきた。ガンジーが銃弾に倒れた時、彼の財産は粗末な服と鼻紙だけだったようだ。日本の足尾銅山鉱毒事件で闘った田中正造もそんな死に方をしている。ガンジーは、自分の生き様を後世へのメッセージとしたのだ。『Truth is GOD , My life is my message.』俺は、そんなことを思いながら、ガンジーメモリアルを後にした。

 そういえば、インドで買っておきたいものがあった。紅茶だ。邦画「恋と花火と観覧車」に登場した「ゴールデンチップ」というのが欲しかった。後から考えると、もう少し値引き交渉に慣れてから買ったほうが安く買えたようだった。30Rs(約¥100)値切って、2コ¥1,000。荷物になるだけだった。

 

 そんなこんなで、3日目のインドが終わろうとしていた。小松が行きたいところがあると言う。『Museum Hall』インド舞踊。これ以降、小松の勘に頼ることにした。

 少々埃臭い小さな舞台で、インド音楽に舞う踊り子を見た。

 その幻想的な空気の余韻に浸りながら、俺達はいつの間にか眠りについていた。

 [Now, we are staying "COSMO Hotel" CHANNA MARKET.]

 

 


試し読みできます

第2章 JAIPUR (ジャイプル)

第2章 JAIPUR (ジャイプル)




  


読者登録

笠原寛人さんの更新情報・新作情報をメールで受取りますか?(読者登録について