七章 六七六年秋 12
「お前が持ち出したその生太刀・生弓矢で、お前の腹違いの兄どもを山の下に追い落とし、河の瀬に突き流せ。そしてお前は大国主神となり、また宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)と名乗り、わが娘の須勢理毘女命を正妻として宇迦の山(うかのやま・出雲大社の東北に位置する御崎山・みさきやま)の麓に、太い宮柱を地中深く掘り立て、千木(ちぎ)が高天原に届くほど高い屋根を持つ宮殿を構えて住むがいい。かわいいムコ奴」
スサノヲの試練と恩恵によって大国主神は大きく成長を遂げた。彼は祖父神がくれた生太刀と生弓矢で、八十神を追い落とし、突き流した。そのすさまじい霊力に恐れをなし、兄弟の神々は、それぞれが治める出雲の地を、オホクニヌシノ神に譲り渡した。こうして彼は出雲国を舞台に、大后須勢理毘女命と共に国作りを始めることになった〉
「大国主神にはどのような国作りをさせるの?」
「実際に展開した日本列島の国づくりは、長江下流域で進展し、半島を経由しつつ何世代にも亘って押し寄せ続けた渡来人が運び込んだ水田稲作だったよね。これはこの国の自然と社会を大きくつくりかえるものだった。
七章 六七六年秋 13
それまでの列島人の暮らしは自然の恵みに依存した狩猟・採集・漁労を中心とする定住生活だった。先住民はその定住生活の中でアワ・ヒエ・イネ・ダイズ・サトイモなどの雑穀・豆類・根菜を主要作物とする農耕の体験を積み上げていたが、この時期の農耕はいわば補助的で、それが狩猟・採集・漁労の獲得経済を凌駕することはなかったんだ。
ところが渡来人が運び入れた水田稲作は、旧来の獲得経済を根底から再編する力を持った生活様式だった。それは雑穀の中から選び出したイネを、水田という特別な耕地で集中してつくる水稲栽培型の稲作だった。
しかもこれには水路・畦・堰からなる水田システム、耕作用具・収穫用具・保存施設・儀礼用具・生活用具などの技術システムがセットになって組み込まれていた。さらにこの稲作農耕は灌漑・水利事業を組織する管理システムとそれを支える共同体の統治原理を伴っていた。
これは以前よりもずっと困難な仕事だった。しかしこれをうまくこなせば、これまで以上に豊かで安定した暮らしが見通せたから、列島の先住民は渡来人と共にその実現をめざしていくことになったわけだ。
大国主神にはこの営みを負わせ、大きくて強固な共同体を編成していく仕事を与えることになるんだ。語りの中での国作りは、稲作という営みを次々と妻を求めて結婚し、子を生んでいく妻問いと神婚に置き換えて表現しようと思う。まず初めは稲羽国(いなばのくに)の素兎(しろうさぎ)の物語に登場したかの八上比売(やがみひめ)との結婚だが、こうしてみよう」
七章 六七六年秋 14
〈さてかの八上比売は、先の約束通り大国主神と結婚し、出雲国に連れてこられた。しかし正妻の須勢理毘女命(すせりびめのみこと)の嫉妬を恐れて、産んだ子を木の股に差し挟んで稲羽国へ帰った〉
「こう語れば、聞き手はわが身に置き換えて想像するはずだ。スセリビメのやきもちを案じ、好きな男との間にできた子を置いて去る八上比売の思い、それは無念だろうか、それともサバサバとしたものだろうかと。つまり稲作の先進技術を携えて出雲国にやってきた稲羽国の農耕技術者、彼らは技術移転を完了させて帰国した。その時彼らの胸に去来したものはさびしさだろうか、それとも満足だろうかと」
「いずれであっても、出雲国が受けた恩恵は計り知れないということが聞き手に伝わるというわけね」
「そうなんだ。さらにその先だ。出雲国のはるか北東には高志国(こしのくに・越国)と呼ばれる蝦夷(えみし)文化圏が広がっている。稲作はそんな辺境の地にまで及んだ。その様子をイメージして大国主神による妻問いと神婚の物語をつくると、こうなる。
七章 六七六年秋 15
彼の名は今度は八千矛神(やちほこのかみ)、相手は高志国の沼河比売(ぬなかはひめ)。はるばる訪ねてはみたが、姫は寝屋の板戸を開けようともしない」
〈「私は日本中を歩いて妻となる姫を探し求めたが、その願いはかなわなかった。でも遠い遠い高志国には見目麗しく、心優しい女性がいると聞いて、こうしてはるばる訪ねてきたのです。しかし何度通っても寝屋の板戸は固く閉ざされたまま。今宵もまたむなしく時がたち、いつしか暁を告げる鳥が鳴き始めた。何と恨めしい鳥どもだ。あの鳥たちが鳴くのを止めてくれないか、空を駆ける使者の鳥よ」
八千矛神はこの焦がれる想いを歌にして、沼河比売に語り伝える。
それでもヌナカハ姫はすぐには寝屋の板戸を開かず、「今はあなたの気持に添えないでいますが、青山の向こうに日が沈み、夜の帳が下りたなら、あなたをお迎えしましょう。それまでしばらくお待ちくださいな」と、相手を焦らしながらも、その熱情に応えたい気持ちを、やはり歌にしてヤチホコノ神に語り返す。
それから二晩目、ヤチホコノ神は高志のヌナカハ姫の寝所に入って共に寝た〉
七章 六七六年秋 16
「このくだりの最後は、〈寝所に入って共に寝た〉というだけに留め、子が生まれたかどうかは語らない」
「なるほど、聞き手はこれで、高志国では国作り、つまり稲作はうまくいかなかったんだろうと想像してくれるというわけね」
「このあとは、舞台を出雲国に戻そう。名前も大国主神を使う。相手は大后(おおきさき)のスセリビメだ」
〈正妻須勢理毘女命は、八上比売が子を置き、里の稲羽国へ帰らねばならなかったという語りが示すように、ほかの后に対して激しいやきもちを焼いた。その嫉妬心がもとで、夫婦の間にはいさかいが絶えなかったが、この度はそれが特にひどかった。売り言葉が買い言葉を生んで、大国主神は出たくもないのに家を出て、はるか遠くの大和国に行くといい出す羽目になった。
止めてもらいたかったが、スセリビメは止める気配を見せない。引っ込みのつかなくなったオホクニヌシノ神は馬の用意をし、片手を馬の鞍に掛け、片足を鐙に踏み入れながら最後のセリフを歌にして語り伝える。「行くのは本心ではないけど、このままだと本当にいってしまうぞ、お前はそれでいいのか」と。