目次
序章 七一一年夏
序章 七一一年夏 1
序章 七一一年夏 2
序章 七一一年夏 3
一章 六七四年初夏
一章 六七四年初夏 1
一章 六七四年初夏 2
一章 六七四年初夏 3
一章 六七四年初夏 4
一章 六七四年初夏 5
一章 六七四年初夏 6
一章 六七四年初夏 7
一章 六七四年初夏 8
一章 六七四年初夏 9
一章 六七四年初夏 10
一章 六七四年初夏 11
一章 六七四年初夏 12
一章 六七四年初夏 13
一章 六七四年初夏 14
一章 六七四年初夏 15
一章 六七四年初夏 16
一章 六七四年初夏 17
二章 六七四年初秋
二章 六七四年初秋 1
二章 六七四年初秋 2
二章 六七四年初秋 3
二章 六七四年初秋 4
二章 六七四年初秋 5
二章 六七四年初秋 6
二章 六七四年初秋 7
二章 六七四年初秋 8
二章 六七四年初秋 9
二章 六七四年初秋 10
二章 六七四年初秋 11
三章 六七五年冬
三章 六七五年冬 1
三章 六七五年冬 2
三章 六七五年冬 3
三章 六七五年冬 4
三章 六七五年冬 5
三章 六七五年冬 6
三章 六七五年冬 7
三章 六七五年冬 8
三章 六七五年冬 9
三章 六七五年冬 10
三章 六七五年冬 11
三章 六七五年冬 12
三章 六七五年冬 13
四章 六七五年初春
四章 六七五年初春 1
四章 六七五年初春 2
四章 六七五年初春 3
四章 六七五年初春 4
四章 六七五年初春 5
四章 六七五年初春 6
四章 六七五年初春 7
四章 六七五年初春 8
四章 六七五年初春 9
四章 六七五年初春 10
四章 六七五年初春 11
四章 六七五年初春 12
四章 六七五年初春 13
四章 六七五年初春 14
四章 六七五年初春 15
四章 六七五年初春 16
四章 六七五年初春 17
四章 六七五年初春 18
四章 六七五年初春 19
四章 六七五年初春 20
四章 六七五年初春 21
五章 六七五年夏
五章 六七五年夏 1
五章 六七五年夏 2
五章 六七五年夏 3
五章 六七五年夏 4
五章 六七五年夏 5
五章 六七五年夏 6
五章 六七五年夏 7
五章 六七五年夏 8
五章 六七五年夏 9
五章 六七五年夏 10
五章 六七五年夏 11
五章 六七五年夏 12
五章 六七五年夏 13
五章 六七五年夏 14
五章 六七五年夏 15
五章 六七五年夏 16
五章 六七五年夏 17
五章 六七五年夏 18
五章 六七五年夏 19
五章 六七五年夏 20
五章 六七五年夏 21
五章 六七五年夏 22
五章 六七五年夏 23
六章 六七六年春
六章 六七六年春 1
六章 六七六年春 2
六章 六七六年春 3
六章 六七六年春 4
六章 六七六年春 5
六章 六七六年春 6
六章 六七六年春 7
六章 六七六年春 8
六章 六七六年春 9
六章 六七六年春 10
六章 六七六年春 11
六章 六七六年春 12
六章 六七六年春 13
六章 六七六年春 14
六章 六七六年春 15
六章 六七六年春 16
六章 六七六年春 17
六章 六七六年春 18
六章 六七六年春 19
六章 六七六年春 20
六章 六七六年春 21
六章 六七六年春 22
六章 六七六年春 23
六章 六七六年春 24
六章 六七六年春 25
六章 六七六年春 26
六章 六七六年春 27
六章 六七六年春 28
六章 六七六年春 29
六章 六七六年春 30
七章 六七六年秋
七章 六七六年秋 1
七章 六七六年秋 2
七章 六七六年秋 3
七章 六七六年秋 4
七章 六七六年秋 5
七章 六七六年秋 6
七章 六七六年秋 7
七章 六七六年秋 8
七章 六七六年秋 9
七章 六七六年秋 10
七章 六七六年秋 11
七章 六七六年秋 12
七章 六七六年秋 13
七章 六七六年秋 14
七章 六七六年秋 15
七章 六七六年秋 16
七章 六七六年秋 17
七章 六七六年秋 18
七章 六七六年秋 19
八章 六七七年初夏
八章 六七七年初夏 1
八章 六七七年初夏 2
八章 六七七年初夏 3
八章 六七七年初夏 4
八章 六七七年初夏 5
八章 六七七年初夏 6
八章 六七七年初夏 7
八章 六七七年初夏 8
八章 六七七年初夏 9
八章 六七七年初夏 10
八章 六七七年初夏 11
八章 六七七年初夏 12
八章 六七七年初夏 13
八章 六七七年初夏 14
八章 六七七年初夏 15
八章 六七七年初夏 16
九章 六八〇年初秋
九章 六八〇年初秋 1
九章 六八〇年初秋 2
九章 六八〇年初秋 3
九章 六八〇年初秋 4
九章 六八〇年初秋 5
九章 六八〇年初秋 6
九章 六八〇年初秋 7
九章 六八〇年初秋 8
九章 六八〇年初秋 9
九章 六八〇年初秋 10
九章 六八〇年初秋 11
九章 六八〇年初秋 12
九章 六八〇年初秋 13
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 1
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 2
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 3
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 4
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 5
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 6
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 7
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 8
一一章 七〇七年七月
一一章 七〇七年七月 1
一一章 七〇七年七月 2
一一章 七〇七年七月 3
一一章 七〇七年七月 4
一一章 七〇七年七月 5
一一章 七〇七年七月 6
一一章 七〇七年七月 7
一一章 七〇七年七月 8
一一章 七〇七年七月 9
一一章 七〇七年七月 10
一一章 七〇七年七月 11
一一章 七〇七年七月 12
一一章 七〇七年七月 13
一一章 七〇七年七月 14
一一章 七〇七年七月 15
一一章 七〇七年七月 16
一一章 七〇七年七月 17
一一章 七〇七年七月 18
一一章 七〇七年七月 19
一一章 七〇七年七月 20
一一章 七〇七年七月 21
一二章 七〇七年八月
一二章 七〇七年八月 1
一二章 七〇七年八月 2
一二章 七〇七年八月 3
一二章 七〇七年八月 4
一二章 七〇七年八月 5
一二章 七〇七年八月 6
一二章 七〇七年八月 7
一二章 七〇七年八月 8
一二章 七〇七年八月 9
一二章 七〇七年八月 10
一二章 七〇七年八月 11
一二章 七〇七年八月 12
一二章 七〇七年八月 13
一二章 七〇七年八月 14
一二章 七〇七年八月 15
一二章 七〇七年八月 16
一二章 七〇七年八月 17
一二章 七〇七年八月 18
一二章 七〇七年八月 19
一二章 七〇七年八月 20
一三章 七〇七年秋―七一一年夏
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 1
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 2
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 3
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 4
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 5
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 6
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 7
終章 七一一年夏―冬
終章 七一一年夏―冬 1
終章 七一一年夏―冬 2
終章 七一一年夏―冬 3
終章 七一一年夏―冬 4
終章 七一一年夏―冬 5
終章 七一一年夏―冬 6
終章 七一一年夏―冬 7
終章 参考文献
終章 おことわり
あとがき
あとがき 1
あとがき 2
あとがき 3
あとがき 4
あとがき 5
あとがき 6
あとがき 7
奥付
奥付

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五章 六七五年夏

五章 六七五年夏 1

 五章 六七五年夏


 

 大和盆地の南東に位置する飛鳥の夏は蒸し暑い。午前一杯照りつけた強い日差しは作物を通して田畑に熱をこもらせ、午後になって風が止まると、それが地熱のように地表に放出される。その蒸し暑さが大和農耕の豊穣の源泉となっているが、ここに近い稗田の農家に生まれ育った大和人阿礼にとっても、熱さは活力の源の一つだった。噴き出る汗をぬぐいもせずに、阿礼は太郎入鹿の写像、建速須佐之男命にまつわる草案作りに取り掛かった。
 「伊邪那岐命(いざなきのみこと)が生んだ三人の子供のうち、上の二人は父の命令に素直に従う。天照大御神は昼の国、高天原へ、月読命(つくよみのみこと)は夜の国、夜之食国(よるのおすくに)にそれぞれ向かう」
 「今まで聞いてきた限りでは、三人の子のうち、アマテラスは女神、スサノヲは男神だと思えるのだけど、ツクヨミの性別は?」
 「アマテラスとスサノヲ、それぞれ正反対の存在の対比がねらいだから、その邪魔にならないよう、ツクヨミの性別は触れないままにしておく。性別だけでなく、ツクヨミが夜之食国でどうなったかも語らないことにしよう。


五章 六七五年夏 2

 さて三番目の子神スサノヲだが、彼は父神の命令に従わない。駄々をこねて泣くんだ。一時でなく、泣き続ける。泣きながらスサノヲは成長し、髭が伸び、それが胸元にまで達してしまう。
 ただ泣き続けるのではない。大声を上げ、足摺をして泣きわめくんだ。そのわめき様が尋常ではない。青々とした草木の茂る山々がことごとく枯れ木の山々にかわり、水のあふれる川や海が干上がってしまうまで泣きわめく。
 それに乗じて悪しき神々がこの時とばかりに騒ぎ始め、禍という禍が一斉に噴き出してしまうほどだ。こう描写すれば、建速須佐之男命という存在の荒すさぶ様子が表現できるし、そのあとで語られるアマテラスの至高性といい対比になると思うんだ。
 このあと次のような会話が続く」

 

 〈こんな状況を見かねた父神イザナキが、スサノヲを問い詰める。
 「どんなわけがあってお前は、ワレが統治を命じた海の国に行かずに泣きわめき、未完成の葦原中国を混乱に陥れさせるのだ」
 スサノヲは答える。
 「私は妣(はは)が恋しくてならないのです。亡くなった妣がいるという、根の堅州国に行きたいと思ってこうして泣き暮らしているのです」


五章 六七五年夏 3

 「何てことだ」黄泉国の恐ろしさを身を持って体験しているイザナキにとって、スサノヲの返答は処置のないものだった。
 「勝手にするがいい。ただしこの国に居てはならぬ」
 こういってイザナキはスサノヲを葦原中国から追放してしまう〉

 

 「ここでイザナキの役割を終わりにし、そうだね、彼を淡海(おうみ・近江)の多賀に鎮座させることにして、話を先に進めよう。
 追放命令を受けたスサノヲだ。彼は最終的には希望通り自分の妣が住む根の堅州国に行くことになるんだが、その前に高天原を治めている姉神アマテラスに会いに行き、そこでもまた大騒動を巻き起こすという設定にしよう。そうすれば高天原がどんなところか詳しく描写することができるし、そこを治めるアマテラスがどんな存在で、いかなる役目を果たしているかを、聞き手に伝えることができると思うんだ」

 

 〈スサノヲはこうして姉の治める天上の国へ上がっていく。すると山や川がことごとく鳴り響き、大地が激しく揺れ動いた。報せを聞いたアマテラスは驚いた。


五章 六七五年夏 4

 「この様子だと、弟はわが国を奪い取るつもりだな」
 そういって戦いの身支度をする。束ねて後ろに長く垂らした髪を解き、それを男の髪形に結い直す。無数の勾玉を連ねた玉飾りを体中に巻き付ける。背には無数の矢を収めた靭(ゆぎ)を負い、手に持った弓を振りかざしながら堅い地面を踏みしだき、仁王立ちになって弟の到来を待ち受け、激しい口調で問いかける。
 「お前はなに故に、ここ高天原に上がってきたのじゃ?」
 問いただされたスサノヲは答える。
 「海の国へ行けという命令に従わず、根の堅州国へ行きたいといったら、父上は怒って、『勝手にしろ、ただし葦原中国からは出て行け』とおっしゃいました。それでも私は妣の国へ行くつもりですが、いとまごいに姉であるあなたを訪ねてきたのです。他意はありません」
 アマテラスは尋ねる。
 「そんなに乱暴な振る舞いをしておきながらやましい心はないなんて、お前はそれをどうやって証明するつもり」〉
 
 「ここの証明方法だけど、どんな手を使ったらいいだろうか?」
 阿礼の問いかけに、由衣が答える。


五章 六七五年夏 5

 「スサノヲが勝負を挑むの。『どちらの方がより多くの子供を生んだか、どちらの方がより優秀な子供を生んだか、それで勝ち負けを決める子生み勝負で決着を付けよう』って。『勝ったら自分を信用しろ』って」
 「相手を見つけて子を宿し、その子が生まれるまで決着を待つというのか?」
 「相手の持ち物を種にして一瞬のうちに子を誕生させるのよ。それで勝負の判定をする。子供のころ聞いた話にそういうのがあってとても印象に残っているの。高天原での勝負だし、面白いんではないかしら」
 情景をいくつか脳裏で描いたあと、阿礼はその一つを言葉にした。

 

 〈「一つ勝負をしましょう。私が勝ったら、私のいったことは正しい、つまり私は高天原にいられることになります。もしあなたの勝ちだったら、私は邪悪な心を持ってはいないけれど、高天原から引きさがります」とスサノヲ。
 「どんな勝負にするのか」とアマテラス。
 「判定結果にはいさぎよく従うという誓約(うけい)をした上で、それぞれが子供を生み、それで勝負を決する」とスサノヲ。
 「よかろう」とアマテラス。


五章 六七五年夏 6

 二人は天の安河(あめのやすのかわ)を挟んで向かい合い、宣誓して子生みの勝負を始める。
 まずアマテラスがスサノヲの剣―十拳剣(とつかのつるぎ)―を手に取った。これを三段に打ち割るや、天の真名井(あめのまない)の水で清めて口の中に放り込み、噛み砕いて吹き出すと、それが霧となりその中から三柱の女神が誕生した。
 次はスサノヲの番だった。アマテラスの左右の角髪(みずら)、髪を束ねる鬘(かずら)、さらには左右の手にそれぞれ巻き付けた勾玉(まがたま)の長い緒を次々ともらい受け、天の真名井の水で洗い清めて口の中に放り込み、噛みしだいて吹き出すと、それが霧となりその中から五柱の男神が出現した。
 この瞬間、スサノヲは確信する。男神を五柱も生んだのだから、勝ちは自分にあると。ところがアマテラスが突然、物実(ものざね)の論理を持ち出してこういった。「五柱の男子は私の髪飾りと玉の緒を物実として生まれた神だから私の子供、三柱の女神はお前の剣を物実として出現した神だからお前の子供、私の勝ちだ」
 この理屈を受け入れると、スサノヲの立場はなくなる。スサノヲは慌てて、物実の論理に代えて情実の論理を持ち出し、男よりも女の方が優れているといって、女神アマテラスの誇りをくすぐる手を打ち出す。


五章 六七五年夏 7

 「私の物実、剣から生まれた子供は心優しく清らかな女神三人。それを生んだ私の心は当然のことながらそれと同じ。これで私の心は一点の曇りもないということが証明されました。勝負は私の勝ち。これで私を高天原に迎え入れて下さいますね」〉

 

 「こうしてスサノヲは高天原に入り込むことになるんだが、入るや否やその荒ぶる魂はさらに本領を発揮し、これでもかこれでもかとアマテラスを困らせる。そういうふうにストーリーを展開させたいんだ。
 さて、アマテラスが一番困るものといったら何だろう?」
 しばらく思案が続いたあと、由衣が口火を切った。
 「稲つくりを妨害されたらこたえるでしょうね」
 「それは本質を突いている。天つ国を取り仕切るアマテラスは日の神、太陽神であると同時に後の天皇家の始祖でもある。皇祖神の役割は何か。それは、この国の主要産業、稲作農耕技術の指導と普及で、人々がこの稲作を日々平穏に営めるよう祭祀を主宰することだと考えていい。なるほど、この稲作とそれを支える祭祀システムの破壊にスサノヲが手を染めるという筋語りにしてみよう」


五章 六七五年夏 8

 〈スサノヲは、アマテラスが自ら耕作する田に乱入し、畦を壊したり、灌漑用の溝を埋めたりする。さらには姉がその年の新穀を食す新嘗祭(にいなめまつり)を行う神殿のあちこちに糞をひり散らし回るというように、天つ国の神々には考えもつかないような乱暴・狼藉の限りを尽くす。
 その一部始終を聞かされても、女神は怒らない。それどころか、弟のした行為をいい方にいい方に解釈して弁護した。
 それがまたスサノヲの乱暴・狼藉に拍車をかけ、とうとうスサノヲは姉が見ている前で、悪逆な事件を起こしてしまう〉

 

 「ここに太郎入鹿が血だらけの大鹿を女人部屋に放り込ませて楽しんだという悪行の話を使ってみたいと思うんだ。少し形をかえてね」

 

 〈アマテラスが機織り用の神殿―忌服屋(いみはたや)―で、機織女(はたおりめ)たちに神衣を織らせている時だった。スサノヲは忌服屋の棟に登って大穴をあけ、そこから皮を逆剥ぎにされ、無残な姿をさらすまだら毛の馬一頭を真っ逆さまに投げ込んだ。


五章 六七五年夏 9

 神衣を織っていた機織女たちは腰を抜かし、そのうちの一人は驚きのあまり、機具(はたぐ)の梭(ひ)で陰処(ほと)を突いて死んでしまう。この悪事の一部始終を目撃していたアマテラスは怒り、天の石屋(あめのいはや)に身を隠し、その戸をかたく閉ざしてしまった。
 太陽神としての日の神、皇祖神の不在によって、高天原もその支配下にある葦原中国も真っ暗になった。暗闇は限りなく続き、邪神がばっきょして、禍という禍が降って湧き、神々の世界の秩序は全く失われてしまう〉

 

 「普段は穏やかで慈悲深い至高神アマテラスを怒らせると、これほどまで悲惨な事態に陥ることになる。八百万の神々はそれを実際に経験することによって日の神、皇祖神の存在の大きさと、そのかけがえのなさを改めて認識する。
 そして彼らは石屋の戸をかたく閉めて隠れた自分たちの至高神を呼び戻すために、天の安河の河原に集結し、総力戦を展開するという筋語りにしたらどうだろう。
 総力戦の指揮官は、神々の中で最も豊かな知恵を持つ神でなければつとまらない。どの神を選ぼうか?」
 「創生期より大分年月がたっているので、二世にするというのはどうかしら?」


五章 六七五年夏 10

 「そうしてみよう。高天原に最初に現れた三柱の神の一人で、宇宙の生成をつかさどった高御産巣日神(たかみむすひのかみ)を使おう。タカミムスヒノ神は、高木神(たかぎのかみ)という別名を持つ男神で、日本列島土着の在来神ではない。大陸北方の草原地帯の人々が育み、五世紀前後、朝鮮半島経由でこの国に入った外来神で、天上界の主神あるいは太陽の神だと伝えられている。この神の血を受け継ぐタカミムスヒ二世で、その名を思金神(おもひかねのかみ)ということにしよう。
 それではこの神にどんな深謀を考え出させるかだ。まず天の石屋の奥にこもったアマテラスに声を届かせなければならない。八百万の神々に天の石屋戸(あめのいはやと)の前で大声を上げさせよう。それも哀しげな泣き声じゃなくて、楽しげな笑い声がいいだろう。
 笑い声だったら女神は不審に思うはずだ。だって自分がいなくなって、みんなは弱り果てて泣いているはずなんだから。それがみんなで笑い転げている。一体何が起きているのかと、外の様子をうかがいたくなるはずだ。
 ではどうやって八百万の神々を爆笑の渦に巻き込むか。それをオモヒカネノ神に思いつかせなければならない」
 しばらく思案して、由衣がいった。 
 「出雲国の神話でも、人を一番湧かせるのは卑猥な話。エロスは本来秘めてあるもの。それが何かのはずみでこぼれてしまう。とくに厳かな儀式の時には完全に隠されているもの。それが突如表出してしまう。この予期せぬエロティシズムの出現に、神々は驚き、どよめくんじゃないかしら。そのどよめきが反響し、炸裂して爆笑の渦にかわる。オモヒカネノ神にそんな状況をつくり出させるというのはどうかしら」


五章 六七五年夏 11

 「アマテラスが神々の笑い声を聞き、石屋の戸を少し開けたとしても、また閉ざしてしまう恐れがある。オモヒカネには同時にそれを防ぎ、女神を石屋からすっかり出させる手を考え出させておかないと。それにはアマテラスの最高神としてのプライドを巧みにつつかせるというのがいいかもしれないね。

 それにしても八百万の神々をわかせるというのは難題だなあ。この難役をこなすにはやはり女神だね、妖艶な女神。舞いと踊りの名手、天宇受売命(あめのうずめのみこと)というのはどうだろう」

 

 〈天宇受売命が天の香具山に生える日蔭葛(ひかげかずら)でたすきがけをし、天の香具山で取った正木葛(まさきかずら)の髪飾りを額に巻き、これまた天の香具山の笹の葉を束ねて手に取り、天の石屋戸の前にしずしずと進み出る。石屋戸の前に台を置き、そこにのぼって厳かに舞い始める。
 その舞いがいつしか足拍子を取り、腰を振る踊りにかわった。踊りは次第に激しさを増し、まるで神が神に乗り移ったかのように狂い始める。その踊り狂う中で、女神の胸乳(むなち)が露わになり、下腹がちらちらと見え隠れするようになった。
 厳粛であるはずの舞いが、神の神がかりによってエロティシズムのほとばしる踊りにかわる。この落差、唐突さが八百万の神々の笑いを誘い、それがこだまして爆発した。その笑いの爆風が天の石屋戸の奥深くまで見事に届いた。


五章 六七五年夏 12

 アマテラスはいぶかしがり、石屋戸を細めに開いて声をかけた。「私がいないから、高天原も葦原中国も真っ暗闇で静まり返っているはずなのに。どうしてお前、アメノウズメはそんなところで踊り狂っているの?どうして神々は笑い転げているの?」
 こう聞かれてアメノウズメノ命は、待ってましたとばかりに返答する。
 「あなたよりもはるかに高貴で、秀でた女神がおいでになるので、われわれはこうして踊って、笑って、楽しんでいるのです」
 アメノウズメがそう答え終わるや否や、天児屋命(あめのこやねのみこと)と布刀玉命(ふとだまのみこと)がアマテラスの顔の前に八咫鏡(やたのかがみ)を差し出した。アマテラスの目に一瞬、自分の前に一柱の美しい女神が立っているように見えた。
 「この者は誰、私を超える存在、そんなことがあっていいの……」
 アマテラスはそれを確かめようと石屋戸の外に出ようとした。
 この瞬間を待ち構えて身をひそめていた力持ちの神、天手力男神(あめのたぢからをのかみ)が女神の手を取って外へ引き出した。さらにフトダマノ命が日の神の後ろに注連縄(しめなわ)を渡していう。
 「この縄より内側に戻ることはできません」


五章 六七五年夏 13

 こうして皇祖神アマテラスは再び姿を現し、天上の高天原も地上の葦原中国も明るさと平和を取り戻した。残されてあったのは、このような大騒動の原因をつくったスサノヲの処罰だった。八百万の神々が一堂に会して協議し、スサノヲに贖罪の品物を科すと同時に、彼の髭を切り、手足の爪をはがし、高天原から追放した〉

 

 阿礼の草案に対して由衣は感想を述べた。
 「太郎入鹿の反逆行為、それがもたらした王権の確立、本当に起きた事件を神話の時代に移し換えたらどうなるか私には見当もつかないと思ったけれど、それがこうした天の石屋戸神話になるなんて、本当に不思議」
 それを受けて阿礼がいった。
 「ここの語りでは、聞き手に次のようなメッセージを送りたいんだ。確かに皇祖神は高天原の至高神、でもその至高性はただ存在しているのではない。それはこの神が自らに与えられた役割を果たす限りにおいて約束される。つまりアマテラスが日の神として天上の高天原とその支配下にある葦原中国の平和と安寧に限りなく寄与することによって保障される。反対に、その約束を忘れたり破ったりすれば、それはたちどころに消滅してしまう、はかない存在でもあるのだと。


五章 六七五年夏 14

 そしてこのメッセージが現実の政治の世界に置き換えられて、支配の正当性というのは最初から与えられているものではなく、支配権を握った者が支配する国全体の安定に、そこに暮らす民衆の安寧に努力を惜しまない存在であるかどうかによって決まる、ということが理解されたらうれしいんだけど。ここのところは創作にもっともっと工夫の余地がありそうだ。さらにはこの場面の描写を際立たせるために、最も効果的な語り口を、語りのリズムと共に考え出さなければならないね」
 「このくだりは、上つ段の中でも圧巻な場面の一つだし、隠れた最高神を引き出すために、真っ暗な天の石屋戸の前に大掛かりなかがり火やきらびやかな飾り物などを用意させる必要があるんではない?同時に、そういうものを準備する神々を誰にするかも考えなければ」
 「うん。そういう細かいことはあとで決めるとして、物語を先に進めよう。高天原を追放された須佐之男命なんだけど、彼はこれによって自らが行きたいと願った黄泉国に赴くことになるんだが、そこに向かわせる前に、彼にもうひと働きさせなくてはならない。
 そう、スサノヲは追放されたあと、葦原中国に降り立つ。そこで彼は神々を困らせる怪物を退治し、悪者から英雄に変身する。そして英雄スサノヲはアマテラスを姉神としてではなく、高天原の最高神として敬うようになる。さらにはその心を表すために、至高神に大いなる贈り物をするという過程をつくりたいんだ。


五章 六七五年夏 15

 そんな筋立てを用意するとしたら、スサノヲを降り立たせるのはどこがいいだろうか。由衣の故郷、出雲国を候補にするとしたら、どこがふさわしいだろうか」
 「東部の肥河(ひのかわ・斐伊川・ひいかわ)はどうかしら? 出雲国きっての大河で、大蛇がのたうつように湾曲していて、普段は風光明美なんだけど、秋、台風が上流を襲おうものなら、手のつけられない暴れ川となって流域に大氾濫を引き起こすの」
 「乱暴者のスサノヲが怪物を退治する場所としてはうってつけだ。肥河の上流で、毎年越の国から大蛇がやってきて国つ神の娘を一人食らっていくという恐ろしい事件が続いていて、今年もまたその恐怖の時期が訪れようとしている。そこにスサノヲが通りかかって大蛇を斃して英雄となり、助けた娘と結ばれるというストーリーはどうだろうか。問題はその越のオロチをどう描写して、顛末をどう語りにするかだ」
 由衣がアイデアを出した。
 「頭が八つ、尻尾が八つというふうに、語の頭に〈や〉を付けた言葉を並べるというのはどうかしら。調子が取れるし、〈や〉を付けると数が〈八つ〉にもなるし、さらにはとてつもない数を表わすようになるわ」


五章 六七五年夏 16

 「そうか、オロチに〈八〉を付けて〈八俣の大蛇(やまたのおろち)〉にする。さらに同音・類音を持つ語を連続させたり、それと形のよく似たものを次々と取り込んだりして大蛇の奇怪さと、それを退治する英雄の偉大さを描写する。試してみようか……」

 

 〈須佐之男命が降り立ったところは肥河の上流に位置する鳥髪(とりかみ)の地。ここには神の住む気配は感じられなかった。ふと川上に目をやると、箸が流れてくるではないか。さらに上流には誰かがいるようだ。そう思って川をさかのぼっていくと、老夫と老婦が間に娘を置いて泣いているのに出くわした。
 三人の素性を聞くと、この地を治める国つ神、大山津見神(おほやまつみのかみ)の子で、老夫の名は足名椎(あしなづち)、老婦の名は手名椎(てなづち)、娘の名は櫛名田比売(くしなだひめ)だという。
 「どうして泣いているのか」と尋ねると、老夫は次のように答えた。
 「越国に八俣の大蛇と呼ばれる怪物がいて、毎年この地にやってきて娘を食らうのです。私には八人の娘がいましたが、一人ずつ食べられて今ではこの娘一人だけになりました。今年もまたそのオロチがくる時節になりましたので、こうして泣き暮れているのです」
 スサノヲは尋ねた。「八俣の大蛇というが、どんな形をしているのか」


五章 六七五年夏 17

 老夫が答えて曰く。「胴体は一つなのに、八つの頭と八つの尾を持っています。目は真っ赤に熟れたほおずきのようで、体は苔むし、檜木や杉の木が生えています。全身の長さは八つの谷、八つの峰に渡っていて、腹を見るといつも血にただれ、身の毛もよだつような恐ろしい姿をした怪物でございます」
 スサノヲが「退治してやれるかもしれぬ。その代わりといっては何だが、お前の娘を私の妻にくれないだろうか?」というと、老夫は答えた。「何とも恐れ多いことでございますが、まだお名前も存じ上げませんので」
 そこでスサノヲはいった。「私は天照大御神の弟で、今高天原からこの地に降りてきたところだ」
 これを聞いたアシナヅチ・テナヅチの夫婦神はこう申し述べた。「それはますます恐れ多いことでございます。そういう方に娘をもらっていただければ、この上ない仕合わせ」
 スサノヲはオロチに奪われないように、櫛名田比売を霊力をもって爪櫛(つまぐし)にかえ、それを自分の角髪(みずら)に差し込んだ。そして足名椎・手名椎の老夫婦に次のように命じた。
 「お前たちは八度醸した強い酒を造れ。さらに垣根をめぐらし、その垣根に八つの門をつくり、門ごとに八つの桟敷をしつらえ、その桟敷ごとに八つの酒槽(さかおけ)を置き、その酒槽ごとに八度醸した強い酒を満々に満たして、事の成行きを見守れ」


五章 六七五年夏 18

 老夫婦の手で怪物を迎え撃つ準備が整った時、老夫のいった通り、八俣の大蛇が真っ赤に熟れたほおずきのような八対の目を爛々と輝かせ、苔むし木々の生えた胴体をくねらしながら、すさまじい勢いで垣根の向こうに迫ってきた。
 オロチは芳醇な香りを放つ酒精の誘惑には勝てなかった。八つの頭を八つの酒槽に突っ込んで、中の酒を一気に飲み乾した。中味は醸しに醸した強い酒だった。大蛇の頭が次々と倒れ、ついに八つの頭全ての動きが止まった。
 この時を見計らっていたスサノヲは、腰に吊るした長さ十握(とつかみ)もある剣をすらりと引き抜き、大蛇の頭を次から次へと切り離した。ほとばしる大量の血で、肥河は真っ赤な血の河となった。
 スサノヲが大蛇の胴体を切り進み、中ほどに位置する尾を切り落とそうとした時、手にした剣の歯がこぼれた。不審に思ってその尾を切り裂いてみると、これまで見たこともない美しさと鋭利さを持つ太刀が出てきた。
 それは自分のものとするのを許さないような無双の名刀であった。スサノヲはこれを手に入れたいきさつを伝えて、天照大御神に献上した。これが後に草那芸(くさなぎ)と呼ばれることになる太刀である〉


五章 六七五年夏 19

 「スサノヲは自分が英雄になって初めてアマテラスの存在の特別さを知り、その特別な神に草那芸の太刀という特別な贈り物をしてそれに報いた。こういうシナリオなら、アマテラス―さらにはその末裔の天皇―は特別な存在なんだということが聞き手に伝えられますね。同時に、そういう特別な存在、つまり高貴なる者はこれによってさらに謙虚になり、己に与えられている使命の重要性をより深く認識するはずだ、そう聞き手は感じ取ってくれるのではないかしら」
 「これで、蘇我入鹿のイメージを織り込んだスサノヲの物語は終わる。このあとシナリオは、葦原中国の、つまりアマテラスの子孫、天皇の祖先が天降る予定の地上の国の、国作りの物語に移ることになる」
 「地上の国、葦原中国というのは、われわれが今暮らしている日本列島。ここにはかつて複数の地方国家があり、それぞれに国作りを担った国主がいたと思うのですけど、それをいちいち全部語ることになるのですか?」
 「それは無理だから、代表になる国を一つ選んで出雲にするというのはどうだろう。すでにスサノヲを降り立たせたところを出雲国にしているし、ここなら二人とも馴染みがあるからいろいろと想像しやすいと思うんだ。ここを中心に物語を展開させ、その国主として、大国主神を登場させることにしよう。


五章 六七五年夏 20

 もちろん物語の中のオホクニヌシノ神は象徴で、その背後には無数の国主が存在している。そのことを聞き手に感じ取ってもらいたいので、オホクニヌシの別名をいくつか挙げ、語りの中で使い分けてみたいと思っているんだ。
 さらにいえば、そのオホクニヌシは天つ神の最高位アマテラスの弟、スサノヲの血を引く直系の子孫ということにする。ただオホクニヌシは、天つ神スサノヲと国つ神の娘クシナダヒメとの結婚によって生まれた混血神を祖先に持ち、その祖先神と国つ神の娘との婚姻が何代にも亘って繰り返されたために、限りなく国つ神に近い存在になる。そういう想定で、次のような筋語りを考えているんだ」

 

〈須佐之男命はこうして八俣の大蛇を退治し、櫛名田比売(くしなだひめ)を手に入れた。それによって二人の間に長子となる御子が誕生する。八島土奴美神(やしまじぬみのかみ)である。かくして天つ神の子と国つ神の子孫の婚姻が成立したのである。そうして生まれた男神に、国つ神の血を引く女神をめあわせる婚姻が何代にも亘って続き、スサノヲ六世の孫が出現する。葦原中国、つまり出雲国の主神となる大国主神である。


五章 六七五年夏 21

 オホクニヌシノ神誕生後、スサノヲノ命はかねての望み通り妣のいる国、根の堅州国へと赴き、葦原中国、出雲国の国作りはスサノヲの分身、オホクニヌシノ神に委ねられるのである。
 大国主神はまたの名を大名持(おほなもち)を表す大穴牟遅神(おほなむぢのかみ)、またの名を武勇を称える葦原色許男神(あしはらしこをのかみ)、またの名を同じく八千矛神(やちほこのかみ)、またの名を国の守護神を意味する宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)といい、合わせて五つの別名を持つ大神である〉

 

 「こんなふうに、オホクニヌシによる葦原中国、つまり出雲国の国作り神話に入っていきたいんだが、圧巻はその最後の部分、オホクニヌシがさまざまな神々の協力を得てつくり上げた自分の国を、皇祖神アマテラスに譲り渡す場面の描写になると思う。
 何故ならこの国譲り神話の部分は、高天原側から見れば、葦原中国に国をそっくり引き渡せという実に無体な要求をする場面になるし、葦原中国側から見れば、せっかく苦労してつくった国を手放さなければならないという実に無念な要求をされるシーンになるからだ。さらにはこの無理難題を押し付ける側が、押し付けられる側にどんな約束を提示したら、押し付けられる側はその要求を飲むか、その約束の確かさが問われる場面になるからね」
 「前の神話が〈乙已の変〉をもとにしているとしたら、国譲り神話というのは、その後のどんな出来事をもとに創作しようとしているのですか?」


五章 六七五年夏 22

 「〈壬申の乱〉だ。この内乱の意味を考えるために、まず六世紀代にこの国に進行した統一国家形成の動きから話を始めよう。この時期無数の地方国家がヤマト朝廷を中心とする連合政権に加わったが、当然のことながらそのいきさつはさまざまだった。自ら望んで参加した国もあったし、抵抗の末、参加を余儀なくされた国もあった。そのいずれだったにしても、地方国家が統一国家づくりに参加したということは、自国の独立性を放棄し、自分たちの国土とその主権を、統一国家の中央政権に譲ったということを意味する。
 この時のことなんだ。地方の首長の呼び名がかわったのは。統一国家形成以前は、国づくりをした建国者やその末裔は国主といわれていた。それが六世紀代の統一化以後、ヤマト王権に国譲りをし、その支配に従った者として、国造(くにのみやっこ・こくぞう)と呼ばれるようになった」
 「国譲りなんて、何でそんな途方もないことが実現したんでしょう?」
 「中央政権と地方政権の間に合意が成立したからだ。参加すれば地方の未来はもっと輝かしいものとなる。民の暮らしはさらに豊かなものになる。王権はその実現を限りなく支援することを約束し、地方はそれが果されると信じたからだ。
 しかし約束が守られ続けるという保障はない。世代が交代し、後継の支配者が約束を反古にして、地方政権を虐げたり、民の生活を苦境に陥らせたりすることはいくらでもある。さらにはその約束違反が、次の後継者にそのまま引き継がれる場合だってある。その時、王権に対する地方の不満や憎しみは蓄積する。それが組織されれば内乱に発展する。その典型的な例の一つが壬申の乱なんだ。天武が当事者として、しかも主役としてかかわった事件だ。


五章 六七五年夏 23

 兄の天智によって初めて律令制の導入が試みられ、それ以前と比較にならないほど盤石な統一国家ができ、それがそのまま天智が選んだ後継者に受け継がれるはずだった。でも実際はそうではなかった。天武がきっかけをつくると、反乱は各地に広がった。律令体制の導入が試みられた分、国譲りに対する約束違反が横行し、人々のうっ屈がたまっていたのだろう。それがさらに天智が指名した後継者によって引き継がれるのではないかという危惧が地方人の間に広がっていたのだろう。それはまさに統一国家分裂の危機だった。その危機は回避されたけど、その代償は途方もなく大きかった。
 こんな事態を二度と起こしてはならない。王権の正統性も大事だが、その王権を次の代につないでいく時、誰が後継者としてふさわしいのか、つまり王権継承の正当性はさらに重要な問題となる。それをオホクニヌシノ神による出雲国の国作り・国譲り神話の中にヨコ糸として織り込んでおきたいんだ。
 そういう神話を創作する上で、どうしても欠かせない素材が、大化のクーデター―六四五年六月―から数えて二七年後、干支では壬申に当たる、六七二年に起きた壬申の乱なんだ。この事件の真相を探るために、乱とゆかりのある地を旅してみないか。古事語の創作に欠かせないと申し出れば、天武は暇を下さるはずだ」