目次
序章 七一一年夏
序章 七一一年夏 1
序章 七一一年夏 2
序章 七一一年夏 3
一章 六七四年初夏
一章 六七四年初夏 1
一章 六七四年初夏 2
一章 六七四年初夏 3
一章 六七四年初夏 4
一章 六七四年初夏 5
一章 六七四年初夏 6
一章 六七四年初夏 7
一章 六七四年初夏 8
一章 六七四年初夏 9
一章 六七四年初夏 10
一章 六七四年初夏 11
一章 六七四年初夏 12
一章 六七四年初夏 13
一章 六七四年初夏 14
一章 六七四年初夏 15
一章 六七四年初夏 16
一章 六七四年初夏 17
二章 六七四年初秋
二章 六七四年初秋 1
二章 六七四年初秋 2
二章 六七四年初秋 3
二章 六七四年初秋 4
二章 六七四年初秋 5
二章 六七四年初秋 6
二章 六七四年初秋 7
二章 六七四年初秋 8
二章 六七四年初秋 9
二章 六七四年初秋 10
二章 六七四年初秋 11
三章 六七五年冬
三章 六七五年冬 1
三章 六七五年冬 2
三章 六七五年冬 3
三章 六七五年冬 4
三章 六七五年冬 5
三章 六七五年冬 6
三章 六七五年冬 7
三章 六七五年冬 8
三章 六七五年冬 9
三章 六七五年冬 10
三章 六七五年冬 11
三章 六七五年冬 12
三章 六七五年冬 13
四章 六七五年初春
四章 六七五年初春 1
四章 六七五年初春 2
四章 六七五年初春 3
四章 六七五年初春 4
四章 六七五年初春 5
四章 六七五年初春 6
四章 六七五年初春 7
四章 六七五年初春 8
四章 六七五年初春 9
四章 六七五年初春 10
四章 六七五年初春 11
四章 六七五年初春 12
四章 六七五年初春 13
四章 六七五年初春 14
四章 六七五年初春 15
四章 六七五年初春 16
四章 六七五年初春 17
四章 六七五年初春 18
四章 六七五年初春 19
四章 六七五年初春 20
四章 六七五年初春 21
五章 六七五年夏
五章 六七五年夏 1
五章 六七五年夏 2
五章 六七五年夏 3
五章 六七五年夏 4
五章 六七五年夏 5
五章 六七五年夏 6
五章 六七五年夏 7
五章 六七五年夏 8
五章 六七五年夏 9
五章 六七五年夏 10
五章 六七五年夏 11
五章 六七五年夏 12
五章 六七五年夏 13
五章 六七五年夏 14
五章 六七五年夏 15
五章 六七五年夏 16
五章 六七五年夏 17
五章 六七五年夏 18
五章 六七五年夏 19
五章 六七五年夏 20
五章 六七五年夏 21
五章 六七五年夏 22
五章 六七五年夏 23
六章 六七六年春
六章 六七六年春 1
六章 六七六年春 2
六章 六七六年春 3
六章 六七六年春 4
六章 六七六年春 5
六章 六七六年春 6
六章 六七六年春 7
六章 六七六年春 8
六章 六七六年春 9
六章 六七六年春 10
六章 六七六年春 11
六章 六七六年春 12
六章 六七六年春 13
六章 六七六年春 14
六章 六七六年春 15
六章 六七六年春 16
六章 六七六年春 17
六章 六七六年春 18
六章 六七六年春 19
六章 六七六年春 20
六章 六七六年春 21
六章 六七六年春 22
六章 六七六年春 23
六章 六七六年春 24
六章 六七六年春 25
六章 六七六年春 26
六章 六七六年春 27
六章 六七六年春 28
六章 六七六年春 29
六章 六七六年春 30
七章 六七六年秋
七章 六七六年秋 1
七章 六七六年秋 2
七章 六七六年秋 3
七章 六七六年秋 4
七章 六七六年秋 5
七章 六七六年秋 6
七章 六七六年秋 7
七章 六七六年秋 8
七章 六七六年秋 9
七章 六七六年秋 10
七章 六七六年秋 11
七章 六七六年秋 12
七章 六七六年秋 13
七章 六七六年秋 14
七章 六七六年秋 15
七章 六七六年秋 16
七章 六七六年秋 17
七章 六七六年秋 18
七章 六七六年秋 19
八章 六七七年初夏
八章 六七七年初夏 1
八章 六七七年初夏 2
八章 六七七年初夏 3
八章 六七七年初夏 4
八章 六七七年初夏 5
八章 六七七年初夏 6
八章 六七七年初夏 7
八章 六七七年初夏 8
八章 六七七年初夏 9
八章 六七七年初夏 10
八章 六七七年初夏 11
八章 六七七年初夏 12
八章 六七七年初夏 13
八章 六七七年初夏 14
八章 六七七年初夏 15
八章 六七七年初夏 16
九章 六八〇年初秋
九章 六八〇年初秋 1
九章 六八〇年初秋 2
九章 六八〇年初秋 3
九章 六八〇年初秋 4
九章 六八〇年初秋 5
九章 六八〇年初秋 6
九章 六八〇年初秋 7
九章 六八〇年初秋 8
九章 六八〇年初秋 9
九章 六八〇年初秋 10
九章 六八〇年初秋 11
九章 六八〇年初秋 12
九章 六八〇年初秋 13
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 1
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 2
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 3
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 4
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 5
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 6
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 7
一〇章 七〇三年初夏―七〇七年初夏 8
一一章 七〇七年七月
一一章 七〇七年七月 1
一一章 七〇七年七月 2
一一章 七〇七年七月 3
一一章 七〇七年七月 4
一一章 七〇七年七月 5
一一章 七〇七年七月 6
一一章 七〇七年七月 7
一一章 七〇七年七月 8
一一章 七〇七年七月 9
一一章 七〇七年七月 10
一一章 七〇七年七月 11
一一章 七〇七年七月 12
一一章 七〇七年七月 13
一一章 七〇七年七月 14
一一章 七〇七年七月 15
一一章 七〇七年七月 16
一一章 七〇七年七月 17
一一章 七〇七年七月 18
一一章 七〇七年七月 19
一一章 七〇七年七月 20
一一章 七〇七年七月 21
一二章 七〇七年八月
一二章 七〇七年八月 1
一二章 七〇七年八月 2
一二章 七〇七年八月 3
一二章 七〇七年八月 4
一二章 七〇七年八月 5
一二章 七〇七年八月 6
一二章 七〇七年八月 7
一二章 七〇七年八月 8
一二章 七〇七年八月 9
一二章 七〇七年八月 10
一二章 七〇七年八月 11
一二章 七〇七年八月 12
一二章 七〇七年八月 13
一二章 七〇七年八月 14
一二章 七〇七年八月 15
一二章 七〇七年八月 16
一二章 七〇七年八月 17
一二章 七〇七年八月 18
一二章 七〇七年八月 19
一二章 七〇七年八月 20
一三章 七〇七年秋―七一一年夏
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 1
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 2
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 3
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 4
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 5
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 6
一三章 七〇七年秋―七一一年夏 7
終章 七一一年夏―冬
終章 七一一年夏―冬 1
終章 七一一年夏―冬 2
終章 七一一年夏―冬 3
終章 七一一年夏―冬 4
終章 七一一年夏―冬 5
終章 七一一年夏―冬 6
終章 七一一年夏―冬 7
終章 参考文献
終章 おことわり
あとがき
あとがき 1
あとがき 2
あとがき 3
あとがき 4
あとがき 5
あとがき 6
あとがき 7
奥付
奥付

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三章 六七五年冬

三章 六七五年冬 1

 三章 六七五年冬


 

 住まいは丘を切り崩して建てた掘立柱建物が十数棟点在する川原集落の一角にあった。集落の内部にはアワ・キビなどの雑穀、ダイズ・リョクトウなどの豆類、ウリを初めとする種々の野菜をつくる畑地があり、周縁には井堰(いせき)を備えた用水路が走り、畦(あぜ)によって小さく区画された無数の乾田が広がっていた。近年一帯では、鉄製土木具の広まりと共に田畑の開墾が急速に進み、かつて身近にあったイチイガシとアラカシが混生する照葉樹林は次々と切り払われ、今では遠景を縁取る濃緑の回廊にかわっていた。
 庶民の住居もかわった。旅で訪れた東国ではまだ地面に穴をうがつ竪穴住居ばかりだったが、畿内、特に飛鳥一帯では柱を立てて床を張る掘立柱建物になってすでに久しい。二人が暮らす掘立柱建物は板葺屋根で高床だった。開口部を広く取ってあるために周囲の景観がよく見渡せた。真夏には稔熟した雑穀・豆類・野菜・水稲がつくる深緑の連なりが目に入るところだが、今は真冬、作物の姿はなく、朝日が畑地に残る畝の霜柱や水田の根株の間に張った薄氷に反射して煌めいているのが見える。
 それを眺めやりながら阿礼は由衣に語りかけた。


三章 六七五年冬 2

 「天武から預かった旧記をもとに古事語(いにしえのことがたり)の構想づくりを始めて一か月半、大まかな骨組みができたんだ。これまでのしきたりでは、この列島の国号を倭国、統治者の称号を大王といってきたけど、天武がそれぞれを日本国、天皇にかえたいといっておられるから、慣れないけれどもそれに従うことにしよう。
 まず全体を大きく二つに分けてみた。一つは、天皇家の祖先、つまり皇祖神を語る部分で、神話篇とでも呼ぼうか。二つは、人としての天皇家の系譜を語る部分で、天皇篇とでもいおうか。
 天皇篇はさらに二つに分けてみたい。一つは旧記に記されてはいるが、実在したかどうかはっきりしない神武から仲哀(ちゅうあい)までの一四代の皇統譜、今一つは実在したことが確かめられる応神(おうじん)から推古までの一九代の皇統譜だ」
 「そうすると事語(ことがたり)全体は、上・中・下の三段構成になるのですね」
 「そう、上つ段(かみつだん)の神話篇、中つ段(なかつだん)の架空天皇篇、そして下つ段(しもつだん)の実在天皇篇だ。下つ段に相当する旧記の記述内容は、各天皇の雑多な短編記事の寄せ集めで、天皇一人一人についての一貫した物語はないんだ。物語にしたいところなんだが、実在の天皇に創作の手を加えることはできないから、旧記の記述をなぞらえるだけにしよう。


三章 六七五年冬 3

 中つ段の架空天皇篇は迷うところなんだ。皇祖神と実在の天皇を結び付ける篇で、創作の余地がかなりあるからだ。特に二代綏靖(すいぜい)から九代開化までの八代の天皇については皇室系譜だけで、彼らの活躍を伝える物語は全くないんだ。でも旧記の作者たちは初代神武の東遷(東征)物語を初め、一〇代崇神(すじん)から一四代仲哀まで、一人一人の天皇についてなかなか面白い物語を用意している。彼らに敬意を払い、この段も『帝紀・本辞』の整理にとどめよう。
 中つ段・下つ段に比べると、上つ段の神話篇に相当する旧記の記述はわずかなんだ。ここに創作の腕を発揮し、この篇を語るだけで古事語の全体像がわかる、そういう段にしたいと思っている」
 「起源論、つまり始祖神話づくりから始まるのですね」
 「現在の天皇が列島、つまり日本国の統治者であるという正統性を物語るにはどうしたらいいか。天皇の祖先は天上の神、それも最高神に位置づけられる至高の皇祖神である。しかしその皇祖神が最初ではなく、その前には複数の始祖神が存在する。その彼らが皇祖神を生むと同時に日本列島の基礎をつくる。その始祖神と皇祖神に連なる子孫神が天上から降臨して日本列島を統治する実在の天皇になった。そして歴代の天皇は誰もが先帝の血を受け継ぐのだという起源神話を創作したらどうだろう。


三章 六七五年冬 4

 その起源神話が魅力的に創作できれば、出自や血統の持つ意義を伝えることができるし、それによって現在の天皇が日本国の統治者であることも、将来の天皇が統治者であり続けることも可能になる。そこで神話創作の主題は天皇ということになり、従って神々も天皇とその一族につながる神々の話になる」
 「豪族たちはどうなるのですか?」
 「たとえば臣(おみ)・君(きみ)・連(むらじ)などの姓(かばね)を持つ有力豪族については、触れないで済ますわけにはいかないだろうね。彼らは皇祖神ではない神々、あるいは伝説時代の天皇にその出自を持つという設定にしたらどうだろうか。そうすれば豪族たちを、天皇を頂点とする上下の秩序の中に組み込むことができるからね」
 「神と天皇と豪族が語られれば、当然その先には民がいることになりますが、それは?」
 「民の起源には触れないことにする。中には自分も天上神や天皇の系譜につながるはずだと思う人もいるだろうし、そんなのはまっぴらごめんだと考える人もいるだろう。どうするか、それは全て語りを聞く人々に預けてしまおうと思っているんだ。無責任のようだが、そうするしかない。色んな出自を持った者が民で、民にとっては出自よりも、現在自分がどこに帰属しているかの方が重要なんだ。そしてその帰属意識は支配者や国家が民をどう扱うかにかかっている。自分は、天皇家も日本国もその民のためになる存在であってほしいという願いをこめて、古事語を創作したいと思っている。


三章 六七五年冬 5

 こんな骨組みで起源神話を創作するつもりなんだが、すでに旧記には天皇家の由来を説く神話が記されている。そこでは伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)という二対の神が登場し、この二柱の神が大八島国(おほやしまくに)、つまり日本列島とその統治者となる皇祖神を誕生させた、という粗筋になっているんだ。しかしこれだけでは語りのスケールが小さすぎる気がする。われわれの物語は、国家とその統治者の由来だけでなく、その上位に位置する天上とその主宰者、さらにはそれらを生む神々が登場する天地創造神話からスタートさせたいと考えているんだが、どうだろう?
 そのために、天地創造神話の世界を示す設計図をつくりたいと思うんだ。まず舞台設定だが、大きく三つに分けよう。〈高天原(たかまのはら)〉・〈葦原中国(あしはらのなかつくに)〉・〈異界〉の三つだ。このうち異界に入れたいのはあの世の黄泉国(よもつくに・またの名を根の堅州国・ねのかたすくに)、海の神の世界(海原)、山の神の世界(山の世界)、夜の神の世界(夜之食国・よるのおすくに)だ。
 問題は高天原と葦原中国だ。前者は天上の神々の世界を、後者は地上の世界を想定したものだが、両者は独立した、対等の関係にはない。高天原の方が上位にあって、葦原中国はその上位の神々によってつくられた存在、つまり高天原の支配下にある世界(舞台)なんだ。葦原中国は最初は神々の舞台なんだけど、神話以降の時代になると人間の世界になる、そういう想定にしたいんだ」


三章 六七五年冬 6

 「高天原と葦原中国との間、つまり天と地の間の距離はどれくらいなのですか。どれだけ離れているの?」
 「天と地の間は見通せない距離かな。でも神々が行き来できる範囲にあって、間をつなぐのは橋ということにしよう。その名は天の浮橋(あめのうきはし)。この橋の長さは物語の推移によって自在に変化するというのはどうだろう」
 「三つの舞台それぞれに、どんな神々を配するのですか?」
 「高天原に登場させたいのは〈天つ神(あまつかみ)〉で、ここには高天原から指令を下す神々、のちにその指令を受けて葦原中国を実際に統治する神の子供、つまり〈天つ神御子(みこ)〉を含めたい。この天つ神が系譜上、のちの天皇につながることになるんだ。
 葦原中国に出現させるのは〈国つ神(くにつかみ)〉、異界に登場させるのはそれぞれ〈海の神〉、〈山の神〉、〈夜の神〉というふうに名付けよう。
 さらにこの三つの世界のいずれかに帰属しつつ、境界を越えて三世界を自在に渡り歩く神々も準備したい。そして神話物語の主役級の神々はどれもこのグループに含めることにしたいんだ。その方が話はずっと面白くなるからね」


三章 六七五年冬 7

 「神話篇は長い時間を扱う物語になりそう。登場する神々は世代交代をするの?」
 「そうした方が、聞き手は時の移りかわりを感じ取りやすくなるんじゃないかと思う。でもね、世代交代はしても、登場した神々は、皇祖神も含めて人間のように老いて死ぬことはなく、世代を超えて生き続ける存在にしたいんだ。例外はあるけれども、そうした方が奇想天外な物語が用意できると思うんだ。ただしその神々につながる天皇たちの命は有限で、人間と同じようなスケールにするつもりだ」
 「始まりは?どういうふうに神話篇をスタートさせるのですか?」
 「うん、宇宙の初め、天と地が初めて分かれた開闢(かいびゃく)の時から始めようと思う。この時さっきいった高天原が存在していて、そこに三柱の神々が次々と登場するんだ。まず天の中央にあって宇宙を統一する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に宇宙の生成をつかさどる高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と神産巣日神(かみむすひのかみ)。以上三柱の神々はどれも配偶者を持たない単独神で、姿を見せない。
 その後高天原に、水辺の葦が一斉に芽吹いてくるように萌え上がるものがあり、その中から二柱の神が成り立つことにする。宇麻志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)と天之常立神(あめのとこたちのかみ)で、この二柱の神も配偶者のない単独神で、姿を現さない。


三章 六七五年冬 8

 最初の三足す次の二、これら五柱の神々は天つ神なんだが、このあとの物語の展開に重要な役割を演ずる特別な存在なんだ。彼らを特別な神、〈別天つ神(ことあまつかみ)〉と名付けよう。
 高天原にはさらに神々が登場する。まず二柱の姿を見せない単独神、次に五組一〇柱の男女神を登場させる。この二神と五組の男女神を合わせた七神を〈神世七代(かみよななよ)〉と名付け、その最後の男女神に、旧記に記され、互いに誘い合うという意味を持たされた男神、伊邪那岐神(命)と女神、伊邪那美神(命)を位置づけたいんだ。イザナキノ命とイザナミノ命は高天原で誕生するんだけど、天つ神の範疇には入れないことにする。地上にいったり、異界(黄泉国)にいったり、舞台を縦横に移動する存在にしたいからね。
 こうしておいてこのあと、イザナキとイザナミに命令が下される。下すのは初めに高天原に現れた五柱の単独神、別天つ神なんだ。彼らは二人に『地上はまだ脂のように漂っているばかりである。お前たちはかの国をつくり固めて人の住める世界にせよ』といって特別な力を持つ矛を授ける。二人は天と地の間にかけられた例の天の浮橋(あめのうきはし)に立ち、そこから授けられた矛を差し出してコロコロとかき回した。矛を引き上げると、その先から潮水が滴り落ち、それが積もり重なって島ができた」
 「不思議な島ね。何ていう名にします?」


三章 六七五年冬 9

 「淤能碁呂島(おのごろじま)というのはどう。語呂がいいと思うんだ。二人はこのオノゴロ島に天降り、そこで互いの身体の成り余っているところと、成り合わないところを合わせて、一四の島からなる日本列島、つまり葦原中国と、そこの自然・産業・生活・文化を支える三五柱の神々を出現させる」
 「そんなにたくさんの神々の名を出してしまって全部覚えられるのですか?」
 「わけはないさ、自分で選んだり、つくり出したりした神々なんだから。その三五の神々の最後の神を火の神にする。そしてイザナミはその火の神を生んだ時、大火傷を負って死に、葦原中国と地続きの黄泉国(よもつくに)、つまり根の堅州国(ねのかたすくに)に旅立つ。
 イザナキは死んだイザナミが忘れられず、あとを追って黄泉国に行くが、女神はすでに腐り切りかわり果てた屍体になっていた。イザナキはそれを目にすると恐れをなし、ほうほうの体で根国から逃げ帰る。
 逃げ帰った男神は、死者の国に行ったことで付いた穢(けが)れを清めようと禊(みそぎ)をするんだけど、そのミソギの場所をどこにするか。竺紫(つくし)の日向(ひむか)はどうだろう。
 そこのとある河原で、イザナキは手に持っていたもの、身に着けていたものを次々と投げ捨て、瀬に身を沈めて穢れを洗い清める。この時投げ捨てたものから一二柱の神々が生まれ、身を清めた時に一一柱の神々が生じた。


三章 六七五年冬 10

 それからなんだ。イザナキが左の目を洗うと天照大御神(あまてらすおおみかみ)が生まれ、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生じ、鼻を洗うと須佐之男命(すさのをのみこと)が出現する。
 この三神はどれも全国各地で知られた存在で、長い命脈を持っている。恐らく水田稲作がこの国に定着したころに人々がつくった神で、神話という無文字時代が育んだ独特の情報伝達システムで語り継がれ、今も形をかえながら全国津々浦々で親しまれている。その三神をこのくだりで使ってみたいんだ。
 父神イザナキは最後に誕生させたこの三柱の子神に強い愛情を感じ、彼らに特別な役割を振るというのはどうだろう。
 アマテラスには『高天原を治めよ』、ツクヨミには『夜之食国(よるのおすくに)を治めよ』、そしてスサノヲには『海原を治めよ』と命じ、そのあとイザナキは物語の舞台から退場する。
 そうイザナミは黄泉国から戻らず、イザナキは途中降板してしまう。葦原中国は完成しないままなんだ。その未完の国作り、つまり日本列島づくりはその後、伊邪那美命・伊邪那岐命の二神が生んだ神々、さらにはその子孫神がそれぞれに割り振られた役割を果たすことによって完成させられていくという彼らの自律的展開に委ねられるプランにする。


三章 六七五年冬 11

 そしてその筋立ての後半に、国つ神の大国主神(おほくにぬしのかみ)を登場させる。オホクニヌシは全国各地で神々の王として、神といわれたり命といわれたりして親しまれているが、その神が葦原中国づくりを完成させていくというシナリオにしたいんだ」
 「神話篇はそこで終わるのですか?」
 「いや、葦原中国ができあがると、再び高天原の天つ神の出番となる。天つ神の最高神、アマテラスが葦原中国を建設した国つ神、オホクニヌシにその国を高天原に譲れと迫り、それを実現する。これを〈国譲り〉と呼ぼうか。
 この国譲りのあと、アマテラスは葦原中国に自分の孫神で長い名を持つ天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(あめにきしくににきしあまつひこひこほのににぎのみこと)を天降らせ、そこを統治させる。これを〈天孫降臨(てんそんこうりん)〉と呼ぶのはどうだろう。この時降臨した天孫ニニギの子が火遠理命(ほをりのみこと)、そのホヲリの孫に当たるのが初代天皇で、中つ段・架空天皇篇の最初に登場する天皇神武とするんだ」
 「なるほど、そういうふうにして皇祖神となるアマテラスから最初の天皇となる神武までの系譜が神話として語られることになるのですね?」由衣は目を輝かせた。
 「これにもうひとひねり加えたいんだ。皇祖神から初代天皇までの系譜は語りのタテ糸になっていて、王権の正統性を証明する上で非常に重要な構成要素なんだが、これだけでは十分でない気がする。権力には正統性のほかに、正当性という要素があって、その正当性は系譜的に由緒正しいというだけでは担保されないと思うからだ。


三章 六七五年冬 12

 正当性のあるなしは、権力を与えられた者がそれにふさわしい義務を果たし続けているかどうかにかかっている。義務を忘れれば、必ず手痛いしっぺ返しが待っている。それが権力史の哲理だ。恐らく天皇家もそれを忘れるという失政によって、王権を揺るがすような反乱をいくつも経験してきたことだろう。
 そうしながら天皇家が続き、王権が保たれてきたということは、その都度一族が自らに与えられた責務を思い出し、これを取り戻してきたからだと思う。そのことを伝えるエピソードをいくつかつくりたい。そしてその挿話をヨコ糸にし、系譜のタテ糸に織り込むようにして神話篇を完成させたいんだ」
 「面白そう、例えばどんなエピソードを考えていらっしゃるのですか?」
 「そこなんだよ。これに実際起きた事件を使うんだ。それもはるかな昔に起きた歴史的出来事ではなく、つい今しがた、つまり皇極期から天武期までに起きた大事件、政権を揺るがせた内乱を素材にして、それをいにしえの神話物語につくりかえてしまうというのはどうかと思っているんだ」
 「つくりかえる?」
 「素材にする事件や内乱をエッセンスだけ残して、時間も空間も主役もすっかりかえてしまう。特異で不思議な神話上の物語に仕立てたいんだ。そうしなければ王権に課せられた責務なんて絶対に扱えないからね」


三章 六七五年冬 13

 「でき上がった物語をお聞きになった時、天武天皇はそれに気付かれるかしら?」
 「気付くと思う」阿礼は天武の鋭い感性を思い浮かべながらいった。
 「陛下はそれでいいとおっしゃるかしら?」
 「つくり直しを命じられるかもしれない」
 「それも覚悟の上なんですね」由衣は夫の信念を誰よりも知る者として、そういった。
阿礼は王権の支持者ではあったが、同時に鋭い批判者でもあった。この日本は今統一国家形成の途上にある。すでに長い時間がかかっていて、地方ではそれによる混乱が際限なく続いている。しかしだからといってもはや元の連合政権時代に戻すことはできない。この混乱を治めるにはヤマト王権による国家統一を完成させるしかないのだ。ただし権力を持つ者はそれを支える者たちの、あるいはそれに動かされる人々の痛みを理解し、それを分かち合える存在でなければならない。中央政権は、地方やそこに暮らす民の安寧をいつも意識してほしい、阿礼はそういう強い願いを持って生きてきた一庶民であった。
 その想いは、阿礼が大和国稗田の農民であった時にすでに持っていたものだが、彼が漂泊の語り部として列島各地を旅し、その地を治める豪族やそのもとで暮らす民衆の喜びや悲しみ、楽しみや苦しみを織り込んで物語を創作するようになってからは一つの信念になっていたのである。同時にまた、その信念が簡単には通るものではないということも承知はしていたが。