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付録資料 状況の構築とシチュアシオニスト・インターナショナル潮流の組織・行動条件に関する報告2 

暫定的反対の基本方針

  文化における革命的行動は、生を翻訳したり説明したりすることを目的とするのではなく、それを拡大することを目的とせねばならないだろう。いたるところで 不幸を退散させねばならない。革命とは、重工業がどのような生産水準にあるか、だれがその主人かというようなことを問うことにあるのではない。人間の搾取とともに、それによって産み出された情動や代償行為、習慣も死に絶えねばならない。今日の可能性と関連して、新しい欲望を定義せねばならない。現在の社会 とその社会を破壊しようとしている勢力との闘いのさなかに、より高度な環境の構築と新しい行動様式の条件となる最初の要素をすでに見出ださねばならないのである。それも実験的なやり方で、プロパガンダとして行なうのである。残りのものはすべて過去に属するものであり、過去に仕えるものである。
  今や、日常生活を一変させるあらゆる手段を統一的に使用することをめざした、組織された集団的作業を企てなければならない。すなわち、われわれはまず、それらの手段が、より大きな自然支配、より大きな自由という展望のなかで、相互に依存し合っていることを認めなければならない。われわれは、新たな行動様式 の成果であると同時にその道具でもあるような新しい環境を構築せねばならない。そのために、最初は、現在存在している日常的手段と文化形態を試行錯誤的に利用しつつも、それらの本来の価値に異議を唱えなければならない。新しさの基準自体が、形式に関する発明の基準自体が、個々の芸術、すなわち不十分な断片的手段の伝統的枠組みのなかで、その意味を失ってしまった。そうした芸術は、部分的な更新すらあらかじめ無効となってしまっており、更新そのものが不可能 なのである。
  われわれは現代文化を拒否するのではなく、それを否定するためにそれを奪い取らねばならない。われわれが直面している文化革命を認めない革命的知識人などというものはありえない。創造的知識人は、どれほど独自の方法でであろうと、1つの党の政策をただ単に支持することで革命的にはなりえず、すべての党の横 で、文化的上部構造すべての必要な変革を実行することによって革命的となるのである。同様に、ブルジョワ知識人の質を最終的に決定するものは、彼らの社会 的出自でも、1つの文化に対する認識──それは確かに批評と創造の共通の出発点だが──でもなく、歴史的にブルジョワ的な諸形態の文化の生産において彼らが果たす役割である。政治について革命的な意見を持つ作家は、ブルジョワ的な文芸批評に称賛されたなら、どんな誤りを自分が犯したか探してみるべきだろ う。
 文化における革命的戦線のために数多くの実験的潮流の統一が、1956年、イタリアのアルバでの会議によって開始された。その前提となっているものは、われわれが3つの重要な要因を無視しなかったということである。
  まず第1に、この統一行動に参加する個人と集団の完全な同意が必要であり、それらの者がそのことによって生じるいくつかの結果を見ようとしないことを許してこの同意をやりやすくしてはならないということである。いいかげんな考えの者や、この方法によって無意識に成功することを欲している出世主義者は、そこから遠ざけておかねばならない。
  第2に、実際に実験的な態度はすべて有用であるとしても、この実験的という語の濫用はたいていの場合、現在の構造のなかでの芸術的行動、すなわちあらかじめ他人によって発見された芸術的行動を正当化しがちだ、ということを忘れてはならない。唯一の有効な実験的手段は、現存の諸条件に対する正確な批判と、その条件を意図的に乗り越えることに基づいている。他人によって作られた方法的枠組みのなかでの個人的な表現にすぎないものを、創造と呼ぶことはできない。 そのことをはっきりと断言せねばならない。創造とは事物や形式のアレンジではない。それは、そのアレンジについての新しい法則を発明することなのである。
  最後に、われわれのなかからセクト主義を清算せねばならない。それは限られた目的のために、同盟の可能性のある者との行動の統一に反するからだ。レトリス ト・インターナショナルは、いくつかの必要な組織浄化の後、1952年から1955年まで、常に一種の絶対的厳格さへと向かってきた。それは、同じように絶対的な孤立と無能へと道を開き、最終的にはある種の現状維持と、批評と発見の精神の退化を助長した。現実的行動のために、こうしたセクト主義的行動を決定的に乗り越えなけれぱならない。われわれが同志を糾合するか離反させるかは、ただこの基準に則してのみ行なわねばならない。当然のことながら、このことは、みんながわれわれに勧めるように、断絶を放棄せねばならないということを意味するのではない。われわれは逆に、習慣や個人との断絶を今以上に推し進めねばならないと考える。
 われわれはわれわれのプログラムを集団的に定義し、芸術的なものであろうとなかろうと、あらゆる手段を使って、規律あるやり方でそれを実現しなければならないのである。


シチュアシオニスト・インターナショナルに向けて

  われわれの中心理念は、状況の構築という理念である。すなわち、生の瞬間的環境を具体的に構築すること、そして、それらをより高次の情動的質を備えたもの に変形することである。そのためには、生の物理的な舞台装置(デコール)と、この舞台装置によって引き起こされるとともにそれを激しく揺さ振りもする行為という、常に相互に関連し合った2つの大きな構成要素から成る複雑な要因に対して、秩序立ったやり方で介入する方法を確立せねばならない。
  生の舞台装置に対するわれわれの行動の展望は、その最終的発展段階では、統一的都市計画という概念に行き着く。統一的都市計画とは、まず第1に、環境の完全な構築に与する手段としての芸術と技術の全体の活用と定義される。この芸術と技術の全体というものは、伝統的芸術に対して旧来の建築が持つ支配力とか、 生態学に見られるような専門的な技術や科学的探求を、無秩序な都市計画に偶然に適用することに比して、無限に広く捉えなければならない。統一的都市計画 は、例えば、種々様々な飲み物や食べ物の配達も、音の環境も、同じようにうまく掌握せねばならないだろう。それは建築と都市計画の新しい形態の創造と既知 の形態の転用──さらにまた、古い詩や古い映画の転用も──の両方を包含するものでなくてはならない。これまでしばしば語られてきた総合芸術なるものは、 都市計画のレヴェルでしか実現できなかった。だが、それはもはや、美学についてのいかなる伝統的定義にも対応しなくなるだろう。統一的都市計画は、その実験的都市のそれぞれにおいて、いくつかの数の力場を通して展開される。われわれは仮にそれを区域(カルチエ)という古典的な言葉で呼ぶことができる。それぞれの区域はその内部で正確な調和を奏で、隣接する諸区域の調和と断絶することもできるだろうし、また、内的調和が可能な限り破壊される方向に働きかける こともできるだろう。
  第2に、統一的静市計画はダイナミックなもの、すなわち、人々の行動スタイルとの緊密な関係のなかに置かれたものでなくてはならない。統一的都市計画の最小の構成単位は家ではなく、建築物の複合体である。この建築複合体は、ある1つの環境もしくは一連の不調和な環境を、構築された状況のレヴェルに合わせて条件づけるあらゆる要因の集合である。空間的発展は、実験都市によって決定されることになる情動的現実を考慮せねばならない。われわれの同志のある者は、 心理状態が地区に対応する理論を提唱した。それによると、都市の各々の地区は1つの単純な感情を引き起こすようになり、主体は事情をわきまえたうえでそれ にさらされることになるということである。この計画により、偶発的な初期感情を軽視する動きから様々な当を得た結論を導き出すことができ、この計画の実現によってこの動きを加速させることができるように思われる。新しい建築、自由な建築を求める同志たちは、この新しい建築というものが、まず何より、自由な、詩的な線と形態──今日、「叙情的抽象(アブストラクシオン・リリック)」絵画の唱える意味においての──に働きかけるのではなく、むしろ部屋や廊下、街路などの雰囲気、建築のなかに含まれた人々の身振りと結び付いた雰囲気が持つ効果に働きかけるものであることを理解せねばならない。建築は、感動的な形態よりもむしろ感動的な状況を素材として持つことによって進むべきである。そして、このような素材から出発した実験は、未知の形態へと導かれるだろ う。心理地理学的な探求、すなわち「意識的に整備された環境かそうでないかにかかわらず、地理的環境が諸個人の情動的な行動様式に対して直接働きかけてくる、その厳密な法則と正確な効果を研究する」探求は、それゆえ、今日の都市集合体を積極的に観察することと、シチュアシオニスト的な都市の構造についての 仮説を確立することという二重の意味を持つ。心理地理学の進歩は、その観察方法を統計学的に拡大することにかなり大きく依存しているが、主要には、都市計画への具体的介入という手段による実験によるところが大きい。この段階までは、心理地理学の初期データについての客観的真理を確信することはできない。だ が、たとえそのデータが誤ったものであったとしても、それは真の問題に対する誤った解答というにすぎないだろう。
  行動様式に対するわれわれの行動は、風俗習慣における革命の他の望ましい諸側面と結びついたものであるが、簡潔に言って、それは新しい本質を持った遊びの介入と定義されるだろう。その最も一般的な目的は、生の非凡な部分を拡大し、生の無価値な瞬間を可能な限り減少させることにある。したがって、それは、現在研究されている生物学的手法よりもはるかに真面目な、人間の生の量的増大の企てとして語ることもできよう。まさにその点において、その企ては、どれだけ発展するか予見できない質的増大をも含むのである。シチュアシオニスト的な遊びは、遊戯の競争的性格と日常生活からの分離を根底的に否定するというまさに その点において、遊びの古典的把握と区別される。それとは逆に、シチュアシオニスト的遊びは、自由と遊びが支配する未来世界を保証するものを支持する道徳的選択としてしか現れてこない。このことは明らかに、われわれの時代が到達した生産力の水準において、余暇が持続的かつ急速に増大するという確信と結びついている。また同時に、それは、余暇をめぐる闘争──その階級闘争における重要性はこれまで十分に分析されてきたとは言えない──がわれわれの眼前で展開 されているという事実の認識とも深く結びついている。今日、支配階級は、革命的プロレタリアートが彼らから奪い取った余暇を、支配階級自身のために使うことに成功し、巨大な余暇産業部門を発展させている。この余暇産業なるものは、大衆をたぷらかすブルジョワジーのイデオロギーと趣味の副産物によるプロレタ リアートの愚鈍化の比類なき道具と化している。おそらく、アメリカの労働者階級が政治化されない理由の1つは、テレビによる大衆の低次元化が大規模になされていることに求めねばならないだろう。プロレタリアートは、集団的圧力によって、自らの労働の価格をその労働の生産に必要な最低限価格よりもほんの少しだけ高くすることができるようになったために、その闘争能力を拡大しただけでなく、闘争の領域まで拡大したのである。その時、経済と政治に直接関わる争いに平行して、この闘争の様々な新しい形態が生まれた。革命的プロパガンダは、現在までのところ、先進的産業の発展がそうした闘争形態を必然的に産み出してきたすべての国で、闘争の形態としては常に抑えられてきたと言える。下部構造の必要な変化が上部構造レヴェルでの過失や弱点によって遅らせられることがあるということ、それこそは、20世紀のいくつかの経験が不幸にも示してきたことである。余暇の戦場に新たな勢力を投入しなければならない。われわれはそこでわれわれ自身の場を占めることだろう。
  新しい行動様式の初歩的試みが、われわれが漂流と名付けたものによって既に成し遂げられている。漂流とは、環境の素早い変化による情動の逸脱(デペイズマ ン)の実践であると同時に、心理地理学とシチュアシオニスト的心理学の研究方法でもある。だが、遊戯的創造に対するこうした意志の適用は、人間関係の既知 の形態すべてに拡大し、そして、例えば、友情や愛情のような感情の歴史的進化に影響を与えるものとせねばならない。どう考えようと、われわれの探求の本質 が賭られているのは、まさに状況の構築という仮説になのである。
  1人の人間の生は偶発的な状況の連続である。そして、それらの状況のどれ1つとして他のものと厳密に同じではないとしても、少なくともそれらの状況は、多 くの場合、あまりに互いに区別がつかず輝きのないものなので、完全に同じものであるという印象を与える。こうした事情の当然の帰結として、1人の生におけ る魅力ある既知の状況がその人の生を完全に固定し制限することになる。われわれは状況の構築、すなわち、集団的環境の構築、ある瞬間の質を決定する印象の 全体の構築を試みねばならない。ある定められた時間に諸個人からなるグループの統合という単純な例を挙げるなら、われわれが持っている知識と物質的手段とを考慮しつつ、どのような場の組織化、どのような参加者の選択、どのような事件の挑発が望ましい環境に適したものかを研究すべきだろう。確かに、1つの状況の力は、統一的都市計画の実現やシチュアシオニスト世代の教育によって、時間的にも空間的にもかなり拡大されるだろう。だが、状況の構築は、スペクタクル概念の現代的破綻のかなたに開始される。非-介入というスペクタクルの原理そのものが、古い世界の疎外といかに深く結び付いているかは容易に見てとれる。それとは逆に、文化における革命的探求のなかで最も価値あるものが、スペクタクルの観客のヒーローへの心理的同一化を破壊し、自分の生を一変させる能力を引き出すことによって、その観客を積極的な行動に引きずり込むようにどれほど努めてきたかもよく知られている。状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの「公衆」の役割は、常に減少することになる一方で、もはや役者ではなく、言葉の新しい意味において「生きる者」と呼ばれる者の関与するところが増大する。
  言わば詩的な客体と主体とを拡大せねばならない。これらのものは現在は、不幸にもあまりにわずかなため、ほんの少しでも見つかればその感情的重要性が誇張 される。こうした詩的客体のなかで詩的主体の遊びを組織せねばならない。それこそが、本質的に過渡的な、われわれのプログラムのすべてである。われわれの状況は未来なき場、移行の場となるだろう。芸術であろうと他の何であろうとその不変的性格なるものは、われわれの真剣な考察の対象ではない。永遠の観念 は、人間が自らの行為について持ち得る観念のなかでも最もおぞましいものなのである。
  シチュアシオニスト的技術は、まだこれから発明されねばならない。だが、われわれは、どのような任務であれ、それが出現するのは、その実現に必要な物質的条件がすでに存在するか、少なくとも形成途上にあるところだけである、ということを知っている。われわれは小規模な実験段階から始めねばならない。おそらく、そのためのシナリオとして、状況のプラン──当面はその不十分性は避けられないが──を準備せねばならない。したがって、記号表現のシステムを普及さ せねばならないだろう。その正確さは、われわれが構築の実験を重ね、いっそうよくそれを理解するにつれて増してゆく。シチュアシオニスト的感動を、行為の極端な集中あるいは極端な拡散(前者のケースの近似的イメージを与えるものは古典悲劇であり、後者のそれは漂流である)に応じて決定する法則のような様々な法則を発見し、検証せねばならないだろう。状況の構築は、明確な目的に用いられる直接的手段に加え、その肯定的段階において再生産技術の新しい適用をコントロールすることになるだろう。例えば、ある状況のいくつかの側面を別の状況のなかに直接映し出すことによって変化と干渉を引き起こすテレビを構想する こともできる。だが、より単純なやり方としては、ニュース映画と呼ばれる映画が、ニュース〔=新しいもの〕という名に値しはじめることもできるだろう。そ のような映画は、状況を構成する要素がまだ異なる状況を引き起こすようになる以前に、その最も意義深い瞬間をシチュアシオニストの記録文書のために定着することに専心する新しいドキュメンタリーの流派を形成するのである。状況の体系的構築によって以前には存在していなかった感情が産み出されるはずである。 そうでそうである以上、映画はその新しい情動の普及において最大限の教育的役目を見出すだろう。
  シチュアシオニストの理論は、生の非連続性という考えを断固として支持する。統一性という概念は、全人生──そこにおいては、生は不死の魂への信仰と、結局のところ、労働の分割〔=分業〕に基づいた反動的欺購である──というパースペクティヴから、生のばらばらな諸瞬間というパースペクティヴ、シチュアシオニスト的手段の統一的利用によって各々の瞬間を構築するというパースペクティヴヘと置き換えられねばならない。階級なき社会では、もはや画家は存在しな いだろう。存在するのは、何よりも絵画を作るシチュアシオニストだけである。
  欲望とそれに敵対する現実との絶えざる衝突の後で、生の主要な感情的ドラマはまさに時間の流れの感覚だけであるように思える。シチュアシオニスト的態度と は、感動の固定化をめざしてきた美学的手法とは逆に、時が過ぎ行くことに賭けることにある。感動と時間とが過ぎ去ることに対するシチュアシオニストの挑戦は、遊びと感動的な時期を増大させることにおいて常により遠くまで行くことによって、変化に対して常に勝ちをおさめる賭けだろう。今この瞬間のわれわれにとって、そのような賭をすることは明らかに容易なことではない。しかしながら、1000度それに敗けることになろうとも、われわれには他の前進方法を選ぶことはできない。
  少数派シチュアシオニストは、まずレトリスト左派のなかで、次にこの左派が最終的に支配したレトリスト・インターナショナルのなかで、潮流として構成され てきた。これと同じ客観的運動によって、最近の多くの前衛的グループが同じ次元の結論に達した。われわれは全員で、近い過去の遺物をすべて除去せねばならない。今日われわれは、文化における革命的前衛の統一された行動のための同意は、そうしたプログラムの上になされるべきだと考えている。われわれには決まったやり方も、決定的な成果もない。われわれはただ、われわれが現在決定しているいくつかの方向と、まだこれから決定せねばならない他の方向において、 集団的に実行すべき実験的探求を提起しているだけである。シチュアシオニストの最初の成果に到達する困難そのものが、われわれが入っていこうとしている領 域の新しさを証明している。われわれの街路の見方を変えるものは、われわれの絵画の見方を変えるものよりも重要である。われわれの作業仮説は、どこから訪れるか分からぬ未来の激動の度ごとに再検討されるであろう。
  趣味の問題について一種の無能力に甘んじている革命的知識人・芸術家の側から主として、この「シチュアシオニスム」というものはまったく不快であるという言葉が聞こえてくる。彼らは、われわれは美しいものは何も作らなかったとか、ジッドについて話したほうがましだとか、われわれに興味を持つ理由は誰にも はっきり解らないとか言っているようだ。これまで既に十分すぎるほどのスキャンダルを引き起こしてきた数々の態度──それはただ目立ちたいがためのものにすぎない──をただ繰り返しているだけだと言ってわれわれを非難し、言葉を濁している。距離を保ちあるいは再び取るために、いくつかの折りにわれわれが採用せねばならないと思った手法に対して、彼らは憤慨しているようでもある。われわれの答えはこうだ。これが君たちの興味を引くかどうかはどうでもいい。文化の創造の新しい諸条件のなかで君たち自身が興味を引く存在になることができるかどうかが問題なのだ。
  革命的知識人と芸術家よ、君たちの役目は、われわれが自由の敵と歩みを同じくするのを拒む時に、自由が侮辱されたと喚きたてることではない。君たちは、既成のものは自分たちを困惑させないという理由ですべてを既成のものに連れ戻そうとしてきたブルジョワ耽美主義者を模倣すべきではない。いかなる創造も決して純粋ではないことを君たちは知っている。君たちの役目は、国際的な前衛が作るものを探しだし、そのプログラムを構成する批判に参加して、それを支持することを呼びかけることなのだ。


われわれの当面の任務

  われわれは、労働者の党あるいはそこに存在する急進的潮流に対して次のような必要性を主張しなければならない。すなわち、先進資本主義のプロパガンダ方法 の影響力と情動レヴェルで闘うため、首尾一貫したイデオロギー的行動を検討すること、資本主義的生活様式の反映に反対して、具体的に、あらゆる機会に、望ましい別の生活様式を対置すること、ハイパー・ポリティックなあらゆる手段によって、幸福のブルジョワ的観念を破壊すること、である。同時に、社会の支配階級のなかには、退屈から、あるいはまた新しさへの欲求から、最終的にはこの社会の消滅を引き起こすことになるものを求めて常に競い合ってきた要素が存在 することを考慮して、われわれは、われわれに欠けている莫大な資源のいくつかを持っている人々に、科学的でありかつ収益性のある研究に投入できる融資と同様の融資によって、われわれの実験を実現する手段を与えてくれるよう促さねばならない。
  われわれは、いたるところで、支配的文化に対する革命的代案を提出せねばならない。今この瞬間に全体的展望なしに行われているあらゆる探求を調整しなければならない。批判とプロパガンダによって、すべての国の最先端の芸術家と知識人が、共通の行動のためにわれわれと接触するよう導かねばならない。
 われわれは、われわれの行動の前段階に関与し、まだわれわれに合流することのできる者たちすべてと、このプログラムをもとにいつでも議論を再開できることを表明しなければならない。
 われわれは、統一的都市計画、実験的行動様式、ハイパー・ポリティックなプロパガンダ、環境の構築という合い言葉を前面に押し出さねばならない。情動の解釈はもう十分になされてきた。今なすべきことは、別の情動を発見することである。


解説 いま現在の運動へつらなるラディカリズム 小倉利丸

 シチュアシオニストは様々に語られてきた。少なくとも、欧米諸国ではそういえる。欧米の思想や運動をいち早く紹介することに長けているこの国に於いて、シチュアシオニストへの注目の少なさは、特筆すべき興味深い問題である。*1戦前戦後を通じて、この国のマルクス主義の「発達」は、国際的にもよく知られていた。アカデミズムも含めて、左翼の影響力は非常に大きなものがあった。にもかかわらず、シチュアシオニストがほとんど注目を集めなかったのには大きく3つの理由があるように思われる。1つは、シチュアシオニストの出自に関わる。ギー・ドゥボール、ラオール・ヴァネイジェム、アスガー・ヨルン、アティラ・コタンニなどの主要なメンバーのいずれもが政治活動家であったり、マルクス主義の知識人であったりしたわけではなかった。彼らは、後に述べるように戦前のダダ、シュールレアリスムの運動、戦時中のレジスタンスなどに関わってきたり、影響を受けてきたアーティストだった。従って、いわゆる政治運動やマルクス主義の文脈からは彼らの運動や存在は見えなかったに違いないということが言える。第2に、かれらの出自であるアヴァンギャルドの芸術運動のなかで、彼らが占めた位置がこれまた日本における理解の周縁部分に位置するものだったということができる。アヴァンギャルド運動の日本での捉え方によれば、戦前のダダ、シュールレアレスムの運動を戦後に媒介する最も重要な人物がアンドレ・ブルトンであったということになる。このこと自体は決して誤りとはいえないが、しかし、アヴァンギャルド運動の多様性がブルトンの名声の影にくかくされてしまった感がなくもない。シチュアシオニストたちは、特に戦後のブルトンの運動には批判的であり、ブルトンとは別の道をたどった。戦時中亡命していたブルトンと、ナチス支配地域でレジスタンスに参加していたシュールレアリストたちの間で、政治への認識の隔たりがあり、それは戦後のアヴァンギャルト芸術運動の政治との関わりに関して大きな食い違いを生ずる原因ともなった。SIの前身のひとつであるCOBRAの運動は、神秘主義に傾斜したブルトンのシュールレアリスムへの反発として結成されたものであった。こうした事情が彼らの紹介を遅らせたことになる。そして、最後に、彼らの問題意識がいわゆる「芸術」の枠を超えてた社会変革への欲求に支えられていたことがあげられる。そのことが芸術プロパーからのアプローチを試みる人々にとっては、むしろ逸脱とみなされ、芸術や文化の運動というよりはむしろ政治運動とみなされた。しかし、政治運動の側から見れば、シチュアシオニストが社会変革の中心的な「場」として設定したのが、都市空間と日常生活であったことは、労働者階級と工場に拠点を築こうとしてきた伝統的な左翼やマルクス主義の問題意識と大きくずれることになった。 60年代は、都市空間の中で、文化と政治を横断し、労働と生活を横断し、更に、プロテスタンティズムも労働倫理も異化する大衆の自立的な欲望の噴出した時代であった。シチュアシオニストは、この時代の意識をもっともよく体現した運動になり得たのは、彼らが変革の拠点を日常生活と消費にかかわる商品経済とメディアに据えたからに他ならない。68年の5月革命はそのことを端的に表明する運動であった。
 シチュアシオニストの位置は、1968年のパリ5月革命をきっかけに大きく変化した。それは、5月革命だけに原因があったということではなく、60年代末くらいから資本主義のありようと反体制運動の流れがはっきりと1つの転換期を迎えたということに関係している。つまり、工場労働者を中心とする階級構成が拡散し、労働組合を中心とする運動の形態が徐々に後退し、既成の左翼政党の指導に従わない、自立した小集団が簇生し、働く権利よりも働かなくても生活できる権利を、労働の尊厳よりも労働から解放された多様な文化と生活の様式への権利を主張し始めた。こうした傾向が必然的に工場よりも都市空間そのものを反体制運動やカウンター・カルチャーの運動の主要なアリーナとすることになったのは当然のことといえた。
 ギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』に見られるように、シチュアシオニストの視野に工場労働者も入っていた。しかし、工場労働者が明確に運動の主体として理解されるのは、マルクス主義の影響がはっきりする後のことだ。むしろ本分冊に収録されている初期の文章には労働者階級といった「労働」を参照点とした人々の分類はそれほど明確には現れなていない。このことは、シチュアシオニストの議論に少なからぬ矛盾を持ち込むことになったと思う。というのは、ドゥボールの『スペクタクルの社会』がルカーチやマルクスに影響されたことをあまりに強調することはかえってこの本やドゥボールのおもしろさを半減させてしまうかもしれないからだ。『スペクタクルの社会』は、ドゥボールがレトリスト、コブラ、イマジニスト・バウハウスといったシチュアシオニストに先行するいくつかのアヴァンギャルドの運動のなかから継承してきた観点とマルクス主義やアナルコ・サンディカリズムから受け継いだ観点が共存はしているものの両者の有機的な結びつきを実現するには至っていないからだ。とはいえ、ドゥボールのこの本の意義は、従来のマルクス主義者──多分、アンリ・ルフェーブルを例外として──が試みなかった消費社会としての資本主義批判を、アヴァンギャルド芸術運動のなかで蓄積された資本主義批判の方法と観点を継承して展開したところにある。マルクス主義やその運動史の記述は、必ずしもオーソドクスとは言えないとしても、全く斬新なものというわけでもない。この本をこうしたマルクス主義の文脈の部分で代表させるとすれば、評議会社会主義派のマルクス主義という以外に新しいものは見いだせないかもしれない。ところが、すでに今世紀はじめのロシア革命、ドイツ革命やイタリアの評議会運動のなかで繰り返し提起されてきた工場評議会の思想は、当時からひとつの大きな問題をかかえていた。それは、革命の拠点を工場におくことによって、生産的労働者の生産組織と政治的意志決定の組織を有機的に結びつけることを構想するものであった反面、工場の外で主として遂行される〈労働力〉再生産過程を労働者が自立して担い、そこに関わる政治的意志決定のための組織を、工場と同様のレベルで理解することができなかったということである。失業者や子ども、高齢者、病者、そして多くの場合、女性もこうした評議会運動の中心ではなく周辺に追いやられざるを得なかった。こうした帰結は、工場を中心とする労働運動と生産的労働に高い評価を置くマルクス主義の伝統と無関係ではなかった。この意味でも、ルフェーブルが都市という空間に注目した意義は大きいのである。そして、このルフェーブルの観点をふまえて消費社会を全面に押し立てられたのは、最初から工場労働者といった集団性からは除外されていたアーティストという立場にいたドゥボールたちの位置のもつ意義が大きかった。
 商品の生産ではなく、消費様式に着目して、スペクタクル化された社会が生み出す受動的な大衆像がマルクス主義につけ加えられたことによって-──たとえ、そのつなぎ目が必ずしも完璧ではないとしても-──、マルクス主義そのものが変わりうる可能性を示したこと、その意味で、『スペクタクルの社会』は、私には刺激的なのだった。しかもシチュアシオニストは、SIの解体にもかかわらず、イタリアのアウトノミア運動とともに、70年代以降のラディカルな思想と運動のアンダーグラウンドを支える非常にユニークな位置を占め続けた。

 資本主義が市場経済の「無政府性」と工場内分業における資本家の権威主義的な管理に二分されているというのは、必ずしも正しくない。経済学が長年なじんできたこの二分法は、資本主義が地理的な空間の上に配置された機構であるということをすっかり忘れている。都市計画が近代社会においてどのような意味と位置を占めているのかがこうした空間的な概念の欠如したオーソドクスな経済学──もちろんマルクス主義のそれも含めてだが──には理解できない。シチュアシオニストは、都市批判の方法と実践に関して、いくつかの重要な概念を提起した。「統一的都市計画」「心理地理学」「漂流」そしてスペクタクル批判という観点そのものがこの都市の風景とそこに込められた商品化の意識下での強制への鋭い批判だった。「1950年代末の統一的都市計画」(本書所収)に、シチュアシオニストの都市論の観点が表明されている。「統一的都市計画」は、日本語のニュアンスからすると非常に堅苦しい、計画化の発想をよりいっそう押し進めるような印象──たとえば、資本主義の無政府性を超克する社会主義的な計画経済といった印象──を与える。しかし、そうではない。統一的都市計画は、「都市計画批判」であり、学説ではないばかりでなく、「機能主義の乗り越え」「情熱的な機能的環境に到達すること」をめざす「未来都市の社会空間のための実験場を目指している」というのである。
 資本主義の都市は機能主義を追求している一方で、資本主義なりの非機能主義的な側面を常に都市の中に残す。たとえば、教会建築がそれだ。教会は、資本主義的な機能主義にとって無用のものなのではなく、教会は資本主義を、あるいはスペクタクルの受動的な参加を支える「心理的-機能的現実」を体現しているのである。資本主義が必ずしも経済的合理性や近代合理主義の枠組みにがんじがらめに縛られた制度だとはみていないこうしたシチュアシオニストの観点は、彼らの戦略的な対抗領域についての目の付け所のラディカルさと結びついている。つまり、合理主義では処理できない人々の心理的、情動的な諸要素を資本主義はそれなりの方法で──たとえば、教会、映画、ショッピング街、そして現在ならば、テレビやビデオ、そして日本ならば教会の代わりに皇室がその役割を担っているといえよう──処理しているのである。こうした資本主義の「状況」に対して、次のように、積極的、主体的な状況の構築を可能とする実践が第一の課題とされたのだ。「統一的都市計画[UU]は、住宅問題と同様、美的問題とも区別される。統一的都市計画は、われわれの文化の原理である受動的スペクタクルに対抗するものである。われわれの文化においては、人間の介入手段が増した分途方もないまでにスペクタクルの組織化が拡大している。今日、ガラス張りの観光バスで遊覧する旅行者にとっては、都市そのものが嘆かわしいスペクタクル、美術館の補足物と化している。これに対してUUは、都市環境を参加による遊びの場とみなすのである」「都市環境を参加による遊びの場」とすることを主張するシチュアシオニストの観点は、単に都市における居住環境の改善といった発想とは根本的に異なったものを持っている。多くの良心的な都市計画家が意図せざる結果として加担する事になる快適な居住環境=資本にとっての最適な〈労働力〉の再生産という結びつきが少なくとも「遊び」というキーワードによって切断されている。
 しかし、都市の遊技施設や文字どおりのスペクタクルの装置の蔓延を前にして、「遊び」という概念がはたしてどれだけの有効性を持つものなのなのかという疑問が当然生ずるだろう。シチュアシオニストたちは、資本主義の消費都市の機能としての遊びを無視していたのだろうか。彼らは、都市をもっぱら「工業都市」「生産都市」としてとらえていたのだろうか。いや、そうではない。上の引用でもわかるとおり、「ガラス張りの観光バスで遊覧する旅行者にとっては、都市そのものが嘆かわしいスペクタクル」であることを指摘している。都市がスペクタクルの機能を持つのは、それが消費と結びつく場合である。観光は、観光産業によって組織され、ショッピングと結びつけられる。盛り場で遊ぶということは、金を使うということと同義である。シチュアシオニストのいう「遊び」はこれとは正反対の性格を持つものだ。
 「漂流」はシチュアシオニストの重要な状況の構築のための実践を意味している。受動的なスペクタクルに対して、積極的に環境に関与し、環境を変える実践であり、同時に、資本主義のスペクタクルが生み出した労働や遊戯のカテゴリーを異化し、「遊戯的=創造的行動を肯定すること」であった。*2シチュアシオニストたちは、都市の持つ欲望喚起の環境の危険性をよく知っており、「漂流」の実践にいくつかのガイドラインすら設けた。「同一の認識に達した2、3人の少グループが数多く存在する」こととか、「2つの睡眠時間に挟まれた時間という意味での1日」とか、といった注意を与えている。漂流は、「たむろする」という日本語が持つある種のいかがわしさとより目的意識的な都市空間の利用を、戦略的、集団的に組み込んだものといえるかもしれない。
 「一貫性に乏しい生活様式、(略)いかがわしいと見なされながらも、われわれの周りで常に人気を博してきたある種の悪ふざけ──たとえば、夜中に取り壊し中の建物に入り込んだり、交通ストの時に、でたらめな方向に車を走らせて混乱を悪化させる目的で、パリの街をひっきりなしにヒッチハイクして回ったり、侵入を禁じられているパリの地下納骨場[カタコンブ]の地下道をさまよい歩いたりすること──までもが、まさに漂流の感覚以外の何者でもない、より一般的な感覚に属する行為となりうる」
 こうなると、漂流は、ストリートのサブカルチャーと非常に近しいものとなる。パンクスや黒人の若者文化のライフスタイルに同様の傾向を見て取ることは難しくない。
 都市はパラマーケットの空間的な構築物である。市場経済なるものが流通させる商品の本体や貨幣を取りまく商品に関する情報は都市の街路や都市を行き交う人々のコミュニケイション、マスメディアという情報神経系によって初めて人々の欲望のシナプスを刺激することになる。都市はこの意味で資本主義が仕組んだ欲望の生産工場でもあるのだ。消費は、それ自体としては何も刺激的なことではない。むしろ、商品を取得するために自らの欲望を高め、貨幣を手放す瞬間を迎えるまでのプロセスが重要なのだ。まるで、セックスで絶頂期を迎えたり、射精の瞬間を迎えるために、そのプロセスを楽しむように。欲望の「絶頂期」とは、消費者が貨幣を支出する瞬間である。そして、貨幣を支出し終わった消費者は、都市の街路から姿を消してゆく。都市は、まさにこうした消費のトランス状態を提供する空間である。「漂流」は、この都市に仕組まれたコードから逸脱し、マニュアル化された欲望の高まりと貨幣と商品に集約される行為に背を向ける実践だといえる。それは、消費を制度化するパラマーケットに、対抗的な情報の回路を組み込み、あるいは自らの身体を駆使して、パラマーケットの回路図を作り替える実験でもあるのだ。
 こうしたシチュアシオニストの実践は、心理地理学とともに、ダダイズム、シュールレアリスムやレトリストの試みを受け継ぐものだろう。しかし、フロイトの無意識に依拠したシュールレアリスムによる自動筆記や都市の遊歩に着想の一端を得ていたとしても、最終的にシチュアシオニストが試みようとしたのが、個人の自己変革ではなく、社会そのものの変革にあったということ、つまり、状況の構築にあったということ、この強固な社会性が芸術や文化の領域に意図的に、しかも挑戦的に持ち込まれたために、シチュアシオニストの運動は、個人主義的なアーティストとの対立を常にはらみ、また、前衛芸術も含む「芸術」のカテゴリーとは最初からずれた位相を抱え込みつつ、しかしなおかつ文化・芸術運動であり続けようともしたということ、このことがシチュアシオニストの興味深い点でもあり、戦後の前衛芸術運動の中ですら余り積極的に評価されないできた理由でもあったといえよう。そして、50年代から60年代にかけてのビート族とか実存主義のカウンターカルチャーに対して、そうした都市のボヘミアン的なライスタイルをも脱構築しようとする発想を持っている。多分、こうした「漂流」はドゥルーズ=ガタリが「ノマド」に与えたラディカリズム*3やホームレスやスクウォッターによる意図的な街路の住居化とも通底するものだといえよう。
 スペクタクルとしての都市への批判が、実践的なレベルにまで高められたのが68年のパリ5月革命だとよく言われる。確かにパリの5月の運動にシチュアシオニストが果たした役割は大きかったようだ。*4だがすでに彼らは60年代のはじめに、今後の10年を見通すような分析を提示している。機関誌の7号に掲載された「不運な時代の終わり」ではスペクタクルの拡大とともに、それに抵抗する運動も拡がり、労働現場では労働の秩序そのものに対抗し、労働者を資本主義に統合する装置と成り下がった労働組合を敵に回す大衆的な労働者が出現しつつあることを、具体的ないくつかの自立した労働者たちの闘争のなかに見て取っている。しかも、労働者達の闘争を単に労働現場における労働者の闘争ではなく、工場の壁を超えた拡がりを含意した社会的な闘争と捉えていた。たとえば、1961年1月にリエージュのストライキの労働者たちによる新聞『ラ・ミューゼ』の印刷機の破壊は、政府や社会主義政党、労働組合の官僚が独占するメディアが山猫ストの労働者達の闘争を歪曲する情報操作が労働者の運動にとって深刻な問題になっていることを背景としたものだった。2月のナポリでの路面電車のストライキに端を発した労働者達の叛乱は、「通勤時間に対する直接的な叛乱」であると捉えられている。シチュアシオニストは、都市やメディアといった従来のマルクス主義が闘争のアリーナの主題としえなかった課題をむしろ全面に据えた。そして、共産主義の構想を単なる生産様式の革命ではなく「実現されたアートの社会」「生活の諸事象の自由な構築」であるとみたのである。これは、ちょうど同じ時期に、徐々に姿を整えつつあったイタリアの非共産党系のマルクス主義者達アントニオ・ネグリやセルジオ・ボローニャ、そして共産党内にいたマリオ・トロンティなどが、党と労働組合から自立した労働者の闘争に注目し、後にアウトノミアと呼ばれるような運動へとつながってゆく思想の流れを創り出した時期と重なる。イタリアでもこの時期、労働の拒否、社会的工場といった概念へと結びついてゆくいくつかの新しい概念が提出つれ、生産的労働者主義を批判するようになっていったのである。
 「消費」というカテゴリーが資本主義の転覆と結びつくラディカルな領域を形成するということは、生産点に重点を置く既成の左翼にとってはにわかに肯定しがたい事実であったに違いない。都市の叛乱は常に工場の内部や党、組合の官僚組織によって制度化され、「生活」の革命は、「生産」の革命にとって換えられようとしてきた。この意味で、不定形な都市の路上での叛乱、暴動は、こうした組織された左翼の運動に利用できる限りで評価されたにすぎない。
 多分、シチュアシオニストが示したワッツ暴動に対する評価ほどこうした既成の左翼との立場の違いを鮮明にしたものはないかもしれない。機関誌の10号に掲載された「スペクタクル商品経済の衰退と没落」のなかで、ワッツ暴動を「労働者-消費者がヒエラルキー的に商品価値に従属させられる商品世界に反対する商品に対する叛乱である」と述べている。公民権運動の枠を超えて、都市の叛乱に向かったアメリカ合衆国の黒人の闘争の中に、シチュアシオニストは「合衆国の黒人の問題」を見いだしたばかりでなく、彼らがスペクタクルの商品経済の中に置かれた位置を通してはっきりしてきた「アメリカの問題」、つまり「階級的な叛乱」を見出そうとした。
 「アメリカの黒人は近代産業の産物である。ちょうどエレクトロニクス、広告、あるいはサイクロトロンのように。そして彼らはその矛盾を体現しているのである。彼らは、スペクタクル的なパラダイスが統合しなければならないと同時に排除しなければならない人々でもあるが、その結果として、スペクタクルと人間的な行動の敵対が全体的に彼らを通じて明らかにされるのである。スペクタクルは、商品と同じように普遍的である。しかし商品の世界が階級対立に基づいているので、商品そのものもヒエラルキー的なのである。商品の必要は──そして従ってその役割が商品世界を周知させるスペクタクルの必要は──同時に、至る所でヒエラルキー的に、普遍的なヒエラルキー化をたらすのである」従って、「これは、人種暴動ではない」のであって、攻撃された白人は、商品のための積極的なしもべである警官たちであり、黒人の連帯は、黒人の商店主やドライバーまで拡がらなかったと指摘している。そして、商店の略奪行為は、ある種の「ポトラッチ的破壊」であり、自然で人間的な豊かな社会ではなく、商品の豊かな社会へのごく「自然な反応」だという観点から支持を表明した。多分、こうした黒人暴動に対して、既成の左翼は「貧困」の問題として理解しようとするだろう。それに対して、シチュアシオニストはむしろ「貧困」という「欠如」の概念ではなく、「商品の拒否」「スペクタクルの拒否」という積極的な意味を与えた。合衆国の白人達がこのスペクタクル商品経済に参与し、その奴隷となっているのに対して、黒人達は最初からこのスペクタクル商品へのアクセスを拒否された存在であった。そのことをむしろ積極的に評価し、そこに生み出されるオルタナティブな生活様式の可能性を最大限に評価しようとしたのだ。ここには、「貧困」と呼ばれるネガティブなライフスタイル──たとえそれが強制されたものであれ──を商品経済の豊かさで解決するのではない、別の道への可能性を見ようとする意志が働いている。

 この観点が重要なのは、このワッツの叛乱から四半世紀以上たって再び引き起こされた同じロサンゼルスにおける黒人の暴動の分析にもそのまま通用するからである。マイノリティの黒人がマイノリテイのコリアンと敵対したということが暴動の本質なのではない。この暴動の背後にスペクタクル商品経済の構造を見出すこと、あるいは「消費という麻薬」を見出すことが必要であり、シチュアシオニストのこの観点はそのための重要な問題提起となっている。そしてさらに重要なのは、スペクタクル商品経済のヒエラルキーの最底辺に位置するすべての人々を、人種や性別を超えて連帯しうる観点を提供したことだろう。都市の暴動が必ず商店の略奪、車への放火といったきまりきったパターンをたどるのは、何もそこに商店があり、車があるからではない。いや、都市という空間が商店や車によって支配されていること、人々の生活の空間が、商品と〈労働力〉や消費者の移動の機械によって占領されているということ、普段は意識すらされないこのごく当たり前の風景を都市の暴動は自覚化させるのである。そしてここにも、アウトノミア運動のなかでの集団万引き(インフレによる実質賃金の低下に対して、生活手段価格を「ゼロ」にすることで対抗しようとしたもの)の発想との共通性を見出すことができる。そして、また、生活の基本的な基盤である住宅の商品化に対して、スクウォッターの運動が世界中の大都市で現在まで大量に引き起こされていることのなかにもこのシチュアシオニストのスペクタクル商品経済批判の観点から見いだせる意義は非常に大きいといえる。
 こうした労働者たちは、既成の政治的な文脈からすれば、明らかに脱政治化され、あるいは犯罪的な集団であった。シチュアシオニストは、こうした労働者の「犯罪化」を18世紀末から19世紀はじめに出現したラダイトたちが当時被った批判に近しいものがあるとみている。ただし、かれらが「人々から仕事を奪う生産機械を破壊することを目的としていた」とすれば、現代の運動は「我々から確実に我々の生活を奪う消費の機械に対する破壊の最初の波」であると捉えられている。
 シチュアシオニストの思想的な起源として繰り返し指摘されるのは、ダダ、シュールレアリスムの流れをくむアヴァンギャルド芸術運動、ルフェーブルによる日常生活批判としての資本主義批判、そして「社会主義か野蛮か」のグループによるスターリン主義的な官僚主義的社会主義批判と評議会社会主義の思想であろう。これらの異なる出自がシチュアシオニストの運動の中で最初から矛盾なく共存したわけではないし、ルフェーブルや「社会主義が野蛮か」のグループとの関係も決して友好的なものではなかったようだ。遊戯や漂流といったリバタリアン的なイメージの強い概念を掲げながらもシチュアシオニストは必ずしもこの運動に参加する人々を自由なままにしていたわけではなく、商品経済に荷担したと思われる者や、個人主義的でアートの実践を優先させ、状況の構築という課題に必ずしも積極的でなかったとみなされるアーティストたちを次々に除名していった。この過程でドゥボールがふるった指導力──あるいはもしかたらそれは文字どおり「権力」といっていいのかもしれない──は非常に大きなものであったように思われる。
 私が興味深く思うのは、こうしたどの運動、組織にもある除名や内部抗争、そしてそれが敵対的な感情を喚起するという決定的な段階に到るという政治的な内ゲバ状態が、シチュアシオニストたちの運動の中には比較的希薄であるように見える点である。私が接する情報が一面的なせいもあるのだろうが、批判され除名された人々は、そのことによってシチュアシオニストであることをやめようとはしなかったばかりでなく、本家争いをするわけでもなく、自分なりのシチュアシオニストの道を選択しているのがおもしろいのだ。そして、ドゥボールらによるシチュアシオニストの運動が最も盛んであったと思われるフランスでは、SIの解散にともなって、運動としては70年代の前半で終止符を打ったにもかかわらず、それ以外の除名者を出した諸国では、多様な「状況の構築」を試みる自律的な運動が継続する。最も有名なのが、イギリスのパンク・ムーブメントだろう。すでにセックス・ピストルズの仕掛人であったマルコム・マクラレンとシチュアシオニストとの関わりについては幾つかの言及があるので、ここでは詳しいことはのべない*5が、イギリスのシチュアシオニストの運動を理解するためには、60年代の前半からすでに形成されているキングモブなどの除名者たちによる独自のシチュアシオニストの運動の流れがあったこと、その結果、SIの解体の影響を受けることなく、イギリスでは独自の運動としてその後も影響力を行使しえたということをふまえておく必要があろう。イギリスの70年代アヴァンギャルド文化運動は、独自のシチュアシオニストの影響だけでなく、ダダ、未来派、フルクサスからの影響も深く受けていた。パンクムーブメントの中心をなすアーティストたちがおしなべてアートスクールの出身であることの意味は、実はこうした背景と結びついたものだったのだ。*6
 アメリカ合衆国では、シチュアシオニストの運動がある種のオカルティズムと結びついているということが当時から批判されていた。これは、アメリカ合衆国のカウンターカルチャー全体がもつ「伝統」のようなものと関係があるかもしれない。ビート・ジェネレーションからヒッピー・ムーブメントといった流れの中に常に見えかくれするアメリカニズムの極端な合理主義への反発、都市と自然の極端な対立の構図のなかで揺れる社会観、プロテスタンティズムに対するマイノリティの民族が持ち込む多様なキリスト教、イスラム教、仏教などの諸宗派。オカルティズムや黒魔術といった非合理主義への隠れた欲望は、個人主義的なアナキズム(それは、日本におけるアジア主義のように、極右と極左に共通する反エスタブリッシュメントの土壌である)とともに合衆国のカウンターカルチャーの不可欠なエネルギー源なのだ。合衆国のシチュアシオニストの系譜は、こうしたカウンターカルチャーの環境のなかで理解すべきである。*7
 イギリスも合衆国も、シチュアシオニストの運動は、確実に現在でも一定の影響力を持ちつづけている。イギリスでは90年前後のネオイストやアートストライキの運動で主要な発言者でありつづけたスチュアート・ホームや、『スペクタキュラー・タイムズ』をだし続けてきたラリー・ロウらは明らかにシチュアシオニストの立場をとっている。合衆国では、SIの機関誌のアンソロジーなどを英訳したケン・クナッブのビューロー・オブ・パブリック・シークレットが湾岸戦争に反対する声明を発表したし、労働の拒否、投票の拒否、あるいはアナキストであり、エゴイストを主張するボブ・ブラックはまた、シュアシオニストの積極的な支持者でもある。*8また、アウトノミア運動の紹介でも積極的な役割を果たしているニューヨークの出版社、オートノメディアが積極的にシチュアシオニストの運動を紹介し続けているし、たいていのカウンターカルチャー系の半合法的な書籍、ビデオなどのディストリビューターのカタログには必ずと言っていいほど「シチュアシオニスト」が独立の項目で扱われている。それは、目に見える潮流となっているというよりは、合衆国のカウンターカルチャーの活動家や読者たちにとっては共通の「伝統」として浸透しているといったほうがいいだろう。それは、多分、もはやドゥボールが納得する形のものではないだろう。しかし、それが合衆国の「状況の構築」に有効な力を発揮するのであれば、その正統性の是非などという問題はどうでもいいことである。
 もう1つ、シチュアシオニストの影響として欠かせないのが、アーティストたちへの影響である。皮肉なことに、68年のパリ、5月革命から20年を経た80年代末には、SIの回顧展がフランスはじめ各国で行われた。*9芸術を「状況の構築」のなかに解体しようとしたシチュアシオニストは結局美術館の制度の中に呑み込まれてしまったのだろうか。そうともいえるし、そうではないともいえる。多分、今、そのきわどい綱引きのなかにシチュアシオニストの問題意識を受けとめようとしているアーティスト達は置かれているといえる。ビルボードを用いる政治的、社会的なメッセージアートのバーバラ・クルーガー、ジェニー・ホルツァーやアート・アタックの運動を展開したロビー・コナルなど、美術の制度を超えて、都市の環境そのものを変える実験に取り組むアーティストたちは、彼ら、彼女らの主観とは別に明らかにシチュアシオニストの問題意識の延長線上に位置づけることができる。
 こうしてみたとき、シチュアシオニストの影響力は、ポストモダニズムの消費社会批判の言説の世界よりもむしろ、パンクロックやパブリック・アートといった文化的な実践や、意図すると否とにかかわらず、労働の尊厳を支える仕組みに背を向ける人々の生活様式や欲望、スクウォッターや海賊放送、ハッカーやアンダーグラウンドなメディア・ネットワークといった中に見いだせそうである。日本の70年代以降の運動がシチュアシオニストやあるいはイタリアのアウトノミア運動の影響を受けることが少なかったということは、日本における「68年」の総括が、文化運動の側においてなされておらず、逆に、政治運動は60年の全学連運動にまでさかのぼる「新左翼」という名のマルクス主義のエスタブリッシュメントが引き起こしたスターリニスト顔負けの内ゲバによって、政治と社会の接点を再検討するエネルギーを奪われてしまった。今、シチュアシオニストを紹介する意味があるとすれば、それは、過去の埋もれた運動の「発見」のためではなく、今現在の運動へと連なるラディカリズムの手がかりとしてである。このことは、都市の運動としてのラディカリズムをこの国で展開する上で決して無駄なことではない。


*1:シチュアシオニストに注目したいくつかの文献として、次のものがある。江口幹『評議会社会主義の思想』三一書房、1977年157ページ以下、海老坂武「〈5月革命〉における表現の問題」『講座20世紀の芸術6 政治と芸術』岩波書店、1989年

*2:ドゥボール「漂流の理論」

*3:『ミル・プラトー』第12章参照

*4:たとえば、次の文献を参照。Rene Vienet, Enrages and Situationists in the Occupation Movement, France, May '68, Autonomedia, 1992.

*5:たとえば、次の文献を参照。クレイグ・グローンバーグ『セックス・ピストルズを操った男--マルコム・マクラーレンのねじけた人生』林ひめじ訳、ソニー・マガジンズ、Greal Marcus, Lipstick Traces, Harverd University Press, John Savage, England Dreaming, Sex Pistols and Punk Rock, Fiber & Fiber.

*6:次の文献を参照のこと。STEWART HOME, THE ASSAULT ON CULTURE, AK PRESS, 1991. JON SAVAGE, ENGLAND' DREAMING, FABER AND FABER, 1991.

*7:多分、合衆国には正統派のSIといえるグループがあるのかどうかはっきりしない。シチュアシオニストの機関誌のアンソロジーをいち早く出版したケン・クナップのビューロー・オブ・パブリック・シークレットが最も正統派に近いように見えるが、ドゥボールの主著『スペクタクルの社会』やよく読まれているパンフレット『学生生活の貧困』はデトロイトの非常に小さな出版社ブラック・アンド・レッドから出版されている。ブラック・アンド・レッドはアナルコ・サンディカリズム的な色合いの濃い出版物やイタリアのボルディーガ主義者のものなどを出しており、シチュアシオニストというよりはアナキズムに近く、文化、芸術運動よりも労働運動の比重の大きい出版社である。合衆国で最も興味深いのは、出版社オートノメディアの存在だろう。日本でも『GS』のネタ本として知られた『セミオ・テクスト』の発行元であり、イタリアのアウトノミア運動の支援グループや「家事労働に賃金を」のアメリカのグループとも重なる人間関係を持ち、ボードリヤールやネグリらのテクストの翻訳でも知られている。同時にオートノメディアは、シチュアシオニストの文献のひとつルネ・ヴェネットの『68年フランス、5月運動』や合衆国のシチュアシオニスト(?)ボブ・ブラックの著作などを出版している。なかでもハキム・ベイのテンポラル・アナキズム・ゾーン(T.A.Z.)はアウトノミア、シチュアシオニストそしてアナキストの考え方をカウンターカルチャーの運動として提起しており、興味深い。Hakim Bay, T.A.Z, Autonomedia, 1985参照

*8:Bob Black, The Right To Be Greedy, Theses On The Practical Necessity Of Demanding Everything, Loompanic Unlimitted.

*9:On the Passage of a Few People Through a Rather Brief Moment in Time. MIT Press, 1991参照。

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