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状況の構築のための予備的諸問題 

 「状況の構築は、スペクタクル概念の現代的展開を越えたところに開始される。非一介入というスペクタクルの原理そのものが、古い世界の疎外といかに深く結び付いているかは容易に見てとれる。それとは逆に、文化における革命的探求のなかで最も価値あるものが、スペクタクルの観客のヒーローへの心理的同一化を破壊し、その観客を積極的な行動に引きずり込むようにどれほど努めてきたかもよく知られている。(……)状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの『公衆』の役割は、常に減少することになる一方で、もはや役者ではなく、言葉の新しい意味において『生きる者』と呼ばれる者の関与するところが増大する。」 『状況の構築に関する報告』


 「構築された状況」についてわれわれが持つ理解は、環境の空間的-時間的拡がりと勢いがいかに大きかろうと、環境の構築に貢献する芸術的手段を統一的に利用することだけに限られるものではない。状況とは、同時に、時間のなかでの1つのまとまった行動でもある。それは、ある瞬間の生の舞台装置(デコール)のなかに含まれた一連の行為から成る。これらの行為は生の舞台装置とその行為そのものから生み出されたものである。そして、それらの行為がまた別の形の生の舞台装置と別の行為とを産み出すのである。これらの力をいかにして方向付けることはできるだろうか。機械的な挑発によって様々な驚きを産み出すことを期待するような環境実験の試みだけで満足するわけにはゆかない。シチュアシオニストの活動の真に実験的な方向は、程度の差こそあれはっきりと世に認められた種々の欲望から出発して、それらの欲望に好都合な当面の活動の場を作り出すことにある。それを作り出すことではじめて、原初の欲望が明らかになり、まさにシチュアシオニスト的構築によって構成された新しい現実に物質的に根づいた新しい欲望が無秩序に出現するようになるのである。
 それゆえ、シチュアシオニスト的目的にかなう一種の精神分析を考察せねばならない。この冒険に参加する各々の者は、環境に対する正確な欲望を、まさにそれを実現するために見つけ出さねばならないのであって、それはフロイト思想から生れた諸流派が追求している目的とは逆のものである。だれもが自分の愛するもの、自分を魅き付けるものを探さねばならない(そしてそこでもまた、現代のエクリチュールのある種の試み──例えばレリス*1──とは逆に、われわれにとって重要なことは、われわれの精神の個々の構造でもその形成過程を説明することでもなく、構築された状況のなかでそれを適用する可能性である)。この方法を用いて、建設すべき状況を構成する様々な要素、またそれらの要素の運動のための様々な計画を調査することができる。そうした探求は、状況の構築という方向で実践的に働いている諸個人にとってしか意味を持たない。彼らはみなその時、自発的にであれ、意識的かつ組織的なやり方でであれ、プレ・シチュアシオニストである。すなわち、1つの同じ文化欠如状態を通して、また自分たちに直接先行する実験的感性を同じように表現することを通して、この構築の客観的必要性を感じ取ってきた個人なのである。彼らは、1つの専門によって、また彼らの専門分野での1つの同じ歴史的前衛への帰属によって、互いに結び付けられている。それゆえおそらく、すべての者のうちに、シチュアシオニスト的欲望の共通のテーマを数多く見出すことができる。この欲望は、現実の活動局面に移るやいなや、常にそれまで以上に多様なものとなるだろう。
 構築された状況は、その準備段階においても実際の展開においても、必然的に集団的なものとなる。しかしながら、少なくとも初期の実験の時期には、ある与えられた状況で個人がある種のヘゲモニーを取らねばならないこともあるように思われる。つまり、その状況の演出者となるのである。状況の計画──それを探求する者たちのグループによって研究された──を立て、それを、例えば何人かでの一夜の感動的な集まりと組み合わせて行うようになると、おそらく、指揮者または演出者と、状況を生きる直接的な行為者と、受動的な観客とを区別しなければならなくなるだろう。指揮者は、生の舞台装置を構築するためにあらかじめ必要な要素を調整し、さらに、出来事のなかへのある種の介入を予見することも引き受ける(この後者のプロセスは、他の者の介入のプランをあまりよく知らない複数の責任者の間で分担されることもある)。状況を生きる直接の行為者は、集団での計画の創造に参加し、環境の実際の製作のために働いた者である。観客とは構築の仕事に無縁な者だが、その彼らを行動に走らせることが望まれる。
 当然、指揮者と状況を「生きる者」との関係は、それぞれの専門家どうしの関係となることはない。シチュアシオニストのグループ全体と孤立した実験の責任者との従属関係は単に一時的なものにすぎない。こうした展望、あるいはそのための仮の呼び方は、劇場の延長に関することだと思わせるようであってはならない。ピランデッロ*2やブレヒトは、演劇的スペクタクルの破壊と、それを超えたいくつかの主張を示して見せてくれた。状況の構築は、現実の生の構築が常にますます宗教に取って代わってきたという意味においてのみ、演劇に取って代わるだろうと言うことができる。明らかに、われわれが取って代わり成し遂げようとしている主たる領域は、詩の領域である。それは、現代の前衛のなかで自らを焼き尽くし、完全に消滅してしまったものである。
 個人の実際の成就は、シチュアシオニストが発見した芸術的実験の場合と同様、必然的に世界を集団的に支配することを通して行われる。この支配以前には、まだ個人というものは存在せず、他人から無秩序に与えられたモノに取り憑いた影しか存在しない。われわれは、偶然の状況において、偶然に行き交う1人1人に分離された個人に出会う。彼らの多岐多様な情動は中和され、退屈でびくともしない環境を維持している。われわれは、高等な遊びの狼煙をあちこちで上げることによって、この状態を粉砕するだろう。
 今日、技術の進歩の不可欠な表現である機能主義は遊びを完全に排除しようとやっきになり、「インダストリアル・デザイン」の信奉者たちは、人々がますます遊びに向かう傾向にあることで、自分たちの活動が悪化していると嘆いている。インダストリアル商業はこの傾向を浅ましいやり方で利用し、この上なく有益な成果もたちまちなきものとしてしまうため、遊びへの傾向は新たな姿を取ることを余儀なくされる。われわれは、冷蔵庫の形を芸術的な仕方で次々とリニューアルすることを薦めてはならないと考える。だが、説教好きな機能主義は、この点に関して何も行いえない。唯一の進歩的解決策は、それとは別の場で、さらに大規模に、遊びへの傾向を解放することである。それ以前には、インダストリアル・デザインの純粋な理論がもつ素朴な憤りは、例えば、個人の自動車は主として愚かな遊びであり、交通手段であるのは不随的なことにすぎないという深い事実を妨げることはできないだろう。常に反動の政治と結び付き、幼児段階に回帰するあらゆる退行的な形態の遊びに反して、革命的遊びの実験的形態を支持しなければならないのである。


*1:ミシェル・レリス(1901一90年) フランスの作家・民族学者。若くしてシュルレアリスムに参加した後、民族学研究を続けながら、『成熟の年齢』(1939年)など一連の自伝的作品で注目を集める。ここでは、後に『ゲームの規則』全4巻を構成する一連の著作、『ビフユール』(1948年)、『フルビ』(1955年)のなかで、言語を通して個人の生の深層を探る試みを続けるレリスの文学が示唆されている。

*2:ルイジ・ピランデッロ(1867一1936年)イタリアの劇作家。『作者を捜す六人の登場人物』(1921年)によって、従来の劇の制度に変革をもたらしたことで有名。1934年、ノーベル文学賞。

定義

  • 構築された状況  統一的な環境と出来事の成り行きを集団的に組織することによって具体的かつ意図的に構築された生の瞬間。
  • シチュアシオニスト(状況派・状況派の)  状況の構築の理論もしくはその実践活動に関すること。状況を構築することに努める者。シチュアシオニスト・インタナショナルのメンバー。
  • シチュアシオニスム(状況主義)  上の用語から派生して誤って作られた無意味な語。シチュアシオニスムなど存在しない。そんなものは、既存の事実に対する解釈の教義を意味するにすぎないだろう。シチュアシオニスムという概念はあきらかに反シチュアシオニストらの着想した概念である。
  • 心理地理学  意識的に整備された環境かそうでないかにかかわらず、地理的環境が諸個人の情動的な行動様式に対して直接働きかけてくる、その正確な効果を研究すること。

  • 心理地理学的  心理地理学に関係するもの。情動に対する地理的環境の直接的作用を示すもの。
  • 心理地理学者  心理地理学的現実を探求し、それを伝える者。
  • 漂流  都市生活の諸条件に結び付いた実験的な行動様式、すなわち、変化に富んだ環境のなかを素早く通過する技術。より特殊には、この実験を連続的に行う期間を指すこともある。
  • 統一的都市計画  様々な実験的行動とダイナミックに結び付いた環境の完全な構築に与する芸術および技術の全体の利用の理論。
  • 転用  前もって作られた美的要素の転用、という言い方を省略して用いられる。現在のまたは過去の芸術生産物を環境のより高度の構築に統合すること。この意味では、シチュアシオニストの絵画やシチュアシオニストの音楽というものはありえず、ただこれらの手段のシチュアシオニスト的使用があるだけだ。より原始的な意味では、昔の文化の諸領域の内部での転用は、プロパガンダの方法であり、それはこれらの芸術領域の衰弱と重要性の喪失のあかしである。
  • 文化  それぞれの歴史的瞬間において、日常生活を組織する様々な可能性を反映し、予示するもの。美的なもの、感情、風習の複合体。それによって、共同社会は、その経済が自らに客観的に与えている生活に対応する。(われわれはこの用語を、諸価値の創造という展望においてのみ定義するのであって、それらの価値の教育という展望において定義するのではない。)
  • 解体  より優れた文化の構築を可能にすると同時にそれを要求しもするより優れた自然支配の手段の出現の結果、伝統的な文化形態が自ら解体するプロセス。古い上部構造の実際の破壊という、解体の積極的段階──それは1930年ごろに終る──と、それ以来ずっと優勢である反復の段階とを区別せねばならない。解体から新しい構築への移行の遅れは、資本主義の革命的清算の遅れと結び付いている。

新しい都市計画のための理論定式


陛下、私は別の国から来た者であります。

 おれたちは街で退屈している。太陽神殿はもう存在しない。通りすがりの女たちの股の間に、ダダイストならモンキーレンチを、シュルレアリストならクリスタルグラスを見つけたいと思ったことだろう。もうそんなものは無くなった。おれたちは、人々の顔の上にどんな約束でも読み取れる。それは最後の形態学。貼り紙の詩は20年来続いてきた。おれたちは街で退屈している。道路の看板にまだまだ神秘を見つけるためには、くたばるまで疲れ果てねばならない。それが最後のユーモアで、それが最後の詩なのだ。


        族長浴場
        肉切り機械
        ノートルダム動物園
        スポーツ薬局
        殉教者食品店
        半透明コンクリート
        黄金の手製材店
        機能回復[=機能主義回収]センター
        救急車サンタンヌ
*1
        5番街カフェ
        ポランティア延長街(リュ・デ・ヴォロンテール・ブロロンジェ)
        庭の家族ペンション
        外国人ホテル(オテル・デ・ゼトランジェ)
        野生通り(リュ・ソヴァージュ)

 それから、少女街(リュ・デ・フィエット)のプールに、出会い通り(リュ・デュ・ランデ・ヴ)のかどの警察署。金銀細工師河岸(ケ・デ・ゾルフェヴル)の外科医学クリニックと無料就職センター。太陽通り(リュ・デュ・ソレーユ)の造花。城の地下倉ホテルに太洋バー、往復運動(ヴァ・エ・ヴィアン)カフェ。時代ホテル(オテル・ドゥ・レポック)。
 夏の終わりの夜に浮かぶ、精神病者の恩人フィリップ・ピネル
*2博士の奇妙な銅像。パリを探険せよ。
 そして忘れられた女よ、ありとあらゆる悲嘆の声を上げる地球儀によって荒らされた思い出を持つ女よ、音楽も地理もない八里橋(パリカオ)*3の赤い地下倉に紛れ込んだ女よ、おまえはもう、植物の根が子供に思いをはせ、ワインがカレンダーのおとぎ話になって終わる大農場(アシエンダ)に出かけることはない。もう、ゲームは終わった。おまえが大農場を見ることもないだろう。そんなものは存在しないのだ。       
 大農場を建設せねばならない。


 どんな都市でも地質学的であり、それぞれの都市の伝説の威光を鎧のように身に付けた亡霊に出会うことなく、その中を3歩たりとも歩くことはできない。われわれは閉ざされた風景の中で進化し、その風景の目印はわれわれをたえず過去に引き戻す。常に形を変えるいくつかのアングル、果てしなく広がるいくつかのパースペクティヴのおかげで、われわれは空間の本来の把握の仕方を垣間見ることができるが、しかしそのヴィジョンも断片的なものにとどまる。フォルクローレのおとぎ話や、シュルレアリストの著作に書かれた魔法の場所に、それを探し求めねばならない。城、終わりのない壁、忘れられた小さなバー、マンモスの洞穴、カジノのウィンドウに。
 これらの滅びたイメージにはわずかな触媒の力が保存されている。だが、そうしたイメージも、蘇らせ、新しい意味を与えることなしには、象徴的都市計画のなかで使うことはほとんど不可能だ。古いキー・イメージに取り愚かれたわれわれの精神生活は、洗練された機械よりずっと遅れている。現代の科学を新しい神話のなかに統合しようとする様々な試みは、いまだ不十分なままである。それ以来、抽象があらゆる芸術を、とりわけ今日の建築を覆い尽した。逸話も生気も欠いた純粋状態の造形的事象が、人の眼を休め、凍り付かせている。他の断片的な美は別の場所にあり、約束された総合の大地はますます遠ざかるばかりだ。誰もが、感情のなかに生きている過去と今からすでに死んでいる未来の間でためらっている。

 われわれは、退屈な余暇に行き着く機械的な文明と冷たい建築を長引かせはしない。

 われわれは、常に変化する新たな舞台装置を発明することを提案しているのだ。(中略)

 暗闇は照明の前に姿を隠し、季節はエアコンの効いた施設によって消されてしまった。夜も夏も魅力を失い、夜明けは消滅してしまった。都市の人間は宇宙的現実から遠ざかることばかり考え、それ以上のことは夢みもしない。理由は明らかだ。夢は現実のなかに出発点を持ち、現実のなかで実現するのである。
 最近の技術は、宇宙的現実の不快さをすべて取り除きつつ、個人と宇宙的現実との恒常的な接触を可能にした。ガラスの天井は、星も雨も透かして見せる。移動式の家は太陽とともに回る。レールの付いたその壁のおかげで、植物が生活のなかに入ってくる。家そのものもレールに乗って、朝には海まで進んで行き、夜になると森に帰ることもできるのだ。
 建築は空間と時問を分節し、現実を変形し、夢を見させるための最も単純な方法だ。とはいえ、束の間の美の表現である造形的な文節と変形だけが問題なのではない。人に影響を及ぼす変化が問題であり、この変化は人間の様々な欲望とそれらの欲望の実現における進歩とが描く永久曲線のなかに書き込まれている。
 明日の建築は、それゆえ、時間と空間の今日の理解の仕方を変更する方法となるだろう。それは、認識の方法にして行動の手段となる。
 建築物の集合体も変更しうる。その外観もそこに住む者の意志によって部分的に、あるいは完全に変化させうるだろう。(中略)
 過去の共同社会は、大衆に絶対的真理と議論の余地のない神話の例を提供していた。現代精神に相対性の概念が導入されたことによって、次の文明が実験的側面──実験的という語に満足するわけではないが──を持つことを予感することが可能になった。より柔軟な、「楽しい」言い方をしよう。この移動式の文明に基づいた建築は──少なくとも最初の段階では──、生を変化させるいくつもの方法を実験する手段であり、伝説的でしかありえない1つの総合をめざす。
 心の病が惑星全体に行き渡ってしまった。凡庸化という病だ。誰もが製品と快適な生活のとりこになっている。下水設備、エレベーター、浴室、洗濯機といった具合に。
 こうした現状は貧困への抗議から生まれたものだが、そのはるかな目的──物質的心配からの人間の解放──を越えて、今のところ強迫的なイメージとなってしまった。どの国の若者も、愛とオートマティックのダストシュートを秤にかけ、ダストシュートの方を選ぶ。精神を完全に一変しなければならない。忘れられた欲望を明るみに出し、まったく新たな欲望を作り出すことによって。そして、これらの欲望を讃える徹底的なプロパガンダを行うことによって。
 われわれはすでに、次の文明が築かれる基礎となる欲望の1つとして、状況を構築する必要を指摘した。この絶対的創造の必要は、これまで常に、建築、つまり時間と空間との戯れの必要と一体のものとなっていたのだ。(中略)
 建築の注目すべき先駆者の1人は、いぜんとしてキリコ
*4であろう。彼は時間と空間を通して不在と存在の問題に立ち向かったのである。
 よく知られていることだが、最初に訪れた時には意識にはっきりととどめられなかった事物が、次に訪れた時にその不在によっていわく言い難い印象を喚起することがある。時間のなかで再構築されることによって、事物の不在は感覚しうる存在に変化するのである。むしろこう言ったほうがよい──印象の質は一般的には漠然としたものではあるが、取り除かれた事物がどんな性質のものか、また訪問者がそれにどれほどの重要性を与えているかに従って、穏やかな喜びから激しい不安まで多岐多様なものとなる(まさにこの場合、気分の媒体が記憶であることは、われわれには重要ではない。私がこの例を選んだのは便宜上のことでしかない)。
 キリコの絵画(アーケードの時代)において、空虚な空間は満ち足りた時間を作り出している。このような建築家にわれわれが残す未来がどのようなものか、群衆に対する彼らの影響がどのようなものかを想像するのは容易い。こうしたモデルをいわゆる博物館に追いやってきた世紀は、今日、軽蔑するほかない。
 来るべき構築物の理論的基礎となるべき時間と空間のこの新しい見方は、今現在、整っているわけではない。その目的に合った都市で行動様式の実験を行わないうちは、それはこれからも決して完全に整えられることはないだろう。そうした都市には、最低限の快適さと、安全に不可欠な施設のほかに、喚起の力と影響力に富む建物、過去、現在、未来の欲望と力と出来事とを表す象徴的な建造物が体系的に集められるだろう。昔の宗教システム、古いおとぎ話、そしてとりわけ精神分析を、建築の利益のために合理的に拡張することは、情熱を抱く理由が消え去りゆくにつれて、日々、急を要するものになってきているのである。
 いわば、誰もが自分個人の「カテドラル」に住むことになるのだ。ドラッグを使うよりもずっとすばらしい夢を見せてくれる部屋や、ただひたすら愛を育むだけの家ができるだろう。旅人を惹きつけてやまない家も建つだろう……
 この計画を、だまし絵の効果を持った中国庭園や日本庭園──それらの庭園は中で完全な生活をするようにできていないということだけは別にして──や、パリの植物園にあるばかげた迷路──その入口には、ふざけたことに、「アリアドネー*5は失業中につき、迷路での遊びは禁止されています」と書いてある──になぞらえることもできる。
 この都市は、城や洞窟、湖などを恣意的に集めた姿とみなすこともできるかもしれない。認識の一手段と考えられた都市計画のバロック的段階かもしれない。だが、そうした理論局面はすでに乗り越えられた。われわれは、現代では、中世の城の姿をまったくとどめないにもかかわらず、<城>というものの詩的な力を保持し、増大させるようなビルを建築できる(最低限の建物の線の保存、他のいくつかの線の移動、出入り口の設定、地形上の状況、などによって)ということを知っている。この都市の各地区(カルティエ)は、われわれが日常生活で偶然に出会う様々に類別された感覚と対応しうる。
 <風変わり地区>──特に住居専用の<幸福地区>──<高貴で悲劇的な地区>(行儀のよい子供たちのための)──<歴史地区>(博物館、学校)──<有用地区>(病院、道具店)──<不吉地区>などである。それらに加えて、アストロレールが1つある。それは、星のリズムとの関係に従ってあらゆる植物種を集めた惑星規模の植物園で、天文学者トーマスが、ウィーンのローア・バーグという場所に建設することを提案しているものに比肩する。これは、住民に宇宙の意識を与えるために不可欠なものである。ほかにもおそらく、<死の地区>もできるだろう。そこで死ぬためにではなく、静かに生きるために。ここで私が考えているのは、メキシコや、無垢のなかの残酷さの原理である。それは、日々、私には高価なものになってゆく。
 例えば<不吉地区>はうまい具合に、かつてどの国の国民もがそれぞれの首都に持っていたあれらの穴、地獄の口の代わりになるだろう。それらは生の邪悪な力を象徴していたのだ。<不吉地区>では、罠や落し穴、坑道などの現実の危険を隠す必要はまったくない。そこへの進入路は錯綜し、町には恐ろしい装飾がなされ(甲高い笛の音、警報ベル、不規則な問隔で鳴る周期的サイレン、怪物の彫像、オートモビールと呼ばれるエンジン付きの移動機械)、夜の照明はほとんどなく、昼は反射現象の濫用によってまぶしいほどの光りに満ちている。街の中心には、「恐怖の移動機停止場」がある。市場に1つの製品が溢れると、その製品は安くなる。子供も大人も不吉な地区の探検によって、生の不安な表出を恐れるのではなく、それを楽しむことを学ぶだろう。
 住民の主要な活動は連続的な漂流となるだろう。刻一刻変化する風景が、日常からの完全な脱出の原因となる。(中略)
 やがて行動の摩滅というものが避けられなくなるが、その時には、この漂流は体験の領域を部分的に去り、表象の領域に入るだろう。(中略)
 経済的理由からの反論は、まったくもって議論に耐えない。ある場所が自由な遊びに充てられれば充てられるほど、ますますその場所は人の行動様式に影響し、その魅力はいっそう大きくなるのである。モナコ、ラスヴェガスの巨大な威光はそれを証明している。自由恋愛のカリカチュア、レノ*6もそうだ。しかし、これらの都市は、単なる金の遊びの問題でしかない。われわれのこの最初の実験都市は、観光を容認し管理することでかなりの収入を得ることになるかもしれない。アヴァンギヤルドの次の活動と生産は、おのずとそこに集中されるだろう。数年の間に、この都市は全世界の知識人の首都となり、あらゆるところでそのようなものとして認められるであろう。

ジル・イヴァン

 レトリスト・インターナショナルは1953年10月、都市計画に関するジル・イヴァンのこの報告を採用した。それは、実験的アヴァンギャルドによって当時取られた新しい方向の決定的要因となったものである。ここに発表したテクストはLIのアルシーヴに保存され、その後、シチュアシオニスト・アルシーヴの文書番号103および108になった2つの連続した草稿から作成されたものであり、わずかな書式の違いを伴う。


*1:サンタンヌ パリ14区にある有名な精神病院の名

*2:フィリップ・ピネル(1745ー1826年) フランスの医者。ビセートル収容院、ラ・サルペトリエール収容院での精神病者の治療活動を通して、近代的精神医学を確立した。精神病者を鉄鎖から開放したとして、ラ・サルペトリエール正門広場にはデュラン作の彼の立像が据えられている。

*3:ハ里橋(パリカオ) 中国、北京近郊の村。太平天国の乱の折、イギリス・フランス連合軍が攻撃したことで有名。

*4:ジョルジオ・デ・キリコ(1888?ー1976年) ギリシャのテッサリア地方に生まれ、アテネの工芸研究所、ミュンヒェンの美術学校に学び、二ーチェの影響を受ける。1911年から数年パリに行き、アポリネールや、ピカソ、ブラックらキュビスムの画家に惹かれる。イタリアに帰国後、メタフィジカルな絵画を唱えるカルロ・カッラらとともに不安定な遠近法を用いた神秘的・幻想的絵画を描く。1925年、第1回シュルレアリスム展に参加し、シュルレアリストらに接近するが、1933年以降は、現代絵画を否定して、古典的絵画に回帰する

*5:アリアドネー ギリシャ神話で、ミノスの娘。怪物退治に行ったテセウスに糸を与えて、迷宮から脱出する道を教えた。

*6:レノ アメリカ合衆国ネヴァダ州の商業都市。結婚と離婚の手続きの迅速さを呼び物にしている。

文化革命に関するテーゼ

  1.  美学の伝統的目的は、剥奪と不在の状態において、芸術的媒介を通して、外観の混乱を免れたある種の過去の生の要素を感じ取らせることにある。外観とは、その場合、時間の支配をこうむるもののことである。美学的成功の度合いは、それゆえ、時間的持続と不可分で永遠を気取ることすらある美によって測られる。シチユアシオニストの目的は、意図的に整備された滅びやすい瞬間を変革することによって、生の情動的豊かさにただちに参画することにある。この瞬間が成功するとしても、それは、それらの瞬間の一時的な効果でしかありえない。シチュアシオニストは、全体性の観点から見た文化的活動を、日常生活の実験的構築の方法と考える。この日常生活なるものは、余暇の拡大と労働の分割[分業]の消滅(まず手始めに、芸術的労働の分割から)によって常に発展しうるものである。
  2.  芸術は諸感覚に関する関係であることをやめて、より高次の感覚の直接的組織化となることができる。われわれ自身を産み出すことが肝心であり、われわれを服従させるモノを産み出すことが問題なのではない。
  3.  マスコロ*1(『共産主義』)が、プロレタリア独裁体制による労働時間の短縮は「その革命の正当性について、それが与えうる最も確かな保証である」と言っているのは正しい。事実、「人間が1個の商品であり、彼がモノとして扱われ、人問どうしの関係総体がモノとモノとの関係であるとすれば、それは、人間から彼の時間を買うことができるからにほかならない」。しかしながら、マスコロが「自由に使われる人間の時間は」常にうまく使われ、「時間の売買だけが悪なのである」と結論づける時、彼はあまりに性急である。日常生活の構築のための近代的道具の所有なしには、時間の使用における自由は存在しない。そのような道具の利用こそが、ユートピア的革命芸術から実験的革命芸術への飛躍の印となるだろう。
  4.  シチュアシオニストの国際的結社は、文化の先進部門の労働者たちの団体とも考えられる。あるいは、より正確には、社会的諸条件によって今のところ妨げられている労働への権利を要求する者たちすべての団体である。したがって、それは、文化における職業的革命家たちの組織化の試みなのである。
  5.  われわれは、われわれの時代に蓄積された物質的力を現実に支配することから実際には切り離されている。共産主義革命は実現されていないのに、われわれはまだ古びた文化的上部構造の解体の枠内にいる。アンリ・ルフェーヴル*2は、この矛盾が進歩的個人と世界とのあいだのすぐれて現代的な不和の中心にあることを正しく見抜き、この不和に基礎を置く文化的傾向を革命的ロマン主義的と呼んでいる。ルフェーヴルの考えの不十分点は、不和の単純な表出を、文化における革命的行動の十分な基準としているところにある。ルフェーヴルは、解体の枠のなかではどのような形式をとっても表現しうる可能-不可能の(まだあまりにかすかな)意識という、ただひとつの内容で満足することによって、深い文化的変容の実験のすべてをあらかじめ断念しているのである。
  6.  古い既成秩序を、そのあらゆる側面において乗り越えようと思う者は、たとえ文化の圏内においてであっても、現在の無秩序にわが身を結び付けるわけにはゆかない。文化においても、もはや何も待ち受けることなしに、未来の揺れ動く秩序の具体的な出現のために闘わねばならない。われわれの間に既に存在しているその秩序の可能性こそが、既に知られている文化の形を取ったあらゆる表現の価値をなきものにするのである。あらゆる形態の疑似的コミュニケーションをその完壁な破壊にまで導かねばならない。いつの日か、直接的で現実的なコミュニケーション(高次の文化的手段の利用についてのわれわれの仮説では、それは構築された状況となる)に到達するために。勝利は、無秩序を愛することなくそれを作り出すことを知った者の手にあるだろう。
  7.  解体の世界においてわれわれは、われわれの力を試みることができるだけで、それを利用することはできない。世界とわれわれとの不和を乗り越える実践的任務、すなわち何らかの高次のものを構築することによって解体を乗り越える実践的任務は、ロマン主義的ではない。われわれが失敗するまさにそのとき、ルフェーヴルが言う意味において、われわれは「革命的ロマン主義者」となるだろう。

G=E・ドゥボール*3



*1:ディオニス・マスコロ(生没年不詳) 戦後共産党を除名され、『アルギュマン』誌に拠った共産主義者・哲学者。1958年から60年まで同誌編集委員をしながら非共産党の左翼を糾合する『7月14日』などの活動を行った。著書『共産主義』はガリマール社から1953年に刊行。戦争末期から戦後の一時期、作家のマルグリット・デュラスと暮らして子供をもうけ、その後、アウシュビッツから生還してきたデュラスの元の夫ロベール・アンテルムの3人で同居していたことが原因で共産党を除名されたことでも知られる。

*2:アンリ・ルフェーヴル(1901一91年) フランスの社会学者。1930年代にマルクス主義に接近し、58年にフランス共産党を除名されるまで、党の理論家の1人として活動。高度資本主義社会の日常生活を社会学的に研究し、正統派マルクス主義の変更を迫る大著『日常生活批判』(第1部、1958、第2部、61年。その『序説』は1947年に発表)や、スターリン主義を告発した『マルクス主義の当面の諸問題』(58年)により、左翼・知識人から芸術家までに大きな影響を与えた。

*3:G=E・ドゥボール(1931ー) フランスのシチュアシオニスト。パリに生まれ、1950年代初頭にレトリスム運動に参加、レトリスムの主唱者イジドール・イズーの神秘主義化に反対してレトリスト左派を結集した「レトリスト・インターナショナル」を創設、「転用」、「漂流」、「心理地理学」、「新しい都市計画」などの芸術批判・日常生活批判を軸としたアヴァンギャルド芸術運動を展開。1956年に「シチュアシオニスト・インターナショナル」(SI)を創設し、1972年にSIを解散するまで、一貫してその中心メンバーとして活動。著書に『スペクタクルの社会』(1967年、邦訳、1993年、平凡社)、 回想録』(59年)、『映画に反して』(64年)、『映画全作品集』(78年)、『「スペクタクルの社会」に関する注釈』(88年)、『称賛辞』(89年)、『イン・ジルム・イムス・ノクテ・エト・コンスミムール・イグニ(われわれは夜に俳掴しよう、そして、火で焼き尽くされんことを)』(90年)、『この悪しき評判……』(93年)など。映画作品に 『サドのための叫び』(52年)、『比較的短い時間単位内の数人の人物の通過について』(59年)、『分離の批判』(61年)、『スペクタクルの社会』(73年)、『イン・ジルム・イムス・ノクテ・エト・コンスミムール・イグニ』(78年)など

シチュアシオニストとオートメーション

訳者解題

 元コブラの主唱者で、その後、「イマジニスト・バウハウスのための国際運動」(MIBI)を組織したアスガー・ヨルンのこの論文は、ここに初めて発表された後、1954年から58年にかけて書かれた他の9編の論文──「イマージュと形態」、「機能主義に反対して」、「形態と構造」、「悲惨と驚異」、「構造と変化」、「魅力とメカニック」、「運動と形態」、「形態と意味作用」、「脱出口」──とともに、インターナショナル・シチュアシオニストの編集・発行による『形態(フォルム)のために』のなかに再録された。
 コブラの時代から、古今東西の美術はもちろん、ヨーロッパの民衆芸術や北欧の人類学・民族学から言語学や哲学まで、広い領域にわたる膨大な著作を残しているこのルネッサンス的巨人は、これらの論文のなかで、人間の活動のなフォルムかに常に現れてきた「形態」というものを、人類学や言語学(意味論や記号論)、美術史、建築史、認識論、資本論、精神分析などを躯使して、様々な側面から考察している。ヨルンにとっての「形態」とは、主体と客体との相互関係のなかでとらえられたものであり、フォルマリスムや機能主義の固定した「形態」とは異なる。それは、「運動への抵抗」として事物の運動のなかに一瞬のあいだ形作られるものであり、運動によって初めて気づくことのできるものだとされる。「形態とは、観察の運動を凌駕する速度のことである」と定義されている(「形態と意味作用」)。
 また、これらの論文は、ヨルンがコブラの活動を終えた後に、さらに実験的な芸術運動として展開したMIBIの理念と、そこから「シチュアシオニスト・インターナショナル」へと変貌を遂げるにいたった思想的経緯を知るうえでも興味深い。簡単に言うなら、MIBIによってヨルンが当初めざしていたものは、マックス・ビルらの機能主義的バウハウス復活の企てに反対して、形態の自由な実験と集団での芸術活動を通した社会変革の試み(集団製作、環境実験など)であった。それゆえ、『形態のために』の論文は、過去の芸術運動(ウィリアム・モリスやラスキンからバウハウスにいたる工芸運動の流れ、ダダやシュルレアリスムなどのアヴァンギャルド芸術運動など)や、同時代の現代芸術(アンフォルメルや抽象表現主義)を総括すると同時に、都市計画やインダストリアル・デザイン、広告産業などによる前衛美術の囲い込みにきわめて強い危機感を表明している。ヨルンがMIBIによって行おうとした社会的な芸術運動は、現実の社会が芸術を社会的なものにする時に無力なものになりかねない。芸術の領域に関わってより攻勢的に既存社会を転覆するためには、「イマジニスト・バウハウス」という家から外に出て、都市の中での「状況の構築」を掲げる「シチュアシオニスト」へと移行せざるを得なかったのである。




 現在まで、ほとんど誰ひとり、オートメーションについての思考をその最終的帰結までつきつめた者がいないというのはかなり驚くべきことである。まさにそれがゆえに、真の展望が見いだせないのである。むしろ、技術者も学者も社会学者も、オートメーションを社会のなかにこっそりと滑り込ませているような印象を受ける。しかし、オートメーションは今や、生産のみならず労働時間に対する余暇の優位までをも社会主義的に支配する問題の核心をしめる。まさにオートメーションの問題は、積極的可能性と消極的可能性のどちらもを、最大限に抱え込んでいるのである。
 社会主義の目的は豊かさである。最大多数の最大幸福という考えには、統計学的に、予期せぬものの出現を最低限に切り縮めることが前提とされている。幸福の数の増大はそれぞれの価値を切り縮めるのである。こうしてあらゆる人間的幸福の価値をいわば完壁な中和状態にまで低下させることが、社会主義の純粋に科学的な発展の避けがたい帰結となるだろう。多くの知識人が機械的再生産というこの考えを乗り越えることができないばかりか、無色で左右対称の未来社会に人間を適応させる準備に励んでいるのは残念なことだ。その結果、独自性の探求に専心する芸術家たちは、ますます多く、社会主義に敵意を抱き、それに背を向ける。逆に、社会主義を信奉する政治家たちは、芸術の力と独自性の現れにはことごとく不信感を持ち続けるのである。
 これらの芸術家も政治家も、それぞれに自らの順応主義的立場から一歩も出ずに、オートメーションヘのある種の不機嫌を表している。オートメーションというものは、彼らの経済と文化への理解を根底から問い直しかねないからだ。「前衛(アヴァンギャルド)」と呼ばれる潮流はすべて、オートメーションを悲観的に見ている。あるいは、せいぜいのところ、オートメーションの開始によって、その到来の近いことが突如として明らかになった未来の積極的な側面を過小評価している。一方で、反動的な勢力はばかばかしいまでの楽観論をひけらかしている。
 1つ意味深い逸話がある。去年、雑誌『第4インターナショナル』のなかで、マルクス主義者の活動家リヴィオ・マイタンが報告していたことだが、イタリアのある神父がかつて、自由時間の増大により日曜ミサをもう1日行う必要が生まれるだろうという考えを述べていた。マイタンはこれに答えてこう書いている。「誤りは、新しい社会の人間が現在の社会の人間と同じであると考えているところにある。実際は、それらの人間は、われわれには思いもつかないまったく多様な欲求と要求を持つようになるだろう」。だが、マイタンの誤りは、彼には「思いもつかない」新しい要求を漠然とした未来に委ねるところにある。精神の弁証法的役割は、可能性を望ましい形のものに向けることなのだ。マイタンは、「新しい社会を構成する要素はすべて古い社会のなかで形成された」という『共産党宣言』の言葉を、常に忘れている。新しい生の要素はすでにわれわれのなか──文化の領域において──で形成されているのであり、議論を活気付けるためにそれを用いるのはわれわれである。
 個人のエネルギーと能力の完全な解放を目指す社会主義は、オートメーションをそれ自体においては反進歩的な一傾向と見ざるをえないだろう。社会主義にとっては、オートメーションを人間の潜在的エネルギーを表出しうる新たな魅力と関連づけることではじめて、この反進歩的傾向を進歩的なものとすることができる。学者や技術者が主張するようにオートメーションが新しい人間解放の手段だとすれば、そこにはそれまでの人間の活動の乗り越えが前提とされているはずである。このことは必然的に、人間にオートメーションそのものの実現をも乗り越えることを想像させる。だが、人間をオートメーションの奴隷ではなく主人とするような、そうした展望はいったいどこに見いだせるというのか。
 ルイ・サルロン*1は『オートメーション』という研究のなかで、オートメーションというものは「進歩についてはほとんど常にそうであるように、何かと置き換わったり何かを取り除いたりする以上に何かを付け加える」と説明している。オートメーションは、それ自体において、人間の行動の可能性に何を付け加えるというのか。われわれはオートメーションが自らの領域で人間というものを完全に取り除いているということを学んできたではないか。
 産業化の危機は消費と生産の危機である。消費の危機は生産の危機に条件付けられているのであるから、生産の危機は消費の危機よりも重要である。個人の領域に移してみれば、このことは、物を貰うよりも与えるほうが、取り除くよりも付け加えることができるほうが満足だというテーゼに等しい。オートメーションはかくして2つの正反対の展望を持っている。それは、個人が進歩の凍結であるオートメーション生産に、何であれ個人的なものを付け加えることを妨げ、同時に、再生産的で非創造的な活動から大規模に解放された人間のエネルギーを節約するのである。それゆえ、オートメーションの価値は、オートメーションそのものを乗り越え、人間の新しいエネルギーをより高度な面に解放する企図に完全に依存している。
 この領域において、今日、実験的な文化活動はかつてなく盛んである。一方で、ここでの悲観的態度、時代の可能性に対する屈服は、かつてのアヴァンギャルドが、エドガール・モラン*2の書いているように、「過去の骨を噛る」ことを欲し続けていることの現れである。ベナユーン*3という名のシュルレアリストが、その運動の最後の表現である『シュルレアリスム・メーム』誌のなかで次のように言っている。「余暇の問題はすでに社会学者の頭を悩ませている。(……)技術者はもう要らない。これから必要なのは、道化師であり、チャーミングな歌手であり、バレリーナであり、ゴム人間だろう。週休6日制になると、真面目と軽薄、怠惰と勤勉の釣り合いが覆される恐れが大いにある。(……)暇をもてあました『労働者』は、考えに不足し、タレントを探して茶の間に侵入する、ひきつった顔のテレビによって蒙昧化されるだろう」。このシュルレアリストには、週休6日は軽薄と真面目の「釣り合いを覆す」のではなく、軽薄と真面目のどちらもの性質を変化させるようになるということがわかっていない。彼が期待しているものは思い違いも甚だしい。それは、古くさいシュルレアリスムのイメージで、決して変化せぬ一種のボードビルとして彼が理解している既存世界のなかでの滑稽な変化にすぎない。なぜ、その未来が下劣な現在を肥大させたものでなければならないのか。なぜ、そこには「考えが不足」していなければならないのか。その未来には、1936年になって修正された1924年のシュルレアリスト*4の考えが欠けているとでも言いたいのだろうか。たぶんそうだ。あるいは、シュルレアリスムの模倣者に考えが欠けているという意味なのだろうか。われわれにはそれはよくわかっている。
 新たな余暇は、現在の社会がでたらめなブリコラージユの偽の遊びをただひたすら増やすことで埋めようと思っている深淵のようにも思える。だがそれは同時に、かつて想像された最も偉大な文化的構築物を建設する基礎でもある。この目的は、明らかに、オートメーションの信奉者たちの狭い関心の輪の外にある。われわれは、それがオートメーションの直接的趨勢と敵対関係にあることさえ知っている。技師と議論しようと思うならば、彼らの関心領域に入って話さねばならない。ウルム*5で現在「造形大学」を運営しているマルドナドは、オートメーションの発達は危うい、なぜなら青少年のあいだに、総合的な展望を欠くオートメーションを目的とした専門家は別にして、理工系の道に自ら飛び込んでいこうとする熱意がほとんど見られないからだ、と説明している。だが、まさにその総合的な展望を示さねばならないはずのマルドナド自身が、次のことを完全に無視している。オートメーションが自らを確立したものと正反対の展望を目的として確立した時にはじめて、そしてまた、オートメーションの発達に応じてそのような総合的展望が実現されるようになる場合にはじめて、オートメーションは急速に発達するのである。
 マルドナドは逆のことを提案している。まず、オートメーションを確立し、次にその使い方を確立せよと。まさにオートメーションを目的としないならば、そのようなやり方を議論してもよいかもしれない。なぜなら、オートメーションとは、反行動を促すような1つの活動領域のなかでの一行動ではないからだ。それは、領域そのものを中和させ、矛盾した行動が同時に企てられない限りは、その外部の領域までも中和させてしまうであろう。
 ピエール・ドゥルアン*6は、1957年1月5日付の『ル・モンド』紙で、労働者がもはや専門的職業活動に対して行使できなくなった潜在的能力を実現するものとして「趣味(ホビー)」の普及があるのだと語り、どんな人間のなかにも「眠っている創造者がいる」と結論付けている。この古くさい陳腐な言い回しのなかには、われわれの時代の現実の物質的可能性にそれを結び付けて考えるならば、今日、輝くような真理がある。眠っている創造者は起こさねばならない。そして、その覚醒状態はシチュアシオニストと呼ぶことができる。標準化という考えは、最大多数の人間的欲求を最大の均質性へと切り縮め、単純化するための努力である。標準化によって、それが閉じ込める経験の領域よりも興味深い経験の領域が開かれることになるのか否かは、われわれにかかっている。結果次第で、人間の生の完全な愚鈍化に行き着くこともあれば、数々の新しい欲望を常に発見する可能性にたどり着くこともできる。だが、その新しい欲望は、われわれの世界の抑圧的な枠のなかでは、単独で姿を現すことはない。それを発見し、暴き、実現するために、共同の行動をとらねばならない。

アスガー・ヨルン*7


*1:ルイ・サルロン フランスの経済学者。著書に『共有財産についての6つの研究』(1949年)、『企業における権威と命令』(79年)など。

*2:エドガール・モラン(1921ー) フランスの社会学者。特に文化とその伝達手段を研究し、映画やマスコミについての研究もある。1956年から62年にかけて雑誌『アルギュマン』誌の編集長を勤める。著書に、『スター』(57年)、フランス共産党を離党する契機となった『自己批判』(59年)など

*3:ロベール・ベナユーン(1928ー) モロッコに生まれ、1949年ブルトンと接触してシュルレアリストとなり、戦後のシュルレアリスム雑誌に協力。1951年、アド・キルーらと『映画時代』を、52年、映画雑誌『ポジティフ』を発行、シュルレアリストの中でも映画に造詣の深い人物として有名。ヌーヴェル・ヴァーグが現れた時には、アラン・レネだけを評価し、ゴダールやトリュフォーは無視するという独自の立場を取った。精神分析にも関心が深く、アーネスト・ジョーンズのフロイトの伝記に基づいた研究も著している。著書・訳書にエドワード・リアの『ナンセンスの本』など、映画作品に『パリは存在しない』(1972年)、『気持ち良いまでに真面目』(75年)などがあり、コラージュ作品も多い。

*4:1936年になって修正された1924年のシュルレアリスト 1924年は、ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表し、同時に『シュルレアリスム革命』誌が発刊された年で、ブルトンらがダダイズムから離れてシュルレアリスム運動を公式に開始した年。1930年代に入り、国際共産主義運動の高揚と帝国主義間戦争の接近という情勢のなかで、シュルレアリストは当初からその思想に含まれていた全体的な社会革命の路線を強め、『革命に奉仕するシュルレアリスム』を創刊する。同時にコミンテルンと接近し、1935年にはジョルジュ・バタイユらとともに「革命的知識人闘争同盟」(機関紙『反撃(コントル・アタック)』の設立にも関わったが、1938年、トロツキーを擁護するブルトンらはスターリンの指導するコミンテルンと決裂し、バタイユらとも快を分かち、国際共産主義運動から離脱し、ロンドンで開催した「シュルレアリスム国際展」によって神秘主義化への第一歩を踏み出した。

*5:ウルム ドイツ南西部のドナウ川沿いの街。戦後、バウハウスの生き残りマックス・ビルが「造形大学」を設立し、バウハウスの継続を行った地。この新しいバウハウスは、かつてのバウハウスの創造性を失い、機能主義が支配する制度化された工芸大学になってしまった。1953年から「イマジニスト・バウハウスのための国際運動」を組織していたヨルンは、当初、この新しいバウハウスで、かつてのバウハウスにも欠けていた「絵画」部門を担当する提案をしていたが、ヨルンの構想していた文化による社会革命という考えは、マックス・ビルに受け入れられなかった

*6:ピエール・ドゥルアン(1921一) フランスのジャーナリスト。戦後、政府機関の法律顧問などをした後、『ル・モンド』の記者、編集次長などを勤める。

*7:アスガー・ヨルン(本名アスガー・オルフ・ヨルゲンセン 1914ー73年) デンマーク生まれの画家、思想家、人類学者。コブラの創設者として北欧・ベネルクス3国からイタリアまで戦後ヨーロッパの前衛芸術運動に大きな影響を与えた。ヨルンはデンマークのユトラント半島のシルケボアに生まれ、1930年代に、バウハウスに参加したデンマーク人ヴィルヘルム・ビィヤーケ・ぺーターセンや象徴主義的抽象絵画を唱えていたエイラー・ビレらが始めた前衛芸術運動『リニエン(線)』の影響を受ける。1936年にパリに行き、フェルナン・レジェの下で現代絵画を勉強し、ル・コルピュジエと共同で万国博覧会の建物の装飾などを行う。第二次大戦中は、デンマークに戻り、前衛芸術の雑誌ズルヘステン (地獄の馬)』に拠りレジスタンスの活動を行う。戦後、「革命的シュルレアリスム」に参加し、パリでオランダ人コンスタントと、ブリュッセルでドトルモンと出会う中から、1948年、シュルレアリスムと抽象表現芸術の両方を乗り越え、生の直接的表現をめざす前衛芸術運動「コブラ」を創設。1951年、結核に冒され、「コブラ」を解散した後、53年から57年までイタリアのアルビソラで、芸術活動を生活全体にまで拡大し、建築・都市計画・都市環境の装飾など日常生活の場そのものの実験をめざした「イマジニスト・バウハウスのための国際運動」を組織する。1957年、ドゥボールらとともにシチユアシオニスト・インターナショナルを創設、そのフランスーセクションで活動。61年にSIを脱退した後は、「比較ヴァンダリズム・スカンジナヴィア硫究所」を鍵点に芸術活動を続ける一方、故郷のシルケボアに象徴主義やシュルレアリスムからコブラ、シチュアシオニストに至るまでの作品と資料を収集した美術館を開設し、その運営を行った。


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