目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)

麻谷山(まよくざん)宝徹禅師(平成12年1月27日)

 すべては不明の人物である。馬祖に嗣法した。丹霞天然禅師と共に遊行し、蒲州(山西省永済県)の麻谷山を通りかかり、丹霞と別れて、そのままそこに住したと言う。
 宝徹禅師が、丹霞禅師と旅をしていたときの話が、馬祖語録に書いてある。
 『山間の川の辺にたって、宝徹は、丹霞に尋ねた。大涅槃とはどのようなものか?
 丹霞は振り返りながら、「急」と言った。

 宝徹は、「何が急なるか」。
 丹霞は、澗水(谷川の水)の流れを示した。』

 語録(景徳伝灯録)では丹霞の役を、馬祖が務めているのではあるが、注に祖堂集のこの話があったので、こちらのほうが情景が理解できることから、取り上げてみました。
 丹霞と宝徹のこの話は、涅槃と急と澗水の話になるのだが、仏教では、涅槃は、諸行無常、諸法無我の当体であり、つまり世界の真理であり、法そのものです。
 急とは、注に、急迫・切迫しているとの意味があるとある。さらに、法句経に「命逝くこと川の流れの如し」。論語に「子、川の辺にあって、曰く、逝くものは斯くの如きか、昼夜をおかず」とあり、古注では、川の流れのように、時は休みなく流れすぎ、人はどんどん年を取ってゆくことを嘆いたものとしている。

 澗水は、時の流れを川にたとえて、時は休みなく流れすぎてゆく代名詞にとれる。 
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(タメシ)なし。世の中にある、人と栖(スミカ)と、またかくのごとし。」
 我が方丈記の巻頭も、河の流れを人生に譬える。
 臨済に言わせれば、麻谷の宗風は、黄蘗(きはだ)のように苦みばしっていて、誰も近寄れなかったといいます。 澗水という、水の流れを詳しく見つめるには、臨済のこの言葉がぴったりと当てはまります。

 「一切の草木皆なよく動く、ゆえに動はこれ風大、不動はこれ地大。動と不動と、共に自性なし。なんじもし動処において、それを捉うれば、それは不動処に向いて立たん。なんじもし不動処にむいてそれを捉うれば、それは動処に向いて立たん。譬えば泉に潜む魚の波を鼓して自ら躍るが如し。大徳、動と不動とは是れ二種の境なり。還って是れ無依の道人、動を用い不動を用う。」

 澗水の流れは動くものとして、私たちにもつぶさに観察できるのですが、この澗水から動かないものを発見することは、ひとひねり必要です。見えるものと見えないものは、私達に苦労を強いるようです。もちろん日常の生活では、動くものの中に、動かないものを発見し、見えるものの中に、見えないものを発見することは、意味があることと思います。私達が見えるものをそのまま受け入れるには、錯覚・錯誤を植え付ける意識・心の問題が潜んでいるからです。私達が見ているもの、そのものが真実な姿であるかは分からないからです。
 その錯誤・錯覚という意識・心を排除し、動くもの、見えるものを素直に受け入れることが大切なことだと思うのです。
 澗水の動かないものとは、まず気がつくことは、水は高きから低きに流れるという道理であり原理です。この道理は動かないものとしてありますし、澗水の流れを見る者にとっては、見えないものとしてあります。つまり水が流れるは、水の高きから低きところへ流れるという性質が、流さすと言えます。

 冷たい水は重たく、温かい水は軽いという性質によって、流れがあるでしょう。また何がしかの資源が含有された水も流れを作ることがありますが、圧力のような力がかかわらなければ、水は上から、下に流れます。そういえば、川底も動かないものとしてあります。さらに動くもの見えるものを観察する私達の意識は、動くものそのものです。しかし、世の真理は、無常そのものですから、川の流れは真理であり、意識のさし挟む余地のないものでしょう

 曹洞宗は道元禅師の正法眼蔵、現成公案の末尾に、馬祖大師の門下で、麻谷山宝徹禅師の” 風性常住、無処不周”の公案があります。

 麻谷宝徹禅師、扇をつかふ。
 ちなみに僧きたりてとふ、風性は常に住して周ね不る処として無しなり。なにをもてかさらに和尚扇をつかふ。
 師いはく、なんぢただ風性常住を知れりとも、いまだところとしていたらずといふことなき道理を知らずと。 僧いはく、いかならんかこれ無処不周底の道理。ときに師あふぎをつかふのみなり。
 僧礼拝す。
仏法の証験、正伝の活路、それかくのごとし。常住なればあふぎをつかふべからず、つかはぬをりも風をきくべきといふは、常住をもしらず、風性をもしらぬなり。風性は常住なるがゆえに、仏家の風は大地の黄金なるを現成せしめ、長河の酥酪(そらく)を参熟せり。

≪麻谷宝徹禅師が扇を使っていた時に、
 一人の僧が来て問うた。「風性常住、無処不周です(風の本質は常住であり、すべてに行きわたらないところはありません)。どうして和尚は、その上に、扇を使うのですか。」(仏性はあまねく行き渡っているのに、その上更に修行する意味はあるのですか)
 師は言う、「お前は、ただ風性の常住なることを知っているだけで、行きわたらないところはないという道理はまだ分かっていない。」
 僧が言う、「行きわたらないところはないというその道理とは、どういうことですか。」
 この時、師はただ扇を使うのみであった。
 僧は、礼拝した。
 仏法の証の験(しるし)と仏法が正しく伝わるその活きた路は、まさにかくの如くである。風性常住なのであるから扇を使うことはない、使わないときにも風を感じる筈だというのは、常住もわからず、風性も知らないということである。風性は常住であるが故に、仏道者の「風」は、大地は黄金なのだということを真実現し、長河の水を酥酪(そらく:醍醐味の精乳)に完成熟させるのである。(中央公論社大乗仏典”道元”より)≫

上記は1232年中秋、陰暦8月15日頃、鎮西の俗弟子、楊光秀宛に、道元禅師34歳の頃執筆されたものであり、正法眼蔵、現成公案の最終を飾る言葉として、また、道元の出家の原点になる話題であり、古来様々な人が評論、注釈しています。
 聞解は、「風性常住は体、無処不周は用」であり、扇を使う用に於いて風も動く、風性常住でなければ扇いでも風は来ぬと言う。
 私記には、「自己の知見、慮知によって合点する、みな情識なり。麻谷の問答は、何必(かひつ)の引証なり」
 御抄には、「僧は世間の風の心をいい、禅師は仏家の風を答う……諸仏常住、無処不周ともいうべく、衆生常住・無処不周ともいいつべし」
 弁註には、「有所得は尽く妄想邪見なり」」とあります。

 前出の臨済の言葉に風大、地大とある。地水火風は、この当時の世界を形成する元素である。風は、空気の別名であり、風の本体は何処にも存在するものとして、見えないものとして、動かないものとしてある。風や波はその見えないものの表現であり、現成(差別の相)であるのでしょう。また、見えるもの、動くものとしてあるといえます。見えないもの、動かないものは、空気や水は公案(平等の相)として、澗水や扇の風は、動かないものの動いたものであるのでしょう。

 イスラエルでは、ヘブライ語で神の霊ルアーは、風を意味すると聞く。風性常住は、本然自性と重なる。隠すところなく、衆生本来仏であり、欠けることなく与えられていた事でもあります。澗水や急は、本体が現成した姿と言えます。
 「経典(涅槃経)には、仏性は誰にも備わっていると書いてある、それなのに、仏となるのに、何故あらためて発心して修行しなければならないのか」と、若かりし頃、道元は自問自答したという。

 本来の自己が、活発に活動した現成、表現が、扇を持つことであり、空気が風となって現成、表現される。
 扇を使うという行為がなければ、常住なる風性も動いて風とならない。動くとは動かないものが動くのである。ここに仏教の立場がある。行為に於いて具体的になるという。

 黄金と酥酪は、仏教本来の立場にして真理を意味し、仏の姿であり、風性常住は法性常住であり衆生本来仏なりである。この世界はその活波乱である。大地もそのまま黄金であり、長江の水も酥酪である。


鎮州普化(ふけ)和尚

鎮州普化(ふけ)和尚

 臨済録には普化和尚の話しがよく出てくる。その中で、私が好きなのは、全身脱去の話しだ。
普化はある日、自分に死が近いことを知り、街中で人々に僧衣を布施してくれとねだった。人はそれぞれ僧衣を贈ったたが、普化は、誰からももらわなかった。
 臨済は院主に棺桶を買わせた。普化が臨済院に帰ってきた時、言った。

 「わしは、汝のために僧衣を作っておいた」と。
 普化は、「臨済の小童、よくやるよ」と、受け取って別れを告げた。
 普化は、早速棺桶を担いで市街にくりだし、街中に叫んだ。
 「臨済が、わしがために僧衣を作ってくれた。わしは東門に行って死ぬぞ」
 市民は競って、普化の後を追い、様子を見ようとした。
 「今日は、八卦が良くない。まだ死なぬ。明日南門で死のう」
 市民はまた、昨日のように街を出た。
 「明日の西門でのほうが、縁起がよいようだ。今日はやめた」
 翌日は、市民の数か少なくなってきた。普化はまたも取りやめた。
こうした事が三日続くと、人々は普化の言うことを、信じなくなってしまった。そして四日目になると、誰もついて来なかった。

 普化は城外に出て、鈴を振りながら自分で棺の中に入り逝ってしまった。するとこの事件は街中に広まって、人々は先を争って集まり、棺を開けた。すると、普化は全身脱去しているでわないか。ただ空中に鈴の音が響いて去って行くのが聞こえたそうだ。
 先日、3年という長さの年月で、患う母を持つ男性と話しをした。彼がつぶやく言葉に、そういうものかと受けて、同じ立場に立ってみれば、私もそう思うだろうと同意する。
 その言葉は、「存在としてあるだけでも、母が今、生きていることだけで良いのです」、だった。

 患った側から見るか、看病する側からどう思うかでは、話しは違っている。まして、伝説の人となるとなおさらだ。肉親はいたのか。病気だったのか。どういう時代にどう言う生き方をしたのか。臨済録や伝統録の記録は、かっこいい断片だけだが、それが歴史のなせる技なのだろう。普通だったら、普化を惜しんで命を粗末にするなときっと呼びかけているはずだ。

 数年前、鎌倉建長寺の管長の自坊に老いた母親が患っていた時のことだ。管長の妹さんが懸命に看病していたが、管長はその妹に「看病に、後悔するなよ」と、言っていた言葉を思い出す。

 普段の普化の生活は、鈴を鳴らしながらの托鉢を中心に営まれていたらしく、全身脱去の鈴は、その鈴を髣髴させる。僧衣は直綴(じきとつ)といって、ここでは旅衣の意味を持たせば、より解りやすい。無文老師は麻衣と書いているが、普通の人も着ていたというが、文人や道教の人達も着ていた衣だろうか。
死という概念も普化の時代と現代はずいぶん変わっているわけだが、当時の中国の話では、人の死は次の世界への旅立ちで会ったのだろう。その世界は繰り返すというより、一方的な旅立ちであり、やはり寂しいことであったろう。中国の辺境を旅する人が、峠で聞く猿の泣き声に涙したとあるが、似ている。猿の鳴き声と鈴の音が共通する響きをもっている。
原文は「隠隠として去るを聞くのみ」とある。一人身の市井に食を求める乞食の風来坊の禅者にとって死に様は、いかにも普化に似つかわしく、呆気ない。呆気ないからこそ、隠隠と響くのか、そこから何かを取り出そうとすると、普化のことだ、お膳をひっくり返してさっさとそこにはいない。まったく取り付く隙が無くして、形にはまらずだ。無理して紫の衣を着させてみれば、毒が抜かれて死んでしまうに違いない。この話しは、達磨の消えて行くさまとよく似ている。

 普化は普段、墓場に寝泊りしていたらしく、日中は鈴を持って街に出、食を乞うたらしいから、生活だけをみると、今のホームレスとかわりはない。そう思ったら、隅田川河畔に点点としてある、青いビニールシートの家の住人に、何やら熱いものがこみ上げて来た。

 母が元気だった頃、早朝の寺の前を通り過ぎたホームレスに、大声で声を掛け、菓子をあげていたのを思い出した。掃除の手を休めて、ホームレスを呼びとめ、寺に戻って、菓子を持ってきて渡すというあわただしい動作に、あれは何だったのだろうと思っていたが、懐かしくなった。
 三十年以上前、新宿東口に、風月堂という喫茶店があった。クラシックやジャズが流れて、一種独特の雰囲気があり、梁山泊のごとき、いろいろの人が宿っていた。総称してフーテンと言ったが、彼らも政治や芝居、音楽、思想と良く語り合ったものだ。そのなかに、ひょっとすると普化も紛れ込んでいたかもしれない。

 私が二十数年前、京都の南禅寺僧堂より帰ってきた時、寺の玄関に、それまで使っていた網代傘と行雲流水と書かれた看板袋を掲げて、和尚が逗留しているという標しを示した。その袋と網代傘は今も使われずに壁にさがっている。普化から言わせれば、今の寺のそんな所に本当の禅はあるわけないと言われそうだ。いや普化だったらそんな所にひっかかっているわけはない。
せめて、行雲流水そのままの心で脱落し、行雲流水そのものにならなければと思うが、年寄りには安心され、仲間には信頼され、若い人には慕われる。これぞ、せめてもの極意としようが、私にはなかなか出来ない。修行がたりない。まだそんな所に引っかかている。

寒山・拾得

寒山・拾得

老いをさがそうと寒山に登ろうとしたが、寒山に老いはなかった。
《 歳月、流水のごとく、須臾(しゅゆ)にして老翁となる。》
 この言葉も、人間の一生は、あたかもお盆の中にはう虫のようなものだ。人は、終日、盆の中にありて、塵や埃にまみれて、苦悩はつきない。そして、神仙のような傑出した精神は得られることもないのあとに続く言葉です。須臾にして老いる身は、多くの人間であり、そんなことは当たり前のこととして、寒山自身の老いの姿もみえません。

 東洋の伝説に老いの生活や苦労の姿は、なかなか見えない。
 寒山・拾得は、8世紀から9世紀頃の人として、語録やこの寒山詩に消息があるのみで、一切は不明な人物として史上に登場します。
《昔はかなり貧乏だった。今はもっとひどい。何かをなそうにもうまくゆかず、歩みは苦労ばっかりだ。泥みちを行くにも脚を取られ、村人と交われば腹が痛む。猫さえもいなくなった思ったら、鼠どもが米びつを囲んでいる。》

 その生活は、貧しく、貧しさも、彼らにかかれば黄金色に色を変えるから不思議です。
 この寒山の貧と比べて思い出したのは、石川啄木でした。一握(いちあく)の砂や、悲しき玩具の歌集を読むと、同じ生活や貧しさでも、啄木の歌は救われない。しかし、その救われない歌で、今までの短歌に新しい道を開いた啄木ではあるのですが。
《はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る。
 「石川はふびんな奴だと。」 ときにかう自分で言ひて かなしみてみる。
 この四五年 空を仰ぐといふことが一度もなかりき。かうなるものか?》

 こうも自己の内面を赤裸々に、そして奔放といえるほどにさらけ出すと、読んでいる方は、かえって爽快になるから不思議だ。しかし、90年前の当時、この短歌に接した人々は、衝撃を受けたことと思う。

《大といふ字を百あまり 砂に書き 死ぬことをやめて帰(かへ)り来(きた)れり。
 怒ると時 かならずひとつ鉢を割り 九百九十九割りて死なまし。
 死ぬことを 持薬をのむがごとくにも我はおもへり 心いためば
 何がなしに 頭のなかに崖ありて 日毎(ひごと)に土のくづるるごとし。
 その親にも、親の親にも似るなかれ――かく汝が父は思へるぞ、子よ。》
(岩波文庫啄木歌集より)
 今までに、このような歌に接したことがない。

 寒山の貧は、ああ貧にしてまた病む身であり、友や肉親もいないという孤独がおおうが、憔悴することはなく、《愁い多ければ定(かな)らず人を損(そん)せん》という。深い愁いは人の老いをはやめ 、命を損(そこ)なうことを知っている。

《心を落ち着ける場所を得たいと思えば、寒山こそは、思う場所である。微風が、幽松の間を吹いている。間近に聴けくほどによい。その樹下に、白髪まみれの老人が(中国は太古の聖人黄帝か老子の)書を、読みふけっている。その男は、もう十年以上もふるさとに帰らず、ここに来たときの道は忘れている。》
 寒山詩には、拾得(じっとく)という名の朋友が連れだって登場することは少ない。それでいて、寒山・拾得は、山水画のテーマであり、人々の話にはたびたび登場する。

 この詩を念頭にして禅の語録・從容録(しょうようろく)に宏智正覚(わんししょうかく)禅師が、拾得を登場させます。
《寒山来時(らいじ)の路(みち)を忘却すれば、拾得(じっとく)相将(あいひき)いて、手を携(たずさ)えて帰る》

 寒山の住んだ地は、寒巌(寒石山)で、中国浙江省天台山にあります。ここは、6世紀に、天台宗の祖・天台智顗(てんだいちぎ)が、この地で禅を修行したゆかりの地であり、國清寺(こくせいじ)という寺を中心に栄えました。天台山は天台宗の根本道場でもあるからです。8世紀9世紀になると、道士(道教)と禅師たちがこの場所に集うようになります。

 その天台山の寒巌に暮らす寒山の説話は、寒山と豊干(ぶかん)禅師それに拾得が加わり物語化がまします。
 この詩で、寒山の住み暮らすぶりは、来た路を忘れ去るほどですから、それは、悟りきった世界にして、何ものもつけ込む余地のない世界にたとえられています。こうしたの寒山の精神世界に、拾得が登場させて、寒山を、奥深い山の中から手を携えて下り来させようとするのが、この宏智の詩となっています。

 話は変わって、釈迦三尊像とは、お釈迦様に文殊菩薩に普賢菩薩を指します。この詩において、寒山は智慧第一の文殊菩薩にたとえられ、拾得は慈悲第一の普賢菩薩にたとえられています。澄み切った世界に暮らすことを、独りよがりとみて、こうした世界に暮らすことの是非を宏智は問題にしているのです。これぞ大乗仏教の説くところなのですが、実際となると、修行道場の老師でないと、なかなか……。 

 政治と庶民の生活を考えてみると、智慧第一を、官僚の机上の政策にたとえてみると、慈悲第一は、庶民の暮らしとなるのでしょうか。庶民の暮らしは喜怒哀楽であり、その観察するところは机上の政策です。机上の政策は人が喜怒哀楽を生きる知恵となってこそ智慧の真価が問われます。拾得の詩のようにです。

《この世に生を受けて、楽しきことを考えるとするなら、それは山居することだ。
 木々が咲かせる花々は、錦に似て、心を華やかにする
 四季ごとに見せる 姿はいつも身をすがすがしくさせる。
 あるときは渓谷の巌(いわお)に坐り、迫りくる緑に眼をさらす。
 こうして、のどかに、楽しんでいるようではあるが、
 心では、そこに留まれば留まるほど人々のことを想う》

 拾得の詩は、智慧第一の世界をもつがゆえに、慈悲第一の世界が見えてきます。そこで寒山が言うには、いたずらに争い競うことをす、べきではない《仏は説けり もと平等にして 総て真如の性ありと ただつまびらかに思量せよ》と。
(岩波書店 中国詩人選集 『寒山』を参考にしました。)

 モノが見えるということは、視力があり、認知する機能があり、それを記憶する機能があり、判断する機能がなければ、成り立たない。しかし、見えているからといって、見えないことがたくさんあるのです。もっと見たい。そして総てを見通す術を手にしたいと、誰もが思うことでしょう。

 人を見る時、真正面から見れば、長四角の彼、上から見れば、真丸の彼、斜め上方から見れば、楕円形の彼、受け入れられる彼は長四角だが、怖いと思う彼は真丸の彼、彼の全体は円柱のように、人は見る角度によって、装いが違うものです。
 見えたり見えなかったり、虹にたとえて、実は、探している真実は、その彼方にきっと在るのではないかと………。
しかし、それが虹の姿だとしたら、……。


ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―

ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―

題名 豚の死なない日 続豚の死なない日著 ロバート・ニュートン・ペック
訳 金原瑞人  刊 白水社

 正月、ホテルの宴会担当の女性と話をしていて、やはり、この業界にとっても、10年、20年先の姿を想像することの難しい東京になってきたことを、顕著に感じました。
彼女によると、結婚式に見る変化は、従来の形は全くと言っていいほど、役に立たなくなってきているといいます。その言葉に、少しでも、その先の世界を見たいがために、いったいどんな風にというと、先ず、仲人が間に入る形式がなくなってきたこと。雛壇があって、そこに新郎新婦が座るスタイルは変化し、新郎新婦の位置が、段差のないテーブルに移動してきていること。珍しいこと、新規なこと、変わったことと、親の姿が見えなくなってきていること等、その変わり様は目まぐるしく、もはや、ホテルの営業を始めた頃とは格段に違ったものになってきたという。
その時、このことは、もう少し経てば、これと同じことが人の終末においても起きてくるのだろうと、感じました。

自分たちでものごとを考えてすることは必要なことであると思いますが、親が見えてこないことに、危機感を覚えます。私たちの歴史はどこにあるのだろうか?ただ壊されるだけの歴史だったのか、と歴史の何を、私たちはつかんでいたのだろうかと考えてしまいます。
中学で日本史を習ったとき、下克上の世の中と教わったが、何に対して下克上なのかと不思議に思ったことがあった。どうしてそう思ったかというと、つまりは、モラルが壊れたことが、壊された方には問題になり、壊した方に、正当性があることの裏付けは、民主主義の原点ではないかと、薄々思ったのだ。上を壊して、下に正義があると。

2000年という年は、モラルが、破壊され喪失した時代と言えないだろうか。
特に、議員や公務員の犯罪発生率を調べれば、この国の至っている現状がわかる。人が生きる社会は、何らかのモラルがなければ、安心して生きていくことが出来ない。古いモラルが無くなったなら、新しいモラルが形成されなければ秩序を維持できないのだが、混沌自体が秩序になってしまったら、それは狂気の世界です。
昨年の11月に、私の叔父がなくなりました。私はその通夜の式場で、本当に久しぶりに、小学校の友人に会い、親しく話をしました。後日、その友人から、メールをもらいました。
その葬儀を、どういう風に感じて、どう思ったかを、幼なじみに聞いた返事です。

 幼なじみのメール。『今日告別式に出て、壇払いの席でお坊さんのお決まりの説法(?)を聞きました、私も、妻も何を言っているのかわからない説法でした、もう少し砕けてわかりやすくしてほしい、お釈迦さまの話????あまり学のない私たちには無駄な時間でした、それより早く飲みたい。半分過ぎた人生残りを大切に遊びたい、宜しく。』
壇払いの話とは、説法といえるものではなく、僧侶本人が勝手に思いこんでいるだけの、まったく通じない話でした。葬儀を執行したのは、八王子の市街の中心に、大きな寺領をかかえて、伽藍を維持している、浄土宗のG寺の住職でした。
幼なじみの友人は、「煩悩の餓鬼となって、飢えをしのぐために、さらに美味いものを食べて、遊びたい。今を楽しみたい。充実したい」と、言ってることと同じです。彼の表現を、別に言い換えれば、こういうことでしょう。人は、その為に、人を殺し、傷つけ、略奪し、追いつめると言ったら、言い過ぎでしょうか?
大勢の人が集い、叔父に対する葬儀の執行に、この住職の表現は、我々に語りかけてくるものがなにもないのです。叔父のことも語らないし、今後の遺族のあり方も語らない。仏教こそが、真にそのことの意味を追求してきたはずではなかったのか。
法式や形式が、時代と合わなくなったと知ったなら、修整することも出来ない住職を頂くことに、拒否できない檀信徒は、はっきり言って不幸です。そのことこそ、豊かさの追求なのです。
父親や母親は、子供に何を与えてきたのだろうか、といぶかる時代です。何を伝えたいのかと自問したとき、自問する大人は、果たして、何を伝えたいのか、伝えたいものがあるとすれば、そうさせる根幹の思想・概念を考えたことがあるのか、多くの人たちは、ただ目前にぶら下がる問題のみに追われて、その背景を自分の足で、じっくり着実に考えることを忘れている。
 以下に、記す内容は、冒頭の本の一部です。ご一読下さい。
 《豚の死なない日》より
1960年後半頃より1970年前半にかけて、アメリカでは、ヤングアダルトという分野の作品に、きわめて優れた作品が出版された。本作品も1972年に発表され、一躍作家として認められた。白水社からは金原瑞人氏が翻訳で、1996年に出版した。後に、彼の訳文から、随所に、この本の簡潔にして、言葉を差し挟むことの困難なほどの、圧倒的な迫力の現実描写から語られるものこそ、今、日本に一番欠けて、喪失してしまった、人が生きるという原点にあるものが語られてある。装飾的なものを一切しりぞけ、人が必死に生きることの、真の価値が描かれている。
《父、ヘイヴン・ペックに……。父は寡黙で穏やかで、豚をころすのが仕事だった。》この本の、巻頭の言葉だ。農夫の心はウサギの心のようにやさしい。農夫の目は青い。しかし農夫の目はワシのように鋭く人の心を見抜く。

ヘイヴン・ペックがいう。「それにタナーだって、おたがいの土地の境には柵を立てたほうがいいと思っている。わしと同じようにな。ベンジャミンはわかっているんだ。柵はいがみあうためのものじゅあなくて、仲良くやっていくためのものだってことをな」

ヘイヴンは大地の道理を語る。「今の町の連中にはさっぱり縁のなくなってしまったものだ。あいつらにはそれがわからないから、くだらんものだと思っているがな」
 「そうとも。大地の掟といってもいい。日没の頃のソロモンをみればわかる。あのでかい牛も夕方だけは落ち着かなくなるだろう。それは昔、日が暮れるとオオカミたちがやってきたせいなんだ。一度もみたことがなくても、ソロモンはオオカミがどういうものか知っている。一日の仕事が終わったら、ゆっくり休まなくてはいけないことも、守ってくれる囲いが必要なこともな。囲いの中にいれば、壁に体をぴったりつけて、反対側をみていればいい」

「父さん、僕たちは豊かじゃないよ。」「豊かじゃないか。互いに守るべき人がいて、耕すべき土地がある。それにこの土地はいつかわしらのものになる。……日が沈むのをみれば、目頭が熱くなり、胸は高鳴る。風の音に耳を傾ければ音楽だってきこえるじゃないか。心はうきうきして、ステップを踏みたくなる。まるでヴァイオリンでもきいているようだ」

「たいせつなのは、仕事をする力があるかどうかということだ。ときどき、もうこれ以上、クレイ・サンダーのところの豚を殺せないんじゃないかと思うこともある。しかしわしは毎日豚を殺す。殺さなくてはいけないからな。それがわしの仕事なんだ」「人間は自分の仕事から逃げてはいけない」

「わしら大人がみんなおまえのように夢ばかりみていたら、無理だろう。あのソロモンだって夢があるだろうが、それでも足はちゃんと動かしているぞ。」

「口をつぎむ時を心得ろ」と父さんにいわれたことがある。その言葉は考えれば考えるほど正しく思える。

「うちの旅人はどうだ?」父さんの声だ。「帰ってきましたよ」母さんが答えた。「夢の世界からね」

「ロバート、そんなことしてなんになる。事実から目をそむけるな」

「不公平だね、父さん」僕はいった。「世の中というのは不公平なものだ」父さんが答えた。

「一日が終わっても、この豚のにおいは消えない。だが母さんは今まで、これぽっちも文句をいったことはない。一度わしは、母さんにすまないとあやまったことがあった」
「母さんはなんていったの?」
「こういってくれた。誠実な仕事のにおいじゃありませんか。あなたがあやまる必要はないし、わたしも聞きたくありません、とな」

父さんは一度ぼくに教えてくれたことがある。木は人間を三回温めてくれるんだ、と。一回目は木を切るとき、二回目はそれを引っぱるとき、そして三回目は燃やすときだ。
「冬がそこまできてるね、父さん」

「ロバート、ひとついっておくことがある。『ほしい』というのは弱い言葉だ。ほしいと思ったからといって、何がどうなるものでもない。大切なのは自分がどうするか、自分の手で何をするかということだ」

「父さん、どうしてぼくたちは『質実の民』でなくちゃいけないの?どうして?」
「それがわしらの生き方だからだ」
「ぼくは一生ああいうコートは着られないの?どうしてもだめなの?」
「着られるさ。自分で稼げばいい。おまえもそのうち一人前になる。それも、すぐにな」
「まだまだ先の話だよ」ぼくがいった。
「先じゃだめなんだ、ロバート。すぐに一人前にならなくては。今年の冬のあいだに大人になるんだ」

「すべてのものには終わりがある。そういうものなんだ。嘘じゃない。真実から目をそむけるな」
「春がきたら、おまえはもう男の子じゃない。一人前の男になるんだ。13歳の大人だ。この土地で何かやるときには、つねにおまえが責任を持て。おまえひとりが頼りなんだ」

「父さんはいつも働いてます。休むことを知らないだけじゃなくて、もっと困ったことに、心も働きっぱなしなんです。顔をみればわかります。命がけで何かを追い求めているみたいで、ぼくにはそれがなんだかわからないけど、いつだってそれは父さんの手の届かないところにあって、絶対につかまえることはできないように思えるんです」

父さんは冬のあいだは持ちこたえた。5月3日に、牛小屋でねむっているあいだに死んだ。父さんはいつもぼくより早く起きる。その朝ぼくがいってみると、牛小屋は物音ひとつしなかった。父さんは自分で作ったわらの寝床に横になったままだった。そばにいかなくても死んでいるのがわかった。
「父さん」ぼくは一度だけ声をかけた。「だいじょうぶ、今朝は寝てていいからね。起きることなんかないよ。仕事はぼくがやるから。もう父さんは働かないでいい、休んでていいんだよ」

「墓標も墓石もない。そこに眠っているのが誰なのか、60年の生涯にどんなことをしてきたのか、それを伝えるものは何もない。ぼくはキャリー叔母さんと母さんにはさまれて、父さんの墓をあとにした。ふたりともしっかり前を向いて歩いていた。ぼくはそんなふたりと並んで歩いていることを誇らしく思った。母さんのやさしそうな顔は無表情でさびしげだった。母さんの心を占めているものを言葉にすることはできない。ぼくたちはそれぞれ心の中の父さんに思いを馳せた。

このヴァーモントの土の下にぼくの父ヘイヴン・ペックがいる。額に汗して懸命に働き、自分のものにしたいと願っていた土の奥深くに眠っている。今、父さんはヴァーモントの土の一部になったのだ。「おやすみ、父さん」ぼくはいった。「13年間、父さんといっしょに暮らせて幸せだったよ」

《続・豚の死なない日》より
 父ヘイヴン・ペック亡き後の、愛児ロバート・ペックの苦難。父の記憶を頼りに、父から教わったことを、土台に、家族を支え着実に力強く歩むロバート。
そこに、ちょうど大恐慌が興り、世界は一瞬のうちに、大不景気に、父から譲り受けた5エーカーの小さな農場にも押し寄せてきます。老いた乳牛デイジーの乳が出なくなってしまったことからはじまる、その顛末。働き牡牛ソロモンの死の顛末は、すべて彼の肩に掛かってきて、農場は暗雲が立ちこめる。そこに大干ばつが襲う。彼は銀行への月12ドルの借金返済、農場の固定資産税支払いと、ついに現金の収入が途絶えて、父や兄たちが葬られている農場を、手放すことになってしまうのです。


牡牛ソロモンの死を、受け入れたロバートは、ひたすら大地に穴を掘った。母は静かな声で祈りを捧げた。「死に安らぐものは、土の一部となる。雲が空の一部であるように」

「自然の世界には悪いものも汚いものもないからな。……ヘイヴンにもう一度会いたいもんだなあ。いつだって信頼できるりっぱな隣人だった」と言わせるヘイヴンも立派だが、そう言うタナーも立派だ。良き大人たちに囲まれるロバートは、その時「父が死んだとき、僕は神様が太陽を空からはぎとってしまわれたような気がした。自分が火がつかないランプになったような気持ちだった。そして乳のでなくなったデイジーを、手放す決心をするとき、「デイジー、なんで僕たちは親しい仲間をこんなにたくさん失わなくちゃいけないんだろう?」と。生と死を切り離して考えるのではなく、生も死も受け入れよと自問するロバート。いつか母さんも、叔母さんも、この手で葬らなくてはならない時が来るだろうと、考えていた。

彼は種をまいたばかりの畑に立ちつくしていた。そばにいるのは神様だけだ。その時突然、神様に最後までやりとげさせてください、とたのむのはやめようと思った。ただ、やりとげる力をお貸しくださいとだけ祈った。すべてを彼に託した父の死後、半年たった時。

デイジーを、犬用の餌として売ったロバート。デイジーはばたばた暴れたが、逃げ道はない。「さがってろ、坊主」。ハンマーが眉間の小さなつむじの下のあたりをうち砕く音。デイジーが倒れる音。彼は、帰りの道すがら、デイジーの名前を呼び続けた。どうか、どこか緑の濃いところでソロモンと暮らしていますように、と祈りながら。

トウモロコシの種を撒いた畑を干ばつが襲う。「父さんはいってたよ。仕事をやめるのは疲れたときじゃない。仕事が終わったときだって」と、ロバートは、畑に、丘の下からバケツで水を運ぶ。
「あら星よ」母さんがいった。「感謝の祈りを忘れていたわね」「この世には、こうした恵みにあずかれない者もおります。その人々にも祝福がありますように。」ロバートは、生まれてから今まで今日ほど神様に感謝したことはなかった。

「母さん、ぼく疲れたよ。今日はいろんなことをきかされたんで、わけがわからなくなりそうだ。頭がこんがらがっちゃうよ」ぼくは母さんの頬にふれた。「だけどぼくだってそろそろ自分でちゃんと考えられる年だよ。何が正しいか考えて、間違ったことはしないようにする。だから信じて」

要するにぼくたちが成長するということは単に背が大きくなるということではないのだ。ある意味では、マルコム先生は、本当の農夫だ。かたい決意をもって種をまいている。収穫するのはぼくたちだ。先生をみると、先生以上の何かを感じる。ある意味では、戦士のようだ。でなければろうそくに似ている。敵は僕たちの中にある闇だ。

「大人になるっていうことはがまんしなくちゃいけないってことだ。男らしくするってことだ。」ウィルヘンリーが弟のジェイコブ。ヘンリーとロバート・ペックに言った言葉です。男らしくとは、いくじがないなんて思われたくないことなのです。

いったい大恐慌の時代に、貧しい13才の少年が、こぶしをかためて、母と叔母を養うために、あえて冬の風の中を歩く姿を、どう想像したらよいのか、けんとうもつかない。

「13歳の挫折なんて挫折のうちに入らないわ」と慰める、幼き恋人は「耕すべき土地を失うことがあっても、そこで人生が終わるわけわけじゃないんだから」と、「冬が終わる前にたきぎを全部燃やしてしまうなんてばかげているわ」と、決してあきらめてはいけないと、こういうときだからこそ、胸を張って、堂々としろと励ます。

父の残した農場を無くすことの葛藤を通して、多くのことを学び、最後のこの3人の家族は、友人の家の2階に間借りするすりことになる。一つ一つの問題を真っ正面から受け止め、着実に乗り越えてゆくことは、それが成長するということの証。引っ越しはクリスマスイブの夜。多くの友人がこの親子を祝福してくれた。その夜、少年は、「こんなに心が満たされたのは生まれてはじめてだよ。こんなに幸せなことも」と、感謝した。



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