目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
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五百生(平成19年11月20日)

五百生(ごひゃくしょう)(平成19年11月20日)

 これは、今から1200年以上前、百丈懐会(ひゃくじょうえかい)禅師という方のお話しで、中国は、唐代中頃のころの話しです。まだ日本には、本格的に禅が伝わっていません。
 馬祖道一(ばそどういつ)禅師→百丈懐会禅師→黄檗希運(おうばくきうん)禅師→臨済義玄(りんざいぎげん)禅師となって、臨済宗は始まりますが、その源をたどれば、馬祖の遙か前に、達磨がいて、釈尊がいることになります。
 この頃になると、大勢の雲水を抱える禅宗教団の修行の道場は、たとえ山深い人里離れた場所であっても、まかないの惣菜(そうざい)など食糧の多くのものを自ら造って、活気のある生活をしていました。こうした生活様式は、他の仏教教団とは一線を画して、大きな違いだったのです。
 畑には、多くの野菜、お茶、牛を飼い牛乳を生産していたのです。きっと、かまどには、一日中、煙が絶えることがなかったことでしょう。
 もちろん、薪(まき)の切り出しや運搬も、雲水という修行僧の役目でした。きっと汗にまみれて作務(さむ=労働のこと)をする雲水は、汗くさかったし、衣服を買うこともままならなかったほどに、僧院は、多くの人をかかえていたと思われます。
 こうしたの禅宗の修行生活の基礎をつくった人物が百丈和尚です。百丈和尚が若かりしとき、あまりにもぼろの衣と汗くささに、図書館の官吏は、経本の閲覧を拒んだと記録にありますが、身近に感じる故事です。
 「一日作(な)さざれば、一日食(く)らわず」の言葉は、この百丈和尚の言葉で、大勢の雲水の集まりの中で、働かなければ生きて行けなかった環境があったのだろうと思いますが、それだけではなく、みずからを律し、人々のために働くという慈しみが感じられ、親しみが湧きます。
 釈迦の時代を受けつぐ南伝の仏教を、田畑を耕し、家畜を飼い、草木を伐採し、収穫をあげ、医薬をつくること等、この時代頃より遠ざけられ、大乗の仏教の変化です。多分、釈迦時代のような、大檀越が少なかったのかもしれません。その結果、集団を運営する経済感覚が養われたのだとも思います。
 典蔵(てんぞう)という賄(まかな)い係、副司(ふうす)という経理係、維那(いな)というお経係、知客(しか)という運営統括者、侍者(じしゃ)という衆僧接待係、直日(じきじつ)という衆僧統括者等という制度が確立されたのも、この百丈和尚の頃でした。
 僧院の衆僧全員により、助け合って働くことを、普請(ふしん)といいますが、この百丈和尚の言葉のようです。修行道場にて、頻繁に行われる総茶礼(そうざれい)は、修行者全員でお茶を喫することですが、働くだけではなく、その場に集う全員でお茶を喫することその中に、お茶を通して意味が生じます。「お茶にしよう!」と、知らず、この時代の言葉を我々も受け継いでいます。
 また、禅には、『道中(どうちゅう=作務を含めた行為による)の工夫』という言葉があります。それは、『靜中(じょうちゅう=坐禅による)の工夫に勝ること百千万倍』というごとく、作務という行為を通して、心を耕し、人を耕すということを発見したといえるでしょう。
 禅宗の規則という厳格さと道場の静寂は、常に心を耕しながら真を求めてやまない雲水の姿がある故です。托鉢する多くの修行僧の雁行(がんこう=雁の飛んで連なる姿)も、ホーホーというかけ声のなかにも、静けさが表れています。この修行道場の制度が在ればこそ、今でも、禅宗は保たれているといっても過言ではありません。この修行道場の制度を作られた偉業の人物こそ、百丈和尚でした。
 そんな多くの衆僧が集う僧院で、衆僧を指導する百丈和尚は、毎日、多くの修行者に法を説き、巧みに問答を仕掛けます。
 あるとき、百丈和尚は、いつも説法をしているとき、一人の老人がそっと話しを聞いていることに気がつきました。毎日のことでしたが、衆僧が退くと、知らず老人の姿も消えていました。
 そしてある日のことでした。衆僧が散々に散った後に、老人は一人のこり、百丈和尚の前に姿をさらしたのでした。
 百丈和尚は、「おまえは誰だ?」と問いかけました。
 すると、老人は答えました。
 「わたしは人間ではありません。はるか昔、それは迦葉仏(かしょうぶつ=釈迦が誕生する前の、過去七仏の六番目の仏)の時代でしたが、この山に住んでいたのです。
 あるとき、修行者が、『修行を完成した人は、因果の定めに落ちるでしょうか?』と、尋ねてきました。そこで私は、『因果の定めに落ちない』と答えたのです。
 それ以来、五百回も野狐(やこ=きつね)の身として生まれ変わりを繰り返しているのです。どうか和尚さん、わたしに替わって、この身を救うお言葉を、述べて頂きますようお願いします。」
 そして、百丈和尚に、たずねました。
 「修行を完成した人は、因果の定めに、落ちるでしょうか?」
 百丈和尚は言いました。「因果の定めを、くらまさず。」
 老人はただちに悟り礼拝しました。
 後日、百丈和尚は、修行僧に命じて、山奥の巌下に横たわる一匹の狐の骸を探し出し、亡僧の葬儀を執り行ったと言うことです。

 因果の世界とは、縁起の世界と同じで、今、わたし達が生きる世界に違いありません。この縁起ゆえに、今の私があると言えば、この因果こそ、今の私を現すものです。
 この故事に、飯田老師は、「老人何ものぞ、人にあらず、狐にあらず、神にあらず、仏にあらず、ただこれ因果じゃ。」と、今のこの私に成りきったなら、狐も人もないと、この一瞬を生きろ、因果そのものの中にこそ、おまえの生きる場所が在るではないかと諭します。別の言葉で言えば、今のあるがままのおまえ自身を、受け入れよということでしょうか。それは、自己が空なる、仏なる自覚でもあります。
 因果や縁起のない世界とは、神や仏の世界でしょうし、そこには、この問答のように、問うことも、答えることもありません。因果や縁起も、本来空なる世界です。
 その空が空の世界に住むことを、「狐が狐に安住して他をうらやまぬ時を仏と言い、人が人に満足せずして求めてやまぬ時を狐という」と、これも飯田老師の言葉です。
 因果に落ちずに住むことで、長い年月の流転を繰り返し。くらまさないで、この繋縛(けばく)が解かれます。共に答えであることが、ここに引っかかれば、因果に落ちるし、因果にくらまされると、迷妄の世界に入ってゆきます。
 自己そのものも本来空であり、因縁・業も、本来空であることを思えば、この本来空の場において、諸縁に対して真っ向に引き受けていく、これを仏道というのだと思います。

 五百回は数えることに困難な数字です。狐だからこそ、人を騙そうとするのか?考えてみれば、百丈も狐に似て、人を迷わします。五百回も繰り返して生きることができるならば、その五百世の一生一生を充実して生きれば、この老人は多生の縁を、くり返し楽しんだはずですし、煩悩と菩提のあいだの往復を繰り返したはずです。
 何ともこの世は、変化に富んで面白く、不可思議で、解ろうとすれば、人や狐を迷わします。何度となく迷ってみなければ、解らないことかも知れません。
 「因果に落ちない」で、生まれ変わり。「因果の定めをくらまさず」に、死して、再びめぐる生のない所に行ったか、どっこい、狐はここにいる。
 多回生の世界観を持つことで、再生の願望が現れ、また一回生の世界観である涅槃や解脱が現れます。仕事にしても、全存在を通して、立ち向かってゆき至れば、最早、そこにじぶん自身の存在はありません。しかし、立ち止まってみれば、因果は巡る風車のまっただ中にいたことに気づきます。
 そして、その場所で、考えてみれば、因果の世界に迷うが故にこそ、智慧や慈悲が尊ばれる世界があるとみれば、もう一度生まれ変わって、狐となり、人となるのも人間の選択肢とみれば、案外と多回生の世界こそ、人を豊かにする世界なのかも知れません。

破地獄偈(平成20年5月24日)

破地獄偈(平成20年5月24日)

 お互いが認め合うことで、たとえ、あの声が聞こえなくとも、今、話しかけたい 。たとえ、あの人が食べなくとも、今、美味しいものをお供えしたい。たとえ、喜ぶ顔が見えなくとも、お花とお香をお供えしたい。たとえ、あの姿が見えなくとも、手を合わせたい。今・ここに、いっしょに、いるから。だって、先祖の血、みんな集めて、私は、生まれたから。 

 施餓鬼会(せがきえ)の法要とは、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の兜率天内院(とそつてんないいん)を再現しようとする試みです。
 その彌勒菩薩は、五十六億七千万年後に出現するといわれています。しかし、私たちには、待つ時間はありません。
 禅に、「釈迦も弥勒も修行中」という言葉がありますが、釈尊は過去の人、弥勒菩薩は未来の人です。ともに今逢うことができないならば、私という心の中に、釈迦と弥勒を再現させる以外に方法はないではないかと。それは、私が釈迦になり、弥勒となる以外にないではないかと。
 そのヒントが、施餓鬼会法要のお経、施餓鬼文冒頭の言葉にあります。その内容は「若し人、三世一切の仏を知らんと欲せば、まさに法界性を、一切唯心が造ると観ずべし」です。世に、破地獄偈(はじごくげ)と呼ばれるものです。
 それは、仏を知ろうと思ったならば、心が世界を創っていると見破りなさいということです。

 釈尊は、クシナガラの郊外、シャーラ(沙羅)樹の林の中で最後のメッセージを発しますが、遺教經(ゆいきょうぎょう)というお経の中にあります。
 「弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火(ともしび)とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火(ともしび)とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。」
 「他の教え」とは、人間が創った教えと解してよいと思います。また「自らをよりどころとせよ」の、自らとは私なのですが、これは主体性を持った私という意味です。しかも、私の手、私の足、私の身体、私の心といったふうに、対象として考えられない私という意味です。
 その私を、鏡とたとえると分かりやすく、鏡の性質に二つの特質があります。それは、鏡はあらゆるものをすべてそのまま映すということです。もう一つは、景色が変わっても、前の景色や残像を残さないということです。
 映るものは時間とともに刻々と変わるけれども、永遠に鏡の中に残るものは何もないということです。私たちの心の中に、この鏡性という、それは静けさともいえるものですが、見届けているものがあり、それを、仏性・仏・父母未生己前本来面目・一無位の真人と、禅は位置づけているといえるでしょう。
 その鏡性は、世界を映しながら、「すべての存在は本来空相であって、真実のものは何もないと見届けています。真実に存在するものは何もないのであるから、実法なしである」と、そう徹底して見ていくのが真正の見解(けんげ)といいます。
 もっとも、真に存在するものは何もないといいながらも、実際には、世界(時間と空間)は因と縁により出現したものと解釈し、その因縁がなくなれば、消滅するものと考えています。だから実法無しと、一期一会の出会いとは、真にかけがえのない出会いのことを表しています。
 「自らをよりどころとせよ」とは、よりどころとする私を見極めることの発言ですが、さらに、「この法を灯火とし、よりどころとせよ」と釈尊は重ねて告げます。

 施餓鬼分の巻頭の語、「法界性を、一切唯心が造ると観ずべし」には、法と鏡性としての心がしるされます。この法と自ら(私=鏡性)の関係を一体としてつかむことが禅の宗旨といってもよいと思います。
 臨済録には、「云何(いか)なるか是れ法。法とは是れ心法(しんぽう)なり。心法は形無くして、十方に通貫し、目前に現用す。」とあります。
 目前に現用すという意味は、「眼に在っては見るといい、耳に在っては聞くといい、鼻に在っては香をかぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉(しっしゃく)し、足に在っては運奔(うんぽん)す。」と、心の働きになります。
 鏡性自身は、私とも、仏とも、本来の面目とも、有とも無とも言えません。何故なら対象となるものではないからです。自らが働き出したときに、初めて対象(客観)として見ることができると解釈できます。

 臨済録には、その現れ方という関係が、主観と客観を例にとり、四通り記さています。
                  《◎記:臨済録・山田無文老師・禅文化研究所出版》
◎主観を奪ってしまって、客観の世界に実在を発見していく。
 我と世界とが一体という立場において、お互いの生活を分けていくと客観だけになってしまう。自分を忘れて映画に見とれてしまう。あるものは映画だけだ。自分というものはなくなってしまう。自分を忘れて花を眺める。我を忘れて子供を愛する。客観を生かし相手を生かしてゆく。こういう場合も人生にはある。
◎客観がなくなって、主観だけになってしまう。
 そういう場合もあるはずである。相手をすっかり忘れてしまう。思う存分に歌ってやる。舞を舞う人が思う存分舞うようなものだ。天上天下唯我独尊だ。相手も周囲も社会も、何も考えずに自由自在に人間性を生かして、我を生かし、我を肯定していく。こういう場合も許される。
◎主観も客観もなくなってしまう。
 お茶をやりながらお茶を忘れ、我を忘れておる。工場で機械を動かしながら、工場におることを忘れ、機械を忘れる。仕事と我とがピッタリ一つになって、そこに人も境も忘れてしまう。内外打成の一片の無字である。念仏三昧、そういう境地もある。
◎主観があり、客観があって、お互いのこの対立的な常識的な世界が開けてくる。
 我もあり、人もあり、世界もある。「花有り、月有り、楼台(ろうたい)有り」だ。夏になったら、涼しい浴衣でも着て、家内子供連れて、有馬温泉へ行って風呂に入り、ゆっくりと涼みながら、帰ってこようか。我もあり世界もある。こういう境地もなくてはならん。この四つの世界を自由自在に使い分けていくものが、禅というものだ。

 私たちの生活は、この主観と客観のかかわり方の変化に過ぎないのですが、その主観(私)と客観(世界)を対照的に観ていくのではなく、切っても切れない主観と客観を、一体として観ていくのが禅的な生活です。
 ただし、主観は一切主張していませんし、認めることも、求めることも、願うことも、心配することも、物語を作ることもいたしません、言葉も発しません。思うことや考えることは客観として対照的なものですから、移り変わるものです。「釈迦とは誰ですか、弥勒とは誰ですか」と問われたとき、その問いをはっきりと聴いた主観こそ、釈迦や弥勒と一つも違わない普遍的な主観です。
 この主観をつかみ、わかると、眼・耳・鼻・舌・心・意に触れるものが、そのまま実在となって現れると言えるでしょう。何故なら、一体となっているからです。
 それを、生活という中に言い表してみると、縁に随ってそのままに、夫という衣装を着け、妻という衣装を着け、サラリーマンという衣装を着て、子供という衣装を着け、親という衣装着け供養するものという衣装を着けるという、主観が客観となって働きが輝きます。
 施餓鬼会法要に参加するとは、お互いの主観がお施餓鬼という客観の世界を創造することです。お互いの心がそれを認めなかったら、このお施餓鬼は存在しえないことです。

 だから、お互いが認め合うことで、たとえ、あの声が聞こえなくとも、今、話しかけたい 。たとえ、あの人が食べなくとも、今、美味しいものをお供えしたい。たとえ、喜ぶ顔が見えなくとも、お花とお香をお供えしたい。たとえ、あの姿が見えなくとも、手を合わせたい。今・ここに、いっしょに、いるから。だって、先祖の血、みんな集めて、私は、生まれたから。 
 法とは、世の中を眺めていく眼でもあります。その眼さえ分かれば、むやみにものを求めることも、さげすむこともないはずです。それは、逆に言えば、仏を見て、お金を見て、人を見て、すべてを見ていく眼となります。山田無文老師は言います。「人生の中に尊いものを発見するのではなくして、尊いものと卑しいものとを見分けていく眼をつかむことが人間の根本問題である。その眼さえ開ければ、何を見ても美しく思うように、自分の中に美しさの種を持つようになるものです。「我を見る者は法を見る。法を見る者は我をみる」と釈尊が言うとおりです。 
 ジテンキジンシュー  我ら、なんじに供物を施さん。


この指止まれ

この指止まれ!

  一体どうしてしまったのだろうか?この国は!

 この国の未来は?
 家族の行く末は?
 子供たちの未来は?
 子孫にとっての故郷は?


家族と家庭(平成11年1月5日)

家族と家庭(平成11年1月5日)

毎日が矢のように過ぎ去って行きます。そして今、私は二人の男の子を養育しています。
私の母は、八王子の古いしきたりを持つ、織物の機屋の七人兄弟の二女として生まれ、五番目の子供でした。大勢の職工さんをかかえた旧家は序列が決まって、母は下二人の妹達の世話を結婚までよく面倒を見ていたそうです。今考えると、だからこそ、序列が守られていたわけになるのだろう。そう言えば、母は若くして亡くなった三男のことを、「やさしかったし、よく世話をしてくれた」と、話していた。長男は家名を継ぎ、今も健在で九十五歳を迎えて、「百歳まで生きるのだ」と豪語しているが、家督は継ぎの世代に繋がれているものの、家業は時代の流れで廃業し、多くの八王子の機屋と同様に転業している。

 父親は侵すべからざる存在として、家庭と家業の中心として君臨していたことは間違いない。母は、私達子供に、自分の育った環境をよく話してくれた。しかし私が物心ついた頃、不思議に思ったことは、母の育った伝統の習慣を、私達には伝えてこなかったことだ。父が、八王子の中学の国語の先生をしていたので、母が育った時の環境とはかけ離れていたことは事実だ。父も次男だったせいか、そして職場を外に持ったことにより、私には、母から教わった、父から教わった習慣が無い。

今、私に伝わった習俗を点検し、見つめなおそうとしようとする時、そして新しい年を迎えようとしている今、「いや、正月の気分がなくなったですね。歳末と言う雰囲気が、本当になくなった」と、友人は言う。友人の歳末を見る景色も変わったが、実は、友人の心も、年があらたまるという変化を、新しく感じられなくなってきていることを思う。
そのことを自分に照らし考えてみてもそうだ。 子供の頃の、正月を家族と迎える気持ちに変化があるのだ。昔も今も、正月じたいは変わらないし、同じ営みを続けている。確かに、子供の頃は貧しく、今とは食べるご馳走が正月以外食べることができなかったし、晴れ着を着る時もなかった。

二十三歳を過ぎての修行の道場は、これは伝統と格式の場で、まさしく言い伝えそのものの中に、どっぷりとつかった。正月3日間は禁足、午前中は大般若経の転読をして、4日目にして、般若札を信者宅に新年の挨拶を加えて届けるのが、雲水の仕事だった。なにより嬉しいことは、厳しい行が、正月はなかったことだ。

考えてみれば、家庭における習俗は常に変化していくのは当たり前であり、その変かに合わして習俗が多様性を持たなかったのが今なのだろうか。その変化は、家庭に電気製品が侵入した頃から始まるのではないか。便利さ合理性、そしてそれに反比例するかのように、習俗が亡くなっていったように思える。分析してみても昔に戻らない。正月の新聞を読んでも、過ぎ去った歴史は様々に捉えていることはいるが、現在も未来も語られていない。

禅の見方から見れば、家庭を築きながら、家庭を問うことは、私と家庭はすでに離反していることになる。それは父親でありながら、自らの父親を問うことに、父親が不在であることの家庭の悲劇であるともいえる。自己を問うことも、問う自分と問われる自分が分離していれば、二つは離れたままだ。されど、問わなければ一つになりえないというジレンマがあるのだから、ここが面白い。
どっちに転んでも、救われるのは、私がいかに離反していようと、家庭は歩みつづけるということだ。
もし煩悩を捨てて菩提に入らば、知らず、いずくにか仏地有らん。(ほう居士)


導師(平成11年2月26日)

導師(平成10年8月30日掲載 平成11年2月26日補筆)

 葬儀において、家族の深い悲しみを背にして祭壇の前に立つとき、亡くなった人が臨終あるいは意識がなくなる前に「ありがとう」と、感謝の言葉を残していった人のことに関しては、この言葉が本人にも見取った家族にも、その人の死はそして葬儀は、天より与えられた人としての使命を全うし、死を受け入れ、卒然として旅立って行くことの確認になります。

 辛く苦しく病魔にさいなまれ、死んでも死にきれない内に迎える辛い死の場合は、その死が突然訪れようと、ゆっくり進行しようと、葬儀の場合はこの辛く苦しい無念の心を晴らさなければ送ることができません。それには、まず涅槃の中身を説くことになり、その言葉ゆえに二度と苦しみのない浄土に生まれ変わることを決定していることを宣告いたします。その中身を家族が受け入れられなければ、無念の心を代わりに背負って、そして祈ります。

 自殺の場合は、叱る場合もありますが、自殺の先の束縛からの開放の目的を提示することによって容認する場合もあるでしょうが、残された遺族と共に歩こうということを考えると、遺族の対応を見ながら、迎合はせずに、堂々と正論を主張しながら、共に歩こうという対応も必要なときがあります。
 では突然死と言われる、心臓発作、交通事故等の場合は家族にとって、戸惑いと落胆は大きく、死者が若ければなおさら喪失感は大きく言葉もかけられないのが現実でしょう。まして葬儀は時間が限られていて、その後の対応がより大きな問題となるからです。

 平成10年8月旧盆にお経を詠みに行った家庭の話です。一人息子が国立H大学の大学院を卒業目前の3月、交通事故で亡くなったのでした。25歳だったそうです。卒業の記念旅行を車で出かけた際に、4人の内彼の息子一人だけがスピードの出し過ぎだったそうですが、車から放り出されて亡くなりました。運転手の後席に乗車していたそうです。葬儀は彼の友達のいるH市で執り行われたそうです。

父母は仕事の都合で千葉県に住んでいたのですが、5月江戸川区の西葛西に引っ越してきました。仕事の都合上、定住場所を持てないのか、定年まではこの葛西で過ごそうと思っているそうでした。彼を誇りとしていただけに、その喪失感は大きく、遺骨が大切に飾られておりましたのが辛い気持ちを表わしておりました。
定年になったら、父親の故郷近くに静かに暮らしたいという、ご夫妻にはただ聞くだけで、お別れに「25年というかけがえのない思い出を頂きましたね」と声を掛け、「何か私で役に立つことが出来ましたら」と去りました。寺への帰途、とてもやりきれない思いになりました。息子を突然亡くした夫婦が、いずれ立ち直ってくれることをただ願うばかりです。葬儀に良い悪いはな いのですが、やはり考えてしまいます。「私が葬儀を執行していたら、この夫婦にどう役に立てただろうか」と。

 葬儀における導師とは、文字通り”導く師”なのですが、私は死んでいった人を導くより、死んでいった人の家族や友達の人の心を通して、死者の魂を導くのだと思うのです。そして死者の家族と共に在り続けることも必要なことではないでしょうか。共に歩き歩きつづけるため、導師はそれまでとは違った視点で捕らえ、切り口をえぐり、別れの式に集まった人々を浄化させ、人の尊厳を高らかにうたいあげなければなりません。

 亡くなった人を、何処に導くのかと言えば、それぞれの人の心の故郷です。私は心の耀きの中に導くのを生業とするのだと思っております。なぜならば、人が生きる場所は、現実には迷い悩みや辛いとこにいることが多いからです。
またその中にこそ人の生きる場所はないのだと、決め付けたほうが却って安心できるからです。共に生きる場所は私達が生きる場所でもあり、その中に浄土を、心が常に耀いていることの発見をすることが大切なことと思うのです。後のことはお任せすることが大事なように思うのですが。



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