目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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TAO(平成11年1月3日)

TAO(平成11年1月3日)

 インターネットという情報ネットワークが凄まじい勢いで世界中に張り巡らされて、国境と言う概念が薄れてゆく。この波に乗り遅れるかによって勝者が決まるかのように、あらゆる既成の体系が変化の波の中に翻弄されている。対応を一歩誤ると取り返しのつかない事態となる。何故ならば、構築体系化されたものは、次なる体系に、常に変化し再構築されなければ維持できないからだ。
お金や思想がその波に乗っかりまたたくまに、世界を何周もする時代に突入するj時代になってしまった。

 そんな時代の人々を見つめると、不景気も手伝ってか、自然と家庭や家族への回帰現象がおきているように思える。家族よりさ迷い出た人間は、犯罪を助長するかのように、人を襲う。
社会は新たなる規律や道徳を求めて動き出している。国家や世界が分裂と統合を繰り返し、すぐ目の前に迫った二十一世紀を模索している。

だが、来るべき時代に即応したビジョンは見えてこない。モラルも見えてこない。社会はより魅力ある秩序を探して、混沌の海の中をさ迷う。
社会の基礎となる核は、家族や家庭だ。その器は家である。
中身は一人一人の集まりであるのだが、家族を超えた大きな塊が秩序を求めてさ迷う時、その核となる社会の単位は結集して、核内に堅固な秩序を本能の回帰するが如くに形成する。そしてより大きな次なる秩序を形成して行くかのように見える。次なるより大きな秩序とは、新しき国家か、それとも家族単位で世界を漂流するか。

道はその家から始まる。隣の家にゆく道。会社への道。学校への道。友達のうちへの道。仲間と集う場所への道。どうやら、第三の道というものが出現してしまった。それがインターネットという獣道だ。自然と対峙しない無機質なケーブルの中の道、あるいは、電波と成って空間を突っ走る道。瞬間に生み出された意志だけがその軌道を走りつづける。家族の一人一人と言う単位に直通する道。だが、道というからには、必ず訪ね行く場所がある。

ある僧が尋ねた。 「道とはどのようなことものでしょうか」。
趙州和尚が答えた。 「その垣根の外にある」。
ある僧。  「その道のことではありません」。
趙州和尚。 「ではどの道のことだ」。
ある僧。 「大道のことでございます」。
趙州和尚。 「大道のことなら、長安に通じているよ」。

あまりにも有名な禅問答であるが、京都長岡禅塾の半頭大雅老師の言葉である。
「道というのも、もともとは、こっちの家からあちらの家に行く道なんですね。その道を修祓(しゅうふつ)する、ととのえ祓う、それが道徳ということらしいんです。だから、今の日本のように道路がきたないのは、人と人との関係がうまくいっていないことのあらわれ、ということになりますね」。
家族回帰は、最少単位の人と人との出会いや、結びつきを現実的に反省し整える姿なのだと。大道とは、現実的に、反省し整える姿、そのモノ、真っ只中にあるのだと教えてくれています。どうも、我々は先を急いで、目的地を目指しますが、実は真の目的地は、目先ではなく歩くそのもの中にあると言えます。

『人の道』と言うも、『天の道』というも、すべては今歩いている足元から始まります。私が歩くから道は存在すると同時に、歩いている私が無ければ、その道も存在しません。


四大

四大

…土と水と炎と風の中を…

 仏教で、地・水・火・風を、四大と言う。我々の肉体を形成する元素を指す言葉であるが、私はこの言葉が好きだ。

 地は糧である。土は大地に、我々が生れ、育まれる総てを含んで、そして我々の帰る場所でも有る。母も大地より生れることを思えば、大地は穢れのないものでなければならない。我々も汚染されることを思えば、地球を汚染しなければ発展しない文明は、いずれ滅びる運命を持つことになる。悲しい運命をもって生れた子供達の未来を、何とか明るく輝いたものに出来ないだろうか?仏陀は『人々が病むために、吾もまた病む』と言ったという。その言葉から、仏陀を大地に連想しすると、大地を傷つけないことは、我々のつとめとしたい。

水は潤いである。言うまでも無く命を支え、心を潤す水は、一滴より始まって大河を形成し、海に至る。このことは、道そのものとして、姿かたちを変え、やがて大海を形成する。その大海より人類が誕生したことを思えば、我々は水その物と言えるかもしれない。我々自身が限りなく潤う為に、慈しみと悲しみをたたえて、人に接し、水を注ぐことが大切なことである。

火は命である。命は炎の中にともし火続ける。我々の心のざわめきは総て炎として、我々を焼き尽くすかのように、青い火、赤い火、大きくなったり小さくなったり、心の在りかを示すと同時に、命そのものとして存在し、私達の体内で燃焼する。永遠をつかさどる炎は、けっして私達が消滅しても消えることはないと、そのことを私達は胸に刻んで、未来へ後を託そう。

風はさまざまな物を運ぶ。風は季節を運び、風は人を創る。人が歩けば風を起こす。炎を盛んにするのも、また消し去るのも風が吹くことによってであり、そのことに、風に真正面に向かうことも、また背を向けて除けることもある。風は人を、植物を鍛える。私達を運ぶ。

土と水と炎と風の中で、人は生れ、育ち、老いそして形を離れて、その意味の完成を求めています。揺らめかないために。


挨拶

挨拶

挨拶(あいさつ)とは、もともと禅の言葉で、問答をくり返し合うことです。そこには、真剣さがあり、切迫した気迫の応酬があります。挨は、立ち止まり、思い迷うの意味がありますから、拶は、そんな挨に、切り返して迫るのが、挨拶の本意なのでしょう。

 ずっと以前のことだが、「不思議だね。挨拶の言葉って、どうして今、現在のことを、問題にしているだろう」と、言われたことがあった。世界共通のことだそうだ。
「おはよう」「今日は」「今晩は」「最近会わないね。元気」
「どうも。どうも。お久しぶりです」。
出会いの挨拶は、当たり前の話ですが、貴方の今,ここ、どうしたのを問いかけます。時間、場所での状態を問います。
では、別れの挨拶は、「元気でね」「またお会い致しましょう(それまで元気で)」「いつまでも、お元気で」と、未来の状態を祈ります。
挨拶とは、今の状態を問い、未来の状態を祈るともいえます。
挨拶を出来ないでなくて、しない子どもが増えている。


 この子達は、人との大切な出会いの瞬間、人と人とが出会うということから起こるさまざまな実りを、拒否することに等しいということに気づかない。何故なら、人が生きるということは、何かしら自分以外の人や社会と密接に関係することによって、人は自分を知るのですが、挨拶しないことは、その出会いを、拒否することに繋がるからです。自分を知ることは、他人を知ることでもあり、他者とのかかわりを常に受けることを知ることにもなるからです。
朝起きて、「おはよう」。学校に行く時は「行ってきます」、それすらない家庭があるのです。
しかしながら、挨拶を礼儀と等しくすると、こんな言葉があります。
『最もよく礼儀に習熟した人は行動するが、これにこたえるものがないとき、袖をまくりあげて相手を引っぱろうとする。それゆえに『道』が失われたのちに、『徳』がそこにあり、『徳』が失われたのちに仁愛がそこにくる。仁愛が失われたのちに道義がきて、道義が失われたのちに礼儀がくる。およそ、礼儀は忠誠と信義のうわべであり、騒乱の第一歩である』。

 ふと、思い出したが、この言葉が”老子”か”孔子”の言葉だったやら、誰だったか思い出せない。
挨拶は礼儀の内に含まれるものかもしれないが、別のものと考えたい。他者と自分との関係の接続詞だからです。
多分、挨拶できない子ども達には、人と人との関係において大事な実りを欠落することになる。
網の目に喩えますと、魚を捕る網の一つ一つが、それぞれの子ども達だとします。その網を、海でも川でもよいから仕掛けます。魚がやってきまして、一つの目に掛かったとします。

魚をとった目は、他のたくさんの目に対して「どうだ上手いだろう。こんなでかい魚を俺様は一人で捕まえた」と選ぶって、他の目を、何の役にも立たないお前達だと思ったとしたら。
この一つの目は、自分で気がつかないけれど、他のたくさんの目と、密接にかかわっていることを解らないのです。それは、他の目は、魚をとることはできなかったかもしれませんが、全体で大きな網を構成していることを、理解できなかったことになります。他の目は、魚を取れませんでしたが、他の目がなければ、魚を捕った一目は役に立たないのです。それぞれの一目は全体を代表する一目であり、それぞれの一目は全体を支える一目であり、合わせて大きな一枚の網なのです。
挨拶とは、一目が他の目に、結びつきを確認する意味があるようにも思えるのです。そして全体を構成する一目にとっての役割を、人間に置き換えて考えてみた場合。人は、それぞれに身体的、精神的、環境的にさまざまな違いがあるのですが。次のことが大切なことです。

一、それぞれの人の、生き方が大切にされること
一、それぞれの人の、違いを受け入れること。
一、それぞれの人の、幸福を願うこと。


冥福

冥福

  同じ町内にある明治小学校は、陽岳寺にあった寺子屋が発展したもので、来年で130周年になります。その校章は○の中に『明』が記され、燦然と輝く光線が八方にのびたデザインです。校章の由来には「若き子らの学び舎にとって、生命の根源としての日月と、成長の根源としての水と躍動する大気の中で愛と勇気の智恵を象徴する緑の大樹を形象化したものである。日月は、明治の明のシンボルである。」とあります。
『明』を夜と昼、光と闇、見える世界と見えない世界というように対立するものを含めた世界を極めることを、この校章は示し、これこそが教育の眼目ではないかと考え、明治の『明』を通り越した先人達の卓越した見識をみることができます。

さて、人が亡くなってから、通夜・葬儀・年に幾度となくの墓参・そして数年ごとの年回に、故人を偲び、冥福を祈ります。こうして墓守を続けて思うことは、いつも絶やさない樒(しきみ)や花が飾られているお墓があるかというと、彼岸とお盆と年末か新年に花が飾られ、線香が手向けられる墓が大半なのですが、淋しくなるのは、ほとんどと言っていいほどに、墓参に訪れる人がないお墓があることです。

 毎朝、墓地を掃いて、訪れる人の居ない墓を前にして、ここに眠っている人の葬儀をしたことがあり、遺族が社会的に地位がある人だったとしても、今は良い子ども達や家庭に恵まれていたとしても、今の自分は、もちろん本人の努力により今の環境は在ることですが、やはり訪れることがなく、苔むした墓を見ると、後継者が居なくなってしまったのならともかく、立派にいることを思うと、寂しいかぎりです。
見るに見かねて、その墓石を洗って苔を取ると、その墓の主が「すまない」と、声を掛けてくる気がします。亡くなった当初の悲しさが嘘のようです。年数が経てば仕方ないものかと思うものの、中には、連れあいを葬って後、あとは私の楽しい人生とでも思っているとしたら悲しく思います。

「ご冥福をお祈り申し上げます。」の言葉に、辞書は、『冥福』を、死後の幸福と記しますが、幸福とは、安らぎと解釈いたします。しかしながら、この『冥』の字は、恐い内容を含んでいます。
日と六とで十六日の意であり、何故に十六日かというと、月が十六日を過ぎて、欠け始め暗くなることを指し、更にヮ冠で覆うことは、『幽冥』となることであると、大漢和辞典にある。しかし総ての意が、暗く奥深い中で、『冥合』のように、暗黙の間に意志の一致するというの意味を持つこともあり、『冥婚』のように、死して男女を一緒に添い遂げさせる壮絶な恋言葉もある。しかしながら、『冥』は徹底して暗く深いらしい。
そこで『冥界』とは、暗くて深いかどうかも解らない世界ですので、真っ暗闇では我々自身の姿も見えないと同様に、この『冥界』は、自分自身の姿形・精神もはっきりとは、見えないのではないかと思います。

そんな『冥界』の『冥』で覆われた冥福を、“死後の幸福”から“見えない幸福”と理解した方が幸福の意味が研ぎ澄まされると思います。見える幸福は、壊れやすく一時のものであり、その状態を維持することを考えれば簡単に苦に衣替えするのです。苦を含んでいる幸福と異なって、絶対の安らぎこそ、“冥福そのもの”であると思います。
ですから、現実に直ぐ側(そば)に冥界があったとしても、否、現実には裏表の世界であったとしても、一枚の紙の表面が、裏面を見れないように、また裏面になれないように、私達には見えなくてよいのです。もし私達に見えたら、私達が『冥界』の住人なったということですから。

「冥福を祈る」とは、亡くなった方の“絶対の安らぎ“を、真摯に観念すること、それが祈るということなのではないでしょうか。また、そうすることが私達の安らぎでもあることに気が付くべきです。祈るという行為は、心が渇望し揺らいでいることでもありますが。表面的、形式的に祈るのではいけません。こちらからはあちら側の姿形は見えないことは話しました。では、相手からはこちらの姿は見えるとしますと、祈るという行為を忘れてただひたすら祈ることが必要なのでしょう。何だか子どもの頃に読み聞かされた、小泉八雲の“耳なし抱一”の話に似ているとおもいませんか?因みに、抱一の全身に書き込まれたお経は、『見えない幸福』を謳っている般若心経です。これは本当に心を込めてお祀りしないといけません。

生前おばあちゃんが好きだった食べ物・飲み物を供えて、「おばあちゃん春になりましたね」とか、孫の卒業証書を供えて「太郎も中学生になりました」とか、「私もこんなに年を取りました」と家族をさらけだすことが、おばあちゃんの冥界での冥福をお祈りすることの本質なのだと思います。さらに言えば、冥界との対話なのだと思いました。私達一人一人がしなければ、誰がしてくれるのだろう。

今、私達が社会の景気や政治・経済に忙殺され、目前の事に振り回され、安らぎを得たいと思ったとき、私達の心に潤いや味わいというものが必要となするなら、『故人の冥福を祈る』ことそのことこそ、私達の安らぎでもあります。
私達は、普段目に見える世界だけで物事を判断しています。『明』と『冥福』を通して、目に見えない世界と見える世界は別のものではありません。耳に聞こえない声、舌で味わう事の出来ない味わいに触れてみる事が大切ではないでしょうか。
(四国の実相寺、やんと師からご指示を仰ぎました)


盂蘭盆

盂蘭盆

 仏説盂蘭盆経
《釈尊がコーサラ国の首都・舎衛城の祇園精舎にいたときのことです。神通力が多才な目連尊者は、亡くなって久しい母の姿を見てみたいと、そして、もし苦しみを受けていれば、助けたいと思ったのです。
そこで、母を見てみると、やせ細り眼窩がくぼんで、恐ろしくも餓鬼となっているのではないですか。目連は悲しみ、哀れんで、母へ食べ物を差し出したのです。母は喜び、食べようとしたのですが、食べたいと思い、手を出すと火になり、炭となって食べられません。さらに苦しむ母の姿を見て、目連は泣きながら、いたたまれずに、釈尊に一部始終を話し、どうしたらよいのかを問いました。

釈尊は、「母親の罪が深いこと、それは物を惜しみ貪ることこそ餓鬼に生まれる原因である」からと目連に、告げました。すると、目連は、考えて、母がこうなった原因は、母一人のための行為ではなく、子供たちの幸せを望んだためなのだと、釈尊に母を救う方を、すがりました。


 「目連の母への思いはよく解った。いかに神通力があったとしても、今の母を救うことはできない。多くの衆僧と威神の力でこそ、母は救われる」のだと。

母は業によって、餓鬼となった。その業による報いから解き放れる方法の一つが、七月一五日、僧自恣(そうじし)の日、修行を終えた僧たちに、ご馳走を献じて供養することだと告げたのです。そして、七月一五日、衆僧たちが、供養する人々の様々な願いを、心静かに禅定し祈願して、その食を受けると、目連の母は、この日を限りとして、苦しみから逃れたのでした。

釈尊は目連に、「生み育ててくれた母以外の、あらゆる父母の苦しみを救うため、孝慈をめざすあらゆる人は、この日、盂蘭盆供養を勤めなさい。父母を長く養い、慈愛の恩に報ずべし」と。》
季節感がなくなってきたというと、「そんなことはない!誰でも暑い寒いを感じるし!新緑も紅葉もきれいだし、好きだし!」と言うでしょう。しかし、季節感というのは、その時期の暑さ寒さを彩ってあることも確かなのですが、前の季節と次の季節をも含んでいてこその、しきたり・行事・催しにあるのではないかと思います。

例えば二十四節気とか、節句、七五三、七草、鏡割り、羽子板市、鬼灯(ほおずき)市、七夕、酉(とり)の市、お富士さん、お十夜、十五夜、ぼろ市、彼岸、クリスマス、正月、お盆に草市、闇市という季節と共にあるものです。季節感がなくなるとは、多くの歳事ものとの接触が、省略されて、なくなったとも言えると思います。
お盆と言うと、八月の旧盆を指し、夏休みの代名詞みたいですが、本来は、七月十五日を中心にした仏教の故事です。禅宗では今も、一年を、修行季節として、雨安居(うあんご)と雪安居(せつあんご)に分けます。修行僧が集まることを、結制(けっせい)と言います。結制した雨安居は、夏安居(げあんご)とも言い、四月十六日から七月十五日を制中(せいちゅう)言ったのです。そして、この夏の制中の終わりの日が、七月十五日でした。ちなみに、雪安居は十月十六日から一月十六日となりまして、その間は、制間(せいかん)と、今でも道場では呼んでいます。

七月十五日は、僧自恣の日と記します。自らほしいままにする日と書き、その期間の修行の成果を反省する日でもあったことから、その日を待って、信者の方々がご供養をしたということです。修行道場では、その日に限らず、うどん供養とか、大根供養、餅供養、最近では餃子供養と変わった差し入れがあります。粗末なご飯と一汁に漬け物ですから、修行僧の喜びでもあります。禅宗は千五百年以上の修行の伝統なればこそ、理解できる内容です。自恣の日は、現在では、起単留錫(きたんりゅうしゃく)と言って、道場での雲水の成績うかがいのような反省する日のこととなっています。
盂蘭盆の行事は、竺法護(じくほうご)の記した仏説盂蘭盆経より出たのではあるが、この経には、倒懸(とうけん)の故事は無い。盂蘭盆とは倒懸と言われ、『逆さまにつり下げられること』という意味なのです。

マハーバラータに《広野の穴の中に、多くの人が草の根に支えられ倒懸し、この草を一匹のネズミが噛んでいるという話》がある。ここに、倒懸という言葉が出てくるのだが、盂蘭盆ないしは烏蘭婆那(うらんばな)と言う意味はないらしい。盂蘭盆の正しい語源は、“ullambana”であり。これは、懸垂(けんすい)の義だそうであると、臨済会編・山本禅登著『葱嶺集(そうれいしゅう)』に書いてあった。
最近ではイラン語起源説が学会では有力らしい。イランでは死者の霊魂をウルヴァンと呼び、このウルヴァンが盂蘭盆の語源であるらしい。

日本で盂蘭盆会が催されたのは、七世紀初頭、中国では六世紀の前半という。盂蘭盆経の他にも、お盆にからんで、救抜焔口餓鬼陀羅尼経のお経があるが、共にサンスクリットの原本は無い。このことは原本が無い故に、語源や起源には、新たに解釈を施すことができるといえます。

“逆さまに吊された苦”と“死者の霊魂”の伝説こそ、遙か彼方の故事が、日本で重なって実を結んだ行事・お盆となったのです。ただし、逆さまに吊された苦そのものを私達に、死者の霊魂を安らぎに見立てれば、更に、意味のある内容となってくる。
現在のインドにあるベンガル仏教の死者を弔う法事も、衆僧の供養にあると聞いて、日本と同一の内容なのだと感心しながら、これは食を大事にしなければいけないことでもあるぞと、チンプンカンなことを思案していたりするのでした。

精霊棚(しょうりょうだな)は、ご仏壇とは別に、篠竹とか棚を組んでマコモのゴザを敷いて、四隅を竹や篠竹で飾って、縄で結び、鬼灯やそうめん、昆布などを飾りました。ゴザの上には、茄子の牛、胡瓜の馬です。なぜに馬と牛かと言うと、馬で来て、牛で帰ると言い、早く来て、ゆっくり帰るという意味だそうです。亡くなられたの乗り物ですから、十三日は、内に向き、十六日には外に向くと言われています。

乗り物の他には、水(器の中に水を張り、みそはぎの花を浮かべる)、水の子(水の実とも言い、茄子などを細かく切ったものを皿に供えたもの)、そうめんを供えます。茄子の種は、数多くあり、それが一〇八の煩悩の数にたとえられて、それを取り除くという意味もあるそうです。場所によっては、小さな舟を手当てして、サラシの帆に、菩提寺の和尚が筆で文句を書いたりいたします。灯籠流しに似て、川や海に十六日の夕刻、精霊流しとも言います。棚を作る行事は、他にも、七夕、十五夜も棚を作って祀り、お雛様、節句も奉りました。博多山笠が、崇福寺(臨済宗)の施餓鬼の精霊棚に由来することを以外と知りません。

提灯は、使わなくなってしまったものの代表ではないでしょうか。限られた行事以外は本当に使わなくなってしまいました。風情があるものですが、提灯の形によって使い方が決められているものです。盆提灯を、その季節以外に飾ったら、妙なものですし、お祭りには、各町会のはずれに結界として、竹と高張提灯をさしたり、盆踊りや、納涼船にも小さな提灯が私たちを楽しませます。



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