目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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穢れ(平成12年8月30日)

穢れ(平成12年8月30日)

 まだ住職をして日が浅い頃のことだ。不思議なことがあった。近くの家の婆さんが、この寺の檀家になることを迷っていた。それは、とある神社の神徒で、それこそ先祖代々の神様を信じての家であり、墓はY県にあった。年をとって墓を仏式に改宗しようと、やはり決断を下すことは容易ではない。
まあ、親しく挨拶をして、婆さんも親密にこちらを慕ってくれての、改宗騒ぎでした。しかし、私からみれば、この改宗ということに、それでは、こちらの宗派を理解してくれたのか、あちらの宗派は一体なんだったのだろうかと、神と仏の差とは、名前の差は何処にあるのかと、受け入れるには相当考えも致しました。


墓を、田舎からこちらに移すことを決めてから、4霊の改名をいたしました。やはり、なくなられた方々は皆神様であり、何々の命(みこと)と命名されているでした。
神様が、仏様に改宗するとは思えず、仏様が神様に改宗するとは思えません。ともに死者が神として、仏として祭られることに意義があるのだと思いました。仏教に六道、神道に黄泉の国があることは知られています。

私が小さかったころ、古事記の中の物語を読んだ記憶があります。それは決まって、真っ白い衣装を着た伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、黄泉の国を失踪する場面でした。黄泉の国の化け物の襲撃に、命は様々な障害をクリアーして脱出する物語です。ハラハラドキドキした記憶があります。

暗闇の黄泉の国で、蛆(うじ)が湧く苦界にもがく亡者(もうじゃ)どもも、人間の末裔ではないか。そしてこの亡者どもも、やがては晴れて命としての神に昇天することがあるのだろうかと考えてみたり、否、命になれないから亡者としてしか生きる糧がないのだろうと考えてみたり、それでは人間の世界と同じではないかと、恐々と読んだものでした。今のRPGゲームの日本版原型であり、伊邪那岐命が伊邪那美命(いざなみのみこと)を慕っての冥界訪問・脱出物語ですが、神話における日本誕生物語でもありました。

712年に記された古事記によりますと、≪天地が開かれて、天上は高天原(たかまがはら)そして、地上はその時クラゲのように大海原にぷかりぷかり浮いているような状態でした。その時の神様は5人いらっしゃいまして、身を隠してしまいました。その次に7人の神様が誕生いたします。

国土・雲の根源の神様、泥・砂の神様、杭・支柱の神様、存在の神様、人格の完備と意識の発生の神様、男性の神様、女性の神様達でした。そして、この男性・女性の神様こそ、伊邪那岐神、伊邪那美神の神様だったのです。≫
天地開闢の神話は、その民族の正統性への証明でもあります。ですから、それが作られた年代も意味を持ちます。大陸にはすでに大文明が芽生えておりますから、その大陸に向けての開闢でもあると思います。
古事記は、≪ここより両男女神を、命(みこと)として区別し呼びます。つまり隠れた5人の神様が、諸々の命をもって、男女の2神に詔勅することによって、命となるのでしょう。

当然この神様たちは結婚し、お互いに慈しみあいました。愛し合って、そして出来た子ども達こそ、様々な神々の島々の誕生でした。その後、その島々に必要な、様々な神々が誕生いたします。
屋根を葺く神様、石や土・砂の神様、家の神様、海の・河の神様、凪(なぎ)と波の神様、分水嶺の神様、ヒサゴで水を汲んで施す神様、山の尾根や谷の神様、霧の神様、山地に迷う神様、鳥のように天空や海上を通う神様、食べ物も神様、物を焼く神様、火と光の神様、焼ける匂いの神様、鉱山の神様、粘土の神様、灌漑用の水の神様、生産の神様、糞尿の神様達、ありとあらゆる神様を産みました。≫
日常のあらゆるものを司る神が誕生するにあたって、誕生する神々の出現は人々の誕生を前提にして産声を上げていることに気づきます。そして、次に、邪神や悪神も誕生することから、すでに秩序が生まれていることが解ります。その秩序にのっとて神々が誕生するのです。

≪しかし、伊邪那美命は火の神様を産んだ時より、病がちになり、ついに死んでしまいました。
火の神の名は、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)でした。伊邪那岐命は嘆き悲しみ、伊邪那美命を広島県の比婆の山に葬り、子である火之迦具土神の首を、十拳剣(とつかつるぎ)で切り落としてしまいます。切り刻まれた神の身体からは、頭、胸、腹、陰部、左手、右手、左足、右足と8神が誕生いたしました。さらに、この感情のほとばしりから様々な神々が誕生しつづけます。≫

 神々の死からは、神々が誕生するのです。命によて死がうまれました。不思議に思うことは、神と命の差は、言葉であるのでしょう。その裏づけが命(めい)なのでしょうか。
天地の初め、黄泉の国はなかった。人格が死ぬことにより、黄泉の国が必要となり、誕生したことになるのでしょう。穢れが発生し、同時に禊が誕生いたしました。焼け死んでしまった伊邪那美命は、黄泉の国に行くことにより、神と人との分離、死と誕生の秩序が生まれたようです。そして、秩序が生まれるということは、混沌が発生しているという意味をもつのでしょう。

≪伊邪那岐命は、五神から受けた命の詔勅を、二人して成し遂げていないことに心を痛めたます。そして、愛する美しい伊邪那美命を連れ戻そうと、黄泉の国に侵入いたします。
彼女が葬られている古墳の入り口で、彼は『還るべし』と問い掛けます。彼女は、彼のその熱い思いを知り、嘆きます。
『悔しい。貴方が早く来ないので、黄泉の食べ物を食べてしまいました。その結果この国の住人となり、脱出は難しい。しかし、愛する貴方が迎えにきてくれたことに、私は嬉しく思います。還りたくないわけがない。黄泉神と話し合ってください。しかし、私を決してみてはいけません。』
この国を司る黄泉神(よもつかみ)に会って、彼女を連れ帰ろうと入り口より入っていった彼は、はやる気持ちに待ちきれず、その約束を破って火をかざして彼女の姿を見てしまいます。
彼女の身体は腐って蛆が沸き、雷神が全身に蠢く姿となっているのを見て、伊邪那岐命は、怖くなり逃げ出してしまいます。そのことを知った伊邪那美命は、『吾に辱を見せつ。』と怒り、予母都志許売(よもつしこめ)を追手として彼を追いかけます。≫

開闢の五神は、身を隠すことによって世界から消えました。また神の死は、神々の誕生というパターンもありました。しかし、伊邪那美命という人格を持った命が死ぬことは、初めて身体が腐乱し、蛆が湧き、死臭という香りも誕生したことでしょう。そして悪霊が取り付きます。いよいよ、禊と祓いの誕生です。

≪ 彼は、追手に追いつかれそうになると、身に付けている飾りを必死に投げ打ち、それを食べ物に変え、それを貪る予母都志許売を置いては、また逃げます。更に、雷神と黄泉軍が追手として押し寄せてきます。伊邪那岐命は十拳剣(とつかのつるぎ)を振りかざし、やっと黄泉の国の入り口、黄泉比良坂に到着すると、桃の実を投げつけ、呪力で退散させます。桃の実が邪鬼悪霊を退散さすとは、中国神話からきていますが、わが国の桃太郎伝説も、この流れを汲むものです。
この桃の実に、彼は『私を助けてくれたように、葦原の中国の人々が苦しい時、煩っている時、助けるように』と、神様を誕生させます。
いよいよ最後に彼女が追いついきました。彼は二人の間に、千引き石(ちびきのいし)を置き、彼女の侵攻を止めることが出来ました。

伊邪那美命は、最後に『愛しき我が夫よ。かくなる上は、汝が国の、一日に千人の領民の首を、切り落としてくれようぞ』と、叫びます。
それに答えて、伊邪那岐命は『愛しき我妻よ、私はそうとなれば一日に千五百人の産声を誕生させよう』と宣言しました。
このことにより、人の生き死にが始まりました。
日向に国に帰った伊邪那岐命は、身の穢れを禊ぎによって払います。そして多くの神々がここでも誕生するのですが、左の目を洗った時、天照大御神。右の目を洗った時、月読神。鼻を洗った時、須佐之男命を誕生させるのでした。以後、高天原を天照大御神、夜を月読神、海を須佐之男命に治めさせることにするのでした。この物語のあと、黄泉の国のことは話の出てきません。須佐之男命が告げる『母がいる根の国』という表現にかわります。≫

子供の頃に読んだ本は、童話だったのでしょうが、今読み直してみると、また違った読み方ができるものだと思いました。
黄泉の国とは、死者の行く闇の世界なのです。その国に、別の国の者が、足を踏み入れることは、穢れでもあるという。黄泉の国の食べ物を食べることは、その世界で生きるという意味を持つとしたら、何やら『飯を食う』という諺も、随分古い過去を持つのだなと感心した。
さて、仏教において、死者が懺悔し、三帰依文保持し、教義を説くことによって、仏様という覚者に祭り上げる発想は、禊祓うことによって、人が神に昇格するという神道と親しい。新鮮に感じることは、仏様となり、命(みこと)に祭られれば、それは死んで死なないという人格を手にしたことになります。

歴史的に言うと、山岳仏教のミイラ化した生き仏伝説などを考えてみた場合、虐げられた民衆の不条理を吸収していたのだと理解できるだろう。
穢れとは何だろうと考えてみた時、それは、人の尊厳であり、存在そのものであり、鎮められない葛藤そのものではないだろうかと思いました。


お彼岸

お彼岸

 秋のお彼岸にしても、春のお彼岸にしても、大きな共通点は、夜と昼の長さの時間が均しいと言うことです。そして、これは分岐点をさし、身近には室内に日の差し込む角度が長くなったり、短くなったりとなります。
暗から明、明から暗は、同時に、寒さから暑さに向かうことを意味としたものと、暑さから寒さに向かうことの意味を持ちます。春夏秋冬から言えば、行きと戻りの中間地点でもあります。冬至を始発とすれば、折り返し点は夏真っ盛りの夏至です。どちらが行きなのか、戻りの地点なのかは、一年が環状の輪になっているとすれば、始発の地点が何処かによって変わってきます。どの時計も、針は真ん丸に、時を刻んで、ぐるぐる回るからと言って、元の時間に戻るとは言わないように、人生に戻りの季節がないように、人生に環状の輪は無く、いつも行きなのです。

戻ることは出来ない月日の季節の循環こそ、時計の針の動きに似て、矛盾を含んで、私は好きです。また巡ってきた秋は、去年と絶対に違う秋であり、お彼岸のはずなのです。それは、母を失って始めて迎えるお彼岸であり、父を失って、子を失って……、あるいは二度目の秋彼岸であり、結婚して始めて迎えるお彼岸であり、子が生まれて初めてであり、すべての人にとって、今年も始めて迎えるお彼岸なのです。
お彼岸は、寒さから暑さへ、暑さから寒さへの中間地点と言えますが、それは、命あるものの芽を吹き、青葉が茂り、花が咲く景色と、実をつけ、葉の色が変わり、やがては近づく試練の季節を乗り越えるため、身につけた一切の余分な身繕いを棄てようと営む行為にと向かう分岐点です。 このことから、春は、生き物を称え大切にし、自然を慈しむと言えます。秋は、自分が今・ここに居ることの意味を知り、亡くなった尊い祖先を敬い、しのぶことの意味が強いと思います。陽から陰へ、活動から停滞へ、華やぎから静けさへとも言えるのではないかと思います。

 お彼岸とは、『人が、ふと立ち止まる』時かもしれません。精神的には、彼岸は、此岸(しがん)あっての故の彼岸なのですから。そして、彼岸は、正しい智慧であり、真理であり、悟ることです。何故この時期と言えば、太陽が西東に直角に交わり、西にも東にも近いからとも言えそうです。考えてみたら、それ以外の日は、此岸とでも言うのでしょうか。現実には、暦(こよみ)に、此岸はありません。
此岸が彼岸となり、彼岸が此岸となる。彼岸となり此岸となる、『と』こそ、人の立ち止まっている場所なのでしょう。何故なら、暦上は、丁度中間地点にお彼岸だからです。そうすると、これより一歩踏み出す先が、彼岸であり、此岸になります。 彼岸が在るためには、此岸がなければ成り立たない世界に私達が生きているとするならば、幸福を彼岸とすれば、不幸に生きていることを知らなければ、満たされるためには、満たされていないことを知らなければ、飛躍するためには、立ち止まって英気を養うことをしなければならないでしょう。

しかし、一歩踏み出した場所しか、私達が生きる世界がないということが現実なら、例え彼岸だろうが此岸だろうが、彼岸として生きることこそ、幸福なことだと、これが仏道です。

この時期、足下を見つめてみれば、様々な色に満ちあふれています。
春を代表する草は、春の七草で セリ(芹)・ナズナ(薺)・ゴギョウ(御形)〔=ハハコグサ〕・ハコベラ(繁縷)〔=ハコベ〕・ホトケノザ(仏の座)・スズナ(菘)〔=カブ〕・スズシロ(蘿蔔)〔=ダイコン〕です。
名もない路傍の草花と言っても可笑しくない草花たちですし、これらが食用になることを思うと、秋の七草は食べた記憶がありませんが、りっぱな草花で、この違いは何なのだろうと思います。

その秋の七草は、ハギ(萩)・オバナ(尾花)〔=ススキ〕・クズ(葛)・ナデシコ(撫子)・オミナエシ(女郎花)・フジバカマ(藤袴)・キキョウ(桔梗)です。どう比べても、秋の七草が種も背丈も変わって、草だけではなく、小木も入っていることから、華やかで在りながら、寂しさもあり、考え方が違うのではないかと、あとから考えて揃えたようにも思えます。
仏壇やお墓に供えるものは、春彼岸は『ぼたもち』、秋彼岸は『おはぎ』や『彼岸だんご』となります。最近では本当に少なくなりましたが、この頃になると、各自宅で、それらの外にも、五目ご飯とか造ったものです。昔の家々では、必ず、多く造って近所の家々に『お裾分け』したことは、忘れてならないことです。そう言えばと、初午なども、ご近所さんに配ったものでした。結婚式も棟上げ式もお祝いだけとは限らず、葬儀や通夜も入れれば、何かの行事には、必ず何か振る舞われたものですが、その地域に息づいて、分かち合うという習慣が、今は少なくなり、無くなっているのに気がつきます。
分かち合うとは、彼岸に到るための、六つの徳目の一つです。到彼岸とは、波羅蜜多(パーラミッタ)の漢訳です。 陽岳寺の法事で、最初に読むお経は、般若心経で、摩訶般若波羅蜜多心経と言います。摩訶は偉大とか、大きなという意味。般若は、プラジャナーと言い、正しい智慧、真理です。波羅蜜多が、到彼岸ですから、このお経の題名の訳は、『偉大な正しい智慧という真理に到るためのお釈迦様の教え』となります。


仏心

仏心

 私たちが生きている環境に、無くてはならないもの、それは、空気です。頭の中では理解しているものの、当たり前のように思って、では、どんな味がするかといえば、季節によって、生活の中の場面によってかわります。食事の前の空気の匂いは、カレーライスのようでもあり、魚がこんがりと焼けた匂いであったりします。花々に覆われれば、薔薇の甘い匂いや、深い森に行けば、川に行けば、海辺ではと、様々な味と匂いに、私たちは出会います。

 また走って息を切らしているときの元気な身体が吸う空気は、潤すかのようですが、弱った身体には、濃度がうすそうに思えます。苦しそうな空気です。

 では、色はどうかといえば、澄み切った空は青く、どんよりした曇りの日は、灰色です。それに温度が加われば、清々しく、カラッとして、鬱とおしくと感じますが、空気本来のと言い方をすれば、わかりません。
現実には、煙のようなら見えるのですが、目の前の空気は見えません。近くや遠くに見えるものを介して在ると知識で理解します。そして、肌に感じる風を通して、冷たさや、暖かさ、やさしさや激しさでわかるのですが、でもそれは、風です。
 ガスの匂いや、ひどい粉塵に襲われたときは、一刻も避けたいと思いますが、二酸化炭素に襲われればわからないのです。
 無味無臭の空気は、生かされている環境の中では、とても解りにくいことです。

 インドに、昔から伝えられている話があります。
青い海に群れをなして魚たちが泳いでいました。その中に、すばしっこく泳ぎの達者な魚がいました。
好奇心旺盛の若い魚です。その魚が、一緒に泳いでいる仲間に尋ねたのでした。
「世界のどこかに、果てしもない海があるというはなしを聞いたことがあるが、その海って、いったい何処にあるのだろうか?そんな海に出会ってみたいものだ」。
仲間達は、いっせいに、口をつぼめて、泡を出しながら言いました。
「ここにいる我々みんなも、海のことは聞いたことがある。だけど、何処にあるかは知らないし、わからない」
年老いた魚が、そのはなしを聞きつけ、若い魚を呼び、教えてあげました。
「お前たち、よく聞けよ。お前たちの話しの海って、今、わしらが泳いでいるここじゃよ。世界は、どこもかしこも海ばかりじゃないか。わしらはその海の中に住んでおるのじゃ。
わしらは海の中に生まれ、海の中で暮らし、海の中で死んでゆくのじゃ。わしらが今泳いでいる、暮らしている、これが海じゃ」。

 仏の教えとは、人間の尊さ、おのれなき尊さ、人に和(なご)むことを、何よりも優れて尊ぶことです。そして、仏道とは、生活の中で、つくられたるもの移り行くこと、この世にあるもの一人あらずこと、おのれなきものに安らいがあることの中に、自分が居ることに気づくことです。
このことの表現として、合掌があるのだと思います。
そ して、「仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る」ことの意味を、仏心を尊さに替え、命や家族、慈しみの心、智慧や自然に替え違和感なく思い描くことが出来るとき、釈尊や無数の祖師達に出会うと言えます。


仏心

仏心

 私たちが生きている環境に、無くてはならないもの、それは、空気です。頭の中では理解しているものの、当たり前のように思って、では、どんな味がするかといえば、季節によって、生活の中の場面によってかわります。食事の前の空気の匂いは、カレーライスのようでもあり、魚がこんがりと焼けた匂いであったりします。花々に覆われれば、薔薇の甘い匂いや、深い森に行けば、川に行けば、海辺ではと、様々な味と匂いに、私たちは出会います。

 また走って息を切らしているときの元気な身体が吸う空気は、潤すかのようですが、弱った身体には、濃度がうすそうに思えます。苦しそうな空気です。

 では、色はどうかといえば、澄み切った空は青く、どんよりした曇りの日は、灰色です。それに温度が加われば、清々しく、カラッとして、鬱とおしくと感じますが、空気本来のと言い方をすれば、わかりません。
現実には、煙のようなら見えるのですが、目の前の空気は見えません。近くや遠くに見えるものを介して在ると知識で理解します。そして、肌に感じる風を通して、冷たさや、暖かさ、やさしさや激しさでわかるのですが、でもそれは、風です。
 ガスの匂いや、ひどい粉塵に襲われたときは、一刻も避けたいと思いますが、二酸化炭素に襲われればわからないのです。
 無味無臭の空気は、生かされている環境の中では、とても解りにくいことです。

 インドに、昔から伝えられている話があります。
青い海に群れをなして魚たちが泳いでいました。その中に、すばしっこく泳ぎの達者な魚がいました。
好奇心旺盛の若い魚です。その魚が、一緒に泳いでいる仲間に尋ねたのでした。
「世界のどこかに、果てしもない海があるというはなしを聞いたことがあるが、その海って、いったい何処にあるのだろうか?そんな海に出会ってみたいものだ」。
仲間達は、いっせいに、口をつぼめて、泡を出しながら言いました。
「ここにいる我々みんなも、海のことは聞いたことがある。だけど、何処にあるかは知らないし、わからない」
年老いた魚が、そのはなしを聞きつけ、若い魚を呼び、教えてあげました。
「お前たち、よく聞けよ。お前たちの話しの海って、今、わしらが泳いでいるここじゃよ。世界は、どこもかしこも海ばかりじゃないか。わしらはその海の中に住んでおるのじゃ。
わしらは海の中に生まれ、海の中で暮らし、海の中で死んでゆくのじゃ。わしらが今泳いでいる、暮らしている、これが海じゃ」。

 仏の教えとは、人間の尊さ、おのれなき尊さ、人に和(なご)むことを、何よりも優れて尊ぶことです。そして、仏道とは、生活の中で、つくられたるもの移り行くこと、この世にあるもの一人あらずこと、おのれなきものに安らいがあることの中に、自分が居ることに気づくことです。
このことの表現として、合掌があるのだと思います。
そ して、「仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息を引き取る」ことの意味を、仏心を尊さに替え、命や家族、慈しみの心、智慧や自然に替え違和感なく思い描くことが出来るとき、釈尊や無数の祖師達に出会うと言えます。


ご祈祷

ご祈祷

 禅宗の祈祷の始まりは、西暦813年、百丈禅師が亡くなって、190年後『禅門規式』の、三八念誦からと言われています。三と八の日に、十仏名を唱えることで、報恩謝徳の思いをあらわしたと言われております。念とは、心にあること、誦とは、口に発することです。この頃、各宗派でも盛んに祈祷がおこなわれていて、その影響を受けたようです。

 『禅苑清規(ぜんえんしんぎ1103年)』によれば、一つは、国家並びに仏法の隆昌、施主の増福・増慧するため、二つには、無常を感じて自己の修行完成を祈念する修法であったと言われています。これが、禅宗における、誓願としての“いのり”の初めと云われていると、臨済会編『葱嶺集』に記してありました。
 また、蒙古襲来のおり、禅僧は坐禅ばかりして、「お祈りも申さぬ者」として批判されていた記録があります。幕府からも、天下太平檀那安穏のためお祈りせよと、ひまなく禅院に祈祷を依頼されたようです。その後、夢窓国師は、「坐禅工夫は退転す」と、この時代の一般寺院を表現しておます。今日、禅寺に残る、一日、一五日の祝聖(しゅくしん)という天下太平を祈る法式は、この時代の歴史を引き継いだものです。


 そして、中世から現代に至って、禅宗の祈祷は、悪をつつしみ、善をなすべしの意味を持っています。善月祈祷というその善月が、諸天善神が四方を巡行して、ちまたの大小の善悪をもれなく四天王に報告する月として、帝釈天が鏡を持って、我らの世界を照らし、人の善悪を察する月が、正月、五月、九月であると、『勅修清規』に書かれています。身びいきの恐れから、贖罪の祈祷として、祈祷の中心でした。

 そして今日、それ以外が主となって、祈祷は、日常のあらゆる場面に、顔を出します。受験、交通安全、家内安全、家庭円満、疫病退散、厄年祈祷、虫封じにぼけ封じ、悪魔払いや、各種お祓いには、つねに、その時代が顕れます。人の思いには切りがない分、これからも、人暮らしの変化に合わせて、様々に登場してくると言えるでしょう。

 この祈祷の場所としては、東西南北の神々鬼神により結界がはられます。青龍(東=青)、朱雀(南=赤)、白虎(白=西)玄武(黒=北方)は中国古来の神話でもありますが、その神話に、仏教が合流し、帝釈天の守り神として、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)が、その四方の守り神として重なります。
大相撲の土俵の四隅も、結界をはった神域として、五穀豊穣や、国民和楽を祈る場所としてあります。さらに地鎮祭、上棟式、地下に埋もれた幽鬼としての遺骨のお祓いも、結界をはっての祈りの場所になるのです。

 さて、陽岳寺護寺会の催すご祈祷は、“無事や平常であること”をテーマと考えます。何があっても無事を祈ることです。無事の基本は、変わり続けることの中に、何事にも変化しない自身の心の姿の自覚です。人の一生は、みずから朽ち、消滅して、かたちなき限りなきものとなることへの旅路ですというなら、生まれる前から、生まれても、そして旅立った後も、変わらない自分とはなにかと考えることです。
 そのために、このご祈祷最初のお努めは、先ずは、何事も受け入れられる心構えとして、無心となることが強いられます。
 これは、ひとえにじぶん自身に偽りのないようにと、素直さをいつまでも持てるようにとの意味です。これを懺悔と言います。
 懺悔について、斎藤緑雨は、『眼前口頭』の中で、「懺悔の味わいは、人生の味わいである。」と記しています。しかし、その懺悔も、人生において、苦渋や自責、許されることのない罪、知らずに傷を付けていた事実の認識、叱責や出生において、苦悩や後悔がなければ懺悔も成り立たないことでもあります。原罪を持たぬ我々は、生活の中の、忙しさの中に、過ぎ去ることで、忘却という世界の中に生きているかのようです。

 さて、祈祷とは、人の祈りを昇華させるものであると思うのですが、祈りがなければ、祈祷は成り立たないものです。その祈りの中身が、悩みや感謝とするなら、ヘルマン・ヘッセが、『放浪』のなかで、しるす言葉が光ります。
 「祈りは歌のように神聖で、救いとなる。祈りは信頼であり、確認である。ほんとうに祈るものは、願いはしない。ただ自分の境遇と苦しみを語るだけである。小さい子どもが歌うように、悩みと感謝を口ずさむのである。」

 また、祈りを昇華させるためには、祈る人と、その祈りを可能な現実なものにする超越する人格がなければなりません。超越する人格は、神や仏、亡き人や、聖者と考えられるものです。そしてその二つの間を取り持つ役割を担うものは、神官や僧侶です。なぜなら、祈りについての、その祈りの内容を、また、祈りのあとの現実を、具体的に示すことも必要なことだからです。もっとも何を祈るか見当もつかなく、ただ目前の欲望のみに囚われて、心を虚しくすることもあります。欲望を祈りに取り違えることは、現実をゆがめます。

 カフカは、『カフカとの対話』の中で、“祈りを行為”に、“人を揺籃”に、そして、“やがて贈る側に転身を希う”と書いていました。
 「祈りと芸術は、熱情的な意志の行為です。普通に見られる意志の可能性の領域を踏み越え、高めようとするものです。芸術も祈りも、それはともに暗闇に向かって差し出された手であり、その手は何ほどかの恩寵を掴み取り、やがては贈る側に転身したいと希(ねが)うのです。
 祈りとは、消滅と生成に間に渡された光の弧の変容の手に我が身を投ずることであり、その途方もない光を、自己の存在のあるかなきかの、はかない揺籃(ようらん)に定着させるために、その光の弧のなかに我が身を完全に没入させることなのです。」(これらの文章の引用は、筑摩書房の筑摩哲学の森、別巻定義集からです。)

 “光の弧”とは、プラスとマイナスの電極の間の、稲妻です。それは、消滅と誕生の間の揺籃する命でもあるのでしょう。芸術家にまかせることは置いておき、人が祈る行為により、揺籃する心から転身する。全てはこのことが尊いのでしょう。このことの中に、感謝が芽生え、知らず贈る側に居る自分を知ることがあるのでしょうか。祈る行為は、その中に、転身を希うことが含まれていることになります。
 じぶん自身の計らいの中の、気づきは、人を変えるものです。この変えられた自分を希うことを、このご祈祷の本意と、考えました。
 そして、過ぎゆく年の、来る年の、そして今日ただ今の無事や、平常であることを願い、祈りとしたいのです。

 無事とは、禅語の『無事これ貴人なり』と、また、平常とは、これまた禅語の『平常心これ道』の、無事や平常の意味から引用いたしました。
平常とは、平等常住の略意で、涅槃・菩提・迷いのない世界・悟りの世界・名利を越えた世界・無心であるのですが、ここから一切の働き、一切の行為があらわれます。この行為や働きは、一切の善悪・順逆を離れているのです。善悪・順逆は我々心の分別です。このこと故に、私たちが世界に住んでいる限り、無事でないことは、まぬがれないことです。平常に生きることは、とても困難なことでもあります。

 無事や平常は、逆に、この世間の事の中に住むからこそ、この日常ゆえに、対するものとして考えられます。日常を否定するのではなく、日常の生活のなかで、平常が現れなくてはならないのです。
カフカは、「やがては贈る側に転身したいと希(ねが)うのです。」と言うのですが、転身することです。
積極的に世間に事や日常にかかわることのなかに、転身することです。

 徹底して、日常と平常は同じ道であるかと説くか、異なった道であると説くか、臨済が云う「歩々これ道場」は、行為は同じでも、無心か我が身では、雲泥の差が生じます。蓮如上人が、「婆さんや、糸をつむぎつむぎ念仏するのも結構じゃが、念仏しいしい糸をつむぎなされや」と、さとしたと言いますが、同じ行為でも、念仏するという無心の働き、それは、臨済が云う、「随所に主となる」行為です。身びいきの我が身に気づくことは、それは、じぶん自身の否定的転生です。絶対なるものとは、その光の弧のなかに我が身を完全に没入させることで現れます。

 転身への祈り、それは、徹底できぬ自身への、素直さえの回帰という意味でもあります。



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