目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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分銅

分銅

 あるお年寄りの話である。
「太平洋戦争末期、今から思うと、時代の大きな流れで、予科連に志願して南方に配属になりました。海軍の飛行機の整備を任務としていたのです。離陸する帰ってくることのない戦闘機の軌跡を、南の空の遠くに、いつまでも見ていました。友人が乗る戦闘機は、私が整備したものです」

 戦後、50年以上経過して、戦争体験者の多くが80前後の年齢に達しています。その80年前後の内の、数年の非日常体験は、彼らの中で時計の振り子のように、今でも揺れているのです。人にとっての重大な事実こそ、振り子の重さになり、それは悼み、悲しみ、後悔、せつなさといった、心の奥に作用するものこそ、大きな重みを持つと思うのです。
忘れることの出来ない記憶は、胸に秘めた分銅であり、この分銅は、さまざまな重みを計ることができる。しかしながら、様々な分銅ではなく、多くの変わりになる分銅ではないことが、人の固定観、一面観の出所になるようなきがする。

かって私は、人にとって進むべき道の選択肢は数限りなくあると書いた。そして悲しいかな、人はその内の一つきり選ぶことが出来ないのであるとも書いた。歩いてきた一本道はやがて二本に分かれ、その内の一本の道を進むのである。
知り合いの奥さんに言われたことがあった。
「私の弟は、数年前父の一周忌を前にして、父の位牌をもって突然消えてしまいました。今、どうしているか、消える前は、私に心配をかけ、無心する気が小さな繊細な子でした。調子がよくて、人なつきがとても良かった子でした」

私の知り合いにも、両親が他界したあと、可愛い二人を男の子と奥さんと離婚して後、行方不明になっている男がいる。もう年齢は50になるだろうか、5、6年前に突然いなくなった。私からの郵便がマンションのポストに入っていたというので、会社の人が私を尋ねてきた。サラリーマンなら退職金も申請せずに、会社に来ないなんて、何か事故に巻き込まれたか、自殺か、何か事情があるはずで、どうしていいかわからないと言っていた。

その後は何の便りもない。親戚もなく、兄弟もいない。そう言えば、彼も人なつきがよく、調子がいい。何か心配なところがあった。別れた奥さんに連絡したくとも、住所はわからないし、可愛かった男の子も、上の子は高校生になったのではないだろうか。離婚の理由も、ただ『だらしない!』という奥さんの言葉しか知らないし、ふと思い出すのです。
「今ごろどうしているのだろうか?」
「捜索願も出していないのではないかと思うのだが!」
選択肢を全く選ぶことが出来ない時、人はドロップアウトするのではないだろうか。道が続くものなら、続くその道の分かれ道を踏み出して歩くという行為が伴わないからです。

年をとるにしたがって、方向を左右する選択肢はそうたくさん有るわけではない。まして取り返しのつかなくなる年齢に達しようとする時、人は迷うものです。しかし迷ってもどれか一つ、決断しなければ、先に進むと言うことはできません。

人が歩いて、岐路に差し掛かったとき、必ず選択の大小の決断が行われるものです。決めるという行為に密着する後悔しない、間違っていない、これでいいんだということを含んでの決断です。人はいついかなる時も、一歩踏み出す道を歩いているのですが、その時、各自の分銅が揺れて、バランスを保っているのではないか思うのです。禅ではそれも分別といって嫌うのですが、そのことは、分別以前のもっと大きな分銅が、働くことと思うのです。

後悔しても時間を戻すことはできないと知りつつ、やはり後悔するなら、後悔以前の無心に行ずる姿そのままとなって、ひたすら歩くことも大切なことです。


天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)

天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)

 宮尾登美子氏の『天涯の花』を読んでいて、主人公の平珠子が養父白塚国太郎の言葉が、自らに浸透した。
「あの先達さんや仏家にはきびしい修行があってな、行場めぐりでは鎖を伝って洞穴に下りていったり、滝に打たれて祈願したり、そんな鍛錬を経て自分を磨くことが出来るが、神職にはそれはないゆえに、ひたすら自らが自宅潔斎をせんならん、とくに神へのお供えものを調達する火を大切に、けがれないようにするのが、これが神職第一の修行と思いなさい」の宮司の言葉だ。

 四国山脈の西日本中、最も天空に近いのが1,982メートルの石鎚山、1,955メートルの剣山があり、二峰とも神様がいる聖地で、ここに暮らす人間は選ばれた人になる。剣山の剣神社の祭神は、山の鎮めの神様で、オオヤマツミノミコト(イザナギ、イザナミノミコトの御子神)と弟のスサノオノミコト、安徳天皇である。それぞれ永久に安んじ奉るため、神に仕えるこの職をこの上なき栄誉と心得て、一心に身を清め、誠心誠意、相勤めることを神職の第一とすることが考えられる。

この神社で少しなれた頃の、珠子の言葉である。
「じゃけんど、お父さんと一緒に暮らして、お父さんの仕事を手伝うてるうち、だんだんと、神様は人間一人一人の持ってる良心ちゅうもんで、お社の奥においでになるのは、自分の良心の鏡や、いつもそこに映されているんやと思うようになったんです」「お祈りしてると、心がおだやかになるのは、ほんまなんです」

曹洞宗の尼僧を代表する、青山俊董師の幼少の頃の思い出話がある。師は小さかった頃、寺に預けられた。其の時の庵主さんの第一声が、薄暗い本堂の内陣に坐る金色の本尊、阿弥陀如来の結ぶ印、法界定印(両手の親指と親指、人差し指と人差し指を互いに結んで、お腹の所で輪を作る形)を指して、
「よいかえ!お前が悪さをしたと思った時、仏さまの作る印を見てごらん。丸い輪がいびつに三角になっていたら、仏さまが、悲しんでおられる証拠じゃ。仏さまを悲しませるんじゃないぞえ!」

師は子供心に、この言葉がよほど身を貫いたと見えて、何回も何回も、薄暗い内陣の奥に坐る阿弥陀如来の印を、いつも丸に結ばれていることを願い、恐れたそうであると、何かの本で読んだことがある。師はこのことがやがて、今ある自分の原点のような気がすると語っていたのを思い出します。青山俊董師にとっては、そのときの阿弥陀如来は、師の幼少の頃の、良心そのものを映す鏡だったのでしょう。

臨済宗の中興の祖、白隠禅師の幼少の頃の話の、人が亡くなった行き先の火炎地獄の切実な恐怖は、やはり師の生い立ちの原点になる。すべては、心の中に幼いうちに、良心の遍歴の怖さを、意識するにかかわらず持っていたことが大きく成長させていったと確信すると同時に、この地獄も白隠にとっての良心そのものだったのです。その証拠に『南無地獄大菩薩』と成長した白隠は揮毫している。

私は小学生のころ、八王子市千人町三丁目の小学校の傍の母の実家の貸家に、五人家族で住んでいました。夕方、そろばん塾にかよっていた記憶の中に、街灯が裸電球だった夜道を帰る私は、街灯と街灯の狭間の暗さが怖く、物陰から得たいの知れない黒いものが出てはこないかと、夜道の帰宅を足早に急いだことを思い出します。40年前の夜は暗く、やがて街頭テレビができて、バナナ売りの掛け声と共に、夜は明るさを増してきました。振り返ってみれば、お十夜の縁日のガス灯の懐かしい匂いや、見世物小屋の賑やかさと怖いもの見たさと一歩離れると、夜の暗さが迫って、懐かしくもある。誰と行ったのか、思い出せないのだが、その頃、夜はもう8時になると子供の声はしなかった。とにかく、夜は怖かったのを思い出します。夜は自分の影にも恐怖を覚えることから、自分の心のあやふやな部分が大きく増徴されるに違いない。

また自分の年を重ねて行く少年から青年の道筋で、大人に成ることへの不安や、いつまでも子供でいたいノスタルジックも、考えてみると、すべては良心のゆらぎだったと、今、思うのです。
神や阿弥陀如来、そして地獄が、自分の良心そのものだとしたら、剣山の社殿の奥のご神体も、青山師の育ったお寺のしゅみ壇の奥の阿弥陀如来も、白隠の火炎地獄も、実は自分自身そのものに違いない。ご神体や阿弥陀如来に対峙する自分自身の変化を恐れ、変わりなく無事の自分に安らかさを覚え、自分の至らなさを、良心に照らして、神や仏に誓い・祈る姿の自己をさらけ映すことによって、穏やかになれることは、神や仏が救ってくれることと同じ意味を持つ。

こうしたことが成り立つ前提に、自分や神仏に対する恐れや不明の自己に対する求心的な働き、それは例えば「これで良かったのだろうか」という類の問いかけがなければ、成り立たないと思えます。
大人に成って思うことは、今の何を問うことがわからないのが、現実のような気がします。いつしか、年を重ねて、気が付いてみれば50才に届こうとしている自分の、40数年の歩みはけっして、さまざまな一日一日の積み重ねであるにもかかわらず、それだけの重みを感じないのは、とても寂しいことのような気がします。

人に、今の自分を、今の瞬間を、一度きりの今を、今の出会いを、過去も未来も含んだ永遠の今を説く自分自身の今は、無心に静まり返っていたり、大きく波を打っていたりとしている。それでいながら、日中の行事を、波を打ちながらも、行ずる自分自身以外にはない自分自身ではあるのですが。

人は、ある程度の年齢に達すれば、実は悲しいかな私もそのような傾向を持つのだが、将来の老後に漠然たる不安の解消や安らぎを求めています。不確実の老後に、蟻とキリギリスの蟻のように、こつこつと働いて準備しているといってよいでしょう。
自分にとって人生は、まだまだタップリあると思って疑わない自分があることも事実です。自分が消滅する時の良心のありようを問う問題より、自分の始末を金銭という力で解決し、精神的な問題は先送りしながら、それで老後はひとまず安心する生活を送っている自分があることに、反省するのです。
不確実の老後に安心する方法は二つあります。そしてその二つをうまく使うと、とてもバリエーションがあります。一つは、お金で買うということです。いろいろな年金、生命保険、損害保険、各種の金額の高い低いを問わずの老人ホーム、お墓もそうです、最近では生前に葬儀の予約を受ける葬儀会社があることは、これから死のうとする人まで、不安や恐れになろうと思われる問題を、事前にすべて金銭で、解決しようとする人が、多くなってしまったような感があります。
このことはけっして悪いことでは有りませんが、少し寂しい気がいたします。二つ目は、自分自身の終焉とはと、問うことから始まります。このことは、一番大切なことです。内面的に求心的に自己(神仏)を求めることは、同時にまた、生き方の問題、つまり、外に向かって考えることに必ず連携するからです。つまり生き方を支えることになるからです。答えは貴方自身の中にあると同時に貴方そのものです。ですが、人と較べて生き様を問題にして優劣をもって考えれば、美化されてみたり,卑下されたりと、本質を見間違うことがあるでしょう。さらに、死にようは問いたくありません。何故ならば、死に方は選ぶものでは ないと思うからです。

人間にとって必要な感情はと問われた時、私は”恐れ”と”感謝”ですと応えます。
恐れ・怖さは自分の心の内部と対面いたします。夜道は暗く危ないの発想は、夜道を明るくし、危険なもの、不慮の事故は、予測と予防によって防いでしまった。人間が自己と対面する、機会がますます減って、後、問題はストレスだけが一番大きな問題として取り上げられるているような気がいたします。

感謝は、内面に向かう心を、外に向かわせる働きがあるように思えます。そして、感謝という気持ちに必要な知識は、現状の認識力と分析です。今ある自分は、与えられた知識=勝ち取った知識、勝ち取った地位=支えられている地位、歩んできた道のり=歩かせられた道のり、切り開いてきた運=捧げられた運に違いありませんからです。

せめて、極端な話ですが、怖さを忘れかけた我々は、真に感謝できる人間にならなければならないと思います。
私達、日本人は、人それぞれの価値観を認め合うことが、なかなか出来ません。日本人それぞれの価値観の違いが、実際にはほとんど差があってはならないという命題だ有るかのように思えるのです。ですから、自分と違う人間を認めたがらず、陰湿な攻撃をしかけたりするのかもしれない。しかしながら、確実に自己主張をし、容認する風潮は増していることは間違い無いと思います。自己主張は自分の正しさの誇示です。大切なことは、この自己主張もけっして、自己主張を受け入れてくれる世界あってこそです。そこに気づけば、そうできれば他人の違いがわかり、他人の元気を願い、他人の幸せを祈れるに違いなく、他人の喜ぶ姿を悲しむ自己など有り様はずがなく、またそのことは、感謝する自己があれば求心的に向かうと思われるのです。

良心の輝きが大切であり、神仏も光輝く存在になるに違いありません。そのとき、恐れや怖さに気が付いてもらいたいと思うのです。


宗派

宗派

 「何宗でしたでしょうか?本山はどちらでしたでしょうか?」

この寺の住職をして、年に数回は、尋ねられる言葉です。毎月、本山の『花園誌』と『寺報』を配布してる寺がです。山門には、禅宗と書いてあります。法事には、臨済宗聖典という経本を皆でお読みいたします。
京都花園の妙心寺という本山が、東京では知られていないことが大きな原因だろうと、私は思っています。ですから、妙心寺の末寺に、甲斐の武田信玄で有名な、恵林寺とか、伊達正宗で有名な、松島の瑞巌寺、枯山水・石庭で有名な竜安寺、那須の雲巌寺があるんですよというと、「ああ、そうですか。」と判っていただけるのです。

また、禅宗となると、「永平寺ですか?」と、聞いてきます。「禅宗には、臨済宗と曹洞宗と黄檗宗がありまして、臨済宗の有名寺院は、関東では源氏や北条氏で知られる、鎌倉の円覚寺や建長寺があります。京都でも、南禅寺、東福寺、銀閣・金閣、相国寺、大徳寺、建仁寺、天竜寺などがあるのですよ!」と言いますと、もうそれぐらいで、頭の中は一杯のようです。どうも観光で有名な寺院ではないかと、不思議な気がします。
新しくお墓を取られた方や法事や葬儀を頼みにきます方々は、地域の人が、利便性やら、檀家や知人の紹介がほとんどです。その方々の事情はそれぞれで、仏教ならばそうたいして違わないだろうという思いがあるようです。

確かに、この地域でも浄土宗、日蓮宗、禅宗、真言宗、浄土真宗があり、しかも同じ宗派でも、分派しているのですから、一々その内容を知らなければ、寺を選ぶことができないとなれば、ほとんどの人は一生かかっても選ぶことはできないでしょう。これはとても厄介なことです。このホームページは、そうした疑問や戸惑いに答える内容を含んでもいます。また、もっとやっかいなことに、余計に解らなく進めてしまうものになるかもしれません。宗派と住職の考え方、捉え方、見方、生き方がどう交差して、参考にし、惹かれるものがあればよいと思っています。そこから、改めて、宗派って何だろうと考えられると思います。

新しく知り合った方々と話して、未だに多少残っているのに、家の過去の宗派があります。しかしながら、過去の宗派を聞いて見ますと、何々宗と唱えるお題目、名号は知っているものの、中身となると皆目知りませんん。そして、聞いてきます。
「ご本尊は、どうしたら良いのでしょう」。
「何とお唱えしたらよいのでしょう」。
これを聞いて、私は思うのです。何も染まっていないと。多くの人が宗派については、何も染まっていない状態にあると思います。いや、それ以上にほとんどといってよいくらいに、関心がないようにも見えるのです。姿、形あるものには、理解を示しますが、内容となれば、「行き着くところは、同じでしょう」とは言うのですが、”行き着くところには”それ以上は興味は示しません。

さかのぼって下るからこそ、時代や文化の特色や、宗派の意味が見えるのですが。実に、寛容にたけていると言えるのです。本山や宗派の大学、教学研究機関を除いて(ひょっとして除く必要はないかもしれないが)、末端の寺では、脱宗派が進んでいるのではないかと思えます。そう思う理由は、宗派の掟、戒律が無くなってきているように思えるのです。守るものが在ってこそ、広めたいこともあるのでしょうし、その守るものを説くことが出来なくなってしまった宗派の、宗派性は法式と出所の証明ではないかと思います。単立の宗教法人がとても多くなってきたのも、気になるところです。

しっかりした信仰を持ち得ない、日本人の精神は、何を支えとして、何を目的として、人間をどう捉えて、生活(死んでゆく身が、どう生きるか)するのか、何を求めての生か、その求めるものは正しいものなのか?なにが正しいかと考えたのか?宗教こそ、その問題に答えを導くものです。マインドコントロールを解くものこそ、仏教の教義のはずです。怨霊やたたり、カルトを退ける道です。
考えてみて、日本の仏教教団は、必ず何らかの意味で、名前を掲げ標榜しているものがあります。宗祖の名前を付すもの、教義の中身を掲げるもの、お題目を掲げるものと数多くあります。不思議に思うのは、お釈迦様に発した仏教が、何故に人の名前や、又、別な名前を掲げなければならないのでしょうか?そんなことは、問う以前に判りきった事なのですが、考えなければならないことでしょう。

「以前の掛け軸の本尊はどう致しましょうか」と、問われることがあります。
私は、「そのままで結構ですよ」と、そして「換えてしまって、その掛け軸をどうしたらよいのか、粗末にしたくなく、迷ったときは、寺に持ってきてください」と。
年を取って、今までの過去来歴を否定したくないし、また否定しようとも心の履歴は抹消できるものではなく、その上に積み重ねるように、この寺での履歴をそっと重ねた方が、その人が豊かになると思うからです。本尊を取り替えても、記憶に残るものまで、取りかえることはできないからです。”南無阿弥陀仏””南妙法蓮華経”と唱えていたからと言って、過去のお唱えは、間違いではないし、違うお唱えの言葉を無理やり言うことは、唱えるたびに不自然さがつきまとうものです。

こう言うと実に、無責任なことのように思えますが、現実の姿です。現状の末端の寺からは、ここから信仰とは宗教とはと、論じることには、難しいことなのです。本人が決める前に、祖先が決めてしまったことの、何に従うのかと考えて見たとき、思想性を葬るか、自分に都合のよい有り方を受け入れることしか、選択肢はないのかもしれません。私の寺のそれぞれの方は、『うちのお寺』とか『角のお寺』と言います。そして『うちのお寺の仲間達』は、法話の会を主催してみたり、お施餓鬼でも、和んで溶け合っているのです。

本山関係者が、この記事を読んだら、きっとビックリするかもしれません。本山は末寺末寺と意識いたしますが、末寺は本山をそんなに意識しません。それより『うちのお寺の仲間達』の幸福をただひたすら願い、思うことが、『うちのお寺』の基本的な有り方であると考えています。
本山は布教、教化と言います。ですが私は、布教、教化は致しません。『うちのお寺の仲間達』が、より自分に真実に生きることを願い、私は、同時代を一緒に生きることに喜びを感じていますですから、お経の後のお話は、私の考え方、見方、生き方を、話すだけです。それを布教と言うのだよといえば、そうなのかと思いますが、共鳴してくれれば、私は本望です。
この時代に、それぞれがそれぞれに生きている。そのそれぞれの一喜一憂のそれぞれに、祝福あれ!


穢れ(平成12年8月30日)

穢れ(平成12年8月30日)

 まだ住職をして日が浅い頃のことだ。不思議なことがあった。近くの家の婆さんが、この寺の檀家になることを迷っていた。それは、とある神社の神徒で、それこそ先祖代々の神様を信じての家であり、墓はY県にあった。年をとって墓を仏式に改宗しようと、やはり決断を下すことは容易ではない。
まあ、親しく挨拶をして、婆さんも親密にこちらを慕ってくれての、改宗騒ぎでした。しかし、私からみれば、この改宗ということに、それでは、こちらの宗派を理解してくれたのか、あちらの宗派は一体なんだったのだろうかと、神と仏の差とは、名前の差は何処にあるのかと、受け入れるには相当考えも致しました。


墓を、田舎からこちらに移すことを決めてから、4霊の改名をいたしました。やはり、なくなられた方々は皆神様であり、何々の命(みこと)と命名されているでした。
神様が、仏様に改宗するとは思えず、仏様が神様に改宗するとは思えません。ともに死者が神として、仏として祭られることに意義があるのだと思いました。仏教に六道、神道に黄泉の国があることは知られています。

私が小さかったころ、古事記の中の物語を読んだ記憶があります。それは決まって、真っ白い衣装を着た伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が、黄泉の国を失踪する場面でした。黄泉の国の化け物の襲撃に、命は様々な障害をクリアーして脱出する物語です。ハラハラドキドキした記憶があります。

暗闇の黄泉の国で、蛆(うじ)が湧く苦界にもがく亡者(もうじゃ)どもも、人間の末裔ではないか。そしてこの亡者どもも、やがては晴れて命としての神に昇天することがあるのだろうかと考えてみたり、否、命になれないから亡者としてしか生きる糧がないのだろうと考えてみたり、それでは人間の世界と同じではないかと、恐々と読んだものでした。今のRPGゲームの日本版原型であり、伊邪那岐命が伊邪那美命(いざなみのみこと)を慕っての冥界訪問・脱出物語ですが、神話における日本誕生物語でもありました。

712年に記された古事記によりますと、≪天地が開かれて、天上は高天原(たかまがはら)そして、地上はその時クラゲのように大海原にぷかりぷかり浮いているような状態でした。その時の神様は5人いらっしゃいまして、身を隠してしまいました。その次に7人の神様が誕生いたします。

国土・雲の根源の神様、泥・砂の神様、杭・支柱の神様、存在の神様、人格の完備と意識の発生の神様、男性の神様、女性の神様達でした。そして、この男性・女性の神様こそ、伊邪那岐神、伊邪那美神の神様だったのです。≫
天地開闢の神話は、その民族の正統性への証明でもあります。ですから、それが作られた年代も意味を持ちます。大陸にはすでに大文明が芽生えておりますから、その大陸に向けての開闢でもあると思います。
古事記は、≪ここより両男女神を、命(みこと)として区別し呼びます。つまり隠れた5人の神様が、諸々の命をもって、男女の2神に詔勅することによって、命となるのでしょう。

当然この神様たちは結婚し、お互いに慈しみあいました。愛し合って、そして出来た子ども達こそ、様々な神々の島々の誕生でした。その後、その島々に必要な、様々な神々が誕生いたします。
屋根を葺く神様、石や土・砂の神様、家の神様、海の・河の神様、凪(なぎ)と波の神様、分水嶺の神様、ヒサゴで水を汲んで施す神様、山の尾根や谷の神様、霧の神様、山地に迷う神様、鳥のように天空や海上を通う神様、食べ物も神様、物を焼く神様、火と光の神様、焼ける匂いの神様、鉱山の神様、粘土の神様、灌漑用の水の神様、生産の神様、糞尿の神様達、ありとあらゆる神様を産みました。≫
日常のあらゆるものを司る神が誕生するにあたって、誕生する神々の出現は人々の誕生を前提にして産声を上げていることに気づきます。そして、次に、邪神や悪神も誕生することから、すでに秩序が生まれていることが解ります。その秩序にのっとて神々が誕生するのです。

≪しかし、伊邪那美命は火の神様を産んだ時より、病がちになり、ついに死んでしまいました。
火の神の名は、火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)でした。伊邪那岐命は嘆き悲しみ、伊邪那美命を広島県の比婆の山に葬り、子である火之迦具土神の首を、十拳剣(とつかつるぎ)で切り落としてしまいます。切り刻まれた神の身体からは、頭、胸、腹、陰部、左手、右手、左足、右足と8神が誕生いたしました。さらに、この感情のほとばしりから様々な神々が誕生しつづけます。≫

 神々の死からは、神々が誕生するのです。命によて死がうまれました。不思議に思うことは、神と命の差は、言葉であるのでしょう。その裏づけが命(めい)なのでしょうか。
天地の初め、黄泉の国はなかった。人格が死ぬことにより、黄泉の国が必要となり、誕生したことになるのでしょう。穢れが発生し、同時に禊が誕生いたしました。焼け死んでしまった伊邪那美命は、黄泉の国に行くことにより、神と人との分離、死と誕生の秩序が生まれたようです。そして、秩序が生まれるということは、混沌が発生しているという意味をもつのでしょう。

≪伊邪那岐命は、五神から受けた命の詔勅を、二人して成し遂げていないことに心を痛めたます。そして、愛する美しい伊邪那美命を連れ戻そうと、黄泉の国に侵入いたします。
彼女が葬られている古墳の入り口で、彼は『還るべし』と問い掛けます。彼女は、彼のその熱い思いを知り、嘆きます。
『悔しい。貴方が早く来ないので、黄泉の食べ物を食べてしまいました。その結果この国の住人となり、脱出は難しい。しかし、愛する貴方が迎えにきてくれたことに、私は嬉しく思います。還りたくないわけがない。黄泉神と話し合ってください。しかし、私を決してみてはいけません。』
この国を司る黄泉神(よもつかみ)に会って、彼女を連れ帰ろうと入り口より入っていった彼は、はやる気持ちに待ちきれず、その約束を破って火をかざして彼女の姿を見てしまいます。
彼女の身体は腐って蛆が沸き、雷神が全身に蠢く姿となっているのを見て、伊邪那岐命は、怖くなり逃げ出してしまいます。そのことを知った伊邪那美命は、『吾に辱を見せつ。』と怒り、予母都志許売(よもつしこめ)を追手として彼を追いかけます。≫

開闢の五神は、身を隠すことによって世界から消えました。また神の死は、神々の誕生というパターンもありました。しかし、伊邪那美命という人格を持った命が死ぬことは、初めて身体が腐乱し、蛆が湧き、死臭という香りも誕生したことでしょう。そして悪霊が取り付きます。いよいよ、禊と祓いの誕生です。

≪ 彼は、追手に追いつかれそうになると、身に付けている飾りを必死に投げ打ち、それを食べ物に変え、それを貪る予母都志許売を置いては、また逃げます。更に、雷神と黄泉軍が追手として押し寄せてきます。伊邪那岐命は十拳剣(とつかのつるぎ)を振りかざし、やっと黄泉の国の入り口、黄泉比良坂に到着すると、桃の実を投げつけ、呪力で退散させます。桃の実が邪鬼悪霊を退散さすとは、中国神話からきていますが、わが国の桃太郎伝説も、この流れを汲むものです。
この桃の実に、彼は『私を助けてくれたように、葦原の中国の人々が苦しい時、煩っている時、助けるように』と、神様を誕生させます。
いよいよ最後に彼女が追いついきました。彼は二人の間に、千引き石(ちびきのいし)を置き、彼女の侵攻を止めることが出来ました。

伊邪那美命は、最後に『愛しき我が夫よ。かくなる上は、汝が国の、一日に千人の領民の首を、切り落としてくれようぞ』と、叫びます。
それに答えて、伊邪那岐命は『愛しき我妻よ、私はそうとなれば一日に千五百人の産声を誕生させよう』と宣言しました。
このことにより、人の生き死にが始まりました。
日向に国に帰った伊邪那岐命は、身の穢れを禊ぎによって払います。そして多くの神々がここでも誕生するのですが、左の目を洗った時、天照大御神。右の目を洗った時、月読神。鼻を洗った時、須佐之男命を誕生させるのでした。以後、高天原を天照大御神、夜を月読神、海を須佐之男命に治めさせることにするのでした。この物語のあと、黄泉の国のことは話の出てきません。須佐之男命が告げる『母がいる根の国』という表現にかわります。≫

子供の頃に読んだ本は、童話だったのでしょうが、今読み直してみると、また違った読み方ができるものだと思いました。
黄泉の国とは、死者の行く闇の世界なのです。その国に、別の国の者が、足を踏み入れることは、穢れでもあるという。黄泉の国の食べ物を食べることは、その世界で生きるという意味を持つとしたら、何やら『飯を食う』という諺も、随分古い過去を持つのだなと感心した。
さて、仏教において、死者が懺悔し、三帰依文保持し、教義を説くことによって、仏様という覚者に祭り上げる発想は、禊祓うことによって、人が神に昇格するという神道と親しい。新鮮に感じることは、仏様となり、命(みこと)に祭られれば、それは死んで死なないという人格を手にしたことになります。

歴史的に言うと、山岳仏教のミイラ化した生き仏伝説などを考えてみた場合、虐げられた民衆の不条理を吸収していたのだと理解できるだろう。
穢れとは何だろうと考えてみた時、それは、人の尊厳であり、存在そのものであり、鎮められない葛藤そのものではないだろうかと思いました。


お彼岸

お彼岸

 秋のお彼岸にしても、春のお彼岸にしても、大きな共通点は、夜と昼の長さの時間が均しいと言うことです。そして、これは分岐点をさし、身近には室内に日の差し込む角度が長くなったり、短くなったりとなります。
暗から明、明から暗は、同時に、寒さから暑さに向かうことを意味としたものと、暑さから寒さに向かうことの意味を持ちます。春夏秋冬から言えば、行きと戻りの中間地点でもあります。冬至を始発とすれば、折り返し点は夏真っ盛りの夏至です。どちらが行きなのか、戻りの地点なのかは、一年が環状の輪になっているとすれば、始発の地点が何処かによって変わってきます。どの時計も、針は真ん丸に、時を刻んで、ぐるぐる回るからと言って、元の時間に戻るとは言わないように、人生に戻りの季節がないように、人生に環状の輪は無く、いつも行きなのです。

戻ることは出来ない月日の季節の循環こそ、時計の針の動きに似て、矛盾を含んで、私は好きです。また巡ってきた秋は、去年と絶対に違う秋であり、お彼岸のはずなのです。それは、母を失って始めて迎えるお彼岸であり、父を失って、子を失って……、あるいは二度目の秋彼岸であり、結婚して始めて迎えるお彼岸であり、子が生まれて初めてであり、すべての人にとって、今年も始めて迎えるお彼岸なのです。
お彼岸は、寒さから暑さへ、暑さから寒さへの中間地点と言えますが、それは、命あるものの芽を吹き、青葉が茂り、花が咲く景色と、実をつけ、葉の色が変わり、やがては近づく試練の季節を乗り越えるため、身につけた一切の余分な身繕いを棄てようと営む行為にと向かう分岐点です。 このことから、春は、生き物を称え大切にし、自然を慈しむと言えます。秋は、自分が今・ここに居ることの意味を知り、亡くなった尊い祖先を敬い、しのぶことの意味が強いと思います。陽から陰へ、活動から停滞へ、華やぎから静けさへとも言えるのではないかと思います。

 お彼岸とは、『人が、ふと立ち止まる』時かもしれません。精神的には、彼岸は、此岸(しがん)あっての故の彼岸なのですから。そして、彼岸は、正しい智慧であり、真理であり、悟ることです。何故この時期と言えば、太陽が西東に直角に交わり、西にも東にも近いからとも言えそうです。考えてみたら、それ以外の日は、此岸とでも言うのでしょうか。現実には、暦(こよみ)に、此岸はありません。
此岸が彼岸となり、彼岸が此岸となる。彼岸となり此岸となる、『と』こそ、人の立ち止まっている場所なのでしょう。何故なら、暦上は、丁度中間地点にお彼岸だからです。そうすると、これより一歩踏み出す先が、彼岸であり、此岸になります。 彼岸が在るためには、此岸がなければ成り立たない世界に私達が生きているとするならば、幸福を彼岸とすれば、不幸に生きていることを知らなければ、満たされるためには、満たされていないことを知らなければ、飛躍するためには、立ち止まって英気を養うことをしなければならないでしょう。

しかし、一歩踏み出した場所しか、私達が生きる世界がないということが現実なら、例え彼岸だろうが此岸だろうが、彼岸として生きることこそ、幸福なことだと、これが仏道です。

この時期、足下を見つめてみれば、様々な色に満ちあふれています。
春を代表する草は、春の七草で セリ(芹)・ナズナ(薺)・ゴギョウ(御形)〔=ハハコグサ〕・ハコベラ(繁縷)〔=ハコベ〕・ホトケノザ(仏の座)・スズナ(菘)〔=カブ〕・スズシロ(蘿蔔)〔=ダイコン〕です。
名もない路傍の草花と言っても可笑しくない草花たちですし、これらが食用になることを思うと、秋の七草は食べた記憶がありませんが、りっぱな草花で、この違いは何なのだろうと思います。

その秋の七草は、ハギ(萩)・オバナ(尾花)〔=ススキ〕・クズ(葛)・ナデシコ(撫子)・オミナエシ(女郎花)・フジバカマ(藤袴)・キキョウ(桔梗)です。どう比べても、秋の七草が種も背丈も変わって、草だけではなく、小木も入っていることから、華やかで在りながら、寂しさもあり、考え方が違うのではないかと、あとから考えて揃えたようにも思えます。
仏壇やお墓に供えるものは、春彼岸は『ぼたもち』、秋彼岸は『おはぎ』や『彼岸だんご』となります。最近では本当に少なくなりましたが、この頃になると、各自宅で、それらの外にも、五目ご飯とか造ったものです。昔の家々では、必ず、多く造って近所の家々に『お裾分け』したことは、忘れてならないことです。そう言えばと、初午なども、ご近所さんに配ったものでした。結婚式も棟上げ式もお祝いだけとは限らず、葬儀や通夜も入れれば、何かの行事には、必ず何か振る舞われたものですが、その地域に息づいて、分かち合うという習慣が、今は少なくなり、無くなっているのに気がつきます。
分かち合うとは、彼岸に到るための、六つの徳目の一つです。到彼岸とは、波羅蜜多(パーラミッタ)の漢訳です。 陽岳寺の法事で、最初に読むお経は、般若心経で、摩訶般若波羅蜜多心経と言います。摩訶は偉大とか、大きなという意味。般若は、プラジャナーと言い、正しい智慧、真理です。波羅蜜多が、到彼岸ですから、このお経の題名の訳は、『偉大な正しい智慧という真理に到るためのお釈迦様の教え』となります。



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