目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
奥付

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みんな仏教徒(平成10年5月27日)

みんな仏教徒(平成10年5月27日)

 私がまだ八王子に住んでいて小さかった頃、母は父方の寺の墓参りに深川の陽岳寺に連れていってくれたものでした。まだ地下鉄の東西線もない頃でした。国鉄の中央線で東京駅に着くまでが、子供の頃の記憶はとても長かった。茶色の古ぼけた電車に酔って気持ちが悪かったり、そのため御茶ノ水の堀の景色を見るために、座席に膝で座り、土で汚れた運動靴が隣に座っている人のズボンやスカートを汚して、母に小声でしかられたものです。東京駅からチンチン電車に乗り換え、ガタンガタンと石畳の上を走って、ガチャンと門前仲町駅の次の駅が深川の停車場だ。目の前にある寺が、陽岳寺だった。

 今からもう四十年も前のことなのだが、今思うと深川の寺の住職になっていようとは感慨深いものがある。たしか?現在の赤札堂は映画館だった。もちろん首都高速九号線は、油堀という運河だった。寺や神社は今も変りなく、元の場所にあるが商店街は様変わりだ。 母や父は、よくお不動様や八幡様にお参りしたものだ。今でも一日十五日は八幡様、二十八日はお不動様に縁日でにぎやかだが、昔もそうだった。このにぎやかさが、みょうに楽しく、もっとも親と一緒について行けば何か買ってもらえるという下心もあったのだが、人ごみの中を親と手をつないで歩くことがうれしかった。今、自分の子供に同じことをしていると思うと、人は繰り返しながら少しずつ微妙にあるいは急に時代は変わって行くのだなと思うのです。

今はあまり言わなくなったが、このお参りを”信心”と云いました。お賽銭を投げて、何かしらのお願いやお礼をまた報告を心の中でつぶやくのだ。誰も願いがかなわないからと言って、文句を言う人はいない。
さて、私が修行から帰ってきて陽岳寺の住職になってより、二十年がたとうとするのだが、情けない話だがこの”信心”という言葉が、なかなか言葉に表現することができなかった。形式として、習慣としてのお参りは日々欠かさない毎日なのだが、日常の中に埋没してしまった言葉を、掘り起こすという作業を試みてみた。 その前に、仏教徒という言葉の意味をあらためて考えてみた。仏教の基本的な言葉としての"空"と"縁起"は、信じると言う言葉以前に、実は世界や物事の成り立ちを説く言葉であると気がついてより、誰もが仏教徒としての自覚さえあれば、仏教徒なのだと思うようになったのです。

私流に云えば、『仏教徒とは因果の理を信ずる人』という意味で、因果は縁起と同意味の言葉です。禅では「一滴の水も大きな川や海を支える一滴の水であり、一塵の動きも世界の全体が関係している」と云います。大海を見てそれが一滴の水の集まりであることを知ると同時に、朝露の一滴の水は大海を代表する尊く愛しい一滴の水であるわけです。

一滴の水を「私」に譬え、「友達」に譬えてみると大海は世界となり自然・環境・宇宙になります。かけがえのない私と同時に、私は世界を支える一滴の水になります。個々のものはすべてが連鎖していると同時に、個はあくまでも個であることの認識が大切です。この意味から自立と共生は表裏一体、同時に支えあっています。禅では"同時"を"即"と言い換えて使いますが、同時が非常に大切です。片寄ったものの見方を矯正する働きがあります。同時はまた中道をも意味することになります。眼には見えませんが、世界中の人々は実は全員手と手を取り合って輪を結んでいることになります。ただ私達にはなかなかそれが見えないのが 、また実感できないのが残念なのですが。「私にはまだ真実が見えないけれども、このことは理解できる」 あなたは、正真正銘の仏教とです。

赤ちゃんが泣くのも何かの理由があって泣くのであり、勝手に泣いている訳ではありません。これを因果と言い、正しくは因縁果といいます。仏教徒になられたからと言って、他の教えはだめだというのではなく、神社や教会にて頭を下げたりお話を聞く、手を合わせることも大切なことであるでしょう。自然な気持ちで接することが大切です。人が大切に思っているものを、自分の心得違いの考えで排除するのは良くありません。

 縁起に随うことのまっただ中に真の自由を見つけ、自分の生き甲斐、目的を行ずることこそ必要なことであると思います。これを"信心"と云います。お不動さんや八幡様で見かける、"信心"と別のものではありませんでした。 禅ではよく、不昧因果、不落因果と百丈野狐にて問題にいたしますが、因果を"くらまさず"と云います。縁起の世界において、すべての人の行為は、縁起を免れるものではありません。自ら躊躇せず飛び込むことの中に真の自由になりきった自己を発見できれば、 そこに自由人としての私が存在します。

その"私"は、鎌倉時代の栄西禅師の興禅護国論、序に有ります。 「大いなる、心や。天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ。地の厚き測るべからず、しかるに心は地の下に出づ。日月の光はこゆべからず、しかるに心は、日月光明の表に出づ。大千沙界は極むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づ。それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり。天地は我れを待って覆載し、日月は我れを待って運行し、四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す。大なる哉、心や。」

元気とは心と一体にして、つまらない自分、不愉快な自分、悲しい自分、愉快な自分これらすべて元気のなせる技にして、自分の中の主"元気玉"の姿・形を変えた姿です。この自分の中の元気玉を自由自在に扱えることができて、元気玉と一つになったとき、ここに自由があります。くれぐれも運命とか因縁と言ってあきらめるという意味ではありませんので注意が必要です。


最後の晩餐(平成10年5月23日)

最後の晩餐(平成10年5月23日)

 平成九年の暮れですが、テレビのニュースステーションの番組で「もし明日あなたが死ぬとしたならば、命の火が消えるとしたならば、今日、最後の晩餐として何を食べたいと思いますか?」という内容の報道がありました。

 私が見たのは、仲代達也と樹木きりんという俳優が出演した番組でした。
仲代達也氏は、ちょうど九州公演の最中だったらしくて、福岡の河豚屋(ふぐや)さんで、カウンターに河豚刺しや鍋をおいしそうに並べてニュウスキャスターとお話をしながら日本酒を飲みながら芝居の話や、自らの劇団の話を淡々と語り合っておりました。

樹木きりんさんの場合はまず場所が意表を突いておりました。それはここ陽岳寺と同じ宗派だったこともあるのですが、麻布にあります光林寺という寺の本堂の縁側にお茶とお菓子での対談になっておりました。もし明日命がないとしたら、「………食事をを頂く必要がないでしょう」との内容で、墓地を取得したいきさつなどを語り合っておりました。

もし明日あなたの命がないとしたならば………。現実にこのような企画の内容を考えたこともなく、一見無意味な内容でいて実はとても示唆ある内容で、ハッといたしました。修行から帰ってきて20年以上もたつのですが 、修行の道場で三度の食事をいただく前に読むお経なかに、五観(ごかん)の偈(げ)があります。

一つには功(こう)の多少(たしょう)を計(はか)り、彼(か)の来処(らいしょ)を量(はか)る。
(この食卓にいたる食べ物の過程を思い、感謝して頂きます)
二つには己(おのれ)が徳行(とくぎょう)の全闕(ぜんけつ)を 忖(はか)って供(く)に応(おう)ず。
(自分自身の徳のいたらなさを深く自省して頂きます)
三つには心(しん)を防ぎ、過貪等(とがとんとう)を離るるを宗(しゅう)とす。
(心を静めて、むさぼりを戒めます)
四つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり。
(私の心と体に必要な量だけ頂きます)
五つには道業(どうぎょう)を成(じょう)ぜんがために、将(まさ)にこの食(じき)を受(う)くべし。
(私のめざす道の完成を成し遂げるために頂きます)

何度となく繰り返し唱えたお経の内容を鮮明に慚愧さとともに思い出しました。「四つには正(まさ)に良薬(りょうやく)を事(こと)とするは、形枯(ぎょうこ)を療(りょう)ぜんがためなり 」
通夜、葬儀、法事と人の死にからんだ行事には、不思議と酒とご馳走が盛りだくさんに供され出てまいります。
それはまだ幼稚園の頃だったろうか、親戚に不幸が続いたことがあった。火葬場で真っ赤に焼かれたお骨の熱気に恐怖をおぼえ,母の胸に取りつき、真っ赤に耐える故人を「すごいね。強いんだね」という私を、母はあまり不幸が続く物だから連れていくことを躊躇したそうである。私は、普段食べられないご馳走が食べられるのと、大人達がお酒を飲んでかもし出す別世界を恐さと好奇心で見るのが面白かったのを何故か今でも記憶に鮮明に あります。また、そのことを思い出すと、不思議に成人して小料理屋の水で打たれた入り口の盛り塩を妙に思い出します。

葬儀や法事・祭礼が”聖”や”死””安らぎの世界”の場所としたならば 、そのあとのご馳走は”俗”や”生””安らぎに反する世界”の場所になるに違いない。儀式とは死者の御霊の鎮めと追悼儀礼と同時に生者の誓いというのか、今を活きる人々のためにあるのだなとあらためて思いました。
明日死に行く人は、食事を食べたくとも食べることができないのです。明日も今の生の延長として生き続けるだろう人は、明日活きるために今日の食事を頂きます。それが、死んでいった人の命を生かすことに繋がると思うのです。


禅問答(平成10年5月31日)

禅問答(平成10年5月31日)

嘘つきのパラドックスといわれるものがある。「私が今言っていることは嘘である」という命題は、真か偽かと問われたとき、内容が正しければ、命題は偽になり、言っていることが嘘であれば、命題が真になるというパラドックスである。

 G・ベイトソンの”精神の生態学”に、”ダブル・バインド(拘束)”があります。「私の言うことに、従うな!」という命令です。命令を受け入れ私に従えば、結果従う事をゆるされず、従わなければ従った事になってしまう。この問題は、我々自身の生活の中で厄介な問題をひきおこします。子供への愛情に深刻に悩んでいる母親が、子供がまとわりつくのに絶えられず、「向こうで遊びなさい」とやさしく抱きしめ諭すとする。子供にとって見れば母親の心理は理解されずに、やさしく引きつった顔での自分を避ける姿が母親の愛情表現として、日常生活の中で蓄積されていったとしたら、親子関係はどうなってしまうのだろうか。実は、考えてみれば、社会構造の中にもこのてのパラドックスはいたるところにあると思います。

さて、ダブル・マインドに話をもどしますが、このことの真偽は不明ですので、結果は想像していただきますより仕方ありません。
まず、犬に正確な円と楕円を見せて、円と楕円が判断できれば、餌を与えたそうです。もちろん判断し識別ができなければショックという虐待を与えます。犬がショックを拒否したいことに異論はありませんでしょう。犬はこ実験が始まる事は”ご飯ですよー”と喜び、実験に参加したか解りませんが、問題は楕円を限りなく正確な円に近づけた時に起こりました。結果は発狂したそうであります。そのときの詳細な犬の様子はかかれていませんでしたが、かわいそうに発狂したそうです。

このことを知ったのは、もう15年以上ぐらい前だったと思うのですが、週刊読売の記事だったと思います。禅の問答を直感いたしました。それと同時に我々日常の中に、かず限りなくある問題をおもいました。

「前後左右にあなたは行っては行けません。もちろん斜め、上下はだめです。つまり、あなたはどちらの方向にも行けません。さらにじっとそこに止まることもいけません」「さあ、進め!」と言われたときに、自分の行動を問われたとき、ましてその問題があなたの全人生全人格を含んでの問題だったならば、どう一歩をふみだすか。 その家庭の環境において、自分の子供に何一つ愛情を持ち得ない母親が、子供に愛情を注がなければならないとしたならば。おそらく、現在は政治に経済に倫理にあるいはリストラ、失業問題が個人である私達に難問を吹き付けてまいります。企業は税金が高いからと言って、海外の安い税金の国に避難すれば良いでしょうが。会社や国や家庭は倒産、離散によって問題をクリアーすれば良い事になりますが、個人である私達一人一人は、どこに逃げても問題と共に有りつづけます。

それではパブロフの犬のように、精神の破壊によってこの問題をクリアーすれば良いのでしょうか。
いたずらっ子だった頃、夕方遅くまで遊んで家族を心配させ母親にしかられた事が、何度もありました。母親や姉の心配の大きさをおもったら、それに償うだけの心の大きさを、子供はもっていないものです。そのときの子供の反応はたいてい、「ワーッ、ごめんなさい」て母親の胸に抱きついたものです。実に立派に、母も子供も問題をクリアーするものです。その子供もだんだん複雑になってくると、「ワーッ、ごめんなさい」が言葉に出なくなり、後ろ向きになったりして「シクシク、……」になり、ストレスを積む事になります。問題を抱え込んで、答えの吐け口を見出せなくなり、自我の問題が露出いたします。

一人一人、問題も解決の答えも方法も違います。嘘つきのパラッドクス、ダブル・バインドにおいて迷路にはまり込み、ダブル・マインド化した場合において、この命題をインド哲学では、そのパラドックスを生み出している原因である《自己言及》を避けると言う、子供が母親の懐に飛び込むに似る簡単な方法でクリアーすることができるそうです。くれぐれも、自らの命を捧げることによっての解決は選ばないで下さい。

禅は、 《安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭滅却すれば火もおのずから涼し》 
問題は火であり炎です。限りなく沸く思いを炎にたとえてみますと、
《猛火焔裏の内に向かって清涼を行ず》
実はその限りなく沸く思いの炎の中に、勇猛果敢に分け入る心こそ、涼しさそのものであると同時に、清涼を行じている自分にきずくことこそあなたにとっての禅問答の答えであると同時にパラドックスの答えにもなります。回答者はあなた自身にして、採点し評価するもあなた自身です。


分銅

分銅

 あるお年寄りの話である。
「太平洋戦争末期、今から思うと、時代の大きな流れで、予科連に志願して南方に配属になりました。海軍の飛行機の整備を任務としていたのです。離陸する帰ってくることのない戦闘機の軌跡を、南の空の遠くに、いつまでも見ていました。友人が乗る戦闘機は、私が整備したものです」

 戦後、50年以上経過して、戦争体験者の多くが80前後の年齢に達しています。その80年前後の内の、数年の非日常体験は、彼らの中で時計の振り子のように、今でも揺れているのです。人にとっての重大な事実こそ、振り子の重さになり、それは悼み、悲しみ、後悔、せつなさといった、心の奥に作用するものこそ、大きな重みを持つと思うのです。
忘れることの出来ない記憶は、胸に秘めた分銅であり、この分銅は、さまざまな重みを計ることができる。しかしながら、様々な分銅ではなく、多くの変わりになる分銅ではないことが、人の固定観、一面観の出所になるようなきがする。

かって私は、人にとって進むべき道の選択肢は数限りなくあると書いた。そして悲しいかな、人はその内の一つきり選ぶことが出来ないのであるとも書いた。歩いてきた一本道はやがて二本に分かれ、その内の一本の道を進むのである。
知り合いの奥さんに言われたことがあった。
「私の弟は、数年前父の一周忌を前にして、父の位牌をもって突然消えてしまいました。今、どうしているか、消える前は、私に心配をかけ、無心する気が小さな繊細な子でした。調子がよくて、人なつきがとても良かった子でした」

私の知り合いにも、両親が他界したあと、可愛い二人を男の子と奥さんと離婚して後、行方不明になっている男がいる。もう年齢は50になるだろうか、5、6年前に突然いなくなった。私からの郵便がマンションのポストに入っていたというので、会社の人が私を尋ねてきた。サラリーマンなら退職金も申請せずに、会社に来ないなんて、何か事故に巻き込まれたか、自殺か、何か事情があるはずで、どうしていいかわからないと言っていた。

その後は何の便りもない。親戚もなく、兄弟もいない。そう言えば、彼も人なつきがよく、調子がいい。何か心配なところがあった。別れた奥さんに連絡したくとも、住所はわからないし、可愛かった男の子も、上の子は高校生になったのではないだろうか。離婚の理由も、ただ『だらしない!』という奥さんの言葉しか知らないし、ふと思い出すのです。
「今ごろどうしているのだろうか?」
「捜索願も出していないのではないかと思うのだが!」
選択肢を全く選ぶことが出来ない時、人はドロップアウトするのではないだろうか。道が続くものなら、続くその道の分かれ道を踏み出して歩くという行為が伴わないからです。

年をとるにしたがって、方向を左右する選択肢はそうたくさん有るわけではない。まして取り返しのつかなくなる年齢に達しようとする時、人は迷うものです。しかし迷ってもどれか一つ、決断しなければ、先に進むと言うことはできません。

人が歩いて、岐路に差し掛かったとき、必ず選択の大小の決断が行われるものです。決めるという行為に密着する後悔しない、間違っていない、これでいいんだということを含んでの決断です。人はいついかなる時も、一歩踏み出す道を歩いているのですが、その時、各自の分銅が揺れて、バランスを保っているのではないか思うのです。禅ではそれも分別といって嫌うのですが、そのことは、分別以前のもっと大きな分銅が、働くことと思うのです。

後悔しても時間を戻すことはできないと知りつつ、やはり後悔するなら、後悔以前の無心に行ずる姿そのままとなって、ひたすら歩くことも大切なことです。


天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)

天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)

 宮尾登美子氏の『天涯の花』を読んでいて、主人公の平珠子が養父白塚国太郎の言葉が、自らに浸透した。
「あの先達さんや仏家にはきびしい修行があってな、行場めぐりでは鎖を伝って洞穴に下りていったり、滝に打たれて祈願したり、そんな鍛錬を経て自分を磨くことが出来るが、神職にはそれはないゆえに、ひたすら自らが自宅潔斎をせんならん、とくに神へのお供えものを調達する火を大切に、けがれないようにするのが、これが神職第一の修行と思いなさい」の宮司の言葉だ。

 四国山脈の西日本中、最も天空に近いのが1,982メートルの石鎚山、1,955メートルの剣山があり、二峰とも神様がいる聖地で、ここに暮らす人間は選ばれた人になる。剣山の剣神社の祭神は、山の鎮めの神様で、オオヤマツミノミコト(イザナギ、イザナミノミコトの御子神)と弟のスサノオノミコト、安徳天皇である。それぞれ永久に安んじ奉るため、神に仕えるこの職をこの上なき栄誉と心得て、一心に身を清め、誠心誠意、相勤めることを神職の第一とすることが考えられる。

この神社で少しなれた頃の、珠子の言葉である。
「じゃけんど、お父さんと一緒に暮らして、お父さんの仕事を手伝うてるうち、だんだんと、神様は人間一人一人の持ってる良心ちゅうもんで、お社の奥においでになるのは、自分の良心の鏡や、いつもそこに映されているんやと思うようになったんです」「お祈りしてると、心がおだやかになるのは、ほんまなんです」

曹洞宗の尼僧を代表する、青山俊董師の幼少の頃の思い出話がある。師は小さかった頃、寺に預けられた。其の時の庵主さんの第一声が、薄暗い本堂の内陣に坐る金色の本尊、阿弥陀如来の結ぶ印、法界定印(両手の親指と親指、人差し指と人差し指を互いに結んで、お腹の所で輪を作る形)を指して、
「よいかえ!お前が悪さをしたと思った時、仏さまの作る印を見てごらん。丸い輪がいびつに三角になっていたら、仏さまが、悲しんでおられる証拠じゃ。仏さまを悲しませるんじゃないぞえ!」

師は子供心に、この言葉がよほど身を貫いたと見えて、何回も何回も、薄暗い内陣の奥に坐る阿弥陀如来の印を、いつも丸に結ばれていることを願い、恐れたそうであると、何かの本で読んだことがある。師はこのことがやがて、今ある自分の原点のような気がすると語っていたのを思い出します。青山俊董師にとっては、そのときの阿弥陀如来は、師の幼少の頃の、良心そのものを映す鏡だったのでしょう。

臨済宗の中興の祖、白隠禅師の幼少の頃の話の、人が亡くなった行き先の火炎地獄の切実な恐怖は、やはり師の生い立ちの原点になる。すべては、心の中に幼いうちに、良心の遍歴の怖さを、意識するにかかわらず持っていたことが大きく成長させていったと確信すると同時に、この地獄も白隠にとっての良心そのものだったのです。その証拠に『南無地獄大菩薩』と成長した白隠は揮毫している。

私は小学生のころ、八王子市千人町三丁目の小学校の傍の母の実家の貸家に、五人家族で住んでいました。夕方、そろばん塾にかよっていた記憶の中に、街灯が裸電球だった夜道を帰る私は、街灯と街灯の狭間の暗さが怖く、物陰から得たいの知れない黒いものが出てはこないかと、夜道の帰宅を足早に急いだことを思い出します。40年前の夜は暗く、やがて街頭テレビができて、バナナ売りの掛け声と共に、夜は明るさを増してきました。振り返ってみれば、お十夜の縁日のガス灯の懐かしい匂いや、見世物小屋の賑やかさと怖いもの見たさと一歩離れると、夜の暗さが迫って、懐かしくもある。誰と行ったのか、思い出せないのだが、その頃、夜はもう8時になると子供の声はしなかった。とにかく、夜は怖かったのを思い出します。夜は自分の影にも恐怖を覚えることから、自分の心のあやふやな部分が大きく増徴されるに違いない。

また自分の年を重ねて行く少年から青年の道筋で、大人に成ることへの不安や、いつまでも子供でいたいノスタルジックも、考えてみると、すべては良心のゆらぎだったと、今、思うのです。
神や阿弥陀如来、そして地獄が、自分の良心そのものだとしたら、剣山の社殿の奥のご神体も、青山師の育ったお寺のしゅみ壇の奥の阿弥陀如来も、白隠の火炎地獄も、実は自分自身そのものに違いない。ご神体や阿弥陀如来に対峙する自分自身の変化を恐れ、変わりなく無事の自分に安らかさを覚え、自分の至らなさを、良心に照らして、神や仏に誓い・祈る姿の自己をさらけ映すことによって、穏やかになれることは、神や仏が救ってくれることと同じ意味を持つ。

こうしたことが成り立つ前提に、自分や神仏に対する恐れや不明の自己に対する求心的な働き、それは例えば「これで良かったのだろうか」という類の問いかけがなければ、成り立たないと思えます。
大人に成って思うことは、今の何を問うことがわからないのが、現実のような気がします。いつしか、年を重ねて、気が付いてみれば50才に届こうとしている自分の、40数年の歩みはけっして、さまざまな一日一日の積み重ねであるにもかかわらず、それだけの重みを感じないのは、とても寂しいことのような気がします。

人に、今の自分を、今の瞬間を、一度きりの今を、今の出会いを、過去も未来も含んだ永遠の今を説く自分自身の今は、無心に静まり返っていたり、大きく波を打っていたりとしている。それでいながら、日中の行事を、波を打ちながらも、行ずる自分自身以外にはない自分自身ではあるのですが。

人は、ある程度の年齢に達すれば、実は悲しいかな私もそのような傾向を持つのだが、将来の老後に漠然たる不安の解消や安らぎを求めています。不確実の老後に、蟻とキリギリスの蟻のように、こつこつと働いて準備しているといってよいでしょう。
自分にとって人生は、まだまだタップリあると思って疑わない自分があることも事実です。自分が消滅する時の良心のありようを問う問題より、自分の始末を金銭という力で解決し、精神的な問題は先送りしながら、それで老後はひとまず安心する生活を送っている自分があることに、反省するのです。
不確実の老後に安心する方法は二つあります。そしてその二つをうまく使うと、とてもバリエーションがあります。一つは、お金で買うということです。いろいろな年金、生命保険、損害保険、各種の金額の高い低いを問わずの老人ホーム、お墓もそうです、最近では生前に葬儀の予約を受ける葬儀会社があることは、これから死のうとする人まで、不安や恐れになろうと思われる問題を、事前にすべて金銭で、解決しようとする人が、多くなってしまったような感があります。
このことはけっして悪いことでは有りませんが、少し寂しい気がいたします。二つ目は、自分自身の終焉とはと、問うことから始まります。このことは、一番大切なことです。内面的に求心的に自己(神仏)を求めることは、同時にまた、生き方の問題、つまり、外に向かって考えることに必ず連携するからです。つまり生き方を支えることになるからです。答えは貴方自身の中にあると同時に貴方そのものです。ですが、人と較べて生き様を問題にして優劣をもって考えれば、美化されてみたり,卑下されたりと、本質を見間違うことがあるでしょう。さらに、死にようは問いたくありません。何故ならば、死に方は選ぶものでは ないと思うからです。

人間にとって必要な感情はと問われた時、私は”恐れ”と”感謝”ですと応えます。
恐れ・怖さは自分の心の内部と対面いたします。夜道は暗く危ないの発想は、夜道を明るくし、危険なもの、不慮の事故は、予測と予防によって防いでしまった。人間が自己と対面する、機会がますます減って、後、問題はストレスだけが一番大きな問題として取り上げられるているような気がいたします。

感謝は、内面に向かう心を、外に向かわせる働きがあるように思えます。そして、感謝という気持ちに必要な知識は、現状の認識力と分析です。今ある自分は、与えられた知識=勝ち取った知識、勝ち取った地位=支えられている地位、歩んできた道のり=歩かせられた道のり、切り開いてきた運=捧げられた運に違いありませんからです。

せめて、極端な話ですが、怖さを忘れかけた我々は、真に感謝できる人間にならなければならないと思います。
私達、日本人は、人それぞれの価値観を認め合うことが、なかなか出来ません。日本人それぞれの価値観の違いが、実際にはほとんど差があってはならないという命題だ有るかのように思えるのです。ですから、自分と違う人間を認めたがらず、陰湿な攻撃をしかけたりするのかもしれない。しかしながら、確実に自己主張をし、容認する風潮は増していることは間違い無いと思います。自己主張は自分の正しさの誇示です。大切なことは、この自己主張もけっして、自己主張を受け入れてくれる世界あってこそです。そこに気づけば、そうできれば他人の違いがわかり、他人の元気を願い、他人の幸せを祈れるに違いなく、他人の喜ぶ姿を悲しむ自己など有り様はずがなく、またそのことは、感謝する自己があれば求心的に向かうと思われるのです。

良心の輝きが大切であり、神仏も光輝く存在になるに違いありません。そのとき、恐れや怖さに気が付いてもらいたいと思うのです。



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