目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
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……ロス

……ロス N・Iさんの為に

 20年30年……と時を重ねて連れ添った夫婦に、いずれはどちらか一方の死が訪れる。その訪れは、突然の場合もあり、一つとして同じものはない。
たとえ残された夫婦の一人が、良き理解者の恵まれた家族の相談相手を持っていた場合でも、一人になってしまったと言う孤独感と愛する者を失ってしまった喪失感を、癒すには数年かかる場合もあり、一生持ちつづける場合もあります。

私の母も、そう言えば父が亡くなって10年たとうとした時、「お父さんが亡くなって困るのは、真に相談できる人がいないことなの」と、寂しそうに言った言葉を思い出す。息子である私を目の前に、そう言った言葉の奥の、寂しさを癒すことが出来なかった我が身の情けなさを反省したものだった。


 とある日曜日、49日の納骨の法事があった。突然先だった定年後すぐの夫の遺骨を抱えた婦人は、物静かに落ち着いて、着実冷静に物事を見据える目を持っていた。この年代の老いは、そんな夫婦の人生の黄昏を、やがては一人づつ別れ離れになる時が訪れるであろうとことの花道でもある。夫が退職し、新しいカメラを買い、パソコンを購入して、アドレスを手にしての突然の旅立ち、老いた母を残しての旅立ちでもあったのです。夫婦には、一男一女の優しく心強い恵まれたお子さんがいたのだが、婦人の心には、どうしようもない悲しみと、一人になってしまったんだという不安感が現れていた。

私との会話の途中に、「相談することができる人がいないのです」と言う言葉があった。私は、夫婦の対話の、何でもない婦人の言葉を吸収するご主人の、いなくなってみて、かけがえのない存在だったことの重みを、その婦人に見ました。誰も代わることのできない、誰も聴くことができない、つらいことがらです。
ふと私の母の言葉を思い出した。娘さんと息子さんのいる席での婦人の言葉に、数年前私が落胆した通りに、この娘・息子さんも思っただろうか。いくら母をいたわる努力をしても、けっして父の変わりが出来ないことを、いずれ知るだろう。

悲嘆と失望が、実り多くそれぞれの人を潤すことの結実の難しさをつくづく思います。
それでも、潤いのある人格を形成する為には、こう願う以外に方法はないではないかと自問自答します。そして、今は、実り多い潤いの果実を早く熟すことを願って、先に旅立っていった夫からの試練と捕らえて欲しいのです。
人は一人で生まれ、一人で去って行きます。その過程において、歩んできた道の違う男女が、幸せな家庭を築くことを誓って二人になります。やがて、人格を持つ一人を生み育むのです。何千年と人は同じことを繰り返しながら、ロミオとジュリエットにならない限り、最後の別れは一人旅立ちです。とても不思議に思えてしまいます。

榎本クリニック院長・榎本稔先生が日経新聞の夕刊に、書いていた文章です。
『パチンコ依存症者は一般に、物静かで無口で目立たない。自己主張は乏しく、消極的な性格である。友人は少なく、他人と付き合うことに気をつかい、ささいなことで傷ついたり、気配りで自分が疲れてしまい、程よい人間関係がつくれない傾向がある。反面、負けず嫌いで、強い自尊心をもち、他人からの干渉を嫌う。心は強い空虚感に被われ、イライラし、不安を感じ、葛藤している』

極端なたとえだが、依存症という言葉が、特別に引っかかった。別に、婦人がパチンコ依存症になっているというのではない。何十年連れ添った夫婦の関係は、どの夫婦でもお互いに依存し、分担して家庭が成り立つ以上、突然の死によって、一人に放り出された時のあり様は、戸惑うばかりである。夫婦関係は、良い意味で依存症によって成り立っている所があるのではなかろうか。パチンコ台を男と見、女と見、あるいは混ざってみた場合、何処かに共通点があるような気もする。突然に世の中にパチンコ屋が無くなってしまったとしたら、その喪失感はどのようなものだろうか。

人は一人では生きて行けないくせに、一人で生まれます。内面的にも、多重人格は激しい葛藤を産み、耐えられないことでしょう。古来から宗教は、全人格的な統一を掲げます。なぜならば、そこに絶対的な安らぎがあると思うからでしょう。
人はさまざまな恩恵を受けて生きることしかできないのに、ことあるたびに独立を目指します。独立した次に、さらなる目の前に立ちはだかる壁に闘志を燃やし、あきらめ打ちのめされ、孤立します。孤立した瞬間、さまざまな恩恵は、嫉妬や悪意に変化します。

人として最後までなくならないものに、自尊心があります。よくいう人格とは、自尊心そのものではないかと思うことがあります。心はどんなにも大切なものであり、どんなにも人を惑わす悪童でもあります。

禅は、安らぎを求めません。禅は一人を目指しません。禅はかといって二人をも求めません。禅は心を求めません。禅はどう対処したかの行為、その一点に就きます。その行為の中に、求めて得られない安らぎがあるといえるからです。


後姿

後姿

 私の知人からこんな質問を受けた。それは昨年亡くなった江東区内の大きな会社の創業者のお墓のことだった。知人は長らくその方の秘書的な仕事をしていた人でした。

 「和尚!納骨も終わってしばらくしてのことです。墓地には名刺受が置いてありまして、その中にたくさんの名刺が置かれていたそうなんです。遺族がお参りした時、持って帰るのですが、お礼も言えないので、何かお礼の言葉をその側に立てておこうかと言うのです。どんなものでしょうか?」

私は、即座に、「必要ありません。もしお礼がしたかったら、その名刺の方にお礼状でも差し出したらいかがですか。故人を偲んで墓参に来るのに、名詞を遺族に残そうと考えていたら、いかがなものでしょうか?」と話しました。
彼は、「私も、墓参に行くのに名刺は置いて行きません。よかった、同じ意見です」と、同調してくださいました。

家族が思えば、お礼の言葉を立てたり、刻んだりすることに、抵抗はないのですが、名刺を置いて行く人物を訊ねたら、何やらあまり思わしくない人と答えられたので、そう答えたのでした。

昨年のNHK紅白歌合戦を、何年かぶりに家族と一緒に見たときのことです。歌手の武田哲也さんが、歌の中で、「こりゃ哲也、他人様に指差してはいかんよ!指差すってことは、残りの三本指は自分を指しちょるってことを、忘れたらいかん!」と言っていました言葉を何故か思い出しました。
他人を誹謗し非難することは、自分を卑しめることになることと、自分を売り込むことも、自分を卑しめることになると、同列のことと思えたからです。
しかしながら、こと仕事となると別なことです。セールスや仕事上の付き合いは、自分の熱意を売りこみ認めてもらわなければ成り立ちません。信頼してもらわなければ仕事になりません。

私が望み願うことは、上野宋雲院の故山本禅登師のお話です。
『人間には前からお辞儀される人と、後ろからお辞儀される人の二通りある。前からお辞儀される人は、金と力のある人だ。人間は金と力に弱い。だから金と力のある人の前に出ると、その金と力のあやかりたいと思って、お辞儀をする。言いかえると、その人にお辞儀をするのではなくて、金と力にお辞儀するのだ。ところが、後ろからお辞儀される人は、それと違う。
その人は誰にも親しまれ、尊敬される人なのだ。だから、その人の前にでると、親しい仲だからお辞儀はしない。後姿に、心から、ああ立派な人だなあと、お辞儀するのだ。……金と力はあったほうがいい。しかし、それよりも、後ろからお辞儀されるような人になってくれた方がわしは嬉しい』と、後藤楢根氏の言葉を記して、法光(昭和44年1月号)誌に、「新しい年に当たって考えてみよう」と書いていました。

個人の社会と接する取り組みの姿勢の是非を問うことはできませんが、私など、お金も力もないし、かといって、後ろからお辞儀される人でもないし、せめて、考え方、物の見方の私なりの一面観を伝えるということぐらいしか出来ないが、禅登師も考えてみようと言ったことに、禅宗僧侶の意味を推し量っている今日この頃です。


寿陵

寿陵

生前に墓地を取得することは、現代人にとって、必要なことであると思う人が増えている。その理由として、終の棲家としてと考えている人が大半である。しかしながら、その終の棲家も、家族の延長である『……家之墓』、女性だけの墓、何らかの特定の仲間を募っての墓、夫婦墓、寺院が経営する合霊塔形式墓等と多種多様になってきた。いずれにしても、生前に確保することから、寿陵といえるだろう。

さてその寿陵のことだが、何か言葉からすれば、お目出度いことのような気がする。はたして、そうだろうか。
 禅僧の墓石は、昔から寿塔といった。なぜ寿なのか不思議に思うのだが、それより前、中国の古い制度に寿蔵という制度があったらしい。蔵と言うからには、暗く穴の中のような場所であるらしい。
韓国で先ごろ元大統領が、大統領の罪を、それ以上に追求し責めて獄中に縛ることをせず、禅寺に隠遁することで社会的には許されると言う、実に文化的に成熟した社会ならではの事件があった。
日本ではそんなに話題に上がらなかったが、韓国国民の持つ共有された伝統は、現代に受け継がれて、文化を形成しているのだなと、羨ましく思ったことがあった。隠遁は、自らが自らを裁くことでも有り、それを受け入れて良しとする市民も、そのことを自らの中に持っていなければ成り立たないからだ。

中国的東洋世界では新しい支配者に交代した場合、その支配に従うことを欲しない人達が数多くいた。新しい支配者も謀反、反逆さえしなければ隠遁生活を許容する風習があり、姿を隠す場所を、寿蔵と言ったらしい。穴蔵での生活の起源を考えると、あまり立派な穴蔵は意にそぐわないものがあるが、チョット前まで、ある意味では我々日本の現代人にも通じることだったはずだ。

『塔』についていえば、塔は天を指し、石や土を積み上げる。昔も今も変わりはないように思えるが、内実は同だろうか。塔を積み上げると言う行為そのものの持つ意味はなくなっているかもしれない。積み上げても崩れる塔は、海辺の砂遊びや、それこそ賽の河原の石積みであり、我々の現実生活の年輪であり、過去そのものと言っていいはずである。合理的や便利さ快適性等、たくさんの人が追求してきた中に、積み上げて行くと言う我々の行為がおろそかにされたような気がする。肝心な場所は地下の穴蔵であると言うことは言うまでもない。人が葬られる場所は、塔の下なのだ。そこでこそ、人が眠るに、につかわしい。

江戸時代の熊さん八さんの庶民は、寿陵を建てようにも、その余裕はなかったのではないだろうか。その意味では、現代人は大方、墓を持つ文明の暮らしをしていることになる。

私は、いつも思うのだが、江戸時代の熊さん、八さんのお墓は何処に残っているのだろうか。寺の古い過去帖は関東大震災で燃えてしまっているので解らないのだが、江戸時代前の熊さん八さん、もっと前の熊さん八さんのお墓なんて、どこにも残っていやしないように思える。どう考えてみても、我々が日ごろ踏みしめている大地こそ、彼等が埋まっている穴蔵なのだと、何か確信さえするのだ。

年をとって、足が弱くなり車椅子生活になたっとしても、良識有る施設では、足置きのペダルは上げて、できるだけ足の裏を地面につけることによって、老化の予防と回復を助ける。大地は私達をあらゆる意味で刺激する。その大地は、先人達が眠る大地だからだ。私達が生きる恩恵は、大地から多く受ける。


ついで参り

ついで参り

 今日は、お聞きしたいことがありましてメールしました。

お墓参りの事なんですが、日曜日に、従姉の7回忌の法要があります。同じ霊園に、それも従姉のすぐそばに伯父の(従姉の父)お墓があります。そういう場合、従姉のお墓に参ったあと、伯父のお墓参りをしてもいいのでしょうか?
ついで参りはいけない、と言われたことがあるのですが・・・。
でも、伯父のお墓の前を素通り、というのも伯父がかわいそうな気がして。
どうなのでしょうか?
私も、父母のお墓参りに行ったとき伯父が別に作ったお墓の方へも寄るのですが・・・
お墓参りのきまりのようなものが、あるのでしょうか?
お忙しいこと思いますが、教えて頂けますでしょうか?
よろしくお願いします。

 お答えします。
 実は、私も、よく知らないことなのですが、一緒に考えてみましょう。
 まず、ものの見方には二つあります。お参りするほうと、されるほうです。お参りする方としては、どうせ行くなら同じ墓地にある他の墓も寄ってお参りしたら、一遍に方が済むと思うものです。このことを、詳しく言えば、『一遍に』と『方が済む』が問題なのでしょう。
 お参りされるほうから言えば、墓地に埋葬された遺骨は、自分のことを振り返って欲しい、思い出して欲しい、会いに来て欲しい、語り掛けて欲しい、家族の成長を目の前で見せて欲しいと……願っていることでしょう。

 しかし考えてみると、そのお墓には他に埋葬されている方がおりませんか。もし居ましたら、父親のお参りに行って、祖母のあるいは祖父のお参りを、ついでにすることになります。なにか変ですね?
 基本は、いつでもそうなのですが、お墓はお参りして、はじめて墓であると言う事です。ついでと言う言葉は、そぐわないことなのです。
 ある目的を持って、一途にものを突き進むことがあります。
 例えば山の向うにある村に、道を通そうとトンネルを掘ったとします。ところが、穴を掘ると、今まで地中に隠されていたものが、掘り出されます。小判であったり、化石であったりします。

 『偶然』『不思議』という言葉はこの時使われますが、小判や化石を目的とする発掘には、出てきて当たり前、出なければ、致し方ないことなのです。この意味では、世の中『偶然』『不思議』ということはあり得ないことになります。まして、小判や化石が、ここに有るから、居るから掘ってくれと言うことはないのです。勿論、掘ってくれなかったら恨むとか、ついででも良いから掘ってくれ、ということもないのです。
 死者は見とおしていると言う言葉があるとすれば、その人が語らしめたことです。
 お墓参りに決まりなどないのです。もしあったならば、作法ばっかり気になって、偲ぶこともできません。何事も、自分の良心に素直なことが大事です。

 さらに、それでもついで参りが気になることがありましたら、これぞ、極意です。「ついで参りで、ごめんなさい」「お久しぶりです」「こんな形でなくては、なかなか来れないの」と、お参りするのです。そして『偶然』、『不思議』のお話は、「あら不思議。偶然ね」と、なります。


目標

 平成12年2月28日の日経新聞朝刊の春秋からである。
『目標をみつけることが目標になってしまった十八の今』と、東洋大学が毎年募集する「現代学生百人一首」で秀逸作品には、卒業控えて入試に埋まるこの季節の日本の若者の心模様が浮かびあがる。自分が何をすべきなのか。それがわからない。

目標

 私が、高校一年生のとき、叔父から突然この寺を継いで見ないかと言われた。それは、まったく私にとっては、突然のことでした。今、振り返ってみると、叔父も、父の姉も、そして何より父にとって、大きな願いだったのだと思う。もうこの三人も、泉下の人となって久しい。
叔父は慶応の教授をしていたことより、私にとっては雲の上の存在だった。それこそ私にとっては、親しく話をしたという記憶はないのだが、その存在だけは、今でも大きくある。叔父が私をどう見ていたのか、そしてこの寺の後継者としてどう適任と思って、私にゆだねたのか、今は知る由もない。叔父の父は、私にとっては、祖父だが、私の小さかった頃に亡くなったことと、その当時の私の住んでいた西八王子は、まだまだ田舎で、遠方であったことより、記憶は全くといっていいほどない。

祖母についても同様に、あまり記憶はなく、かえって母方の、祖母のほうが目に浮かぶことが多い。小さかった頃の環境と体験の記憶が、大人になっても、大きな比重を占めるということは、いかに大事なことであることの証明でもあろう。
多感な時代だったということで、高校時代、大学時代は、眼前にぶら下げられた目標を決断することと、将来の自分のしたいことを探すことと、自分の熱中できることを通すことの不安と、すべてを拒否することと、父の身体の変調を戸惑いに似て察知する私の、早急に決断できない自己ジレンマに陥っていた時代であった。大きな葛藤を引きずりながらも、時は流れて、その葛藤は、この寺に住むことになってまでも、最後の最後まで、葛藤を繰り返していた。

職業とか、仕事を選択することが目標であれば、仕事をやめたとき、職業を変えた時、多感な頃の十八の今はどういう立場にあるのだろうか。どうやら、多くの人が、一生の仕事を持つことは、不可能な時代になっているような気がするし、一生といっても、仕事についてはリタイアするまでと区切りを持つわけだし、多種多様に激変する時代になったことは、一人の人間にとっても、一生は多種多様なものになってしまったような気がする。リタイアしても、その後の長さを考えると、人の生涯はいつも途中であることの自覚が必要であり、”人生の定年はない”を旗印に、生きて行くことが肝要なことと思う。考えてみれば、仏教の教えそのものだ。禅で言う、前後際断とは、道元が言う「たきぎははひとなる、さらにかへりてたきぎとなるにあらず。しかあるを、灰はのち薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり、前後ありといへども、前後際断せり。」の通り、今している仕事はリタイアしてする仕事と、後先のモノではなく、独立して、最前を尽くすことこそ、仏道と言える。たとえ目標があったとしても、前後際断、今を行じるのみであり、目標は、あくまで未だ至らないモノにすぎなく、今を行じることが歩んできた道と目標を含んで、後先なく、前後際断。

モンセ・ワトキンス著、井戸光子訳の《夢のゆくえ》(現代企画室)に、1999年3月にイエズス会のスペイン人司祭マヌエル・エルナンデスに対して行ったインタビューがある。彼は30年以上にわたって、日本で刑務所訪問を続けている偉大な人であり、服役する人に発して言う彼の言葉に、共感を持つ。

『まず、私たちはお説教するのではなくて、彼らの話に耳をかたむけなければなりません。すると、彼らがどう変わっていっているか、わかるんです。とは言っても、助言をすることもあります。
「妄想にとらわれないように」とね。つまり、家族のことをあまりにも心配したり、刑務所での処遇で誤解したりしないように、「妄想には注意」と言うわけです。また「この世の中には原因不明のことはあり得ない。なぜあなたがここにいるのか考えてみるように」とも言います。
また、自分たちは社会の犠牲者だ、という思いを捨てるように話します。

同時に、悪人はいないということ、そして踏みはずしても正しい道に戻る可能性はあるのだということも、じっくり考えてもらいます。人は、強制されて変わるものではありません。変わろうと思わなければ、六年も七年も刑務所にいるまでです。自分の人生を、ビデオを見ているように見なおしてごらんと、言うんですよ。「自分が変わるために、今、これから何をやればいいのか考えなさい。ここに舞い戻ってくるのは最も簡単なことなのだから」とね。また彼らが家族に手紙を書くときには、刑務所にいると書かないようにと言います。「仲間と一緒に労働して、学んで、一定の時期がたてば卒業できる、いわばそんな”国際産業大学”にいる」わけですから』

マヌエル・エルナンデスの言う言葉は、仏教の教えでもある。聞くと言うことは、お経の最初に出てくる”如是我聞(にょぜがもん)”に徹する姿勢ですし、妄想にとらわれないとは、今いる自分の立っているところ、それは、目に見えないモノを含めての実在を直視しなさいということです。今、何をやれば良いのか考えて、ただひたすら歩むことが仏道なのだから、考えてみれば、目標とは、目前の自分自身の事実にかかわっていると言えます。だとするなら、おのれ自信の根拠を考えてみると、人は生まれた環境により、生い立ちにより、自分以外の世界から影響され生きる訳ですから、明確不明確にかかわらず、目標が、おのれを導くとも言えるです。
目標が、明確に、自分自身を決することの決断ができるかどうかに価値があるように思えますが、悩むことも、前後祭断で独立し、不明確な目標がそうさせるとも言えます。

確かな目標を持つことを、その目標に向かって生きることを、時代を大海原に譬えてみると、上手に泳げる人たちは、ほんの一握りで、多くの人たちは、漕ぎ出だすことの困難さと、沖に出て、翻弄され、もがき喘ぐことに終始しているかにみえます。
目標に向かって漕いでいるときも、目標を見いだせずただ漕ぐことも、漕いでいることに関しては同じ行為です。目標に向かっていても、自分の意図する目標でないかも知れないことを考えれば、目標は、今、漕いでいる事実であり、目標が漕がせると思えば、共に、漕ぐことが目標なのでしょう。明確な目標と、不明確な未だ明確でない目標も、共に、今を漕がせるのです。
しかし、どちらが優れているか、確かなモノかは、価値判断でもあり、目標に向かって今を上手に泳ぐことも、翻弄されて喘ぐことも、共に今を生きる姿と違いないのですから、考えてみれば、与えられた場所と時間に、一生懸命漕ぐことに、居場所があり、目標が現れるということなのです。



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