目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
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死に顔

死に顔

陽岳寺の本尊は、十一面観音菩薩です。いわれは、どこかで書いたので省略したいが、なぜ十一の顔を持つのだろうかと、ふと、お経ちゅうに思った。
お経ちゅうに思うなど不謹慎なことかと思うかも知れないが、よく、本当に、ふと湧いてくることが多いのです。
この十一の顔を持つ本尊の、なぜ十一なのかという問いの裏には、人は様々な顔を持つものだという思いがあったればこその問いでした。そして、顔とは、その顔とは、様々な自分を表現するものであり、顔とは、人と人との関係や縁起をあらわすものであると思ったからです。
「よく私は、頑固である。意地汚い。小心者である。本当は気が小さく弱いものなのです。忘れっぽい。おっちょこちょいです。食いしん坊である。欲が深い。マラソンが好きです。」と、自分を表現する言葉には、必ず、自分以外の関係や縁を指しているといえば、自分の表現は、関係とかつながりを語っていることとしていえるのです。
千手観音の千手を取りさってみれば、後に遺るのは十一面観世音菩薩だとすれば、本来、顔も千有ってもおかしくないはずだと、類推するのです。
この類推は、仏教の知識をなにも探ろうとせず、こう言い切ってしまう大胆さであり、おそらく専門家の方からは叱責を買うことは目に見えているが、そう考えてしまうのです。
こう書いて、なぜ十一とか千というたくさんの顔にこだわるのかといえば、人が一つの顔しか現さないときをふと浮かんだからです。それは、人の死に顔ではないかと。
「安らかな顔、眠るような顔、いい顔をしている。あまりの穏やかな顔に、ふと眼を醒ますのではないかと錯覚しそうな」と、人が一つの顔しか見せないことに、これが死の姿でもあるのだろうと気づいたからです。
そして、ある時、十九歳の女の子のプリクラ帳を拝見する機会がありました。
もちろん、その子のご両親から見せてもらったときのことでした。多分、二百枚以上の三百枚はあったかも知れません、プリクラの自画像収集でした。一回目を通したとき衝撃は、どれも、華やかな、楽しげにして眩しいものでした。しかし、くりかえし見て、この子の残したかったものは、言いたかったものはと考えたくなりました。カメラに向かって笑顔をした顔に強烈なライトが当たり、自分の隣に並ぶ人は変わるものの、目を見開いて、レンズに向かう顔や姿に、楽しかった一瞬の収集に見えたからです。しかも、みな同じ顔だったことに、なぜか、ひっつの顔のイメージが、死に顔を連想させ、なぜ、もっといろいろな顔をしていないのだろうと、十一面の姿を思いだしたのです。
考えてみれば、相手の顔は三百と違うものの、三百の楽しさの表現を一つの顔で現す子といえばよいのかもしれないが、奇妙に見えたのです。この楽しみの顔を、死に顔とはいえないものの、なにかおかしい。
そこに、この子の求めていたものがあるはずだと、三百という機会を、この子は、街角のプリクラ機で証明して、収集したことになる。この子が何故か、不憫に、哀れに、悲しく思えたのです。
三百という機会の巡り会いに、その数以上の、この子の顔が有ったはずです。その顔を見たかったのですが、あまりにも強烈なプリクラに圧倒されてしまいました。

松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)

松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)

 《舎衛城(シャエイジョウ)に住むヤージャニダッタは、鏡に写る自分の美貌を楽しんでいたが、ある日、じかに顔を見ようと思ったが見えないので、鏡中の像は悪魔の仕業であると早合点して、怖れて町中を走り回ったという、自己を失った愚かさの故事。その後、変わり果てたヤージャニダッタは、友に話を聞いてもらいました。友人はやさしくさとし、ヤージャニダッタは普段の彼に戻ったのです。》

  鏡に写る自分の顔に、鏡をとおさず自身で直接にふれたいものだと思ったのです。本当の姿という幻想をいだき探し求めようと、もがき遍歴する試みは、人間の追求してやまぬ心の構造を物語っています。
 そこに鏡が登場して、写されているものに、写す自身の心の歪みが写されているものが、物語りとなります。

この故事が、臨済録・示衆(じしゅう)にあります。「なんじ、ただ一個の父母有り、さらに何物を求めることがあるだろう。なんじ自ら振り返ってみなさい。古人云く、演若達多(エンニャダッタ)は頭(こうべ)を失った。求める心がなくなったとき、無事がおとずれる」と。

  「ただ一個の父母」とは、本当の自分のことです。演若達多(エンニャダッタ)は、この話の原型ヤージャニダッタという主人公の漢訳名です。そして、この話が中国から日本に伝わって、昔語り、謡曲、落語として伝わっています。

昔語りの松山鏡(まつやまかがみ) 

  松山鏡は、越後国、松の山という地に、貧しく暮らす、父と母、それに娘三人の物語です。 
  ある時、父が、山や河、難所を幾つもこえなければ行くことができない京都への旅に出ました。一ヶ月がすぎ、やっと自宅に帰ってきたある日の夕方のことでした。
大きな荷物を背負って、旅支度をといた父は、晩になって、大荷物をといて、中から細長い箱を取りだし、約束のお土産を娘に手渡しました。
  それはそれは、かわいらしく、都の匂いのするお人形さんやおもちゃでした。
そして妻には、銅製の鏡を、渡したのでした。二人の喜んだことは申すまでもありませんでしたが、妻にとっては、鏡は手にすることが始めてで、知らなかったのです。
  そんな妻の様子に、夫は、やさしく、「お前、それは鏡といって、都へ行かなければ手に入らないものだよ。ほら、こうして見てごらん、顔が写るから。」といいました。

  そして幾年かは、三人で平和に暮らしていたのですが、、娘が15才になったとき、母が具合を悪くしました。母の病気は重くなり、もう今日明日の命となったときの、その夕方。

  母は娘を、枕元に寄び、やせこけた手で、娘の手を握りながら、「長い間、有り難う。わたしはもう長いことはありません。これは京の土産にお父さんから頂いた、だいじな鏡です。この中にはわたしの魂が込めてあるのだから、いつでもおかあさんの顔を見たくなったら、この鏡をのぞいておくれ。どうか、わたしの代わりになって、おとうさんをだいじにして上げて下さい、たのんだよ。」といって、鏡を渡したのです。
娘は、目にいっぱい涙をためたまま、いつまでも、うつむいていました。

  それから間もなく、おかあさんは、息を引き取ったのでした。あとに残された娘は、悲しい心をおさえて、おとうさんの手助けをして暮らしていたのですが、寂しさがこみ上げてくると、娘はたまらなくなって、「ああ、お母さんに会いたい」と、鏡を出しました。

  するとどうでしょう、鏡の向こうにはお母さんが、にっこりと微笑みかけています。
 その後、お父さんは人にすすめられて、二度めのお母さんをもらいました。
 娘は、今度のお母さんとも、先のお母さんのように、親しく暮らしていました。
 それでも、娘はやはり時々、先のお母さんが恋しくなると、そっと部屋に入って、鏡を出してはのぞき込み、お母さんに向かって、笑いかけていたのでした。

  今度のお母さんは、時々、娘が悲しそうな姿をしていることを気にかけていました。またそんな時、部屋に入り込んでは、いつまでも出てこないことに、心配していました。
 そんなことを繰り返すと、お母さんは、娘が隠し事をしているのではないかと疑って、だんだん娘が憎らしくなりました。

  お母さんは、自分の思いを、お父さんに話しました。お父さんは「私が見届ける」といって、娘の後から部屋に入って行きました。そして娘が一心に鏡の中に見入っている姿を見たのでした。
 娘は、父に驚きながらも、こうしてお母さんにお目にかかっているのだと話しました。
「お母さんは居なくなりましたが、この鏡の中にいらしゃって、いつでも会いたい時には、会えるといって、この鏡をおかあさんが下さった」のだと話したのでした。

  お父さんは、このしおらしい娘の心がかわいそうになりました。すると、その時まで次の部屋で様子を見ていた、今度のお母さんが入って来て、娘の手を固く握りしめながら、「これですっかり分かりました。何という優しい心でしょう」といいながら、涙をこぼしたのです。(講談社学術文庫より)

  謡曲の松山鏡

  この話も、昔話の松山鏡と同じように、母の形見の鏡をのぞいては、そこに写る母の姿を偲んでいる娘の姿があります。

  ある日のことです。母の三回忌の命日、妻の夫が、持仏堂へ向かったのです。すると、そこにいた娘が何かを隠そうとしたのでした。これは、世間の噂のどおり、新しく結婚した今の妻を、娘が呪っているのだと思い、しかるのでした。

  しかし隠していたのは亡き母の娘に託した鏡であり、娘は鏡の中に浮かぶ、母の姿に思いを馳せ泣いていたのだと気がつくのでした。 

  そうした状況の中、持仏堂の中には、地獄から娘を心配する母の霊が現れ、鏡にまつわる説話を語ります。さらに、母を連れ戻そうと地獄から倶生神が現れます。その鏡は、同時に過去の母の娑婆での罪科が写る鏡でもあったのです。倶生神が、鏡を母に見せましたが、そこに写っていたのは菩薩の姿でした。
娘の母を思う心が、倶生神の心をうち、母を連れることなく地獄へ戻っていったという謡曲です。

落語の松山鏡

  越後の国の、松の山村に、百姓の庄助という男がいました。24才の時、父庄左衛門と死別し、妻はもらっていたものの、以降18年間というものの、毎日、両親が眠るお墓に、花と線香を欠かしたことがなかったのです。そのうち、村人から、孝行ものの庄助と噂が立つと、越後の国の領主に知れることになりました。庄助にとっては、貧乏で生前に親孝行ができずにいたことを悔い嘆いてのことだったのでした。

  名主の権右衛門共々、領主のもとに召され、褒美を下されることになったのですが、庄助は褒美は一切いらないから、できるなら父親に会わせて欲しいとひれ伏します。

  そこで、領主は、「いかなる無理難題でもお上の威光をもって、必ず庄助の望みをかなえさす」との約束を案じて、庄助に鏡をみせます。庄助は、鏡に映った父親の姿に大変感激します。その鏡は、朝廷より国の領主の印として預かった、八咫(やた)御鏡(みかがみ)であり、殿様は、「子は親に似たるものぞと亡き人の恋しきときは鏡をぞ見よ」の歌を添えて男に鏡を与えたのでした。

  庄助は、殿様に言われたとおり、誰にも見せず、鏡を納屋の中にしまい、朝には「お父っつぁま、行って参ります」と出かけ、夜は「ただいま帰ってまいりました」とやっております。

  これを妻が勘違いし、「夫の様子がおかしい。納屋になにか、隠しているんじゃないか」と、疑いだしたら切りがありません。ある日、夫が出かけた後、納屋に入り、鏡を見つけてしまったのです。

  妻も、鏡を見るのは初めてなので、鏡に映った姿に、「どうも様子がおかしいと思ったら、こんなところにアマッ子を隠して」と、腹を立て、地団駄ふんで悔しがります。仲睦まじかった夫婦も、庄助が帰宅すると、この夜は大喧嘩です。そこに通りかかったのが、隣町の尼寺の尼さん、二人の話を聞き、一緒に問題の納屋に入りました。納屋にしまわれていた鏡を尼さんが見て、「中の女は、面目ないと思ったか、坊主になって詫びている」。

  今更、鏡を心と言い換えて読むなどとは、不調法というものです。庶民の賢さは、笑いや芸能に……。

真ん中(平成20年4月1日)

真ん中(平成20年4月1日)

 谷川俊太郎質問箱(ほぼ日BOOKS)という本があります。この本は、糸井重里事務所が運営するインターネットサイトの『ほぼ日刊イトイ新聞』が、64問の質問をメールにて受付、谷川俊太郎氏に答えてもらったものです。
 その質問は例えばこんなふうです。
 しょうごろう 36歳の人の質問。
『人間をはじめ、多くの生物って左右対称ですけど。なんででしょう?』
 谷川俊太郎さんは答えました。
『こういう質問には、科学的な答えってのがあると思うんだけど、答を知るとまたその先を、「なんで?どうして?」って訊きたくなるのが、人間なんだよね。
 でも問い続けて最後の究極の答は、多分科学には出せない。で、ぼくの答。
 いまある世界ははるかな昔、左右もない上下もない混沌から生まれてきた、私たち人間の内部には、いまもその混沌が生きてうごめいている。
 だけどそれを解放すると、この世界の秩序があやうくなるから、人間はときどき鏡を見て、あるいはステレオを聴いて、あるいは三次元映像を見て、目も耳も二つずつある左右対称を楽しみ、確認して安心するのです。』

 左右対称を楽しむとは、バランスがとれているという意味でしょうか。それは地球の引力に対してもそうでしょうけれど、目は三角法の測量により長さを測ることにより、耳は、音源の移動に、相対的な位置を知る働きがあるからでしょうか。
 この左右対称は、対象を捕まえる、追いかける、ものを投げる、水の中に泳ぐ、愛し合うためには不可欠なものであるけれど、それを意識したとたんに、左右はばらばらの動きに、自己はコントロ-ルを失うものです。だって、われわれの手や足は、右や左と意識したら、思うように手や足を動かせないからでもあります。
 それよりも、意識して右足を出し、左足を出してと歩むことはスムーズではありませんことから、左右の間にいるものは何ですか?と、問いかけてみたいものです。
 『人間をはじめ、多くの生物って左右対称ですけど。なんででしょう?』の疑問は、生物の左右対称という在り方だけではなく、人の考え方や、見方となってもいます。そして、左右対称の在り方見方は、左右対称を意識しないことに成り立っているように思えます。 たとえば何気なしに行っている行為に、紙を半分に折る場合があります。左右の端を合わせることで、中心が浮かび上がってくるようにです。
 これを人間の場合で考えてみると、上と下、右と左、さらには、好きと嫌い、損や得、順や逆、西と東、始めと終わり、相対的なものを知ることで、人の位置を知る働きがあるといえるでしょう。
 順や逆、始めや終わり、左右や上下、損も得も、つまり相対的な関係は、我々の位置をはかるものです。そして相対的な関係のものには、必ず、真ん中があることが不思議なことです。 
 谷川俊太郎氏は、「いまある世界ははるかな昔、左右もない上下もない混沌から生まれてきた、私たち人間の内部には、いまもその混沌が生きてうごめいている。」と言います。
 仏教が中道を指向する理由も、この辺にあるのかもしれません。
 その混沌の働きとは、左右という世界に生きて、左右にとらわれない働きとすると、どう考えることができるでしょうか。
 谷川俊太郎氏は「確認して安心するのです」ということで、その混沌というものを含めて在るものに迫りません。しかし、混沌というものこそ、人間を人間たらしめるものではないかと考えさせられます。それが真ん中ではないかと。

 その真ん中を知るための試みとして、左右や損得という相対的な関係にあえて踏み込み、
損しても減らないもの、得をしても増えないものを考えてみます。
 もっとも、「そんなの関係ない!」は、すべての繋がりを切るものですが、切ったと思っているのは自分だけで、考えてみれば、かえってその繋がりを浮き上がらせているものだとも思います。真ん中がです。
 でも本当に人間として、価値あるものは、得をしても増えないもの、損をしても減らないものの中にあるのではないかと思います。たとえば、偉くなっても偉くならないもの、稲穂のように。鬼になっても鬼でないもの、鬼の目に涙とかです。
 かって長安の都を目指して旅する僧に「大道、長安に通ず」と言った禅僧がいましたが、大道などはあり得ん、今の一歩が大道ではないかと、右も左も前も後ろに行くも含んで、真ん中自身を語りました。
 損しても減らないものとは、優しさとか、思いやりともいえます。いくら働かせても、働かせても減らないものです。もっともっと山ほどあります。しかし、これを知るには、自分中心としながらも、そこから出てくるものは右か左かという発想では思い浮かばないことでもあります。
 また、得をしても増えないものとは、気づきではないでしょうか。それは、人はもともと自己に欠けているものとして、さらには、思っても見なかった自分に備わっているものに気づくことではないでしょうか。慈愛や慈悲、敬いや、いたわりこそ、誰もが持っている真ん中自身、宝物ではないでしょうか。ただただ、気づくことです。
 そしてさらに、社会にあることわりや、自分にとって見えない道が見えたとき、これが大事ではないでしょうか。ここからは、恵みとか喜びというもので表現できるものです。 あるいは、感謝もよいでしょう。私は、よく混沌の悲しみと言います。それは、もともと持っていたものを相対的世界に生きるために失うことです。失う必要性などあるわけはないのにです。
 こう考えてみると、順や逆、損や得、好きや嫌いという相対的なもののなかに、それを超えるものがたくさんたくさん潜んでいるように思います。
 これを見つけようと、人は、揺れるものかもしれません。
 禅宗の祖師は、「境縁にはよしあしはない。よしあしは心から起こる。心がもし無理に分別しなければ、妄情はどこから起ころうか。暇な時は誰が暇なのか、多忙なときは誰が多忙なのかを考えてごらんなさい。そうすれば、多忙の時にかえって暇な時の道理があり、暇なときにかえって多忙の時の道理があることをきっと信じるでしょう。」と言っています。
 そして、『人間をはじめ、多くの生物って左右対称ですけど。なんででしょう?』から導き出したものは、
 右にも左にも左右されないもの、まして、真ん中にも左右されないもの、
 また、そこに在ることも、無いこともないものが、在るためにです。

百万回いきたネコ(平成21年1月1日)

百万回いきたネコ(平成21年1月1日)

 百万回生きたネコという童話を、読んだことがあるでしょうか。佐野洋子さんが、物語と絵を創った絵本で、講談社から出版されたものです。その内容は……。

 大きくてりっぱなとら猫は、何よりも自分が大好きで、大好きで、だからというのも変なことですが、飼い主に対しては、みなキライでした。何しろ百万回生きたということは、自分が好きなために、百万回死んだということだからです。

 この物語の百万回の生に、とら猫は飼い主から多くのものや経験を与えられました。自分だけが好きだという自覚は、与えられたものの意味を考えることを、させません。このとら猫は、そんな自分を嫌うことはなかったようです。百万回経験してもです。
 とら猫は百万回にわたって、飼い主の悲嘆と涙を見たけれども、飼い主に対しては一回も泣かなかったのです。飼い主の悲嘆と涙に共鳴する、とら猫自身の心の豊かさを見ることはできなかったのです。

 そしてこの物語は、百万一回目にして、始めて野良猫に生まれ変わります。とら猫は喜びました。誰のネコでもない自分のためのネコになったからです。
 多くのメスネコたちが、そんなとら猫と結婚しようと言い寄ります。ところが、ある時、とら猫は自分を無視するシロ猫に恋をしてしまいます。初めてのことでした。自分より好きなものができたということが、このお話のポイントです。

 この好きになるということは、さまざまな与えることを創造するようです。でも、与えることで振り返らせたり、与えた見返りを求めたりでは、それこそ、二元対立の世界におちいる自分を創ってしまいそうです。

 そしてこの物語は、ある日のことです。とら猫は、そのシロ猫のそばに暮らしたいと告げたのでした。そして「いつまでもそばにいました」となります。やがて、子ども達がたくさん授かります。すると、その子ども達も好きになり、りっぱな野良猫として育てて、それぞれの子ども達も、独立して行きます。
 とら猫は、そんな子ども達の巣立ちを見届けながら、シロ猫と共に、満足していたのでした。

  無償の愛の中に生きるとは、与え、与えられることを通りこして、ただそばに生きることの大切さを表現しているようです。
 自己愛から始まって、たどりついて到ったところに、出逢いがありました。出逢いは人を変えますが、その変えられた人は、共に歩むなかで、なかなかその時の思いを保つことは難しいものです。この物語は、出逢いから変化しても、いつまでもそばにいることを考えさせられるものです。
 その出逢いから、結婚に、そして子ども達の誕生と成長、独立、そして二人の老いを通して、一生という変化において、”いつまでもそばにいること”、それが幸せであるというかのようです。

 そして、この物語は、一緒に暮らしはじめた、とら猫とシロ猫に、老いが訪れます。その老いの季節が、シロ猫と、いつまでもいつまでも、生きつづけていたいと思わせます。
 そして、ある日、愛するシロ猫が、とら猫のとなりで、静かに動かなくなっていました。とら猫の悲しみは深く、百万回も泣いたそうです。

 死はその関係をそぎますが、そして、悲嘆や涙がおとずれるのですが、悲嘆や涙を否定するものではなく、その悲嘆や涙のなかに、自己愛から始まった一生が含まれているのだと、気づかせてくれる物語です。そこには、充実して生きるも、稔りもありません。
 百万回生きて、百万一回目にして、一回性の生と死を手に入れたということです。貫かなければ、一回性の生と死は、保たれません。この物語にはシロ猫やとら猫のほかにも、動物や人間が登場いたしますが、みな、それぞれ一回性の生を、生きていました。
 とら猫もシロ猫も、共にそばに生きたということ、そのことで、一回性の生と死を手に入れたということ。逆から見れば、百万回も繰り返しながらも、その幸せは手に入れることの難しいものなのだとの提言かもしれません。
 老いのおとずれの中で、とら猫は、「いっしょに、いつまでも生きていたいと、思いました」が、それは、「いっしょに、いつまでも生きていられない」予感と同時に、そのことの受け容れでもあるのでしょう。
 平成二十年度の漢字は”変”でしたが、変わることを恐れるよりは、むしろ、変わることの連続性こそが、人生であり、変わることの内にあっても、「どんなことがあっても、いっしょに、いつまでもいきたい」が、とら猫の願いです。
 さらに、「いっしょに、いつまでも生きていたい」とは、永遠を彷彿させるものです。

 この物語は、とら猫の涙が涸れたとき、シロ猫のすぐそばで、静かに動かなくなりました。そして、とら猫は、「もう、けっして生きかえりませんでした」、という童話です。

 悲嘆が百万回、涙は枯れるまで、とら猫をおおうのです。百万回の生と死を通してたどり着いた、「そばに生きる」ことの無償の愛は、貫かれていきます。
 無償の愛を、自分を捨てることと理解すれば、とら猫の悲嘆と泣くことは、「そばに居ること」から「いっしょに」を完成することなのでしょうか。死を受け入れると同時に、シロ猫の生も受け容れたことで、すべてが自分となって、無償の愛からの報(むく)われとして、成就されたのだと思えます。
 自己を最後まで捧げて、悲嘆と涙のうちに、静けさとなります。そして、とら猫自身も「生きかえることはありませんでした」と、これは、物語性をもつ人間の考えや思いを否定する言葉です。
 一回性の生とは、かくも、強くて悲しく、過酷で無残でもあるし、美しくもあるし、心を動かす物語です。
(無門関~百丈野狐より、五百生)

夜来る鳥(平成21年1月1日)

夜来る鳥(平成21年1月1日)

「夜来る鳥」、この本は、岩瀬成子(いわせじょうこ)さんが言葉を、そして、味戸ケイコ(あじとけいこ)さんが絵を描き、PHP研究所が1997年に出版したものです。今は、絶版となっています。
 
《 真夜中に、真っ黒な森の中で、イタチのお別れの会が、動物たちによって行われました。
 イタチは重い病気にかかって、ぐったりとしています。
 イタチを取りまいて、タヌキや野ウサギ、野ねずみや鹿たちが坐っています。木々の枝には、フクロウやトビ、鳥たちが見ています。森の奥の、漆黒の闇の中、月明かりが、横たわるイタチだけを照らしています。
 タヌキが、「どこまでも続くと思うと、いきなり消えるもの、なあんだ」と、横たわるイタチに言いました。
 イタチは弱々しい声で、「いのち」と答えました。イタチは、弱々しく燃える自分自身の命の灯を描いていたのだと思います。
 ところが、タヌキは、「いいえ、イタチの足あとです」と、自ら答えました。
 すると回りの動物たちみんなは、手をたたきました。
 次に野ねずみが、「ピカピカ光って美しいもの、なあんだ」とたずねました。
 イタチはようやく「星」と答えました。
 イタチは、漆黒の闇の彼方に広がる、星々の瞬きを見ていたのでしょうか。消えかける命の瞼のスクリーンには、漆黒の彼方にキラキラと輝く星々だけが写っていたのだと思います。
 ところが、野ねずみは、「いいえ、イタチの目です」と答えました。
 動物たちは、尻尾で地面をたたきました。この時、イタチにもはっきりと、森の仲間たちにとって、自分の命がどのようなものだったのか理解できたと思います。感謝したと思います。
 もしかして、イタチと他の動物たちとのかかわりは、そんなに長い時間ではなかったかもしれません。少なかったかもしれません。それでも、精いっぱいに仲間であった。家族であった。共に生きた時間を持つことができた。別れの時間を持つことができた。そして、イタチの命を見つけてくれた、たたえてくれた。
 最後に鹿が、「聞こえなくても、いつまでも聞こえているもの、なあんだ」と、たずねました。
 イタチは目を閉じたままでしたが、かすかに震えたように見えました。
 もうイタチには答える力がなかったのです。答える力がなかったけれど、イタチの喜びを、動物たちもわかっていました。
 鹿は、「イタチの声です」と自ら答えました。
 風が吹いて、栃やブナ、カエデがお別れすると、イタチは、もうピクリともしませんでした。動物たちは、しばらく、イタチを見つめていましたが、やがて、だれからともなく拍手が起こりました。また、風が吹き、林はざわめいたのでした。
 きっと、森の奥の動物たちは、繰り返し繰り返し、仲間たちのお別れをして、今に至っているのだと思います。》

 私たちはどうでしょうか。一人一人、自分の言葉で、イタチの命を語ることができるでしょうか。
 「どこまでも続くと思うと、いきなり消えるもの、なあんだ」
 何と答えるでしょうか。そして私たち自身の答は……。同じように、次の質問には何と答えるでしょうか。
 「ピカピカ光って美しいもの、なあんだ」
 「聞こえなくても、いつまでも聞こえているもの、なあんだ」
 そして、惜しみない時間が私たちに与えられたとしたら、質問は数限りなくあるはずです。
 それを発見するのは、私たちです。
 「見えなくとも、いつまでも見えるもの、なあんだ」
 「いきなり表れて、涙をさそうもの、なあんだ」
 「自分が悲しくなったとき、笑いながら見つめてくれるもの、なあんだ」
 「人が年数を重ねて思い出したとき、変わらないもの、なあんだ」とね。
 「あの時そう思っていたけれど、悲しくなかったけれど、今、自分が変わって、わかるようになって、有り難さが増すもの、なあんだ」

 ところで、この本の題名は、「夜来る鳥」です。鳥がちっとも登場していないと、いぶかるかもしれません。実は、このイタチのお別れ会を目撃しているもの達がいました。鳥と少女です。
 この物語は、森のなかの家で、夜、窓越しに漆黒の闇を見つめている少女に、突然と大きな鳥が訪ねてきて、少女を森の世界に誘うことから物語は始まります。その鳥はフクロウですが、その鳥の背中に乗って、少女は高く舞いあがり、森の奥の一カ所に、木立が開けた小さな広場を見渡せる木の上に舞い降りたちます。

 沈黙というより、静寂のしじまの出来事です。味戸ケイコさんの絵は、静寂のしじまを彷彿とさせます。森の闇の中で、淡々と進む目撃した出来事が、イタチの死を悼む、森の動物たちの儀式でした。
 夜来る鳥は、この出来事を少女に見せようと、遠くの森に誘います。少女の家では、両親も、もしかしたら、兄弟姉妹も一緒に暮らしているかもしれません。どうしてこの少女だけが、選ばれたのだろうかと考えてみると、きっと、この童話を見つめ読み進むもの自身が、この少女なのだと気がつきます。
 すると、この夜来る鳥は、作者の岩瀬成子さんが鳥となって子ども達を背中に乗せ、夜の世界に誘うのでしょうか。もしかしたら、夜の世界とは、子ども達にとっては未知な世界、不可解な世界なのかもしれません。すべてを闇で覆いつくすから。
 子ども達にとって、この世の中のおおかたの出来事が、未知な世界だと思います。それは、相対的な世界であり、変わりゆく世界なのですが、未だはっきりと口をあけているわけではありません。

 この動物たちがイタチに発する問いかけはどうでしょうか。抽象的な概念である、命と死の事実を見つめています。意味するものではなく、作られたものでもなくですが、答は生を語るものであるから不思議です。そこに、死は、生によって語れるものであることを表しているようです。
 走り行くイタチ自身には見ることがない足跡、自分の目のかがやき、聞くことを知らないイタチの鳴き声こそは、森の動物たちにとってイタチそのものです。ナゾナゾのような問いかけに、イタチは、今の自分の命、その自分が目撃する漆黒の彼方の星々の瞬きこそ、イタチにとっての答なのでしょうか。考えてみれば、イタチが、いのちや星と答えること事態、人間の思いで、不釣り合いです。

 言葉で言い表すことのできない死を、どう表現したらよいのか、動物たちに託して、少女の目撃した事実として、私たちに語たります。もともと私たちの心も、動物たちと同じように、同じものを写しています、それこそ、あるがままの姿をです。 
 岩瀬成子さんは、この後、半年をかけて、『月夜の誕生日』を出版いたします。死のテーマから生のテーマへ、岩瀬さんは、「生まれてきたものは必ずいつかは死ぬのですから、すべて生と死の間のドラマですから、これを抜きには考えられませんね。誕生日って生まれたことを確認できる大切な日ですよね」て言います。誕生の物語は、生のテーマで、少女が戸惑いながらも、次々と与えることで、生きる歓びを知る物語です。これも生きることは、与えることだと言うかのようです。改めて、私たちは何を、大切な人たちに与えているでしょうか。


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