目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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諸法

世界には様々な法があるかもしれない。また、それが人が創った限りは、矛盾 があり、顛倒があり、違背があります。
仏教は、世界自身が語り、世界自身が在らしめた法です。世界が一つに認識さ れた時、仏教の名前は亡くなるかもしれないが、世界がある限り、仏教の智慧は 輝いている。

四十四の問い~ミヒャエル・エンデ

四十四の問い~ミヒャエル・エンデ

  未だ全問に答えていませんが、気長に答えることとします。
もし、貴方が別な答えを出そうとするなら、私にメールを下さい。
貴方の答えを掲載いたします。『虹の彼方に』管理人

 エンデ自身がこの問いを出してより、これに答えた人は数多くいただろうと思う。しかし私はそれを読んだこともないので、知りようもない。答えたとしても誰も意味はないかもしれない。
 だけど、答えようとすることから、エンデに親しく接するような気がする。

1、あなたがこのような本を編むとしたら、なにを基準にしてえらびますか?
≪普通こう言った文章に接するとき、問い自体の新鮮さや、共感に賛同します。何もいちいち答えると言うのではなく、問い自体に、答えが含まれているものです。≫
2、あなたの人生を変えた本や、本のくだりがありますか?
≪この本に関して言えば、東洋では省みることをしなくなった、東洋の英知によって思考されていると思うのです。≫

3、人生の問題に直面していて、ぴったりのときに、ちょうどぴったりの本を手に入れ、ぴったりのページを開き、まさにぴったりの答えを得たとすれば、それは偶然だと思いますか?
≪人生の問題に直面していて、ぜんぜん外れた本を手に入れ、はずれたページを開き、まさにはずれた答えを得たとすれば、それは偶然だとおもいますか?≫
4、天使や悪魔や奇跡について聖書は語りますが、それでは聖書はファンタジー文学に属するのでしょうか?
≪答えは問いの中にあるという意味がよく分かる。蛇足は、記録するということを、何故記録しなければならないかと考えてみて、伝えるということも、目的や真意を考えてみると、ファンタジー文学は、聖書になり、日本書紀にもなるということか?≫
5、トルストイが書くモスクワ、フォンターネが語るベルリン、モーパッサンが描くパリ、これらの都市は現実にあるのか、あるいはそもそもかってあったのでしょうか?
≪よく私が問うことがあるのです。それは「世界は幾つあるの?貴方にとって世界とはどんな意味があるのですか?」また「具体的とは、現実とは?」です。≫

6、ゲーテが親しく呼びかけた月(おんみはふたたび茂みと谷をみたし……)(「月に寄す」)と、あの二人の宇宙飛行士が歩きまわった、泥や埃から成る塊は同じ一つの天体でしょうか?
≪この世の中で、一体”同じ”と言うことはあるのだろうか?そのことの意味を考えたとき、”同じ”という意味が解るのでしょう。≫
7、戦争の残虐さからなにも学ばず、自分も変わることなく戦争を体験した者に、戦争の残虐さの叙述がなにかを教えたり、そればかりかその者を変えることができるでしょうか?
≪最近行われた戦争を見る限りは、地域的限定の民族的なもののようです。民族を成り立たしめるものに、宗教があるようですが、宗教も、数や地域の占有を追及すると、資本主義の考え方と何ら変わるものではありません。人が何かを学ぶことはあるのだろうか?歴史は繰り返すの格言は、正しいのだろうか?≫

8、千人の苦しみは、一人の苦しみよりも大きいのでしょうか?
≪苦しみ自体個人的なものである限り、苦しみは千差万別です。千人の苦しみは、一人の苦しみです。≫
9、一平方キロメートルの赤い面は、一平方メートルの同じ色の面よりももっと赤いでしょうか?
≪一平方メートルが、1000個集まったものが、一平方キロメートル。一個の赤い面が、千個集まると、真赤っか。≫
10、人の意識の外にある世界”自体”を想像するには、少なくとも一人の人間が必要ではないでしょうか。つまりそのような世界を想像する人間が?
≪それでは、世界を考えてみましょうと言った瞬間、私は、世界の外に弾かれていた。≫
11、現実に対してわたしたちがもつ観念が変われば、現実も変わるでしょうか?
≪よく言うのですが、鏡は現実を映すといいます。私たちの眼も、現実を映しているのですが、見るという。≫
12、それを表す言葉がまだない、そのようなものを考えることができますか?
≪聖書は、始めに言葉ありと言った。禅は、父母未生以前の貴方の生命は?と問います。いつも問題は、言葉の無い世界のことなのです。≫
13、言葉がまだ話せず、したがってまだ考えることもできないとされる幼児が、言葉に意味があるとわかるのはどうしてでしょうか?
≪伝えると言う意思を持つことは、伝えられる情報を持つことでもあります。≫
14、「すでに」とか「さっき」という語の意味を説明できますか?
≪エンデのこの問いの鋭さは、説明という言葉を使うことです。迷宮に誘い、迷宮から誘うということを

15、詩を”理解した”というとき、それはどのようなことでしょうか?
≪このごろ思うことですが、僧侶は詩人でもあると思うのです。何故なら、僧侶自身こそ、”語り部”なのです。≫
16、百年、二百年後の人たちが、わたしたちがもつ世界観に、信じられぬと首をふることは考えられることでしょうか?
≪私は、現代から遡って、過去の時代にに、禅やお茶、武道が登場したことじたいが信じられない現代なのです。≫
17、すべては無意味だと、人に説きつづけてやまないニヒリストを駆り立てるものは、何なのでしょうか?
≪大嘘つきのコンコンチキ
18、上手にキリスト像を描く画家は、その画家自身が一種のキリストであるべきだと期待するのは正しいでしょうか?
≪誰もキリストを見たわけではなく、聖書の解釈によって、迫真のキリスト、痛々しいキリストと
19、恐ろしい拷問死を、美しい絵、美しい音楽、美しい詩歌で表現するとき、なにがそれを正当化するのでしょうか?

20、美は客観的事実なのでしょうか、それとも主観的体験なのでしょうか、それともこのように問うこと自体が、そもそもまちがっているのでしょうか?

21、両の手を打ち合わせたとき、片方の手はどのような音を発するのでしょう?
≪白隠禅師隻手の音声です。エンデ自身が何処で、この公案を仕入れてきたのか分かりませんが、エンデの作品には全編に渡って禅のテーマがあふれています。”あるがまま”こそ、禅そのものだからです。≫
22、磁針が常に北を指すようにする力は針にあるのでしょうか、それとも地球にあるのでしょうか?
≪私が立つことを出来るのは、地球に重力があるからこそできるのでしょうか?それでは、もし私が立つことを、重力より自由になりたいが為なのだと考えた時、私が寝たきりになってしまったとしたら、それは重力のせいなのだろうか。重力に捕まってしまったということでしょうか。寝たきりも、立つことも共に重力があってこその寝たきりであり、立つことであるとすれば、私は足で地球を持ち上げ、背中に地球を乗せることは私の重力こそ、地球の重力です。≫

23、おおぜいの人が同じ本を読むとき、本当にみんな同じものを読むのでしょうか?

24、読者と本のあいだに生じることは、どこで起こるのでしょうか?

25、精神なくして精神を否定できるのでしょうか?
≪できないんじゃ、ない?……?≫
26、長編小説を書くことはもうできないと、長編小説なみの分量の本を書くのはどうしてなのでしょうか?

27、”予知の語り手”ではないと主張する作家たちが書く物語を、だれが考えだすのでしょうか?

28、詩的虚構と嘘のちがいは何なのでしょうか?
≪良心 ≫
29、芸術は省略にあるとすれば、最高の芸術とはなにもしないことではないでしょうか?
≪禅というイメージは、禅と言ったとき、語っていないものを、あなたは見ることが出来ますか?≫
30、そもそも読者に詩人を理解する義務があるのでしょうか、あるいは詩人に読者が理解できるように書く義務があるのでしょうか?

31、「本」という語をモールス符合、ゴシック文字、点字、そして中国の表意文字(漢字)で見るとき、そしてこれらの文字を知らないとき、まったく異なるものだと思わざるをえないのではないですか?

32、小説でカフカが言わんとすることが、評論家がその小説を解釈して述べることであるとすれば、なぜカフカはそれをはじめから書かなかったのでしょうか?

33、本に登場する人物は、その本が読まれないとき、なにをしているのでしょうか?

34、美しさを願うとは、うわべを美しくすることを願うことでしょうか?

35、平均的人間というものに出会ったことがありますか?
≪ありません。平均年齢という年齢にも出会ったことがありません。》
36、ドイツ、イギリス、フランス、スペイン、イタリアの全文学が二十六のアルファベットから成っていることは、実に不思議なことではありませんか?

37、カバラが教えるように、神が二十二の文字と十の数字でこの世界を造ったとは考えられるでしょうか?

38、重力を克服するダンスは重力なしにありうるでしょうか?
≪私たちが、立って歩くということは、重力があることによって成り立っています。寝ると言う行為は、疲れを癒すということですから、その疲れは重力が原因であるようです。≫
39、思考とは脳のなかの電気化学的プロセスにほかならないという考えは、脳のなかのどのような電気化学的プロセスが考えたのでしょうか?

40、現実が”実際に作用すること”と関連があるとすれば、夢はどのような現実を持つのでしょうか?

41、人を病や健やかにする本があるでしょうか?

42、だれもが人生で妖精から三つの願いがかなえられるのを、あなたも見たことがありますか?

43、むずかしいこと、それとも楽なこと、むずかしいのはどちらだと思いますか?
≪信心銘よりの出題みたいに思えるないようです。あえて、素直に、むずかしいことです。≫
44、本当に問いは四十四問だったか、数えなおしてみますか、それともわたしの言葉をそのまま信じますか?
≪数えなおした瞬間、エンデの罠にはまり、そのまま信じることは、貴方をなくす。≫


さき行く輩

禅の優れて、馴染むところは、過去の多くの祖師方、それら総ては人間であるということです。
 これって、とても大事なことであるのです。もちろん私には及ぶべくもない優れた方々ですが、皆違った個性を発揮して、実に生き生きとして、歴史を闊歩する姿は、とても人間を感じるのです。
 皆、禅で共通するのです。
 禅は、人を縛らない、その人そのものの個性を、超出させるのです。
 達磨さん、普化和尚、臨済和尚、馬祖和尚、大梅和尚、良寛さん、沢庵禅師、一休さん、道元禅師、そうとは思いませんか?

祖師年譜

祖師年譜
菩提達磨  ?-536(鼻祖)
鑑智僧サン  ?-606(三祖)
神秀   606-706
青原行思 673-741
南陽慧忠 ? -775
西川黄三郎 ?-?
麻谷山宝徹 ?-?
石頭希遷 700-791
石鞏慧蔵 ?-?
西蔵智蔵 735-814
薬山惟儼 744-827
主峰宗密 780-841
黄檗希運 ? -860
徳山宣鑑 782-865
洞山良价 807-869
仰山慧寂 807-883
興化存奨 830-888
塩官斉安 ?-842
曹山本寂 840-901
雪峰義存 822-908
布袋     -916
保福従展  ?-928
帰宗策真  ?-979
智門師寛  ?-?
天台徳韶 891-972
南院慧ギョウ860-930
報慈蔵ショ  ?-?
同安観志 ?-?
大陽警玄 943-1027
石霜楚円 986-
白雲守端 1025-1072
汾陽善昭 947-1024
黄龍祖心 1025-1100
五祖法演   ?-1104
長蘆清了 1088-1151
天堂宗玉 1091-1162
太祖慧可 487-593(二祖)
牛頭法融 594-657 
南嶽懐譲 677-744
馬祖道一 709-788
ホウ居士  ? -808
丹霞天然 739-824
五洩霊黙 748-818
南泉普願 748-834
イ山霊祐 771-853
鎮州普化   -860
径山鑑宗 -866
睦州道蹤 780-877
長慶大安 793-883
石霜慶諸 807-888
趙州従シン 778-897
紫胡利蹤 800-880
雲居道膺 828-902
疎山匡仁 837-909
投子大同 819-914
長慶慧稜 854-932
法眼文益 885-958
帰宗道詮   -985
徳山縁密  ?-?
風穴延沼 896-973
首山省念 926-993
法灯泰欽  ?-974
梁山縁観 ?-?
雲峰文悦 998-1062
雪チョウ重顕 980-
投子義青 1032-1083
大慧宗コウ 1089
大イ慕テツ   ?-1095
真丈克文 1025-1102
圜悟克勤 1063-1135
宏智正覚 1091-1157
雪チョウ智鑑1105-1192
大医道信 580-651(四祖)
大満弘忍 601-674(五祖)
大鑑恵能 638-713(六祖)
永嘉玄覚 675-713
荷沢神会 670-758
大珠慧海 ?-?
百丈懐海 749-814
鳥カ道林  -824
大梅法常 752-839
汾州無業 759-820
五洩霊黙 747-818
雲巌曇晟 780-841
臨済義玄 815-866
夾山善会 805-881
雲巖全ケツ 828-887 
章敬懐惲 757-818
香厳智閑 ?-898
九峰道詮 930-985
玄沙師備   -908
大隋法真 834-919
雲門文エン 864-949
霊樹如敏  ?-920
洞山守初 910-990
香林澄遠 908-987
鏡清道フ  868-937
同安道丕 ?-?
龍牙居遁 835-923
永明延寿 904-975
浮山法遠 991-1067
楊岐方会 992-
黄竜慧南 1002-1069
兜率従悦 1044-1091
芙蓉道楷 1043-1118
丹霞子淳 1064-1117
雪峰慧空 1096-1158
天堂如浄 1162-1227


ダルマ

ダルマ

 その年の正月、目無しの朱のダルマに、墨で片目を入れ祈願したことがある方はご承知のことと思いますが、あの目なしの起き上がりの朱達磨、禅宗では鼻祖(ビソ)といいます。べつに鼻が大きかったからこの名を言うわけではありませんが、独特の顔と姿、色といいギョロッとにらむ目は怖さより、愛きょうさをかもちだし、選挙や入学シーズンのよき庶民の風物詩となっています。禅宗のことを、別名佛心宗ともいいますが、不立文字、教外別伝の禅宗としましては、お釈迦様の正法=佛心を初めて中国の大陸に伝えたお方という意味で、鼻祖と云います。
朝のお勤めでは祖師回向(ソシエコウ)として、初祖菩提達磨圓覺大師大和尚(シスブジダモエンカダイスダイオショウ)と唱え、初祖(シソ)と言います。中国禅宗の基礎を開いたという伝承により、現在の日本の各派臨済宗においてもそう呼ばれるています。 

 達磨は中国でいったい何をしていたのでしょうか。黙々と坐っておりましたそうです。それも壁のように。伝灯録、碧巖録にも武帝との問答等いくつかありますが、ただ中国蒿山少林寺の壁だけが無言に知るということでしょうか。

 ダルマは紀元六世紀のはじめ、飄々として北魏の都洛陽にやって来たそうだ。なんとそのときの年令は百五十才に近かったという。

《洛陽伽藍記》には『西域の沙門ボダイ・ダルマなるものがいた。パルチアからきた外国僧である。はるか辺ぴよりわが中国にきて、永寧寺の塔の承露盤が、金色の太陽をうけて雲のうえにかがやき、屋根の宝鐸が風にゆられて、高らかなひびきを空の彼方に送るのをみると、かれは思わず口に呪文をとなえる。
「これはまったく人間わざでない」。かれはまたみずからつぶやく、「わしは百五十歳のこの歳まで、さまざまの国をわたり歩いて、訪ねぬところはもうないのに、こんな美しい寺が地上にあることを知らなかった。仏の国を訪ね尽くしても、これほどのことはあるまいな」。口に「南無」と唱えて、合掌すること連日であった』とある。

 かって洛陽は、一千四百ちかくの仏教寺院が甍をつらね、なかでも永寧寺は北魏の国力を尽くして建立されたとあるから、さぞや壮大にして華美であったろう。そして九層の塔が焼失したとき、塔は三カ月間燃えつづけ地中の塔心は一年もくすぶり続けたという。達磨を驚かせた絢爛の洛陽も北魏末に灰燼と化したそうだ。
 達磨の語録が新しく発見されたのは、そんなに昔の話ではなく、比較的新しく六十年ぐらいさかのぼる。鈴木大拙の研究による。いま《二入四行論》のなかから達磨の伝記を読んでみる。達磨の伝記のなかで最古のものだ。

 (弟子曇林の序)「法師は西域の南インドの出身で、大バラモン国王の三番目の子であった。それは知性があり、なにを聞いてもすぐに理解した。志しをかねてから大いなる真理の道を極めることにおき、ために俗じんの服をぬぎ、悟りの種としての修行者となった。心を大いなる静けさにひそめ、世の中を見通し、内外の学問をきわめ、その徳は高く世の人を越えた。外国の仏教の衰えを悲しみ、ついにとおく海山を越えて中国は漢中を通り魏の国に至った。素直なこころの人々はみな帰依したが、形にとらわれたりする人は、やがて非難をしはじめた。道育(ドウイク)と恵可(エカ)という者がいた。この二人の修行僧だけは若かったが志しが高く、師に会えることを喜びとして、数年のあいだ仕えた。二人は師の言うことを良くまもり、身につけた。師も弟子たちの誠意に感じ真理の玄奥を伝えた。

このように安心(アンジン)し、
このように発行(ホツギョウ)し、
このように物に順(シタガ)い、
このように方便(ホウベン)する。

これが大いなる心のおちつける方法であり、ひとびとにくれぐれも違えないように。このように安心とは壁のようにしずかに心をおちつけることであり、発行とは四つの実践行であり、物に順うとは世俗の規則を守って世の非難をあびないことであり、方便するとは物や心の束縛をはなれて執着しない努力をいうのである。以上は法師の言うところを略して述べたもので詳細は後文にある」と記されている。
 この伝記は後に続く『二つの立場四つの実践』の序文である、二つの立場とは大いなる真理へいたる方法で、

一つは経典を読破して知識・理解によるいたり方、 もう一つは実践的ないたり方でそれには四つの方法がある。
第一は、苦しみ等にであったとき、この苦悩はみな前世の罪業からのものでありと反省し、前世のうらみや憎しみを契機としてそれらに報いる実践の方法。
第二に、生きとし生けるものはすべて自我がなく、因縁によって左右されているのだからと、縁にまかせる実践の方法。
第三は、ものを求めぬ実践の方法で、世のひとびとはつねに迷っていて、それはあたかも火のついた家のように危なく、肉体がある限りみな苦しい。何人かそのようなところに安住できようか。
第四は、物はあるべくして有るのであり、存在そのものには、物惜しみの心やむさぼりの念がなく本質的に清浄であるという原理を体得して、あるべきように生きる実践。達磨の説いたこれらは、あたかも達磨の生き方であり、それは水の高きところから低いところに流れるに似て、流れの中の岩も石も逆らわず通り抜けて流れ、ときに石を岩を押し流し、長い年月に力強く削る力に比すことができる。

 禅の語録である祖道集にはかなりの達磨に関する述部がある。それによると中国梁(リョウ)の普通八年、三年間をへて海をわたって九月二十一日、広州の港に着く。時の皇帝武帝は達磨の言葉を理解できずに、達磨を去らしめてくやしがる。同年十月十九日、達磨が北魏に入国。
ここに神光という四十を越えた男が、達磨にいくども弟子入りを願うがかなえられず、少林寺にて雪の中、法を求めるため自らの臂(ヒジ)を切り落とし坐っている達磨にその臂をさしだす。神光は、その強い切望によりようやく弟子入りがかなえられ、名を恵可と改める。

恵可は達磨に「どうか師よ私の心をおちつかせてください」と問う。
師は言う「心をもってきなさい。君の心を落ちつかせよう」。
恵可は苦汁にみちて「心を探すに見つかりません」と叫ぶ。
そのとき達磨は言う。「おまえの心をおちつかせたよ」と。恵可は言下に大悟した。

 以来、恵可は達磨に九年間昼夜を離れず仕えたとある。達磨は恵可に
「わしはこの国に来て六回も毒を盛られて殺されかけたが、そのつど毒をつまみ出した。だが今度はもうつまみ出すまい。君という法を伝える男をえたから」と言い、弟子をひきつれ禹門(ウモン)の千聖寺(センショウジ)に行き三日間滞在し、入滅する。

 後魏の第八主孝明帝の太和十九年(五三六)、世寿百五十歳。熊耳山(ユウジサン)に葬られた。三年がたって魏の国使の宋雲(ソウウン)が西域に行った帰り、手に片方の靴をもった達磨に出会い、
「君の国の天子が崩御されたぞ」と告げられたという。宋雲が魏に帰り着いてみると、はたしてその通りなので、後魏第九主孝荘帝に奏して墓を開くと、片方の靴だけがあった。この靴は少林寺に収めて供養したとある。

 ところは日本、大和の片岡、王子町王子の道端にぼろの衣をまとったすごみのある異形の僧らしい男が倒れていた。そして男の体からは何ともいえぬ香りがたちこめ、その香りはあたり一面を包んでいた。その男の姿は汚くみすぼらしかったが、どことなく気品があふれていた。推古天皇二十一年(六一二)十二月一日のことだった。

 聖徳太子はその日、供の者をつれ王子町王子を通られた。ちょうど道端に異形の男が倒れているのを目にして、ただ人と思えなく、太子は心ひかれて名を尋ねられたという。異形の男は口をかたく閉ざし太子を見上げていたという。そこで太子は男に次の歌を詠んだ。
 しなてるや片岡山に飯に飢ゑてふせる旅人あはれおやなし
 異形の男は返歌を献じた。
 いかるがや富の小川の絶えばこそわが大君の御名を忘れめ
 太子は男の衣をぬがせ、太子みずからの上ぎぬを着せ与えて帰宮されたのだが、男はその翌日に死んでしまった。

 太子は家人を差し向け手厚く葬らせた。ところが、棺の中に異形の男の遺体はなく、ただ太子の与えた上ぎぬだけが残っていた。
 それを聞いた里人は、これは達磨大師の化身にちがいないと、棺を埋葬してその上に達磨塚を築き寺を建て、太子自ら刻んだ達磨大師の像を安置したという。達磨寺の伝説である。

 この伝説は、達磨が日本に渡ったという証據であるとともに、事実としたい。なぜなら、現在日本国中いたるところに朱や白の起き上がり達磨が、毎年無数に誕生して私達に親しまれているからだ。

 だがもしかして私達のもっとすぐ近くに、本当にこの異形の男がいるかもしれない。私達が真剣に願い見ようとすれば。友達や知人が困難にあって、颯爽と立ち上がろうとするその姿そのものが、実はダルマだったりして。


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