目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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心眼(平成22年3月1日)

心眼(しんがん)(平成22年3月1日)


 涅槃経の獅子吼菩薩品に、象を仏性にたとえて、目の見えない者を一切の無明の衆生にたとえとしている話しがあります。
《たとえば王がいて、一人の大臣に、「汝、一頭の象を引いて、目の見えない多くの者に示しなさい」と告げたとしよう。
 大臣は王の命令を聞き、目の見えない多くの者を召し出して、象に触れさすだろう。
 すると、この者たちは、象をなでて、牙に触れた者は、象は大根のようだといった。耳に触れた者は、象は大きなザルのようなものだといった。頭に触れた者は、象は石のようだと言った。鼻に触れた者は、象は杵(きね)のようだと言った。足に触れた者は、象は木の臼(うす)のようだ言った。背に触れた者は、象は牀(ゆか)のようだと言った。お腹に触れた者は、象は大きな甕(かめ)のようだと言った。尾に触れた者は、象は太い縄のようだと言った。
 象の全体について説く者はなかったというが、しかし、これは説かなかったということではない。このように部分部分は象という全体ではないが、これらを、離れて更に象というモノがあるのではない。》と経典には書いてあります。

 この物語が、禅宗の語録にあります。
 問う、「衆盲の象を模し、各々異端を説く、と。如何なるか是れ真象。」
 多くの目の見ない者が、象の体をなでて、めいめい異なった部分について語った、といいますが、本物の象とは、いったい、どんなものですか」と問いました。
 師云く、「仮なし。自(も)と是れ知らざるなり」と。
 師は、「仮などというものは何もない。みんな真だ。牙は象の牙、耳は象の耳だ。一つ一つが真の法身片々である。それをお前が知らないだけだ」と。
 禅は、「目がなかったなら、どうして見ることができるか。これは、目だけではなく、耳がなかったら、どう聴けるか。口がなかったならば、どう伝えることができるだろうか。目もなく、耳もなく、鼻も舌も身体も心もなかったら、どのように見、聞き、嗅ぎ、味わい、触れ、思うことができるか」、と。

 このお話が、落語になると、心眼という落語になります。
 円朝全集13巻にあるこの『心眼』は、横浜にいた圓丸という目の見えない弟子が、兄弟喧嘩をしたことから思いついて作られたものです。芝居にもなり、明治44年2月7日に、初演がおこなわれたそうです。
 この作者の三遊亭円朝の戒名は、三遊亭無舌居士といいます。舌がなくして話す。京都は嵐山の臨済宗天竜寺、滴水禅師に参禅し落語の奥義を会得したとき、この居士名をいただいたものです。
 そして、奥義を会得したときに詠まれた歌が、「閻王に舌を抜かれて是からは、心のままに偽(うそ)も云はるる」、です。
 円朝は、こうして、眼なくして見、耳なくして聞き、口なくして話すことができるようなり、作られた作品が、この『心眼』でした。

 『心眼』の出だしは、「さてこれは、心眼ともうす心の眼というお話でございますが、物の色を目で見ましても、ただ赤いのでは紅梅かボケの花かバラか牡丹か分かりませんせんが、ハハア、早咲きの牡丹であるなと心で受けませんと、五色も見分けがつきませんから、心眼と外題いたしました」とあります。
 このお話の登場人物は、大坂町の盲目梅喜(ばいき)という針医者と、お竹という良くできた女房に、芸者の小春、弟の松之助、近江屋の金兵衛です。
《江戸浅草に住む盲人の梅喜は下手な針医者であるがために、仕事がない。そこで、横浜の懇意な人が横浜に来るようにと呼んでくれたのです。弟の松之助と横浜に出稼ぎに行ったのですが、下手はどこに行こうとも下手で、一年か半年はいるつもりが、三日で、帰ってきてしまいました。しかも歩いてです。
 長屋に帰ってみると、女房のお竹に、このいきさつをすべて話しました。
「すべては目が見えない俺の手間がかかって、馬鹿にされ、情けなく、口惜しくって、腹が立って。お竹や、これというのも俺の目が悪いばかりだ。口惜しい、どうにかして、せめてこの眼の片方でもいいから開けてくれ」と、お竹に願ったのです。
 もとより、梅喜思いのお竹は、茅場町のお薬師さまに信心をして、三七、二十一日断食して、夜中参りをしようと決めたのです。そして、満願の日、梅喜は、疲れ果てお薬師さまの賽銭箱のそばに寝てしまいました。

 朝になり、近江屋の金兵衛さんが、お薬師さまにお参りしたとき、寝ている梅喜を見つけます。梅喜は目が開いて、視界が開けてみると、すべては、初めて見るモノばかりで、それこそ、金兵衛さんも初めて見る人となっていることに驚くのです。
 金兵衛さんと二人して、帰りの、目が見えなかったときの世界と、目が開いて見える世界は、まるで二つの世界があるようでした。見える世界は、華やかで、大きなモノと小さなモノ、川や橋や海、それに人の器量までもがさまざまで、器量の善し悪しは撫でたって分からないことです。
 梅喜は、帰りしな浅草の観音さまにお参りします。観音さまのお堂の隅に、人だかりがする場所があります。そこには大きな姿見がありました。金兵衛に呼ばれて、その鏡の中を覗いてみると、そこには、いい男の梅喜がこちらを覗いていました。
 梅喜は、歩きながら思いました。「私はこの位の器量を持っていながら、家内は、金兵衛さんが言うことには、鎧橋のうえを渡っていた下女より悪いという」と。
 その人混みから、梅喜は金兵衛さんとはぐれてしまいます。そこにたまたま芸者の小春
に出会います。芳町の小春姐さんは、もともと、梅喜の下手な治療を受けながらも、惜しいくらい実にいい男だと、目が開いていたらと、岡惚れしていました。
 そこで出会った小春は、お腹もへっていたので、二人して釣り堀の料理屋へ……。

 その頃、お竹は、眼がさめてみると、自分の目が見えないことに、「これは、お薬師さまが、願いを聞き届けてくれ、亭主の目が開いた」と、喜んでいた。そこに、梅喜を見失った金兵衛さんが知らせに来てくれ、いきさつを聞かされたのでした。お竹は、梅喜の杖をたよりに、浅草を捜し捜し、その茶店にたどりつき、梅喜と小春の部屋のふすまを開けます。
 お竹、「何だとエー」。梅喜、「どこの人だエー」。お竹、「お前の女房のお竹だよ」。梅喜、「これはどうも」。お竹「何だとエー、今、聞いていれば、あいつの顔はこんなだとか、あんなだとかでいけないから、小春姐さんと夫婦になろうなんて、お前さん、そんなことが言えたぐりかねエ-」。…………。
 お竹は、そんな梅喜にあきれて、「死んでやルー」と、止めようとする梅喜ともども、庭の池にドブーンーと。
 「しっかりおしよー梅喜さん、起きよー」と揺り動かされて起きた、梅喜は、「ああ……夢かア、おや、目が見えないって者てのは、妙なもんだなア、寝ているうちにはいろいろのものが見えたが、眼がさめたら何も見えない。『心眼』というお話でございました。》

 目だけで見ると思うと、なんと浅はかな、見るモノと見られるモノと、二つになった途端に、狂い始めてわからなくなる人間の、夢と現実を織り交ぜるこの心眼。
 円朝が悟ったとき詠んだ、「閻王に舌を抜かれて是からは、心のままに偽(うそ)も云はるる」の歌。心のままに偽も云はるるは、人の思いという煩悩妄想も、そのまま、口なくして話すと、それは真となって、耳なくして聞く人の心を打ちます。
 目なくして見る梅喜と目が開けての梅喜、どちらが、人として真か。
 円朝は、確かな目で見る現実を、不確かな目なくして見る世界にこそ、たしかな現実があると、心眼で示します。こうして、私たちに、それでも、どちらが現実かと考えるようにと……。
 円朝の辞世の句は、「目を閉じて聞き定めけり露の音」となっている。しか墓碑には、「聾(みみし)ひて聞き定めけり露の音」とある。これは、後に西宮の南天棒老師が、「聾ひて」では、理屈に読めるので、ということらしい。
 目閉じては、心無くしてと読める。心空っぽこそ、心眼の極意。

とかくこの世は

とかくこの世は…… 巡礼 Jyunrei ……
人の一生は、巡礼の旅路なり
日ごと遍路は、遠き道あり、近き道あり。往く道もあり、もどり道あり。
巡礼の旅路は、巡り廻る道。 そして、巡り廻る旅路は、回帰と再生の繰り返し。
回帰は、人の振り返りなら、再生は旅立ちか。
振り返りは、じぶん自身を問うことなら、旅立ちは、今の一歩を歩むこと。
白装束は、死に装束。杖は墓標の今日の旅路なり。
(法事において、焼香に行くことは回帰として、席に戻ることは、再生として。
立ち止まることなく巡り廻る旅路に、人生を任せることも巡礼の旅路なり。 )

祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)

祈り(平成17年11月29日)

祈り(平成17年11月29日)

大事をなそうとして 力を与えて欲しいと仏や神々に求めたのに 
慎み深く柔順であるようにと 弱さを授かった。 
より偉大なことが出来るように 健康を求めたのに 
より良きことができるようにと 病弱を与えられた。 
幸せになろうとして 富を求めたのに 
賢明であるようにと 貧困を授かった。 
世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに 
仏や神々の前にひざまずくようにと 弱さを授かった。 
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに 
あらゆることを喜べるようにと 生命を授かった。 
求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞きとどけられた。 
仏や神々の意に添わぬ者であるにかかわらず 心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた 
私はあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだ。

 この詩の作者はわかりません。ある患者の祈りとします。そして、祈る対象は、大いなるものとして、仏や神々に書き換えました。
この詩から、禅の言葉、“放てば手に満ちあふれている“ことの自覚が導かれます。 
今、自分が持っているものに対して、それゆえ求めていることを、仏や神々に放てば、彼の求めている心そのものを、そのまますくい取ってくれたことになるでしょう。聞き届けてくれたことになるのでしょう。 
 求めた私の心は何処に行ったのでしょうか?授かったものは、普段私が持っていたものです。 
私は、弱かったから、くじける存在だったから、力を求めたのに、弱さを授かった。授かった弱さと、授かるまえの弱さは、同じものなのでしょうか? 
弱さと強さという対立する世界のなかにいた自分に気づいたとき、今のままの自分が授かった命だったとの、これは気づきです。 
 また、求めるまえの弱さは、現実の私の目の前の闇です。それは、私自身が創造する闇です。その闇を、怖いと見るか、美しいと見るかも、私が創造していると言えるでしょう。与えられた私であると自覚したとき、新しい自己が目覚めます。そして自覚が浮かび上がってまいります。

 仏や神々の意に添わぬ者としてこそ、赤裸々な自分を、仏や神々のまえに晒すことではないでしょうか。そして、じぶん自身の心が空っぽになったとき、与えられ充たされる状況が出現し、喜びが湧くのでしょう。この故に、授かる私が現れるのだと思います。 
仏教が無我を主張している理由は、あまりにも、私という自己にかかわる悲惨な現実、不幸な事件、多くの葛藤と揺らぎがあり、移りゆくことの負の面が、人生には多くあるものだとの、釈尊の観察かも知れません。 
 この私は、過去未来を含んで、多くの記憶の集まりであり、情報の交信の集まりであり、力の集まりであり、願いの集まりです。 
 もう一度、実体なきものとして、そして私となるために、だからこそ、生かされて、助けられ支えられ、語り尽くせぬ多くのしるしから、この祈りや願いを放つ機会を通して、確かなものを私の心に迎え入れたいと思います。 
 生かされていることの自覚は、同時に生きていくことを支えるものとして、この世界を、過去未来を含めた、この生かされているものの重々無尽の集合体として見えるかと、問いを発します。


鳥がいるから 空がある 
空があるから 風船がある 
風船があるから 子どもが走ってる 
子どもが走ってるから 笑いがある 
笑いがあるから 哀しみがある 祈りがある ひざまずく地面がある 
水が流れていて 昨日と今日がある 
黄色い鳥がいるから すべての色と形と動き 世界がある 
と、谷川俊太郎の詩集『魂のみなもとへ』の詩となります。 

私とは、私たちとは、そして世界とは、あらゆるものが交差して繋がっていることを現しています。 
そして、このことは、私たちが自由自在に結びつける自由な存在のあかしであることをも示しています。 
私が命を吹き込むわけですから、この繋がりの広さと奥行きは、私の命の吹き込み方にもより、大きくなり、小さくもなり、せつなくもなり、喜びともなります。 
これは、自由な世界を形づくる私が、私を対象化することで、その繋がりを変化させるからです。ものに命を吹き込む達人として、谷川俊太郎は、世界を、紙面に産みつけます。 
私たちは、その世界で、私一人の道であるかのように、山あり谷ありと、喜びがあり、悲しみがありと、歩むのです。


 さて、陽岳寺護寺会の催すご祈祷は、“無事や平常であること”をテーマと考えます。 
何があっても無事を祈ることです。無事の基本は、変わり続けることの中に、何事にも変化しない自身の心の姿の自覚です。 
 そのために、このご祈祷最初のお努めは、先ずは、何事も受け入れられる心構えとして、無心となることが強いられます。これは、ひとえにじぶん自身に偽りのないようにと、素直さをいつまでも持てるようにとの意味です。これを懺悔と言います。 

 懺悔について、故人は、「懺悔の味わいは、人生の味わいである。」と記しています。 
しかし、その懺悔も、人生において、苦渋や自責、許されることのない罪、知らずに傷を付けていた事実の認識、叱責や出生において、苦悩や後悔がなければ懺悔も成り立たないことでもあります。原罪を持たぬ我々は、生活の中の、忙しさの中に、過ぎ去ることで、忘却という世界の中に生きているかのようです。 
 祈祷とは、人の祈りを昇華させるものであると思うのですが、祈りがなければ、ご祈祷は成り立たないものです。その祈りの中身が、悩みや感謝とするなら、ヘルマン・ヘッセが、『放浪』のなかで、しるす言葉が光ります。


 「祈りは歌のように神聖で、救いとなる。祈りは信頼であり、確認である。ほんとうに祈るものは、願いはしない。ただ自分の境遇と苦しみを語るだけである。小さい子どもが歌うように、悩みと感謝を口ずさむのである。」 
 祈りとは、消滅と生成に間に渡された変容の記しに我が身を投ずることであり、その遙か彼方からの光を、あるかなきかの自己の存在の、はかない揺れ動く私に定着させるために、その変容に記しの中に我が身を完全に没入させることです。 
 消滅と誕生の間に揺れ動く私の命は、祈りという行為により、揺籃する心から転身します。 
全てはこのことが尊いのでしょう。 
 じぶん自身の計らいの中の、気づきは、人を変えるものです。この変えられた自分を希うことを、このご祈祷の本意と、考えました。 
そして、過ぎゆく年の、来る年の、そして今日ただ今の無事や、平常であることを願い、祈りとしたいのです。 
 無事や平常は、逆に、この世間の日常ゆえに、対するものとして考えられます。日常を否定するのではなく、日常の生活のなかで、平常が現れなくてはならないのです。 
転身への祈り、それは、徹底できぬ自身への、素直さえの回帰という意味でもあります。

(この文章は平成17年11月29日陽岳寺で厳修された、”ご祈祷会と法話会”の案内へのお知らせに同封されたものです)


品位(平成18年1月20日)

品位(ひんい)(平成18年1月20日)

 回向(えこう)といえば、その回向を振り向ける相手により、数多くあるのですが、相手が和尚であれば、回向の最後は、「品位を増崇(ぞうそう)せんことを」で結ぶのです。それは、朝課の歴代和尚の回向の項にも登場いたします。その時は「増崇品位」として。ズンスンヒンニ~と音読みするのです。
 暮れから正月にかけて、お寺に籠(こ)もることで、もっぱら空いた時間は読書に精を出すことが毎年の習いになっています。
 今年も、山本一力の貯まっていた数冊の本に、高村薫の『新リア王』『晴子情歌』に専念いたしました。あれ小説ばかりじゃないのと思われるかも知れませんが、仏教書は普段読んでいるということでです?でも小説を、かく下に見ているということでは、決してありませんから。
小説は、書く人の、虚構の世界なのですが、シェークスピア、ドストエフスキー、サルトル、カミユ……等偉大なものは、虚構によってこそ表現されるものでもあり、その時代の深さや浅瀬を表現するからこそ、我々は読みふけるのだと思います。


 さて『新リア王』は、圧倒的な迫力で読むものを魅了します。80年代という時代に生きた政治家の主人公と、その不肖の息子、禅僧彰之との対話でしたが、この本を読みたかったのは、禅僧彰之が臨済宗と親戚関係にある曹洞宗の僧侶だったからでもあり、彰之が父に何を話すのか、彰之の苦悩や生き方が父にどう影響するのかという興味もありました。そして読み終え、今度は、母晴子の息子彰之への手紙を通して語られる、『晴子情歌』でした。
晴子の手紙の中で、祖母富子の夫、康夫感を述べる前半の場面で、「品位」という言葉が、目につきました。
 「どちらにしろ、本来は生きることと一つであるべき人間の品位が、なほも教養や理想と同義語だった富子の中で、康夫がいつどのやうにして望ましい男性像になっていつたか、たぶんリアリズムの目よりも浪漫的な情緒のほうが似合ふ話しだっただらうと私は思ふのですが、はて。」
生きることと、人間の品位とは、そうか同じものなのだと、高村薫は小説のなかで諭します。
歴代和尚に手向ける「増崇品位」ズンスンヒンニ~!としての回向は、和尚が遷化することからはじまります。


 遷化とは移り変わりであり、この世に留まる我々が、目に見えない遷化した和尚の逝く果てでの教化活動を応援する句なのです。「品位を増せ!」と、香を手向け、偈を唱えますが、呪文のように、幾度となく唱えたでしょうか。


 晴子情歌を読みながら、ふと、本来は生きることと一つであるべき人間の品位となれば、何も和尚だけの問題でなく、道元禅師が言う「自己を諦(あきら)めるは仏家一大事の因縁」でなくても、キリスト教であれイスラム教であれ、これは、人として当たり前のことではないかとも思います。
人が悩むのも苦しむのも、楽しむのも笑うのも、救われることを願うことも、すべては他者と自己の交わりの中での、自己のことですから……。

 この文章を書いている正月の、窓のそとを、大きな声で「信ずるものは救われる」と街宣カーが叫びながら、通り過ぎます。これはこれで、何か正月の風景となっていることを思います。そして、「信ずるものは救われる!神は降りたもう……!」のいかがわしいガナリ声に、反応して、「それでは信じないものは救われないのか、そんな片寄った、ちっぽけな神様しか持ちえない集団など、世の中を惑わすだけだ」などと、浮かびます。


 何処かで聞いた、インドの昔話で、子猿の母ザルにしがみつき歩く姿と、子猫の母ネコに首根っこをくわえられて歩く姿に、同じ母親を信ずる姿にも、見るだけでは違いは解らなく、しがみついている自己と、まかせきった自己に、自分はどちらだと、自力か他力かと、古くさい論争が頭に浮かびます。何ですか、単なる手が使えるだけの話しなのに……ですって?そうなんですけれど、もしかして、何億、何十億年前の記憶が作用しているのかも知れませんから。
 信ずることによって神は存在するのか、神が存在するから信じるのか、対象の神はどこ吹く風のように、やがて、世界は神々の代理人たちが、テロとして諍い、結果として巻き込まれるのは何も罪がない人、神の子たちです。
 私たちのゴッドと私たちのアラーは、どちらが正しいのだと、神がいわないならば、我々が存在を示すしかない。そんな神々もいれば、2000年の鎮(しず)めの静寂の中に暮らす日本の神々もいるのです。


 高村薫は2002年7月のオール読物の『晴子情歌』の書評に、「阪神大震災を体験して、わたくし自身根底から変わりました。キリスト教では死は神に召されるということだけれど、六六〇〇もの震災の死者のことを思うと、キリスト教的な考え方では死を受け入れられない。この理不尽を納得させる方法として、仏教に行き着いたんです。それで僧侶を主人公にしました。」と、記していました。
「本来は生きることと一つであるべき人間の品位とは」と問いかけ、ズンスンヒンニ~!ズンスンヒンニ~!と繰り返す内に、これは、遷化した和尚たちの、私たちへ語りかける言霊ではないかと気づきくのです。


 本来あるべき人間の品位が、ブレーキのきかなくなった欲望という名の電車となり、知らずに悪が身に覆った果てに輪廻することは、生きることの意味が、歪みずれることです。
ちなみに、輪廻とは、“流される”が語源といわれるそうですが、“主体性がなくなる”という意味にとってもよいのではないでしょうか。
活き活きと生きることこそ、人間の品位なのだと考えます。


 黒澤明監督の「生きる」という映画の冒頭は、男がひとり映ります。そしてナレーション。
「これが、この物語の主人公である。しかし、いまこの男について語るのは退屈なだけである。なぜなら、暇をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きていないからである。」

 臨済宗には14の本山があります。京都には7ケ寺、妙心寺・大徳寺・相国寺・東福寺・南禅寺・建仁寺そして天竜寺です。その京都の嵐山天竜寺の峨山(がさん)老師の逸話です。それは明治の時代のことでしたが、あるとき一人の信者さんに、峨山老師がたずねました。
 「おまえさんが自分の母親と子どもと一緒に大きな川の土手を散歩しているとする。その時、突然、二人が足をすべらせて川の中に落ち込んでしまった。どちらも溺れそうになっている。さあどちらを先に助ける?自分を産んで育ててくれた大事な母親を先に助けるべきか?目に入れても痛くない可愛いわが子を先に救いあげるのか」。

 その信者さんは、あれこれと考えるのですが、答えが出ずに老師を見つめました。
峨山老師が答えました。
 「まず飛び込め。そして自分に近い者から助けろ。たとえどちらか一人しか助けられなかったとしても、人倫にもとることはない。何も悔いることもない」。
 活き活きと生きるとは、何もむずかしいことではなく、峨山老師にいわせれば、流れの(輪廻)中に飛び込んで必死に、無心に、ただただ泳ぐ姿であることを教わります。そこに、人間の品位が現れるとするなら、このことの評価はじぶん自身にはないことにも気づきます。

 先ずは活き活きと生きる、そこに禅があるのでしょうか。峨山老師は、「何も悔いることはない」と断じます。きっと二人とも助けることが出来ないこともあるはずです。それでも「悔いることはない」と、これは禅の恐ろしさです。ここまで活き活きと生きること、それを成りきるというのでしょうが、頭で理解できるのですが、受け入れられない私の未熟さが、ズンスンヒンニ~!ズンスンヒンニ~!と繰り返すのです。


ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)

ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)

 『ニャーンキ、シンズ、フジセウカーン。
ジョウライフンズー、ダイヒエンモンブカイジンシュウー、スシズヒンブーンニー。
ガサンチィクオショウーダイゼンズー、シンジーズンスンヒーンニー。
ジーホーサンシーイシーシブ、シソンブサモコサー、モコホジャホロミー。』

 上記を漢字にすると下記のようになります。
『仰冀真慈、俯垂昭鑑
上来諷誦、大悲円満無礙神呪、所集殊勲奉為。雅山直和尚大禅師、真慈、増崇品位。
十方三世一切諸仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。』

この回向(えこう)を漢訳致しますと、下記のようになります。
「仰(あお)ぎ、冀(こいねが)わくば、真慈(しんじ)、俯(ふ)して昭鑑(しょうかん)を垂(た)れたまえ。上来(じょうらい)、大悲円満無礙神呪を諷誦(ふじゅ)す。
集むる所の殊勲(しゅくん)は、雅山直和尚大禅師、真慈の為に奉(ささ)げ、品位を増崇(ぞうそう)したてまつる。十方三世一切諸仏、諸尊菩薩摩訶薩、摩訶般若波羅蜜。」
祖師回向(そしえこう)と言いまして、言い伝えられたものであります。これは、お寺の開山和尚とか、再興を果たした和尚の徳を讃える回向ではなく、普通の歴代の和尚に捧げる回向です。発音は、中国の呉音ないしは、宋音と言われておりますが、正しく発音しているつもりでも、意味が呪文のように、果たして先住や歴代に通じているのか、私の中で、意味なく巡るかのようです。きっと、この疑問は、確かに伝わることの、さらに、ことばとして、私のなかに伝わらないことのジレンマとして、過去の伝統の色褪せてとして、感じていることなのだろう。

 私たちの普段の言葉は、共通な言語の環境がなければ意思が通じないことではありますが、もう一つ、言葉自身が語っているものがあります。それは関係です。ことばである限り、その発する場において、その関係が意味を持つものだと思うのです。
意味不明の言葉の羅列も、この言葉としての土壌が整っている環境では、十分に意思をもって発せられる、届くものです。
よく「遺憾に思う」ということばが多くの人の口から発せられますが、そのことばを耳にする私は、意思は通じるものの、生の感情が遠ざけられて、無味なことばとして“遺憾”の中身が伝わってこないのです。それは、われわれの普段に使用することばとして、“遺憾”ということばはなく、異質な特別なことばであることと同じです。
それは、この“遺憾”ということばが、儀式の終わりを無理やりにもたらすことばとして使用されるかのように、この遺憾ということばを聴く私たちにとっては、終わったものとして、自身の中に共通な場を持っていないかのように思えるのです。そのことを承知しながら話すことばに、あいまいさが残ってしまうからです。
同じように、この“真慈”ということばも、ジョウライフンズ~も、そのことばがいつもの通りに空中に漂っては消えていくことに、これはことばだろうか、発する人の意思は、これはどんな意味として考えればよいのだろうと戸惑います。

「自己意識は他者にたいして即自かつ対自的に存在するかぎりで、また、そのことをとおして、即自かつ対自的に存在する。つまり、自己意識は承認されたものとしてしか存在しないのである。」
上記は、ヘーゲルの精神現象学の一文です。
自己意識の他者を通して成立する過程こそ、自己の存在そのものであるとする理論、それは、私とは、他者を認めるとき、あるいは、他者に話しかけるとき、自己が相対することから、意識するかにかかわらず、相即的に他者と自己の関係が成立するといえます。
これは、釈迦の縁起論“拠って成りたつ”という事実の見通しと違いません。父は子に対して、夫は妻に対して存在することとし、夫の根拠は妻にあり、父の根拠は子にあるとするモノの見方は、他者を通して成立する過程こそ自己意識の関係性であり、それを、自己意識は承認されたものとしてしか存在しないと、ヘーゲルも考えました。
この過程にあるものは、仏教的に考えてみれば、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識の認識作用であり、逆に、自己や他者の存在を規定する手段ともいえるでしょう。

この関係の只中に在るものがことばです。ことば自身は、意思の伝達や表現するものですが、それだけではなく、ことばそれ自身が関係性を現しているものといえるからです。
また同時に、関係性において、ことばは在るともいえると思うのです。
この『ニャーンキ、シンズ、フジセウカーン』は、はたしてことばだろうか?という疑問がわきおこります。浪々と堂内に木霊する『ニャーンキ、シンズ、フジセウカーン』は、鐘の音によって区切られ、どこに目指そうとしているのか。それは、この堂内だけの木霊なのか。
共通な言語関係の途絶えた世界、それはことばだけでは意思が通じないことで、まして、生の感情は生起しない。それでいて、多くの衆僧の読経は、胸に響く、これはことばなのか?荘厳な音楽なのか
験(げん)を担ぐマジナイも含めて、自己自身と他者との関係、それは多くの死者を含めてでしょうが、共通なものがなければ、お互いの関係の内に流れません。
そのお互いの関係性は、釈尊が見通したとおりに、常に変化しているとすれば、この『ニャーンキ、シンズ、フジセウカーン』こそ、変わらないことで、お互いの関係に流れないものとして、意味が通じないモノとして在るのではないかと思ったりもします。

ヘーゲルには自己意識にかんして「われわれであるような我、我であるようなわれわれ」という言葉がありますが、この言葉は、子どもに接するとき、父や母に接するとき、親しい知り合いに接するとき、子どもは、親は、知り合いは、そして私はと、他者のなかでの私から、私のなかの他者を強く意識させる言葉でもあります。
しかし、家族から見れば死者は、亡くなったときから、いつも“我であるようなわれわれ”だと思うのです。もっとも、われわれであるような我として、死者を考えたこともない自分に気づきます。
この関係を考えることは、自分にとっては、じぶん自身の関係の中での存在を考えると言うことでもあり、だからこそ、この関係を含めて、心というのだとも思うのです。
トルストイの『人生論』に次の言葉があります。
「お前は、みながお前のために生きることを望んでいるのか、みんなが自分よりお前を愛するようになってもらいたいのか。お前のその望みがかなえられる状態は、一つだけある。それは、あらゆる存在が自分よりも他を愛するようになる時だけだとしたら、お前も、一個の生ある存在として、自分自身よりも他の存在を愛さなければいけない。
この条件のもとでのみ、人間の幸福と生命は可能となり、この条件のもとでのみ、人間の生命を毒してきたものが消滅する。存在同士の闘争も、苦痛の切なさも、死の恐怖も消滅するのである。
他の存在の幸福のうちに自分の生命を認めさえすれば、死の恐怖も永久に消え去ってくれる。」

 あらためて深く思うことは、『シンズーズンスンヒンニー』という、真慈という名の、総てを捧げ尽くした信(まこと)こそ人間の幸福であることを貫くことに、仏教は、明らかにして、あるがままの姿を示していると思うのです。
巡り来たった、今日この時、真慈を尽くした、亡くなってもっとも親しい者に、謹んでお経を念誦して、追悼のための盛儀を厳修することです。じぶん自身の中にあるからこそ、もっとも親しむ他者が、優れて築き上げた気高さは、偏に、自分のすべてを滅ぼして、ただ人のためだけに、ただ相手の中にだけ生きようとすることに心がけたこととなり、それは、親しき者に接する人の目や耳や鼻や口や皮膚ですべてを受け止め、他者の胸で呼吸し、他者の頭で考え、他者の心で感じることを、修めたからです。
このことによって初めて人間は、他人の幸福を引き寄せて自分自身のものにすることができます。今日、集う殊勲は、この真慈を捧げ、共に、この気品に包まれることを。
ジーホーサンシーイシーシブ、シソンブサモコサー、モコホジャホロミー。



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