目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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英霊(平成17年5月23日)

英霊(えいれい)(平成17年5月23日)

 古事記を読めば、神々の誕生と死の躍動感に踊らされるでしょう。これらは昔の話しではなく、その延長の今も、神々は神様は誕生しているともいえるのではないかと……ふと思います。

 神様が、今でも誕生するなんて、おかしな話しだと思うかも知れませんが、これは本当の話なのです。今もどんどん誕生しているなら、きっと、忘れられてしまったり、死んでしまったり、どこかに消えてしまった神様も、きっと、いるに違いありません。まるで、人間みたいにです。

 神々の神話は、人の尽くせぬ思いが、やがて死霊・生き霊となり、人々に恐れられ、神として祀(まつ)りあげることで始まりました。人は神様のたたりを恐れ、封印し、祀(まつ)ることで、たたりを鎮(しず)めることをしたのです。神社のこんもりとした森、これは、鎮守(ちんじゅ)の森ですが、その領域は、封印された神々が眠る場所です。

 しかし、考えてみれば、こうして鎮守の森に祀られる神様は、ずいぶんと恵まれている神様かも知れません。反面、逆に考えれば、縛られ、押さえつけられた悲しい神様となるのかもしれません。

 いかに人間が悪さや悪戯(いたずら)をするといっても、年齢を加えて行けば、反省もし、人に良いことをしようとするものです。考えてみれば、祀られた神様は、年齢を加えても一向に止まらない悪さや悪戯の持ち主とも言えます。

 祀ることで、鎮めることでしか、平和が訪れることがなければ、祭礼は天変地異への恐れや、戦火や暴挙に被災することの無事への祈りとなります。「何もなければ良いのだが」と、だからこそ、祭りの字の示偏は、月(肉片)という供え物を、手で捧げて、足で出かけて、お供えする人の姿なのだと思うのです。

 多くの怨霊(おんれい)は、祀られないでいることが多いことでしょう。取り返しのつかない出来事に、すまないと、謝る気持が起きずに、よこしまな心が芽生えたり、人を強く、うらやんだり、ねたんだりするそんな人間は、悪霊(あくれい)や怨霊として、しばしば、いたずらや悪さをすると言ってもよいのでしょう。

 これは、人間の思いや願いが、死んでからも、わたし達の世界に留まるという意味からです。この留まるという思いは、わたし達が気づかずに、自然と口からでる言葉に現れたりします。それは、わたし達の世界が、私たちの心の世界を含んでいることによってなおさらです。これは、わたし達のことを人間というように、人と人との間というように、人が支え合っていると書くように、世界とは、人の意志や感情の交差する世界だからです。人の意志や感情の行為のうえに出来上がったもの、それが世界だからです。

 神様はどこにも宿ることが出来るといったら、不思議な気がするでしょう。神社やお寺で引いたおみくじを、木々の枝にゆわくのも、誰もが同じことをしているからではなく、先人の知恵から引き継いだ、そこに神々が取り付くという意味です。

 神主さんが、白い御幣(ごへい)でお祓(はら)いをするのも、その御幣に神様をくっつけることです。だからこそ、その御幣を祀ったりするのです。神様に、側にいて見守ってほしいからです。

 この時の神様は、もちろん、良い神様です。良い神様は何処にでもいます。祀る必要のない神様といってもよいでしょうか。その良い神様は、井戸、水道、屋根や梁、柱、床の間、玄関や裏口、門、道や道路の角、境界の四隅や、河や海、沼や池、田畑や山という自然、人が住む里のあちこちの東西南北、それに地、火、水、風に適した場所の、あらゆる所にいます。お箸や、食器、椅子や机、鉛筆や筆、紙やお人形、お裁縫の針や料理の包丁、そして、食べ物まで、神様や仏様はどこにもいるのです。

 これらは、安全と恐れから、感謝に願い、また、物や食べ物を大切なものであることを、粗末にしてはいけないことですと、昔の人が伝えて残そうとしたものかも知れませんし、現実にそうして拝んできたことなのでしょう。

 また、家や地域の出入口にいる神様は、わたし達の生活を見守り、外からの侵入者を防ぐ役割を果たしています。不思議なことは、この神様達は、けっして神社や祠などに閉じ込めて置くべき神様ではないことです、現実のわたし達の生活に密接にかかわっているからです。密接にかかわっているからこそ、忘れるのではなく、くり返し語らなければなりません。

 こうして神様というと、わたし達の願いや祈りを聞き届けてくれと思うかも知れませんが、実のところは、神様や仏様にもいろんな神様や仏様が居て、聞く耳は持っているのですが、聞き届けてくれるかはわからないのです。神様によっては、その願いを自分のために利用する怖い神様もいるのです。

 鎮守の森を持つ、ただ鎮まっていてくれればよいという神様、鎮まっていてくれるからこそ、わたし達に平安が届けられるのです。平安でいれば、感謝すること必要なことです。その神様も、元は、頭が良くて、綺麗だったり、荒くれ者だったり、何か一つのことにたけていたり、女性であったりと千差万別です。

 その千差万別を一つにした神様、それを、英霊というのだと思います。祀られてしまった良い神様のような気がします。本来、この英霊達の一人一人は、わたし達のすぐ近くにいたはずですし、すぐ近くで、わたし達の行く末を見守ってくれる神様や仏様なはずです。

 わたし達のすぐ近くの彼方に散っていった、わたし達と血が繋がる人たちの思いだからです。わたし達の家族という絆で結ばれた英霊の、一つにできない思いを、英霊という無名の呼び名で、一つにまとめ上げた集団としての神様です。

 この神様は、英雄を強いられたかわいそうな神様ともいえます。鎮めればよいのか、しかし、考えてみると鎮める以前にたたりを起こさない、心がけない神様でもあります。

 それを、慰めればよいのか、それならば、その前に先の大戦は大きな過ちであったと、この責任を追求することこそ、この英霊にたいして名誉を回復させことなのでしょう。敗戦と言わずに、今も、終戦と言い続け、うそで固めた仕打ちは、この英霊に対して最も失礼なことではないかと思うのです。慰めなければならない神様なんて聞いたことがありません。

 この意味から、縛られ方が違って、いまだに、英霊として祀りあげることで、浮かばれない神様として見ると、どうも、鎮める相手は国家という意思のような気がいたします。

 英霊は、明治維新7,751柱、西南戦争6,971柱、日清戦争13,619柱、台湾征討1,130柱、北清事変1,256柱、日露戦争88,429柱、第一次世界大戦4,850柱、済南事変185柱、満洲事変17,176柱、支那事変191,243柱、大東亜戦争2,133,885柱となり、合計2,466,495柱です。今も減ることはなく、増え続けています。また本当に理由が分からないのですが、巻き添えになった多くの満州や沖縄などの一般人とは隔離されています。しかも散らした命の尊さも含めれば、尊い命に、どれだけの差があるのでしょうか?

 尊い命が散ったわけですが、散らした意思は、鎮められたのでしょうか?

 尊い命が散った異国で、その国の人々の子孫の気持ちは慰められたのでしょうか?

 この国の散った命に寄り添う家族や親族の思いは、鎮めることで慰められたのでしょうか?

 彼ら散っていた命に対して、誓いはないのでしょうか?

 その誓いは、なぜ不戦の誓いなのでしょうか、なぜ非戦の誓いなのでしょうか?

 争いの真相である人間の意志は、突き止められたのでしょうか?

 明治憲法下の国家物語と、現行憲法の国民物語に、一線は引かれているのでしょうか?

 過去現在未来、正しい戦争とはあったのでしょうか?あるのでしょうか?

 それでは、国を守ることとはどんな意味があるのでしょうか?

 ただ柱の数を、積み重ねることで、何を言おうとしているのでしょうか?

 生き残った兵士達が、幾年も口を閉ざして語れない戦闘体験は辛すぎます……。

 個人としての尊厳に対して意思を持たせない祀り方に、もうこれ以上祀らせないという、引き継がない確乎とした意志を持つことで、英霊は、祀られた意味が消えて、解き放たれると思うのです。それは家々に帰すということです。もともと、仏教やキリスト教でも、弔うことができるのです。

 英霊は、神々に祀られたが故に、今も、我々に、たたる神々とも言えます。祀られていることで、英霊だけは、今でも、大きく成長する意思を含むように見えてしかたありません。

 アジアには、古くから、我々の生活する何処にでも、善悪を問わず、多様な神々が混然とし生きています。これは、多様な文化を受け入れることのできる文化圏を意味します。このことを英霊という名で否定する意思は、危険な意思といわざるを得ません。

 人それぞれの尽くせぬ思いが、忘れられたら、鎮めることもできない怨霊、死霊、鬼神、幽鬼、幽魂となり、さ迷うこととなるでしょう。一つに祀らなければ、それぞれの家庭で、それぞれの見守る祖先の一人となったのにと、残念に思う8月の熱い季節が今年もめぐってきます。

 アジアには、古くから、我々の生活する何処にでも、善悪を問わず、多様な神々が混然とし生きています。これは、多様な文化を受け入れることのできる文化圏を意味します。このことを英霊という名で否定する意思は、危険な意思といわざるを得ません。

 人それぞれの尽くせぬ思いが、忘れられたら、鎮めることもできない怨霊、死霊、鬼神、幽鬼、幽魂となり、さ迷うこととなるでしょう。一つに祀らなければ、それぞれの家庭で、それぞれの見守る祖先の一人となったのにと残念に思います。


目覚め

目覚め

わたし達が誕生したとき、この世に私は産まれたのだと、その確認するすべを持たないことと、また、亡くなったと確認するすべを持たないことの、わたし達の魂や霊魂はどう拘わっていると考えればよいのでしょうか。「今日は赤ちゃん!」と言うことはあっても、誕生して「今日は、ママ!」とは言いません。同じように、生ある内に、自身の肉体の別れを告げることはできないのです。
人の生と死の確認に関して、私は、始まりも終わりもない世界を持つと言ったことがあります。
それでは、始まりもなく終わりもない世界の内の、日常、眠ることと、目を醒ますことはどうでしょうか。目を醒ましたときに、特別の情況を除いて、当たり前のように目を醒まし、当たり前のように活動に入る私は、その時、眠るとき、明日の目覚めはないと確信することはないのです。目覚めはないと確信しても、そのことを裏付けるものを、持つことはできません。
そこに私の霊魂や魂の問題は、どう拘わっているのでしょう。それとも、私の魂や霊魂の存在は在るのでしょう。
仏教は、この世界から五蘊(うん)という、色という肉体、受という感覚、想という知覚、行という意思、識という意識で構成されたものが人間なのだと言います。これは一瞬たりとも滞らずに変わり続けるということです。変わり続けることを意識した瞬間に、以前の私ではないと意識したとしても、その私は、すでに変容の中のしるしとなっているのです。
それでは、花が枯れたとき、その花の聖霊は、どこに居るのでしょうか。死んだのでしょうか。私たちが言う、土に帰るという言葉には、変化という意味が隠されています。それは、何処から来て何処に帰って行くのかという意味でもあります。
“何処にも帰らないし、何処からも来なかった”、ただ条件が整ったとき、顕れるのではないか。この条件こそ、総てのものを含んで、ただ一つの命として私を顕そうとしているものです。何もないところからは、来ようとしても来られないし、何もないところには帰えりようもないことから、むしろ、豊潤な大地や海、生物や動物、空や星々の間の命の中から、時を隔てて、次々と顕れては消えるものなのではないかと、そんな思いが致します。
それを永遠の命と呼ぶなら、顕れることを生といい、消えてゆくことが死と言うでしょう。生も死も、永遠の命の作用とするなら、生を撰ぶことは、死も撰んでいることになります。そして、死も生も、永遠の命の霊性であるとわかるのです。生は五蘊が集まることであり、死は、その五蘊が欠けることです。
こう考えてくると、私という意識は、時間と存在の狭間に、縁として顕れる、五蘊(うん)ではないかと。それは、色という肉体、受という感覚、想という知覚、行という意思、識という意識で構成されたものです。
それでは、私が、事実を受け入れることとはどのような意味を持つのでしょうか。意識は、いつでも、今・ここです。過去の問題や未来の不確かさの中に居るときでもです。眠っているときも、時間を忘れて行為に集中するとき、変容そのものの中に、わたし達は、自分の存在を委ねているのではないでしょうか。
禅では、山が動くといい、海深くを歩くといい、風になるといいます。ゴーンと撞く鐘そのものに、或いは、大きな樫の木になるといいます。この時、わたし達は“生まれ変わるという”行為の真っ只中に居て、目覚めているのではないか。
わたし達にとって、一番大切な命という問題に、誕生したことを受け入れたという認識は無いのですから。それは、訪れることの不確かなものを受け入れる能力を持ち合わせていないのです。むしろ、わき起こる雲の中に、光りとなり、風となり、熱となって、無数の水の中に、流れとなって、真っ白く我が身を投ずることです。
その圧倒される白く輝きの中で、自己の存在のあるかなきかの、はかない揺籃(ようらん)に定着させるために、風となって、我が身を完全に没入させることです。それが、祖霊たちや、仏、神々との出会いでもあると思うのです。


よわい「齢」

よわい「齢」 

 お年寄りの葬儀のとき、私は、しばしば、亡くなられたその人を偲んで、こう語ります。
 『人って、支え合って生きるものですが、夫婦の日常の生活は、意識しなければ、共にしっかりしようなどとは、普段、視線に入りもしないし、思わないものです。それは、季節が、人の意識に寄り添うがごとく、いつも一緒にあるに似ています。季節の花々の違いのようには、人は咲かないものなのでしょうか。

 年毎に、年齢を重ねて咲く、今年の花にたとえて見たいものです。散る桜を前に、もっと咲きたかったと、貴方の声が響きますが、あなたは、今も散る枯木の花ではなく、咲かしているではありませんか。散らしているのは、家族の心です。

 病を抱え、傷ついた人間を、自然の老木にたとえて……、若木に比して人を圧倒する姿は、本来、人も年をとればとるほど老齢の枯木に似ている姿なのですが、異なって見えるのは、人の思いのなせることなのでしょう。人が年を重ねた末の、悲哀や年輪を偲ばせた変形した姿・形のたくましさを、もっと見つめてもらいたい。
 そして、老いて浮かべる仕草や声の張りを、いつまでも、心に留めて欲しい。老いて、倒れて、散っていった命を含めて、いつまでも、家族と呼んで欲しい。残された家族の行く末を、散っていった命に託せる家族であって欲しい。残されたものの、ほとばしる若さのなかで、家族の老いを、思いだしてもらいたい。

 ヘルマンヘッセの、「人は年を重ねるほど、若くなる」と言う言葉の意味を、現実に意識できるようになりたいと、貴方の死から受けとりたい。
あっという間の過去は目に見えず、若い人と年を重ねた人も、同じなのですが、十年二十年と較べて、貴方の歩みは確実に違う重みを、枯木のくるおしい姿を見て、若さや勢いを見て、なおさらに持つのです。
 思い起こせば、貴方が歩いた、そのよわいの年月は、それぞれに、春には一斉に咲き誇る桜の姿であり、花の散ったあとの一斉若葉の繁るさまであり、雨に打たれて生き生きとして、陽光に踊り輝き、秋には葉の色を変えて散る家族の姿の記憶であります。そして、四季折々のこの街の祭りと催すものの記憶でもあります。
 人が許容や受容と言う意味を解りかけて来たとき、四季それぞれの姿は、同時に次の季節の予感を当来する姿でもあり、人それぞれの記憶を積み重ねた季節でもあります。
 そして(季節が春であれば)、やっと、この寒々とした季節の終わりを迎えての風の中、あの夏の暑さが、そして、寒かった冬の与えてくれたものとするなら、今を歩きながら、私たちが語らう着実な今は、去っていった過去によって表現されていることを知るのです。
記憶のなかの事実には、懐かしさが似合います。必死になって築いてきたものは、崩されないように、倒れないように、流されないようにと、前を見つめて歩いた記憶だからです。』

 高齢社会という呼び名は、本来ならば、高齢社会は長寿が満喫できる社会になり、子ども達や青年期壮年期の大人たちから見てもそうでしょうが、それぞれの年代の自分たちから見れば、遙かな時間を経過したその社会の輝く宝を、数多く持つ社会ともいえるでしょう。それは一時一時の貴重な時間を費やした結晶の現れであり、過去何世代にわたり、未来に対しても何世代も先を見通す知恵に支えられた社会ともいえるのではないかと思います。
 少子社会といえば、それこそかけがえのない命を、大事に育むことが最も尊ばれる社会といえることでしょう。こう考えてみれば、今の日本こそ、日本の歴史上、最も輝いている時代であると言えるのではないかと思いました。

 先日、地元の工務店の社長が、「和尚、これ、だれか欲しいひとはいませんかねェ~」と。見ると、会社の前の路傍に、盆栽が数鉢、置いてありました。盆栽の持ち主が亡くなって、遺族が家を改築したらしく、面倒が見られなくなり、いらなくなって引き取った盆栽だそうでした。
 私は「社長ねェ~。盆栽というのは、厳密に言うと、本来、絶対自分のものにならないものです。300年、500年かけて育てていくモノで、自分が育てられる期間は、せいぜい20年、30年、40年という期間でしょう。これって、預かっているという意味だと思うのです。自分が育てて愛(め)でるのは、せいぜいそれだけの時間で、後は、次のひとに託さなければという気持ちが生まれてこなければ、盆栽の命を粗末にするだけです。何10年、100年経ったモノを、自分の代で枯らせますか?次の世代が大切に育てることで生きてきた命なのだと思いますよ。こうした覚悟が生じてこなければ、育てられません」と言ってみました。

 古ぼけた齢を重ねた茶碗や壷、軸物をお宝と称して、金額に換算することを、テレビでおもしろ可笑しく放送しています。壊れていたり、まがい物、名前がないモノ、偽物だったらいくら古くても見向きもされません。しかし、40年、50年前のオモチャのお宝と称されるモノを見ては、新に作られていくお宝もたくさんあるのだと知ります。が、テレビの画面の中では、すべてがお金に換算されてゆくことにためらいが生じます。このよわいを重ねたものも、盆栽と同じように、自分のモノではなく、世代を越えて渡すものです。そのものにとっては一時の間に過ぎません。
 そう言いながらも、この盆栽が高齢社会のお年寄りのように、ふと見えたモノですから、人間も育てられ育つことから、お年寄りが育てるもの、それこそ、若い人にとっては手の届かない、人間の心なのだと気づいたのでした。

 誰にとっても明日が未知なる日であるように、年を重ねたよわいも、つねに未知なるものです。それは、繰り返してくるものでもなく、身体のきしみや痛み、思うようにならない筋肉、おぼつかない動きに沿って日々新たに生じてくるものです。それを、深川や下町の古老はうまいことをいったものです。じっと今の自分を見つめて「意気地がなくなった」と。
 かって物語に出てきた長老、年寄り、古株、賢人、落語に出てくるご隠居さんは、今、何処にいるのでしょうか?そう言えば、寺の世界では今でも、書状の宛名には、誰々老和尚、老丈室、老大師と付します。老という字は、敬うという意味がありますが、敬われる対象であるかは、じぶん自身にはわかりません。年齢に固執する人は、自分を見ない。

 さて、前文に記した、「ヘルマンヘッセの、人は年を重ねるほど、若くなる」という言葉は、ヘッセの「成熟するにつれて人はますます若くなる」という「成熟」を「年齢を重ねる」という言葉に書き換えたものです。何故かといえば、老齢の枯木に喩えたかったからです。また、どうして植物と同じように、人間の中に、威厳を持ち、枝を一杯に広げ、空高く聳え、幹の肌は荒々しくと、人は見ないのだろうかとの思いです。

 「死に対して、私は昔と同じ関係を持っている。私は死を憎まない。そして死を恐れていない。
  私が妻と息子たちに次いで誰と、そして何と最も好んでつきあっているかを一度調べてみれば、それは死者だけであること、あらゆる世紀の、音楽家の、詩人の、画家の、死者であることがわかるだろう。彼らの本質はその作品の中に濃縮されている生きつづけている。それは私にとって、たいていの同時代の人よりもはるかに現在的で、現実的である。
 そして私が生前知っていた、愛したそして「失った」死者たち、私の両親ときょうだいたち、若い頃の友人たちの場合も同様なのである-彼らは、生きていた当時と同様に今日もなお私と私の生活に属している。私は彼らの思い、彼らを夢に見、彼らをともに私の日常生活の一部と見なす。
 このような死との関係は、それゆえ妄想でも美しい幻想でもなく、現実的なもので、私の生活に属している。私は無常についての悲しみをよく知っている。
  それを私はあらゆる枯れてゆく花をみるときに感じることができる。しかし、それは絶望をもたぬ悲しみである。」(《人は成熟するにつれて若くなる-ヘルマン・ヘッセ》V・ミヒェルス編/岡田朝雄訳/草思社刊/1995年)


また始めたらよい

また始めたらよい

 それは、私が生まれる以前、地球は、初め、水に覆われていました。 ……そう、地球の鼓動を聞きながら、私は、水の中に命を与えられていたといえるでしょう。 そこには、かぐわしい香りと色彩にあふれていましたが、まだ世界が混沌といわれていたときのことです。まだ私は生まれていなかったし、多分、時間や場所の概念もなかったはずです。それは、私と名づける前の私の状態といえるのでしょう。
 混沌には、水も空も大地も、ともにあったし、多くの命として、今を生きていたはずだ。
 その混沌とした世界から、私が産まれるには、混沌自身が苦悩を持たなければ、意識としての私は生まれるわけがない。
 そして混沌自身が苦悩を持つためには、出会いと夢、葛藤と忍耐、希望と誓い、安らぎと揺らぎ、祈りや願いという慈愛がなければならないのでしょう。
 区別と差別が生じて、形有るものが芽生えるけれども、それは混沌とした世界がなくなったというわけではないのです。
 混沌自身の苦悩は、私が新しい今、ここを手に入れても、ずっと、ずっと、私の今、ここがなくなるまで、続くのです。
 私が生まれることが、混沌には、苦悩であったとも言えるかもしれない。何故なら、生まれた私は、混沌を忘れるから……。
 そして、私が生まれでたとき空と大地と水が与えられたのでした。ちょうど、私の父と母が与えられたように……。
 初めに、お釈迦様は、諸行無常といいました。
 ものみな、移ろいゆくことを定めとして、立ち止まることを許されない。そして、それゆえにこそ、存在するものの根拠があるとしたら、誕生も消滅も継続も、時の法則そのもの。
 総てのものが存在しうるのは、この変わりゆくことにおいてあり、このことがなくては、世界の何ものも存在しえない。一切のものの可能性とは、このあらゆるものの変わりゆくことにおいてあり、これこそが、一時性の正体なのだ。
 もしこの一時性がなかったら、変わることもなく、あらゆる命在るものの姿形は止まってしまいます。この瞬間という一時性は、広がることも長さを保つこともないが、無限の可能性を秘めた点でもあります。
 だからこそ、釈尊は、一切は一時的であるということに徹することが、私の教えだ言ったのです。それは、何ものにも執着するな、この世の総てから超然とすることを学べと。
 産まれてきてたとき、すでに亡くなっていた運命の君こそ、このことがよく解っていたはずです。それは、未だ自分が誕生していないから……。
 お釈迦様は、次に、縁起の話をされました。
 この世界のすべての何もかもが、一つに繋がっていると話されたのでした。
 そして、総てのものが一つに繋がっていたとしたら、その繋がっているものに名前があるのは、命を繋いでいることの意識そのものかも知れないと、気づきます。 繋がることが意識といえるとすれば、それは、名前がなく、すべてがこんとんとしてある状態、それこそが、母の体内で形成されようとしていた命の営みそのもののような気がいたします。 
 生まれ出るまえは、命そのものと言ってよいとしたら、生まれ出たあとのものは、人間や動物、木々や草花、山や河や海、空も、含まれて、すべては一つに繋がったもの、それこそが、命の営みといえるもの、生まれる前も、生きているときも、死んだあとも、すべては、その命の営みの中のことだ。
 生まれでなかった君にしてみたら、きっと、この地球上のすべての人は君自身だし、今、誕生しようとしている命の萌えでようする芽も君だし、すでに亡くなっていった大勢の人も君自身といえるでしょう。
 その次に、お釈迦様は、諸法無我といって、この世界の有り様を語りました。
 君自身は命の営みそのもの。君に教えて語ることなんて、何一つない。まして、思い煩うことなんて君自身にはあり得なかったはずだから。
 思い煩い、じぶん自身への哀しみを通して、あり得るとしたら、君の誕生を望みえなかった、また、今か今かと待ち望んでいた、君のママやパパ、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん、それに、君にとっては、これから年月を隔てて生まれ出ようとしているだろう妹や弟かもしれない。
 人間の世界って、自分という心を持つゆえに、自分が寂しいと思えば寂しいし、哀しいと思えば哀しいし、面白いと思えば面白い。そうやって、悲しみや寂しさ、面白さや楽しさで繋がっている世界でもあるからです。
 それは、世界は物語に満ちているということです。
 諸法無我は、そんな人間の世界を、混沌の世界から見なおしてみることをすすめます。すると、移ろいゆくものが見えてきます。
 混沌の苦悩は、悲しみのままに、辛さのままに、疲れ果てたままに、嘆きのままに覆われる勇気を与えます。そのままに、たたずむことが、明日をかえると。
 陽はまた昇り、季節はめぐるように、「また始めたらよい」と、力強く、心地よい響きが、君に届かないものか。届きさえすれば……。
 そして、君は、朝という字が十月十日と書くように、朝が来るたびに生まれ、夕べに眠ることをおぼえるでしょう。
 そして、君は、陽が昇ると、君を取り巻くすべてが、命あることに気づくはず。
 「さ、君となって、また始めるがよい。」
 きっと、君は、目が醒めると、私となって、生まれることができるでしょう。
 変わることが現実に生きる世界にあっては、死でさえも、不変のものとして、真実とは言いがたいものです。
 変わり続ける世界に大きな力となって、「また始めたらよい」の言葉は、変容のしるしから投げかけられた言葉でもあり、そのことを、たしかに君は知っているはずです。
 さて、この祈りは中身は、悩みや感謝とするなら、ヘルマン・ヘッセが、『放浪』のなかで、しるす言葉が光ります。
「祈りは歌のように神聖で、救いとなる。祈りは信頼であり、確認である。ほんとうに祈るものは、願いはしない。ただ自分の境遇と苦しみを語るだけである。小さい子どもが歌うように、悩みと感謝を口ずさむのである。」
 転身への祈り、それは、徹底できぬ自身への、素直さえの回帰という意味でもあります。
 じぶん自身の計らいの中の、気づきは、人を変えるものです。この変えられた自分を希うことを、この祈りの本意と、考えました。


三大聖樹(平成19年4月17日)

三大聖樹(平成19年4月17日)

 釈尊の物語として、三つの樹木が登場いたします。その場面は、誕生、成道、そして涅槃です。この三大聖樹、無憂樹、菩提樹、沙羅双樹を考えて気づいたことがありました。 釈尊誕生は、摩耶夫人がルンビニ園にて、緑葉高木の鮮やかな赤い色の花ををつけた、無憂樹(むゆうじゅ)の下でのことでした。無憂樹は、別名、阿輪迦樹(あしゅかじゅ)ともいい、アシュカの意味は、憂いのないこと、恐れがないことです。

 釈尊が誕生したことが、憂いのないことなのか、すべての赤ちゃん誕生のことだったのか。やはりこれは母親から赤ちゃん誕生の物語の、満ち足りた母と子の絆を語っているもののように思えます。産むまえの葛藤や痛みという心の積み重ねがあったゆえにこそ、この心が余計にクローズアップされるのだとも思います。しかし、その後にわたって、いくら母親とはいうものの、この心持ちを維持し続けることは難しいことでもあるのでしょう。産んだあとの、この心の達成感や至福の思い、穏やかさは、母と子の絆の誕生を象徴するものと考えなければならないと思います。この無憂樹の木の下で生まれた釈尊の、七歩歩いて「天上天下、唯我独尊」と天を指し、地を指したという故事は、天を指し地を指し示すことで、六歩の歩みの困難さを形容しているように思えます。恐れなく進めの指針こそ、「オギャー」という叫びに、誕生するものすべての宣言として、仏教は、人の歩みのすべてに、「天上天下唯我為尊」と表現したのだと思います。

 あらためて今の私たちの状況は、この「オギャー」が、深い人間性誕生の叫びとして聞こえないのではないかと思います。自分の命は尊いものとしても、同じ命を授かったわたし以外の赤ちゃんは遠い存在に思えます。「自分は、この世界の産声が聞こえているか」と、母と子の絆、世界の誕生として、産声を聞かなければならないことを、強く意味しているのだとも思います。そうでなければ、生まれた赤ちゃんの「天上天下唯我為尊」の叫びと、母親の憂いのないこととが繋がっていることが想像できないからです。

 そして釈尊の歩いた七歩のうち、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天が六歩であり、七歩目ばかりが際だって問題とされています。しかし、「天上天下唯我為尊」は、あまねく六歩それぞれの歩みに、かぶさっていることを気づくということを、今はただ願うばかりです。

 釈尊の、最初の一歩から数えて三十五年にわたる遍歴の六歩こそ、無憂樹に導かれた歩みだったと考えてみました。憂いのない、恐れなくして進んだ道として……。これは釈尊誕生、四月八日のことでした。仏教の始まりは、四門出遊(しもんしゅつゆう)の故事からです。四門出遊とは、釈尊が、気づきから出家をこころざし、思索や瞑想、そして目覚めに到る動機を与えたものです。母を幼くして亡くしたものの、すべてを与えられて王宮内に過ごす釈尊の疑問を象徴とする故事です。

 それは、王宮の閉ざされた東門・南門・西門・北門からかいま見た外の世界、そこに釈尊を突き動かす動機があったからです。そこから見たものは、他者の老・病・死の世界です。その他者の老病死が、釈尊には、老いねばならぬ我が身となり、病むであろう我が身となり、また、現実の死者の姿と悲しむ親しいものの姿を前にして釈尊自身を襲う死の影が、「青春の高ぶりはことごとく断たれた」と述懐したことで、うかがい知ることができます。

 この身をおそう老・病・死の影が、釈尊を、生の思索へと導き、やがて苦の発見となって、釈尊を病ませたのだと思います。その時の思いは、「人は生老病死のあり方の中にあり、傷つき痛みのなかにあり、愁(なげ)きのなかにある。かかる者が、その原因を知ることができれば、それはより高きあり方であり、優れた生き方となって身を覆うであろう。それが、求むることであり、それが聖なる求めというものである」です。そこから、「大いなる放棄 を決意することになったのでしょうか。これは、啓示でもなく、選ばれたものでもない、現実をじっと深く見すえたものの宿命なのでしょう。そして、釈尊二十九歳にして、仏教は始まったのではないかと思いを馳せます。

 釈尊の出家から三十五歳までの歩みは、数多く仏典に飾られています。実際には思索と瞑想の試みであり、肉体を酷使する遍歴ともいえる旅だったとも思います。旅からとどまれば木陰や緑陰花々の中の散策と瞑想を繰り返し、時々は、質問や糾弾など問いの矢をうけたこととも思います。

 そして、ブッダガヤにて、心身ともに疲れ果てた釈尊の身体を癒したのは、少女の差し出したミルク粥でした。現在の臨済宗・曹洞宗の専門道場の朝食を粥座(しゅくざ)いって、お粥を頂ますが、この故事を受け継いでいることが推察できます。

 身体の回復が釈尊を、菩提樹の木陰に座らせ、瞑想にと誘い、悟りを得たのでした。釈尊三十五歳、十二月八日、明け方のことでした。この菩提樹の別名は、ヒッパラジュといい、畢鉢羅樹と書きます。道樹、覚樹ともいい、クワ科の常緑高木だそうです。これ以降の旅は、釈尊の歩みそのものが、菩提樹のように葉を茂らせ、人々のうえに緑陰として枝を広げます。

 ここから幼名シッダルタは、釈尊となって、ブッダと呼ばれます。語り得ないものを手にしたブッダの、更に確かなものにするために、そして伝えるための釈尊の歩みは、ここから、憂いもない、恐れもない確かな一歩となったようです。これからの歩みも遍歴の旅です。その足元は、人々の歩みにそって共に歩む地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天道の道でもあります。しかし、今は、菩提樹の茂る葉が頭上を覆っています。

 このことがいかに大事であるかと気がついたのですが、釈尊の歩いた道は、荒涼とした砂漠や、岩がごろごろとした場所ではなかったことです。これは、水もなく、新鮮な食べるものがない場所で、いかに生きて行くか、勝ち取ろうとする闘争心ではなかったということです。そして、もっとも見落としてならないことは、目に見えない神や、神の王国という物語の世界をつくらなかったということでしょう。

 自然と人々の生活のなかでの、事実を見つめて、人の暮らしの内に生きる智慧を思索したことだったと思うのです。ここに、文明が発達すればするほど、仏教の考え方を必要とする理由があるのだとも思います。人の自己が芽生えて、他者を分離し、「こちら」と「あちら」をおぼえ、「今から」と「今まで」を知り、「みずから」と「おのずから」の差が不明になったともいえないでしょうか。これは、「おのずから (自然に)」という形の自発性に、「みずから(意志)」の働きを「あるべきよう」と置き換えてみることのいかにむずかしいことか、釈尊を確かなものとして描くことができる人にとっては、今もここに歩んでいるといえさせるものです。

 菩提樹の木は、昼も夜も、雨の日も、穏やかな日も、照りつける暑さの日も、ただただ腕を広げて、四十五年の歩みのうち、人々を覆っていたのだと思います。やがて時が過ぎ、釈尊最後の地に向かわせます。その日は、釈尊八十歳、二月十五日のことでした。

 釈尊の言葉に、蘆(あし)の例(たと)えがあります。蘆の群生する水辺に立ち、「この蘆の群生は、一本の蘆だけでは立つことができない。蘆が寄り添い、支え合うことによって生きているのだ」という教えです。釈尊入滅の、その場所はクシナーラ、ウパヴァッタヴァの沙羅の林でした。釈尊が横たわった場所の、四方に二本ずつあったという沙羅の木、釈迦が入滅すると白色に変じたと云われています。沙羅は、インド原産の常緑高木で、小さな淡黄色の花をつけ、香りがあります。日本ではなぜか、夏つばきのことをいうのですが、これはツバキ科で、初夏から白色の五弁花をつけます。

 今考えてみると、釈尊の死は、人として避けることができない生老病死という輪廻の中に息を引き取ったという意味になるのでしょうか。私には、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・解脱の七歩は、人のあり方であり、死に方でなく、亡くなったという事実がとても大きな意味を持つものと思えるのです。天に召されたのでもなく、地に落とされたのでもなく、生老病死という時間をかけて思索し、忽然として沙羅双樹のもとで息を引き取ったという、そのことにです。

 人は木々の下に安らぎを求めるのでしょうか?植物のイメージは人の争いとは遠く離れたものがあります。無憂樹に導かれ、菩提樹という知恵を得て、そして沙羅の群生林のうちに息を引き取った釈尊の言わんとしたことは、“人は、それぞれ自身の世界を持つのですが、その世界観をいがみ合うことに苦心するのではなく、独りでは生きて行くことが出来ない”ことを考えさせると言うことではなかったかと思うのです。蘆は自覚しなくても、あるべきように、寄り添って生きるのですが、人は、自覚しなければ今生きている世界を保ち得ないと、三本の聖樹は、私たちへの教えとして、私たちの歩みに今も聳えていることがうかがえます。三大聖樹、無憂樹、菩提樹、沙羅双樹は、私たちへの釈尊からのメッセージです。


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