目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
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江戸っ子

江戸っ子

 深川というところは、同じ江戸でも神田、日本橋、浜町、八丁堀とは違って、隅田川を越さなければならなかったせいか、ちょっと違う。何故かしら、大川(隅田川)を越えることに、コンプレックスというか、誇り・プライドみたいなものがあるのだ。ここで生まれたわけではない私にさえ、30年以上暮らすとあるのは、不思議だ。

だから、そのぶん、深川に対する思いこみは強いことは人一倍確かだ。深川に暮らす人だったら、この郷土に生きているという実感は強いと思うのは、私だけだろうか。とにかく、この川(大川)が江戸っ子を強烈に意識させるといったら、「ずいぶんと古くさいねえーえ」と、言われるかもしれないのを承知で書いていることでもある。つまりは、同じ江戸っ子でも、この川を挟んで、中央区側と深川では違うのだ。
池波正太郎も、無頼漢が巣くう地と書くし、辰巳芸者も足袋は履いていないやら、調べればたくさん出てくるに違いないが、手っ取り早く、富岡八幡宮の大祭に表れる。

この祭りの御輿の担ぎかたは、「ワッショイ、コラサ」と、徹底して御輿を運ぶ。この”運ぶこと”が、浅草、神田の「ソイヤ、セイヤ」の担ぎ方の違いになって表れる。浅草、神田は、天を突き担ぐ。だから一向に前に進まない。深川の御輿も天を突くことはあるが、『天を差す』と言い、永代橋、清洲橋の渡御にこの担ぎ方をするのだが、この時は、御輿を差しながら走る。
永代橋崩落の事件のせいか知らないが、橋の前後は、御輿をもみながら、差したと思ったら、一気に橋を駆け抜けてゆくから、いさぎよい。もっとも、いさぎよいと深川っ子は真にそう思うが、他から見ればそんなことはないかもしれない。これも、思い入れの馬鹿な表現なのだ。橋の床下は、大川が結構早く流れて、神輿を突き上げる手は天を指し仰ぎ、脚は川を指すといったら、考え過ぎじゃないのと笑われるかもしれない。永代橋が縦に揺れて、担ぎ手に伝わってくるのも、小気味がいいものだ。

戦後すぐの祭りの写真を見ていたら、けっこう裸の担ぎ手が見えたので、羨ましく思えた。それは、今は言わないが、「昔、深川の祭りは、裸祭り」と、言われていたからだ。
ご存じの通り、半纏も揃えられなかった貧しい深川っ子達への配慮なのだ。そのくせ御大尽たちは、縮緬の半纏を作ったという。貧しい漁師などの子供達は、みんな裸でこの祭りに、参加を許されたからだ。
川向こうの祭りの今は、半纏の粋を競うところがあるが、深川は町内半纏以外は許されない。その柄も、神田、浅草は柄を競うが、深川は町会の大紋がものを言う。

私が住む深川二丁目北町会も、『深二北』の大紋で、祭りに参加する。四〇〇世帯ちょっとの世帯で、この五日か三日の祭りに、一千万円の寄付を集めて、あっという間に使ってしまう。四〇〇人からの担ぎ手を集めて、たった一日の連合渡御のためである。
各町の五〇基の御輿の連合の熱気は、明け方から日が暮れても盛んだ。
江戸っ子というと、すぐ『宵越しの銭は持たない』という言葉が浮かんできますが、深川の祭りもそんな良き伝統を持っているのです。
さらに、町会に関わりをもって見渡せば、三代にわたっての深川っ子というのは、ごく少ないことに気がつきます。雑多な人間の移動、交差によって成り立っているのでしょう。

参考に、平川秀雄氏の『巷談永代』をお読み下さい。
さて、禅で語る言葉に、『坐って半畳、寝て一畳』があります。禅堂で暮らす禅僧の生活は、今でも坐って半畳、寝て一畳の生活をしています。ただ少しの贅沢は、後ろに障子一枚の灯りに、書き物が出来る程度の棚が付きます。そして前には、その畳の縁には太い敷居があります。禅堂の床の瓦敷からまたいで畳の上の座布団に着座いたしますが、その縁は、単縁(たんぶち)といい、黒々と磨かれています。けっして素足で触れることはいたしません。何故なら、寝るときに、剃った頭を直に触れて、枕になる縁でもあるからです。裸電球一つの暗い禅堂の単縁に、柏布団にくるまれて、雲水の頭が並ぶ姿は、妙に美しく、絵になるものでもあります。

その禅から多くの知識を得て、興味深い小説家に、ミヒャエル・エンデがいる。エンデと言えば、『もも』『はてしない物語』とか、次元を含んだ童話や小説・エッセイがあり、禅の問答を含んだ興味深い作品もある。

その彼の思想の発展したものに、地域貨幣がある。そしてその驚く発想は、貨幣がある一定の期間を過ぎれば、一割、二割と減価してゆくということに、とてもユニークな考え方で面白い。その貨幣をつかんだ人は、蓄積することを無意味として、使いきることを前提にした貨幣なのだ。流通を目的とした貨幣であり、エンデは国家というより、ある地域のみに限定する物々交換券に近い。そして、肝心なことは、その地域にのみ流通する豊かな文化がなければ成り立たないことだ。

私は、この貨幣のことを知ったとき、江戸っ子の『宵越しの銭は持たねえ』を、思い出した。身一つ、無一文に恐い物はない。それこそ戸締まりしなくても、鍵を掛けなくても心配はいらない。そういえば、修行道場の禅堂にも鍵は無く、心張り棒もないし、障子の向こうは外だし、障子戸に鍵はいらない。

金は天下の回り物を現実に回す江戸っ子の、この言葉の意味は、果てしなく当時の状況を示唆してくれていると言えないだろうか。この言葉の背景には、信頼が裏打ちされた世界があり、精神的にも豊かで潤いのある心情を持つ人々が多数を占めていたといえないだろうか。今日切りで生きるといったら褒めすぎであろうか。しかも貧しさの中でである。
富とは、人々を怠惰にして、人と人の絆を分断してゆくものなのだろう。
江戸っ子の魂に、触れた気がしてならない。


亀住町(平成13年7月1日)

亀住町(かめずみちょう)(平成13年7月1日)

 赤ちゃんのぐっすりと眠る寝顔をみると、不思議と安らぐものです。人の一生の時間を、赤ちゃんからお年寄りまでの直線として描いた時、一般的に、人は年を取れば取るほど、睡眠時間が短くなり、朝早く目を覚ますようです。そう言えば、早朝暗いうちに目が覚め、布団の中でラジオを聞いていると話していたのを覚えています。当たり前のことなのですが、子供にとって、未来は限りあるくらいにあり、その為、よく眠ることによって体力・知力等を蓄え備えます。
年を取るということは、未来が少なくなってゆくことになります。すると、時間を有意義に使おうと、自分の睡眠時間を減らして、少ない未来と一日の24時間を目一杯に使うかのようなのです。その点では、長寿とは、一日の時間を目一杯使おうとする人間の姿とも言えるのではないでしょうか。
しかし、病にぐっすりと眠るお年寄りの姿を見ていると、不思議に、子供の姿を思い浮かべることがあります。このことを考えてみると、子供帰りというのか、人の行為と時間とがぴったりと合わさって蕩々と過ぎてゆく大きな川を、今度は想像します。子供の頃、この川はまだ上流で早く流れていましたが、今は、やがて海に注ぐかのように流れて、人と時とが一体となっているかのようです。無数の星を散りばめた、天の川に似て。
亀住町30番地は昭和初期の陽岳寺の番地でした。その後、戦後ですけれど、いっとき、冬木町二丁目を名乗っていたそうです。その時の番地は冬木町二丁目一番地の一だったそうです。

陽岳寺が亀住町の頃、明治小学校より北側は、万年町(まんねんちょう)と聞きました。
『鶴は千年、亀は万年』と、亀の町会だったのだと、なかなか洒落て名前を付けたものだと、感心したものです。
明治期前から、この町会名前だったことから、この辺り一帯に、何か亀伝説でもありはしないかと探してみたけれど、歴史は途絶えて、何も伝わっていません。でも、何処かで、不思議な亀に出くわした子どもの話は聞かないか?亀の背中に乗って消えてしまった青年の話は聞かないか?いつの日か、知らない白髪の年寄りがふっと現れたという話は聞かないか?何処か交差点の角とか、軒下の茂みの中にじっとすまして遠くを見ている亀に出くわした人はいないだろうか?たかだか人間の二千年の歴史に、何万年の亀伝説を語るなんて、その二千年の中の、数十年の私なんて、亀にとっては、くしゃみした時間かもしれない。

鳥は空を高く飛び、眼下の大きな視界を自分のものといたします。コウノトリの仕事は子を授けながらも、真に授けたものは幸福であり、それは授かった人間の意識でもあります。
子供を授かったことは千年の栄えであり、幸せなのです。また1000年は10の3乗だから、鳥にとっては、3次元の自由とも考えられます。10,000年は10の4乗だから、4次元を自由にすると言っていた人がいました。面白い発想です。

亀こそは、時空を越えて、幸福を運ぶ存在です。ただし、時空を越える幸福は、単なる幸だけではありません。浦島太郎の伝説はそのことを示します。亀こそ、ほんの一瞬が数年、数十年、数百年……の時の重みを担った動物ではないだろうか。ミヒャエルエンデの『もも』も、時間を自由に行き来した亀がいたからこそ、この作品が成り立つ条件でした。

他にも、亀の言い伝えはたくさんあります。千歳の亀は人と話すといい、その歳で毛が生え、五千歳の亀は神亀といい、一万歳の亀は霊亀という。そして、千歳の亀の甲羅を火であぶり臼でついて服用すれば、千年の寿命を持つと言うが、あやめれば何やらたたりがありそうな。小さな頃の記憶では、世界は大きな亀の上に乗っていたような記憶があります。
しかし、実際は地を這いつくばって生きているではないですか。しかも地面から数ミリ数センチの視界による俯瞰です。以前草亀を飼って居たとき、器から長く首を出して、外を見ていたことを思い浮かべます。視界を広げようとしていたのだろうか?
さて、亀が地を這いつくばって生きているそのことは、人もたいして変わるものではありません。

一年間に一週間、蜻蛉が成虫の姿をして世を謳歌します。その時、蜻蛉の何十倍何百倍と生きている人間に出くわしたし、人間に語ることが出来る蜻蛉がいたとして、蜻蛉の生まれる前の父や母、祖母や祖父の先祖について、語ってくれとせがまれたとき、人間の口から出る言葉に、糾問する蜻蛉にとって満足する答えは得られるだろうか。また、蜻蛉の未来を尋ねられたとき、一週間の命を話したとしたら、蜻蛉は、その一週間をどう思うだろうか。一週間の単位を知ってはいるものの、80年の単位を知らない人間にとって、その期間を這いつくばって勝手次第に生きていることすら知らないで生きている人間にとって、蜻蛉の命をかえりみて、語る人間はいないと思う。命ではないのだと思う。

そのたかだか何十年の人間の命を、グリム童話は面白く語っています。
「神様が世界を創り、生き物たちの寿命を考えた。ロバには30年の命を上げた。しかし、ロバは背中に重い荷物をのせての30年は辛すぎる、そこで神様は、18年引いて、12年としたそうです。犬にも、年老いて餌を食べるにも、歯がなくなって、ただヨダレを垂らして唸っているのはかわいそうと、12年引いて、18年としました。猿も道化となって30年は長すぎると、10年削って、20年としたのです。人間だけが、長生きがしたいというので、30年にロバの辛抱の18年、年老いて横たわる犬の12年、そして、最後は猿の10年を足し70歳としました」と、しかし、85歳を過ぎる寿命は、更に、15年を生き物から差し引くとすると、この生き物は何ものか。私の子供は、すぐに猫と答えた。子供の感性は直感的だ。

人が、天寿を全うすることは、誰でもが全うすることなのですが、長寿こそ、この上ない人にとって、この物語は、人が自分の寿命と思うところの寿命は、実は、ロバ、犬、猿、猫から足された時間なのだと教えます。それは、大切な命であることの喩えです。さらに、人は植物・動物の命を得て生きます。
母親父親が、自分の子の危険に、とっさに反応するように、かって、使命感に、責任感にどれだけの人たちが自らの命をなくしたかを考えてみると、今の時代、他人の命を物質であると思うところに、命がかえって軽んぜられていると、このグリム童話から教わっていいのではないかと思います。
先日、6月10日のことだが、101歳の長寿で亡くなられたお年寄りの女性の葬儀をしました。85歳にまだ15年も足すことになります。こんな年齢の方は、正直全く初めてのことであり、ご長男が80歳では、普通の一般的な家庭の葬儀とは、事情が違うことに気が付くと、ひょっとして、このことが、時空を越えた違いなのではないかと思ったのです。蜻蛉のごとき私と考えたとき、人にとっての時空を越えるということは、ほんの数十年、数年のことなのだと、全く身近にあって計り知れないこと、それこそが時空を越えて、異次元の世界なのではないかと、不思議に思いました。
そう言えば、この方のご主人の名前は亀吉だったことを思い出して、可笑しく思いました。その葬儀の中で私が思ったことです。

《耳が不自由になり、視力がなくなり、自分自身の姿形が見えなくなったときの手探りの状態とは、恐らく、自分自身の手や足、口、目までもがおぼつかない世界だと思います。百歳近くになって、年齢を数える意味はあるのだろうかと考えます。多分、百年という期間の止めどない時間も、刻一刻の時間であり、人と違う差はないものの、圧倒的に違うのか。今、感動しています。耳を澄ますこともなく、白濁した視界か或いは闇の世界で、流れる時間は、きっと、さまざまな風が体を吹き抜けていくかに似て、その風こそ、貴女を運ぶもののように、貴女は身を任せて、そして、風に吹かれた貴女は、「少し眠る時間ですよ」「お食事の時間ですよ」と揺り動かされて気づく、今の時間でした。そんなゆったりとした時間を過ごしていたのでしょう。ここ数年続いたと言います。それが本当の年老いて枯れるという幸福の姿のことなのでしょうが、多くの人は、そこまでいたりません。まったく想像のできない世界です。》 

長寿とは、時空を越えると言ったものの、亀の動きがゆっくりと見えるように、ゆっくりとした時間の流れの中の今を表現するものだと思ったのです。 赤ちゃんのぐっすりと眠る寝顔をみると、不思議と安らぐものです。考えてみると、赤ちゃんからお年寄りまでの直線を描いたとして、一般的に、人は年を取れば取るほど、睡眠時間が短くなり、朝早く目を覚ますようです。
そう言えば、早朝暗いうちに目が覚め、布団の中でラジオを聞いていると話していたのを覚えています。当たり前のことなのですが、子供にとって、未来は限りあるくらいにあり、その為、よく眠ることによって体力・知力等を蓄え備えます。すると、年を取るということは、未来が少なくなってゆくことになります。すると、時間を有意義に使おうと、自分の睡眠時間を減らして、少ない未来と一日の24時間を目一杯に使うかのようなのです。

その点では、長寿とは、一日の時間を目一杯使おうとする人間の姿とも言えるのではないでしょうか。しかし、病にぐっすりと眠るお年寄りの姿を見ていると、不思議に、子供の姿を思い浮かべることがあります。すると、未来がたくさんあるように思えるのですが、しかし、よく考えてみると、子供帰りというのか、人の行為と時間とがぴったりと合わさって蕩々と過ぎてゆく大きな川を想像します。子供の頃、この川はまだ上流で早く流れていましたが、今は、やがて海に注ぐかのように流れて、人と時とが一体となっているかのようです。


モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)

モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)

 外資系生命保険のテレビコマーシャルは、「知らなかった!と、ここまで保証してくれたとは!知らなかった、比べてみると、こんなに安かった!」と、流れる。
そう、やはり世界の中の、日本は辺境なのなのだろうか。情報の選択の、何が耳を、目をこらさなければ、聞こえない、見えないに、トップニュースが、ゴシップでは、”知らなかった”というより、”知るよしもないし”、”知るべき頭の働きもない”のが、私の普段でもあります。

経済が悪いといっても、塀の中で、好きな本と格闘する私にとっては、新聞か、お茶の時間にみるテレビしかニュースの取得は限られています。それでも次々とわき起こる事件は、入っては消えてゆくのみの、塀の外のことでしかないと思うことでもあります。もっとも、世界が繋がっているかぎりは、どんなことでも、”関係ない”ということはあり得ないと承知のことの、やはり、”あまり関係ない”ことの事件は、お茶の間のテレビの向こうの出来事なのです。

そうした事件の中で、この年の前半より、南アメリカのアルゼンチンに、何やら経済破綻の情報が流れました。このことは世界経済に信用不安を投げかけると、特にアメリカの経済に大きく打撃を与えると、アメリカは、IMFを動かしてもいた。日本での情報は、アルゼンチン、ペルー、ボリビア、チリ、コロンビアの情報は皆目流れてこないことから、日本に於ける失われた10年と同じほど、これらの国では、経済の破綻による貧困と、暴力と、麻薬とが蔓延していたなどとは知らなかったことでもあります。そういえば、ペルーの藤森前大統領のことなど、最近はちっともニュースにならないことを思い出しました。きっとペルーでは、忘れることのできないことであるのでしょう。どう問題なのかすら知らない私達に、こうしたことの背景を知らぬ私達の生活に、やがて根を張る問題が含んでいて、10年後、15年後変化して行く世界が在るのもかかわらず、今手を打てる問題に、”知らなかった”ということが、日本は多すぎるような気が致します。
ただ距離が遙か彼方にあると言うだけでなく、日本に近い国の貧困問題は、結局、日本にかかわってくるのだと、強く思います。

平成13年の暮れも押し迫った頃、井戸光子氏より、一冊の本を戴きました。
題名は『虹のゆくえ』で、著者はモンセ・ワトキンスであり、翻訳者は彼女でした。そして、大晦日、寺の用事も一段落して、ブックカバーの青い空に雲が目についた。中心に、白黒の客船の写真、”河内丸”だという。『夢のゆくえ』という空に、海の色を意識したのか、表紙には『19世紀末、太平洋を越えて、はるか中南米の地に渡った日本人たちがいた。百年後のいま、その子孫たちは、「黄金の国=ジパング」をめざして、還流してきた。在日15年、日本社会と文化に通暁した、スペイン人ジャーナリストが、一世紀に渡る移民の夢の「いま」を語るドキュメンタリー。』とあった。(モンセ・ワトキンスと井戸光子氏のことは、『モンセ・ワトキンスをごぞんじですか?』井戸光子氏著をご参照下さい)

この本は、今から、百年前、二ヶ月かけて多くの日本人が、河内丸という客船で、国が広いという南アメリカの貧しい国々え、夢を描いた移民のドキュメンタリーであり、100年後の二世三世日系人たちの、日本の失われた10年の空間えの還流問題に焦点を当てた優れた本です。奴隷制度が廃止された国の、外国人労働者の移民は、ひと財産を夢見るには、あまりにも背景が悪い。過酷と困難の中に、夢を託すことは想像を絶する100年でもあったに違いない。それが今も続いているからこそ、数千人の日系移民の子孫が、30万人となって還流して、この社会に根ざそうとしている。日系人と言われ、この国に生まれた彼等の子ども達は、もはや故国には帰れない。ではと、受け入れる環境を考えてみれば、お粗末なかぎりだ。そのお粗末な環境で育った子ども達も、この国の未来を背負う子ども達と考えると、一人一人何ができるのかと、やはり考えねばならないことです。

この問題を読んで、それにも増して、多くの中国、台湾、フィリピン、タイの人々の出稼ぎ海外移住問題は、いったい何十万人なのか、何百万人の問題となって、今あるのだと類推できる。皆、どこかに貧困問題があることから、日本に渡っては、経済問題、犯罪問題となり、コロニーを形成するにあたって二世問題が教育文化問題となる。
平成13年の暮れに報道された、青森県の住宅供給公社での多額横領事件で、5億円のペルー送金が問題になったのも、そう言えば、ペルー人女性だったのを思い出すしますが、何故青森なのだろうかと考えてみれば、地方都市と南アメリカの国々との関係も、根は南アメリカの貧困問題であり、日本の根は地方都市での働き手の日本人がたりないということです。この女性は、ペルーに広大な敷地に豪勢な家を建てていたではないか。
日本にとって、100年前の日本の貧困問題が、100年後の貧困問題になるとは、時間もグローバル化するような、私達の祖先の知らずに播いた種が、100年後に咲いた花をどう観賞するか、どう刈り入れるかが問われている。

 『夢のゆくえ』 モンセ・ワトキンス氏著 井戸光子氏訳 抜粋ノート
在日日系人の家庭では~
つまり親たちの場合には、最終的に日本に定住すると決めてはいても、心はいつも祖国を向いている。反対に子ども達は、祖国への思いは親より数段少ないか、全くない場合もあるし、国へ帰るということも考えていない。

 例えば、十年間日本で暮らしてきた親が突然、ペルーへ買えると言い出したとします。その子供は、おそらく親が日本に来たときの数倍の苦労をペルーですることになるでしょう。それは、なぜか?日本は閉鎖的な社会だといわれますが、見方をかえれば、誰とも関係を持たずに生きていける国なのだということです。ところが、ペルーではそうはいかない。家族や友達とのつながりを重要視する国だからです…。在日ペルー人はコミュニケーションのない日常生活に慣れてしまっています。例えばスパーでの買い物に言葉は不要でしょう?ポケットに金さえ入っていれば何でもできるわけです。

 日系人がいじめにあっているということを考えると、この問題は将来、深刻化する可能性がありますよ。
 子ども達にとっては、スペイン語で考えるよりも、日本語でものを考える方がよほど楽なのだということがよくわかる。

 一日中働いて夜遅くに疲れきって帰る親たち、したがって親の監視の目が届かない若者たち。このような日系人の若者の、日本人に対する態度に変化がうかがえると、警鐘を鳴らす声もある。 
 小さいころから学校で同級生から虐待されたため、日本人に恨みを抱いており、侮辱されることを許さないし、敵対関係をはらんだ社会にしようと意図的に行動しているように見える者もいる。
 また地方では、一家そろって生活する家族が増えてくると、「誰のものでもない」国で成長する青少年が増えてくる。これらの青少年は日本にも出身国にも適応しない。前述したように、社会から疎外された日系人青少年の犯罪組織が生まれてくるのではないかという懸念は、もはや遠い将来のことではない。気にとめようとする者がいないし、また遅くならないうちに手を打とうという者もいないが、それは私達の目の前で確実に生じつつあるのだ。
 1999年五月に発表された警察庁の報告書によると、1998年の犯罪調査では、検挙者の国籍のトップは中国、次いでベトナム、そして第3位にブラジルだった。外国人が引き起こした犯罪31,700件のうち、ブラジル人が摘発された事件は3,278件で、検挙者は536人にのぼった。この数字は前年の2倍である。
 日系人社会がだんだん大きくなるのを間近で見ている人たちは皆、彼らのあいだで精神障害とアルコール依存症が増えていると指摘する。
  ざっと問題を拾ってみても、日本人社会が彼らにしてきた残酷な仕打ちは目に余る。1991年以降、日本で生まれた子ども達は2万人に達していて、これに、親たちが呼び寄せた子ども達が加わると言う。問題は、時と共に、つぎの芽を吹くんで、現在も進行中なのだ。
 私は思うのだが、本来、仏教は、貧困とカースト制度という枠の中から、その枠を打破しようと生まれてきた。その仏教の中の大衆部と言われる優れた大乗仏教は、東方の国に移ったものの、肝心なときには作用していない。いじめや虐待、戦争を嫌い非戦非暴力を説き、他を受け入れるという仏教の優れた善さを、日本人がもう一度目を向けて欲しいと思う。
 
 ワトキンスの日本社会への提言を、願いを、聞いてみよう。
 『日本社会が望もうが望むまいが、いずれにしても、もはやグローバル化の波から日本が身を守るすべはない。資本の流れもモノの流れも、ますます自由になり、労働者が国境を越えて移動することもますます活発になるからだ。世界第二位の経済大国であり、輸出大国である日本は、他国に投資し、製品を全世界に輸出して、このグローバル化の原因をつくりだした国のひとつでもある。グローバル化の有益な部分だけは利用するが、自国にこの波が押し寄せると抵抗する、それは許されない。

 将来に向けては、日本側もラテンアメリカ側も、長い目で良い関係をつくりだすことが必要である。日本においては、国籍や居住権、入国管理や外国人登録など、数々の差別を改革し、公正な社会をつくるには、裁判や刑罰システムの整備とともに、医療サービスや年金制度も外国人に適用されるべきである。外国人労働者に対する理解と寛容、日系人労働者を尊重する態度が求められる。彼らに対してはまだ、恵まれなかった過去を思い出させる「貧乏人の同胞」という偏見がまかり通っているからだ。またラテンアメリカ側では、彼ら自身が抱えている問題をまず解決し、日本人との共生の道を探ることが必要だ。共生こそが、両者に利益をもたらす道である。』


新牌開眼

新牌開眼

 人が産まれて、名前を付す作業は、これからの人生に様々な意味を持ちます。このとき、誕生する前の名前はどうだったのだろうとは、人は考えもしません。ですが、人が亡くなった後の戒名という名前を付したあとはどうでしょうか。「この次に産まれてきたときは、私は、絶対、玉の輿になるのだ」と言った若い女の子がいました。「また、次の時代に、一緒になれればいいね」と言った、若い夫婦がいました。その時、自分は、死ななければ、そして、さ迷わなければ産まれてくるとは意識しない。

 生前のうかがい知れない名前を前にして、生まれた後の名前に慣れ親しみ、そして、亡くなった後の名前から、その次の名前は、誰かに託すいがいにないことを気づくのです。この連続の中に、人は命を繋いでいると考えることが出来れば、人は、願いや祈りの中に、旅立った者と送った者の、安らぎを見つけることができます。
 このことに気づけば、この連続の中に、人は命を繋いでいると考えることが出来ます。
 人はいったい幾つの名前を持って生まれてくるのだろうかとも思います。

 人は、多くの名前を刻まれて、刻まれて誕生してくるのではと、そして死んで逝くのではと、このことは、名前とは、人が命を繋いでいることの意識そのものかも知れないと、この作業の務めを知り、やたらな名前を付すことはできないものだと気づきます。
 名前や法名は、それこそ長い時間の中の、ほんの一時の名前です。それ故にこそ、かけがえのない名前や法名でもあります。
 人が亡くなって、自然に帰るも、仏や神になるも、一時のモノではないでしょうか。この世界が続くかぎり、授かった命は、やがて去ってゆく。そうわかってはいるからこそ、せめて一時、変わらぬものの名前を通しての命を、大切なモノとして、慈しんで惜しむからこそ、名前があるのだと考えています。
 私たちは、もし生まれ変わったら……と、亡くなって父や母の元へと、また幼くして亡くなった者が集う処にと、祖先の集い憩う処にと、神の御許にと、生前に言うのですが、この世界が生き生きとして続くかぎり、すべてはいっときの中から発する人の願いや希望のような気がいたします。だからこそ、この活き活きとして続く世界に、変化する名前が在ることが、とても新鮮にして、嬉しいことなのだと思うのです。

 また、名前や戒名・法号とか洗礼名は、その世界や教義のあり方を模索することでもあるのでしょう。そして、名前を付すことを、人がおこなっているかぎりは、付す人の世界観やモノの見方となり、時代を表現することです。そして、そのことが同時に、この世界をどう生きて行くかとなり、掟や規範、戒律に発展することとなります。名前や法号・戒名を授かるとは、戒律、逝き方の規範を持つことでもあるのです。
仏教の戒律は、キリスト教やイスラムより絶対のものではありません。人が社会の仲で暮らすことのうちの、一つ一つの疑問に、真摯に釈尊が当時の社会情勢に鑑みて応えたものです。

 その戒律を、考えてみて思うことは、嘘をついてはいけない、盗んではいけない、人を傷つけてはいけないとありますが、一つに集約すれば、『自分に対して、いつも素直であり続けたい』と言うことが、他の律を網羅しているのではないかと思うようになりました。
 人が社会で、理解できないことを理解しようと学ぶことも、行為も、そのことによって、社会・法則・ことわりの道を模索することとすれば、今、生きている場所や生きる方向を考える糧です。そこで、いつも自分に対して正直であり続けたいと思うことは、人の本心ではないでしょうか。
 ですが、そうは思っても、現実はそのとおりには行かないものです。でも、「いつも正直であり続けたい」と、このことに関してなら、自分や他者に対して、優しく、厳しくと、人は告白や慚愧の思いを、涙を流して、悔い改めることができるはずだと思いました。
そして、この『いつも正直であり続けたいとする自分』というものをどうとらえ考えたらよいのかということ、ここにこそ禅宗の真価があるのだと、私は考えます。

 こころは保(たも)ちがたく、かるくたちさわぎ、意(おもい)のままに、従いゆくなり。
このこころを、ととのうるは善(よ)し。
かくととのえられし心は、たのしみをぞもたらす。

底深き淵の、澄みて、静かなるごとく、心あるものは、道をききて、こころ、安泰(やすらか)なり。

 かって、抑鬱症の自殺願望を持った女性の、自殺しなかった理由を、人から聞いたことがありました。
「このわたしが死んでも、わたしの名前は消えません。名前が消えない以上、わたしの存在はなくなりません。それでは無理をして自殺する意味がありませんから。」の言葉でした。このとき強く、深く名前というものを意識致しました。この女性が、自身の存在の末梢を退ける理由として、名前を考えたことは、そして洞察したことに、驚いたのです。
 わたし達自身は、普段、名前や他者の中のわたしと名前のつながりなど考えもしないことです。もし名前がなかったら、まわりのものから区別され、独立することを失ってしまいます。また、人の名前だけでなく、わたしの祖父や父、祖母や母という名称からくる、息子や娘、孫や甥・姪、友達という名前が無かったとしたら、関係そのものを失うことを意味し、現実が混乱し、生活の結び付きを無くすことに等しいことでしょう。
 これは、存在するもの、存在したものの根拠を失うことに等しくなります。現実に、わたし達は、名前が付されたときから、世界に向き合う者は、名前ではなくわたし自身なのですが、他者から見た名前のわたしを、世界は区別するようです。二重構造みたいです。
 名前は消えない。自分がいなくなったとしても、それで、すべてが消せるものではありません。わたしが生きるとは、縁起構造(関係)によって生きるのであり、わたしがいなくなったとしても、わたしの縁を及ぼした他者からの縁は、消えるどころか、生き続けるからです。この縁が変化して生きつづけるとするなら、わたしの最後まで、その縁を、育てて見届けることこそ、必要なことです。わたしの存在は、抹消できるかも知れませんが、わたしというものが、縁により、綾になって広がっているかぎり、わたしの心は、その綾であり、綾が抹消されなければ、わたしの名前が取り残される限りは、この世界に生きつづけるともいえるでしょう
 わたしの経験も、わたしの過去も、わたしの未来も、わたしも、すべては、綾の中の縁とも言え、すべては汝=他者の関係において世界は成り立っています。西田幾多郎によれば、わたしを対照的に限定するものは、一般的自己でもなければ、自然でもなく、それは『歴史という如きもの』でなければならないと言います。
 陽岳寺の法事回向の文面の言葉です。
 『それゆえに、世界はつねにわたし自身と一緒にあるならば、一粒の砂も、一輪の花も、わたしも、世界全体を背景にもたなければ、存在しなくなることに気がつきます。そして、一粒の砂も、一輪の花も、わたしも、今ここにあることは、その背景の、家や道路、学校やあらゆる生活の中の古びたモノも、かけがえのないものとして、じぶん自身に意味を与える歴史であり、それは、世界にたった一人のわたしが、常にわたしであることを現してくれているモノでもあるのです。また同時に、このことは、その背景の意味や思いを変えてみれば、尽きない豊かさを含んで、人は、実りある途中に有るともいえるのです。人の尊厳とはこのことを言うのではないかと、だからこそ、何人も、この尊厳を傷つけることをしてはいけないことなのです。』
 今の自分の置かれた現状に、苦しみ、悩み、現状をわたし自身の考えや見方で変えられず、次の世には、変わって生まれ変わりたいと思うことがあります。「今度、生まれ変わったら、玉の輿に乗るんだ」と言った19歳の若い女の子の位牌を前にして、「きっと、そうなるよ」と、願い、祈り続ける意外に選択肢はありません。わたしとは、他性により、構成されるものとするなら、苦しみ悩みも他性によりもたらされます。この子の心に、結果として、手を貸せずに残された遺族にとって、それでは、この子が生まれ変わるまで、どこまで、どう拘わればよいのか。そして、生まれ変わったことを確認することができないならば、どうすればよいのでしょうか。

 白隠禅師は、坐禅和讃の中で、「当所すなわち蓮華国、この身すなわち仏なり」と結びます。今ここに生きるわたしが暮らすここが、蓮華国という浄土や極楽であれば、わたしたちが次の世に産まれる次の世は、当所という、今この場所のはずです。わたしの身体が、この世界から抹消され、わたしの死後、新に、新しい名前が、戒名として祀られます。そして、この世を生きてきた、残された者の過去の証として、それは、過去を引き継がない未来を開ける、生活の中の、特別な場所に移されます。この特別な場所は、願いや祈り、感謝や歓喜、畏敬や尊さの場所であると同時に、未来への扉でもあると考えることができます。この場所によって、繋がっていると 。
 そのわたしの存在が、再び、三度と誕生したとき、その時々のわたしの生は、その時々のご両親に託す意外に方法はありません。こう気づいたとき、わたしそのものも、その時々の両親となり、授かった託された命を、精一杯育むことが必要なのだと気がつきます。ここに、届かぬ願い・祈りが、聞こえぬ願い・祈りを聴くことの立場が、どう拘わればよいのか、どうすればよいのかの扉が、現れます。

 戒名は、自分がいなくなった世に、次の世を予感させるものでもあるのでしょう。それは、生まれ変わることを意識してという意味だからでもあります。そんな、連続する関係の中に生きるわたしたちの、生活の中で、位牌や、墓石を拝む意味は、届かない願いを繰り返すことの連続のうちにあります。仏壇のなかに、いくつもの位牌が立ち並ぶとするなら、それは、いくつもの名前を持ち、産まれて来て、死んで行くという、道の交差点です。そして、その届かない願いを、聴かなければならない存在であると確信したとき、感謝や歓喜、畏敬や尊さとなって、祈り願うわたしの心が充たされるのではないかと思うのです。届かない願いを繰り返すことのうちに、聞こえない願いを聞くこと、このことが、わたし達の行為に現れるとするなら、それは、わたし以外の、今を生きるものを、良く育み、保つという無心の行為の中に厳然として現れていると考えられます。
 わたし達の、産まれれば、縁が、広がり、死ねば、また縁が広がる、こう考えてみれば、仏壇の中の、祀られた位牌の奥、お寺の領域、そこは、象徴としての、わたしたちの未来への開かれた扉です。人間の自由な発想が、届かない願いに束縛されない、自由な未来を生みだすと言えるからです。
 「もう一度生まれてくるかいがないほどに、一回でわたしがそれほど多くをなせるというのか」と、エンデが言う言葉には、千金の値があります。
 19歳の自死した遺骨と戒名を前にして、何度でも、生まれ変わって、おもうがままに、生きつづけること、ただただ、願い祈るばかりです。


英霊(平成17年5月23日)

英霊(えいれい)(平成17年5月23日)

 古事記を読めば、神々の誕生と死の躍動感に踊らされるでしょう。これらは昔の話しではなく、その延長の今も、神々は神様は誕生しているともいえるのではないかと……ふと思います。

 神様が、今でも誕生するなんて、おかしな話しだと思うかも知れませんが、これは本当の話なのです。今もどんどん誕生しているなら、きっと、忘れられてしまったり、死んでしまったり、どこかに消えてしまった神様も、きっと、いるに違いありません。まるで、人間みたいにです。

 神々の神話は、人の尽くせぬ思いが、やがて死霊・生き霊となり、人々に恐れられ、神として祀(まつ)りあげることで始まりました。人は神様のたたりを恐れ、封印し、祀(まつ)ることで、たたりを鎮(しず)めることをしたのです。神社のこんもりとした森、これは、鎮守(ちんじゅ)の森ですが、その領域は、封印された神々が眠る場所です。

 しかし、考えてみれば、こうして鎮守の森に祀られる神様は、ずいぶんと恵まれている神様かも知れません。反面、逆に考えれば、縛られ、押さえつけられた悲しい神様となるのかもしれません。

 いかに人間が悪さや悪戯(いたずら)をするといっても、年齢を加えて行けば、反省もし、人に良いことをしようとするものです。考えてみれば、祀られた神様は、年齢を加えても一向に止まらない悪さや悪戯の持ち主とも言えます。

 祀ることで、鎮めることでしか、平和が訪れることがなければ、祭礼は天変地異への恐れや、戦火や暴挙に被災することの無事への祈りとなります。「何もなければ良いのだが」と、だからこそ、祭りの字の示偏は、月(肉片)という供え物を、手で捧げて、足で出かけて、お供えする人の姿なのだと思うのです。

 多くの怨霊(おんれい)は、祀られないでいることが多いことでしょう。取り返しのつかない出来事に、すまないと、謝る気持が起きずに、よこしまな心が芽生えたり、人を強く、うらやんだり、ねたんだりするそんな人間は、悪霊(あくれい)や怨霊として、しばしば、いたずらや悪さをすると言ってもよいのでしょう。

 これは、人間の思いや願いが、死んでからも、わたし達の世界に留まるという意味からです。この留まるという思いは、わたし達が気づかずに、自然と口からでる言葉に現れたりします。それは、わたし達の世界が、私たちの心の世界を含んでいることによってなおさらです。これは、わたし達のことを人間というように、人と人との間というように、人が支え合っていると書くように、世界とは、人の意志や感情の交差する世界だからです。人の意志や感情の行為のうえに出来上がったもの、それが世界だからです。

 神様はどこにも宿ることが出来るといったら、不思議な気がするでしょう。神社やお寺で引いたおみくじを、木々の枝にゆわくのも、誰もが同じことをしているからではなく、先人の知恵から引き継いだ、そこに神々が取り付くという意味です。

 神主さんが、白い御幣(ごへい)でお祓(はら)いをするのも、その御幣に神様をくっつけることです。だからこそ、その御幣を祀ったりするのです。神様に、側にいて見守ってほしいからです。

 この時の神様は、もちろん、良い神様です。良い神様は何処にでもいます。祀る必要のない神様といってもよいでしょうか。その良い神様は、井戸、水道、屋根や梁、柱、床の間、玄関や裏口、門、道や道路の角、境界の四隅や、河や海、沼や池、田畑や山という自然、人が住む里のあちこちの東西南北、それに地、火、水、風に適した場所の、あらゆる所にいます。お箸や、食器、椅子や机、鉛筆や筆、紙やお人形、お裁縫の針や料理の包丁、そして、食べ物まで、神様や仏様はどこにもいるのです。

 これらは、安全と恐れから、感謝に願い、また、物や食べ物を大切なものであることを、粗末にしてはいけないことですと、昔の人が伝えて残そうとしたものかも知れませんし、現実にそうして拝んできたことなのでしょう。

 また、家や地域の出入口にいる神様は、わたし達の生活を見守り、外からの侵入者を防ぐ役割を果たしています。不思議なことは、この神様達は、けっして神社や祠などに閉じ込めて置くべき神様ではないことです、現実のわたし達の生活に密接にかかわっているからです。密接にかかわっているからこそ、忘れるのではなく、くり返し語らなければなりません。

 こうして神様というと、わたし達の願いや祈りを聞き届けてくれと思うかも知れませんが、実のところは、神様や仏様にもいろんな神様や仏様が居て、聞く耳は持っているのですが、聞き届けてくれるかはわからないのです。神様によっては、その願いを自分のために利用する怖い神様もいるのです。

 鎮守の森を持つ、ただ鎮まっていてくれればよいという神様、鎮まっていてくれるからこそ、わたし達に平安が届けられるのです。平安でいれば、感謝すること必要なことです。その神様も、元は、頭が良くて、綺麗だったり、荒くれ者だったり、何か一つのことにたけていたり、女性であったりと千差万別です。

 その千差万別を一つにした神様、それを、英霊というのだと思います。祀られてしまった良い神様のような気がします。本来、この英霊達の一人一人は、わたし達のすぐ近くにいたはずですし、すぐ近くで、わたし達の行く末を見守ってくれる神様や仏様なはずです。

 わたし達のすぐ近くの彼方に散っていった、わたし達と血が繋がる人たちの思いだからです。わたし達の家族という絆で結ばれた英霊の、一つにできない思いを、英霊という無名の呼び名で、一つにまとめ上げた集団としての神様です。

 この神様は、英雄を強いられたかわいそうな神様ともいえます。鎮めればよいのか、しかし、考えてみると鎮める以前にたたりを起こさない、心がけない神様でもあります。

 それを、慰めればよいのか、それならば、その前に先の大戦は大きな過ちであったと、この責任を追求することこそ、この英霊にたいして名誉を回復させことなのでしょう。敗戦と言わずに、今も、終戦と言い続け、うそで固めた仕打ちは、この英霊に対して最も失礼なことではないかと思うのです。慰めなければならない神様なんて聞いたことがありません。

 この意味から、縛られ方が違って、いまだに、英霊として祀りあげることで、浮かばれない神様として見ると、どうも、鎮める相手は国家という意思のような気がいたします。

 英霊は、明治維新7,751柱、西南戦争6,971柱、日清戦争13,619柱、台湾征討1,130柱、北清事変1,256柱、日露戦争88,429柱、第一次世界大戦4,850柱、済南事変185柱、満洲事変17,176柱、支那事変191,243柱、大東亜戦争2,133,885柱となり、合計2,466,495柱です。今も減ることはなく、増え続けています。また本当に理由が分からないのですが、巻き添えになった多くの満州や沖縄などの一般人とは隔離されています。しかも散らした命の尊さも含めれば、尊い命に、どれだけの差があるのでしょうか?

 尊い命が散ったわけですが、散らした意思は、鎮められたのでしょうか?

 尊い命が散った異国で、その国の人々の子孫の気持ちは慰められたのでしょうか?

 この国の散った命に寄り添う家族や親族の思いは、鎮めることで慰められたのでしょうか?

 彼ら散っていた命に対して、誓いはないのでしょうか?

 その誓いは、なぜ不戦の誓いなのでしょうか、なぜ非戦の誓いなのでしょうか?

 争いの真相である人間の意志は、突き止められたのでしょうか?

 明治憲法下の国家物語と、現行憲法の国民物語に、一線は引かれているのでしょうか?

 過去現在未来、正しい戦争とはあったのでしょうか?あるのでしょうか?

 それでは、国を守ることとはどんな意味があるのでしょうか?

 ただ柱の数を、積み重ねることで、何を言おうとしているのでしょうか?

 生き残った兵士達が、幾年も口を閉ざして語れない戦闘体験は辛すぎます……。

 個人としての尊厳に対して意思を持たせない祀り方に、もうこれ以上祀らせないという、引き継がない確乎とした意志を持つことで、英霊は、祀られた意味が消えて、解き放たれると思うのです。それは家々に帰すということです。もともと、仏教やキリスト教でも、弔うことができるのです。

 英霊は、神々に祀られたが故に、今も、我々に、たたる神々とも言えます。祀られていることで、英霊だけは、今でも、大きく成長する意思を含むように見えてしかたありません。

 アジアには、古くから、我々の生活する何処にでも、善悪を問わず、多様な神々が混然とし生きています。これは、多様な文化を受け入れることのできる文化圏を意味します。このことを英霊という名で否定する意思は、危険な意思といわざるを得ません。

 人それぞれの尽くせぬ思いが、忘れられたら、鎮めることもできない怨霊、死霊、鬼神、幽鬼、幽魂となり、さ迷うこととなるでしょう。一つに祀らなければ、それぞれの家庭で、それぞれの見守る祖先の一人となったのにと、残念に思う8月の熱い季節が今年もめぐってきます。

 アジアには、古くから、我々の生活する何処にでも、善悪を問わず、多様な神々が混然とし生きています。これは、多様な文化を受け入れることのできる文化圏を意味します。このことを英霊という名で否定する意思は、危険な意思といわざるを得ません。

 人それぞれの尽くせぬ思いが、忘れられたら、鎮めることもできない怨霊、死霊、鬼神、幽鬼、幽魂となり、さ迷うこととなるでしょう。一つに祀らなければ、それぞれの家庭で、それぞれの見守る祖先の一人となったのにと残念に思います。



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