目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
奥付

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僧堂III

僧堂III

 まるで中村先生の世界ですね。
田舎の武士の侍が馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、家に 帰って帰宅して、仏の前の仏前で、腹を切って切腹し、お墓の墓地に埋められた。
天国と地獄の間で、そのときそのときを生きている。そやから慎ましく,けなげに生きる姿こそ我が姿なり
 山本文渓師からのメールです。
古くからの禅宗の葬儀のメインは、引導といって漢文の内容で、死者に対して、導師の見識を示します。漢詩という古則にのっとり、それは古来の禅の宣揚の如く思えてしかたがありません。また、それで本当によいのだろうかと危惧を抱きました。形式が先行し、そこに相応しい雰囲気が感じられないと思うのです。何よりも大切なことは、死者を悼むという気持ちが、漢文では理解できなくて、表現できない時代に突入してしまったという気がするのです。

葬儀に参列した人たちの前で、「貴方の生は、きっと満足した人生だったのでしょう。しかし振り返って見たとき、私の見識では、別の言葉があります。喝!」では、家族が偲んで送り出そうとするときの言葉として、容認できないこともあるでしょう。漢文ですから、参列者にはよく理解できませんのが幸いとしているとしか思えません。痴呆だろうと、身障者だろうと、子供だろうと、事故だろうと、病気だろうと、老衰だろうと、人の最後の儀式には、死者を、悼んで、称えて、送り出してあげたいと思います。生前の軌跡がどんなに惨めで、無残で、傷を負っていようが、その思いを導師がさらりと担って、送り出したいと思います。葬式を通して人の最後にかかわる者にとって、死者と家族のそれぞれの思いを巡らし、家族が死を受け入れていく機会に立ち会えることを、私は、誇りに思います。もちろん生前に、折に触れ、ふれ合えることができれば、それに越したことはありません。

”一番頼りにならない私を、頼りにせざるを得ないことこそ、宿命なような気がいたします”は、人が意識を持ってしまったがゆえの、心の分離こそ、思考せざるを得ない、人の姿です。人のあらゆる行為に、意味を見出すことによって、人は自らの位置をはかります。またそのこと故に、人は罠にはまることも多いでしょう。天国と地獄の間を、そのときそのときを生きている姿こそ、今現実に時を刻んでいる、私たちの姿のです。天国と地獄は、私たちの意識です。慎ましくけなげに生きる姿は、人の意識の外から眺める表現です。

動物の生態を考えてみると、生まれて、食べ物をあさって、排泄して、寝て、危険を避けて、子孫を残して、死んでいくというのが摂理といってよいのでしょう。人間も同じような形態を取るのですが、大きく違うのは、そこに意識が有ることです。意識が有るとは、すべての行為に”生きる”という彩りを添えることができることであり、精彩を欠くことでもあると思います。動物それ自体には、天国や地獄が考えられません。人の意識は様々なものを創造し、その創造したものは、いつしか独立して歩き始めます。在るか無いかではなく、ある世界の私に私に包まれた時、無い世界が出現いたします。人の意識が無くなったと時、そこには在るか無いかの世界は無くなり、逆にすべては在る世界が現成するのだろうと思います。しかしそうは言っても人は意識を持ち、物事や世界を、”考える私”と分離して捕らえることを宿命としております。

『衆生病むが故にわれ又病む』、『当処即ち蓮華国』、『此の身即ち仏なり』の、即は同時と理解できることから、その分離前の世界であり、『衆生本来仏なり』は、本来仏であるにもかかわらず、分離している衆生となるということです。病むという行為や蓮華国や仏を、自己の外の世界と置き換えてみると、分離する前の世界、考える私の姿が見えてこないだろうか?

『「今、ここ」を生きる』人間は本来無一物、未練やこだわり、欲望を捨てれば、コップを空にすればいろんなものが入ってくるように、心身の器に「今」がたくたくと入ってくる。この「今を」大切にする考えです。一日だけ生ければ十分だ。明日も明後日もと思うから、この世が面倒になってくる。(中略)

ただ、生きていることはアカとつきあうことだし、泥ともつきあわないと花も咲かない。そうも考えております。

 
この言葉は、有名な作家の言葉です。
私たちは何気なく、捨てるという言葉を使いますが、物を捨てるという行為は、捨てない物が在るとの対の言葉です。いらなくなった物を捨てる場合はよいのですが。
未練やこだわり、欲望をだけを捨てることが本当にできるだろうか、自我にとってよいことを選りすぐって捨てることが、本当に良く生きるということなのだろうか、本当にそういうことなのだろうか。捨てるということは、何かを残すということを含んでのことでのことであり、取捨得失の世界において、何も捨てていないのではないだろうか。

未練といいこだわりといい欲望というも、その捨てようとしている対象は、実は自分にとってと考えることが、かえって選択しているように思えるのです。言葉の抹消へのこだわりかも知れませんが、コップを空にすることの喩えは、自己を捨てるとの喩えです。

”「今」がたくたくと入ってくる”も、入ってこなかったら、自分の行為に疑問をもってしまうでしょう。選りすぐったものを捨てても、コップは空になっていません。人間本来無一物とは、違う喩えだと気が付きます。


”そして、明日も明後日もと思うから、この世が面倒になる”も、「今、ここ」のとらえ方が、今ここが、自分にとって都合がよければ、それでよいという、自分勝手な教条主義に陥っての、自己満足の世界に陥ってしまいます。自己満足とは、自分にとって不満足なものを退けての、満足であり、いつまでたってもその葛藤は尽きることなく、かえって自分が不満足の世界にいることに気が付くでしょう。
禅の世界に足を突っ込んでいたことがある人の言葉だとは、思えません。
熱心な仏教徒であり、南朝を指示した北畠親房の神皇正統記に、『時は流れて、流れないものである。私のあるところいつもが現在である。時は現在に於いていつもが始めであり、終わりである。転地の始めは今日をもって始めとする理あり』文があり、この自覚こそが核心だと思います。

”ただ、生きていることはアカとつきあうことだし、泥ともつきあわないと花も咲かない。そうも考えております”も、以前、泥華と書いて、蓮の花の意味を持つと、花屋さんのおじいちゃんが亡くなった戒名に使ったことがありますが、泥の中でなければ花を咲かすことができないという意味で、禅より言えば、泥は世界であり、花は自己ですから、世界の中の自己であり、多即一の成り立ちは、世界のありようであり、泥の中でしか生きようのない私は、生き生きと泥の中で生きる私の姿が花であるという意味を持ちます。アカと付き合う自分は、潔癖な私ではなく、アカまみれの私の自覚でなければならないのでしょう。分離ということは、葛藤でもあるのですが、それに気づかないものです。何故ならば、人にとって、自分とは、いつも自分以外を、その世界から離して見ていて、自分もその世界に生きているとの気づきが無いからなのではないでしょうか。

般若心経の、色即是空、空即是色、はこのことを気づいたことの、言葉です。
道元禅師の『峰の色谷のひびきもみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と』、良寛禅師の『おもしろや散るもみじ葉も咲く花もおのずからなる法のみすがた』も、このことを言うのでしょう。


恥じ

恥じ

 電話のベルが鳴る。いつもここから葬儀は始まります。
 たまに、「父や母が長く寝込んでいて、危篤の状態が続いているので、和尚さん、近いうちのことだと思うのですが、葬儀に来てくれますよね、予約といっては変なのですが、お願いしますね!」と、電話があることがある。
 そうして、本当に近いうちに知らせがあることもあるが、何年経っても、知らせが無いこともある。考えてみると、お寺に墓地を取得したときより、家族の安住の地を決めたときより、生まれたての子も、年寄も、すべて生前予約したということなのです。生まれるということは、死ぬことを含んで、生まれることであり、その為に、菩提寺があり、菩提寺の和尚は、生まれてこの生きている間、その子の安住の地が変わるまで、共に生きることが、双方に必要なことであると思うのです。共に生きるとは、連帯しているという意味です。

 最近のことですが、勇ましい、大阪の良識を見ました。日本もまんざら捨てたものではないと、思いました。それは、テレビでの年寄りのインタビューの事です。大阪府知事の民事裁判敗訴の報道に、「大阪の恥じです」と言う、マイクを向けた答えに、私は、最近耳にしなくなった言葉が、底流には残っているんだと思ったのです。インタビューの答えの若い人たちの答えは違いましたが、お年寄りには「恥じ」が残っているのを、耳に致しました。
 ここで、”恥じ”について書きたいと思いますが、”恥”の文化的、歴史的素養が私にはありませんので、私の勝手な解釈です。

 ”恥”というからには、”恥”を受け入れる共通な集団・社会があることが、前提になります。そして、その集団・社会に大阪にとって“恥”とは、共通のわきまえ論が、少なくとも、マイクに向かって言うお年寄りにはあるということが理解できるからです。つまりは、お年寄りには、集団・社会の常識が残っていると言えることは、確かです。

大阪府知事の問題が、集団・社会の恥じであるという事は、そのお年寄りにとっても、いまわしい恥なのですから。では何が恥なのでしょうか。裁判の結果が恥なのでしょうか。裁判は知事側の不戦の戦略が、結局裁判敗訴になり、その結果、世論を喚起して、知事の完全敗訴に終わったかのようです。戦わなかったのが恥か。結果として負けてしまったのが恥か。セクハラそのものが恥か。大阪を代表する知事そのもが恥か。その知事を選んでしまった大阪府民が恥か。アメリカのクリントン大統領にも、このような事件がありましたが、少なくとも合衆国国民のお年よりが、恥といっているのは聞いた事がありません。

 恥は、”弾(はじ)き出す”が語源とは思いませんが、大阪の集団・社会の長から、弾き出された事は確かな事です。ここで勘違いしては困る事は、社会・集団から、弾き出すではありません。その職務から弾き出された事なのです。では、その職務とセクハラはどう関わってくるのでしょうか。本来職務とセクハラは何のかかわりもないことなのですが、この事件ではかかわりを持って、扱われたようです。セクハラをするような府知事は、大雑把に言って、相応(ふさわ)しくないということでしょう。このことは、府知事の職務能力とは別な次元の問題です。つまりは、長の椅子に座る人格・資格・……が求められ、問われたということになります。当然、”恥”というお年寄りには、集団・社会にとって、自分を規制する”恥”が存在することになるのです。

 古来、恥と分は、切っても切れない間柄でしたが、最近は口にする人はいないようです。差別を助長するという見方や、折角の伸びる芽や楽しく過ごすことの芽を摘んでしまうとか、とにかくあまり良い印象の言葉ではないようだからです。
 ”分”とは、わきまえであるとか、さだめ、けじめ、わけ隔てる、つとめ、きまり、境遇と多種の意味がありますが、語源は一つのものあるいは、数あるものを分けるからきていることは間違いないでしょう。分をわきまえないから、恥じる。定めに従わないから、恥じる。けじめをつけないから、恥じる。つとめ、きまりに背くから恥じる。そして恥じる本人は、自分です。大阪の府知事の問題を、自分の問題として、恥じる行為は、府知事が大阪府民を代表する全体の一であり、恥じるお年寄りは、全体を構成する分ける一であるからです。これって、仏教の理論であり、しかも仏教を代表する、華厳の理論からくる事々無碍法界が、恥じると言わせたともいえます。少なくとも、お年寄りは全体を構成する、自分は一人だと、叫んでいるかのようでした。そして、そのお年寄自身も、所属する社会・集団を構成する一人として、分をわきまえて生きてきたと思うのです。さらに分をわきまえるとは、自分もその社会・集団に恥じないということであり、気が付こうが付くまいが、自分の行為はその社会・集団を逆に規制していることも事実です。
 ”恥じる”という言葉は、最近目にしなくなりましたが、目に付かないといって、社会が連帯していないという事ではないのです。

 そして、個性を大事にするとは、分を育てるという意味を持ちます。目立つという事も自己を主張する事も、分を育てるという意味を持つのですが、一人一人の分は、連帯している事は間違いのない事実です。今日の問題は、一人一人は、分を持っていることは明らかな事なのですが、その分を自覚しないことが大きな問題だと思います。地球レベル、国レベル、地域レベル、家族レベルの総てにおいて、人は連帯して生きているのです。恥じに代わる何かが必要な時代です。分を、ただ主義主張によって自覚できない障害が発生しているのです。ここに知らしむる、仏教の責任があると思います。

僧堂IV

僧堂IV

 世界の潮流は大きく変化している。この事に異議を唱える人は誰もいないであろう。あらゆる分野で変化している。
東京の下町深川でさえ、じわじわとその訪れが迫ってきていることを、感じます。

危機感を自覚して、小説が『知的な観察や見識によって不安を乗り越えようとする方向と、不安定な揺らぎにむしろ進んで共感しようとする方向(文芸評論家、清水良典氏)』とに進むことに大別する事ができるなら、ちっぽけな寺の住職である私にも、時代を探り、繋ぎ、次の時代に向かって、自分の言葉で、情報を発信しなければならないことがありそうです。この二つの流れの出所は、一緒のような気がいたします。つまりは位置、場所に変化が起きていることを察知した人は、賢明に知的に見識を掘り下げるか、流れの中に自己を投げ入れてともに揺らぐ方向に進むということだろう。
 小説が『この数年で、急激に規範性と連続性を失いつつある』という状況は、総ての日本の文化的資産(遺産)に共通のことと思われるのです。規範性と連続性こそ、私たちが、胡座をかいていたふかふかの座布団であり、ペシャンコになってしまえば、座布団も必要なくなり、ましてや椅子という文化に代わっていたことさえ気が付かないでは、椅子の文化創造を早急に、衣替えさせなければ、時代に生きることは出来ないのではないか。
規範性と連続性の崩壊は、次の規範性と連続性の始まりとすれば、一つの時代が終わったような、次の時代に猛スピードで走り抜けるかのようです。一つの時代とは、いつもこういう意味を持っていることなのでしょうが。

『もはや いかなる権威にも 倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい 』と、茨城のり子氏は詩集”倚りかからず”の中で言う。権威が規範性と連続性を含むものなら、権威と既成の価値観が崩壊したことになるということか。しかしふと気が付いてみると、このことは禅そのものであることに愕然とする。権威と既成の価値観の中にいる、私の目指すものは、禅の真実に含まれている。『もはや いかなる権威にも 倚りかかりたくはない ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい 』この詩の意味するところは、まさしく禅そのものではないかと気づきます。

最近目にする事の多い事柄は、社会や家族の病理という事です、滑らかな社会関係や家族関係が歪んでいるということなのでしょう。ちょっとした個人の記憶に触発する事柄によって、個人の奥深くのトラウマが触発され、突然激しく持ち上がる多重人格は、他との共存を強いる社会の、恐怖を物語ります。”切れ”るということも、触発された内面奥深くの記憶のなせることなのでしょう。切れるに巻き込まれた周辺の恐怖もさることながら、きっと本人にとっても、自覚されれば、後悔と慙愧に結びつきます。予防と切れるの本人の受け入れる環境は、ないように思えます。

また、最近のことですが、自動車に跳ねられ、身体の打撲骨折に脳挫傷で三日間意識不明におちいった人の、脳のリハビリの記憶を探す宛てのない日常は、内面奥深くの記憶のいかに大切なことをうかがわせる事件でした。
「私は誰!」と「今までの私が無い!」と、何をしっかりしなければわからない自分こそ、今いる自分の位置、場所がわからず、不安そのものの中で、もがく姿でもあります。今の自分の愚かさを叱咤し、懸命に自分を知悉している他人を探す旅に、人のもろさのやるせない情を抱きます。
仏教とは、一切の執着を否定することであり、その究極が良寛の『災難に遭うたら、災難に会うがよろしい』の言葉なのですが、このことを自覚するには、体験と洞察、それに時期が必要なようであり、気づく作業がともないます。やはり物質的なものに満たされた人からは、納得がいかないことであり、その満たされたものを捨てる覚悟を持つ人において出る言葉は、真に輝いた言葉なのです。

人は、誰でも、自分の存在を認めてくれることを求めています。そうでなくては、各種の地位はありえません。ピアニスト、社長さん、妻、夫、母親、父親とあらゆる呼び名を持つ地位とは、そういうものではないでしょうか。またそのことは、人は誰でも自分と違う他者を差別することを、自己のアイデンティティーの確立とだけ思いこむ、危ういものを含んでいることがいえると思います。
幼子の命を綿密に準備をして、何の躊躇うことのないまま、蟻塚を踏みにじる行為に似て、葬り去る母親の心は、ためらうと言う自分の位置を探る行為なしに、自己の確立だけを優先させた、それこそ今の社会に広がる病理の姿です。

自己の独立性を確立できない場に臨んで、人は人間嫌いに陥ったり、自分の存在と比べて慎ましく生きる路傍の草に愛おしさを重ねたり、弱者を排除するという相反する行動に出たりもします。これらは相対的な自分の社会での羅針盤の不具合によることが多いと思うのですが、それでも、そこに自分の位置を確認している作業、それこそ幼稚な心の働きなような気がいたします。自己の独立性の確認といい、アイデンティティーと言い、これこそ病理の源のような気が致します。
『災難に遭うたら、災難に会うがよろしい』は、自己の独立性の確認という作業を、木端無尽に粉砕することにおいて、普遍の独立性に気づくことだと思うのです。
下記による、老後の生き方を、もう一度再考したいと思います。

 『欲求や好奇心を大切にすることが、老化を防止することに役立つという。自発性や好奇心の衰えこそ、感情の老化の始まりという。それには普段から願望や欲求を抑えずに生きることが大切なことであり、楽しいことを自分にプレゼントするということと、いろいろな意味で装うことが大事であり、それはグルメ・麻雀・ブランドに凝る・エステサロン・ショッピング等、考えられるといいます。「年がいもなく」という言葉を退けて、老化を防ぐと言うより、前向きに人生を生きるということが必要なことであるという』

 人は成長し、いつしかその成長は老いと重なりと、以前、私は書きましたが、老化を防止することは、出来ない事実です。これは理屈になるかもしれませんが、老いと言う場合、私たちは若かった頃を、あるいは若い人の姿、言行を見て、自分の亡くしたものを回顧しつつ、今の自分と較べて享受できずに、不足するものを嘆き、あきらめます。
ほんの少しの老化の防止のためと考えて、普段から願望や欲求を抑えずに生きることが大切とは、常に満たされない自己の我を肥大増殖させるということであり、聞く耳を持たないことであり、いずれは破綻する事を含んでいると言えないでしょうか?

私の母は、この12月14日に、長期療養型の病院に入院して1年になります。姉や親戚が八王子に住んでいるとはいえ、山奥に近いところの病院に入院しているのです。深川から通えば、電車を使って3時間はかかりますし、車も中央高速は年がら年中渋滞です。せめて週に二度は母の顔を見に行きたいのですが、数えると一度しか行けません。
近い病院で療養してもらいたいのですが、今の看護より優れた看護は、おそらく東京都内ではないのではないかと絶対の確信をもっての判断のつもりです。私は週に一度、母の下に足を運びます。誰でも親の入院に、あたりまえと言えばあたりまえの事をしているだけなのですが、この頃は、「よく行きますね!」、「偉いわね!」と、私を見ている人が声をかけてくれます。ふと、私が気が付いたことは、母は一級の障害者で、半身不随になり、今や声も出ない身になりながらも、私自身を育ててくれているということです。

妻は留守番をしてくれることで、私を支えてくれ、近所の人は「ご苦労様」と、私を癒してくれます。母を寝たきりにさせないと選んだ病院は、それに答えて、北欧の車椅子に母を座らせ、一日一日と生を全うすることに献身な看護をしてくれます。ただ今を生きている姿は、全身で生きている姿でもあり、その姿を見るだけで、私にとっての過去の母の記憶は、すべて自分のためにあったのかと思うのです。そこには、願望や欲求という言葉はありません。

どんな親であり、振り返って気づく時、親とはあり難いものです。たとえ非道な親であっても、子が気づいたとき、非道は愛情へと、反転いたします。考えてみると、子に親があり、親には更に親があり、つまりは、総てが、今の私に注がれた愛情であると、気が付いたとき、そこには、感謝と慈しみが溢れるのではないかと思います。老いそのものを受け止める姿勢は、やがて、子どもたちへの指針ともなります。その人にとって年相応とは、実に飾らない言葉だと思います。
総ての人が、与えられた自分の命を、今、ここにおいて、全うしているのだという自覚が、欲求や好奇心を大切にするするという自我の肥大増殖を転換して、時を越えて、不変の命を手中にすることであると確信いたします。


返事

返事(平成12年10月28日のメールに対して)

 突然のメール失礼します。私は札幌学院大学4回生のMといいます。龍が動いて可愛らしく、内容も豊富で楽しく拝見させていただきました。「死・葬儀そしてその後・・・」に桜の写真が掲載されていたのを見て、正直、指が止まりました。高校時代写真部で写真が好きなのですが、このほんの小さな写真は心を切なくします。別れの象徴のような気がして、北海道の桜の花の咲ける時間はあまりに短いですから。
 今、私はターミナル・ケア、終末医療について研究をし卒業論文を書こうとしています。現在は緩和ケア病棟においてキリスト教圏から輸入された考え方の、ホスピスが主流です。そこで、終末期の患者に対して日本人にあった仏教的なケアを施そう、というビハーラ運動というものを知りました。現在はキリスト教主体の終末医療が主流で、厚生省認可の仏教主体の緩和ケア病棟は一つしかありません。私も、キリスト教的なホスピスよりも日本人には仏教的接触が有効なのでは思います。
勉強不足で申し訳ありませんが、臨済宗はビハーラ運動のような活動はあるのでしょうか。そしてビハーラ運動は一宗一派に片寄らない仏教超宗派の活動であることが基本姿勢となっています。臨済宗としてはこのことに対してどう考え、対応なさっているのでしょうか。

 ≪そう10年程前、私達仏教寺院の宗派を超えて、仏教情報センターという機関を作りました。テレフォン相談を主として活動いたしておりましたが、同時期に立ち上げた会に、癌患者家族語らいの集いがありました。この会は、後に情報センターから分裂し、片や、癌患者家族語らいの集い(築地本願寺東京ビハーラと共同の会)と仏教ホスピスの会「いのちを見つめる集い」(仏教情報センター)に分かれたものの、東京で、現在も活動している機関に違いありません。病院付属と言うことでもなく、設立当初の集いでは、確かに病院に出かけることはありました。
しかし、比重は、会場に患者さんや家族が集まり、識者の話を聞き、患者、家族、医師、看護婦、僧侶のグループミーテイングが中心でした。今も、両方の会員ですので、会報により知る所では、同じ形態です。

臨済宗としてはのご質問に、14派あり、それぞれに本山がありますので、残念ですが、私が答える立場ではありません。しかし、組織には属しておりますが、臨済宗の基本はそれぞれ一人一人の僧侶の資質です。資質と言いましても、レベルが高い低いのことではありません。このことの意味が、大きな運動に発展しないと言うことにも繋がっていると思うのですが、臨済宗として、ご指摘のような運動はないと思います。人々が求めていることに、答えを出そうとすることが出来ないことは、時代の流れに、流れることができないことで、もどかしさを感じますが、残念なことです。
さまざまな問題を抱えながらも、その問題に真正面から取り込むことのできないジレンマに、臨済宗の教団は、どこも悩んでいることと思います。
それ以上の答えは、禅文化研究所、各本山の教化研究所にお尋ねください。
新潟に、ビハーラの運動があり、木曽にも同じ動きがあることを、申し付け加えます。≫

そして活動の場が病棟中ということもあり、布教活動がおおっぴらにできない等の制限があるなかで臨済宗としてはそのような場合、どのような教義理念をもって患者に接していくのか、具体的教義理念はあるのでしょうか。

≪ 屁理屈に聞こえるかもしれませんが、臨済宗に布教ってあるのだろうかと、いつも戸惑って考えます。法を伝えることが、布教なら、もともと伝わってるものに、備わっているものに、目を覚ますこと、気付くことは、布教とは言わないでしょう。教義というと、大本の教えがあって、その教えを研鑚し追求すると言うことになると思うのですが、禅は、そのような教え的なものを削ぎ落とすことを、修行の第一といたしますので、どうも理念とか理想とかに合いません。”一人の人間として、あるがままに接すること”、これこそ具体的そのものに成り切ることと、今は申し上げます。≫

 また、ひろさちや氏は、成仏には生前からの修行が必要であり、これまでろくに信仰せず、今、まさに死にかけようとしている人には無駄である、という批判をしています。このことに臨済宗ならいかに応えるのか知りたく、メールをだしました。お手数ですが私のこの疑問にお応え願いましたら幸いです。教義についてほとんど無知なもので、無礼がありましたらどうぞお許しください。

≪ こうして書くことが、無礼なんて思わないことの、私の証拠です。
今、まさに死にかけていることこそ、生きている証です。生きていることは尊さです。その尊さは、かけがえのない命の表現です。そこに、喜ぶがあり、苦しさがあり、退屈があり、あがきがあり、満ち足りること、足りないことがあります。そして、それらは選択的に択一として選ぶのではないのです。
私も、至らないものですが、これでご容赦ください。不一≫

 質問に答えていただいたうえ、サイトで紹介までしていただき、本当にありがとうございます。仏教の各宗派によって何が違うかと本を色々と読みましたが、もう、それが多すぎたり根本では重複していたりと、心理学しか知らない大学生には早すぎたなと反省しています。あれから見逃していた全てのコンテンツを時間をかけて拝見させていただきました。死ほど生を考えさせてくれるものはないですね。まだ人生の浅い私はその表層しか理解できていないと思いますが。もしくは理解しているような気になり、そこにとどまって自分を満足させているだけなのか。
 素人ですが、仏教はこの時代だからこそ身を乗りべきなのではと思います。私もそうですが生きるうえでの指標や目的が即物的になり、それが当然のように世間では受け止められています。なにをなすべきなのか、勉強不足ですが、私も知識を増やし、卒論を書こうと思います。本当にありがとうございました。(平成12年11月3日返信M氏)

父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)

父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)

 昨年一年間の事件をみて、子殺し、親殺し、友だち殺し、自分殺しのいかにたくさんあったことか。もっとも人が生きるということ事態に、海を殺し、山や川を殺し、国を滅ぼし、地域や家族を殺していることが極端に言えば含まれているのかも知れません。人はそれに気づいているにも拘わらず、時間に流されて、振り返ったとき何もできないということに気づきます。そんな日常に生きているからこそ、願い・希望・祈りが誕生するのでしょうか。人が追い求めた理想の世界とは、殺し終わったあとに出現する絶え間ない世界だったとしたらゾッと致します。
 その絶え間ない世界は、苦となって果てしなく続くことです。これを業(ごう)と呼びます。
 人間として生まれた限りは、社会に対して責任が発生いたします。その責任の放棄の果てが業となると考えてみました。もっとも普通の人の日常は、そんなこと考えもしないことです。しかし、ほとんどの事件が、その日常普通の人が起こすように思えます。
 そんな責任有る存在としての自己に、真っ向う立ち向かった臨済宗の祖師に、臨済義玄(りんざいぎげん)がいます。彼は、五無間(ごむげん)の業を作ってこそ、悟ることができると物騒なことを書きました。

『大徳、五無間(ごむげん)の業を作って、方(はじ)めて解脱(げだつ)を得(う)。問う、如何なるか是れ五無間の業。
 師云く、父を殺し母を害し、仏身血(けつ)を出だし、和合僧(わごうそう)を破し、経像を焚焼(ふんしょう)する等、これは是れ、五無間の業なり。
 云く、如何なるか是れ父。師云く、無明(むみょう)是れ父。汝が一念心、起滅(きめつ)の処(ところ)を求むるに得ず。響(ひび)きの空に応ずるが如く、随処(ずいしょ)に無事なるを、名づけて父を殺すと為す。
 云く、如何なるか是れ母。師云く、貪愛(とんあい)を母と為す。汝が一念心、欲界の中に入って、其の貪愛を求むるに、唯だ諸法の空相なるを見て、処々無著(むじゃく)なるを、名づけて母を害すと為す。
 云く、如何なるか是れ仏身血を出だす。師云く、汝清浄法界の中に向(おいて、一念心の解(げ)を生ずること無く、便ち処々暗黒なる。是れ仏身血を出だす。
 云く、如何なるか是れ和合僧を破す。師云く、汝が一念心、正に煩悩結使(ぼんのうけっし)の、空の所依(しょえ)無きが如くなるに達する、是れ和合僧を破す。
 云く、如何なるか是れ経像を焚焼す。師云く、因縁空、心空、法空を見て、一念決定(けつじょう)断じて、逈然(けいねん)として無事なる、便ち是れ経像を焚焼す。
 大徳、若し是(かく)の如く達得(たっとく)せば、他(か)の凡聖の名に礙(さ)えらるることを免(まぬが)れん。』

 この五無間のいわれは、仏説広博厳浄不退転輪経から創作し意味づけしたものですが、お経には、「五無間の満足成就は、害母・害父・壊僧・殺羅漢・出仏身血」と、記されています。
 先ずは、人にとってもっとも身近な存在である父や母を、こういう形で表現するということに、古人の姿や思いが見えないでしょうか。きっと身近なゆえに、父や母を殺すという表現が、大罪を犯すことに敢えて踏み込んで表現したのではないでしょうか。禅宗の殺しとは、このようでなければならないと臨済は説くのです。殺すなら自己の妄執に限る、殺した跡の自由さに気づけと……。またそこから父とは母とはの思いも伝わります。
 君たちのそのつどの思いは、どこから起こってどこに消えて行くということを考えてみたことがあるだろうか。まるで、連なる人の思いは、空に響くこだまのようなものだと思わないか。その限りなくこだまする連鎖する思いの起こりよう、無くなりよう、連なるさまを理解したなら、たとえ、そのつどの一念心が起こったとしても、無事平穏な状態にいられる自分になることを思わないか。父とは無事平穏な状態だ、それを父殺しというのだ。
 父の居場所とは、子供心に見たあこがれに近いものかも知れません。父がいて家族が守られているからでもあります。守られていれば、そこに父は居ない、私も居ないのかも知れません。

 次の母殺しとは、そのつどの思いが繋がって感覚的欲望の中に向かってゆくとき、欲望そのものの実体は、変化するものの仮の姿であると理解したなら、そのつどの思いを意識することが、母殺しといいいます。
 つまり、そのつどの思いに引きずられるなと言うことで、「美しい、可愛い、悲しい、寂しい、楽しい、欲しい」と、その出所を追い求めるなと、そのつどの思いの連鎖を断てと言うことでもあるのでしょう。
 子どもが母に抱かれるように、子どもを尽きない自己の思いと譬えてみると、その一つ一つの思いを母の胸にすくい取るとも考えられます。どんな人にとっても、母とはすべてを受け入れて包み、あやしてくれる存在なのだなと見えてきます。母殺しとは時間の分断とも考えることが出来ますが、この時間の分断は、途切れさすのではなく、安らかな時間に導くと考えられます。

 次の仏身から血を出すです。仏身とは、人間の本来性ですが、その本来性に血を出さすなと読み替えると、仏という何ものにもとらわれないない自身の本来性という思いをも描くなとなります。描くと、清浄法界という本来性が血を出すからです。これは父と母を殺したあと、人が求める習性は、次には、聖なるものとなりがちですが、臨済は、その聖なるものまで拒否いたします。ここら辺が、仏教の中道を行くという発想として、良く現れているところです。
 それではどうしたら良いかというと、雪峰義存(せっぽうぎそん)という禅師に参じ、厳格な持律で頭陀行を重んじた玄沙師備(げんしゃしび)禅師が答えます。
 ある日のこと、修行僧が、「何になったら生死に拘(とら)われなくなるか」と問いました。師備は、「漆桶(真っ黒けの漆桶)になりきれ」と答えました。これを仏身から血を出させるといいます。
 先の長い名前の経には、『方便を滅せずして如来の想を滅するのが出仏身血』と書かれています。如来の想とは、人が人格を磨こうとか、人間の品格とか、聖人君子に近づこうとか考えることは、却って垢にまみれることだと、人の一念の浮かぶ思いを、或いは価値とか意味するものを否定するのではなく、そのままに囚われることなく、そのままに過ごせとの意味です。
 禅宗の厳しさは、その意味あるものだ、価値あるものだと、その意味ある価値あるものを否定するのではなく、いかに意味があろうと、価値があろうと、その意味の中に価値の中に没入していくと、囚われになり自由を失うと主張するところです。漆桶とは混沌のまま、その行為に成りきることで、日々問われているものに行為として成りきる、それが、答えの同時存在と解釈します。

 最後に和合僧を壊すとは、そのつどの思いが、どこにいても、煩悩や執着は虚空のように足場がないことに気づくことです。和という字は、なごむ・やわらぐ意味もありますが、この場合の和は、隠すのではないかと思います。様々な性格、それこそ貪瞋痴を隠す、抑えることとしら、合うという字が、口に蓋(ふた)をする原義を考えたらピッタリのような気がいたします。
すると、お互いが干渉せずに水の流れるが如く、とどまることのない関係という意味になるでしょうか。僧はもともと複数を差します。考えてみれば、臨済は、煩悩や執着、貪瞋痴等々を僧と見立てたのでしょうか。こうした見識はとても柔軟性が豊かな証拠です。私など、臨済という人物の偉大さ、峻厳さを描きます。それは、あの臨済の一喝のせいなのですが、思いもよらない人間性発見でもあります。

 最後に、経像を焼いてしまうとは、因縁も本来空であり、心も法も、もともと空なのだと、人の本来性そのままに固く決するならば、事ある世界に、事無しでいることができるといえます。逈然の逈(けい)の字は、はるか・遠い・かなた・抜け出る意味がありますが、やはり超然としてという訳が好きです。これが経像を焼き捨てるということです。
 こうして五無間の業を殺すことに徹することができたなら、凡とは聖という名前に引っかかることはないであろうと、臨済は言います。
 釈尊の『諸行無常、諸法無我』に対して、我々は、だからこそ、超然(ちょうぜん)とすることを学ぶことが大事なのだと思います。
 ついでに臨済が話したあと、常にいう言葉は、「我が語に、とらわれるな!」です。


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