目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)

脳死そして臓器移植 …子供たちに光を!…(平成11年3月2日)

 1999年2月26日の夕刊から始まった高知赤十字病院の、一人のドナーカードを持った、44歳の女性の脳死が日本中をわかせた事件は、実に1968年の和田移植以来31年ぶりの、多臓器移植の夢を実現させた。関係機関は和田移植の二の足を踏まない鉄則のもと各機関が連携して、この歴史的な幕開けを演じた。

 日本の一人の女性の脳死が、しかも故人の善意の意思がそして女性の家族の理解と勇気が、これほどセンセーショナルに報道され、結果として6名の命を救ったことと、臓器提供を受けたそれぞれの患者がひとしくあらためて命の大切さを思い、感謝して冥福を祈ったのでした。

 私は一人の寺の和尚として、ひしひしといずれこの私も、私の関係する家族の葬儀を通して、このことにかかわる当事者の一人になることが、遅かれ早かれやってくると思うと、考えなければならないと思うのです。そして、人の死が二つあるという矛盾と、子供たちに、この究極の命の喜びを伝えられないというジレンマを悲しく思うのです。

 脳死は、心臓停止という死と人の尊厳を問う問題なのだろう。死は、心臓停止と脳死に分離された。心臓停止の死は、人工呼吸機によって延命され、脳死は、全脳死と脳幹死に分かれるらしいが、日本では全脳死を選択し、脳死者の臓器提供の意志確認と家族の同意をもって認めると言う、但し書き付きの二つの死が存在することになってしまった。

 人の尊厳を問題にすれば、人の死を、人為的な作用で加えてはならないことが鉄則でありはするが、脳死をもって、人の死とすることを確信することは、やはり自然死を是とする現状では、勇気を持たなければ言えないことだと思うのです。後世においてひるがえされるかもしれない判断を下すと言うことは、大義がなければ下すことは出来ません。

 生物は生物の死によって成り立っている現状があります。人も人に生まれて、生の時間のなか、意義を見出して、善意をもって歩む途中、自己の判断ではどうしようもできない、自分のいとしくも、借り物の肉体との決別の時を迎えた臨終の時に、自身の肉体の処置を、家族や医療従事者に遺言の執行として、依頼せざるを得ないのです。見届けることのできない理不尽さが在るかもしれません。信頼という言葉の意味を噛み締めながら考えても、最後には任せることしか選択はありません。

 医学では死を、機能停止と呼ぶのだろうか。私は死を、旅立ちと言い、家に帰ると言い、自然に輪廻すると言う。その上で浄土、天国と言い、仏や神と結びつける。自然は在るがままと言い、それを寿と言い、妙と言う。
 脳死において、刻々と変化する臨床と判定の時を追って繰り広げられる事実に、脳死患者の心臓を取り出す外科医のメスは、人の死を執行する立場(心臓停止の死における側より見れば)に、手術室は葬儀の場所に、外科医とコーディネーターが脳死者の意志を導くような気がするのです。

 せめて、僧侶がそばに控えて、家族に脳死者個人がいかに生きてきたか、そして呼吸が止まった時、脳の機能が止まった時が、人の終わりではないことを告げ、受け入れて貰えなければ、死者や家族の意思は次のステップに進まないと、私は思うのです。家族と共に、この事態と展開を見つめ、切り刻まれた遺体を鎮め、亡くなった人の尊厳をたたえ、家族の祈りを死者の魂へと送る勤めが葬儀という儀式の本位ならば、僧侶である私は、家族と共に見届けたい。

 脳死を人の死とするかの問題は、本来、人口呼吸機が作られたときに社会に問わなければならなかった。人工呼吸機は人の命の延命を願って作られたのではあるが、その時、人の命、生物の死、人の願いを、人は問わなかったのだろうか。確かに、心臓停止の人の死は、冷たくなって行く死に行く人の身体をそっと見守った時、臨終の決断は迫られない自然な死であると思う。そして大多数の人の死は、従来どおりの死であることに、間違いないことであると思う。人の死は、受け入れるまわりの一人一人によって違うし、一つとして同じ死はあり得ない。

 本来の死は、脳死も心停止も時間差はそれほどなかったのだが、人工呼吸機によって、その時間差が長時間にわたるようになってしまった。人は、その長時間の時間差を利用して、自己の命を支える臓器移植と言う究極の布施行を発見したことになる。そしてその布施行には、現時点で、家族の痛みをともなう。その痛みを喜びに昇華する立場を、僧侶はになっていると思う。
 「まだ生きているのに、マスコミはこんな騒ぎになるのか」と家族の動揺が、26日の夕刊に伝えられている。この言葉から、脳死の臨床判断と判定の食い違いによる報道の騒ぎが、脳死を日本で始めて受け入れるという、家族の作業の決断の苦渋がうかがえる。

 臓器を受け入れる立場は、考えてみれば辛く苦しい。受け入れた臓器は、はたして、受け入れた患者の体内で適合するだろうか、適合しなければ次の臓器移植か死を選ぶことになるのだろう。一生にわたって免疫攻撃を受ける。そのため、一生、免疫抑制剤の投薬と身体管理を受けなければならないという。外部から侵入した異物は、投薬と言うだまかしがなければ、他の臓器と一体となっての連携プレーが出来ないという。
 私だけがどうしてこのような身体をもってしまたのか、生きたい、死にたくない、人並みに最後をまっとうしたい。そのことが少しでも可能なら、実現できたらよいと思う。

 自分の死と対面して、暗い気持ちが少しでも好転したら、どんなに世の中を違った視点でとらえられるか、生きていることの意味をどんなにか肯定できるかと思うと、限りない意味をもつことになる。自然に臓器移植さえしたならば、内部の疾患を治せると、そんな時代が、すぐ近くに来ているのかもしれない。両親にしても、生まれた子供の治らぬ疾患が、善意の意志によって、子供の成長を見れるとしたなら、どんなにか救われることだろう。

 だが、現状は15歳以下の子は、その可能性が閉ざされている。命の尊厳に、年齢の差があってはならないはずなのだが、ドナーカードの臓器提供意志が採択されないらしい。幼い人の意志が確認できないのであれば、その意志が採択できるまで、家族が親がその子に代わって、意志を表示できないものだろうかと、考えてみる。が、そのことが社会に与える意味を、私は、はかり知ることができない。
 人が生きると言うことは、『生かされて、生きる』ということに違いがなく、自分が生かされて生きて、もはやこれまでと言う最後を迎えたとき、私の臓器が他人が使えるのであれば、私の意志として、脳死を死と認めて、求める人に提供しよう。 

追記 平成11年3月3日

 脳死患者から各病院へ臓器を搬送する報道をみて、臓器によって随分と時間差があることを知った。心臓と肺は短く、肝臓が、腎臓がそれに続く。脳の臓器移植は聞いたことがないのだが、考えてしまう。また、ふと思ったのは、実は脳にも死に至る時間があるということなのだろう。もし脳死が人の死と決まった場合、おそらく圧倒的に多いであろう、心臓停止や呼吸停止の病人の脳はどうなのだろうか。まだ生きていることになるのではないだろうか。

何やら大変なことに気がついたような気がする。確かに構造的に脳が破壊されたら、総ての機能は遅かれ早かれ停止してしまうだろう。それよりも、意識を生み出せなくなってしまうし、創造的活動も、感情の作用も、心の働きとしての作用がなされない。人格の創造的死と言えるわけだ。心臓はペースメーカーに代わることができるし、その内、技術の発達で総ての脳以外の器官は作られるのかもしれない。病院の緑色の心拍計の横一線のグラフに、付け加えて脳波計を置いたとしたら、心臓計の心臓停止の合図も、脳波計が元気にグラフをうっていれば未だ生きているということになる。
追記 平成11年3月4日
 人の死は、すべて個人的な死であると思う。部分的には脳死も心臓停止も細胞死も筋肉死もあるわけであるが、総てを含めて個人的死であると言いたい。死者に対面する人の感情は、それぞれ受け入れがたいものを持つ場合もあるし、共通する場合もある。場所や時間によっても違うのだろう。死体が冷たくなっても、まだ死んでいないと自分に叫ぶ場合もあるだろうし、どう対処していいか分からない場合もある。個人的な死である限り、死者に対面するそれぞれの人が、「死んだ。亡くなった。天に召された。土に還った」と、自分が納得する作業によって、それぞれの死を見つめるのだろう。

 友人がこんな話をしていた。
 「いや、昔、田舎の火葬場で、火葬うのため、重油に火をつけ、職員が裏のかまどの中をのぞこうとしたら、お棺の蓋が動いて、中からギャーと言う悲鳴が聞こえたと言う。職員はゾッとして、逃げ出したと言うんだ」
 「昔、まだ土葬だった頃の話で、火葬が行われない場合は葬儀が済んだら、墓地で穴を掘って座棺を埋葬したんだ。数週間して、遺族がフッと気になったらしい。気になりだすと、どうしてもて墓地を掘ってみなければと思ったんだ。墓を掘り返すなんてことは、出来るもんじゃない。だけど、掘ったんだね。棺桶の蓋の裏には、無数の引っかき傷があったんだって」

追記 平成11年3月12日

人の死は、それぞれに固有のものであることは言うまでもない。身内にとっての死は、二度と帰ってこない自覚の、死を容認するという作業があってはじめて成り立つことであり、そこには医療とは別個の死が存在する。二度と帰ってこないという確信が、医療の信頼のもと、脳死を受け入れる前提になることは間違いない。だが「そこに存在するだけでいい」と言う親族や家族の気持ちも否定することは決して出来るものではないことも確かだ。多くの檀家と接する私の鉄則に、「けっして檀家一人一人を評価してはならない」という守り事があるのだが、医療従事者も同じだと思う。このことは、それぞれの立場を、生きてきた過程を、心情を、考え方を、ただ受け入れると立場にあるということだ。

独り決めの生き方

独り決めの生き方

 平成11年9月19日の日本経済新聞に、文芸評論家秋山駿氏の、戦後に生きたわれわれの世代にとっての何かが変わりつつあるのかと、『遠去かる戦後の影』と題して、江藤淳氏へのエッセーが載っていた。

 『遠去かる戦後の影』の中には、”独り決めの生き方”が、示唆してある。
『「私は自分(子供がいなく、夫婦二人だけの家庭)になぞらえて推量する。これらの人達にとって、戦争・敗戦・戦後展開する新事実は、痛烈な、生の転換の時であった。彼等は決断した。
一個独立、一瞬目にした幻を追い、すべてを捨てて、前途も知らず、自分だけの新しい道を歩いて行くと、と。すべてを捨てて、のなかには、子供も入れば親族も入る、これは仕方がない。一瞬目にした幻とは、まるで蜃気楼のように浮かんだ文学のもっとも高い塔が、ここへ登っておいでよ、と手招きしたのである。……文学上でも人生上でも、同じ生の態度を貫こうとするとき、そこに生の原理が出現する。生の原理とは、いわば、自分独り決めに生きる、ということだ。妻に癌を告知しない、自殺する、すべて独り決めの行為である。……生きる、ということは、もう一人の人間とともに生きる、というのが人間生活の原則であって、もう一人の人間とは妻である。……江藤さんは独り決めに生きることに過ぎて、妻は妻で独り決めに生きるそこを覆ってしまった、それを謝罪しているのではないか、と感じたのである。……今日、核家族化の流れ、つまり親族から離れた、夫婦二人だけ……この夫婦に子供がなく、親族から切れていれば。

そもそも、一人の男と一人の女が手を結んで、夫婦というたった二人でこの地上に生きるのはなぜなのか、という、人間生活の根底の骨組、基本が露呈される。ただ、夫婦であるという、もっとも単純な人間の出会いの底に、どんな交流の声があるのか。江藤さんの、妻の死とともに味わう「生と死の時間」とは、人間が人間を思う、一つの源泉の声であったか。』と、結んでいた。

江藤淳氏の妻、慶子さんの葬儀での挨拶のとき、葬儀の司会者が、親族代表の挨拶を促した言葉を、彼が咎(とが)めた言葉は、「親族を代表してとは何事だ。後にも先にも慶子の身内は私一人だ」でした。この言葉から、秋山駿氏の鋭くも滋味ある文章が、始まる。

せんだて、突然に、ご主人を亡くされた婦人を、慰め元気づけようと話しをしていて、鬱的に閉じこもる彼女の口から、「庭の窓越しの木々を見て、真夏の昼の、強い光線が照りつけるのを見ると、とても外に出る気持ちはないのです。カーテンをして家に閉じこもっているのです。日が落ちてからなら、なんとか外に出れるのですけれど」と、彼女の、今の心境を聴いているうち、ふと、江藤淳氏の言葉が二重によみがえってきました。
江藤氏は、妻慶子さんの死後、「真夏のぎらぎらと照り注ぐ太陽に光る、庭の緑葉を見ると、辛く、とても外に出ることができる気分ではなかった」と、これに近い言葉を、NHKのクローズアップ現代で、話していたのを思い出したのです。

そして偶然思ったのは、「慶子の身内は、私一人だ」と叫んだ言葉は、心の同じ所から出た、同じ言葉ではないかということだったのです。
物言わぬ身となってしまった妻も、送ろうとする私も、一つだとしたら、どこに送ろうとしたのか。行き場のない自己の内に、共存するかのように、誰も踏み入れる事ができない、魂の叫びは、やがて自分を昇華することによって、「慶子の身内は、私一人だ」と叫んだ江藤氏の、慶子さんへの葬儀だったのだろうか。憶測ですが。二人の人間の、堅固に結ばれたの絆の深さ、脆さを、批評し論ずることはできませんが、ただ、じっと見つめることはできると思います。
そして、見つめて気付くことは、あのギラギラと照りつける、木々や緑の葉は、じつは江藤氏自身であり、また彼女自身の投影された病んだ姿であると気がつきました。すると、あの光線は、追い詰めるものの姿であると思うのです。照りつけるものも江藤氏自身であり、彼女自身であったと気がついたのです。

「妻は妻で独り決めに生きる、そこを覆ってしまった」という秋山駿氏の言葉の意味することを、考えてみれば、江藤氏の「慶子の身内は私だ」と叫ぶそのことこそ、私のある部分を亡くしたという、喪失感そのものと取ることが出来るのではないかと思います。私の一部となることになってしまった、慶子さんとは、また、彼女にとってのご主人とはと、考えたとき、突き詰めた、本当の独りになることは、秋山駿氏が言う「人間生活の根底の骨組、基本が露呈される」という言葉によって表現される以上に、波紋は広がるような気がいたします。そして「人間が人間を思う、一つの源泉の声であったか」と余韻のあるこの響きは、美しく、悲しく、やがては消えてゆくのでしょう。

ですが、これからますます、このようなケースは増えてゆくことは確かなように思われます。独りになってしまった、男と女の話しはここから始まるのです。秋山駿氏が言う「妻は妻で独り決めに生きる、そこを覆ってしまった」とは、どう考えたらよいのでしょうか。

人が、ぎらぎらと照りつける夏の光線になったり、照りつけられる木々や緑葉になったりすることの意味は、とても深い。そしてその意味から、木々や緑葉とそれを窓越しに見る人間は、どういう関係を保ち、どう距離を持ち、どう感情を交えるのかを考えることができるのではないかと、思えるのす。もっとも多くの人たちが、この問題を、何の問題もなく素通りしていることも事実でしょう。
これこそ人間の心と、世界・環境との有り方を示している事柄ではないかと思うからです。
この木々や緑葉は、亡き人と親しく住んだ窓越しに見るものでなければ、ならないのか。
旅先の窓では、駄目なのか。
遠くに在るものでは、いけないのか。
思い出す木々では、いけないのか。
枯れた木々や葉では、いけないのか。
夏を盛んに連想できる木々や葉でなくては、いけないのか。
夏の強い光線でなければ、いけないのか。
そのことを語る、今、そこに在る木々や緑葉こそ、ふさわしいことなのでしょう。何故ならば、そこに生活の思い出が隠されているからではないでしょうか。私が語るのではなく、実はそこに、今在る木々や緑葉が語るとしたら亡き人も共に見て生活した木々こそふさわしいのでしょうし、夏の強い光線は、強ければ強いほど自己を追い詰めるものになると思うのです。自己を悠鬱に落とし入れるそのものの記憶の扉が開くとは、そのことを言うのではないかと思うのです。

辛く耐えられない自分が、木々であり緑葉であり、光線は白日に晒し、思い出す働きをもち、そこを離れずに、窓越しにいることを欲する自己は、全体を意味するとしたら、つまり、木々や緑葉は記憶であり自分そのもので、光線は、その記憶の扉を開ける自己であるとしたら、未だその世界を飛びすことが出来ない自分は、それ全体と捉えてみると、独り決めに生きた男と、未だ独り決めに至らない女の、共に至った妙な共通点の一致は、何を意味しているのだろうか、とても不思議に感じます。

このひと時に、同時に垣間見る、生と死の時間の織成す、人間が人間を思う、一つの源泉の声を聴いて、我々はどう教訓に、どう取り入れて暮らしたらよいのか?

僧堂I

僧堂I

 平成11年11月6日、東京は有楽町、そごうデパートの七階にある、読売ホールで第37回”禅を聞く”講演会が、開催されました。本年は、東京にある臨済宗寺院により営まれています、臨済会の50周年に当たりまして、冒頭”禅寺の一日”と題しまして、修行の道場の《鳴り物》を披露できないものかと計画された、寸劇のような催し物でした。
実際に《鳴り物》を舞台に搬入し、雲水の寝起き、朝のお勤め、食事、坐禅、夜明け、警策、参禅、告報、托鉢と、それぞれの場面転換に、どう《鳴り物》が鳴り、《鳴り物》が、どう雲水を動かすのかと実演したのです。

道具は、小さな鐘から半鐘、大鐘(これだけは妙心寺の国宝、黄色の鐘をCDで用意)、喚鐘、雲板、法鼓(大太鼓のこと)、版木、柝、警策、鈴、本堂の荘厳用仏具、禅堂の単(畳一畳を連ねた、雲水の寝床兼坐禅場所)、食事の台という大道具をそろえ、朝のお経や、食事時のお経も、《鳴り物》ととらえて場内に響いた音は、おおいに、聴衆を魅了いたしました。一団で動く雲水の統制の取れた、無駄のない動きと、場面の転換の早さ、動きに合わせたスポットライトの点滅と強弱、暗闇に映る平林寺専門道場のスライド映写は、観客がどう捉え、何にどう魅了したのか興味を覚えましたが、終了の場内への托鉢で終わると、どよめきと拍手の喝采に、成功を確信いたしました。下記は、”禅寺の一日”の、冒頭のナレーションです。

 《冒頭ナレーション》
 私達が生きているということを考えました場合に、最低限3つの条件がございます。先ず第1は私です。自己を問う、その自己です。そしてその自己は、常に場所という限定をもって、立脚あるいは、束縛・限定されます。つまり2つ目は、場所であり、空間であります。そして3つ目は、今であり、時間であります。自己の存在が常に、何者かとかかわっていることからいえば、私という自分自身、そのもの、を問うことより、今の私を問い、場所の私を問い、存在を問うことになります。限定された自己そのものを問うことです。

 修業の道場は、この3つを大きなテーマとして、成り立っております。雲水は原則として、時計を持ちません。今を告げる時は、鳴り物という道具であり、自然の光と闇であります。多くの出版物による紹介で、修業道場の写真や内容を我々は知らされております。
 今回、少しではありますが、その内容にかかわって、雲水を突き動かし、静寂の道場に響く、時をテーマに、鳴り物を幾らかご紹介できればと、企画いたしました。それでは、これから臨済会有志一同によります、禅寺の一日をどうぞご覧下さい。

 僧堂のことを別名、「草の乱れずして生ずるを叢と曰い、木の乱れずして長ずるを林と曰う」という言葉より、修行僧を叢林に喩えます。
 広く鬱蒼とした道場に、修行僧が何十人いようと、閑散とした風景は、静寂をよく表現しています。静けさが、自然に近ければ近いほど、叢林の規則がよく保たれていると言えます。聞こえる音は、自然の風の音であり、その風による木々の揺らぎの音であり、時たま鳴く鳥達のささやく、鳴き声でしょう。しかし、注意深く耳を澄ませれば、静寂を破る音が、時たま木霊いたします。金属を打ち鳴らす音であり、板を鋭く叩く音であります。保たれた静寂を破り、乱す音は、また、かえってその静寂さを引き立たせることに、気がつくでしょう。
《最終のナレーション》
 いかがでしたでしょうか。厳格なる規矩・規則・法度を守るためには、時を告げる鳴り物が、重要なる意味をもちます。まして私語が禁じられている道場においては、すべてが鳴り物によって、雲水を整然と動かすことが、僧堂の、尚一層の体面を豊にすることが出来ることを、理解できましたでしょうか。
 禅寺の一日という題でしたが、本日皆様にお見せしたのは、僧堂の一日の朝の様子という、ごく一部です。私たちの毎日の生活の中で、見直さなければならないものがあるとすれば、少しでも、役に立てばと、敢えて上演いたしました。


 私達は、秘密のベールに覆われた中身が暴かれることに、とても好奇心が起こるものです。最近は聞きたくもない、見たくもない報道やドラマ、娯楽番組が多くありますが、暴く報道機関と、暴かれた内容に一喜一憂する読者の相関関係があります。真実をよりリアルに伝えることを暴くに、より興味を引き付けることを煽動・踊らすにすれば、メディアは、過激な事実を我々に押し付けて、我々に何を要求するのだろうかと、考えてしまうこともあります。

11月18日、午後4時、産経新聞の夕刊編集部の記者が、臨済会の行事担当者より紹介されて、この講演会の取材に来られました。この”禅寺の一日”は、各自が持場を、ただ忠実に遂行しただけのことですので、私達はプロの役者でもなく、司会でもなく、演出者でもないわけですから、そこに、意思はないわけです。
ただ僧堂の日常の現実を、切り取って再現しただけのことなのですが、上演となれば、何を訴え、聞かせたかったのか、記者としては、それが聞けなければ、記事になりえないのでしょう。帰り際、「向井さん、最後のナレーションの《私たちの毎日の生活の中で、見直さなければならないものがあるとすれば、少しでも、役に立てばと、敢えて上演いたしました。》の言葉に、何を伝えたかったのでしょうか」と聞かれました。私は困ったものの、咄嗟に答えてしまたのです。

「Hさん、ご覧になっていかがでしたか、20分弱の時間の中に、雲水の動きと連動して、鐘、太鼓、板、お経と多くの”鳴り物”がありましたが、やかましかったでしょうか?おそらく、皆さんそうだったと思うのですが、逆に静けさを感じたのではないでしょうか?」
考えてみると、修行僧は、禅堂の単の、畳一畳の上で、寝起きを含めて生活しています。そこには身の回りの限られた物のみを保持することが許されるだけの生活です。目的はただ一つ、仏道の成就であり、それは僧侶としての資質を養うことでもあり、智慧を育むともいえることです。その目的以外のものは、総てそぎ落とした、言ってみれば身一つの居ずまいとも言えます。
今、企業ではリストラという嵐が吹き荒れていますが、その究極の姿が、修道僧の姿ではないかと思うのです。そぎおとされた者は、真に輝いて美しいとも思います。

そして、道場は、一種の共産主義的な発想を持っていることが言えます。つまり托鉢は、その道場を支える人たちの、無垢の喜捨で成り立っています。集まった喜捨は、食事の原料や電気代等諸経費を差し引き、あまった資金は、それぞれの修行僧の、下着や限られた携行を許された品物に姿を換えます。このことは分かち合うということです。社会や家庭も含めて、今、最も羨望されている世界が、僧堂にはあるのです。無駄を極限まで、そぎおとした世界が。しかもその世界は、時代の波によって、リストラされた世界ではなく、人間の根本的な幸福と平安を求めるという理想に燃えての、沈黙の世界であり、しかも時代の嵐の中を何もなかったかのように、平然と時を刻んでいる世界でもあるのです。私達が、参考にするとすれば、そういう世界から出てきた音は、今の私達を洗礼する音でもあると思います。

記者のHさんは、こうも言いました。「向井さん、会社もそうですけれど、お寺も、今、環境が激変していると思いますが、どうなるのでしょうかね?」
普段、考えて、答えを出そうとしている問いではあるのですが、改まって、面と向かって言われると、答えようもない。答えられるとしたら、この変化する社会にとって、普遍に価値を持ち続けることが出来ていれば、また価値を発信していれば、何も恐れることはいらない。しかしながら普遍に価値を持ち続けるものはあるのだろうかと考えてみれば、答えとして、自らの中に、その価値を否定する意味を抱えてものこそ、真の価値を持つと言えるのだろう。

今、新聞を賑わす、国際社会の紛争と政治、経済の変化、科学の変化、価値観の変化、教育問題、老齢人口や少子化問題等あらゆる変化は、それらを支える個々の人々の、意識の変化という大きな川の流れのおこす、波頭のようなものであり、人々の変化は、個人の変化であり、それは、個性といい、我と言い、自己という、自我意識の変化であるような気がする。自己の確立、個性を競うといい、自分が自分らしくの潮流は、他人にも強要し、自我の領域を広げようと、行き着く果ては、企業の市場独占のように、弱者を切り捨て思想となって、蔓延するかのようです。排除された弱者の叫びは、社会の歪みとなって、喘いでいる。

その潮流に、個性を捨て、我を捨て、自己を無に帰す哲学・思想・宗教こそ、潮流の流れを変える力を持つのではないかと、そんな気がする。このことは、真の個性の確立、慈悲、慈愛の息吹であり、統括するのは、研ぎ澄まされた智慧ではないかと思うのです。


僧堂II

僧堂II

《その潮流に、個性を捨て、我を捨て、自己を無に帰す哲学・思想・宗教こそ、潮流の流れを変える力を持つのではないかと、そんな気がする。》

このことの意味を、とある人から質問されて、もう少し考えなければと思って、更に文章を付け足すことにしました。
 そして、その前に、まずは自己を問うことの意味を考えた時、疑問があります。その疑問とは、問う自己と問われる自己のどちらを指すのだろうかということなのです。
個性を持ち、我を持つ自己を考えてみた場合、すべては、対象化された自己であり、私の性格の弱さ、あるいは強さであり、私の良い面、悪い面であり、私の姿・形であり、私の行為あるいは、私のくせは、考えられる私であると思うのです。しかしながら本当に問題は、そのことを”考える私”がいるということなのです。つまり、その考えられる私は、"考える私"よりほとばしった私であり、"考える私"は、対象化できない自己であることに、気がつくのです。

自己を問うとは、あらゆる感情や行為の源となる、その自己のことです。真の個性とは、その個性となりようもないものであり、あえて真の個性と言いました。すべての人に平等に有り、うかがい知ることのできない、"うかがう自己"、それ自身を、慈悲、慈愛といい、それは行為でなく、人間の真の個性の当体を指し、そのことを知って、そこから芽吹く行為は、人を安らぐのです。そのことを次の文章で、表現いたしました。

《真の個性の確立、慈悲、慈愛の息吹であり、統括するのは、研ぎ澄まされた智慧ではないかと思うのです。》

"考える私"は、"問う私"でもあり、では、どんなものかを知ろうと探し当てたとき、探し当てた私は、対象的な私であり、さらに探す私があるわけであり、捕まえることのできない私は、それを智慧と呼べば、まさに智慧以外の何物でもないことを、うかがい知ることができるでしょう。そんな私の拠り所は、"考える私"という窺い知ることのできない私だとすれば、人間の意識のあり方は、厄介なことでもあり、面白いと思います。
一番頼りにならない私を、頼りにせざるを得ないことこそ、宿命なような気がいたします。そのことを知らないということは、迷いの元凶であり、感情の浮き沈みの中に人は一喜一憂し流されるのでしょう。しかしそれらがだめだと否定されれば、多くの人は生きる糧を失うことになります。今以上に迷いと感情の浮き沈みを受けます。”考える私”を知ってこそだと思います。

信念という言葉も、対象的に考えられるものならば、信念を貫くことに拠り所を持つ人は、かえって自分を不自由な所に押し込めることによって、また多様性や選択の範囲を狭めることによって、より良く生きることを、主張しているのだと思います。
老後の生き方が問題になっています。欲求や好奇心を大切にすることが、老化を防止することに役立つという。自発性や好奇心の衰えこそ、感情の老化の始まりという。それには普段から願望や欲求を抑えずに生きることが大切なことであり、楽しいことを自分にプレゼントするということと、いろいろな意味で装うことが大事であり、それはグルメ・麻雀・ブランドに凝る・エステサロン・ショッピング等、考えられるといいます。「年がいもなく」という言葉を退けて、老化を防ぐと言うより、前向きに人生を生きるということが必要なことであるという。楽しいことをしていると免疫機能も高まるというデーターもあるという。

心の赴くままに、しかも則(のり)を超えずとは、孔子の言葉ですが、”考える私”からしてみれば、今、ここで、食事をしている私、友達と話をしている私、散歩をしている私、景色に没入している私、潮騒を聞く私と捉えてみれば、それは対象的に考えられる私ではなく、考える私の連続した遍歴に、置き換えることができるような気がいたします。
夢窓国師の夢中問答集“46”に「自他身心の相を分ち、是非得失の念を浮かぶる物は、これ何物ぞ」とあり、問うものの主体を尋ねます。百丈禅師は、説法が終わり退出する僧達に、「大衆」と呼びかけ、振り返る僧達に、「これ何物ぞ」と問いかけたといいます。臨済は”一無位の真人”といい、倶底和尚は、指一本を”問う私”から示しました。みな”考える私”を指し示そうとの言葉であり行為に、違いありませんでしょう。
平成11年12月4日の読売新聞の朝刊に、第14回全国高等学校文芸コンクールの《詩》において、最優秀賞・読売新聞社賞に輝いた、奈良県立畝傍高等学校3年生、柳川杏美(あずみ)さんの『のっぺらぼうの話』掲載されていました。

掘り出しに行こうか あの日から生き埋めのままの 私の顔を 

重い石の下で まだ小さく呼吸している 一番最初の顔を 


その時が来たら 使い捨ての清潔なスペアは 全部生ゴミに出せばいい 

泥のこびりついた、汚い顔で 街中 笑って ねり歩こう


だけど 見つけられなかったら?

長い年月に朽ち果てた顔 スコップで掘り当てるには

少しやわらかすぎたよう


その時の私の顔と言ったら、 ―――のっぺらぼうだ。

そう、のっぺらぼうのお話 

あの時 山で出会った人、そば屋のご主人におくさんも

みんな探していたんだね。

もう戻らない 本当の顔


人は誰もが、本当のもの、真実を探す旅に出ることが、うかがえると思う詩です。
作者の柳川さんは、「本当の自分とは何だろう。理想像ばかり追い求めていると、本当の自分が見えなくなってしまう」と、この詩に表現したそうです。
審査員からは「合理化され、機能化され、記号化された社会への、高校生らしい批評精神が発揮されている」と、評されました。
探そうと、対象化された私の顔は、何処に行っても、今の自分には合わない。何枚剥がしても、あるいは取っても、得てして、探すのをあきらめたときこそ、探している自分と一つになれるような時があるものです。
剥ぎ取った仮面は、また脱ぎ捨てた仮面は、思うままに生きようとして、剥ぎ取り捨て去った仮面であり、探すのをあきらめたときこそ、思うようにならないことを自覚した素顔であり、なるようにしかならない世界の中を、自由に生きることができると理解できるのです。

ヴィトゲンシュタインは『反哲学的断章』で、『キリスト教では、神様が人間にむかって、いわばこう言っている。「悲劇を、つまり天国と地獄を、地上で演じるでないぞ。天国と地獄は、私の仕事なのだ」』と、書いています。私の好きな言葉です。
人は、行為による、運、不運によって、天国と地獄に行きます。仏教で言うなら、神は智慧そのものであり、仏であるともいえます。

真の天国と地獄は、窺い知ることをしてはならない、不可知の世界として、真実の世界として、私たち誰もが共有し、包まれていると言ってもよいでしょう。仏教で言うなら、神は智慧そのものであり、仏であるともいえます。その窺い知ることのできない私は、散歩する私であり、考える私であり、ジョギングする私であるのでしょう。さらに、窺い知ることのできない私は、虚空そのものとして、世界そのものとしてあるのではないかと思うのです。


僧堂III

僧堂III

 まるで中村先生の世界ですね。
田舎の武士の侍が馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて、家に 帰って帰宅して、仏の前の仏前で、腹を切って切腹し、お墓の墓地に埋められた。
天国と地獄の間で、そのときそのときを生きている。そやから慎ましく,けなげに生きる姿こそ我が姿なり
 山本文渓師からのメールです。
古くからの禅宗の葬儀のメインは、引導といって漢文の内容で、死者に対して、導師の見識を示します。漢詩という古則にのっとり、それは古来の禅の宣揚の如く思えてしかたがありません。また、それで本当によいのだろうかと危惧を抱きました。形式が先行し、そこに相応しい雰囲気が感じられないと思うのです。何よりも大切なことは、死者を悼むという気持ちが、漢文では理解できなくて、表現できない時代に突入してしまったという気がするのです。

葬儀に参列した人たちの前で、「貴方の生は、きっと満足した人生だったのでしょう。しかし振り返って見たとき、私の見識では、別の言葉があります。喝!」では、家族が偲んで送り出そうとするときの言葉として、容認できないこともあるでしょう。漢文ですから、参列者にはよく理解できませんのが幸いとしているとしか思えません。痴呆だろうと、身障者だろうと、子供だろうと、事故だろうと、病気だろうと、老衰だろうと、人の最後の儀式には、死者を、悼んで、称えて、送り出してあげたいと思います。生前の軌跡がどんなに惨めで、無残で、傷を負っていようが、その思いを導師がさらりと担って、送り出したいと思います。葬式を通して人の最後にかかわる者にとって、死者と家族のそれぞれの思いを巡らし、家族が死を受け入れていく機会に立ち会えることを、私は、誇りに思います。もちろん生前に、折に触れ、ふれ合えることができれば、それに越したことはありません。

”一番頼りにならない私を、頼りにせざるを得ないことこそ、宿命なような気がいたします”は、人が意識を持ってしまったがゆえの、心の分離こそ、思考せざるを得ない、人の姿です。人のあらゆる行為に、意味を見出すことによって、人は自らの位置をはかります。またそのこと故に、人は罠にはまることも多いでしょう。天国と地獄の間を、そのときそのときを生きている姿こそ、今現実に時を刻んでいる、私たちの姿のです。天国と地獄は、私たちの意識です。慎ましくけなげに生きる姿は、人の意識の外から眺める表現です。

動物の生態を考えてみると、生まれて、食べ物をあさって、排泄して、寝て、危険を避けて、子孫を残して、死んでいくというのが摂理といってよいのでしょう。人間も同じような形態を取るのですが、大きく違うのは、そこに意識が有ることです。意識が有るとは、すべての行為に”生きる”という彩りを添えることができることであり、精彩を欠くことでもあると思います。動物それ自体には、天国や地獄が考えられません。人の意識は様々なものを創造し、その創造したものは、いつしか独立して歩き始めます。在るか無いかではなく、ある世界の私に私に包まれた時、無い世界が出現いたします。人の意識が無くなったと時、そこには在るか無いかの世界は無くなり、逆にすべては在る世界が現成するのだろうと思います。しかしそうは言っても人は意識を持ち、物事や世界を、”考える私”と分離して捕らえることを宿命としております。

『衆生病むが故にわれ又病む』、『当処即ち蓮華国』、『此の身即ち仏なり』の、即は同時と理解できることから、その分離前の世界であり、『衆生本来仏なり』は、本来仏であるにもかかわらず、分離している衆生となるということです。病むという行為や蓮華国や仏を、自己の外の世界と置き換えてみると、分離する前の世界、考える私の姿が見えてこないだろうか?

『「今、ここ」を生きる』人間は本来無一物、未練やこだわり、欲望を捨てれば、コップを空にすればいろんなものが入ってくるように、心身の器に「今」がたくたくと入ってくる。この「今を」大切にする考えです。一日だけ生ければ十分だ。明日も明後日もと思うから、この世が面倒になってくる。(中略)

ただ、生きていることはアカとつきあうことだし、泥ともつきあわないと花も咲かない。そうも考えております。

 
この言葉は、有名な作家の言葉です。
私たちは何気なく、捨てるという言葉を使いますが、物を捨てるという行為は、捨てない物が在るとの対の言葉です。いらなくなった物を捨てる場合はよいのですが。
未練やこだわり、欲望をだけを捨てることが本当にできるだろうか、自我にとってよいことを選りすぐって捨てることが、本当に良く生きるということなのだろうか、本当にそういうことなのだろうか。捨てるということは、何かを残すということを含んでのことでのことであり、取捨得失の世界において、何も捨てていないのではないだろうか。

未練といいこだわりといい欲望というも、その捨てようとしている対象は、実は自分にとってと考えることが、かえって選択しているように思えるのです。言葉の抹消へのこだわりかも知れませんが、コップを空にすることの喩えは、自己を捨てるとの喩えです。

”「今」がたくたくと入ってくる”も、入ってこなかったら、自分の行為に疑問をもってしまうでしょう。選りすぐったものを捨てても、コップは空になっていません。人間本来無一物とは、違う喩えだと気が付きます。


”そして、明日も明後日もと思うから、この世が面倒になる”も、「今、ここ」のとらえ方が、今ここが、自分にとって都合がよければ、それでよいという、自分勝手な教条主義に陥っての、自己満足の世界に陥ってしまいます。自己満足とは、自分にとって不満足なものを退けての、満足であり、いつまでたってもその葛藤は尽きることなく、かえって自分が不満足の世界にいることに気が付くでしょう。
禅の世界に足を突っ込んでいたことがある人の言葉だとは、思えません。
熱心な仏教徒であり、南朝を指示した北畠親房の神皇正統記に、『時は流れて、流れないものである。私のあるところいつもが現在である。時は現在に於いていつもが始めであり、終わりである。転地の始めは今日をもって始めとする理あり』文があり、この自覚こそが核心だと思います。

”ただ、生きていることはアカとつきあうことだし、泥ともつきあわないと花も咲かない。そうも考えております”も、以前、泥華と書いて、蓮の花の意味を持つと、花屋さんのおじいちゃんが亡くなった戒名に使ったことがありますが、泥の中でなければ花を咲かすことができないという意味で、禅より言えば、泥は世界であり、花は自己ですから、世界の中の自己であり、多即一の成り立ちは、世界のありようであり、泥の中でしか生きようのない私は、生き生きと泥の中で生きる私の姿が花であるという意味を持ちます。アカと付き合う自分は、潔癖な私ではなく、アカまみれの私の自覚でなければならないのでしょう。分離ということは、葛藤でもあるのですが、それに気づかないものです。何故ならば、人にとって、自分とは、いつも自分以外を、その世界から離して見ていて、自分もその世界に生きているとの気づきが無いからなのではないでしょうか。

般若心経の、色即是空、空即是色、はこのことを気づいたことの、言葉です。
道元禅師の『峰の色谷のひびきもみなながら我が釈迦牟尼の声と姿と』、良寛禅師の『おもしろや散るもみじ葉も咲く花もおのずからなる法のみすがた』も、このことを言うのでしょう。



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