目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光

人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光

  平成十八年七月三十一日、小説家の吉村昭氏が舌ガンから膵臓ガンに犯され絶命いたしました。自ら点滴の管を引きちぎり、カテーテルポートを引き抜くという行為に、妻であり芥川賞作家である、津村節子氏は、八月二十六日のお別れの会でこのことを話しております。

「吉村が覚悟し、自分で自分の死を決めることができたということは、彼にとっては良かったことではないかと、今になって思っております。」 
  妻として、一年と六ヶ月吉村氏を支えた、家族として、裏切られた思いは、結婚生活を含めると、何だったのだろうと苦しみ、煩悶する姿があります。そして、彼女は、

「ただ、私は彼のそういう死に方を目の前で見てしまったから、今、幾多郎のテープを聞きながら書斎にいるだろうか、宇和島や長崎や北海道に取材に行っているんじゃないか、というふうに思えないんです。まだ生きているとは思えないんです。あんまりひどい、勝手な人だと思います。私は目の前で、彼が自決するのを見てしまったのですから……。もう本当に死んでしまいました。どこにもいません。書斎にもいません。取材にも行ってません。吉村は本当に死んでしまったのです。」

  この津村節子氏の吉村氏への強い決意に驚きました。他人の私が推しはかることはできませんが、これは、偲ぶ会ではなく、友人や作家仲間の集うお別れの会での、津村夫人の決別として考えなのだろうと思いました。

  その頃、T氏は、危篤と安静のはざまに生死の時間を過ごしていました。T氏は、昨年の五月に不調を訴え、八月半ばに検査の結果、九月の一日に緊急の手術ときまったのです。私がそのことを知ったのは、T氏の息子さんから電話をいただきですから、八月二十四日でした。 
  T氏の症状は、舌の付け根にガンができて、舌と咽頭部を切除するという大手術です。

  八月二十二日に移転した有明の癌研に入院し、手術は成功いたしました。しかし、突然に、食べ物や飲み物を呑み込むことが難しく、その上、言葉が発せられなくなった事実、どう受け入れていったのか、受け入れまでに時間がどれ程かかったのかはわかりません。持病として喘息を持つ人でしたので、いかに身体が頑健だったとしても、肺は鍛えようもなく、肺に菌が入ったのでしょうか予断を許さない状態がつづいたとお聞きいたしました。

  T氏は、普段も寡黙な人であり、何事も独りで、会社や家庭で、決断してきた人でした。入院前も入院後も、症状を自身にかかえこみ、ベッドに過ごしていたのが、ちょうど一年前のことです。 
  もともと強い人でしたものの、退院し、自宅で療養しながらも、病気や症状が自らを更に強くしてゆくことを知ります。何のためにと言えば、自分のため、それは、家族への思いではなかったかと察します。

  舌ガンについては、私の別の知人も、時期を同じくして、手術していました。進行が早く、一刻もはやく切除しないと広がり、手遅れになることを聞いておりました。その知人は、舌の前部がガンでした。その部分を切除したあと、右腕の上腕部の筋肉を舌に移植し、その上腕部にお尻の肉を移植しました。彼は思ったほど経過が良く、退院後、始めは何ヶ月も、家に籠もっていたものです。次第に、電話でも話しが聞き取れるようになったことで自信を取り戻し、外に出られるようになりました。舌ガンは、手術しましても、その後のじぶん自身の精神に重くのしかかることを知りますし、良くも悪くも、病気は人を変えながらも造ると、つくづく思います。 

  そして今年の8月、この吉村昭氏の舌ガンから膵臓ガンへの転移の顛末を新聞や、文藝春秋誌で知るにつけ、私は氏を思いだし、どうしているだろうかと、この夏を過ごしていました。

  いつも突然の電話で始まります。平成十八年九月になり、T氏の息子さんより、T氏の危篤の電話を、豊島区の病院からいただきました。電話でしたが、七月の始めに緊急に入院し、今日に至る危篤の二ヶ月の経緯をお聞きしている最中、電話の向こうで、誰かに喚ばれたのか、電話が切れました。そして一時間も経たないうちに、再び息子より、あの後T氏が息を引き取ったことを知らされたのでした。七月始め、T氏の容態が悪化し、病院に緊急入院したとこえろ、「ここ何日か、長くて一週間だろう」と医師から言われたにもかかわらず、強い意思か、身体は傷ついてやつれていたものの、二ヶ月近く死のほとりで、ぎりぎりの生の時間を過ごしていたことを知ります。もう何度も危篤と言われて、病院に駆けつけ、T氏の姿を間近に見て、本当に危なくなって……、病院の看護士さんから、綺麗に清拭されたT氏をお寺に迎えたのは、T氏が亡くなって、二時間弱でした。娘さんから生前好きだったクラシックのCDが持ちこまれ、本堂のなかで、荘厳に響いていたのが印象的でした。

  妻や子どもから見送られたT氏は、死に対して生に対して、受動的に医療の行為を受けるなか、最後まで主体的な行為を繰り返しての、この一年と六ヶ月だと思いました。そして、その間も、沈黙のT氏からほとばしる多くの言葉を、遺族は身体にしみ込ませたと思います。

  吉村昭氏の妻、津村節子氏のお別れ会での言葉が九月始め“文藝春秋誌”に掲載されました。同じ舌ガンという言葉のなかに、「もう本当に死んでしまいました。どこにもいません。書斎にもいません。取材にも行ってません。吉村は本当に死んでしまったのです。」の言葉を思いだし比べてみました。「お父さん、あなた、兄貴、おいT」と問いかける言葉に、T氏は、祭壇でも何処でも、力強く「なんだ、どうした」と、すぐそばに居るように、これからの家族の行く末を守ってくれることを念じました。

  平成十七年一月に出版された「津村節子自選作品集」(岩波書店、全6巻)の最終巻に収録された書き下ろし「私の文学的歩み――遥かな光」に、《一九六一年、津村さんの書く少女小説で、なんとか生活できるようになった時、吉村さんが勤めをやめ、作家専業になった。未熟児で生まれた娘を抱え、不安はあったが、津村さんは〈かれの焦慮は私のものでもあり、反対はできなかった〉と書いている。

  しかし、それでも芽が出ぬ夫は二年後、「おれはきみの厄介になるのに疲れたと、再び働くと言い出す。これに対し津村さんは、疲れたのはこちらのほうだ、と私は言いたかった。/女房に稼がせて悠々と自分の書きたい物を書いているおれを、腹立たしく思っているのだろう/かれは私の心の中を見通していて、反論できなかった。躯の中を、野分が吹き抜けて行く様な気がしたと書いている。津村さんは、いまも無名時代のように書くことへの不安があるのだ。〈私はよく夜中にうなされてうめき声を出すらしく、吉村に起される。遥か海面に光が見えている深い海の中にいるような気持は、いまも続いている〉と八月十九日読売新聞で、鵜飼哲夫記者は記していた。

  夫婦の心の中に野分け(台風)が吹く想いとは、想像がつきません。芥川賞作家と直木賞作家、「夫婦で小説を書くなんて、地獄だなあ」と痛ましそうな表情で作家の八木義徳が言ったそうですが、「もうどこにもいません」の伏線は、こんなところにあったのでしょうか。

  アメリカインディアンのクロウフットは、一九八〇年の春、死の床にありました。呼吸が乱れ、苦痛に襲われていたのです。家族は彼に寄り添っていた。クロウフットの意識は保たれて、彼を心配する人々の愛に囲まれていた。 
  クロウフットがこちら側での命を終え、アーチをくぐって向こう側へ渡ろうとしているまさにそのとき、家の外では木々が芽吹き、花が咲きはじめて、春の息吹が満ちあふれていた。まるで死が、地上に再生をもたらすかのように。クロウフットの死を目の前にして、それまでずっと看病してきた長女がこう尋ねた。「人生って、なんなんでしょうね?」

  クロウフットはしばらく考えていたが、やがて老いた目を思い出に輝かせ、かすかに微笑みながら、娘のほうを向いて言った。『《風のささやきを聞け》より、めるくまーる出版』

人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
冬の寒さに浮かぶバファロウーの白い意気
草原を横切り、夕日の中に消えていく小さな影 

  自死でなく、突然にしろ、病気にしろ、人生を振り返って死を受け入れることは、一瞬の光となり、一筋の線となって親しいものに夥しいほどの思い出が贈られるものです。それは、時間と存在の絆のなかに、死として迎えられることなのだろう思うのです。


時計(平成12年1月3日)

時計(平成12年1月3日) 

 人が誕生したとき、私たちは何者にも染まらない、無垢の精神と肉体で生まれてくると言います。しかしながら、実際は人は決められた時を知って生まれてまいります。空を渡る鳥たちのように、故郷に帰る時を守ると言う時計の番人を、自らの肉体の中に住まわせているのです。

鳥たちも、時間と空間を生まれながらにして、知っています。暗い夜に輝く星たちの乱舞を仰いで、夜間飛行する鳥の群れは、その証拠です。行っては帰る繰り返しの中に、誕生と消滅を織り込みながら、ひたすら夜間飛行する鳥たちの軌跡は、大空を背景に、時間と空間の交差する連続とした情景を、おぎなって果てしない創造の旅に誘います。

鳥たちの視線は、翼を広げれば、時間と空間が動くかのように、遥か下界に極小の望むものの姿も、しりえに遠ざかるのでしょうか。まるでテレビゲームの迷路の中を進むように、壁や風景が動くかのように。空間だけが動く世界は、奇妙な世界であり、やはり時は刻まれてこそ時なのでしょうが、動くということが、時を刻むのではないかと思います。

子どもの頃、あるいは若かりし頃、幾度となく通った駅や商店街、学校に20年ぶり、30年ぶり訪れたときの驚嘆は、空間と時間の変化の途切れた裂け目に溺れるかのような、戸惑いを感じるものです。この場所は紛れもなく、過去に自分がいた場所であり、今いる場所との隔たりは、人の時間旅行がいかに遠いところに来てしまったか、もう戻ることの出来ない時間旅行の位置を計測することから、現在の位置を浮き立たせます。時間と空間の動いた後は、動くものの世界の真っ只中に取り残されたかのようです。
さらに、そこに居たはずの人もいないとすれば、白々とした違和感に包まれて、見てはいけないものを見てしまったかのように、後悔と懐かしさが湧き上がります。それは、動くものと、動かないものの間に起こる、揺らぎのようです。厳密に言うと、動くものは同時に動かないものに支えられ、動かないものも同時に動くものに支えられてこそ、時間も空間も成り立っていると言えるかのようです。時計の針は動きながら、実は一歩も動いていない。

地球が自転し、太陽の周りを回転する事が、鳥達の羽を広げさせるとしたら、繰り返す環境の変化が羽を広げさせることであり、環境の変化という動くものが、動かない鳥達を動かし、同時に鳥達が動くことによって、動かない環境が変化してゆくという図式は、仏教の因果律として、最も具体的に世界の成り立ちをよく表現している。

今から20年30年後には、心や意識の一般的な性質やあり方は、ほぼ解明できると言う。自我についても、解明できることになるという。日本文化の精神性を支えてきた禅も、一つの時代を終わることになるとおもう。
しかしながら、人が生きつづける限り、禅は、足元にあるといえるだろう。

時間と空間の交差したところ、それは現在です。今・こことは、真に具体的ということであり、抽象的なものを一切排除した禅の境涯であり、絶対の現在です。私達各々の時計が刻む文字盤は、絶対現在を指すといえるのでしょう。何ものも入る余地のない”今・ここ”が世界であり、総てが内包されている世界を、誰もが認識する世界は、禅が世界に行き渡ったことであると思うのです。


星(平成11年10月15日)

星(平成11年10月15日)

仏教の縁起を注意深く、考えてまいりますと、実に奥が深く、仏陀の手のひらの上を、這いまわる赤ちゃんという思いです。私が、ここにいることを、説明するためには、どうしても避けて通れな問題があり、それは、私と時間と場所との関係です。縁起は関係でもあるのです。

私が幼かった頃、時はゆっくり流れていた。早く大きくなって、お兄ちゃんのように、お姉ちゃんのようになりたいと、両親に束縛されずに、自分で判断し、物事を決断することが羨ましく思ったものです。 には、時の経過が待ちきれない、幼い心があったように思うのです。
そして、知らず、年を重ねて気がつくのは、時の早さです。時計の時間の速度は、変わらぬものの、受け取る時間のスピードは違う。
年を重ねての懐かしい記憶は、本来、今に直近の記憶こそ、まぎれもなく忘れようもない記憶のはずが、子どもの頃の思い出がより鮮明に思い出すのは、私達に問題があるのだろうか。
遠く暮らす年寄りの便りを、私に告げた娘さんは、「故郷の深川が懐かしくて」と言う言葉でした。仏陀も自分の死期が迫った時、目指したのは故郷でした。たどり着くことが出来ずに、北方を目指して亡くなったことに気がつけば、何千年前から自然な感情なのでしょう。
そして、それが記憶のメカニズムですと言われれば、そんなものかと思うのです。

年を経て、鮮明に蘇る過去の記憶は、より近い記憶を退けての記憶であることは確かだと思うのですが。
そして、その退けられた記憶は、消去せられた記憶か、または意識を何かに集中した時に、同時にその周りで起こっているだろう、事象の変化を集中しているからこそ、記憶に留めることが出来ない記憶ではないかと、思ったりします。私達が何かに没頭している時、それが地下鉄で家に帰るとき、案外、景色を知らずに家にたどり着いているものです。また、ボーッとしている時にも、同様なことがおこることに似て。

年老いて、他人を認識できなくなってしまった年寄りに、「私は息子です。わかりますか?」と問い掛けて、解らなければ私の母ではないかといえば、私にとっては、正真正銘の母に違いない。でも母にとっては、もはや私は息子でもなく、自分以外の人なのであろうと考えてみると、人間とはいかに自己中心的なメカニズムの中に生きていることがわかる。しかしながら、すべての人が、そのメカニズムの世界で生きていて、互いに交信しなければ、自己の存在を意義あるものに出来ないとすれば、真実なものとは、このメカニズムそのもの、ということになるのではないか思う。
無二の親友と思っていた友人が、その友人から私を見ると、人生のとある通過点に出会った人物であり、通りがかりの人と変わらぬと思っていたということも、よくある話かもしれない。

人に裏切られ、騙されて知る悔しさ、自分のふがいなさは、そのことを知ったがゆえの思いであり、知らなければ、自分は騙されていなかったということになるのだろうか。騙されていたのは、ずっと過去の時間なのに、それを知った時点で、時間差分こそ、ふがいなさや悔しさの中身ともいえます。人は騙されまいと強く思うのですが、騙されているかどうかは、知らなければわからないのです。もしその時間差が、その人にとって、決定的に人生の大半を占めてでもいたら、その反動も大きなものに違いない。
今宵見る、星の輝きは、何億光年の過去の瞬間だ。その何億光年の時間に思いを馳せると、未だ降りそそがない、その後の星の輝きは、私達の未来にかかわるでしょう。

時間を距離に置き換えると、今も輝いているかもしれないし、もはや生滅してないかも知れないのです。何億光年も過去のものだからです。今見ているものと考えると、見られているものとは、常に時間差がつきまといます。厳密には同時間の瞬間に見えているものは、じつは総て過去の時間のものです。光が物質なら、いくら瞬時に空間を走るといっても、時間はかかります。では私達は、過去の星の輝きを見ているのでしょうか。

その意味で、確かなことは、今見ている星の輝きは、何億光年前にさかのぼって、見る星の輝きでもあり、さらに確かなことは、今の私は、星と時間を共有して、今現在の星の輝きでもあるという気がするのです。何億光年かかって、星の輝きが、私達を照らしているとしたら、見つめられているとしたら、照らされている私は、今、照らされているという、不思議な感慨があります。

私達が、現実に見たものすべてが真実であるかは、確かなことではありません。そして比較する物差しは、逆に私達を規定しようとするかのように煩わせます。 何か現状を、我々は錯覚していないか?と考えた時、そもそも時の速さの、規則性はそれぞれの人にとっては、あまり意味のないことのような気がするのです。 現に輝いている星を見て、我々は何億光年前の、「これは過去の星の輝きだ」とは、いいません。それは 輝いている星の輝きが、美しく神秘的であるからです。『星に願いを』という曲がありましたが、何億光年前の星に、祈りはしませんでしょう。今輝いている星に、祈るのです。

そして、その星は、現実を飛躍して、未だ来たらぬ想像の時間を含んだ、今の星の輝きなのです 。


溝(平成11年8月2日)

溝(平成11年8月2日)

 人は本当のもの、真実のもの、正しいものを見極めようと、あらゆる手段を模索する。未来や将来が現実の問題として拘わってくる場合は、何が正当なことことであり、何が間違っていることは、重要なことであり、判断如何によってはそのことにかかわる人間の実人生を大きく変えてしまうことになるからです。

仏教では「今を生きる」と言い、「今日ただ今の命」と言う。過去や未来を差別する、今って何だろう。今ってどうしたら捕まえることが出来るのだろうか。「永遠の今」と言う言葉の美しさに惹かれるが、永遠の今には、過去や未来はないのだろうか。

時間や距離の数字の1と2の間には、いったいどんな数字が隠されているのか、考えてみると途方もなく限りがない数字になってしまう。そして1から2に渡ることができないことを知りつつも、何の疑問もなく1,2,3、……と数えることが私達はできるのです。コンピューターのクロック数の増加は、スピードという限りなく1秒間の振幅を追いかけての結果です。行き着く先は見えないわけだし、円周率も限りなく数字を追い行き着く先は見えないが、別に追わなくても円は書けるし、時間はおかまいなくに、過ぎてゆきます。

距離や時間の1と2の間には、途方に暮れる玉ねぎがひそんでいるように思える。測ることのできる数字には、測ることのできない数字を含んで成り立っているように見えるが、私たちの普段の生活では、何ら問題にならないことなのです。渡ることのできない出来ない溝を、実生活では簡単に渡ってしまうのです。

1と2の間には、”と”があることが問題で、1、2、3、……と言えば問題はないなどと言ったら笑い話ですが、案外こんな所に実生活の知恵があるように思えます。もっとも気がついてうえの知恵ですが。
つまりは、1と2の間の溝を、考え創造するとしたら、10進法で10を作り出し、その1を更に10創って、これを繰り返す。繰り返すことは、飽きるまで続けられるということになるのではないかと、思ってしまう。
ここで今度は、私の家と、隣の家の地境はと考えてみると、境界線は切断面になり、ここには距離も無く、もはや10進法も存在しなくなることが考えられる。私の家を1、隣の家を2と数えたら、1と2の間には、隙間はないのだ。
私は小さな禅寺の和尚にすぎませんし、哲学や数学は何のことかさっぱり解らない者ですが、解らないなりに疑問を持ちながら、岩波の哲学思想辞典を探したら、ゼノンのパラドクスがある。

「アキレスと亀:足の速いアキレスが後方から出発して、亀と競争すると、亀に追いつけない。アキレスが亀の出発点に到達したとき、亀はその間に多少は前進している」

「2分割:ある場所に到達するためには、その半分の地点に到達しなければならない。そこに到達しても無限の点を通過しなくてはならないため、有限の時間で到達することは不可能」

「飛ぶ矢:あるものが自分の大きさと同じ空間を占めているとき、そのものは静止している。飛んでいる矢は、この今においてはそれ自身と同じ空間を占めているから、静止している。どの今についても同じことが言えるから、静止している」

ゼノンがかく人を惑わそうが、実生活の上では何の障害もなく遂行できる。このゼノンのパラドクスの共通するものは、すべて点に有るように思えます。飛ぶ矢の今も点として捉える限り、存在として有ると言う錯覚が無限の迷宮に足を踏み入れさせるように思えるのです。

ロシアでは宇宙にロケットが発射された場合、常にグリニッジ天文台の時間を使用すると言う。アメリカでは、スペースシャトルが地上を飛び立ったその時を起点に時が新たに始まるという。仏紀、皇紀、西暦、イスラム紀と時を刻む始まりは沢山ある、この意味では世紀末は何の意味もないが、起源(起点)から数え始めれば節目の意味を持つことになり、独立、創立、樹立、建立と独立して歩き始めることもあります。そしてこの独立して歩き始めることが、更なる迷宮を生むことになると思うのです。ここでも点が絡むことを考えれば、いっそ点は無いほうが良い。

地境の線はあくまで切断面であり、線が存在すれば、線自体は誰の所有物かになり、その線を更に半分に切らなければならことを思えば、無限の迷宮に陥ってしまうからです。
人が生きて与えられている時間は瞬間と言い、今と言う。「今日ただ今の命」と言う時、時間の帯の上にどうしても、今を点としてとらえます。そして点として捉えることは、そこに自分が存在すると言う証が必要であるからです。私達が考える現実あるいは、事実ということとそぐわないからです。更には、その前後の過去と未来を考えると、どうしても3点セットの時間は実生活の上に必要な時間だからです。切断面では切断した切り口を数えること、存在として確認することが出来ないからです。
今が消滅することにもなりかねませんからです。今日ただ今に徹することとは、その切断面という存在しない今に、自己の存在を捨てると言ったら良いのでしょうか。
禅で言う『無』とは、こう解釈できるような気がいたします。


過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)

過去心…念の起こる処(平成11年6月19日) 

母とは、その子供から見れば、厳しく優しく、いつまでもその姿を脳裏に止めていたいと思うものです。また、父とは、その子供から見れば、威厳があり、超えることのできない存在でありえたらと思うのです。かく言う私の父はもういなく、母は病に入院する立場にして、言うこの言葉なのです。

幾度となく人の死に接して、多くのお年寄りが病院のベッドで死を迎える様を見て、残された家族の姿を見て思うことは、病人の過去の颯爽と生きて生活する姿と、ベッドに横たわる姿の落差です。同じ人間の時を違えた姿の不思議は、端にいる人も同じ姿を見ているのですが、それぞれにその姿より、何を今見ているのだろうかと思うことが数多くあります。「あの姿を見るのが辛い」と言った知人がいたが、彼もベッドで横たわる母を3年半以上持つ身の立場で、母の何を見て、自分の何を大事にしようとしているのか、人はさまざまです。

人の父や母への記憶とはいつもそう言うものだと思うことに、今、こう言える私は幸せに、父や母の目に見えぬ影響を素直に受け取り考えることができることに感謝している今の私でもあります。

しかしながら、子供にとって、病院のベッドの上にいる現実の母を受け入れることのできない自己が存在するのも事実です。過去のさまざまな母と現実のさまざまな母の織り成す綾の葛藤は、どちらも真実な姿だったが故に、受け入れなければならない私という自己の変化を待たなければ、今の在るがままの母を直視することはできないのも事実です。

そんな母の姿は、より強く、元気に生きろの、強烈なメッセージであり、現実の姿を厳しく受け止めることこそ大切にして必要なことであることを知らせる悲しい知らせでもあるのです。厳しく受け止めることによって、新たな変化が始まります。その変化こそ母への子供からのメッセージになるからです。しかしながらこの受け止めるべき、疑いようのない自己が、過去を創造し作り上げてきた虚飾の自己であった場合もあるのです。

過去とは過去物語であり、私たちの記憶の想起によって、今あり得るものとするなら、過去の実在性はたった一つの過去ではなく、その時その場所で私が選択した一つの過去の実在ということになるのではないかと思うです。そのたった一つの過去の実在も、その時の私の心の変化で見たものにすぎなく、何が真実であり、一貫として過去から現在を貫く私達の実在は揺れます。やがて時がすぎ、他人に指摘されて、初めて別の父や母そして友人の姿を知ると言うことはよくあることなのです。

私の知り合いの男性で、交通事故で奥さんを亡くした方は、法事のたびに、参列者一人一人に亡き妻の思い出を指名して語ってもらう人がいますが、亡くした妻の知らなかった過去を、自分の過去に加え偲ぶことが法事の目的でもあるようでした。過去は人に不思議に語り掛け、今の私達を猛火焔裡に投げ込み、あるいは潤いのある私にしたりと翻弄するのです。
過去の思いに、記録された子供の成長の一つ一つのシーンは、実は親の都合で作り上げた過去であり、それが過去の実在する真実と思いこんだ親は、そこから悲劇が始まることもあります。何もなければ幸せなことであるのですが。

汝が一念の疑い、大地の如くに、汝が心を閉じ込める。
汝が一念の愛、荒れ狂う流れとなって、汝が心を溺れさせる。
汝が一念の瞋り(いかり)、炎の如く、汝が心を焼き尽くす。
汝が一念の喜び、吹き荒れる風の如く、汝が心を翻弄す。

正確に物事を見とおす目は、疑いといい、愛といい、瞋り(いかり)といい、喜びといい、不確かな自己の精神の有り様で、正確さそのものさえ、曖昧なものに変化してしまうことになります。まして過去の実在そのものが、歪んだものだったら、現在に無意識に引きずる過去の出来事は、更に身を焦がすことにもなるのでしょう。

そう、私達の過去は、現実に何か事件が起きたとき、過去を想起し、検証し、正しかったのか、違った見方があったのではないかと変化いたします。変化する過去の真実や実在は、絶対たり得るものなのか。裁判は何十年費やして真実を追究することがあるのですが、無罪を獲得した時の加害者側の苦渋と被害者側の過ぎ去った時間への悔恨は、はかることができないに違いありません。

待ち合わせのすれ違った時間、予定時間への遅刻、時間オーバー、思い違いの時間は確実に今を変化させています。その原因には時がからみます。過去のさまざまな出来事であり蓄積が、揺れる今を演出し、混迷の彼方に私たちを運ぶことは確かなことでもあります。
在るがままとは、至難なことであり、またそのことがあるゆえ、ゆれる心の遍歴も限りなく尊く美しいものです。その揺れる心にはいつも過ぎ去り、そして未だ来ない時間が作用します。

揺れる過去心こそ、現在において実在する過去に違いがないのですが、絶対であり得ない過去に構築した自己を、取り繕うとする自己は、更に靄の中に自己を運ぶとするなら、錯綜としたその自己を認めて、神仏に今を懺悔することは必要なことです。
懺悔とは、
『過去の心、未来の心、現在の心が自己が,本来の自己で有り続けることを知ることが真の告白であり、懺とは死ぬまでそのことを守りぬくこと。悔とはこれまでの過ちを知ることである』



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