目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)

この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)

 子ども達の様子を見ていると、否、それどころではない、12月が始まったと思ったら、もうすでに年末です。畳替えをすることを決めたのが、11月16日ご祈祷の日、総代さん達の言葉です。半分以上は終わり、28日には終わっています。庫裡の壁の塗装をするのも、14年ぶりで、すでに終わっています。
 まるで駆け足のように過ぎ去り迎える季節の、時計の針の進み方は同じ筈なのに、どうして、こう過ぎ去り迎える季節の時間が速いのか。今日を何とか充実して明日を迎えようとしながらもいつも昨日を引きずりながらの生活に、禅僧たるものの心構えがいつしか消えている事に気付く。それにしても、世のニュースのどうしてこう毎日毎日切りがないくらい話題はつかないことに何の疑問もわかなく、昨日のニュース、一昨日のニュースの続きにと、聞きたくなくとも耳にし、読みたくないのに読んでしまう。気がついてみると北朝鮮の拉致問題の衝撃的なニュースもすでに、核開発という新たな衝撃にかすむかのようです。ただ目前の事件に目や耳を貼り付けて、この結果、何と夏が過ぎ去って冬の気配が濃厚な季節を迎えているではないか。この感覚、これがよく言う『年を取った』ということなのだろうか。

 しかし、年を取ったと言うだけで片づけてよいものか、この速く感じることは、あくまで感じることであって、時計の針の回転は同じままであり、速くなったり、遅くなったりしたら、その時計は壊れていることを指します。止まってしまえば、電池がないか、ゼンマイが切れたかです。何を基準として、速く或いは遅く感じるのだろうか。この速さを感じる時間の基準は、様々にあるのでしょう。昨日と比して、年初と比して、昨年に比して、十年前に比して、二十年前に比して、漠然と子供の頃に比してと基準は数多くあります。ただ漠然と、「速くなった」と感じるだけなのですが、他に、自分の年齢によっても差違は大きくあるのだと思います。

 しかし、絶対に言えることは、時間自体には速さはないはずです。時間に速さはないものの、人の生活とかには、速さがつきまといます。特に社会人になってからは、なおさらスピードが増すこの感覚、はっきり対照として比較していないのに、何かの挨拶でもつい「速いもので、この子は、この間までまだ子供だったのに、もう二十歳をとっくに過ぎて……」とか、「団塊の世代が社会に出て、いろいろなブームや現象を起こしてきたのですが、本当に速いもので後数年で、彼らも60歳を越えます。これまた大きな問題を含んで、いろんな意味で彼らの社会的意味は大変世の中にインパクトが強い、まるで駆け足のようにこの世代は社会を変えたと言っても良いでしょう」とこの“速いもので”という言葉は頻繁に使われます。この夏も暑い暑いといいながらも、涼しげな風を身にうけた瞬間、秋の到来を告げる風に、「もう秋が来ている」と気付いた途端、速さが誕生していると言えます。

春夏秋冬、これも一年という規則正しい時計の文字盤と違いはない。春夏秋冬の各行事を含めると、文字盤は更に楽しいかも知れない。逆に季節 の文字盤があればあるほど時は速く流れると感じることもあるでしょう。ワールドカップを見ていて、ヨーロッパの古老が「何年のワールドカップの時、娘が結婚し、その前のワールドカップの後、誰某が亡くなった」と言ったとき、それも自分の過去に過ぎ去った懐かしい想い出時計の針が、文字盤を刺した時間と思いました。人は、こうして文字盤を知らぬ間に生活の中で創作しているのでしょう。
 ふと四季のない国、一年が雨季と乾季の国、北欧のような国を考えを馳せようと試みましたが、思い当たるものはないけれど、巡ってくる行事の数が、少ないとどうなるのだろうかとも思います。多分、日本でも行事の数は減少しているのだろうと思うのですが、やはり、基準となる最小の文字盤は、季節なのだと思います。

 我々は、やはり季節によって動かされていることが多いと思うのです。子供が夏休みの林間学校から帰ってきたり、大学受験に夏休みを返上している姿に、身体を真っ赤に日焼けして海での出来事を語る子供の姿は、季節そのものとしての時計の文字盤です。そしてその文字盤は、私が体験した季節の出来事であり、それはいつもその時であり、今なのです。不思議なことに知覚それ自身が現在であり、今には記憶や思い、想像や思案はなく、今が過去になって登場すると言えます。今はいつでも体験において今であり、私から見える範囲の、聞こえる範囲の狭い空間のことなのです。その私の口から出る言葉の「速いもので……」は、今の知覚の過去を振り返っての速いと感じる言葉です。

 「もし心あるいは心の中の理性以外には、数える本性をもつものが何もないとするならば、心が存在しない限り時間は存在しないだろう(自然学)」と言ったアリストテレスの言葉は、私という自己がなければ、そして“今”という主観的な判断がなければ、時間は存在しなくなることを指さないだろうか。「今何時?」と聞く今は、私自身が今を問うことによって、今しか指さない時計でもあると言えますが、時間は後からついてくるような気もする。また今はくせ者です。実は、今と知覚した瞬間、過去と未来が出現してしまうからです。その過去は生まれてより今に至るものですし、私にとっても、息子にとっても人生の全部を指してしまいます。このことは今の経過が過去であり、だいたい『今』を正しく捉えることは、主観では無理なような気がする。主観で捉えない今、それが、私たちがよく言う、絶対の今なのでしょう。でも、絶対の過去や未来という言葉は聞いたことがありません。これは、絶対の今しか知覚できないとも言えるのではないでしょうか。

 人が、言葉を発して話すとき、歩くとき、泳ぐとき、モノを造るとき、一本の線を引くとき、行為する、そこに時間があるといえます。早い遅いは、人の自我の流れです。話し始めて止むまで、歩き始めて止むまで、引き始めて止まるまで、その行為こそが、時間です。時間の流れとは、自我の流れであり、体験の流れでもあります。この一連の流れは、知覚であるわけですから、ゆっくり引き、速く引くとき、そのゆっくりと速くを意識させるのは、時間でありながら、実は自我がなければ、時の流れは無いとも言えます。

 存在するものは時を含んであり、時そのものは、存在するものに含まれるという釈尊の縁起観の教えは、時間そのものの根拠は、時そのものになく存在するものにあるという考え方でもあります。これは、同時に、存在するものの根拠は存在するものにあるのではなく、時にあると示します。「時計の成立は“今”という自我の意識に依存している」と、哲学者の植村恒一郎先生が『時間の本性(勁草書房)』の中で指摘されていることも、今ここが自我であり、同じことを指すようです。

 十年一昔と言うように、十代、二十代、……七十代、八十代というのも速さの基準だと思います。年を取をれば取るほど、四十年より五十年、五十年より七十年、八十年と過ぎ去るほどに、速く過ぎ去る過去を持ちますが、それぞれに想い出は、時間の内容とも言えます。
 人生の速さを測るときに、分母に来るべき数字を考えてみたとき、短距離ランナーは100㍍を何秒で走る、野球の投手は一秒間に150㍍の速度の玉を投げる、この樹木は一年で何㍍伸びると、距離や時間が基準に来ることを知ります。兎は亀より50㍍歩くのに何時間か速く走ると言う場合は、50㍍亀の歩む速さを基準に考えるのでしょう。人が年齢の重みを量る場合は、10代の少年と八十代のお年寄りを年齢をかまわず比較した場合、それぞれの人生のスピードを測る手段はないだろうか。

 生まれてより今に至るまでとすると、この言葉は誰にでも共通する。十歳の子供も五十三歳の私も同じである。しかし、ここに年齢を持ってくると、子供にとっては私の年齢に達するまで、あと四十年と年月がなければ、生まれてより今という私の尺度になれないとするなら、想像を絶する長さになる。生まれてより今を基準とすれば、十四年より五十三年の方が、量が多いことになり、過ぎ去った年数が速いと感じられる。しかし、本当に過ぎ去ったと言えることだろうか。道元は正法眼蔵の中で、「薪(たきぎ)は、灰となるにあらず」と言います。薪は薪で独立していて、前後裁断。灰は灰で独立して、前後裁断。比較するものではなく、十歳の自分は独立していて前後裁断。五十三歳の私も独立していて、前後裁断。比較したとき、そこに量が現れ、時間が誕生してしまうと言うのです。

 私の下の子どもに、「時間を忘れているときってどんな時だい」って聞いたところ、「マンガ読んでいるとき。カラオケで歌いまくっているとき。授業の休み時間。」と言った。子どもは更に言います。「午後2時から6時までと、6時から寝るまでの時間では、6時から寝るまでの時間が速く過ぎる。」と言いました。2時から6時を、私が小さかった頃に、6時から寝るまでを私の今の年齢の時とすれば、逆に、小さかった頃のほうが、時はゆっくり流れていました。しかし、今が速いからといって、充実していたかと言えば、少し違うでしょう。

 人は、生まれてより今が、体験の流れであり、生涯ですので、20年より、50年80年が、圧倒的に自分自身の体験する量が多くなり、それが速さとなります。そして、何故か、日中の時間も速くなっているように感じます。それが、今の私の速さなのですが、自分が60歳になり、敬老会のお祝いの該当者であることを名簿で眼にしたとき、まだ早いだろうと、ギャップが生まれます。しかし案外、外から見ている人は、姿形、物腰や言葉使いに、見ているものです。でも気付かない自分が、何かの拍子にそのギャップが埋まったとき、年を取ることを嫌と見るか、受け入れるかでは、その後の何年、何十年が違ってくることでしょう。

 年齢を加えるほどに、人生のスピードが速くなるとは、年輪の重みがますことでもあります。人を年輪を重ねた木に譬えて、巨木や古木の歩く姿を見て、若者はその道路を歩む姿を邪魔に見えてしまうでしょう。ゆっくり歩むお年寄りの歩行に、その差違が際だちます。だって、猛スピードで駆けているはずの、その古木や巨木が幼子に発する言葉、「危ないから駆けるのではないよ!」に、人生の速さをかぶせてみると、違う風景に見えるのではないだろうか。


法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)

法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)

法句経より、時をテーマに集めてみました。
『神々との対話(サンユタ・ニカーヤ)岩波文庫 中村元訳』より
葦 第四節 時は過ぎ去る
傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「時は過ぎ去り、[昼]夜は移り行く。青春の美しさは、次第に[われらを]捨てて行く。死についてのこの恐ろしさに注視して、安楽をもたらす善行をなせ。」
尊師いわく。
「時は過ぎ去り、[昼]夜は移り行く。青春の美しさは、次第に[われらを]捨てて行く。死についてのこの恐ろしさに注視して、世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ。」

葦 第十節 森に住んで
傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。
「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであろうか?」
尊師いわく。
「かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のころを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。刈られた緑の葦のように。」

孤独な人々に食を給する長者 第七節 スブラフマン
傍らに立って、〈神の子〉なるスブラフマンは、尊師に対して、詩を以て話しかけた。
「この心は、常にあわてふためいている。この心は、常に怯えている。未だ起こらない未来の事柄についても、またすでに起こった事柄についても。もしもおびえないでおられるのなら、お尋ねいたします。それをわたしに説いてください」と。
尊師いわく。
「さとりに至る実践の修養のほかに、感官を制御することのほかに、一切を捨て去ることのほかに。生ける者どもの平安を、我は認めない。」かれは、その場で姿を消した。

『仏弟子の告白(テーラーガーター)岩波文庫 中村元訳』より
(人間の個体生存という)小さな家は無常である。わたくしは[幾多の生涯にわたって]あちこちに繰り返し家屋の作者(つくりて)をさがし求めて来たが、生涯をくりかえすのは、苦しいことである。
『縁りて起こること(ブッダのことばⅣ講談社)池田正隆訳』より

2 「比丘たちよ、私はきみたちに、“縁りて起こること“(縁起)と、”縁りて起こることによって生じた法“とを説こう。それを聞きなさい。よく心にとどめて考えなさい。私は語ろう。」

3 「比丘たちよ、縁りて起こることとは何か。比丘たちよ。出生にとって老死がある。如来がこの世に出ても出なくても、この道理は成り立っている。法として成り立ったものであり、法として確定したものである。これが縁りて起こることの真理である。如来はこれを深く悟り、明らかに理解する。深く悟り、明らかに理解して、それを宣言し、説き、知らせ、示し、開顕し、分別し、明白にする。そして『見なさい』と言う。

4 比丘たちよ、縁りて起こることとは何か。
比丘たちよ、出生によって老死がある。比丘たちよ、生存によって出生がある。比丘たちよ、執着によって生存がある。比丘たちよ、飽くことなく欲望によって執着がある。比丘たちよ、心による対象の感受によって飽くことなき欲望がある。比丘たちよ、心と対象との接触によって心による対象の感受がある。比丘たちよ、心と対象とを通ずる六つの知覚の領域によって心と対象との接触がある。比丘たちよ、精神的・物質的現象によって心と対象とを通ずる六つの知覚の領域がある。比丘たちよ、対象に向かって動く心によって精神的・物質的現象がある。比丘たちよ、迷える凡人の諸行為によって対象に向かって動く心がある。比丘たちよ、おろかさによって迷える凡人の諸行為がある。如来がこの世に出ても出なくても、この道理は成り立っている、法として成り立ったものであり、法として確定したものである。これが縁りて起こることの道理である。

6 比丘たちよ、それでは縁りて起こることによって生じた法とは何か。
比丘たちよ、老死は無常なもの、集め作られたもの、縁によって生じたもの、滅して尽きる性質のもの、衰える性質のもの、壊れ離散する性質のもの、消滅する性質のものである。

7 比丘たちよ、出生も、生存も、執着も、飽くことなき欲望も、心による対象の感受も、心と対象との接触も、心と対象とを通ずる知覚の領域も、精神的・物質的現象も、対象に向かって動く心も、迷える凡人の諸行為も、おろかさも同じである。

17 比丘たちよ、これらが縁りて起こることによって生じた法といわれるのである。

18 比丘たちよ、貴い弟子は、これが縁りて起こることであり、これらが縁りて起こることによって生じた法であると、あるがままに正しい智慧をもってよく見るのである。じつに貴い弟子は、『いったい、私は、過去時に存在したのか。それとも存在しなかったのか。なぜ私は過去時に存在し、またどのように存在したのか。私は過去時に何であって、何になったのか』と、過去を追うことはない。

19 あるいは貴い弟子は、『いったい、私は未来時に存在するのか、それとも存在しないのか。なぜ私は未来時に存在し、またどのように存在するのか。私は未来時に何であって、何になるのか』と、未来を追いかけることはない。

20あるいは貴い弟子は、『いったい、私は存在するのか、それとも存在しないのか。なぜ私は存在し、どのように存在するのか。いったい私という衆生は、どこから来て、どこへ行くのか』と、ただいま現在時における自己のうちに、迷いが起こってくることはない。
21それはなぜであろうか。比丘たちよ、貴い弟子は、そこにおいてこの縁りて起こることと、これら縁りて起こることによって生じた法とを、あるがままに正しい智慧をもってよく見るからである」

きみのものではない.
2「比丘たちよ、この身体はきみのものではなく、また他人のものでもない。

3比丘たちよ、この身体は以前の行為によって作り出されたもの、思念されたもの、知覚されたものと見るべきである。」

4比丘たちよ、そこで法を聞いている貴い弟子は、縁りて起こることにこそ、じゅうぶんに真理にしたがって心を向けるのである。

5つまり、『これがあるときに、かれがある。これが生じることにより、かれが生じる。これがないときに、かれはなく、これが滅することから、かれが滅する』と。

始めのない輪廻
世尊は次のように説かれた。
「比丘たちよ、この輪廻には始めがない。無明に覆われ、愛欲にしばられて、流転しつづけている衆生の始源は知られない。

4 たとえば、比丘たちよ、人がこのジャンブ州にある薪や草・枝・小枝を伐(き)って、一つのところに集めて、指四本の長さの方形をつくり、『これは私の母である。これは私の母の母である』と言って一本ずつ積み重ねるとしよう。比丘たちよ、この者は、母の母を数え終わらないうちに、ジャンブ州にある薪や草・枝・小枝を伐りつくしてしまうであろう。 5それは何ゆえか、比丘たちよ、この輪廻には始めがなく、無明に覆われ、愛欲にしばられて、流転しつづけ、輪廻しつづけている衆生の始源が知られないからである。

7 それゆえ、比丘たちよ、すべての事物を嫌悪することこそふさわしく、厭離することがふさわしく、離脱することがふさわしい」

神々との対話 歓喜の園 第一〇節 サミッディ
1 このように、わたしは聞いた。或るとき尊師は、王舎城の〈温泉の園〉に住んでおられた。そのときサミッディさんは、夜の明け方に、立ち上がって、身体を洗い入浴するために温泉におもむいた。温泉で身体を洗い浴したのちに、上がって、一つの衣をまとい、身体を乾かしながら立っていた。そのとき、夜も更けてから、或る一人の神が、容色うるわしく、温泉を遍く照らしたあとで、サミッディさんに近づいてから、空中に立って、詩句を以てサミッヂィさんに話しかけた。
「修行僧よ。そなたは、欲するがままに食べないで托鉢している。そなたは、欲するがままに食べてから托鉢することがない。欲するがままに食べてから、托鉢せよ。そなたは[青春の]時を空しく過ごすな。」

サミッディいわく
「わたしは、あなたの言う〈時〉なるものを知っていません。[わたしの考える]時は、隠れているものであって、見ることはできません。それ故に、わたしは、欲するがままに食べないで、托鉢をするのです。わたしにとって、時が空しく過ぎることがありませんように。」
そこで、かの神は地上に立って、サミッディさんに次のように言った。
「修行僧よ。あなたは若くて、初々しく、髪が黒く、すばらしい青春をそなえていて、人生の第一時期に欲楽を享受することなしに、出家した。修行僧よ。人間的な欲望を享楽しなさい。現に目のあたり経験されることを捨てて、時を要するものを追求するようなことをなさるな」と。

「友よ。わたしは、現に目のあたり経験されることを捨てて、時を要するものを追及するということをしない。わたしは、時を要するものを捨てて、現に目のあたり経験されることを追及する。友よ。愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍がここに甚だしい、と尊師が説きたもうた。この理法は、現に目のあたり体験されるものであり、時を要せず、〈来たり、見よ〉と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体得すべきものである。」

『修行僧よ。では、尊師はどのようにして、『愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍がここに甚だしい』と説かれたのであるか?『この理法は、現に目のあたりに体験されるものであり、時を要せず、〈来たり、見よ〉と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体得すべきものである』と、どのようにして説かれたるものであるか?』

「友よ。わたしは出家してまだ間がない、今到来した新参者です。わたしは、この教えと戒律とを詳細に説明することはできません。今、かの尊師、拝まるべき人、正しく覚った人が、王舎城の〈温泉の園〉に住しておられます。その尊師のもとにおもむいて、この意義をたずねなさい。尊師があなたに説明なさったとおりに、教えと戒律とを受けたもちなさい。」

「修行僧よ。かの尊師は、他の大威力ある神々に囲まれておられるから、わたしが近づくことは、容易にはできません。もしもあなたがかの尊師に近づいてこの意義をたずねてくださるならば、われらもまた教えを聴くために参ることができるでありましょう。」
「友よ。承知しました」とサミッディさんはその神に答えて、尊師のおられるところにおもむいた。近づいて、尊師に挨拶して、傍らに坐った。傍らに坐して、サミッディさんは、尊師にいきさつを話しました。

「尊いお方さま。もしもその神のことばが真実であるならば、その神はまさにここに、遠く隔たらないところにいるでありましょう。」
このように言われたときに、その神は、サミッディさんに、次のように申しました。
「修行僧よ。たずねよ。わたしはここに来ているのだ。」

そのとき、尊師は詩句を以て神に呼びかけられた。
「名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上ににのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、彼らは死の支配束縛に陥る。しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が[有ると]考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。ヤッカよ。もしもあなたが、そのような人を知っているならば、告げてください」と。

「尊いお方さま。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしは詳しくは知っていません。よろしい。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしが詳しく知り得るように、お説きくださいませ。」

尊師いわく。
「『わたしは勝れている』『わたしは等しい』また『わたしは劣っている』と考えている人は、それによって争うであろう。これら三つのありかたに心の動揺しない人には、〈勝れている〉とか、〈等しい〉とかいうことは存在しない。もしもあなたがそのような人を知っているならば、それを告げよ。神霊よ」

神いわく。
「尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしは詳しくは知っていません。尊いお方さま。さあ、どうか、尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしが詳しく知り得るように、お説きくださいませ。」

尊師いわく。
「思慮雑念を捨て、迷いの住居におもむくことなく、この世における名称と形態とに対する妄執を断じ、結び目(束縛)を断ち、[煩悩の]煙りの消えた、欲求のないかの人を、この世とかの世とにおいて、神々と人々とが探し求めても、ついに見出し得なかった。天界においても、すべての住所においても。神霊よ。もしもあなたが、そのような人を知っているならば、告げてください。」

神いわく。
「尊いお方さま。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしはこのように詳しく知ることができました。いかなる世界においても、ことばによっても、いかなる悪をもしてはならない。諸々の欲楽を捨てて、よく気をつけて、しっかりと念い、ためにならぬ苦しみに身を委ねるな。」


寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)

寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し)

(平成16年9月19日)

 秋彼岸、まだまだ蒸し暑く、それでも彼岸という季節が巡ってきてはいるものの、季節感のずれは、何とも致し方ない。暑さ寒さも彼岸までという言葉が、少しずつずれてきていることに、何故か、昔の言葉の魔力が、消えてしまいそうな予感に囚われる。それでも、夕刻の日の傾きは、彼岸という季節を物語っています。
 今年の一月になくなったHさんの息子さんと、孫二人が連れ立って、彼岸の墓参に来たときだった。孫といっても、一人は来年大学を卒業、もう一人は,母親が問題児という高校3年生男の子です。その上の孫が、丈の長い甚平を着ている姿を見て、息子さんが、「これは、お祖父ちゃんの形見です」と。
 その妙に似合う姿を見て、「これ、お父さんが着たら、親父スタイルに見えるのに、君が着ると今風のファッションになるから不思議だね。」
 季節も、9月19日、いくら、これも残暑なのか、蒸し暑いとはいえ、最早、秋。
 甚平のスタイルは、季節感として似合わないと思うのだが、今、旬の若者が着ると、妙に映えるから、面白い。そう言えば、あの夏場の雑踏で、8月の池袋の地下通路、ブーツ姿の若い女性を拝見した。見ていて、足が臭くなるのでは、靴の中が汗でグシャグシャになるのではないかと思ったものだった。それこそ、この季節にふさわしくないという思いが、グシャグシャのイメージを作る。この季節感という語感は、その人の生い立ちの姿なのだろう。

 そんな若者の着衣を見て、人間にとって着るものとは、人の季節を表現するものであると、つくづく思った。奔放に季節を表現するものが若者としたら、おじさんにとっての季節を忠実に現す着衣の甚平も、若者が着ると、その存在感が妙にまぶしく感じられて、嬉しい。
 そして、この嬉しいと思う気持ちも、年を取ったことの証拠なのだろうと苦笑する。今の自分にはない、何事も自分のものとしてしまう勢いをみて、きっと、自分もおじさんという花を咲かせているのだろうと……。

 「実は、昨年11月、母と別居しているんです」と、よく知る二人が墓参に訪れて話す。
「お母さんから聞いて知っていますよ。お母さんは気力も充実しているし、遠慮しながら、したいことをできない環境に、お互いのことを考えての、決心に、すごいひとですね」と。
 息子さんは、「こないだなんて、男の人がお茶を飲んでいるのにでくわして、すごすごと帰ってきてしまいましたよ」と。神奈川県のS市から息子が住む、茨城県のU市に引っ越してから、4年目、それでも、3年間は一緒に暮らしたものの、天性の人との交わりのうまさは、ウィンドゴルフに、地域の人とすっかり交わり、今では、リードするまでの変貌に、ただ感嘆するのみです。
 私の長男と同じ大学に通うことを知ってから、親しく感じて、話をしていたのですが、お嫁さんが、「母が別居していたことを知り、ホッといたしました」話す。

 まてよ、もしかして、子どもや孫達と同居していたときにも、同じ男性が来ていたと聞き、これは、もしかして、恋愛か。う~ん、そうだとしたら、すごい。いいとか、悪いとかということを越えて、想像できない。
 蒸し暑くても、どうなっているんだろうと思っても、草花は、秋の草花が、ススキはすでに白い穂を出しているし、稲刈りは進んでいるしと、時間は、人の遅い早いの作るものとして、草花は、じぶん自身で時を作り出している。
 人間も、それぞれに、老いも若きも、模様という時間を創りだしている。

自立

自立

日本には、美しい季節があると、誰もが言う。
その美しい四季折々の季節とは、木々と水との光の輝き、花々の競う姿であり、山間の化粧の姿だろう。
季節の変化する、そのものを美しいと思う人もいる。
季節の私達になすことは、たくさんある。
季節の中で、冬の寒さは、私達に厚く防寒具を着させ、夏の暑さは、私達の衣類を剥ぐ。
夏休み、冬休みは、子ども達を成長させ、たくさんの思い出を残す。
春は気持ちを和らぎ、秋は物憂くさせる。
季節の旬の食べ物は、私達の味覚を保ち、育む。
自然は、時に、私達を脅かす。台風、地震、旱魃、洪水、火山、津波………。
雨は、傘を差させ長靴を履かせる、強い日差しは、帽子を被らせる。
夜は、私達を眠らせ、朝は私達を目覚めさせる。
海や川やプールで、泳ぐ。
素敵な人に出会ったから、恋をする。
友達と話す。食べる。喧嘩する。仲良くなる。
仕事があるから、働く。会社に面接に行く。仕事がたくさんあって、残業する。
雨降って、友達と会えないから、つまらない。

誰も厚着をしたから冬が来るとは思わない。薄着をするから、夏が来るわけではない。
気持ちが和らぐから、春が来たのではない。物憂くなったから、秋が来たのではない。
季節の旬の味覚を味わったから、季節が来るのではない。
私達は怖くて脅かされたから、台風、地震、旱魃、洪水、火山、津波………が来るのではない。
傘を差したから長靴を履くから、雨が降ったのではない。帽子を被ったから、日差しが強烈になったのではない。
眠るから夜が来たのではない。目覚めるから朝になったのではない。
泳ぐから、海や川やプールがあるのではない。
恋をしたから、素敵な人に出会うのではない。
話すから食べるから喧嘩するから仲良くなるから、友達がいるのではない。
働くから、仕事があるのではない。面接に行くから、会社があるのではない。残業するから、仕事がたくさんあるのではない。
友達と会えなくつまらないから、雨が降るのではない。


橋は流れて(平成10年9月18日)

人橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず

(平成10年9月18日)

 小さいときの思い出で、忘れられない風景があります。それは東京の郊外、八王子に住んでいた頃のことです。今のような凄まじい住宅都市とはかけ離れて、あちこちに畑があり、はらっぱは広く、川の水はきれいで、何よりも懐かしいことは、近所の人々家々をほとんど知っていたということです。
 つまり、町が小さく、よその人があまりいなかったということでしょうか。道路も、とても広かったように思いました。同じ道路も、今たずねてみると、とても狭く感じられ、実に不思議に思うのですが。

八王子の中央高速のインターチェンジを降りて、国道十六号を入間市の方向に進みますと、拝島橋があり、ゆったりと流れる多摩川があります。支流に五日市町を流れる秋川と八王子市内を流れる浅川等、多くの支流を集めて川崎から東京湾へとそそぐ、第一級河川です。

子供のときの思い出のひとつに、これらの川でよく遊んだことがあります。拝島橋の多摩川へは、夕方、親戚の叔父に連れられて、よく釣りに出掛けたものでした。
叔父の家はつむぎの染めと織りの織家(はたや)で、染め場では、染料の入った釜からいつも鼻にツンとくる匂いの湯気がもうもうと立ち込め、織りの工場では、織はたを織る規則正しい織機が金属の騒音をまくし立てていました。
染め場のそばに、大きなコンクリート製の水槽があり、冬は冷たく、夏暖かな井戸水を、モーターでくみあげていた。今もモーターの唸る音や黒く光ったいくつもの釜がとても懐かしく、その光景が忘れられません。その水槽は深くて、回りが薄暗いせいにもより、底が真っ暗で、中にはうなぎとか鮠(はや)が黒い影を見せていた。

そのころ、叔父は午後3時頃になると、あとの仕事は人に任せて釣りに出掛けるのです。
もちろん、国道と云っても名ばかりの国道十六号を走って行くのですが、八王子インターチェンジもなく、切りどうしの舗装道路と砂利道で、しゃれたドライブインもなく、人家もまばらで、おぼえているのは拝島橋の手前の緑の奥に灰色の長い煙突が無気味だったことです。焼き場の煙突に煙が上がっていたことはおぼえてないのですが、往復に車の窓からいつもその煙突を見ていました。
拝島橋川岸に立ち、叔父がしつらえた釣りざおを、繰り返し繰り返し川上に向かって糸を流す。瀬釣りといって、糸の先端と端に玉浮きをつけ、あいだに疑似針をつけた仕掛けの釣りでした。

川面に浮かんだ玉浮きとその間の波をジット見つめて、にぶく光る一瞬に糸を上げる釣りに、子供の私には容易でなかった。叔父は、淡々と糸を垂れて場所を移り、時に私のそばに来てびくの中を覗き、中が空だと私の釣り棹をとり、自分で川上に糸を放り、当たりがなければ場所を移したほうが良いと、少し移動させるのでした。
やがて、いつものとおり夕闇が訪れて拝島橋の街灯がつき、あちこちに釣り人の影はあるものの、それは回りの景色と同じに動かなく、川の音だけが次第に大きくなり、いつまでも耳に残るのです。

川岸に立っている私は、川面を見つめているうちに、自分が玉浮きと一緒になってどんどんと押し流されてゆき、吐き気をもよおし、頭を振ってはもとの自分に帰るべくするのですが、川の瀬の流れは早く、川石に足を取られてよろけるのでした。暗くなると心細く、とくに帰りの支度の釣り糸をしまう作業がとても嫌だったことを思い出します。

禅語で『ひと橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず』の語に接したとき、最初に思い出した情景は、子供の頃を過ごしたこの光景でした。水の流れに自己が没入した、無心の境地を指すのですが、子供心の私は、その流れから必死にこうべを振っていたのです。
もし、そこが日当たりのよい渓流のほとりで、まどろみながら空を見つめていて、雲と一緒にただよい、あるいは、せせらぎを聞きながら、そのせせらぎのうえに乗って流されていたら、その流れを拒否しようとは思わなかったでしょう。それこそ、目に写る自然を愛で一体となった姿。迷いも悟りもない無心の境涯というのでしょうか。

哲学者であり禅者である京都大学教授故久松真一師は、自分の弟子に『火焔裏(かえんり)に身を横たう』と短冊にしたため、進呈したという。
黄檗宗の二世木庵が、隠元に参じたとき発した句であるといいますが、私の好きな言葉のひとつです。火焔を自己の煩悩と置き換えてみますと、実はわれわれの日常世界が、選ぶと選ばないにかかわらず火焔裏の世界に違いありません。われわれはの日常は、火焔裏の世界です。その中で、我々は生きていると言いましても誤りではありません。

日常の生活を振り返って見ますと、おそらくいろんな事に執着し、後悔したことがあるでしょう。もちろん後悔しないで成功したことも数限りなくあると思うのですが、だいたいにおいて失敗が人を築きあげて行くごとく、みずから火焔裏に飛び込んで切り抜けたときの爽快さはたまらなく嬉しいものです。
われわれの現実生活では、われわれの自身の迷いや不安や欲望が、その火焔や水の流れに没入させることを躊躇させます。それこそ子供のころの多摩川での釣りのように。

ですが肝心なことは、没入する前から実はわれわれは炎の中、水の流れの中にいるということの自覚が必要だと思うのです。そのなかで、自身の立場・行為を観察し、恐れずに大いなる者へ身をゆだねて、後悔しない。自分がどこにいても、大いなる者が見守っていてくれるという確信が、自由無礙なる自己を創造してくれるに違いありません。それこそ、こうべを振ってはいけないのです。



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