目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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桜(平成12年3月2日)

桜(平成12年3月2日)

 やっと、なつかしく過去を振り返って見ることができる年齢に達してみて思うことは、自分にとっての過去って、いったい何処にあり、何の意味があり、今の私をどう支えてくれているのだろうかということです。何十年という時間の蓄積を持つことは、生きてきた証であるはずなのに、その価値観がなおざりにされる時代を、満開の桜の下で少し考えてみる。

また思い出そうとする作業で、思い出される記憶は、何処から紡いでくるのだろうか、忘れかけていた古い写真を手にしたとき、懐かしい感慨と共に、自分の姿形がいかに変わってしまったものかを思うことがある。記憶は自分の内部に在るはずなのに、自分の外部と接触したとき、鮮明な容姿が湧き上がることに、新鮮な驚きを思う。そして、その記憶から、姿形だけではなく、感動の仕方、表現の方法、対処の仕方までもがおおきく違っていることに気づく。そして、再び廻り来ることのない過去から述懐が芽生える。今の自分と相違して、嘆くこともあるでしょう。多分、大方の人は懐かしさが身にしみることでしょう。自分にとって何十年という年輪の風格は、目に見えず、過去を秘めてのたたずまいこそ、桜の下を歩く自己の、年輪を窺わせるものなのです。そして、今生きていることの裏付けなのでしょう。

 私はそう思いながらも、頭の中の無数の神経細胞の結合姿を描きながら、その中を走る電気信号を想像してしまうことがあります。確かに、私にとっての過去って、スイッチを押せば、頭の中でたちどころに走り回る神経伝達物質の動作であるようだ。走り回る物質は、いつも誕生と消滅を繰り返して、どこかに蓄積されるという物ではないらしく、どちらかというと消費されることに似る。新しく生成される神経回路が、記憶の扉とすれば、その道順を記憶する扉もあるのだろう。すると、私の心とは、迷路の中を猛烈なスピードで走り回ることに近いものなのだろうか。スイッチを入れなければ、過去も心も、存在しないことになるのか。

 誰も鏡の中の自分に向って、答えてくれるだろうと、『私は、だれ?』と問いかける人はいないだろうし、もし問いかける人がいたとしたら、『おい、主人公!』と、自己を洞察した人の、確認の意味を持つ言葉としてです。  誰でも、自分の人生を振り返ってみる時、どんなに波乱万丈に長く生涯を送って来たとしても、短く惜しまれて去ろうとする時も、実人生を振り返ってみる時、自分の歩いてきた人生の客観的な長さは、実感にそぐわないものがあります。それは過ぎ去った時間の、アッ!と言うまの過去の長さからです。いくら思い出して豊かな時間が続こうが、なつかしい経験を思い出しても、苦しく辛かった人格を形成する時も、愉快で楽しかった若い頃も、過去は夢のまた夢であり、もはや手にすることのできない時間だからです。
 人が生きれば生きるほど、過去には二度と手に入らない時間が増えることになります。たとえ人が百年、二百年生きようと、一炊の夢の若者のように、揺り動かされて覚めた時の実感は、生き様が激しければ激しすぎるほど、人生の糧が大きいほど、現在において、アッという間の過去の時間に思えてしまうのです。

春、桜の花は満開の小さな花を一斉に競って、咲き乱れます。新緑に先がけて一斉に咲くという行為に、人が意味を投影することができるなら、わずかの間に一斉に散って行く姿から、人は感慨を彷彿させられるでしょう。桜の根の旺盛な生命力ゆえに、枝葉は荒荒しく、幹の肌の気品は気高さを織り交ぜて、人の人生に儚くも悲しい影を投げかけもします。 人と違うところは老齢を重ねた桜ほど、目に過去の経過の結晶をさらして、それが人の感覚や思いを研ぎ澄まさせることです。老いさらばえて咲く一斉の開花の情景は今年限りの姿であり、ただ咲くばかりの狂おしさを思います。咲く行為に老いも若さもない筈なのに、若木に比して人を圧倒する姿は、本来、人も年をとればとるほど老齢の桜に似て、見事な姿なのですが、異なって見えるのは、人の思いや価値観、二度と帰ってこない時間の、取り戻せない過去を振り返る心のなせることなのでしょうか。

 人が年を重ねた末の、悲哀や年輪を偲ばせた変形した姿・形のたくましさを、もっと見つめてもらいたい。『人は年を重ねるほど、若くなる』と言う言葉の意味を、人はもっと深く考えなければいけないと思うのです。アッという間の過去は目に見えず、若い人と年を重ねた人も、同じなのですが、十年二十年と較べて四十年あるいは五十年は確実に違う重みを、老齢の桜のくるおしい姿を見て、なおさらに持ちます。 

 思い起こせば、後を振り返ることもせず闇雲に、意気揚揚と突っ走っていた過去の時間は、春には一斉に咲き誇る姿であり、幼子の無邪気さは、花の散ったあとの一斉若葉の繁るさまでもあり、ふり返る行為は、雨に打たれて生き生きとする姿に似て、若者の溌剌とした姿は、陽光に踊り輝き、その若者もいつしか年を重ねた時間は、秋には葉の色を変えて散る姿であり、年老いた時間は、冬の寒さの中に枯木として耐える姿の記憶でもあるのです。

 人が許容や受容と言う意味を解りかけて来たとき、桜の四季それぞれの姿は、同時に次の季節の予感を到来する姿でもあり、誰も止められぬ勢いは、やがては終わって、桜の花びらの散る風景に、緑葉の色づく風景に、枯葉の舞う景色から、冬の枯木の生命力をみなぎらせた姿になります。どれもが真実な姿でありながら、立つ位置、立場によって、まったく変化してしまいます。
 その老齢な桜の満開の花を見て、冬の落葉のその桜樹を思うことは、満開の桜の花ゆえに、冬の裸木の過去の姿が、物悲しく映ります。そしてそれは次の季節に、今だ来ない季節の確実に移ることの予感であり、そのことを私達は『春うらら』と、陽気に重ね合わせるのでしょう。
 また、冬の桜の裸木を思う時、去年の桜の姿を思う時、いくつかの若かった頃の自分の切り絵を思い描く時、故郷の友人を、両親を思う時、幼い頃の教室の机や壁を思い描く時、私達は知らずに満開の桜並木の下を歩きながら、着実な今を、去っていった過去によって表わします。

 春うららの陽気は、人の過去の積み重ねた経験や知識によって、人のそれぞれな複雑の気持ちを包んで、春うららです。  去っていった時間は、桜の散る花びらに似て、老齢な桜ほどに枝を広げての花吹雪に似て、あっというまの過去の時間です。


無常(平成11年4月16日)

無常(平成11年4月16日)

 通常、無常というと、絶え間なく変化する世の移ろいの儚さ、悲しさ、寂しさを言うことが多い。おそらく日本人のもつ無常感は、美しく変化する季節の移ろいと、人の命の移ろいを重ね合わせて、しみじみとシットリとした情感を持つことになったのだろう。

友人が言っていたことだが、この無常感を歌う演歌のマイナー響きは、大東亜戦争をはさんでからのことで、下町に伝わる「さのさ」「深川」「木遣り」の江戸伝来の歌舞音曲は、もっとからっとしている。
これらの歌は、下町の人々の陽気で、しかも活気あふれる姿を表わしていた。この時代は現在のような演歌はなかったのではないだろうか。そして、その歌がごく一部の人達に残って、庶民である我々の中で、すたれていくということは、江戸の文化のたくましく雑多な意気軒昂な情感がなくなってしまうということで、残念なことであると、歎いていたことを思い出す。
今、この無常感の原点である中国の古い話を、下記に引用してみた。
 
『中国の寓話』
チュンラン、つまり「岩山の親分」という名のひとりの老人が、山の中にひとつの小さな農場をもっていた。ある日のこと、彼の飼っている馬が一頭いなくなってしまった。そこで隣人たちがこの不運に対して老人に慰めの言葉を言うためにやって来た。
老人はしかし質問した。「お前たちはこれが不運なことだとわかるのか?」と。すると見よ、その数日のちに、その馬が戻って来た。しかも一群の野生の馬をそっくり連れて来たのである。またもや隣人たちがやって来て、この幸運な出来事にお祝を言おうとした。
山の老人はしかしこう言った。「これが幸運な出来事だと、どうしてわかるのか?」

さて、こんなにたくさんの馬が自由に使えるようになって以来、老人の息子は乗馬が好きになりはじめた。そしてある日のこと、息子は脚を折ってしまった。するとまた隣人たちがやって来て、慰めの意を表した。するとまた老人は彼らに言った。「これが不幸な出来事であるとどうしてわかるのか?」
それから1年経って、「背高ノッポ」の代表団が、皇帝の軍隊のための強壮な男子と駕籠かきを招集するためにこの山岳地帯にやって来た。今なお脚に損傷をもつ老人の息子を、彼らは選ばなかった。
チュンランは、にっこり微笑まずにはいられなかった。
<人は成熟するにつれて若くなる(塞翁が馬)>草思社刊
 この「岩山の親分」という一人の老人を、今の世に放てば、とてもいやな素直でない老人になってしまうこと、間違いない。隣人の祝の言葉や同情の言葉を、つねにひっくり返して、悪く言えば「人の言葉を素直に受けられない、嫌味なことを言う孤独な年寄り」と言えるだろう。そうは言っても我々一人一人の生涯は、実にこの言葉のとおりだし、一人一人どころではなく我々の次の世代にも引き継がれることでもあるとおもうのです。チュンランが、最後ににっこり微笑んだことは、この作者の勇み足であると同時に、私達への問題の投げかけでもあると受け取りたい。

さて、先日、寺に子供達がたくさん来た時、私はこの話をした。常時このような現実の中で、「あなた達はどう対処したら良いでしょうか?どうあなたは心がけたら良いでしょうか?」と、問い掛けたことがありました。
「答えは、あなた達一人一人の問題ですから、現実のあなた方の行為や出会いには、つねにこの問題が隠されていることになります……あなた方一人一人の行為や出会いは、つねにその後が結果として現れ、その結果は次の行為や出会いの問題を引き起こし、果てしなく続いています」と。
「私達は、過去から未来へと続く時間の連鎖の中を、常に結果を問題とされながら、時の流れにただよっているともいえるわです」と。
子供たちは不思議な顔をしていた。
このような状況の中で、わたし達の生きる決断はただ一つです。時間の連鎖の中で、一つ一つ断って、結果に左右されずに生きること、そのことに心がけて、対処できたらどんなに、結果に左右されずのわずらわしさから開放されることでしょう。

幼くして日本脳炎を患い、知恵遅れと言われ逆境を生きてきた女性がいました。その後、彼女は右半身麻痺となり、杖を片手に歩こうとするのですが、長い時間立っていることも事もできず、言葉も不自由に、考えもうまく言えずに、悲惨な状況にいることは確かなのですが、幸い妹が、息子達が、息子の嫁達が懸命に彼女を支えていました。

明るく子供以上の童心は、見る者を微笑まします。残念なことですが、今年、彼女の老母が亡くなってしまいました。母親にとってその子の不憫なことは言うまでもありません。彼女も子供のように、母親は恐い存在で、母親の知らぬところで転んでも、母に心配かけたくないためか、怒られるのが嫌なのか、話すことができないのです。2、3日たって痛んで腫れてきて、「痛い!痛い!」と、言う彼女に「どうしたの?」と、問いかけてはじめて、彼女は転んだことを話すのです。転ぶだけならまだしも、車にぶつけられた、自転車に接触区された、道がわからなかったと、数限りなくありました。そんな彼女も、今、58歳です。

彼女は、何事にも一途しか生きられず、純粋に物事を見つめ、考えます。その彼女の母の死に、彼女は見事に悲しく涙を見せてくれました。彼女の母に対する気持ちは、58歳になっても、老いた母ではなく、子供の頃の母そのもののような気がしてなりません。普段の彼女は、今日のことを、悩みや楽しみを明日に残すことはしませんでした。葬儀が終わって、翌日から、彼女は母の遺品の整理に没頭しています。片付けるという行為をひたすら遂行する彼女のひたむきさに、まわりの家族はほっとします。彼女を心配していた私は、彼女に、本当の禅を見る重いです。目前のことを、ひたすら行ずる姿は晴れやかに、後を残さない。

凡人の我々は、現実の在りようを、厳しく見つめ、結果を結果として受け入れて行く。今を生きると言うことは、時に辛く苦しく、悲しく寂しく、不安や恐怖にいらいらすることも、今の私なのだと思うことが、今を生きている姿なのです。


川(平成10年9月17日)

川(平成10年9月17日)

 深川はかって無数の運河が交差し、地方の都市と結ばれていた。神戸や横浜は外に海をもち開け、内に山を持つことにより都市の景観が落ち着く。深川は海の中に都市を作ったように、運河が街の景観を青く際立たせていた。その運河も道路のために埋め立てられ、海が沖へと遠ざかってしまった。もちろん運河はいまだ数多く顕在であるが、市民生活でかって頻繁に足代わりに利用されていた時とは様変わりで、護岸を高くあるいわ防護ネットを張り巡らされては、再利用して良いのかわからずに、取りあえず散策道路を作って水と親しむ運河をアピールしているかのように思えてしょうがない。
『隅田川は、源流を埼玉県の奥秩父・大滝村にある甲武信岳の真ノ沢に発し、秩父市・熊谷市・浦和市などを経て、東京の北部から東部の下町一帯の沖積平野を流れている。都市の中の代表的な川で、長さ23.5km、流域面積673.4k㎡の一級河川で、新河川法によって荒川放水路の派川となった。東京都北区と埼玉県川口市を結ぶ新荒川大橋の下流に岩淵水門がある。この地点で荒川は隅田川を分流し東京湾に注ぐ。上流より、北区・足立区・荒川区・墨田区・台東区・江東区・中央区の川の手を流れる感湖河川である』(すみだ川№3島正之氏著《新しい隅田川の創造に向けて》より)
川と言えば水源地があって、上流、中流、下流、海へと流れているはずである。永代橋の上に立っていつも思うのだが、この川は水が流れているのだろうかと不思議に思う。もちろん波頭のようなものが立っているかのようだが、これが流れなのか、航行する舟の波なのか、海の波によるものなのかしらない。川辺に降りられず、水を触れられない川は人が拒否されているようで、可哀想だ。上流を感じられない川は寂しい。川の声を聞きたいが、それは無数の騒音にかき消されてしまって紺碧の水面を光らせているだけだ。だいたい舟の行き交いが少ない。夜、色々な色の提灯をつけた屋形船が行き交うさまは、川がゆったりと舟を浮かべて遊んでいるようだ。たまに艀や遊覧船が通るがその数は少ない。だいたい舟の止まる場所が無い。人に聞くと川の流れはけっこう速いそうで、水質もだいぶ良くなったと言う。 
『亀久橋の南詰から、わざと遠まわりに、先日の滝久蔵が通ったとおもわれる道すじをたどり、秋山小兵衛は、佐賀町代地の掘割沿いの道へでた。
細い運河に架けられた小さな橋の向うに、陽岳寺の土塀が見える。左へ視線を転ずると、黒江橋の南詰に、又六から聞いていた三好屋という居酒屋がある。
陽岳寺の門前には橋が三つ。掘割には、ぎっしりと舟がもやってあった。その中の一つから顔をのぞかせ、陽岳寺のほうをながめていた男が、小兵衛の姿を見るや、立ちあがって陸へあがり、二つの橋をわたって声をかけてきた。……』
池波正太郎氏著《剣客商売・浮沈》の陽岳寺界隈の文章であるが、人の気配が川そのものと密接にかかわっていて、風情と活気がある。
深川の隅田川を、永代橋や墨田大橋の上からながめて思うことは、ゆったりとしていて、時間が止まって見えることだ。まして夜の青い永代橋の眺めは絶品である。橋の青さに映る川の波のゆらめきは、いつ眺めてもあきない。
私達現代人の日常は、常にこの時間と言うものに追われて、追い詰められ、正確に時をどう克服していくかが、いつでも非常に大きなテーマを持つ。赤ちゃんが何時にミルクを飲むのか、幼稚園の登園時間、降園時間、塾や習い事の時間、現代人は生まれるや、すぐに時間と格闘し始め、それは死ぬまで続く。時のスピードは時にゆっくりと、速くを繰り返しながら、私達の体内に時間が巣くってしまう。人が誕生し,成長し,老いる、そして病気、これら総てにいつも時間がかかわっているように思える。願いや希望、祈りの中にも時間はかかわっている。考えてみると、私達が充実している時を過ごすとき、つかの間の安らぎを得るとき、幸福なとき、ほっとするとき、時間は影のように表を見せない。もし時間という概念が無かったら、私達は私達そのものをより実感できるのかもしれない。時間が私達を束縛し、苦しめ、悩ますといってもいいだろう。
我々臨済宗の修行道場では、総ての時を鳴り物によって知らせる。修行僧は基本的に時計を持たない。雲板が鳴れば食事の用意が出来た。そして鳴り方によって食事に来い。時を知らせる音は材質や鳴らし方によって修行僧を一斉に動かす。つまりは、時は音に置きかえられて、音は修行僧を次なる行動に走らすということになる。
さて仏教の時間論は過去いくつかの部派や学部を経て、鎌倉時代より現代の間は、”永遠の今”を主張としている。現在を中心に過去と未来を持つ現代人に、絶対現在を認識することはとても難しいことです。過去や未来は存在せず、ただ今が在るのみと、自分を離れて時間や存在はあり得ない。存在するものはすべて時間としてあると、そしてその時間は”ただ今”があるのみであり、その今のまっただ中には、時間は存在しないことになる。瞬間とは存在しない時間であると同時に、総ての時が含まれるという時間でもあると思うのです。
隅田川の橋の上に立つ私を今の私とすれば、上流の川は小さい頃の私であり、これより下流の川と海はその後の私であり、川は私の総てであると言えば、上流の川は眼には見えないけれど、今も流れて存在し、下流の川は東京湾に今流れ込んで同時に存在いたします。自分が今存在すると言うことは、総てが存在して、私を表現してくれていると思うのです。


有時(時の構造)(平成12年2月5日)

有時(時の構造)(平成12年2月5日)

≪星雲≫
宇宙に散らばる星たちの中に、無数の星をちりばめた星雲がある。その姿を望遠鏡が捉えた写真を見てみると、拡散しているのか、収縮しているのか解らないが、渦を巻いている。風呂の湯を抜くときの渦巻きが、地球の自転と関係していることを思えば、星雲たちの渦も、回転していることそのことが、時が渦を巻いている姿と思える。風呂の湯の回転する姿と、星雲の回転する姿は、回転していること事態は同じなのだが、そして今見ているということも同じなのだが、何億光年かに遡っての過去の姿の回転と知る時、過ぎ去った時間の経過をふまえて、時を考えさせる。
今、正に見るという、過去と現在の交じり合う場所が、望遠鏡であり、写真であり、肉眼であることを知れば、現在がなければ、過去を窺い知ることはできない。とにかく、現在より時を遥かに溯ること、その時の過去の姿を、現在に、過ぎ去っていったものとしての姿を、私達は見ていることになる。
今、回転している姿を見つめている私には、同時間にも存在するだろう姿は見えず、あくまでも過ぎ去った時間の姿であることは間違いがない。この意味で、過去が現在に於て在ることは、ことの実在を問題にする。

今、実在するものは不可知なものとして、今、伺うことが出来ず、かって実在していたものを、今、存在するものとして、目に見ることの不可解なる事実は、面白い。星達にとってみれば、そんな過去来歴を含んで、私達を、今、ここに、照らしているということになる。しかし光の旅を考慮しなければ、風呂の渦巻く姿と同じに、距離を問わずに、同じ渦を巻く姿であることに変わりはない。
遠く渦を巻く星雲を見て、その光景は、何億光年にわたって漆黒の闇を照らして旅を続ける輝きに違いないのですが、私達に見えることは、時間としてではなく、空間を通して、遥かなる生命体として見えているということです。時はいつも、空間に於いて捕まえることが出来て、それは見ることができる姿を伴っていると思います。空間に於て時はあり、時間と空間のクロスすること、そのことは、今、ここの表現であると思います。この意味からは、遠く渦を巻く星雲も、風呂の渦巻く姿も、共に私達の今、ここを表現していると言えるでしょう。

私がいるということは、その周囲にはたくさんの物質に囲まれているということです。時計があり、茶碗や机椅子、テレビにパソコンとその場所に静止しているもの、水道ガス電気電話は、チューブの中や線そのものの中を流れて行く物があります。空中には、見えないけれども電波が行き交い、風が小さな物質を運びます。それらはすべて時を含んで在ります。茶碗は、家庭のガラス棚に置かれるまで、数奇な軌跡を描いて在るべき場所に、今在るといえます。客の訪問があり、私がその茶碗に手を伸ばそうとする時、茶碗は未来に茶が注がれ、客に呈されるという、未だ来ぬ時を内在して、今、置かれて在るといえます。空間も時なり、時は空間なりといえます。

≪椿≫
椿は、今年の冬は暖冬だったせいか、なかなか花を咲かせませんでした。今冬は、庭や鉢植えの椿にとって、いかに寒さが必要ことかよく理解できたことでもありました。寒くなるということが、椿を咲かせるからです。この冬一番の寒さが訪れたときの朝、椿の花が咲いたのです。
この時、桜の枝を見上げると、桜は、この寒さをじっと堪えています。桜にとっては、寒さが必要なことであり、これを咲くための条件ともいいます。寒さの後の、暖かさに花を咲かせるからです。
椿にしても、桜にしても、木があるということは、木それ自身が存在することであり、大地や、虚空も存在しているという事実を含んでもいます。木々が、大地に根を張ることは、大地が木々を支えることでもあります。虚空は、木々の枝を開く空間を提供し、太陽は、芽を伸ばし伸びる方向を誘導します。照らすことと、照らされることは、同時に進行し、誘導し、目的を遂行するという行為を含んで、椿は花を咲かせます。誘導するは、芽は天を目指し、根は地中に潜みます。目的を遂行するとは、生きるということであり、このことは死を含んでということでもあります。そして大地と虚空と太陽は木々と一体になって、空間を構成します。これを世界と言い、全体と言います。

世界を、全体を構成する仕組みは、矛盾を含んで、同時に、成り立っているということです。仏教の指摘する立場とはこのことです。
暖かさや寒さも時を含んでいると言えます。花が咲くことは、植物の表現ですが、また、生という意味を持ち、その時々の表現こそ、生きていることの意味だとも思います。花が咲かないときも、表現に変わりはないのですが、結実ということを考えてみれば、次の世代に向かって、表現していることは、時の開花でもあると思います。
もちろん花が散って、枝が伸びるとき、その枝には、次の開花のための行為があります。そのことを時間でいえば、植物も未来に開花するという時間を含んで、今を生きているといえます。そして、何のための開花かと言うと、植物単体は、いずれは枯れて、死滅するということを含んで、開花するといえます。植物に死という時があるということは、死という時には誕生という時を含んでいるということも事実です。新たに生まれた、その植物の若芽には、過去という時間を含んで、若芽を成長させるといえます。すべてに時が関わります。
古人の言葉に「この一番の寒さが骨に徹するのでなければ、どうして梅花が全世界に香ることができようか」と、寒さを修行に譬えるのもよいのですが、梅が香ることが、この一番の寒さの表現でもあるのです。

≪同時性≫
仏教の同時性とは、一枚の紙を例に取ると、紙は表と裏と合わせて、一枚の紙を構成するということです。表は、裏が在って、始めて表であり、裏は表が在ってこそ、裏といえます。表は、裏を自らの存在の根源とすることによって、表として自立することができます。ここに、表は裏を含んで、表と言う立場を、否定を媒介として肯定するという、仏教の立場があります。兄弟、夫婦、親子、生徒と先生、上司との関係、顧客との関係、友達との関係、縁起的関係は、単独に於て独立していると言うことはないのです。独立も他を根拠にして、独立すると言うし、最近よく使われる言葉で、勝手にしても、他を根拠にして、勝手であるのであって、その勝手は、あくまで他があることを前提としている。他を忘れた勝手はあり得ないことになり、勝手の意味すら分かっていないといえます。他を根拠に持つということは、自己を独立の根拠にしないという意味であり、自己を否定する意味を持ちます。肯定と否定は、肯定は否定を含んで、肯定され、否定は肯定を含んで否定が成り立っています。

存在するものと時間とは、やはり否定的関係において、成立しているといえます。縁起的、因果的関係に於いて、総てのものは独立してあることはあり得ない。時も、在るということも、単に独立してあることはなく、時は在るに含まれ、在ることは時を含んでと言うことでしょう。
過去、現在、未来という直線的な、人の時間グラフを作った場合、過去の経緯が今を表現し、未来の出来事や約束、目標が、今を表現して、今を彩り、今の行為が、過去の履歴を評価し、未来の出来事や約束、目標を変化させるとしたら、今こそが、過去や未来の溶融された今は大きな意味を持つと同時に、、過去も未来も大きな影響で今を支え、導いていると言うことを、以前に書きました。

仏教の立場は、今、ここが絶対の現在ですが、その絶対は、過去を根拠にして、未来を根拠にしてと考えたとき、現在は絶対を否定するるという矛盾を含んで成り立っています。このことを知って、過去や未来を変化する力を持つといえるのではないかと思うのです。
時間軸に、人の生死を乗せて考えてみた場合。先ず、過去は、生まれる前の私です。禅では、父母未生以前本来の面目といいます。現在は、人が生きている生涯の時間帯ですから、何十年かの人生です。そして未来は、私の肉体が無くなる、死です。死と死後は微妙に違う内容を、私達に投げかけて来ます。死とは、存在そのものに関して、私達の意識を揺るがせます。死後は、どちらかと言うと、私の居なくなった後の、時間的経過後の問題を指すように思えるかもしれません。いずれにしても、死や死後も、時間そのものとして在ると言えます。

生まれる前も死んだ後も、共に私の肉体を持たないということは、共通のことです。このことは、現実的に、肉体を持って、手にすることの出来ないことでもあります。しかし、生まれる前の時間や死んだ後の時間は、決して掴むことは出来ないけれども、今を生きるということの中に、その時間を含んで、我々は、今を生きていることにもなります。
人の生涯の時間は、決められませんと同時に、ついさっきまでの自分すら、もはや手にすることの出来ない自分です。過去としての自分としてあったと言えます。今とは時間軸を真っ二つに切断した鉈(なた)と考えると、前後があるだけで、生まれる前も、死んだ後も、共に前後の中の一時点ということも言えます。生まれる前も、誕生してより今以前も、見えないものものとして、時として在るともいえます。
今とは、行為であり、恋愛であり、創造にふけるということであり、生きていることに結びつくあらゆる行為の真っ只中の今です。時間軸とは、もともと人の生死の軸でもあるのです。


時の旅人(平成12年2月1日)

 諸行無常。諸法無我。涅槃寂静。
 仏教はここから出発いたしました。
 諸行無常は、時間です。
 諸法無我は、空間・存在です。
時を語るには、空間・存在を語らなければなりません。空間・存在を語るには、時間を語ることになります。
諸行無常を”今”とし、諸法無我を”ここ”としてみれば、そこに、”わたし”が在ります。その私は、時間と空間・存在により成り立つといえます。そこに、世界や宇宙があります。

ヨハネによる福音書14章は、世に言うところの最後の晩餐である。
「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている。」というイエスに、トマスがさらに尋ねる。
「主よ、どこにおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
イエスは、「私は道であり、真理あり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
もしもあなたが私を知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。」と語る。
そしてピリポに、イエスは言う。「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。」

  時の旅人(平成12年2月1日)

 東洋、特に中国、韓国、台湾は道教・儒教・仏教の影響を多く受けていることは、誰も否定しないことでありましょう。そして、知らず私達の日常に根を下ろしているといってもよいでしょう。その中で特に、道への思いは格別であると思います。そして、道があるからには、その道を歩く旅人の思想があって不思議ではない。西行、芭蕉、一遍は旅自身を、義経伝説、平家物語はその旅をする人物達を物語りにすることが出来るでしょう。道は極まって、茶道や武士道に、旅人は道に生きることから、それぞれの人生へと繋がっているかのようです。
遠くイスラエルに始まる、キリスト教、またイスラム教自身にも、巡礼の思想があるかぎり、道はあるのでしょう。イエスのトマスにこたえた言葉こそ、道の思想であり、巡礼の思想でもあります。
では、どう違うのだろうか。同じ旅人でも東洋と西洋の大きな違いは、時にあると思う。

禅に行雲流水がある。行雲流水は諸行無常であり、ここに時が潜む。
仏教ではと、言った時、世界は仏教的なものと、そうでないものと二分していることに気づく。何故か言っている自分の中に、仏教でないものが巣くっているのだろうと、きづく。しかしながら、仏教は世界の有りようを語り、仏教そのもが真理であることから言えば、言い出しは、「世界の真実は」となり、このことが仏教であるのです。
≪法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり。
万法ともに我にあらざる時節、まどいなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし。≫
道元は現成公案の冒頭において、世の中の総ては、そして、世界の成り立ちの法は、縁起なるが故に、仏法なる時節と言い、時節は時間として、総ての存在するものは、時間を持たないものはなく、したがって時として在るものにおいて、迷いあり、悟りあり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あると解く。

在るものは、時として在るという、壮大なテーマで、我々の眼を開かす。存在するものは、意識であり、物質であり、生であり、死であり、そのものが仏法なる時節と断言するのです。また、因果生滅の法も、時によって成り立つことを思えば、時は因果生滅の法を含んで、成り立っていることにもなる。
次に、「自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」という、空・無の立場、諸法無我の立場から、世の中の総ては、そして、世界の成り立ちの法自身も、決まりはなく、実体もない時節と、縁起の故に空無という。ここにも時節は時間として、万法ともに我にあらざる世界を表現しています。我にあらざる時節とは、無であり、否定であり、その時節もなく、時節そのものが否定された時こそ絶対の現在として、仏法そのものであり、そこには迷いなく、悟りなく、修行なし、生なし、死なし、諸仏なし、衆生なしと解きます。さらに、迷いなく、悟りなく、修行なし、生なし、死なし、諸仏なし、衆生なしは、時の表現にもなると思うのです。

仏教が鋭く示すことは、時に違いないのです。そしてそれは常に具体的な事実です。その故に、脚下照顧と言い、一期一会であり、前後裁断であり、前三三後三三であり、此れ何者ぞと問われた自己の今・ここ、すなわち、現在を指し示すのです。その自己の現在の連続は、現在が絶対の現在として独立して、非連続に連続して、しかも断にして不断の矛盾的相即です。時は流れるものばかりではなく、流れないものとしてもあるとは、このことを言い、このことを知ってこそ、趙州は十二時を使うと宣言いたしました。
時は、すべての存在するものであり、すべて存在するものは、また時である。そのことは、真理であり、法であり、不変のしるしでもあります。
東洋の英知は、時は、道である。そして、道は、時であると言います。
私達は、『時の旅人』であるのです。


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