目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
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溝(平成11年8月2日)

溝(平成11年8月2日)

 人は本当のもの、真実のもの、正しいものを見極めようと、あらゆる手段を模索する。未来や将来が現実の問題として拘わってくる場合は、何が正当なことことであり、何が間違っていることは、重要なことであり、判断如何によってはそのことにかかわる人間の実人生を大きく変えてしまうことになるからです。

仏教では「今を生きる」と言い、「今日ただ今の命」と言う。過去や未来を差別する、今って何だろう。今ってどうしたら捕まえることが出来るのだろうか。「永遠の今」と言う言葉の美しさに惹かれるが、永遠の今には、過去や未来はないのだろうか。

時間や距離の数字の1と2の間には、いったいどんな数字が隠されているのか、考えてみると途方もなく限りがない数字になってしまう。そして1から2に渡ることができないことを知りつつも、何の疑問もなく1,2,3、……と数えることが私達はできるのです。コンピューターのクロック数の増加は、スピードという限りなく1秒間の振幅を追いかけての結果です。行き着く先は見えないわけだし、円周率も限りなく数字を追い行き着く先は見えないが、別に追わなくても円は書けるし、時間はおかまいなくに、過ぎてゆきます。

距離や時間の1と2の間には、途方に暮れる玉ねぎがひそんでいるように思える。測ることのできる数字には、測ることのできない数字を含んで成り立っているように見えるが、私たちの普段の生活では、何ら問題にならないことなのです。渡ることのできない出来ない溝を、実生活では簡単に渡ってしまうのです。

1と2の間には、”と”があることが問題で、1、2、3、……と言えば問題はないなどと言ったら笑い話ですが、案外こんな所に実生活の知恵があるように思えます。もっとも気がついてうえの知恵ですが。
つまりは、1と2の間の溝を、考え創造するとしたら、10進法で10を作り出し、その1を更に10創って、これを繰り返す。繰り返すことは、飽きるまで続けられるということになるのではないかと、思ってしまう。
ここで今度は、私の家と、隣の家の地境はと考えてみると、境界線は切断面になり、ここには距離も無く、もはや10進法も存在しなくなることが考えられる。私の家を1、隣の家を2と数えたら、1と2の間には、隙間はないのだ。
私は小さな禅寺の和尚にすぎませんし、哲学や数学は何のことかさっぱり解らない者ですが、解らないなりに疑問を持ちながら、岩波の哲学思想辞典を探したら、ゼノンのパラドクスがある。

「アキレスと亀:足の速いアキレスが後方から出発して、亀と競争すると、亀に追いつけない。アキレスが亀の出発点に到達したとき、亀はその間に多少は前進している」

「2分割:ある場所に到達するためには、その半分の地点に到達しなければならない。そこに到達しても無限の点を通過しなくてはならないため、有限の時間で到達することは不可能」

「飛ぶ矢:あるものが自分の大きさと同じ空間を占めているとき、そのものは静止している。飛んでいる矢は、この今においてはそれ自身と同じ空間を占めているから、静止している。どの今についても同じことが言えるから、静止している」

ゼノンがかく人を惑わそうが、実生活の上では何の障害もなく遂行できる。このゼノンのパラドクスの共通するものは、すべて点に有るように思えます。飛ぶ矢の今も点として捉える限り、存在として有ると言う錯覚が無限の迷宮に足を踏み入れさせるように思えるのです。

ロシアでは宇宙にロケットが発射された場合、常にグリニッジ天文台の時間を使用すると言う。アメリカでは、スペースシャトルが地上を飛び立ったその時を起点に時が新たに始まるという。仏紀、皇紀、西暦、イスラム紀と時を刻む始まりは沢山ある、この意味では世紀末は何の意味もないが、起源(起点)から数え始めれば節目の意味を持つことになり、独立、創立、樹立、建立と独立して歩き始めることもあります。そしてこの独立して歩き始めることが、更なる迷宮を生むことになると思うのです。ここでも点が絡むことを考えれば、いっそ点は無いほうが良い。

地境の線はあくまで切断面であり、線が存在すれば、線自体は誰の所有物かになり、その線を更に半分に切らなければならことを思えば、無限の迷宮に陥ってしまうからです。
人が生きて与えられている時間は瞬間と言い、今と言う。「今日ただ今の命」と言う時、時間の帯の上にどうしても、今を点としてとらえます。そして点として捉えることは、そこに自分が存在すると言う証が必要であるからです。私達が考える現実あるいは、事実ということとそぐわないからです。更には、その前後の過去と未来を考えると、どうしても3点セットの時間は実生活の上に必要な時間だからです。切断面では切断した切り口を数えること、存在として確認することが出来ないからです。
今が消滅することにもなりかねませんからです。今日ただ今に徹することとは、その切断面という存在しない今に、自己の存在を捨てると言ったら良いのでしょうか。
禅で言う『無』とは、こう解釈できるような気がいたします。


過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)

過去心…念の起こる処(平成11年6月19日) 

母とは、その子供から見れば、厳しく優しく、いつまでもその姿を脳裏に止めていたいと思うものです。また、父とは、その子供から見れば、威厳があり、超えることのできない存在でありえたらと思うのです。かく言う私の父はもういなく、母は病に入院する立場にして、言うこの言葉なのです。

幾度となく人の死に接して、多くのお年寄りが病院のベッドで死を迎える様を見て、残された家族の姿を見て思うことは、病人の過去の颯爽と生きて生活する姿と、ベッドに横たわる姿の落差です。同じ人間の時を違えた姿の不思議は、端にいる人も同じ姿を見ているのですが、それぞれにその姿より、何を今見ているのだろうかと思うことが数多くあります。「あの姿を見るのが辛い」と言った知人がいたが、彼もベッドで横たわる母を3年半以上持つ身の立場で、母の何を見て、自分の何を大事にしようとしているのか、人はさまざまです。

人の父や母への記憶とはいつもそう言うものだと思うことに、今、こう言える私は幸せに、父や母の目に見えぬ影響を素直に受け取り考えることができることに感謝している今の私でもあります。

しかしながら、子供にとって、病院のベッドの上にいる現実の母を受け入れることのできない自己が存在するのも事実です。過去のさまざまな母と現実のさまざまな母の織り成す綾の葛藤は、どちらも真実な姿だったが故に、受け入れなければならない私という自己の変化を待たなければ、今の在るがままの母を直視することはできないのも事実です。

そんな母の姿は、より強く、元気に生きろの、強烈なメッセージであり、現実の姿を厳しく受け止めることこそ大切にして必要なことであることを知らせる悲しい知らせでもあるのです。厳しく受け止めることによって、新たな変化が始まります。その変化こそ母への子供からのメッセージになるからです。しかしながらこの受け止めるべき、疑いようのない自己が、過去を創造し作り上げてきた虚飾の自己であった場合もあるのです。

過去とは過去物語であり、私たちの記憶の想起によって、今あり得るものとするなら、過去の実在性はたった一つの過去ではなく、その時その場所で私が選択した一つの過去の実在ということになるのではないかと思うです。そのたった一つの過去の実在も、その時の私の心の変化で見たものにすぎなく、何が真実であり、一貫として過去から現在を貫く私達の実在は揺れます。やがて時がすぎ、他人に指摘されて、初めて別の父や母そして友人の姿を知ると言うことはよくあることなのです。

私の知り合いの男性で、交通事故で奥さんを亡くした方は、法事のたびに、参列者一人一人に亡き妻の思い出を指名して語ってもらう人がいますが、亡くした妻の知らなかった過去を、自分の過去に加え偲ぶことが法事の目的でもあるようでした。過去は人に不思議に語り掛け、今の私達を猛火焔裡に投げ込み、あるいは潤いのある私にしたりと翻弄するのです。
過去の思いに、記録された子供の成長の一つ一つのシーンは、実は親の都合で作り上げた過去であり、それが過去の実在する真実と思いこんだ親は、そこから悲劇が始まることもあります。何もなければ幸せなことであるのですが。

汝が一念の疑い、大地の如くに、汝が心を閉じ込める。
汝が一念の愛、荒れ狂う流れとなって、汝が心を溺れさせる。
汝が一念の瞋り(いかり)、炎の如く、汝が心を焼き尽くす。
汝が一念の喜び、吹き荒れる風の如く、汝が心を翻弄す。

正確に物事を見とおす目は、疑いといい、愛といい、瞋り(いかり)といい、喜びといい、不確かな自己の精神の有り様で、正確さそのものさえ、曖昧なものに変化してしまうことになります。まして過去の実在そのものが、歪んだものだったら、現在に無意識に引きずる過去の出来事は、更に身を焦がすことにもなるのでしょう。

そう、私達の過去は、現実に何か事件が起きたとき、過去を想起し、検証し、正しかったのか、違った見方があったのではないかと変化いたします。変化する過去の真実や実在は、絶対たり得るものなのか。裁判は何十年費やして真実を追究することがあるのですが、無罪を獲得した時の加害者側の苦渋と被害者側の過ぎ去った時間への悔恨は、はかることができないに違いありません。

待ち合わせのすれ違った時間、予定時間への遅刻、時間オーバー、思い違いの時間は確実に今を変化させています。その原因には時がからみます。過去のさまざまな出来事であり蓄積が、揺れる今を演出し、混迷の彼方に私たちを運ぶことは確かなことでもあります。
在るがままとは、至難なことであり、またそのことがあるゆえ、ゆれる心の遍歴も限りなく尊く美しいものです。その揺れる心にはいつも過ぎ去り、そして未だ来ない時間が作用します。

揺れる過去心こそ、現在において実在する過去に違いがないのですが、絶対であり得ない過去に構築した自己を、取り繕うとする自己は、更に靄の中に自己を運ぶとするなら、錯綜としたその自己を認めて、神仏に今を懺悔することは必要なことです。
懺悔とは、
『過去の心、未来の心、現在の心が自己が,本来の自己で有り続けることを知ることが真の告白であり、懺とは死ぬまでそのことを守りぬくこと。悔とはこれまでの過ちを知ることである』


与える時間(平成11年5月24日)

与える時間(平成11年5月24日)

 日ごろ法事や葬儀のお経をよんでいてつくづく思うことは、船頭の役と同じだ思うことなのです。昔、大きな川の渡し守は、毎日毎日こちらの岸からあちらの岸へ、あちらの岸からこちらの岸へ季節や天候の具合や乗る人の場合によって、ゆっくりと、そして急いで船を漕ぐからです。現代で言うなら、ジャンボジェットや新幹線、バスや電車の運転士だが、乗る客と面識を持たぬので、渡し守とは言わぬかもしれない。

唐の時代有名な巖頭和尚・投子和尚や夾山善会の師匠・船子和尚も渡し守をしていたという。そう言えば、ヘルマンヘッセのシッダルタも船頭をしていた。とかく私達は、岸ばかり見ているが、川を問題にしたのは、シッダルタだった。川幅を計ることによって、時間がみえてくるのだが、私達は、三途の川も川幅がどれくらいだったかのか知らない。
川に渡し舟があるとするなら、船の軌跡は道になるはずであり、一人では渡って通れぬ道が川にはあることになる。そういえば、日本の幽霊には足がないので歩けないから、そこらに漂うことになるのではないかと思う。とり付くことをしなければ、自ら歩くことができないとすれば、これにも渡し守が必要となるのだろう。しかし一般人の背中に背負うとなると、厄介なことに違いない。よくお寺に古い位牌や人形、お札を、『お炊きあげ』と称して持って来るが、すべて寺の和尚が背負うことになる。そのことを持参した人々は自覚しているのだろうか。しかしながら、目に見えないものは、心の意識で対処することが出来るが、目に見えるものは、なかなかそうはいかないのが現実であり、だから面白い。

亡くなった人を偲んで、多くの時間をかけ、式に参列して食事をして、また来た時間をかけて帰る行為を考えると、かけがえのない貴重な時間を、偲ばれる人に捧げていると言うことだ。人間の行為を時間で測った場合、多くが時間に換算できる。友人を病院に見舞いに行く場合、見舞う人間の貴重な時間を、病人に捧げることになる。商売も、文筆業も、人の行為にかかわるものは、すべて時間に換算することができる。もちろん人によって時間の中身は違う。船頭はこちら岸からあちら岸までの時間を船上人に捧げる。

先日、三遊亭圓橘の奥さんと話をしていて、こんな話を聞いた。結婚した当時、落語家の芸の話で、『間(マ)』に悩んで、ビルの窓から飛び降り自殺をしたという落語家がいたという。芸とは生き死に狭間で、あっちへ揺れこっちへ揺れることでもある。船頭がいる場合もあり、船頭なしで一人で渡らなければならないこともあるだろう。一流になれば、やはり一人で渡らなければならない、なぜならば、一流とは自らがその道の船頭に違いないからだ。最近、上方落語の桂子雀の自殺が報道されたが、芸の厳しさを追及しなければおさまらない、芸人の凄みを感じた。芸を見るお客は、そこまで自らを高めるだろうか、真剣勝負をうかがうことが出来るお客はいるのだろうか。文化の担い手を考えた場合、ぞっとするものがある。高座の子雀を思い出して、悼む。

人は産まれてすぐに、お腹が減ったミルクを飲みたい。おしっこをした、この不快な気持ちをすっきりさせろ。つまらないから、遊んでくれと、私に貴方の時間をくれと要求する。満足したいと自己主張をすることになる。数年から青年期までこの事は、繰り返し要求される。つまらなく耐えられない時間を、楽しい時間に変換する為ゲームや賭け事に明け暮れることもある。
やがて人は成長し、自分の時間を他人に捧げることを覚える。

江東橋のMさんのお宅の前の家で、不幸があった時の話である。日ごろ親しく接していて、「お線香をあげたいから」と、尋ねたが母娘が「有難うございます」と、自宅の玄関のドアー前に頑張り、どうしても家に上げさせない。Mさんの家には、しょっちゅう上がりこんでお茶を飲んで世間話をしているのに、どうしても入らせてくれない。「不思議な婆さんと奥さんだ!そのくせ内に不幸が合ったときは、死んだ婆さんが好きだったからと、椿の花をわざわざ持ってきてくれたが、枕もとの仏さんに椿の花はなんだか縁起が悪くてしょうがない。火葬場では、遺族がビールや酒の接待をするもんだとか、やかましくて、変な婆さんと奥さんだよ!」と話していた。他人には与えるが、自分達は受け取れないという事情がある場合もあるのかなと、ひょっとして良くある話かもしれない。家に上げると言う行為は、複雑なものがある。
Kさんの話だ。

「アメリカのシアトルに留学をしていた時のことです。四十年ぐらい前のことだが、お金がなくて、毎日安いからとりんごばかり食べていたら、勉強しても頭がボーっとしてしまって、フラフラで街を歩いていたことがあった。郊外の一軒家で白人の婆さんが窓をふいていたんです。私はボーっとしていたのですが、婆さんに声を掛け、私は窓拭きが得意ですから、窓をふかせてくださいと、婆さんからタオルを借りて窓を拭かせてもらったのです。たくさん窓がありましたが、丁寧に拭いたんです。
しばらくすると、婆さんが家の中に入ってしまいました。私はそれでも窓ガラスを拭いていました。ようやく終わろうとした時、婆さんが家の中に入れという。タオルとバケツを片付けると、家の中の台所に案内されました。私はそこで、ご馳走を食べさせていただいたのですが、嬉しかったです。今でも忘れられなく、懐かしく思い出します。婆さんは、お前は丁寧に何時間も掃除を手伝ってくれた、1時間幾らのアルバイト代を上げようと言って、お金までくれ、帰るときには、苦労しているみたいだからと、食べ物まで頂いたのです。知らない土地に一人で、この親切は本当に有難かった。今思い出してみると、この土壌は何処から来るものだろうか」
奉仕・ボランティアは、その典型であると共に、大掛かりなボランティアも大切だが、街中に転がっているふとしたことに捧げる時間は、世の中に潤いを与える。私達の日常の時間を考えた時、私達はどのくらい他人に時間を捧げているのだろうか。このことは、自分の一つ一つの行為を点検し、チェックすることでもあるのだろう。

船頭も働くという行為は、人に自分の時間を捧げるということに気付く。あちらの岸からの帰りは、船上人がいないが、空ではない。何故なら、与えた時間は、与えられた時間だからです。
赤ちゃんにミルクを与え、満足して眠る姿は、私達に与えられた時間ととるか、与えた時間ととるかでは意味が違うことになってくるから不思議です。

与えられる時間は、やがて与える時間に、与えた時間は、そのまま与えられた時間だからです。


桜(平成12年3月2日)

桜(平成12年3月2日)

 やっと、なつかしく過去を振り返って見ることができる年齢に達してみて思うことは、自分にとっての過去って、いったい何処にあり、何の意味があり、今の私をどう支えてくれているのだろうかということです。何十年という時間の蓄積を持つことは、生きてきた証であるはずなのに、その価値観がなおざりにされる時代を、満開の桜の下で少し考えてみる。

また思い出そうとする作業で、思い出される記憶は、何処から紡いでくるのだろうか、忘れかけていた古い写真を手にしたとき、懐かしい感慨と共に、自分の姿形がいかに変わってしまったものかを思うことがある。記憶は自分の内部に在るはずなのに、自分の外部と接触したとき、鮮明な容姿が湧き上がることに、新鮮な驚きを思う。そして、その記憶から、姿形だけではなく、感動の仕方、表現の方法、対処の仕方までもがおおきく違っていることに気づく。そして、再び廻り来ることのない過去から述懐が芽生える。今の自分と相違して、嘆くこともあるでしょう。多分、大方の人は懐かしさが身にしみることでしょう。自分にとって何十年という年輪の風格は、目に見えず、過去を秘めてのたたずまいこそ、桜の下を歩く自己の、年輪を窺わせるものなのです。そして、今生きていることの裏付けなのでしょう。

 私はそう思いながらも、頭の中の無数の神経細胞の結合姿を描きながら、その中を走る電気信号を想像してしまうことがあります。確かに、私にとっての過去って、スイッチを押せば、頭の中でたちどころに走り回る神経伝達物質の動作であるようだ。走り回る物質は、いつも誕生と消滅を繰り返して、どこかに蓄積されるという物ではないらしく、どちらかというと消費されることに似る。新しく生成される神経回路が、記憶の扉とすれば、その道順を記憶する扉もあるのだろう。すると、私の心とは、迷路の中を猛烈なスピードで走り回ることに近いものなのだろうか。スイッチを入れなければ、過去も心も、存在しないことになるのか。

 誰も鏡の中の自分に向って、答えてくれるだろうと、『私は、だれ?』と問いかける人はいないだろうし、もし問いかける人がいたとしたら、『おい、主人公!』と、自己を洞察した人の、確認の意味を持つ言葉としてです。  誰でも、自分の人生を振り返ってみる時、どんなに波乱万丈に長く生涯を送って来たとしても、短く惜しまれて去ろうとする時も、実人生を振り返ってみる時、自分の歩いてきた人生の客観的な長さは、実感にそぐわないものがあります。それは過ぎ去った時間の、アッ!と言うまの過去の長さからです。いくら思い出して豊かな時間が続こうが、なつかしい経験を思い出しても、苦しく辛かった人格を形成する時も、愉快で楽しかった若い頃も、過去は夢のまた夢であり、もはや手にすることのできない時間だからです。
 人が生きれば生きるほど、過去には二度と手に入らない時間が増えることになります。たとえ人が百年、二百年生きようと、一炊の夢の若者のように、揺り動かされて覚めた時の実感は、生き様が激しければ激しすぎるほど、人生の糧が大きいほど、現在において、アッという間の過去の時間に思えてしまうのです。

春、桜の花は満開の小さな花を一斉に競って、咲き乱れます。新緑に先がけて一斉に咲くという行為に、人が意味を投影することができるなら、わずかの間に一斉に散って行く姿から、人は感慨を彷彿させられるでしょう。桜の根の旺盛な生命力ゆえに、枝葉は荒荒しく、幹の肌の気品は気高さを織り交ぜて、人の人生に儚くも悲しい影を投げかけもします。 人と違うところは老齢を重ねた桜ほど、目に過去の経過の結晶をさらして、それが人の感覚や思いを研ぎ澄まさせることです。老いさらばえて咲く一斉の開花の情景は今年限りの姿であり、ただ咲くばかりの狂おしさを思います。咲く行為に老いも若さもない筈なのに、若木に比して人を圧倒する姿は、本来、人も年をとればとるほど老齢の桜に似て、見事な姿なのですが、異なって見えるのは、人の思いや価値観、二度と帰ってこない時間の、取り戻せない過去を振り返る心のなせることなのでしょうか。

 人が年を重ねた末の、悲哀や年輪を偲ばせた変形した姿・形のたくましさを、もっと見つめてもらいたい。『人は年を重ねるほど、若くなる』と言う言葉の意味を、人はもっと深く考えなければいけないと思うのです。アッという間の過去は目に見えず、若い人と年を重ねた人も、同じなのですが、十年二十年と較べて四十年あるいは五十年は確実に違う重みを、老齢の桜のくるおしい姿を見て、なおさらに持ちます。 

 思い起こせば、後を振り返ることもせず闇雲に、意気揚揚と突っ走っていた過去の時間は、春には一斉に咲き誇る姿であり、幼子の無邪気さは、花の散ったあとの一斉若葉の繁るさまでもあり、ふり返る行為は、雨に打たれて生き生きとする姿に似て、若者の溌剌とした姿は、陽光に踊り輝き、その若者もいつしか年を重ねた時間は、秋には葉の色を変えて散る姿であり、年老いた時間は、冬の寒さの中に枯木として耐える姿の記憶でもあるのです。

 人が許容や受容と言う意味を解りかけて来たとき、桜の四季それぞれの姿は、同時に次の季節の予感を到来する姿でもあり、誰も止められぬ勢いは、やがては終わって、桜の花びらの散る風景に、緑葉の色づく風景に、枯葉の舞う景色から、冬の枯木の生命力をみなぎらせた姿になります。どれもが真実な姿でありながら、立つ位置、立場によって、まったく変化してしまいます。
 その老齢な桜の満開の花を見て、冬の落葉のその桜樹を思うことは、満開の桜の花ゆえに、冬の裸木の過去の姿が、物悲しく映ります。そしてそれは次の季節に、今だ来ない季節の確実に移ることの予感であり、そのことを私達は『春うらら』と、陽気に重ね合わせるのでしょう。
 また、冬の桜の裸木を思う時、去年の桜の姿を思う時、いくつかの若かった頃の自分の切り絵を思い描く時、故郷の友人を、両親を思う時、幼い頃の教室の机や壁を思い描く時、私達は知らずに満開の桜並木の下を歩きながら、着実な今を、去っていった過去によって表わします。

 春うららの陽気は、人の過去の積み重ねた経験や知識によって、人のそれぞれな複雑の気持ちを包んで、春うららです。  去っていった時間は、桜の散る花びらに似て、老齢な桜ほどに枝を広げての花吹雪に似て、あっというまの過去の時間です。


無常(平成11年4月16日)

無常(平成11年4月16日)

 通常、無常というと、絶え間なく変化する世の移ろいの儚さ、悲しさ、寂しさを言うことが多い。おそらく日本人のもつ無常感は、美しく変化する季節の移ろいと、人の命の移ろいを重ね合わせて、しみじみとシットリとした情感を持つことになったのだろう。

友人が言っていたことだが、この無常感を歌う演歌のマイナー響きは、大東亜戦争をはさんでからのことで、下町に伝わる「さのさ」「深川」「木遣り」の江戸伝来の歌舞音曲は、もっとからっとしている。
これらの歌は、下町の人々の陽気で、しかも活気あふれる姿を表わしていた。この時代は現在のような演歌はなかったのではないだろうか。そして、その歌がごく一部の人達に残って、庶民である我々の中で、すたれていくということは、江戸の文化のたくましく雑多な意気軒昂な情感がなくなってしまうということで、残念なことであると、歎いていたことを思い出す。
今、この無常感の原点である中国の古い話を、下記に引用してみた。
 
『中国の寓話』
チュンラン、つまり「岩山の親分」という名のひとりの老人が、山の中にひとつの小さな農場をもっていた。ある日のこと、彼の飼っている馬が一頭いなくなってしまった。そこで隣人たちがこの不運に対して老人に慰めの言葉を言うためにやって来た。
老人はしかし質問した。「お前たちはこれが不運なことだとわかるのか?」と。すると見よ、その数日のちに、その馬が戻って来た。しかも一群の野生の馬をそっくり連れて来たのである。またもや隣人たちがやって来て、この幸運な出来事にお祝を言おうとした。
山の老人はしかしこう言った。「これが幸運な出来事だと、どうしてわかるのか?」

さて、こんなにたくさんの馬が自由に使えるようになって以来、老人の息子は乗馬が好きになりはじめた。そしてある日のこと、息子は脚を折ってしまった。するとまた隣人たちがやって来て、慰めの意を表した。するとまた老人は彼らに言った。「これが不幸な出来事であるとどうしてわかるのか?」
それから1年経って、「背高ノッポ」の代表団が、皇帝の軍隊のための強壮な男子と駕籠かきを招集するためにこの山岳地帯にやって来た。今なお脚に損傷をもつ老人の息子を、彼らは選ばなかった。
チュンランは、にっこり微笑まずにはいられなかった。
<人は成熟するにつれて若くなる(塞翁が馬)>草思社刊
 この「岩山の親分」という一人の老人を、今の世に放てば、とてもいやな素直でない老人になってしまうこと、間違いない。隣人の祝の言葉や同情の言葉を、つねにひっくり返して、悪く言えば「人の言葉を素直に受けられない、嫌味なことを言う孤独な年寄り」と言えるだろう。そうは言っても我々一人一人の生涯は、実にこの言葉のとおりだし、一人一人どころではなく我々の次の世代にも引き継がれることでもあるとおもうのです。チュンランが、最後ににっこり微笑んだことは、この作者の勇み足であると同時に、私達への問題の投げかけでもあると受け取りたい。

さて、先日、寺に子供達がたくさん来た時、私はこの話をした。常時このような現実の中で、「あなた達はどう対処したら良いでしょうか?どうあなたは心がけたら良いでしょうか?」と、問い掛けたことがありました。
「答えは、あなた達一人一人の問題ですから、現実のあなた方の行為や出会いには、つねにこの問題が隠されていることになります……あなた方一人一人の行為や出会いは、つねにその後が結果として現れ、その結果は次の行為や出会いの問題を引き起こし、果てしなく続いています」と。
「私達は、過去から未来へと続く時間の連鎖の中を、常に結果を問題とされながら、時の流れにただよっているともいえるわです」と。
子供たちは不思議な顔をしていた。
このような状況の中で、わたし達の生きる決断はただ一つです。時間の連鎖の中で、一つ一つ断って、結果に左右されずに生きること、そのことに心がけて、対処できたらどんなに、結果に左右されずのわずらわしさから開放されることでしょう。

幼くして日本脳炎を患い、知恵遅れと言われ逆境を生きてきた女性がいました。その後、彼女は右半身麻痺となり、杖を片手に歩こうとするのですが、長い時間立っていることも事もできず、言葉も不自由に、考えもうまく言えずに、悲惨な状況にいることは確かなのですが、幸い妹が、息子達が、息子の嫁達が懸命に彼女を支えていました。

明るく子供以上の童心は、見る者を微笑まします。残念なことですが、今年、彼女の老母が亡くなってしまいました。母親にとってその子の不憫なことは言うまでもありません。彼女も子供のように、母親は恐い存在で、母親の知らぬところで転んでも、母に心配かけたくないためか、怒られるのが嫌なのか、話すことができないのです。2、3日たって痛んで腫れてきて、「痛い!痛い!」と、言う彼女に「どうしたの?」と、問いかけてはじめて、彼女は転んだことを話すのです。転ぶだけならまだしも、車にぶつけられた、自転車に接触区された、道がわからなかったと、数限りなくありました。そんな彼女も、今、58歳です。

彼女は、何事にも一途しか生きられず、純粋に物事を見つめ、考えます。その彼女の母の死に、彼女は見事に悲しく涙を見せてくれました。彼女の母に対する気持ちは、58歳になっても、老いた母ではなく、子供の頃の母そのもののような気がしてなりません。普段の彼女は、今日のことを、悩みや楽しみを明日に残すことはしませんでした。葬儀が終わって、翌日から、彼女は母の遺品の整理に没頭しています。片付けるという行為をひたすら遂行する彼女のひたむきさに、まわりの家族はほっとします。彼女を心配していた私は、彼女に、本当の禅を見る重いです。目前のことを、ひたすら行ずる姿は晴れやかに、後を残さない。

凡人の我々は、現実の在りようを、厳しく見つめ、結果を結果として受け入れて行く。今を生きると言うことは、時に辛く苦しく、悲しく寂しく、不安や恐怖にいらいらすることも、今の私なのだと思うことが、今を生きている姿なのです。



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