目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
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二章

二章

 先ずは、最終章として、葬送の儀を葬儀と送ることに分けて考えてみることにいたしました。
  こと葬送の儀に関してみずからのエンディングノートをしるすことはできるものの、葬送の儀の内容に関しては、宗派・宗教という枠がはめられ、例えば菩提寺の意向は無視することができないでしょう。
 案外と、わたし達は葬送の儀の内容を知らないものです。葬送の儀の内容を知る必要があると言えますが、知ることは、その宗派のものの考え方を確かめることになります。しかし、知れば知れるほど矛盾が生じ葛藤が生じてしまう場合もあります。
  じぶん自身の最終章にじぶん自身で書き込めることができるのでしょうか?じぶん自身として生前に、書き込みたいし、遺族としては、書き込めさせたい!と。
  また告別式に関しては、様々なことが考えられます。偲ぶ会やお別れ会もそうだとするなら、49日忌や1周忌などの法要のお食事も、時間の経過は別として、この部類に入るでしょう。

  こうして書いてきて、これらの問題には、まだ越えなければならない問題が含まれていることを知るべきでしょう。その一番の問題は、魂のことです。
  たとえば、神の子として、シモベとして、私を神は、こころよく受け入れてくれるだろうか?神と言っても、世界には数多くの神々がいると言ってよいでしょう。カトリックやプロテスタントも、その分類の中に多くの宗派があり、神がいます。イスラムにも、スンニ派やシ-ア派があると言えば、神は同じなのでしょうか、考えてみれば、人間の数ほどに神は在るといってよいのでしょうか。

 さて、家族葬と称して、火葬場で近親者を家族だけで荼毘にふすことが執行されことを見ました。
  それは葬送の儀でしょうか。荼毘にふされた人の父母や祖父祖母が、さらにその先の血縁の人たちが、えんえんと営まれてきた葬送の儀式は、ここで途絶えることになる意味って、考えたことがあったのでしょうか。
  葬送の儀とは、告別の葬儀と野辺送りの儀式を一体とするものです。告別の葬儀の式が終わって、柩の蓋が閉められ、柩は近親者に担がれ霊柩車に収まり、火葬場で荼毘にふされる。これを送る儀式といいます。葬儀がなければ、死体として焼かれ、壷に収められて、意味が付されないことになります。
  まして菩提寺を持っていたとしたら、その菩提寺にお墓があったとしたら、過去に祀られた祖霊たちの意味をどう考えればよいのでしょうか。 
 菩提寺を持つ家族の基本は、葬送の儀式をして、そこから、故人は墓地に納骨され、新に戒名として家族の仏壇にまつられ、自分たちの祖先として、私たちの命を受け継いできた証となります。そのことは同時に、自分たちもまつる側からまつられる側になることのいとなみを現していることを含んでいます。

 植物に喩えれば、祖先は根、私たちは幹であり、枝は子孫となり、根も大事、幹も大事、子孫も大事、根が枯れれば、幹も枝も枯れることを意味していることだと思います。
 菩提寺とは、根と幹と子孫に関わっている聖域と考えられないでしょうか。
  このことを無視することは、菩提寺からの断絶を意味することなのです。せめて、家族が決める前に、お寺の和尚に連絡して相談していただきたいと思います。
  家族が決めたからと、その通りにすれば、お寺は必要もなく、その寺の和尚も、本堂もいりません。

  さらにつけ加えれば、火葬をするため家族が窯の前にた立って見送る作業は、家族にとってどう考えればよいのでしょうか。お別れと言うことは解りますが、お別れした後、故人は何処に見送られるのでしょうか。また、故人の死後の居場所として、その人格は何を持つのでしょうか、お寺とは、その作業に方向付けをすることに関してあるといえば、その延長線上に49日があり、以降の年回があります。
  菩提寺を持っていると言うことは、葬儀の執行を菩提寺に委託し、以降の年回法要をも委託することを含んでいるわけです。故人を偲ぶ方法はいくらでもありますが、この儀式だけは、一人でもよいから、少しの近親者だけでもよいから、葬送の儀式をしていただきたいと思います。

  このことは、日本の文化や伝統という意味からも、とても大切なことと思うのです。私たちはこの時代生きて、次の時代に生きることは有りません。私たちの勝手や都合から、人としての最期をそれだけにしてよいのでしょうか。

三章

三章

 こうして、葬送の儀式のうち、告別式あるいは葬儀の内容にかんして後で述べるとして、葬儀だけは欠かさないでいただきたいことを、陽岳寺としてはひたすらお願いしておきます。だからといって、従前の通りとまでは言いません。

  式の場所にかんしては、広さは問いません。弔問客の人数も問いません。場所も問いません。荘厳も問いません。まして家族だけで式をする場合には、それこそ、ホテルだろうと、貸席だろうと、自宅だろうと、お寺だろうと、どこでも式場となります。柩の安置する場所も、正面でなければならないという理由はありません。
  まん中でも、端でも、入口でも決まっていません。別れの儀式に最適な場所、それを遺族が決めればよいだけですし、飾り方も決まっているものではありませんので、予算に合わせて、花の量を決めたらよいのです。
  式の時間にかんしても、1時間と決まっているわけではありません。まして、ホテルなどでする場合は、スケジュールを作り、そのスケジュールに合わせて時間を決めた方がよいでしょう。
  ただし、僧侶が占める式の時間だけは、お寺さんと相談することがよいと思います。

 それでは式の内容のことです。わたしは仏式の場合しか知りませんが、構成されるものは、お経、回向、引導または表白文といわれるものです。
  その前に、剃髪の偈、懺悔文、三帰依戒、鳴らしものなどもあるでしょうが、限られた時間の中ですので、いくつかは省かなければならないこともあるでしょうが、できたら、内容を吟味できれば、なお素晴らしいかも知れません。ここまではできないにしても、肝心なのは、進行している式の内容が理解できることです。
  理解できれば、今度は、その内容にかんして、故人を偲びながら考えることができるでしょう。できたら、エンディングのための人生ノートがあればなおよいことですし、その内容をお寺さんに見せておくことも必要なことだと思います。そうすれば、お寺さんは、進行する式の中に、故人の言葉を入れてくれるでしょう。
  
 考えることは、故人のエンディングに対して、大きさではなくて、内容で、いかに最上の式ができたかです。
 故人の旅立ちから、残された者として、伴侶へ、子ども達へ、兄弟に、友人たちへ、人が生きるとは、故人の生き様を視点を換えて表し、故人の人生は何の意味があったか、残したものは何かと、そこから故人のメッセージをとりだし、残されたものへの指針が生じます。
  残されたもの祈りも大切なのですが、故人の祈りもなお大切なものです。多くの言葉が願いや祈りとなって交差します。畏敬や感謝の気持ちが同時に発信できれば、最良な式となるでしょう。

四章~(未完)


時間旅行

大いなる普遍の命が、
限りあるしるしに降り注いでいることを知るとき、今、ここにおいて、安らぐ。
さあ、旅立とう。
お経、回向を時間飛行と言う私。いつしか、命を時間と読み替えている私がいました。命とは過去・現在・未来の人間の営みとしてです。
 たとえば、父にとって母にとっての未来は、私の今にあるから。私の過去は、父や母に宿っているということもできます。命ってそんな時間の関係の中に描けるのではないかと思うのです。
 亡くなった親しき者を、追憶し、お経を読み、回向を手向ける。
 過去への扉が開くと、未来が渦をなして飛び込んでくる。彩なす時の美しさよ。


命の歌-母の短歌

昭和60年の7月、ショートステイに入居したその日、父は熱を出し、入院してしまった。
母は懸命に父が入院する病院に通い、看病した。また、その年は、内孫の長男誕生の年でもあった。
翌年の8月12日父は、母に看取られ、旅立っていった。
父の一周忌の頃を境に、母は父を偲びながらも、夫の属した沃野社に、歌を送りはじめる。
平成12年12月13日母が没し、その遺品を整理していると、無造作に散らかった書類や手紙の中から、
母の筆跡のノートがでてきた。読んでみると、それは亡くなった父への、思慕に近い想いだったのです。
そして、日記より、歌に託すことで、少しずつ癒されました。これも、母は母の今を表現していることの記録です。
今まで振り向きもしなかった短歌。父も同人だった『沃野』に投稿することで、母は父と一緒にいたのです。
下記は、短歌雑誌『沃野』に掲載された母の歌と批評の全文です。そして、記すことで、私も母を父を、偲びます。

命の歌-母の短歌

平成2年7月号 
 温き秋しばし続くを祈れるに蕾を垂れて睡蓮咲かず
 舞ひ舞ひて散りゆく落葉舗装路に只積りゐて土に還らず
 父知らぬ幼いだきて南方の空を恋ひたる昭和去りゆく
 空襲に焼けし雛夫も娘もしらずわがまなうらの幼き姫達
 夜の更けてもどる人待つ苛立ちのもう無き吾に待つ人もなし
  10月号に載った田井中みづほ氏の批評-『今帰るか帰って来たのかと、帰宅の遅い夫を、或る時は案じ、また或る時は苛ち待った日々を、今は感慨もひとしお、作者の夫恋の心情が具体的な描写に依りよく解り、また五句の「なし」と言い切った詞の裏面より泛(うか)ぶ慕情を一層深く感受出来る』-母は十月号表紙に、批評ありと記している

平成2年9月号
 聞きてより見(まみ)ゆるこの日待ち侘びし二千年経るという彼岸桜
 日本武尊手入れなせしといふ桜今日寺庭に青葉輝く
 二千年の世を生き濯ぐ桜鉄棒のささへは枕当てがふ如し
 花どきを彩る姿想ひつつ江戸彼岸桜又尋ねたし

平成2年10月号
 吾が姓の変わりて五十年去りゆきし時を語りたき夫のいまさず
 五月夜のおぼろに見ゆる細き月二人にて見ぬ湯河原の宿
 藤つつじ牡丹咲きゐて南方(みんなみ)に夫征でゆきぬ身籠る吾は
 目の前に魚雷命中僚船は沈めりと夫の手紙黄ばめる
 祈りつつ五年を待ちて帰る夫娘と迎へしは夏逝く夕べ

平成2年11月号
 アムール川に魂安かれと花火上がり映像に見る戦むなしき
 幾十年「沃野」紐で綴ぢ保存せし亡夫の手つき今日目に浮ぶ
 2月号に載った田井中みづほ氏の批評-『沃野も創刊号よりとなれば随分の嵩になる、丹念に紐で綴ぢ、大切に保存された夫君を偲ばれての作で、一読、亡夫とは委員長であった向井宗直先生の事、作品として亡夫の姿を具体的に簡潔に描写され、読者にも亡き向井先生のありし日の姿が泛んで来る。唯、結句の「今日」が忌の日であったか、或は特別の何かの日か解りかねるのと、初句の終わりに”の”と二句の「沃野」の下に”を”との助詞が欲しいのと「紐」は略せる。助詞の使用に依って調べも滑らかになる。』-母は沃野の背に、”批評のる”と書いている。
 ことさらに乾く夏なり台風の予報ひそかに恃(たの)みて待ちぬ
 使ひ水バケツに溜めて土にまく渇水の夏のならひとなりぬ
 休む間も惜しと編みゆけば易々と手の動き孫娘(まご)のセーター仕上る

平成2年12月号
 若き日の歌溢れつつはらからと幼にかへり車の旅す
 高原を登るにつれて花々の色濃く咲けりしじまの中に
 稜線に影うつしゆく白雲の湧きつ流れつ行方はてなし
 愛らしき幼孫(まご)の顔吾に似るといふ嬉しく聞きぬお世辞と知れど
 庭のバラ紅きを切りて母の日の吾に贈ると娘は訪ねくる

平成3年1月号
 籠いつぱいに桑の実つめる指先の紅に染まるを小川にひたす
 夏焼けの葉はそのままにやまぼうし緑の萌えて秋の陽に照る
 野分過ぎ朝の道路に貼りつける落葉を一人掃きなやみをり
 「午後の紅茶」と甘き名の缶捨てられてごみとなり果て道に散らばる
 朝あさを旅立つ如く振り返り手を振りてゆく二人の孫は

平成3年2月号
 七福神初参りの朝雪晴れて車少き箱根路を行く
 雪の道登りて行きぬ枯枝に積もりたる雪花と見紛ふ
 バスの窓より眺むる富士は裾長くひきをり三島の町羨しかり
 うかびたる短歌(うた)しるさむと座るわが膝にのりくる幼の笑顔
 無心に笑む幼をいだく古希過ぎたる吾にこの日のありし不思議さ

平成3年3月号
 春さくら夏はあぢさゐ秋はもみぢ尼君おはせし柿生のみ寺
 雪被たる富士の姿ぞ吾が前に夕日背に負ひ裾長く引く
 輝ける夕日背に落ち大き富士わが前にあり忍野八海
 バスにつき左右に富士の姿あり何処までも見えて旅ゆく楽し
 伏せ字多きモーパッサン読みし少女の日老いて開きぬときめきもなく

平成3年4月号
 詠み人の名よりよみ上ぐる父の声はらから集ひし遠き初春
 人の世の別れを重ね年暮れて明くれば常のごと又日は昇る
 亡夫の姿うすれつつゆくこの家に男(お)の子二人の声弾みをり
 永代橋の橋際の椿に赤き色見え初め今年の春もま近し
 福耳ゆゑ後半生は幸せと吾に告げゆく媼(おうな)のありき

平成3年5月号
 時々はゆつたり朝寝楽しまむ願へど老は早々と覚む
 若きらと住むは戸惑ひ時にありて老いゆく吾をしみじみと意識す
 娘の選びくれしブレザーさ些かの気後れあれど春なれば着る
 風やみて春の日ざしのやさしければ金魚緋目高水面を泳ぐ
 汝を生みしは大寒なりと母の言葉今日七十二歳一人迎ふる

平成3年6月号
 手伝ふと椅子引き寄せて流し水に小さき手ぬらし悩ます二歳
 指二本丸めし程の小さき花酷暑の名残りか紅椿愛し
 行き過ぎて振返り道掃く吾に目を合せほほえめるブロンドの少女
 日当りよき部屋にうつりて朝毎の鏡はむごし小皺大皺
 折々の家内の争ひを嘆く日あり夫逝きてより知る一人の友に

平成3年7月号
 椿散り五月の光さす庭におだまきの白、紫、えんじ
 いつしかにおだまきの咲く庭となり今年の春も陽ざしやさしき
 話さむと思へど言葉出て来ず物忘れも多くなりしこの頃
 聞かれても答いでずに時過ぎてはたと思ひいづぎぼうし紅紫檀
 寺庭に仰ぐ不思議なるナンジャモンジャ白き十字の花の咲ける木

平成3年8月号
 ユリの木といふ名にひかれ幾年月今日仰ぎ見る黄みどりの花
 ユリに木の並木を見むと一人来ぬ迎賓館の道花は真盛り
 しばし見上ぐるユリの木の花愛らしく不思議の苑に遊べる如し
 白檀の薫りほのかに古りし扇逝きし義兄若き日の中国みやげ
 物言へず吾を見てゐし病める夫思ひ出重ね人は悲しき

平成3年9月号
 戯れ心秘めて楽しも星柄のシャツ着て夕べ空見つつ行く
 テレビ見て一芯二葉に新芽つめば梅雨のさ中に勢ふ茶の木は
 レンゲ田がテレビに見えて思ひ出す花にねころび仰ぎし碧空
 幾千か昼顔淡きくれなゐの基地にそひゐて朝光そそぐ
 花子といふペルシャ猫ゐて瓶にさすトルコキキョウを好みて食ぶる

平成3年10月号
 その背より大きランドセル負ふ孫を門に見送る春の光に
 鱗根は重り合ひてゆるるなるその姿百合と名づけたりとぞ
 吾亦紅、あざみ、女郎花野の花を瓶にさすなり今日の幸せ
 石に沿ひ又かき分けて流れゆく釜無川の瀬音涼しき
 高架線の車窓より見る桜花街の屋根屋根彩りて行く

平成4年1月号
 今は娘の住む家に柘榴実りたり亡夫の手植ゑしこの木に多(さは)に
 石蕗の日当たりよきは花咲きて木陰はあはれ蕾も見えず
 スモッグに星かげうすき下町の空雨に拭はれ明星光る
 久方の澄める星空しばし仰ぎ心ほのぼの今朝の明けゆく
 老母のさみしき心計られず吾も老いて知る同じ思ひぞ

平成4年 2月号
 碧空は穏やかに日ざし温かく姿見えず富士、筑波、日光連山
 「林道湖」紫の花想ひたり開拓地なれば「林道」なりと
 老い初めて幾年続けし旅も終わりなるや逝きしはらからよ面影浮ぶ
 老医師の家も壊されたちまちにビル建ちにけり吾が住める街

平成4年3月号
 駅の段やうやく上る目の前をさっそうとゆく長き脚羨し
 やまぼうしの紅す枯れたる葉も散りて師走残るはもう幾日か
 春迎へ年齢(とし)重ぬるはなけれどもこの年逝くはさみしきものよ
 自我芽生え思ひ適はぬと泣き続けやがて「直つた」と笑ひぬ孫は
 ガラスのビル青空に染み残月は丸くかかりて今朝の目に入る

平成4年4月号
 狭庭なれど春を告ぐる沈丁花の開き初めしよ暖冬二月
 小雨ふりて温く明けしに夕つ方北風吹きて月青く冴ゆ
 幼子の顔うかびきて苺買ふ荷の重けれど足軽く行く
 落着かず暮らす日多くばたばたと今日も過ぎゆく年越えたれど
 夕つ方一瞬のとこめきに似たるなり皺多き指にリングを飾る

平成4年5月号
 あちこちとスウィッチ押しビデオ電気器具わが知らぬもの玩ぶ三歳
  8月号に載った松下宣子氏の批評-『全くこの頃の電気器具は小型化し扱いはより簡単となりスウィッチの一つで点ったり消えたり、動いたり止まったり幼い者の玩具ともなり得るものが沢山ある。玩具として作られたものよりも子供は大人の使うものを自分が扱えることでより満足感が湧くようである。「わが知らぬもの」に自身の老いを嘆き、孫の順調な生育を喜ぶ作者の感慨がこめられている。”孫歌は作るな”とよくいわれるがこの一首はそれを越えたよい歌と思う。』
 引きてゐるわが手振りほどきかけ出す孫老の力はもう及ばざり
 車多き街なかなれば危なしと追ひかけゆきて孫と競争
 隅田川長閑かにながれ遊覧船貨物船ゆく春の大川
 隅田川大橋渡りゆきビルの並ぶ街浜町辺り煮豆(まめ)買ひに行く

平成4年6月号
 階のぼる足音小さくきこえくる姿は待ちをり「お休みなさい」を
 一人住まふは淋しきものと息は言へり密かに思ふ気儘も欲しと
 夜嵐に吹きよせられて桜花はなびらあはれ色褪せて塵
 春は優し土たまりゐて一株のたんぽぽ咲かす橋の一隅
 首輪なき黒ぶちの犬吾が傍に信号待ちて渡りてゆきぬ
   九月号に載った柳田馨氏の批評-『街頭に出合った犬に目を凝らし、さりげない風情で親しみを匂わせる作者の姿がよく出ている。「首輪なき犬」多分飼い主のいない野犬だけに作者の心が動いたものと思われる。下句の「信号待ちて渡りゆきぬ」は、一句に接続助詞が二つ続くことになるので再考願いたい。一例としては「信号待ち」と述べることも考えられる。』
平成4年7月号
 梅、椿、辛夷に桃の桜咲き春の行方の見ゆるこの道
 孫の通ふ幼稚園そして小学校と続く道吾も花仰ぎゆく
 ケーキ食ぶる真人の笑顔なかなかに愛らしく今日七歳となる
 脳に埋める記憶装置のあらばよしと埒なき事を夜明けに思ふ
 華やかなりし銀幕うかぶデートリッヒ九十歳の死を早朝報ず

平成4年8月号
 六十余年遙かに越えて師の君も友も健やかに老い今日を集ふ
 戦の海を渡りし文の束に命伝へ合ひし日は遠く去る
 白き花は空に向かひて山ぼうし静かに初夏の訪れを告ぐ
 白き花葉かげにはつか見えながら蕾の見えず今朝散り初めし

平成4年9月号
 防火水槽の隅に群れゐる緋の色の鯉かと紛ふ金魚育ちて
 「雪の下道」通りきて八幡宮に出でたればふと口ずさむ鎌倉の歌
 次々と唱歌の言葉あふれ出で幼にかへるなつかしき道
 大銀杏世の移ろひを見守りて立ち古りぬ語り合ひてみたしよ
  12月号に載った柳田馨氏の批評-『一本の大銀杏をじっくり見据え、単なる描写ではなく自己の心に湧いた思いを、ズバリ詠み込んだ作であろう。「世の移ろひを見守りて」と密度の高い捉え方をしているのに魅かれる。見守る如くと比喩法を使わずに、真正面から見守りてと掴み取った作者の姿勢も立派、何か悠久の時の流れを感じさせて呉れるような歌である。』
 帰宅せし吾に抱けよと手をのべくる幼にみやげのお守り付ける

平成4年10月号
 枝陰に姿は見えねど鶯の声さはやかに山の家の朝
 咲き初めししもつけの花も下草とて笹の葉と共に刈られてしまひぬ
 刈られたるしもつけの花拾ひ集め濡布に包み家苞(ほう)とせり
 叢を分け入り山を下りつつ蕨を折りぬ古希とうに過ぎ
 亡夫の忌の又巡り来ぬ病み初めし齢もいつしか同じになりて

平成4年11月号
 厳しかりし暑さ逝くかと思ふ日にみんみん蝉をやうやく聞きぬ
 九月三日の花言葉はダリヤなりときく吾が住む街に見たることもなし
 枯るるなと山ぼうしの木朝な夕な見上ぐる雨の降らぬ夏逝く
 暑さ故葉先の色も枯れゆけば朝な夕なに水撒きてやる
 家人らのすけじゅーる書くカレンダー合間にYと吾も書き込む

平成4年12月号
 植ゑし苗茎の色違ひそれぞれに咲く花の色想ふは楽し
 鉢に植ゑし朝顔十六輪花咲きぬ明日は幾つと蕾数ふる
 純白に桃色にまた紫にと咲きたり露に濡るる朝顔
 やうやくに涼風立ちて黄ばみたる葉かげに見ゆる小花の幾つ
 目ざむれば車の騒音耳に入るこの街に住みて二十余年か

平成5年2月号
 五百粁の路ゆき帰るバスの旅終へぬ明日より又平凡な日々
 吾を迎ふる孫二人見え息の顔も見えて二日のバス旅終る
 小さき孫は「さみしかった」と手をのべくる吾も柔らかきその頬撫づる
 道路はプラタナス塀内は山ぼうし枯葉舞ひ散り冬に入りゆく
 書も読みたしテレビも見たし編物もと思ひつのれど憧れなるか

平成5年3月号
 亡き人の面影今は朧(おぼろ)にて行く先知らぬバスに乗る夢
 千両と水仙一輪瓶ににさし写真にかざる吾の正月
 筋雲は明けやらぬ空にたなびけど瞬く星の美はしき元朝
 ほのぼのと空明け初めて元朝をビルの形くっきりと立つ
 古びたる箪笥鏡台位置を変へ新たになり今日より吾が部屋

平成5年4月号
 亡き母の継ぎ当て縫直し常のこと豊な世に在る吾の思ひ出
 帽子をとり声かけくるる人ありて朝の道掃くひとときなごむ
 夜の明けと暮るるひと時を仰ぐ空今宵上弦の月輝りてをり
 父と子がボール投げ合ひ楽しげな公園の午後の平和な景色
 歌つくらむと一人し掛くるベンチありて今日如月の青空広し

平成5年5月号
 眉月の上に明星輝きて風吹きぬくる如月の空
 雨情の歌聞きつつ吾も歌作せむと鉛筆持てど一字も書けず
 兄は自転車弟は手を払ひかけ出す散歩に老の歩調合はざり
 話し継がむとすれど言葉の浮かび来ずこの頃の吾に吾と驚く
 幹細き木なれど歳々に咲く朴半(ぼくはん)椿花華やかに芯ゆたかなる

平成5年6月号
 荒るる海を刻かけて渡り来し佐渡ケ島雪の山脈墨絵の如し
 晴れしかと思ふ間もなく小雪舞ひ冬もどりせしや日本海は
 朝寒むの空に鳶舞ひ海猫も舞ひ舞ひてショー見るは楽しも
 翼ひろげ一直線に飛び交ひつ海面(うなも)かすめつ魚とる鳶は
 駅弁をもとめて乗りし新幹線旅の別れの夕餉となせり

平成5年7月号
 テーブル掛けに染めし牡丹の歌胸に染む植松家を訪ひし遠き日のこと
 重き鉢購ひて帰る牡丹の花は寿樹先生の御歌心にありて
 もったりと牡丹の花は皆ひらき晩春の宵肌やや寒き
  10月号に載る荒木富美子氏の批評-『中国では「花王」と称される牡丹を、これは造語であろうか「もったり」と言う初句の表白が、此の場合は非常に相応しく、春逝かんとする季節感を、結句然りげ無く据えた点お見事。』
 白き胡蝶舞ひ初めしごと蘭は咲き光明るき吾が窓辺なり
 実生の木に白き小花の咲き初めぬ亡夫の蒔きし名の知れぬこの木

平成5年8月号
 咲き満ちし桃畑の道廻りゆく心の足らふ桃源郷ここは
 水瓶に次々と咲く睡蓮の花終りては水に沈みゆく
 明けやらぬ朝を目覚むるわが癖の幾年なりや今日も覚めたり
 スタンドの仄かな灯りに白き花真夜も舞ひゐる胡蝶蘭あり
 一廻り年上の義姉なり今直ぐに逢ひに来よとぞ電話かけくる

平成5年9月号
 大会に行きましようよと病む夫を励まし励まし看とりし日ありき
 今吾もここに居ますと亡き夫に呼びかくる箱根大会は今日
 隣寺の竹の落葉は墓地に積り朝毎に掃く吾を困らす
 墓石の間に積む落葉掃き難し隣寺よりきりなく舞ひ入る

平成5年10月号
 久々に雨上り仰ぐ夜の空星影一つ二つもう一つ
 駆けぬけてわが前を走りゆく孫よ遅れてならじ息をはずます
 孫二人後姿のもつれつつラヂオ体操の朝のさはやか
 児を背負ひ空襲の一夜をころげつつ逃げまどひたる8月一日
 負ひし児は五十路を過ぎて二人子の母とはなりぬ平和なる世に

平成5年11月号
 楽しきことあれこれ持ちて老の道健やかなれと願ひつつ行く
 早起きも日課となりぬ今朝も又車少き歩道より掃く
 掃き終へて心足らひぬ六時半さあ長年のラジオ体操せむ
 小さきラジオ耳につけては山ぼうしを見上げつつ動かす首を手足を
 見上げたる山ぼうしの一枝に害虫の白き網の如広がるが見ゆ

平成5年12月号
 刺す虫の姿見えねどただかゆし竹の虫とぞ医師は宣ふ
 竹の毛虫か赤く腫れたる雨の腕の痒さ耐へゐつ半月余り
 雲をはらふ風強ければ十五夜の月の光の冴えて気高し
 吾が背に空を見上ぐる幼孫雲の流れの面白しと云ふ
 一鉢の君子蘭求め十年余り鉢の数増し華やぎも増す

平成6年2月号
 ゆったりと土色の水流れをり隅田川大橋渡りつつ見ゆ
 家をめぐるプラタナスの街路樹風に散り乾けり音のかさこそと舞ふ
 モチの枯葉しきりに落ちて山ぼうしの枯葉も交り庭に散り敷く
 娘孫のセーターを編む一ときもありて多忙な年暮れむとす
 セーターを編み上げむとていそいそと部屋にこもりて一途になりぬ

平成6年3月号
 大方の葉を落したるプラタナス朝の道掃き易くはかどる
 日当りよき吾が部屋に居れど折々は夫を偲びてただ過しをり
 七草の明けやらぬ空に半月と星一つ見えて清き朝なり
 七草の皆揃はねど粥を炊き家族一年の健康祈る
 贈られしカトレヤの花萎れたり十日余りを手もとにありて

平成6年7月号
 桜見たく春をふたたび訪れぬ二千年の命の花溢れ咲く
 実相寺の寺庭に生きる桜木の幹に泪あり永き歳月
 一鉢の牡丹求めしは去年なりき命短し縁日の花
 一本の杖を頼りに歩む友もゐるクラス会七十六歳
 ひと月も便りなき老姉(あね)に電話すれば骨折入院中と娘より聞かさる

平成6年8月号
 離れ住む娘の苦労思ふなり一人親なる吾は目覚めて
 妻なりし日は遠く去りいま我はおばあちゃんとのみ呼ばれておりぬ
 風強き朝を花びら散り敷けり山ぼうしの花多に咲きしか
 人通り少き早朝を起き出でて道掃き墓地を掃きをり
 セーターを編み上げて目をやる窓の外椿の若葉紫陽花の花
  11月号に載った円谷泰秋氏の批評-『大変素直な写実歌で歌調も整っているが歌材が多いため焦点が明瞭でない。「椿若葉紫陽花の花」と名詞の並列でなく一方の印象を強く詠出して感動の焦点化をはかる工夫をしてほしい。』

平成6年9月号
 久しく逢はざりし妹を訪れぬ寺町五十八番地わが生れし所
 父母も兄弟もありてももろともに此処に暮せし面影なつかし
 一人行く老の通る道厳しかり何をなすとも皆忘れゆく
 老いいよよ深まりゆくらしわが義姉の同じ電話日に幾度かけくる
 水引草の紅の花も白き花も共に咲きたり喜びありて

平成6年10月号
 吾が耳にそつと口よせ「玩具買って」五歳も孫と二人の秘密
 やんちゃなる二人孫留守の家の内心は休めど何か淋しき
 日々上る気温きりなく三十九度を越すとぞ聞けり八月三日
 朝顔も草むらの葉も首垂れて太陽の通り過ぐるを待ちをり
 窓明けられぬ暑き都会の昼も夜もクーラーに頼り息つてをり

平成6年11月号-翌号より母は沃野の第三同人に昇格した。
 名を知らぬ鉢の草花赤ピンク白に黄色が今朝も開きぬ
 朝七時花ひらき初め夕つ方静かに閉じぬ花の一日
 日照り続き枯葉の目立つ庭の木々一日の雨に息つくがみゆ
 水不足の声聞こゆれば庭の木々に水やりにつつ心とがめつ
 孫たちの夏休み終り静けさのもどれど老一人穴あく如し

平成7年1月号
 月下美人今宵咲くらし部屋内に端座してその刻(とき)を待ちゐる
 湯上りの一缶のビール分けて飲み一ときありて嫁と楽しむ
 虫の音も小鳥の声も聞かぬ待ち月見ることさへ忘れてをりぬ
 水槽の金魚はあはれその上に足場かかりて冬に入りゆく
 改築をなすとて狭きわが部屋にテレビを置きて幼と過ごす

平成7年2月号
 秒きざむ時計の音のみ高ければ一人起き出で歌思ひをり
 夜明け待ちていつもの如く街路樹の掃落掃きする今日の始り
 枯葉よとシャンソンくちずさみプラタナスの落葉散りしく歩道掃く
 おほかたの葉は散りはてし山法師冬支度成ると朝日あびおり
 明けやらぬ空の清さよ星かげのまたたきをりてこの身も清し
 共に生くると結ばれたりし遠き日よ思ひ出ばかり一人残りて
 自らきめし生命にあらぬ故老深む日日を何か励まぬ

平成7年3月号
 新しき年のカレンダー白き壁にかざりて過ぎし年を思ふも
 戦時下の三年の月日スマトラに過ごせし夫の歳月重し
 戦終りぼろぼろになりて帰りし夫子はとまどひぬこれが父かと
  6月号に載る島野達也氏の批評-『戦争が終わって復員してきた父の顔を初めて見た娘も五十歳を過ぎた。その日の体験は娘にとっても作者にとっても忘れ難いものであり、作者の人生の記録としての歌である。ただ、詠まれた状況は作者の家族だけの問題ではなかった筈である。従って、ここでは向井さんだけの人生体験を詠むのでなければ、読む人に感動を与えられない。「ぼろぼろになりて」「とまどひぬ」が一般的表現にとどまっているということを分かってほしい。』
 父の顔をその日初めて見し娘なり時過ぎていま五十路となりぬ
 時の流れの早くして夫かたへより消えぬ墓守る媼(おうな)かわれは
 風もなく雲さへ見えぬ朝の空見上げつつ深く呼吸するなり

平成7年4月号
 得意げに縄跳びをする弟孫七十跳びしと更に続くる
  7月号に載る石井祐二氏の批評-『幼稚園児か、それとも小学校一年生くらいの孫なのだろうか。とにかく縄跳びが出来るようになって嬉しくてしかたない。七十回程跳べるようになったと作者に知らせては、もっと跳べるようになりたいと練習に励んでいるのである。その様子を作者は目を細めて見守っているのである。「跳びしと更に続くる」が実にいい。作者の優しい人柄が伝わってくる一首である。』
 紅きバラにリボンをかけて贈りくるる十歳の孫のはにかめる顔
 大型のトラック行き交ふこの街に赤きトンボの群れて嬉しき
 人の影も声も聞こえぬ島のホテル磯打つ波の音のみ高し
 富士の山ま白く清かに仰がるる神々しかり秘本の山

平成7年5月号
 夜は更けラジオより聞こゆる「荒城の月」藤原義江なり思ひみざりき
 次々と流れくる唄なつかしき「ほこを収めて」「乾杯の唄」
 「恋はやさし」「カラタチの花」「この道」等一とき楽し今日は良き日ぞ
 時を忘れ唄声に酔ふ一ときの吾等がテナー藤原義江

平成7年6月号
 花みづき咲く季となり道を行く人が楽しとわれに告げゆく
 やまぼうし、花みずき門冠りの木緑かかげてわが歌となる
 夫の木の今年は房の花をつけ咲き満つる日の切に待たるる
 洋蘭を分けたる五鉢花咲きて友にも贈り喜びとなす
平成7年6月号をもって投稿はない。多分、これ以降、母は歌の投稿を躊躇することがあったのだろう。


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