目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
奥付

閉じる


ZENGO

自立

自立

日本には、美しい季節があると、誰もが言う。
その美しい四季折々の季節とは、木々と水との光の輝き、花々の競う姿であり、山間の化粧の姿だろう。
季節の変化する、そのものを美しいと思う人もいる。
季節の私達になすことは、たくさんある。
季節の中で、冬の寒さは、私達に厚く防寒具を着させ、夏の暑さは、私達の衣類を剥ぐ。
夏休み、冬休みは、子ども達を成長させ、たくさんの思い出を残す。
春は気持ちを和らぎ、秋は物憂くさせる。
季節の旬の食べ物は、私達の味覚を保ち、育む。
自然は、時に、私達を脅かす。台風、地震、旱魃、洪水、火山、津波………。
雨は、傘を差させ長靴を履かせる、強い日差しは、帽子を被らせる。
夜は、私達を眠らせ、朝は私達を目覚めさせる。
海や川やプールで、泳ぐ。
素敵な人に出会ったから、恋をする。
友達と話す。食べる。喧嘩する。仲良くなる。
仕事があるから、働く。会社に面接に行く。仕事がたくさんあって、残業する。
雨降って、友達と会えないから、つまらない。

誰も厚着をしたから冬が来るとは思わない。薄着をするから、夏が来るわけではない。
気持ちが和らぐから、春が来たのではない。物憂くなったから、秋が来たのではない。
季節の旬の味覚を味わったから、季節が来るのではない。
私達は怖くて脅かされたから、台風、地震、旱魃、洪水、火山、津波………が来るのではない。
傘を差したから長靴を履くから、雨が降ったのではない。帽子を被ったから、日差しが強烈になったのではない。
眠るから夜が来たのではない。目覚めるから朝になったのではない。
泳ぐから、海や川やプールがあるのではない。
恋をしたから、素敵な人に出会うのではない。
話すから食べるから喧嘩するから仲良くなるから、友達がいるのではない。
働くから、仕事があるのではない。面接に行くから、会社があるのではない。残業するから、仕事がたくさんあるのではない。
友達と会えなくつまらないから、雨が降るのではない。


橋は流れて(平成10年9月18日)

人橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず

(平成10年9月18日)

 小さいときの思い出で、忘れられない風景があります。それは東京の郊外、八王子に住んでいた頃のことです。今のような凄まじい住宅都市とはかけ離れて、あちこちに畑があり、はらっぱは広く、川の水はきれいで、何よりも懐かしいことは、近所の人々家々をほとんど知っていたということです。
 つまり、町が小さく、よその人があまりいなかったということでしょうか。道路も、とても広かったように思いました。同じ道路も、今たずねてみると、とても狭く感じられ、実に不思議に思うのですが。

八王子の中央高速のインターチェンジを降りて、国道十六号を入間市の方向に進みますと、拝島橋があり、ゆったりと流れる多摩川があります。支流に五日市町を流れる秋川と八王子市内を流れる浅川等、多くの支流を集めて川崎から東京湾へとそそぐ、第一級河川です。

子供のときの思い出のひとつに、これらの川でよく遊んだことがあります。拝島橋の多摩川へは、夕方、親戚の叔父に連れられて、よく釣りに出掛けたものでした。
叔父の家はつむぎの染めと織りの織家(はたや)で、染め場では、染料の入った釜からいつも鼻にツンとくる匂いの湯気がもうもうと立ち込め、織りの工場では、織はたを織る規則正しい織機が金属の騒音をまくし立てていました。
染め場のそばに、大きなコンクリート製の水槽があり、冬は冷たく、夏暖かな井戸水を、モーターでくみあげていた。今もモーターの唸る音や黒く光ったいくつもの釜がとても懐かしく、その光景が忘れられません。その水槽は深くて、回りが薄暗いせいにもより、底が真っ暗で、中にはうなぎとか鮠(はや)が黒い影を見せていた。

そのころ、叔父は午後3時頃になると、あとの仕事は人に任せて釣りに出掛けるのです。
もちろん、国道と云っても名ばかりの国道十六号を走って行くのですが、八王子インターチェンジもなく、切りどうしの舗装道路と砂利道で、しゃれたドライブインもなく、人家もまばらで、おぼえているのは拝島橋の手前の緑の奥に灰色の長い煙突が無気味だったことです。焼き場の煙突に煙が上がっていたことはおぼえてないのですが、往復に車の窓からいつもその煙突を見ていました。
拝島橋川岸に立ち、叔父がしつらえた釣りざおを、繰り返し繰り返し川上に向かって糸を流す。瀬釣りといって、糸の先端と端に玉浮きをつけ、あいだに疑似針をつけた仕掛けの釣りでした。

川面に浮かんだ玉浮きとその間の波をジット見つめて、にぶく光る一瞬に糸を上げる釣りに、子供の私には容易でなかった。叔父は、淡々と糸を垂れて場所を移り、時に私のそばに来てびくの中を覗き、中が空だと私の釣り棹をとり、自分で川上に糸を放り、当たりがなければ場所を移したほうが良いと、少し移動させるのでした。
やがて、いつものとおり夕闇が訪れて拝島橋の街灯がつき、あちこちに釣り人の影はあるものの、それは回りの景色と同じに動かなく、川の音だけが次第に大きくなり、いつまでも耳に残るのです。

川岸に立っている私は、川面を見つめているうちに、自分が玉浮きと一緒になってどんどんと押し流されてゆき、吐き気をもよおし、頭を振ってはもとの自分に帰るべくするのですが、川の瀬の流れは早く、川石に足を取られてよろけるのでした。暗くなると心細く、とくに帰りの支度の釣り糸をしまう作業がとても嫌だったことを思い出します。

禅語で『ひと橋上より過ぐれば、橋は流れて水は流れず』の語に接したとき、最初に思い出した情景は、子供の頃を過ごしたこの光景でした。水の流れに自己が没入した、無心の境地を指すのですが、子供心の私は、その流れから必死にこうべを振っていたのです。
もし、そこが日当たりのよい渓流のほとりで、まどろみながら空を見つめていて、雲と一緒にただよい、あるいは、せせらぎを聞きながら、そのせせらぎのうえに乗って流されていたら、その流れを拒否しようとは思わなかったでしょう。それこそ、目に写る自然を愛で一体となった姿。迷いも悟りもない無心の境涯というのでしょうか。

哲学者であり禅者である京都大学教授故久松真一師は、自分の弟子に『火焔裏(かえんり)に身を横たう』と短冊にしたため、進呈したという。
黄檗宗の二世木庵が、隠元に参じたとき発した句であるといいますが、私の好きな言葉のひとつです。火焔を自己の煩悩と置き換えてみますと、実はわれわれの日常世界が、選ぶと選ばないにかかわらず火焔裏の世界に違いありません。われわれはの日常は、火焔裏の世界です。その中で、我々は生きていると言いましても誤りではありません。

日常の生活を振り返って見ますと、おそらくいろんな事に執着し、後悔したことがあるでしょう。もちろん後悔しないで成功したことも数限りなくあると思うのですが、だいたいにおいて失敗が人を築きあげて行くごとく、みずから火焔裏に飛び込んで切り抜けたときの爽快さはたまらなく嬉しいものです。
われわれの現実生活では、われわれの自身の迷いや不安や欲望が、その火焔や水の流れに没入させることを躊躇させます。それこそ子供のころの多摩川での釣りのように。

ですが肝心なことは、没入する前から実はわれわれは炎の中、水の流れの中にいるということの自覚が必要だと思うのです。そのなかで、自身の立場・行為を観察し、恐れずに大いなる者へ身をゆだねて、後悔しない。自分がどこにいても、大いなる者が見守っていてくれるという確信が、自由無礙なる自己を創造してくれるに違いありません。それこそ、こうべを振ってはいけないのです。


無事

無事

 禅の書物の中に、臨済録があります。その中に《求心やむところ、すなわち無事》という言葉があります。
 この世の中で自分で希望して生まれてきた人は誰もいません。そして誰もが願うのは苦しまずに死ぬことでしょう。できたらポックリとです。
私達は誕生と死の間の生を与えられただけに過ぎないのです。そしてもっとはっきりした事は、誕生と死の間の生きているこの瞬間だけなのです。これを真の意味での存在というのでしょう。私達に与えられているのは、この瞬間に、この場所に、私が存在するという事実だけです。この一点に集中したとき、何の悩みも、希望も無い、ただ有るがままの私が存在します。宇宙そのものの全存在に溶け込み、生も死も超えることができるでしょう。《求心やむところ、すなわち無事》とは、このことを言います。
 この世で誰一人として、無事を願わない人は居ないと思うのですが、無事に気がついている人はごくまれです。どんな境遇においてもそのことに気がつけば、感謝が生おじるものです。そして大きな流れの中に自由を見出せると思うのです。一年無事で大過無く過ごせたり、また無かったりと、つくづく人の世とは慌ただしいものだと感慨ぶかいものがあり、後年振り返って見ますと、それがよりいっそう人生をおもしろいものにするのだと思います。だからこそ、精一杯に生きよと言うことなのでしょう


過去(平成10年5月23日)

過去(平成10年5月23日)

 平成5年の正月、父の本を整理していましたら、昭和一七年一月号の短歌研究という雑誌が目にとまりました。なにげなくページをめくりましたところ、つい夢中になって読んでしまったのですが、「宣戦の詔勅を拝して」という題でした。北原白秋、相馬御風、窪田空穂、土屋文明、佐々木信綱、斎藤茂吉、土岐善麿等文壇のそうそうたる人達が寄稿していました。

与謝野晶子
水軍の大尉となりて我が四郎 み軍にゆくたけく戦へ 土屋文明
永遠の平和のために戦への 勅の前に世界聴くべし 北原白秋
口を緊め思ひ沁みいる群童の 直立の姿いま見つまさに 
花田比露思
この戦ひ長くつゞくぞ幸先の よきに心を緩めざらなむ 

前田夕暮の『大詔渙発の日』の文には「昭和一六年一二月八日、畏くも、米英両国に対して宣戦の大詔が渙発せられた。ラジオの放送を聴いた時、熱いものがじいんとこみあげて来た。私は直ぐに庭に出て謹んで宮城遥拝した。到頭来るべき日が来た。……ラジオを聴き、更に感激して、二階の書斎から富士の方を見たら、素晴しく朱い太陽が、十二月八日の光輝ある歴史を象徴していた。
えんえん燃ゆる巨大な日の、一二月八日のこのひと時を今を 
戦後五〇年の月日がたち、私達の生活には過去の戦争のことなど夢のような昔のことですが、アジアの国々にはいまだに傷跡を背負って生きている人がたくさんいます。過去が現在を、未来が現在を形作るとするなら、これは私達の過去の、有りのままのひとつの姿に違い有りません。


たまごっち(平成10年5月23日)

たまごっちをそだてるっち!(平成10年5月23日)

 「お父さん、お母さん、育児は順調ですか?順調な人も、そうでない人も、ここで一息しましょう。あなたのウラ技自慢、育児テクニック、その他子育てに関する情報などお待ちしてます。どんどん送るっち!」
インターネット上の《たまごっち倶楽部》のネットタマゴッチに「やっぱりお別れは悲しいです。ここで思いで残しましょう。ペットは捨てちゃだめなんです」とメモリアルに墓碑が掲げられます。 
 《うどっち、三十四才、九十九㌘、クラス皆で育てていたのに何故死んでしまったの、きっと友達がお菓子あげすぎたのね。それにウンコ八個もためた私がいけなかったの?あなたがいないと寂しいわ。私も一緒にたまごっち天国へ連れて行って》《おやじっち、享年二十三才、四十三㌘、せっかくおやじっちになったのに!寝ぼけてる、死に際になって間に合ってよかったけど、もしかして病気をほっときすぎて死んだとしたら大後悔ごめんね!》

ペットの名前は、「のびたっち、うさぎっち、だんごっち、おやぢっち、つのちっち、まるっち、うどっち、すもうっち、くらげっち、ぱくっち、あねごっちetc」
子供達のポケットにバーチャルリアリテイーの空間が広がり、リセットを繰り返し、バッテリーを取り外しながら、成長させ飼育しているペット達は、人の形をしているたまごっち。 親を演じてのこの仮想ゲームに、空間はいつしか現実の空間にはやがわりして、子供っちは子供を演じながらいつしか父親、母親に。
父親はおやじっちに、母親はばばっちに、演者が逆転して現実の家族ゲームは子供達のポケットのバーチャルリアリテイーの世界に飲み込まれてしまいそう。おやじっち、ばばっちはリセットひとつで、ネット上のメモリアルボードに掲載されるとしたら、現実のおやじっちの逆襲は、家族ゲームの主導権の確立こそ、たまごっちは子供達へと回帰して行くことなのか。


一衆觸礼(いっしゅうそくれい)

一衆觸礼(いっしゅうそくれい)

 この熟語を見て、すぐに意味がわかる人はいません。多分、臨済宗のお坊さん以外はわかる人はいないだろうと思いますが、貴方は、初めこの言葉に接した時、頭をかしげたのではないでしょうか。そう、いつでも最初は、何のこっちゃなのです。
言葉とは不思議なもので、その場所で大きな意味を持つ熟語があるのです。
この言葉の使用される場所は、晋山式(しんざんしき)に於て使われることが、我が臨済宗では専らです。さらに、晋山式という言葉が理解できない時代になってしまったのではないでしょうか。
平成12年10月3日、私の寺の親戚であるお寺に、新しい住職が入山いたしました。その入山の儀式が、晋山式です。

晋の字は、易の、六十四卦の一つ。坤下離上(コンカリジョウ)というそうです。『地上にあかるみの出るかたち』であり、すすむ、さしはさむ、おさえるという意味を持つそうです。天地創造を、私は思いました。何故なら、前日から雨でとても心配いたしました。朝、その寺に行く途中も、雨がパラパラと降っているのです。稚児行列をいたしますので、そのことも気になりますが、来られる檀信徒や和尚様方も、足もとが悪く不便をかけます。

どんな時でも、進むには、進む道理があり、それは、時に進まなければならないことでもあります。また、自分で進んでいると思っていても、そうではなくて、進まされているということもあります。そして、進むためには、進む方向に空間、場所がなければ進めません。もちろん、進んで思っていても下がっていることも多いことに違いありませんが、それも進むことなのです。何故なら、進むことは明るさを持つことだからです。
何の仕事、伝統、文化でもそうです。後事を託すことは、託す人と託される人 もちろん託す人も、元は託される人だったのですが、託す人と託される人のお互いの資質が、その時試されるのではないかと思います。そして、世代を形成する。

世代の世の字が、30年という年月を表現するものであるなら、次の世代もまた30年という年月を維持し、次の世代に託すという努めがあります。200年300年経ってみれば、いっかいの寺の一世代の住職は、名も知れない住職に過ぎませんが、名も知れないゆえに、私は返ってその重みを考えてしまいます。その世代に名を連ねる意味は、多くのことを含んで連ねるのです。今という時代は、共生、連環、リサイクルと叫んではいるものの、叫ぶものの覚悟が見えません。一つの時代に、自分の生を掛け、死を賭してこそ、進むという意味があるのではないでしょうか。晋=進むとは、時代を巻き込んで、地上に明るみの出ることなのです。私の一歩も貴方の一歩も、共に明るさを含んで、進むのです。

さて、この行事の最大の特色は、法要の式次第の中に、総茶礼(そうざれい)といいまして、その晋山式に出席した全員が、お茶を飲むことです。
法要は本堂で行われますから、その場でお茶を頂きます。そして、お茶を頂いた後に、全員が『一衆觸礼』の発声にて、頭を深く垂れるのです。もちろん、今日の出会いの全員、100名、200名が一斉に頭を垂れる姿は、見事です。

礼の基本は、尊し、貴しです。私はこう思います。
「何百人、何千人いようと、たった一人の礼が尊いと思います。私一人が頭を下げるのです。するとどうでしょうか、そこに出会った全員が、頭を下げてくれるではありませんか。たった一人の礼が、全員を動かし、私一人を尊しとしてくれるのです。何百人いようと、たった一人の礼なのです。そしてたった一人の私の礼は、全員を構成する、貴方を尊しとする一つの礼でもあるのです。」
晋山式で、こう全員が感じてくれたら、全員が主人公となり、大きな山が進む姿を想像できるのではないかと思いました。


六道を輪廻する

六道を輪廻する

 三途(さんず)とは、地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)の世界です。三途に阿修羅(あしゅら)・人間(にんげん)・天上(てんじょう)を足したものが六道です。そして、この一つ一つは別々のものではなく、それぞれ私達の心の状態を指しています。現実と心の状態とのギャップを表現したものです。それは、希望、願望、切望、欲求、……と心の渇きから繰り返します。

地獄とは、もがき苦しむ正にそのものの状態をさすと言ってよいでしょう。「……が、たまらなくしたい。……が、どうしても欲しい。」と、いまだ実現しない状態です。そのもがく苦しむ状態から、抜け出そうと必死になって無理をする状態は、餓鬼そのものです。そうするともう他人なんか見えずに、おかまいなしに悪いことまでして、人を蹴落とし、抜け出そうとする状態を畜生と言ったらよいのでしょう。

阿修羅となると、その欲求を抑えることが出来なくて、暴力をふるって、人に危害を加え、悪知恵を働かして、人を虐げます。そんなことをして目的を達し、やっと、落ち着いたところが人間で、ホッとした所ですが、それはすぐに転落するものを含んでいる世界です。
そうすると、人はうぬぼれて、今度は自分が見えなくなり、つまりは、固定的な観念に陥ってしまいます。それが天上で、しばらくすると、「何で私が受け入れられないのだ」と、地獄に逆戻りです。六道の一つ一つは、それぞれが五つの道を含んでいるから、すべてが繋がっていると言えそうです。この現状にたいして、仏道とは、この連鎖を断ち切る行為なのだと思います。
煩悩即菩提と言うように、煩悩の荒れ狂う海の中では、彷徨える船を操る梶も竿も不要な時がある、かえって任せることも静けさには必要なことではないだろうか。それは、辛く苦しく、悲しく寂しく、不安や恐怖に、いらいらすることも、それを取り除けない今の私なのだと徹することのうちに、豊かに潤いのある姿を見つけることかも知れません。


二人三脚

二人三脚

 結婚式のお祝いの言葉に、聞いたのが、私は初めてでした。それが、『二人同行』という言葉でした。すぐに四国のお遍路さんを思い出し、仏さん、あるいは弘法大師と一緒に旅をする姿を浮かべたものでした。そして、遍路の白装束の、『南無大師金剛返照』の言葉の返照に、仏に照らされて旅をする巡礼の姿が、何とはなしに浮かびはしたものの、これを、夫婦にたとえての祝福の言葉に、上手いことを言うものだと、人ごとのように聞いていたのは、二十年か前のことだったのです。それは、そうです。未だ連れ添ってもいない長い夫婦の旅路の、二人の共に歩く姿など、明日は何処に行こうかと思案する二人には、想像だにできるものではありませんでした。

共に白髪の生えるまでは、今の若者も、その当時の私達も、ほとんど使わない言葉だったのです。それが、二人同行の言葉が、今は妙に美しい風景だな感心したりするのは、その裏にある意味に気がついたからです。

肯定的に言えば、二人してゆくということですが、私は、一人では歩いて行けないと、否定的に捉えた時、この言葉の意味が、鮮明に意識できるようになったからです。二人同行は、なぜか明るい四国の遍路を歩く姿が浮かびますが、同じ姿は、実は、一人では耐えられなく、生きてゆけないという姿に、実は、同じ姿なのだと見えてきたからなのです。

そうすると、四国のお遍路から、実は、毎日が遍路であり、その道は、毎日が旅立ちの、旅の途中の、辿り着いたりの道でもありました。夫婦にとっては、二十年来の旅路の途中です。その二十年の旅路の中の、十五年は、上の男の子との旅路に、十二年は、下の男の子との旅路です。病気した母とは、二年半の旅路ですが、今の病院に入院してからは、二年近くの旅路です。 手厚い看護に、安らぐ時を刻んでいた母も、ここ一ヶ月は、タンが絡み、食べ物も、喉に上手く入らず、辛い咳をする時、思わず目を背けてしまいます。呼吸が止まるのではないかと、不安に覚えます。
つい一年ほど前に、口から入った、空気と食べ物を見事に交通整理できることをあらためて見つめ、これこそ人間の高度な技の一つだと、感心していた私でした。それは、いずれは来るであろう、この交通整理が出来なくなる時の、今は、生きているということ証のようなものだったのです。
父が具合悪かった時、母が懸命に看病し、毎日病院に行くのを、車で送ったり、週に一度は母と交代はしたものの、あくまで私は母を支えていたのだと思いました。母が支えられていたかは聞きようがなく、今は知りようもない。これも母と私の二人同行。

父が逝ってからの、母にとっての父との二人同行の姿は、やはり寂しかったに違いない。どうしても、今の母の姿を見て、父の姿が重なり、ここから、私ら夫婦の二人同行が、またはじまる。
母とは、具合の悪くなった時、無理して生かすのではなく、自然な処置をすることで、尊厳を大切にすることを、話し、納得したものでした。
母の病人としての症状と変化に、その母と話し合った言葉を、担当医師に伝え、医師も同意見と話し合ったのでした。無理して生かすのではなく、あくまで自然な処置を施すことをすることで、母の尊厳を保つことの意味を、形にすることができるのだと思ったからです。しかし、それは私と母とが乖離して歩き始めたことだと、後で気がつきました。

二人同行は、二人三脚であり、大切なことは、同時に進むことです。かってに描いて、決め付けるのではなく、母本人の様態の変化や病気の進行と、見守る家族の看護、知識とが、同時進行することこそ、病人と家族の二人三脚です。それも、あの時、この時、今、明日と二人三脚の状態にいます。今生きていることが、あらゆるもの、できごとと二人三脚であり、二人三脚こそ、私の、貴方の姿です。改めて、人が生きるということは、あらゆるものと二人三脚だということが解かってきました。

そして、そのことは、共に歩むきりない選択肢において、人は別の選択肢を選ぶことによって、選んで、厄介なことに直面するようなのです。
さて、仏教で、深信因果(じんしんいんが)という言葉があります。因みに、因果を信ずる人を、仏教徒と言い、因果を信じない人を、外道と言いますが、その因果を深く信ずることを、深信因果と言うのです。因果は、因縁果であり、果は起に通じ、ここより縁起と同じ意味を持つことは、あまり意識しないというより、ほとんど現代では、問題にしていないように思える。

それで、その因果を深く信ずると言うことは、どういうことかと言いいますと、因果をくらまさない、因果をあきらかにするということなのです。禅の問答に、因果に落ちずと言って、五百年間輪廻転生した狐の話がありますが、因果に落ちずとは、この法則に背き、無視することに違いありません。この世の中が因果の道理によってなりったっていることを深く知れば、因果をどう生きるのかが、問題になります。
そこに、随順因果(ずいじゅんいんが)という、次の言葉があります。因果の法則に、随うということです。自ら随うことの意味は、随う以外に選択肢がないという、絶対随順の意を含んでいます。因果をあきらかにし、くらまさずとは、随うということなのです。因果を古人は、影は形に随い、音は響きを伴うと言い表わしていますが、このことは千年経っても変らぬ事実です。

また、因果の道理を示すために、釈迦や仏が出現したとするなら、因果に落ちずは、釈迦や仏を、更には、神までも否定することになってしまうではないか。善を行ずれば天国に行き、悪を行ずれば地獄に行くことも、因果の道理に含まれると喝破したのは、道元禅師だったのです。
因を母とし、果を私として、因を私として、果を母として、因を過去として、果を今として、今を因として、未来を果として置き換えた時、因と果、縁と起こそ、二人同行、二人三脚の根拠でもあるのです。


生老病死

生老病死

 ある人、
「和尚さん。ご相談なのですが。独り者の知人が、とある寺の合葬墓の永代埋葬権利を120万円で、購入したのです。
檀家縁者だったので、2割引で購入したと言う。自分が亡くなった後、お骨は一部を除いてみんな撒いてしまうのですが、翡翠の小さな骨壷を10万円で売っていまして、それに小さなかけらのお骨を入れて、13回忌まで本堂に安置してくれて、永代供養してくれるというのです。」

私、「そうですか。それはさぞ安心して良かったですね。」
ある人Kさん、「そこで、和尚さん13回忌が終りましたら、私のお墓に引き取って埋葬してよろしいでしょうか。あちらのお坊さんは、どうぞお好きなようにと言ってくれているのですが。」
私、「ちょっと待ってください。本人の意思は、何処にあるのですか。」
Kさん、「それが!本人は身体を悪くして、入院しているのです。多少痴呆が入っていて……。」

私、「貴方のお気持ちはわかりますが。少し変ですよ。知人が自分の安住の地として、その寺と合葬墓を選択したのですから。13回忌が過ぎて、お骨が撒かれてしまうからといって、寂しいからといって、こちらに移すのは、本人の意思に背くものです。もし移すことを承知しているのなら、最初からKさんのお墓に入ることを考えるべきです。そうすれば、Kさんの安堵と無駄な出費を抑えられたはずです。」
私、「いいですか、これから多くの独り者が年老いて、同じような徹を踏まないように願うことですが、安住の地を決めることも大切ですが、本当に大切なことは、その人が終末を迎えるに当たって、家族・友人・仲間と堅い絆を結んでいることが大事なのです。だって、自分の死は、自分が確認できないからです。あたりまえの事なのですが、自分の死を確認するのは、自分以外なのです。

お釈迦様が出家する原因になった、『四つの門』のお話があります。誕生門、老門、病門、死門のことです。出家する前ですから、お城に四っの門から外に出ました。誕生、老い、病、死に対するそれぞれの悲哀をつぶさに観察し、出家にいたります。生は誕生、老は成長を含んでいます。それに病と死で、人の一生を表現するものですが、はたして本当に、自分自身もそう言えるものでしょうか。自分以外の他人の一生を考えてみた場合、確かに生老病死は現実を表現しているものです。しかし、私と言う自己を考えてみた場合は、本当にそうだろうかと思います。

それは、現実の私にとって、誰でも、自分自身の誕生と死を確認することは絶対に出来ないからです。喩え数分後に亡くなることを知っても、それは最後まで生きていることの証でありつづけることから、最後まで自分自身の死を見届けることは絶対にないのです。つまりは、人は生き続けることをもって、終末を迎えるのですが、真の終末を迎えるときには、自身は存在しないということが現実の事実なのです。誕生の確信も持たず、死の確信も持たない私に、死は存在しない。ずっと生きつづける以外、私にとっての選択肢はないといってもよいことです。つまり、自分自身にとって、生老病死の生と死は、存在しないと言ってもよいかもしれません。問題は、成長と老いに病です。これが現実に遭遇する事件なのです。

禅は、”生きる”ということに重点をおいていますが、考えてみると、老と病は、生きるという事実そのものです。すべての私にとって、世の中すべては、自分が生きていることの証なのだと思います。そして、その私は、最後の最後まで、生き続けるということで、死なないという意味を持つこともできますでしょう。

そう悟ってみると、Kさんのお話のように、死なない人が、お墓の心配をするのも妙な話ですね。お墓は、死を確認する手段を持つ人がいて、意味があるのだと考えることが必要なのです。人間、最後の最後まで生きているということは、それが死の証しということでもあります。
人は諦めてはいけないという言葉に説得力をもつ響きがあります。そしてそう信じて、最後の最後まで生き続けられることこそ、人の使命といえないでしょうか。そして、また、感謝して生きるということも、意味のあることです。感謝しないわけにはいかない、老と病を人は授かるからです。感謝することは、老と病の証でもあります。老と病は又、命ということでもあります。

それにしても、Kさんのお話で、妙なお寺があったものです。霊感商法を真似したことにも気がついてないのでは、困ったものです。


筋肉番付

筋肉番付

 スポーツを究めた人は、賞賛に値する。
子供達の将来の夢を聞いた時、坊さんになりたいという子供はかって聞いたことはない。考えてみれば、お坊さんも健康管理に気をつけて、お金がかからない健康管理、お金がかかる健康管理と、自分の体を厭うこと一般人と何ら変わるものではないが、肉体を鍛錬することとなると話は別です。
野球選手、サッカー選手、プロゴルファーと圧倒的にスポーツ選手が、子供達の夢を独占することでしょう。過去の時代は、プロレスラー、ボクシング、相撲力士と、スポーツ人気の変遷は、大勢の知るところです。
今年、アメリカのオーガスタで、マスターズにアメリカで自分の力で参加した、日本人のゴルファーがいました。彼は10歳で、父からゴルフを教わったそうです。

「今、夢にまで見たマスターズに参加し、このゴルフ場に居るということが、幸せなことなのです。」
「子供の頃、自分の将来の夢を抱きながらも、大人になって達成することの出来る人は、何人も居る者ではありません。そう思うと、自分の幸せを思わずにはいられません。」
私達ファンは、彼が少しでも上位に入ることを、求めます。勢いのあるスポーツマンこそ、子供たちにとっては、人気があります。子供達の憧れは、晴れやかに、スポットライトを浴びるテレビの画面の中の彼に、自分を重ね合わせるからです。大人も子供も、テレビの画面に釘付けになって見るものは、美しいスイング、ピンに絡むボール、カップに吸い込まれるボールの軌跡です。
同じマスターズに、十何年も通いながらも、日本の試合と違って一向に優勝できない、肩を落として弁明する姿のゴルファーは、プロ野球から転向した人物です。彼には辛く屈辱のマスターズかも知れません。

子供達の憧れの姿である、若く勢いのあるスポーツ選手だからこそ、マスコミのスポットライトは、汗をかき辛い姿も、格好が良く映ります。さわやかさを伴って、大勢の人を引き付けることが出来ます。
しかし、何故にこのスター選手に憧れますかの問いには、格好良いからと同じように、夢イコール、金銭感覚が現われます。頂点に到る過程は見えず、栄光のゆえに勝ち取る報酬に、自己の金銭感覚との隔たりを埋めるものに、気が付きません。
速さと力、速さは時間を競うことです、力は空間を作用することと言えばよいのでしょうか。その為にも、あちこちの筋肉をつけ、贅肉を削ぎ落とし、瞬発力、判断力、持続力を身に付けます。
美しく価値ある肉体を作り上げることは、その精神をも、美しく己が肉体に宿ることと考えたのか、ギリシャ彫刻に見る思想は、東洋の思想とはっきりと違います。

精神性こそ東洋の要だと思うのですが、その精神の捉え方が、安易で、即物的、刹那的です。
さて日本の文化を代表する一つに、茶道があります。今の日本を見て、かって歴史の中に、禅の侘び・寂びの文化が芽生えたことに、逆に驚きを感じる時代になってしまったようです。

≪ものがたりの余白(ミヒャエル・エンデ)岩波書店≫に、「茶道の茶碗には、まるで子どもが粘土をひねったかに見えるものもありますね。路傍の石のように、釉薬が、こう、外側を流れている。そして、まさにこの粗野なところが、まさにこれこそが、その茶碗の美なのです。なによりも、それが、自ずからそうなったのであって、意図されていないこと。意図したけれど、しかし、(同時に)意図しないことなのです。これが、あの、まるで原理なんですね。なにかする意思があり、同時にその意思がない。ちょうど弓術のように、弓と矢は使うけれど、しかし、的は忘れ去る。思うに、これが世界中の芸術全般における決定的な原理なのですが、ただ、わたしたちヨーロッパでは、はっきりと意識されたことがありませんでした。」

茶器の偶然に出来た上薬の柄や、土の肌は、けっして偶然に出来たものではなく、作ろうとして、作れない美を、作るところが、自然と表現されたものです。限られた空間の茶室に、限りない空間を表現し、静寂が松風の音を引き立て、松風の音が静寂を研ぎ澄ます、主人は客をもてなし、客は主人を引き立てる。一期一会の現出、在るがままとはこのことをいいます。

ミヒャエル・エンデの言葉です。「このことが日本で理解される前に、全部壊れてしまわないように、それだけをわたしは願っているんです。日本でも、日ごとに消えてゆきますから。……若者達の大多数は、ますますアメリカ化され、よくみかける悪趣味にどんどん無感覚になってきているようです。」≪ものがたりの余白(岩波書店)≫


ポケモン

ポケモン

 このゲームは、主人公がポケットモンスターを収集しながら、各地を旅をして、ゲームを進めてゆくのです。ポケモンを戦力として育てていくことはもちろん、パワーアップした「ポケモン図鑑」の作成も、楽しみの一つです。シナリオの目的は、ジムリーダーに勝ってバッジを集めること、そして、セキエイ高原にあるポケモンリーグでチャンピオンをめざすのだ!ポケモンは250種類以上、ノーマル系、炎系、水系、電気系、草系、氷系、格闘系、毒系、地面系、飛行系、エスパー系、虫系、岩系、ゴースト系、ドラゴン系、悪系、鋼系、幻のポケモンとあり、これらが絡み合って、更に種類を増やしている。
小学生、中学生を中心として、世界にブームを巻き起こした、天に任ずる堂のゲームである。その株式の値段は、破格の値がついて株式相場をリードする一つになっている。つまりは、世界中の大人を巻き込んでの、ポケモンゲームなのである。

更に、世界の有力企業であり、日本を代表する企業の基幹商品の一つである戦略商品は、PLステーションであり、その後継機PLステ2である。この株式の値段も、超破格の値がついて、相場をリードし、大人たちを興奮させる。
ほかにも日本発のゲーム機は、通信と結びついて、世界の子ども達を席巻し、まるで意識改革を試みているようだ。
先週のことである、とある家庭の話である。小学校高学年の子供が学校に行かなくなってから、数ヶ月が過ぎるという。
不登校の原因と思われることに、クラス替えによって、仲の良い友達と別れてしまったこと、担任の先生と合わないことが原因にあるようだと聞きました。親達は、無理やり強くではなく、受容しなさいと言われ、辛抱強く、子供に対峙して、決断を下せない。
先生は、子供に、無理に学校に来なくても良いといい、自分の判断で決めろと言う。宿題も、絶対提出しなければではなく、できる範囲で良いという。言われた時、子供が変わったという。児童相談所に行ったが、週一度の相談所通いは、相談員との交流を深めて、親しめるようにと、インターネットでゲームの裏技探しに、ノンビリした対応に、これもマニアル通りの対応と言う。

それを好いことに、子供は、朝早く起きず、起きたら早速ゲーム、日中はゲーム、夜は遅くまでゲーム。子供は、ポケモンワールド、RPGワールドの中で、自らをパワーアップするかのように、敵に育まれてゆく。いかに自らを強くするかは、レベルを上げるか、強力な魔法を使えるか、頑強で強い武器と防具を揃える。そのために、敵を倒してお金を奪い、宝箱を漁ります、そして近道の裏技を探します。さらに、ゲームの進行は、そのステージ適し、進行の助けとなる仲間を選ぶことを強いられるのです。
また、敵を倒すことを目的としたアクションゲーム、ほとんどのゲームは、クリアーすること、達成することで終わるのですが、子供たちのゲームは終わることがないのです。つまり、一つのゲームは一つなのですが、次から次に送り出されるゲームによって、クリアーすること、達成し終わることがないことに、気がつきません。

室内で、年齢を超えた多くの人との接触を避けて、何十時間かけて、釘付けにされて育つ子供たちの心は、どう育まれてゆくのだろう。子供は、こうした時も成長しているのです。そして、無理をしてでも社会に放たれるのですが、その世界も、ゲームの世界と同じだとしたら、また、違ったとしたら。どちらにしても、悲劇だろう。

もちろん多くの子供たちは、自我が発達し、調整し、自己コントロールし、発散し、杞憂とすることはないのだけれども。
それにしても、ゲームの機械とアプリケーションを、日本の世界を代表する企業群が、作って、売る、この目的と理念は、何処にあるのだろうか?世界をどう変えたいというのか?


俺は、親馬鹿か!

俺は、親馬鹿か!

 平成12年の夏のエプソンのプリンターコマーシャルが、妙に頭にこびりついていた。
結婚した夫婦の設定は、どういうコンセプト(この言葉の使い方は、知らないが、多分こんな感じで使うのだろうと思って、使ってみた)なのだろうか?
きっと、男と女の素敵な出会いがあって、いや最初は困難な出会いであったかもしれない。何故なら、3枚目タッチの髪が薄くなりつつある夫となる俳優と、新妻を思わせる女優、優花の若さと可愛さの不釣合いは、今が幸せな時を感じさせるほど、ここまでに到る過程を想像させるといったら、私の考えすぎなのでしょう。

それにしても、このコマーシャルのワンシーンを切り取り、肉をつけて、想像を巡らし、裏づけを取ろうとする人がいるとは、製作者はきっと考えていないでしょう。しかも、考えている人が、僧侶であることを知ったら、きっと恐れ入りましたと、白砂の上に土下座して平身低頭するかも!ちょっと言いすぎか!オーバー過ぎるか!
彼と彼女の道行は、その後、愛が芽生え、やがてお定まりの結婚へとゴールインします。新婚を過ごしてきたカップルにとっての居間は、その辿ってきた軌跡の表現をしていなければなりません。その居間は温もりを表わしていてこそ、次のステップが相応しいと思います。 その居間の壁や、床、天上までも、埋め尽くす愛児の写真は、二人にとっての今を語るものでした。
「俺は、親馬鹿か?」

妻に問い掛ける、この言葉こそ、愛の巣がいつしか家庭へと変化し、その変化に嬉しさを含んで戸惑いつつ、発した言葉です。自分が変って行くことを受容しながら、妻に問いただす男親の立っている場所を示すものです。
そんな夫を、優しく包み込んで、さとすかのように赤ちゃんを抱きながら、妻が発した言葉。
「それが、幸せってことよ!」

プリンターから打ち出された、愛児の写真の氾濫は、幸せな家庭へと移行した事実のワンショット。
私が、作家だったとしたら、≪妻がしゃべる、「それが、幸せってことよ!」こそ、魔女が操る呪文に聞こえるのです。≫と、付け足すかもしれない。


塵も積もれば山となる

塵も積もれば山となる

「和尚さん!このお塔婆を並べ替えてもよろしいでしょうか?」

法事のお経を始まる前、お施主さんに聞かれます。もっとも、最近は聞かれない方が多く、聞かれるときは少ないのですが。あらかじめ、こちらで適当に並べて置いたままで、大方は終わります。
先日、久しぶりに、並べ替えをしていたお檀家さんを見かけたものですから、「順番が気になりますか?」と聞くと、「こういうのは、どういうふうに順番があるんでしょうか?」と、逆に聞かれました。
そういえば、私の母の法事の時でした。法事が終わって、30名の参列者を、食事に誘うのですが、中華料理のお店に移動して、3っつのテーブルに誰と誰を座っていただくか、その人選に家内が考え込んでいたのを思い出しました。

さらに、法事の時の本堂での、序列も、誰も言わないものの、暗黙の位置みたいなものが支配しているのを見るにつけ、世界は、総てが表現であり、発言なんだなと、改めて感心し、得心し、仏教の単純な道理の、奥が深いことを楽しみました。
私は、法事に参列していただいた方々に、この法事をどう味わって、帰っていただくか腐心いたします。
そのために、「今日、あなた方は、亡くなられた方の追悼の為に来られて、中心はあくまでも亡くなられた方なんですが、同時に、中心は、あなた方一人一人が中心なんですよ!」と、告げます。
貴方が、今、ここに居るということは、貴方自身の存在の表現なんですが、同時に、ここに居る貴方以外の方々も、存在の表現をしています。つまり、貴方自信の表現とは、同時に、貴方以外の方々の表現によっても、成り立っているからでもあるのです。つまり、表現されているということです。

貴方が、本家の弟だとしたら、その場所にいる貴方以外の兄や姉、妹、従兄弟、親は、今の貴方を表現してくれるという立場にあります。
追悼される方も、姿は見えないけれど、この世界の関係から外に出ることは有り得ませんから、表現され、表現する存在です。
中華料理のテーブルに、それぞれが座ることが、世界を造るといったら、大袈裟かも知れませんが、表現と言うことなのです。表現を、発言と言ったり、跳出(ちょうしゅつ)と言ったりすることも、同じことだと思います。自分がそこに居るということ自体が、実は、世界を表現していることだし、亡くなられた方を支えていることにもなります。当然、亡くなった方からみれば、亡くなった方も支える存在であり、そこを、私はお護りされるんではなく、お護りする存在なんだと、強調したいのです。
塔婆の並び方も、それぞれの塔婆が発言して、順番を決めてゆきます。ただ、順番だけに目を付けると、一本の塔婆の発言しているものを、見えません。
「和尚さん!このお塔婆を並べ替えてもよろしいでしょうか?」と聞かれた方が、私の説明を聞いて、「いっそ、円を描いて飾れば良いですね!」言いました。

いまだ、順番に引っかかります。思うように並べても、並べなくとも、一本の塔婆は発言しているのです。
本堂での法事が終わって、墓地にてお経を読んだとき、墓前に供えた花束に、赤いストックが鮮やかで、きれいに映っていました。そう見たとき、白い菊と空色のスイトピーが、赤のストックを支えていたのです。ここでも花たちが、表現していました。
さて、表題の《塵も積もれば山となる》ですが、塵を表現し、発言するものと考えてみれば、山は、全体、或いは世界に該当するのですが、問題は《積もれば》です。積もることは時間的な経過を表しているのですが、仏教的には、積もるに引っかからずに、塵そのものが、山なのだと、気づくことが大切なことです。塵そのものが、山であると気づいたとき、山が動き出します。世界も動き出します。


生と死と永遠

生と死と永遠

 生老病死において、生と死はないのだと、以前、書いた。確かに生きている人にとって、自分の生と死を確認するすべを持たないことは、事実です。しかし、自分が生まれて死ぬことも、また、厳然たる事実ですし、それを確認するのは自分以外の人であることも確かなことです。ですから、人は最期の最後まで生き続け、最後の瞬間も、そのことが生きている証となります。
人は、自分の生から死に立ち会う時間を、持っていない。それは、死して時を刻むことが出来ないということです。生きているということは、自分が時を刻んでいるということなのだと、時を刻むということが生きているということなのだと、無常とは、そのことを指すのだと思います。

人が、生きて、生まれもなく、死もない状態で生きているとしたら、それは、長年の人類の夢である、不死を手にしたと言えるのではないかと。ただ私達が気づいていないのではないだろうかと思った。
永遠を手にすることは、それは、生も死もないということと同じことだからです。人それぞれ、生まれもしない、死にもしないことと、永遠の内容と、同一のももだと言えるのです。

さて、永遠というテーマは大きなテーマです。命あるものが、永遠を願うことは、未だ永遠を手にしていなから、願うのであって、すでに手にしていると実感していたら、命あるものの願いは、違ってくるはずです。



かって、T・Sエリオットは、
『老齢や老衰も恐れることはない。消滅も運命の変遷も私を怯えさせない。
もはや、死でさえがわたしを狼狽させたり驚嘆させたりはしなくなったとき。このわたしは愛の中に居るのだから。』と、記しています。
それを、仏教で言うと、
『老齢や老衰も恐れることはない。消滅も運命の変遷も私を怯えさせない。
もはや、死でさえがわたしを狼狽させたり驚嘆させたりはしなくなったとき。このわたしは不変の命の確かさの中に居るのだから。』と、なるのかなと思って、今は、気に入っている言葉の一つでもあるのです。