目次
輝いている時
夢中(ゆめのなか)
芝浜
江戸っ子
亀住町(平成13年7月1日)
モンセ・ワトキンス~夢のゆくえ~(平成14年1月3日)
新牌開眼
英霊(平成17年5月23日)
目覚め
よわい「齢」
また始めたらよい
三大聖樹(平成19年4月17日)
滅度(平成19年9月18日)
安住の地(平成20年11月15日)
心眼(平成22年3月1日)
とかくこの世は
とかくこの世は
祈り(平成17年11月29日)
品位(平成18年1月20日)
ニャンニーシンズ(平成18年3月1日)
鍵(平成18年4月25日)
チベット(平成20年5月1日)
SYOHOU
諸法
四十四の問い~ミヒャエル・エンデ
先ゆく輩
さき行く輩
祖師年譜
ダルマ
慧可
五洩霊黙和尚
石鞏慧蔵禅師
大珠慧海禅師
西川の黄三郎
馬祖道一禅師(馬大師)
五百生 百丈和尚
大梅山法常(752-839)
麻谷山宝徹禅師(平成12年1月27日)
鎮州普化(ふけ)和尚
寒山・拾得
虹の彼方に
ヘイヴン・ペックの場合―続貧しいけれど、豊かだった―
生前葬
平和を我らにーGIVE PEACE A CHANCE(平成13年10月31日)
ソクラテスとヤージャニダッタ
蓮(平成14年6月2日)
心-KOKORO(平成14年6月25日)
独り暮らし(平成15年4月12日)
老いが、咲いていた!(平成16年7月5日)
深濱-fukahama
死に顔
松山鏡(ソクラレストとヤージャニダッタの続き)
真ん中(平成20年4月1日)
百万回いきたネコ(平成21年1月1日)
夜来る鳥(平成21年1月1日)
だいじょうぶ、だいじょうぶ(平成21年2月1日)
無常への帰依
無常への帰依
希望(平成12年1月2日)
葬式坊主
泥棒
赤とんぼ
老い
……ロス
後姿
寿陵
ついで参り
目標
六道を行く
もの言わぬ羅漢達…揀択をこえて…
宮本武蔵
五合庵断章(平成10年10月17日)
K子さん!(平成12年7月19日)
今は昔
十一面観世音菩薩
尽七日忌(平成19年5月1日)
OSYOU
OSYOU
この手のひらに―禅僧の死―(平成10年11月18日)
戒(平成10年7月25日)
幽霊
みんな仏教徒(平成10年5月27日)
最後の晩餐(平成10年5月23日)
禅問答(平成10年5月31日)
分銅
天国は汝ら自身に宿る(平成10年11月24日)
宗派
穢れ(平成12年8月30日)
お彼岸
仏心
仏心
ご祈祷
施餓鬼会にて(平成17年5月28日)
永遠の命
輪廻する葦(平成10年5月27日)
連鎖する命(平成10年6月2日)
涅槃(平成10年8月12日)
鏡(平成10年7月25日加筆)
流星
TAO(平成11年1月3日)
四大
挨拶
冥福
盂蘭盆
祈り(平成14年7月4日)
仏事歳時記
再び 最後の晩餐
この手のひらにII(平成18年11月18日)
死んで生きる智慧(平成19年3月27日)
五百生(平成19年11月20日)
破地獄偈(平成20年5月24日)
この指止まれ
この指止まれ
家族と家庭(平成11年1月5日)
導師(平成11年2月26日)
家から個人へ、そして家族・友達へI
家から個人へ、そして家族・友達へII
脳死そして臓器移植(平成11年3月2日)
独り決めの生き方
僧堂I
僧堂II
僧堂III
恥じ
僧堂IV
返事
父殺し・母殺し・友だち殺し・子殺し(平成20年1月1日)
その後
その後
ほとけさま(平成17年5月1日)
仏が仏に合掌する
戒名(平成12年3月14日)
無用の用(平成12年2月21日)
世話
大きく育て!(平成11年1月18日)
しもべ(平成10年11月7日)
電話(平成10年8月22日)
意思
寡黙
妄想(平成10年8月2日)
川(平成10年8月22日)
風如(風のように)(平成10年6月18日)
追悼(平成10年5月27日)
受容(平成10年6月18日)
蒸発
臨終(平成10年6月8日)
外道
障子(平成13年3月10日)
日月(にちげつ)
年寄りの出番より
人生とは、闇を照らす一瞬の蛍の光
時の旅人
時計(平成12年1月3日)
星(平成11年10月15日)
溝(平成11年8月2日)
過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)
与える時間(平成11年5月24日)
桜(平成12年3月2日)
無常(平成11年4月16日)
川(平成10年9月17日)
有時(時の構造)(平成12年2月5日)
時の旅人(平成12年2月1日)
揺れる木々の葉
この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)
法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)
寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)
ZENGO
自立
橋は流れて(平成10年9月18日)
無事
過去(平成10年5月23日)
たまごっち(平成10年5月23日)
一衆觸礼(いっしゅうそくれい)
六道を輪廻する
二人三脚
生老病死
筋肉番付
ポケモン
俺は、親馬鹿か!
塵も積もれば山となる
生と死と永遠
最終章
一章
二章
三章
四章~(未完)
時間旅行
時間旅行
命の歌-母の短歌
礎-いしずえ-
離魂(平成19年8月25日)
海辺橋
海辺橋
ふるさと(平成18年3月4日)
千の風(平成18年9月16日)
人の道(平成18年9月18日)
あなたは、いつから、一年が始まりますか?(平成20年8月1日)
前住職 二十三回忌にて(平成20年9月1日)
平成21年お施餓鬼会を振り返って(平成21年6月1日)
奥付
奥付

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時の旅人

時計(平成12年1月3日)

時計(平成12年1月3日) 

 人が誕生したとき、私たちは何者にも染まらない、無垢の精神と肉体で生まれてくると言います。しかしながら、実際は人は決められた時を知って生まれてまいります。空を渡る鳥たちのように、故郷に帰る時を守ると言う時計の番人を、自らの肉体の中に住まわせているのです。

鳥たちも、時間と空間を生まれながらにして、知っています。暗い夜に輝く星たちの乱舞を仰いで、夜間飛行する鳥の群れは、その証拠です。行っては帰る繰り返しの中に、誕生と消滅を織り込みながら、ひたすら夜間飛行する鳥たちの軌跡は、大空を背景に、時間と空間の交差する連続とした情景を、おぎなって果てしない創造の旅に誘います。

鳥たちの視線は、翼を広げれば、時間と空間が動くかのように、遥か下界に極小の望むものの姿も、しりえに遠ざかるのでしょうか。まるでテレビゲームの迷路の中を進むように、壁や風景が動くかのように。空間だけが動く世界は、奇妙な世界であり、やはり時は刻まれてこそ時なのでしょうが、動くということが、時を刻むのではないかと思います。

子どもの頃、あるいは若かりし頃、幾度となく通った駅や商店街、学校に20年ぶり、30年ぶり訪れたときの驚嘆は、空間と時間の変化の途切れた裂け目に溺れるかのような、戸惑いを感じるものです。この場所は紛れもなく、過去に自分がいた場所であり、今いる場所との隔たりは、人の時間旅行がいかに遠いところに来てしまったか、もう戻ることの出来ない時間旅行の位置を計測することから、現在の位置を浮き立たせます。時間と空間の動いた後は、動くものの世界の真っ只中に取り残されたかのようです。
さらに、そこに居たはずの人もいないとすれば、白々とした違和感に包まれて、見てはいけないものを見てしまったかのように、後悔と懐かしさが湧き上がります。それは、動くものと、動かないものの間に起こる、揺らぎのようです。厳密に言うと、動くものは同時に動かないものに支えられ、動かないものも同時に動くものに支えられてこそ、時間も空間も成り立っていると言えるかのようです。時計の針は動きながら、実は一歩も動いていない。

地球が自転し、太陽の周りを回転する事が、鳥達の羽を広げさせるとしたら、繰り返す環境の変化が羽を広げさせることであり、環境の変化という動くものが、動かない鳥達を動かし、同時に鳥達が動くことによって、動かない環境が変化してゆくという図式は、仏教の因果律として、最も具体的に世界の成り立ちをよく表現している。

今から20年30年後には、心や意識の一般的な性質やあり方は、ほぼ解明できると言う。自我についても、解明できることになるという。日本文化の精神性を支えてきた禅も、一つの時代を終わることになるとおもう。
しかしながら、人が生きつづける限り、禅は、足元にあるといえるだろう。

時間と空間の交差したところ、それは現在です。今・こことは、真に具体的ということであり、抽象的なものを一切排除した禅の境涯であり、絶対の現在です。私達各々の時計が刻む文字盤は、絶対現在を指すといえるのでしょう。何ものも入る余地のない”今・ここ”が世界であり、総てが内包されている世界を、誰もが認識する世界は、禅が世界に行き渡ったことであると思うのです。


星(平成11年10月15日)

星(平成11年10月15日)

仏教の縁起を注意深く、考えてまいりますと、実に奥が深く、仏陀の手のひらの上を、這いまわる赤ちゃんという思いです。私が、ここにいることを、説明するためには、どうしても避けて通れな問題があり、それは、私と時間と場所との関係です。縁起は関係でもあるのです。

私が幼かった頃、時はゆっくり流れていた。早く大きくなって、お兄ちゃんのように、お姉ちゃんのようになりたいと、両親に束縛されずに、自分で判断し、物事を決断することが羨ましく思ったものです。 には、時の経過が待ちきれない、幼い心があったように思うのです。
そして、知らず、年を重ねて気がつくのは、時の早さです。時計の時間の速度は、変わらぬものの、受け取る時間のスピードは違う。
年を重ねての懐かしい記憶は、本来、今に直近の記憶こそ、まぎれもなく忘れようもない記憶のはずが、子どもの頃の思い出がより鮮明に思い出すのは、私達に問題があるのだろうか。
遠く暮らす年寄りの便りを、私に告げた娘さんは、「故郷の深川が懐かしくて」と言う言葉でした。仏陀も自分の死期が迫った時、目指したのは故郷でした。たどり着くことが出来ずに、北方を目指して亡くなったことに気がつけば、何千年前から自然な感情なのでしょう。
そして、それが記憶のメカニズムですと言われれば、そんなものかと思うのです。

年を経て、鮮明に蘇る過去の記憶は、より近い記憶を退けての記憶であることは確かだと思うのですが。
そして、その退けられた記憶は、消去せられた記憶か、または意識を何かに集中した時に、同時にその周りで起こっているだろう、事象の変化を集中しているからこそ、記憶に留めることが出来ない記憶ではないかと、思ったりします。私達が何かに没頭している時、それが地下鉄で家に帰るとき、案外、景色を知らずに家にたどり着いているものです。また、ボーッとしている時にも、同様なことがおこることに似て。

年老いて、他人を認識できなくなってしまった年寄りに、「私は息子です。わかりますか?」と問い掛けて、解らなければ私の母ではないかといえば、私にとっては、正真正銘の母に違いない。でも母にとっては、もはや私は息子でもなく、自分以外の人なのであろうと考えてみると、人間とはいかに自己中心的なメカニズムの中に生きていることがわかる。しかしながら、すべての人が、そのメカニズムの世界で生きていて、互いに交信しなければ、自己の存在を意義あるものに出来ないとすれば、真実なものとは、このメカニズムそのもの、ということになるのではないか思う。
無二の親友と思っていた友人が、その友人から私を見ると、人生のとある通過点に出会った人物であり、通りがかりの人と変わらぬと思っていたということも、よくある話かもしれない。

人に裏切られ、騙されて知る悔しさ、自分のふがいなさは、そのことを知ったがゆえの思いであり、知らなければ、自分は騙されていなかったということになるのだろうか。騙されていたのは、ずっと過去の時間なのに、それを知った時点で、時間差分こそ、ふがいなさや悔しさの中身ともいえます。人は騙されまいと強く思うのですが、騙されているかどうかは、知らなければわからないのです。もしその時間差が、その人にとって、決定的に人生の大半を占めてでもいたら、その反動も大きなものに違いない。
今宵見る、星の輝きは、何億光年の過去の瞬間だ。その何億光年の時間に思いを馳せると、未だ降りそそがない、その後の星の輝きは、私達の未来にかかわるでしょう。

時間を距離に置き換えると、今も輝いているかもしれないし、もはや生滅してないかも知れないのです。何億光年も過去のものだからです。今見ているものと考えると、見られているものとは、常に時間差がつきまといます。厳密には同時間の瞬間に見えているものは、じつは総て過去の時間のものです。光が物質なら、いくら瞬時に空間を走るといっても、時間はかかります。では私達は、過去の星の輝きを見ているのでしょうか。

その意味で、確かなことは、今見ている星の輝きは、何億光年前にさかのぼって、見る星の輝きでもあり、さらに確かなことは、今の私は、星と時間を共有して、今現在の星の輝きでもあるという気がするのです。何億光年かかって、星の輝きが、私達を照らしているとしたら、見つめられているとしたら、照らされている私は、今、照らされているという、不思議な感慨があります。

私達が、現実に見たものすべてが真実であるかは、確かなことではありません。そして比較する物差しは、逆に私達を規定しようとするかのように煩わせます。 何か現状を、我々は錯覚していないか?と考えた時、そもそも時の速さの、規則性はそれぞれの人にとっては、あまり意味のないことのような気がするのです。 現に輝いている星を見て、我々は何億光年前の、「これは過去の星の輝きだ」とは、いいません。それは 輝いている星の輝きが、美しく神秘的であるからです。『星に願いを』という曲がありましたが、何億光年前の星に、祈りはしませんでしょう。今輝いている星に、祈るのです。

そして、その星は、現実を飛躍して、未だ来たらぬ想像の時間を含んだ、今の星の輝きなのです 。


溝(平成11年8月2日)

溝(平成11年8月2日)

 人は本当のもの、真実のもの、正しいものを見極めようと、あらゆる手段を模索する。未来や将来が現実の問題として拘わってくる場合は、何が正当なことことであり、何が間違っていることは、重要なことであり、判断如何によってはそのことにかかわる人間の実人生を大きく変えてしまうことになるからです。

仏教では「今を生きる」と言い、「今日ただ今の命」と言う。過去や未来を差別する、今って何だろう。今ってどうしたら捕まえることが出来るのだろうか。「永遠の今」と言う言葉の美しさに惹かれるが、永遠の今には、過去や未来はないのだろうか。

時間や距離の数字の1と2の間には、いったいどんな数字が隠されているのか、考えてみると途方もなく限りがない数字になってしまう。そして1から2に渡ることができないことを知りつつも、何の疑問もなく1,2,3、……と数えることが私達はできるのです。コンピューターのクロック数の増加は、スピードという限りなく1秒間の振幅を追いかけての結果です。行き着く先は見えないわけだし、円周率も限りなく数字を追い行き着く先は見えないが、別に追わなくても円は書けるし、時間はおかまいなくに、過ぎてゆきます。

距離や時間の1と2の間には、途方に暮れる玉ねぎがひそんでいるように思える。測ることのできる数字には、測ることのできない数字を含んで成り立っているように見えるが、私たちの普段の生活では、何ら問題にならないことなのです。渡ることのできない出来ない溝を、実生活では簡単に渡ってしまうのです。

1と2の間には、”と”があることが問題で、1、2、3、……と言えば問題はないなどと言ったら笑い話ですが、案外こんな所に実生活の知恵があるように思えます。もっとも気がついてうえの知恵ですが。
つまりは、1と2の間の溝を、考え創造するとしたら、10進法で10を作り出し、その1を更に10創って、これを繰り返す。繰り返すことは、飽きるまで続けられるということになるのではないかと、思ってしまう。
ここで今度は、私の家と、隣の家の地境はと考えてみると、境界線は切断面になり、ここには距離も無く、もはや10進法も存在しなくなることが考えられる。私の家を1、隣の家を2と数えたら、1と2の間には、隙間はないのだ。
私は小さな禅寺の和尚にすぎませんし、哲学や数学は何のことかさっぱり解らない者ですが、解らないなりに疑問を持ちながら、岩波の哲学思想辞典を探したら、ゼノンのパラドクスがある。

「アキレスと亀:足の速いアキレスが後方から出発して、亀と競争すると、亀に追いつけない。アキレスが亀の出発点に到達したとき、亀はその間に多少は前進している」

「2分割:ある場所に到達するためには、その半分の地点に到達しなければならない。そこに到達しても無限の点を通過しなくてはならないため、有限の時間で到達することは不可能」

「飛ぶ矢:あるものが自分の大きさと同じ空間を占めているとき、そのものは静止している。飛んでいる矢は、この今においてはそれ自身と同じ空間を占めているから、静止している。どの今についても同じことが言えるから、静止している」

ゼノンがかく人を惑わそうが、実生活の上では何の障害もなく遂行できる。このゼノンのパラドクスの共通するものは、すべて点に有るように思えます。飛ぶ矢の今も点として捉える限り、存在として有ると言う錯覚が無限の迷宮に足を踏み入れさせるように思えるのです。

ロシアでは宇宙にロケットが発射された場合、常にグリニッジ天文台の時間を使用すると言う。アメリカでは、スペースシャトルが地上を飛び立ったその時を起点に時が新たに始まるという。仏紀、皇紀、西暦、イスラム紀と時を刻む始まりは沢山ある、この意味では世紀末は何の意味もないが、起源(起点)から数え始めれば節目の意味を持つことになり、独立、創立、樹立、建立と独立して歩き始めることもあります。そしてこの独立して歩き始めることが、更なる迷宮を生むことになると思うのです。ここでも点が絡むことを考えれば、いっそ点は無いほうが良い。

地境の線はあくまで切断面であり、線が存在すれば、線自体は誰の所有物かになり、その線を更に半分に切らなければならことを思えば、無限の迷宮に陥ってしまうからです。
人が生きて与えられている時間は瞬間と言い、今と言う。「今日ただ今の命」と言う時、時間の帯の上にどうしても、今を点としてとらえます。そして点として捉えることは、そこに自分が存在すると言う証が必要であるからです。私達が考える現実あるいは、事実ということとそぐわないからです。更には、その前後の過去と未来を考えると、どうしても3点セットの時間は実生活の上に必要な時間だからです。切断面では切断した切り口を数えること、存在として確認することが出来ないからです。
今が消滅することにもなりかねませんからです。今日ただ今に徹することとは、その切断面という存在しない今に、自己の存在を捨てると言ったら良いのでしょうか。
禅で言う『無』とは、こう解釈できるような気がいたします。


過去心…念の起こる処(平成11年6月19日)

過去心…念の起こる処(平成11年6月19日) 

母とは、その子供から見れば、厳しく優しく、いつまでもその姿を脳裏に止めていたいと思うものです。また、父とは、その子供から見れば、威厳があり、超えることのできない存在でありえたらと思うのです。かく言う私の父はもういなく、母は病に入院する立場にして、言うこの言葉なのです。

幾度となく人の死に接して、多くのお年寄りが病院のベッドで死を迎える様を見て、残された家族の姿を見て思うことは、病人の過去の颯爽と生きて生活する姿と、ベッドに横たわる姿の落差です。同じ人間の時を違えた姿の不思議は、端にいる人も同じ姿を見ているのですが、それぞれにその姿より、何を今見ているのだろうかと思うことが数多くあります。「あの姿を見るのが辛い」と言った知人がいたが、彼もベッドで横たわる母を3年半以上持つ身の立場で、母の何を見て、自分の何を大事にしようとしているのか、人はさまざまです。

人の父や母への記憶とはいつもそう言うものだと思うことに、今、こう言える私は幸せに、父や母の目に見えぬ影響を素直に受け取り考えることができることに感謝している今の私でもあります。

しかしながら、子供にとって、病院のベッドの上にいる現実の母を受け入れることのできない自己が存在するのも事実です。過去のさまざまな母と現実のさまざまな母の織り成す綾の葛藤は、どちらも真実な姿だったが故に、受け入れなければならない私という自己の変化を待たなければ、今の在るがままの母を直視することはできないのも事実です。

そんな母の姿は、より強く、元気に生きろの、強烈なメッセージであり、現実の姿を厳しく受け止めることこそ大切にして必要なことであることを知らせる悲しい知らせでもあるのです。厳しく受け止めることによって、新たな変化が始まります。その変化こそ母への子供からのメッセージになるからです。しかしながらこの受け止めるべき、疑いようのない自己が、過去を創造し作り上げてきた虚飾の自己であった場合もあるのです。

過去とは過去物語であり、私たちの記憶の想起によって、今あり得るものとするなら、過去の実在性はたった一つの過去ではなく、その時その場所で私が選択した一つの過去の実在ということになるのではないかと思うです。そのたった一つの過去の実在も、その時の私の心の変化で見たものにすぎなく、何が真実であり、一貫として過去から現在を貫く私達の実在は揺れます。やがて時がすぎ、他人に指摘されて、初めて別の父や母そして友人の姿を知ると言うことはよくあることなのです。

私の知り合いの男性で、交通事故で奥さんを亡くした方は、法事のたびに、参列者一人一人に亡き妻の思い出を指名して語ってもらう人がいますが、亡くした妻の知らなかった過去を、自分の過去に加え偲ぶことが法事の目的でもあるようでした。過去は人に不思議に語り掛け、今の私達を猛火焔裡に投げ込み、あるいは潤いのある私にしたりと翻弄するのです。
過去の思いに、記録された子供の成長の一つ一つのシーンは、実は親の都合で作り上げた過去であり、それが過去の実在する真実と思いこんだ親は、そこから悲劇が始まることもあります。何もなければ幸せなことであるのですが。

汝が一念の疑い、大地の如くに、汝が心を閉じ込める。
汝が一念の愛、荒れ狂う流れとなって、汝が心を溺れさせる。
汝が一念の瞋り(いかり)、炎の如く、汝が心を焼き尽くす。
汝が一念の喜び、吹き荒れる風の如く、汝が心を翻弄す。

正確に物事を見とおす目は、疑いといい、愛といい、瞋り(いかり)といい、喜びといい、不確かな自己の精神の有り様で、正確さそのものさえ、曖昧なものに変化してしまうことになります。まして過去の実在そのものが、歪んだものだったら、現在に無意識に引きずる過去の出来事は、更に身を焦がすことにもなるのでしょう。

そう、私達の過去は、現実に何か事件が起きたとき、過去を想起し、検証し、正しかったのか、違った見方があったのではないかと変化いたします。変化する過去の真実や実在は、絶対たり得るものなのか。裁判は何十年費やして真実を追究することがあるのですが、無罪を獲得した時の加害者側の苦渋と被害者側の過ぎ去った時間への悔恨は、はかることができないに違いありません。

待ち合わせのすれ違った時間、予定時間への遅刻、時間オーバー、思い違いの時間は確実に今を変化させています。その原因には時がからみます。過去のさまざまな出来事であり蓄積が、揺れる今を演出し、混迷の彼方に私たちを運ぶことは確かなことでもあります。
在るがままとは、至難なことであり、またそのことがあるゆえ、ゆれる心の遍歴も限りなく尊く美しいものです。その揺れる心にはいつも過ぎ去り、そして未だ来ない時間が作用します。

揺れる過去心こそ、現在において実在する過去に違いがないのですが、絶対であり得ない過去に構築した自己を、取り繕うとする自己は、更に靄の中に自己を運ぶとするなら、錯綜としたその自己を認めて、神仏に今を懺悔することは必要なことです。
懺悔とは、
『過去の心、未来の心、現在の心が自己が,本来の自己で有り続けることを知ることが真の告白であり、懺とは死ぬまでそのことを守りぬくこと。悔とはこれまでの過ちを知ることである』


与える時間(平成11年5月24日)

与える時間(平成11年5月24日)

 日ごろ法事や葬儀のお経をよんでいてつくづく思うことは、船頭の役と同じだ思うことなのです。昔、大きな川の渡し守は、毎日毎日こちらの岸からあちらの岸へ、あちらの岸からこちらの岸へ季節や天候の具合や乗る人の場合によって、ゆっくりと、そして急いで船を漕ぐからです。現代で言うなら、ジャンボジェットや新幹線、バスや電車の運転士だが、乗る客と面識を持たぬので、渡し守とは言わぬかもしれない。

唐の時代有名な巖頭和尚・投子和尚や夾山善会の師匠・船子和尚も渡し守をしていたという。そう言えば、ヘルマンヘッセのシッダルタも船頭をしていた。とかく私達は、岸ばかり見ているが、川を問題にしたのは、シッダルタだった。川幅を計ることによって、時間がみえてくるのだが、私達は、三途の川も川幅がどれくらいだったかのか知らない。
川に渡し舟があるとするなら、船の軌跡は道になるはずであり、一人では渡って通れぬ道が川にはあることになる。そういえば、日本の幽霊には足がないので歩けないから、そこらに漂うことになるのではないかと思う。とり付くことをしなければ、自ら歩くことができないとすれば、これにも渡し守が必要となるのだろう。しかし一般人の背中に背負うとなると、厄介なことに違いない。よくお寺に古い位牌や人形、お札を、『お炊きあげ』と称して持って来るが、すべて寺の和尚が背負うことになる。そのことを持参した人々は自覚しているのだろうか。しかしながら、目に見えないものは、心の意識で対処することが出来るが、目に見えるものは、なかなかそうはいかないのが現実であり、だから面白い。

亡くなった人を偲んで、多くの時間をかけ、式に参列して食事をして、また来た時間をかけて帰る行為を考えると、かけがえのない貴重な時間を、偲ばれる人に捧げていると言うことだ。人間の行為を時間で測った場合、多くが時間に換算できる。友人を病院に見舞いに行く場合、見舞う人間の貴重な時間を、病人に捧げることになる。商売も、文筆業も、人の行為にかかわるものは、すべて時間に換算することができる。もちろん人によって時間の中身は違う。船頭はこちら岸からあちら岸までの時間を船上人に捧げる。

先日、三遊亭圓橘の奥さんと話をしていて、こんな話を聞いた。結婚した当時、落語家の芸の話で、『間(マ)』に悩んで、ビルの窓から飛び降り自殺をしたという落語家がいたという。芸とは生き死に狭間で、あっちへ揺れこっちへ揺れることでもある。船頭がいる場合もあり、船頭なしで一人で渡らなければならないこともあるだろう。一流になれば、やはり一人で渡らなければならない、なぜならば、一流とは自らがその道の船頭に違いないからだ。最近、上方落語の桂子雀の自殺が報道されたが、芸の厳しさを追及しなければおさまらない、芸人の凄みを感じた。芸を見るお客は、そこまで自らを高めるだろうか、真剣勝負をうかがうことが出来るお客はいるのだろうか。文化の担い手を考えた場合、ぞっとするものがある。高座の子雀を思い出して、悼む。

人は産まれてすぐに、お腹が減ったミルクを飲みたい。おしっこをした、この不快な気持ちをすっきりさせろ。つまらないから、遊んでくれと、私に貴方の時間をくれと要求する。満足したいと自己主張をすることになる。数年から青年期までこの事は、繰り返し要求される。つまらなく耐えられない時間を、楽しい時間に変換する為ゲームや賭け事に明け暮れることもある。
やがて人は成長し、自分の時間を他人に捧げることを覚える。

江東橋のMさんのお宅の前の家で、不幸があった時の話である。日ごろ親しく接していて、「お線香をあげたいから」と、尋ねたが母娘が「有難うございます」と、自宅の玄関のドアー前に頑張り、どうしても家に上げさせない。Mさんの家には、しょっちゅう上がりこんでお茶を飲んで世間話をしているのに、どうしても入らせてくれない。「不思議な婆さんと奥さんだ!そのくせ内に不幸が合ったときは、死んだ婆さんが好きだったからと、椿の花をわざわざ持ってきてくれたが、枕もとの仏さんに椿の花はなんだか縁起が悪くてしょうがない。火葬場では、遺族がビールや酒の接待をするもんだとか、やかましくて、変な婆さんと奥さんだよ!」と話していた。他人には与えるが、自分達は受け取れないという事情がある場合もあるのかなと、ひょっとして良くある話かもしれない。家に上げると言う行為は、複雑なものがある。
Kさんの話だ。

「アメリカのシアトルに留学をしていた時のことです。四十年ぐらい前のことだが、お金がなくて、毎日安いからとりんごばかり食べていたら、勉強しても頭がボーっとしてしまって、フラフラで街を歩いていたことがあった。郊外の一軒家で白人の婆さんが窓をふいていたんです。私はボーっとしていたのですが、婆さんに声を掛け、私は窓拭きが得意ですから、窓をふかせてくださいと、婆さんからタオルを借りて窓を拭かせてもらったのです。たくさん窓がありましたが、丁寧に拭いたんです。
しばらくすると、婆さんが家の中に入ってしまいました。私はそれでも窓ガラスを拭いていました。ようやく終わろうとした時、婆さんが家の中に入れという。タオルとバケツを片付けると、家の中の台所に案内されました。私はそこで、ご馳走を食べさせていただいたのですが、嬉しかったです。今でも忘れられなく、懐かしく思い出します。婆さんは、お前は丁寧に何時間も掃除を手伝ってくれた、1時間幾らのアルバイト代を上げようと言って、お金までくれ、帰るときには、苦労しているみたいだからと、食べ物まで頂いたのです。知らない土地に一人で、この親切は本当に有難かった。今思い出してみると、この土壌は何処から来るものだろうか」
奉仕・ボランティアは、その典型であると共に、大掛かりなボランティアも大切だが、街中に転がっているふとしたことに捧げる時間は、世の中に潤いを与える。私達の日常の時間を考えた時、私達はどのくらい他人に時間を捧げているのだろうか。このことは、自分の一つ一つの行為を点検し、チェックすることでもあるのだろう。

船頭も働くという行為は、人に自分の時間を捧げるということに気付く。あちらの岸からの帰りは、船上人がいないが、空ではない。何故なら、与えた時間は、与えられた時間だからです。
赤ちゃんにミルクを与え、満足して眠る姿は、私達に与えられた時間ととるか、与えた時間ととるかでは意味が違うことになってくるから不思議です。

与えられる時間は、やがて与える時間に、与えた時間は、そのまま与えられた時間だからです。


桜(平成12年3月2日)

桜(平成12年3月2日)

 やっと、なつかしく過去を振り返って見ることができる年齢に達してみて思うことは、自分にとっての過去って、いったい何処にあり、何の意味があり、今の私をどう支えてくれているのだろうかということです。何十年という時間の蓄積を持つことは、生きてきた証であるはずなのに、その価値観がなおざりにされる時代を、満開の桜の下で少し考えてみる。

また思い出そうとする作業で、思い出される記憶は、何処から紡いでくるのだろうか、忘れかけていた古い写真を手にしたとき、懐かしい感慨と共に、自分の姿形がいかに変わってしまったものかを思うことがある。記憶は自分の内部に在るはずなのに、自分の外部と接触したとき、鮮明な容姿が湧き上がることに、新鮮な驚きを思う。そして、その記憶から、姿形だけではなく、感動の仕方、表現の方法、対処の仕方までもがおおきく違っていることに気づく。そして、再び廻り来ることのない過去から述懐が芽生える。今の自分と相違して、嘆くこともあるでしょう。多分、大方の人は懐かしさが身にしみることでしょう。自分にとって何十年という年輪の風格は、目に見えず、過去を秘めてのたたずまいこそ、桜の下を歩く自己の、年輪を窺わせるものなのです。そして、今生きていることの裏付けなのでしょう。

 私はそう思いながらも、頭の中の無数の神経細胞の結合姿を描きながら、その中を走る電気信号を想像してしまうことがあります。確かに、私にとっての過去って、スイッチを押せば、頭の中でたちどころに走り回る神経伝達物質の動作であるようだ。走り回る物質は、いつも誕生と消滅を繰り返して、どこかに蓄積されるという物ではないらしく、どちらかというと消費されることに似る。新しく生成される神経回路が、記憶の扉とすれば、その道順を記憶する扉もあるのだろう。すると、私の心とは、迷路の中を猛烈なスピードで走り回ることに近いものなのだろうか。スイッチを入れなければ、過去も心も、存在しないことになるのか。

 誰も鏡の中の自分に向って、答えてくれるだろうと、『私は、だれ?』と問いかける人はいないだろうし、もし問いかける人がいたとしたら、『おい、主人公!』と、自己を洞察した人の、確認の意味を持つ言葉としてです。  誰でも、自分の人生を振り返ってみる時、どんなに波乱万丈に長く生涯を送って来たとしても、短く惜しまれて去ろうとする時も、実人生を振り返ってみる時、自分の歩いてきた人生の客観的な長さは、実感にそぐわないものがあります。それは過ぎ去った時間の、アッ!と言うまの過去の長さからです。いくら思い出して豊かな時間が続こうが、なつかしい経験を思い出しても、苦しく辛かった人格を形成する時も、愉快で楽しかった若い頃も、過去は夢のまた夢であり、もはや手にすることのできない時間だからです。
 人が生きれば生きるほど、過去には二度と手に入らない時間が増えることになります。たとえ人が百年、二百年生きようと、一炊の夢の若者のように、揺り動かされて覚めた時の実感は、生き様が激しければ激しすぎるほど、人生の糧が大きいほど、現在において、アッという間の過去の時間に思えてしまうのです。

春、桜の花は満開の小さな花を一斉に競って、咲き乱れます。新緑に先がけて一斉に咲くという行為に、人が意味を投影することができるなら、わずかの間に一斉に散って行く姿から、人は感慨を彷彿させられるでしょう。桜の根の旺盛な生命力ゆえに、枝葉は荒荒しく、幹の肌の気品は気高さを織り交ぜて、人の人生に儚くも悲しい影を投げかけもします。 人と違うところは老齢を重ねた桜ほど、目に過去の経過の結晶をさらして、それが人の感覚や思いを研ぎ澄まさせることです。老いさらばえて咲く一斉の開花の情景は今年限りの姿であり、ただ咲くばかりの狂おしさを思います。咲く行為に老いも若さもない筈なのに、若木に比して人を圧倒する姿は、本来、人も年をとればとるほど老齢の桜に似て、見事な姿なのですが、異なって見えるのは、人の思いや価値観、二度と帰ってこない時間の、取り戻せない過去を振り返る心のなせることなのでしょうか。

 人が年を重ねた末の、悲哀や年輪を偲ばせた変形した姿・形のたくましさを、もっと見つめてもらいたい。『人は年を重ねるほど、若くなる』と言う言葉の意味を、人はもっと深く考えなければいけないと思うのです。アッという間の過去は目に見えず、若い人と年を重ねた人も、同じなのですが、十年二十年と較べて四十年あるいは五十年は確実に違う重みを、老齢の桜のくるおしい姿を見て、なおさらに持ちます。 

 思い起こせば、後を振り返ることもせず闇雲に、意気揚揚と突っ走っていた過去の時間は、春には一斉に咲き誇る姿であり、幼子の無邪気さは、花の散ったあとの一斉若葉の繁るさまでもあり、ふり返る行為は、雨に打たれて生き生きとする姿に似て、若者の溌剌とした姿は、陽光に踊り輝き、その若者もいつしか年を重ねた時間は、秋には葉の色を変えて散る姿であり、年老いた時間は、冬の寒さの中に枯木として耐える姿の記憶でもあるのです。

 人が許容や受容と言う意味を解りかけて来たとき、桜の四季それぞれの姿は、同時に次の季節の予感を到来する姿でもあり、誰も止められぬ勢いは、やがては終わって、桜の花びらの散る風景に、緑葉の色づく風景に、枯葉の舞う景色から、冬の枯木の生命力をみなぎらせた姿になります。どれもが真実な姿でありながら、立つ位置、立場によって、まったく変化してしまいます。
 その老齢な桜の満開の花を見て、冬の落葉のその桜樹を思うことは、満開の桜の花ゆえに、冬の裸木の過去の姿が、物悲しく映ります。そしてそれは次の季節に、今だ来ない季節の確実に移ることの予感であり、そのことを私達は『春うらら』と、陽気に重ね合わせるのでしょう。
 また、冬の桜の裸木を思う時、去年の桜の姿を思う時、いくつかの若かった頃の自分の切り絵を思い描く時、故郷の友人を、両親を思う時、幼い頃の教室の机や壁を思い描く時、私達は知らずに満開の桜並木の下を歩きながら、着実な今を、去っていった過去によって表わします。

 春うららの陽気は、人の過去の積み重ねた経験や知識によって、人のそれぞれな複雑の気持ちを包んで、春うららです。  去っていった時間は、桜の散る花びらに似て、老齢な桜ほどに枝を広げての花吹雪に似て、あっというまの過去の時間です。


無常(平成11年4月16日)

無常(平成11年4月16日)

 通常、無常というと、絶え間なく変化する世の移ろいの儚さ、悲しさ、寂しさを言うことが多い。おそらく日本人のもつ無常感は、美しく変化する季節の移ろいと、人の命の移ろいを重ね合わせて、しみじみとシットリとした情感を持つことになったのだろう。

友人が言っていたことだが、この無常感を歌う演歌のマイナー響きは、大東亜戦争をはさんでからのことで、下町に伝わる「さのさ」「深川」「木遣り」の江戸伝来の歌舞音曲は、もっとからっとしている。
これらの歌は、下町の人々の陽気で、しかも活気あふれる姿を表わしていた。この時代は現在のような演歌はなかったのではないだろうか。そして、その歌がごく一部の人達に残って、庶民である我々の中で、すたれていくということは、江戸の文化のたくましく雑多な意気軒昂な情感がなくなってしまうということで、残念なことであると、歎いていたことを思い出す。
今、この無常感の原点である中国の古い話を、下記に引用してみた。
 
『中国の寓話』
チュンラン、つまり「岩山の親分」という名のひとりの老人が、山の中にひとつの小さな農場をもっていた。ある日のこと、彼の飼っている馬が一頭いなくなってしまった。そこで隣人たちがこの不運に対して老人に慰めの言葉を言うためにやって来た。
老人はしかし質問した。「お前たちはこれが不運なことだとわかるのか?」と。すると見よ、その数日のちに、その馬が戻って来た。しかも一群の野生の馬をそっくり連れて来たのである。またもや隣人たちがやって来て、この幸運な出来事にお祝を言おうとした。
山の老人はしかしこう言った。「これが幸運な出来事だと、どうしてわかるのか?」

さて、こんなにたくさんの馬が自由に使えるようになって以来、老人の息子は乗馬が好きになりはじめた。そしてある日のこと、息子は脚を折ってしまった。するとまた隣人たちがやって来て、慰めの意を表した。するとまた老人は彼らに言った。「これが不幸な出来事であるとどうしてわかるのか?」
それから1年経って、「背高ノッポ」の代表団が、皇帝の軍隊のための強壮な男子と駕籠かきを招集するためにこの山岳地帯にやって来た。今なお脚に損傷をもつ老人の息子を、彼らは選ばなかった。
チュンランは、にっこり微笑まずにはいられなかった。
<人は成熟するにつれて若くなる(塞翁が馬)>草思社刊
 この「岩山の親分」という一人の老人を、今の世に放てば、とてもいやな素直でない老人になってしまうこと、間違いない。隣人の祝の言葉や同情の言葉を、つねにひっくり返して、悪く言えば「人の言葉を素直に受けられない、嫌味なことを言う孤独な年寄り」と言えるだろう。そうは言っても我々一人一人の生涯は、実にこの言葉のとおりだし、一人一人どころではなく我々の次の世代にも引き継がれることでもあるとおもうのです。チュンランが、最後ににっこり微笑んだことは、この作者の勇み足であると同時に、私達への問題の投げかけでもあると受け取りたい。

さて、先日、寺に子供達がたくさん来た時、私はこの話をした。常時このような現実の中で、「あなた達はどう対処したら良いでしょうか?どうあなたは心がけたら良いでしょうか?」と、問い掛けたことがありました。
「答えは、あなた達一人一人の問題ですから、現実のあなた方の行為や出会いには、つねにこの問題が隠されていることになります……あなた方一人一人の行為や出会いは、つねにその後が結果として現れ、その結果は次の行為や出会いの問題を引き起こし、果てしなく続いています」と。
「私達は、過去から未来へと続く時間の連鎖の中を、常に結果を問題とされながら、時の流れにただよっているともいえるわです」と。
子供たちは不思議な顔をしていた。
このような状況の中で、わたし達の生きる決断はただ一つです。時間の連鎖の中で、一つ一つ断って、結果に左右されずに生きること、そのことに心がけて、対処できたらどんなに、結果に左右されずのわずらわしさから開放されることでしょう。

幼くして日本脳炎を患い、知恵遅れと言われ逆境を生きてきた女性がいました。その後、彼女は右半身麻痺となり、杖を片手に歩こうとするのですが、長い時間立っていることも事もできず、言葉も不自由に、考えもうまく言えずに、悲惨な状況にいることは確かなのですが、幸い妹が、息子達が、息子の嫁達が懸命に彼女を支えていました。

明るく子供以上の童心は、見る者を微笑まします。残念なことですが、今年、彼女の老母が亡くなってしまいました。母親にとってその子の不憫なことは言うまでもありません。彼女も子供のように、母親は恐い存在で、母親の知らぬところで転んでも、母に心配かけたくないためか、怒られるのが嫌なのか、話すことができないのです。2、3日たって痛んで腫れてきて、「痛い!痛い!」と、言う彼女に「どうしたの?」と、問いかけてはじめて、彼女は転んだことを話すのです。転ぶだけならまだしも、車にぶつけられた、自転車に接触区された、道がわからなかったと、数限りなくありました。そんな彼女も、今、58歳です。

彼女は、何事にも一途しか生きられず、純粋に物事を見つめ、考えます。その彼女の母の死に、彼女は見事に悲しく涙を見せてくれました。彼女の母に対する気持ちは、58歳になっても、老いた母ではなく、子供の頃の母そのもののような気がしてなりません。普段の彼女は、今日のことを、悩みや楽しみを明日に残すことはしませんでした。葬儀が終わって、翌日から、彼女は母の遺品の整理に没頭しています。片付けるという行為をひたすら遂行する彼女のひたむきさに、まわりの家族はほっとします。彼女を心配していた私は、彼女に、本当の禅を見る重いです。目前のことを、ひたすら行ずる姿は晴れやかに、後を残さない。

凡人の我々は、現実の在りようを、厳しく見つめ、結果を結果として受け入れて行く。今を生きると言うことは、時に辛く苦しく、悲しく寂しく、不安や恐怖にいらいらすることも、今の私なのだと思うことが、今を生きている姿なのです。


川(平成10年9月17日)

川(平成10年9月17日)

 深川はかって無数の運河が交差し、地方の都市と結ばれていた。神戸や横浜は外に海をもち開け、内に山を持つことにより都市の景観が落ち着く。深川は海の中に都市を作ったように、運河が街の景観を青く際立たせていた。その運河も道路のために埋め立てられ、海が沖へと遠ざかってしまった。もちろん運河はいまだ数多く顕在であるが、市民生活でかって頻繁に足代わりに利用されていた時とは様変わりで、護岸を高くあるいわ防護ネットを張り巡らされては、再利用して良いのかわからずに、取りあえず散策道路を作って水と親しむ運河をアピールしているかのように思えてしょうがない。
『隅田川は、源流を埼玉県の奥秩父・大滝村にある甲武信岳の真ノ沢に発し、秩父市・熊谷市・浦和市などを経て、東京の北部から東部の下町一帯の沖積平野を流れている。都市の中の代表的な川で、長さ23.5km、流域面積673.4k㎡の一級河川で、新河川法によって荒川放水路の派川となった。東京都北区と埼玉県川口市を結ぶ新荒川大橋の下流に岩淵水門がある。この地点で荒川は隅田川を分流し東京湾に注ぐ。上流より、北区・足立区・荒川区・墨田区・台東区・江東区・中央区の川の手を流れる感湖河川である』(すみだ川№3島正之氏著《新しい隅田川の創造に向けて》より)
川と言えば水源地があって、上流、中流、下流、海へと流れているはずである。永代橋の上に立っていつも思うのだが、この川は水が流れているのだろうかと不思議に思う。もちろん波頭のようなものが立っているかのようだが、これが流れなのか、航行する舟の波なのか、海の波によるものなのかしらない。川辺に降りられず、水を触れられない川は人が拒否されているようで、可哀想だ。上流を感じられない川は寂しい。川の声を聞きたいが、それは無数の騒音にかき消されてしまって紺碧の水面を光らせているだけだ。だいたい舟の行き交いが少ない。夜、色々な色の提灯をつけた屋形船が行き交うさまは、川がゆったりと舟を浮かべて遊んでいるようだ。たまに艀や遊覧船が通るがその数は少ない。だいたい舟の止まる場所が無い。人に聞くと川の流れはけっこう速いそうで、水質もだいぶ良くなったと言う。 
『亀久橋の南詰から、わざと遠まわりに、先日の滝久蔵が通ったとおもわれる道すじをたどり、秋山小兵衛は、佐賀町代地の掘割沿いの道へでた。
細い運河に架けられた小さな橋の向うに、陽岳寺の土塀が見える。左へ視線を転ずると、黒江橋の南詰に、又六から聞いていた三好屋という居酒屋がある。
陽岳寺の門前には橋が三つ。掘割には、ぎっしりと舟がもやってあった。その中の一つから顔をのぞかせ、陽岳寺のほうをながめていた男が、小兵衛の姿を見るや、立ちあがって陸へあがり、二つの橋をわたって声をかけてきた。……』
池波正太郎氏著《剣客商売・浮沈》の陽岳寺界隈の文章であるが、人の気配が川そのものと密接にかかわっていて、風情と活気がある。
深川の隅田川を、永代橋や墨田大橋の上からながめて思うことは、ゆったりとしていて、時間が止まって見えることだ。まして夜の青い永代橋の眺めは絶品である。橋の青さに映る川の波のゆらめきは、いつ眺めてもあきない。
私達現代人の日常は、常にこの時間と言うものに追われて、追い詰められ、正確に時をどう克服していくかが、いつでも非常に大きなテーマを持つ。赤ちゃんが何時にミルクを飲むのか、幼稚園の登園時間、降園時間、塾や習い事の時間、現代人は生まれるや、すぐに時間と格闘し始め、それは死ぬまで続く。時のスピードは時にゆっくりと、速くを繰り返しながら、私達の体内に時間が巣くってしまう。人が誕生し,成長し,老いる、そして病気、これら総てにいつも時間がかかわっているように思える。願いや希望、祈りの中にも時間はかかわっている。考えてみると、私達が充実している時を過ごすとき、つかの間の安らぎを得るとき、幸福なとき、ほっとするとき、時間は影のように表を見せない。もし時間という概念が無かったら、私達は私達そのものをより実感できるのかもしれない。時間が私達を束縛し、苦しめ、悩ますといってもいいだろう。
我々臨済宗の修行道場では、総ての時を鳴り物によって知らせる。修行僧は基本的に時計を持たない。雲板が鳴れば食事の用意が出来た。そして鳴り方によって食事に来い。時を知らせる音は材質や鳴らし方によって修行僧を一斉に動かす。つまりは、時は音に置きかえられて、音は修行僧を次なる行動に走らすということになる。
さて仏教の時間論は過去いくつかの部派や学部を経て、鎌倉時代より現代の間は、”永遠の今”を主張としている。現在を中心に過去と未来を持つ現代人に、絶対現在を認識することはとても難しいことです。過去や未来は存在せず、ただ今が在るのみと、自分を離れて時間や存在はあり得ない。存在するものはすべて時間としてあると、そしてその時間は”ただ今”があるのみであり、その今のまっただ中には、時間は存在しないことになる。瞬間とは存在しない時間であると同時に、総ての時が含まれるという時間でもあると思うのです。
隅田川の橋の上に立つ私を今の私とすれば、上流の川は小さい頃の私であり、これより下流の川と海はその後の私であり、川は私の総てであると言えば、上流の川は眼には見えないけれど、今も流れて存在し、下流の川は東京湾に今流れ込んで同時に存在いたします。自分が今存在すると言うことは、総てが存在して、私を表現してくれていると思うのです。


有時(時の構造)(平成12年2月5日)

有時(時の構造)(平成12年2月5日)

≪星雲≫
宇宙に散らばる星たちの中に、無数の星をちりばめた星雲がある。その姿を望遠鏡が捉えた写真を見てみると、拡散しているのか、収縮しているのか解らないが、渦を巻いている。風呂の湯を抜くときの渦巻きが、地球の自転と関係していることを思えば、星雲たちの渦も、回転していることそのことが、時が渦を巻いている姿と思える。風呂の湯の回転する姿と、星雲の回転する姿は、回転していること事態は同じなのだが、そして今見ているということも同じなのだが、何億光年かに遡っての過去の姿の回転と知る時、過ぎ去った時間の経過をふまえて、時を考えさせる。
今、正に見るという、過去と現在の交じり合う場所が、望遠鏡であり、写真であり、肉眼であることを知れば、現在がなければ、過去を窺い知ることはできない。とにかく、現在より時を遥かに溯ること、その時の過去の姿を、現在に、過ぎ去っていったものとしての姿を、私達は見ていることになる。
今、回転している姿を見つめている私には、同時間にも存在するだろう姿は見えず、あくまでも過ぎ去った時間の姿であることは間違いがない。この意味で、過去が現在に於て在ることは、ことの実在を問題にする。

今、実在するものは不可知なものとして、今、伺うことが出来ず、かって実在していたものを、今、存在するものとして、目に見ることの不可解なる事実は、面白い。星達にとってみれば、そんな過去来歴を含んで、私達を、今、ここに、照らしているということになる。しかし光の旅を考慮しなければ、風呂の渦巻く姿と同じに、距離を問わずに、同じ渦を巻く姿であることに変わりはない。
遠く渦を巻く星雲を見て、その光景は、何億光年にわたって漆黒の闇を照らして旅を続ける輝きに違いないのですが、私達に見えることは、時間としてではなく、空間を通して、遥かなる生命体として見えているということです。時はいつも、空間に於いて捕まえることが出来て、それは見ることができる姿を伴っていると思います。空間に於て時はあり、時間と空間のクロスすること、そのことは、今、ここの表現であると思います。この意味からは、遠く渦を巻く星雲も、風呂の渦巻く姿も、共に私達の今、ここを表現していると言えるでしょう。

私がいるということは、その周囲にはたくさんの物質に囲まれているということです。時計があり、茶碗や机椅子、テレビにパソコンとその場所に静止しているもの、水道ガス電気電話は、チューブの中や線そのものの中を流れて行く物があります。空中には、見えないけれども電波が行き交い、風が小さな物質を運びます。それらはすべて時を含んで在ります。茶碗は、家庭のガラス棚に置かれるまで、数奇な軌跡を描いて在るべき場所に、今在るといえます。客の訪問があり、私がその茶碗に手を伸ばそうとする時、茶碗は未来に茶が注がれ、客に呈されるという、未だ来ぬ時を内在して、今、置かれて在るといえます。空間も時なり、時は空間なりといえます。

≪椿≫
椿は、今年の冬は暖冬だったせいか、なかなか花を咲かせませんでした。今冬は、庭や鉢植えの椿にとって、いかに寒さが必要ことかよく理解できたことでもありました。寒くなるということが、椿を咲かせるからです。この冬一番の寒さが訪れたときの朝、椿の花が咲いたのです。
この時、桜の枝を見上げると、桜は、この寒さをじっと堪えています。桜にとっては、寒さが必要なことであり、これを咲くための条件ともいいます。寒さの後の、暖かさに花を咲かせるからです。
椿にしても、桜にしても、木があるということは、木それ自身が存在することであり、大地や、虚空も存在しているという事実を含んでもいます。木々が、大地に根を張ることは、大地が木々を支えることでもあります。虚空は、木々の枝を開く空間を提供し、太陽は、芽を伸ばし伸びる方向を誘導します。照らすことと、照らされることは、同時に進行し、誘導し、目的を遂行するという行為を含んで、椿は花を咲かせます。誘導するは、芽は天を目指し、根は地中に潜みます。目的を遂行するとは、生きるということであり、このことは死を含んでということでもあります。そして大地と虚空と太陽は木々と一体になって、空間を構成します。これを世界と言い、全体と言います。

世界を、全体を構成する仕組みは、矛盾を含んで、同時に、成り立っているということです。仏教の指摘する立場とはこのことです。
暖かさや寒さも時を含んでいると言えます。花が咲くことは、植物の表現ですが、また、生という意味を持ち、その時々の表現こそ、生きていることの意味だとも思います。花が咲かないときも、表現に変わりはないのですが、結実ということを考えてみれば、次の世代に向かって、表現していることは、時の開花でもあると思います。
もちろん花が散って、枝が伸びるとき、その枝には、次の開花のための行為があります。そのことを時間でいえば、植物も未来に開花するという時間を含んで、今を生きているといえます。そして、何のための開花かと言うと、植物単体は、いずれは枯れて、死滅するということを含んで、開花するといえます。植物に死という時があるということは、死という時には誕生という時を含んでいるということも事実です。新たに生まれた、その植物の若芽には、過去という時間を含んで、若芽を成長させるといえます。すべてに時が関わります。
古人の言葉に「この一番の寒さが骨に徹するのでなければ、どうして梅花が全世界に香ることができようか」と、寒さを修行に譬えるのもよいのですが、梅が香ることが、この一番の寒さの表現でもあるのです。

≪同時性≫
仏教の同時性とは、一枚の紙を例に取ると、紙は表と裏と合わせて、一枚の紙を構成するということです。表は、裏が在って、始めて表であり、裏は表が在ってこそ、裏といえます。表は、裏を自らの存在の根源とすることによって、表として自立することができます。ここに、表は裏を含んで、表と言う立場を、否定を媒介として肯定するという、仏教の立場があります。兄弟、夫婦、親子、生徒と先生、上司との関係、顧客との関係、友達との関係、縁起的関係は、単独に於て独立していると言うことはないのです。独立も他を根拠にして、独立すると言うし、最近よく使われる言葉で、勝手にしても、他を根拠にして、勝手であるのであって、その勝手は、あくまで他があることを前提としている。他を忘れた勝手はあり得ないことになり、勝手の意味すら分かっていないといえます。他を根拠に持つということは、自己を独立の根拠にしないという意味であり、自己を否定する意味を持ちます。肯定と否定は、肯定は否定を含んで、肯定され、否定は肯定を含んで否定が成り立っています。

存在するものと時間とは、やはり否定的関係において、成立しているといえます。縁起的、因果的関係に於いて、総てのものは独立してあることはあり得ない。時も、在るということも、単に独立してあることはなく、時は在るに含まれ、在ることは時を含んでと言うことでしょう。
過去、現在、未来という直線的な、人の時間グラフを作った場合、過去の経緯が今を表現し、未来の出来事や約束、目標が、今を表現して、今を彩り、今の行為が、過去の履歴を評価し、未来の出来事や約束、目標を変化させるとしたら、今こそが、過去や未来の溶融された今は大きな意味を持つと同時に、、過去も未来も大きな影響で今を支え、導いていると言うことを、以前に書きました。

仏教の立場は、今、ここが絶対の現在ですが、その絶対は、過去を根拠にして、未来を根拠にしてと考えたとき、現在は絶対を否定するるという矛盾を含んで成り立っています。このことを知って、過去や未来を変化する力を持つといえるのではないかと思うのです。
時間軸に、人の生死を乗せて考えてみた場合。先ず、過去は、生まれる前の私です。禅では、父母未生以前本来の面目といいます。現在は、人が生きている生涯の時間帯ですから、何十年かの人生です。そして未来は、私の肉体が無くなる、死です。死と死後は微妙に違う内容を、私達に投げかけて来ます。死とは、存在そのものに関して、私達の意識を揺るがせます。死後は、どちらかと言うと、私の居なくなった後の、時間的経過後の問題を指すように思えるかもしれません。いずれにしても、死や死後も、時間そのものとして在ると言えます。

生まれる前も死んだ後も、共に私の肉体を持たないということは、共通のことです。このことは、現実的に、肉体を持って、手にすることの出来ないことでもあります。しかし、生まれる前の時間や死んだ後の時間は、決して掴むことは出来ないけれども、今を生きるということの中に、その時間を含んで、我々は、今を生きていることにもなります。
人の生涯の時間は、決められませんと同時に、ついさっきまでの自分すら、もはや手にすることの出来ない自分です。過去としての自分としてあったと言えます。今とは時間軸を真っ二つに切断した鉈(なた)と考えると、前後があるだけで、生まれる前も、死んだ後も、共に前後の中の一時点ということも言えます。生まれる前も、誕生してより今以前も、見えないものものとして、時として在るともいえます。
今とは、行為であり、恋愛であり、創造にふけるということであり、生きていることに結びつくあらゆる行為の真っ只中の今です。時間軸とは、もともと人の生死の軸でもあるのです。


時の旅人(平成12年2月1日)

 諸行無常。諸法無我。涅槃寂静。
 仏教はここから出発いたしました。
 諸行無常は、時間です。
 諸法無我は、空間・存在です。
時を語るには、空間・存在を語らなければなりません。空間・存在を語るには、時間を語ることになります。
諸行無常を”今”とし、諸法無我を”ここ”としてみれば、そこに、”わたし”が在ります。その私は、時間と空間・存在により成り立つといえます。そこに、世界や宇宙があります。

ヨハネによる福音書14章は、世に言うところの最後の晩餐である。
「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている。」というイエスに、トマスがさらに尋ねる。
「主よ、どこにおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
イエスは、「私は道であり、真理あり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
もしもあなたが私を知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。」と語る。
そしてピリポに、イエスは言う。「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。」

  時の旅人(平成12年2月1日)

 東洋、特に中国、韓国、台湾は道教・儒教・仏教の影響を多く受けていることは、誰も否定しないことでありましょう。そして、知らず私達の日常に根を下ろしているといってもよいでしょう。その中で特に、道への思いは格別であると思います。そして、道があるからには、その道を歩く旅人の思想があって不思議ではない。西行、芭蕉、一遍は旅自身を、義経伝説、平家物語はその旅をする人物達を物語りにすることが出来るでしょう。道は極まって、茶道や武士道に、旅人は道に生きることから、それぞれの人生へと繋がっているかのようです。
遠くイスラエルに始まる、キリスト教、またイスラム教自身にも、巡礼の思想があるかぎり、道はあるのでしょう。イエスのトマスにこたえた言葉こそ、道の思想であり、巡礼の思想でもあります。
では、どう違うのだろうか。同じ旅人でも東洋と西洋の大きな違いは、時にあると思う。

禅に行雲流水がある。行雲流水は諸行無常であり、ここに時が潜む。
仏教ではと、言った時、世界は仏教的なものと、そうでないものと二分していることに気づく。何故か言っている自分の中に、仏教でないものが巣くっているのだろうと、きづく。しかしながら、仏教は世界の有りようを語り、仏教そのもが真理であることから言えば、言い出しは、「世界の真実は」となり、このことが仏教であるのです。
≪法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり、衆生あり。
万法ともに我にあらざる時節、まどいなく、さとりなく、諸仏なく、衆生なく、生なく滅なし。≫
道元は現成公案の冒頭において、世の中の総ては、そして、世界の成り立ちの法は、縁起なるが故に、仏法なる時節と言い、時節は時間として、総ての存在するものは、時間を持たないものはなく、したがって時として在るものにおいて、迷いあり、悟りあり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あると解く。

在るものは、時として在るという、壮大なテーマで、我々の眼を開かす。存在するものは、意識であり、物質であり、生であり、死であり、そのものが仏法なる時節と断言するのです。また、因果生滅の法も、時によって成り立つことを思えば、時は因果生滅の法を含んで、成り立っていることにもなる。
次に、「自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」という、空・無の立場、諸法無我の立場から、世の中の総ては、そして、世界の成り立ちの法自身も、決まりはなく、実体もない時節と、縁起の故に空無という。ここにも時節は時間として、万法ともに我にあらざる世界を表現しています。我にあらざる時節とは、無であり、否定であり、その時節もなく、時節そのものが否定された時こそ絶対の現在として、仏法そのものであり、そこには迷いなく、悟りなく、修行なし、生なし、死なし、諸仏なし、衆生なしと解きます。さらに、迷いなく、悟りなく、修行なし、生なし、死なし、諸仏なし、衆生なしは、時の表現にもなると思うのです。

仏教が鋭く示すことは、時に違いないのです。そしてそれは常に具体的な事実です。その故に、脚下照顧と言い、一期一会であり、前後裁断であり、前三三後三三であり、此れ何者ぞと問われた自己の今・ここ、すなわち、現在を指し示すのです。その自己の現在の連続は、現在が絶対の現在として独立して、非連続に連続して、しかも断にして不断の矛盾的相即です。時は流れるものばかりではなく、流れないものとしてもあるとは、このことを言い、このことを知ってこそ、趙州は十二時を使うと宣言いたしました。
時は、すべての存在するものであり、すべて存在するものは、また時である。そのことは、真理であり、法であり、不変のしるしでもあります。
東洋の英知は、時は、道である。そして、道は、時であると言います。
私達は、『時の旅人』であるのです。

揺れる木々の葉

揺れる木々の葉

夏風邪をひいたらしい。


何となく熱っぽい、一日中うだうだと、家の中にいる。本を読もうとしても、すぐ眠くなってしまう。



市販の薬を飲んだせいだろうが、体がだるく、少し寝っ転がって窓越しに木々の葉が揺れているのが見えた。



少し眺めている中に、刹那を生きている私が、何で、葉っぱが揺れているのが見えるのか、ちょっと不思議に思えた。



これってどういう意味があるのだろうか。



私の目は、葉が風に揺れているのが見えるのだが、これって時間か?



確かに、生きるって言うことは、揺れる木々の葉の時間の蓄積と言うことが考えることができる。



冬には、葉が落ち、春一斉に新緑の緑を輝かせ、夏は、緑陰の緑に暑さをしのぎ、秋にはその葉も色づいてやがて、季節は移っていく、



刹那とは、1秒の75分の1だそうだ。


この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)

この人生の速さはなんだ(平成14年12月26日)

 子ども達の様子を見ていると、否、それどころではない、12月が始まったと思ったら、もうすでに年末です。畳替えをすることを決めたのが、11月16日ご祈祷の日、総代さん達の言葉です。半分以上は終わり、28日には終わっています。庫裡の壁の塗装をするのも、14年ぶりで、すでに終わっています。
 まるで駆け足のように過ぎ去り迎える季節の、時計の針の進み方は同じ筈なのに、どうして、こう過ぎ去り迎える季節の時間が速いのか。今日を何とか充実して明日を迎えようとしながらもいつも昨日を引きずりながらの生活に、禅僧たるものの心構えがいつしか消えている事に気付く。それにしても、世のニュースのどうしてこう毎日毎日切りがないくらい話題はつかないことに何の疑問もわかなく、昨日のニュース、一昨日のニュースの続きにと、聞きたくなくとも耳にし、読みたくないのに読んでしまう。気がついてみると北朝鮮の拉致問題の衝撃的なニュースもすでに、核開発という新たな衝撃にかすむかのようです。ただ目前の事件に目や耳を貼り付けて、この結果、何と夏が過ぎ去って冬の気配が濃厚な季節を迎えているではないか。この感覚、これがよく言う『年を取った』ということなのだろうか。

 しかし、年を取ったと言うだけで片づけてよいものか、この速く感じることは、あくまで感じることであって、時計の針の回転は同じままであり、速くなったり、遅くなったりしたら、その時計は壊れていることを指します。止まってしまえば、電池がないか、ゼンマイが切れたかです。何を基準として、速く或いは遅く感じるのだろうか。この速さを感じる時間の基準は、様々にあるのでしょう。昨日と比して、年初と比して、昨年に比して、十年前に比して、二十年前に比して、漠然と子供の頃に比してと基準は数多くあります。ただ漠然と、「速くなった」と感じるだけなのですが、他に、自分の年齢によっても差違は大きくあるのだと思います。

 しかし、絶対に言えることは、時間自体には速さはないはずです。時間に速さはないものの、人の生活とかには、速さがつきまといます。特に社会人になってからは、なおさらスピードが増すこの感覚、はっきり対照として比較していないのに、何かの挨拶でもつい「速いもので、この子は、この間までまだ子供だったのに、もう二十歳をとっくに過ぎて……」とか、「団塊の世代が社会に出て、いろいろなブームや現象を起こしてきたのですが、本当に速いもので後数年で、彼らも60歳を越えます。これまた大きな問題を含んで、いろんな意味で彼らの社会的意味は大変世の中にインパクトが強い、まるで駆け足のようにこの世代は社会を変えたと言っても良いでしょう」とこの“速いもので”という言葉は頻繁に使われます。この夏も暑い暑いといいながらも、涼しげな風を身にうけた瞬間、秋の到来を告げる風に、「もう秋が来ている」と気付いた途端、速さが誕生していると言えます。

春夏秋冬、これも一年という規則正しい時計の文字盤と違いはない。春夏秋冬の各行事を含めると、文字盤は更に楽しいかも知れない。逆に季節 の文字盤があればあるほど時は速く流れると感じることもあるでしょう。ワールドカップを見ていて、ヨーロッパの古老が「何年のワールドカップの時、娘が結婚し、その前のワールドカップの後、誰某が亡くなった」と言ったとき、それも自分の過去に過ぎ去った懐かしい想い出時計の針が、文字盤を刺した時間と思いました。人は、こうして文字盤を知らぬ間に生活の中で創作しているのでしょう。
 ふと四季のない国、一年が雨季と乾季の国、北欧のような国を考えを馳せようと試みましたが、思い当たるものはないけれど、巡ってくる行事の数が、少ないとどうなるのだろうかとも思います。多分、日本でも行事の数は減少しているのだろうと思うのですが、やはり、基準となる最小の文字盤は、季節なのだと思います。

 我々は、やはり季節によって動かされていることが多いと思うのです。子供が夏休みの林間学校から帰ってきたり、大学受験に夏休みを返上している姿に、身体を真っ赤に日焼けして海での出来事を語る子供の姿は、季節そのものとしての時計の文字盤です。そしてその文字盤は、私が体験した季節の出来事であり、それはいつもその時であり、今なのです。不思議なことに知覚それ自身が現在であり、今には記憶や思い、想像や思案はなく、今が過去になって登場すると言えます。今はいつでも体験において今であり、私から見える範囲の、聞こえる範囲の狭い空間のことなのです。その私の口から出る言葉の「速いもので……」は、今の知覚の過去を振り返っての速いと感じる言葉です。

 「もし心あるいは心の中の理性以外には、数える本性をもつものが何もないとするならば、心が存在しない限り時間は存在しないだろう(自然学)」と言ったアリストテレスの言葉は、私という自己がなければ、そして“今”という主観的な判断がなければ、時間は存在しなくなることを指さないだろうか。「今何時?」と聞く今は、私自身が今を問うことによって、今しか指さない時計でもあると言えますが、時間は後からついてくるような気もする。また今はくせ者です。実は、今と知覚した瞬間、過去と未来が出現してしまうからです。その過去は生まれてより今に至るものですし、私にとっても、息子にとっても人生の全部を指してしまいます。このことは今の経過が過去であり、だいたい『今』を正しく捉えることは、主観では無理なような気がする。主観で捉えない今、それが、私たちがよく言う、絶対の今なのでしょう。でも、絶対の過去や未来という言葉は聞いたことがありません。これは、絶対の今しか知覚できないとも言えるのではないでしょうか。

 人が、言葉を発して話すとき、歩くとき、泳ぐとき、モノを造るとき、一本の線を引くとき、行為する、そこに時間があるといえます。早い遅いは、人の自我の流れです。話し始めて止むまで、歩き始めて止むまで、引き始めて止まるまで、その行為こそが、時間です。時間の流れとは、自我の流れであり、体験の流れでもあります。この一連の流れは、知覚であるわけですから、ゆっくり引き、速く引くとき、そのゆっくりと速くを意識させるのは、時間でありながら、実は自我がなければ、時の流れは無いとも言えます。

 存在するものは時を含んであり、時そのものは、存在するものに含まれるという釈尊の縁起観の教えは、時間そのものの根拠は、時そのものになく存在するものにあるという考え方でもあります。これは、同時に、存在するものの根拠は存在するものにあるのではなく、時にあると示します。「時計の成立は“今”という自我の意識に依存している」と、哲学者の植村恒一郎先生が『時間の本性(勁草書房)』の中で指摘されていることも、今ここが自我であり、同じことを指すようです。

 十年一昔と言うように、十代、二十代、……七十代、八十代というのも速さの基準だと思います。年を取をれば取るほど、四十年より五十年、五十年より七十年、八十年と過ぎ去るほどに、速く過ぎ去る過去を持ちますが、それぞれに想い出は、時間の内容とも言えます。
 人生の速さを測るときに、分母に来るべき数字を考えてみたとき、短距離ランナーは100㍍を何秒で走る、野球の投手は一秒間に150㍍の速度の玉を投げる、この樹木は一年で何㍍伸びると、距離や時間が基準に来ることを知ります。兎は亀より50㍍歩くのに何時間か速く走ると言う場合は、50㍍亀の歩む速さを基準に考えるのでしょう。人が年齢の重みを量る場合は、10代の少年と八十代のお年寄りを年齢をかまわず比較した場合、それぞれの人生のスピードを測る手段はないだろうか。

 生まれてより今に至るまでとすると、この言葉は誰にでも共通する。十歳の子供も五十三歳の私も同じである。しかし、ここに年齢を持ってくると、子供にとっては私の年齢に達するまで、あと四十年と年月がなければ、生まれてより今という私の尺度になれないとするなら、想像を絶する長さになる。生まれてより今を基準とすれば、十四年より五十三年の方が、量が多いことになり、過ぎ去った年数が速いと感じられる。しかし、本当に過ぎ去ったと言えることだろうか。道元は正法眼蔵の中で、「薪(たきぎ)は、灰となるにあらず」と言います。薪は薪で独立していて、前後裁断。灰は灰で独立して、前後裁断。比較するものではなく、十歳の自分は独立していて前後裁断。五十三歳の私も独立していて、前後裁断。比較したとき、そこに量が現れ、時間が誕生してしまうと言うのです。

 私の下の子どもに、「時間を忘れているときってどんな時だい」って聞いたところ、「マンガ読んでいるとき。カラオケで歌いまくっているとき。授業の休み時間。」と言った。子どもは更に言います。「午後2時から6時までと、6時から寝るまでの時間では、6時から寝るまでの時間が速く過ぎる。」と言いました。2時から6時を、私が小さかった頃に、6時から寝るまでを私の今の年齢の時とすれば、逆に、小さかった頃のほうが、時はゆっくり流れていました。しかし、今が速いからといって、充実していたかと言えば、少し違うでしょう。

 人は、生まれてより今が、体験の流れであり、生涯ですので、20年より、50年80年が、圧倒的に自分自身の体験する量が多くなり、それが速さとなります。そして、何故か、日中の時間も速くなっているように感じます。それが、今の私の速さなのですが、自分が60歳になり、敬老会のお祝いの該当者であることを名簿で眼にしたとき、まだ早いだろうと、ギャップが生まれます。しかし案外、外から見ている人は、姿形、物腰や言葉使いに、見ているものです。でも気付かない自分が、何かの拍子にそのギャップが埋まったとき、年を取ることを嫌と見るか、受け入れるかでは、その後の何年、何十年が違ってくることでしょう。

 年齢を加えるほどに、人生のスピードが速くなるとは、年輪の重みがますことでもあります。人を年輪を重ねた木に譬えて、巨木や古木の歩く姿を見て、若者はその道路を歩む姿を邪魔に見えてしまうでしょう。ゆっくり歩むお年寄りの歩行に、その差違が際だちます。だって、猛スピードで駆けているはずの、その古木や巨木が幼子に発する言葉、「危ないから駆けるのではないよ!」に、人生の速さをかぶせてみると、違う風景に見えるのではないだろうか。


法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)

法句経より-時の旅人(平成15年2月4日)

法句経より、時をテーマに集めてみました。
『神々との対話(サンユタ・ニカーヤ)岩波文庫 中村元訳』より
葦 第四節 時は過ぎ去る
傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「時は過ぎ去り、[昼]夜は移り行く。青春の美しさは、次第に[われらを]捨てて行く。死についてのこの恐ろしさに注視して、安楽をもたらす善行をなせ。」
尊師いわく。
「時は過ぎ去り、[昼]夜は移り行く。青春の美しさは、次第に[われらを]捨てて行く。死についてのこの恐ろしさに注視して、世間の利欲を捨てて、静けさをめざせ。」

葦 第十節 森に住んで
傍らに立って、かの神は、次の詩句を以て、尊師に呼びかけた。
「森に住み、心静まり、清浄な行者たちは、日に一食を取るだけであるが、その顔色はどうしてあのように明朗なのであろうか?」
尊師いわく。
「かれらは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が明朗なのである。ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のころを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。刈られた緑の葦のように。」

孤独な人々に食を給する長者 第七節 スブラフマン
傍らに立って、〈神の子〉なるスブラフマンは、尊師に対して、詩を以て話しかけた。
「この心は、常にあわてふためいている。この心は、常に怯えている。未だ起こらない未来の事柄についても、またすでに起こった事柄についても。もしもおびえないでおられるのなら、お尋ねいたします。それをわたしに説いてください」と。
尊師いわく。
「さとりに至る実践の修養のほかに、感官を制御することのほかに、一切を捨て去ることのほかに。生ける者どもの平安を、我は認めない。」かれは、その場で姿を消した。

『仏弟子の告白(テーラーガーター)岩波文庫 中村元訳』より
(人間の個体生存という)小さな家は無常である。わたくしは[幾多の生涯にわたって]あちこちに繰り返し家屋の作者(つくりて)をさがし求めて来たが、生涯をくりかえすのは、苦しいことである。
『縁りて起こること(ブッダのことばⅣ講談社)池田正隆訳』より

2 「比丘たちよ、私はきみたちに、“縁りて起こること“(縁起)と、”縁りて起こることによって生じた法“とを説こう。それを聞きなさい。よく心にとどめて考えなさい。私は語ろう。」

3 「比丘たちよ、縁りて起こることとは何か。比丘たちよ。出生にとって老死がある。如来がこの世に出ても出なくても、この道理は成り立っている。法として成り立ったものであり、法として確定したものである。これが縁りて起こることの真理である。如来はこれを深く悟り、明らかに理解する。深く悟り、明らかに理解して、それを宣言し、説き、知らせ、示し、開顕し、分別し、明白にする。そして『見なさい』と言う。

4 比丘たちよ、縁りて起こることとは何か。
比丘たちよ、出生によって老死がある。比丘たちよ、生存によって出生がある。比丘たちよ、執着によって生存がある。比丘たちよ、飽くことなく欲望によって執着がある。比丘たちよ、心による対象の感受によって飽くことなき欲望がある。比丘たちよ、心と対象との接触によって心による対象の感受がある。比丘たちよ、心と対象とを通ずる六つの知覚の領域によって心と対象との接触がある。比丘たちよ、精神的・物質的現象によって心と対象とを通ずる六つの知覚の領域がある。比丘たちよ、対象に向かって動く心によって精神的・物質的現象がある。比丘たちよ、迷える凡人の諸行為によって対象に向かって動く心がある。比丘たちよ、おろかさによって迷える凡人の諸行為がある。如来がこの世に出ても出なくても、この道理は成り立っている、法として成り立ったものであり、法として確定したものである。これが縁りて起こることの道理である。

6 比丘たちよ、それでは縁りて起こることによって生じた法とは何か。
比丘たちよ、老死は無常なもの、集め作られたもの、縁によって生じたもの、滅して尽きる性質のもの、衰える性質のもの、壊れ離散する性質のもの、消滅する性質のものである。

7 比丘たちよ、出生も、生存も、執着も、飽くことなき欲望も、心による対象の感受も、心と対象との接触も、心と対象とを通ずる知覚の領域も、精神的・物質的現象も、対象に向かって動く心も、迷える凡人の諸行為も、おろかさも同じである。

17 比丘たちよ、これらが縁りて起こることによって生じた法といわれるのである。

18 比丘たちよ、貴い弟子は、これが縁りて起こることであり、これらが縁りて起こることによって生じた法であると、あるがままに正しい智慧をもってよく見るのである。じつに貴い弟子は、『いったい、私は、過去時に存在したのか。それとも存在しなかったのか。なぜ私は過去時に存在し、またどのように存在したのか。私は過去時に何であって、何になったのか』と、過去を追うことはない。

19 あるいは貴い弟子は、『いったい、私は未来時に存在するのか、それとも存在しないのか。なぜ私は未来時に存在し、またどのように存在するのか。私は未来時に何であって、何になるのか』と、未来を追いかけることはない。

20あるいは貴い弟子は、『いったい、私は存在するのか、それとも存在しないのか。なぜ私は存在し、どのように存在するのか。いったい私という衆生は、どこから来て、どこへ行くのか』と、ただいま現在時における自己のうちに、迷いが起こってくることはない。
21それはなぜであろうか。比丘たちよ、貴い弟子は、そこにおいてこの縁りて起こることと、これら縁りて起こることによって生じた法とを、あるがままに正しい智慧をもってよく見るからである」

きみのものではない.
2「比丘たちよ、この身体はきみのものではなく、また他人のものでもない。

3比丘たちよ、この身体は以前の行為によって作り出されたもの、思念されたもの、知覚されたものと見るべきである。」

4比丘たちよ、そこで法を聞いている貴い弟子は、縁りて起こることにこそ、じゅうぶんに真理にしたがって心を向けるのである。

5つまり、『これがあるときに、かれがある。これが生じることにより、かれが生じる。これがないときに、かれはなく、これが滅することから、かれが滅する』と。

始めのない輪廻
世尊は次のように説かれた。
「比丘たちよ、この輪廻には始めがない。無明に覆われ、愛欲にしばられて、流転しつづけている衆生の始源は知られない。

4 たとえば、比丘たちよ、人がこのジャンブ州にある薪や草・枝・小枝を伐(き)って、一つのところに集めて、指四本の長さの方形をつくり、『これは私の母である。これは私の母の母である』と言って一本ずつ積み重ねるとしよう。比丘たちよ、この者は、母の母を数え終わらないうちに、ジャンブ州にある薪や草・枝・小枝を伐りつくしてしまうであろう。 5それは何ゆえか、比丘たちよ、この輪廻には始めがなく、無明に覆われ、愛欲にしばられて、流転しつづけ、輪廻しつづけている衆生の始源が知られないからである。

7 それゆえ、比丘たちよ、すべての事物を嫌悪することこそふさわしく、厭離することがふさわしく、離脱することがふさわしい」

神々との対話 歓喜の園 第一〇節 サミッディ
1 このように、わたしは聞いた。或るとき尊師は、王舎城の〈温泉の園〉に住んでおられた。そのときサミッディさんは、夜の明け方に、立ち上がって、身体を洗い入浴するために温泉におもむいた。温泉で身体を洗い浴したのちに、上がって、一つの衣をまとい、身体を乾かしながら立っていた。そのとき、夜も更けてから、或る一人の神が、容色うるわしく、温泉を遍く照らしたあとで、サミッディさんに近づいてから、空中に立って、詩句を以てサミッヂィさんに話しかけた。
「修行僧よ。そなたは、欲するがままに食べないで托鉢している。そなたは、欲するがままに食べてから托鉢することがない。欲するがままに食べてから、托鉢せよ。そなたは[青春の]時を空しく過ごすな。」

サミッディいわく
「わたしは、あなたの言う〈時〉なるものを知っていません。[わたしの考える]時は、隠れているものであって、見ることはできません。それ故に、わたしは、欲するがままに食べないで、托鉢をするのです。わたしにとって、時が空しく過ぎることがありませんように。」
そこで、かの神は地上に立って、サミッディさんに次のように言った。
「修行僧よ。あなたは若くて、初々しく、髪が黒く、すばらしい青春をそなえていて、人生の第一時期に欲楽を享受することなしに、出家した。修行僧よ。人間的な欲望を享楽しなさい。現に目のあたり経験されることを捨てて、時を要するものを追求するようなことをなさるな」と。

「友よ。わたしは、現に目のあたり経験されることを捨てて、時を要するものを追及するということをしない。わたしは、時を要するものを捨てて、現に目のあたり経験されることを追及する。友よ。愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍がここに甚だしい、と尊師が説きたもうた。この理法は、現に目のあたり体験されるものであり、時を要せず、〈来たり、見よ〉と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体得すべきものである。」

『修行僧よ。では、尊師はどのようにして、『愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍がここに甚だしい』と説かれたのであるか?『この理法は、現に目のあたりに体験されるものであり、時を要せず、〈来たり、見よ〉と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体得すべきものである』と、どのようにして説かれたるものであるか?』

「友よ。わたしは出家してまだ間がない、今到来した新参者です。わたしは、この教えと戒律とを詳細に説明することはできません。今、かの尊師、拝まるべき人、正しく覚った人が、王舎城の〈温泉の園〉に住しておられます。その尊師のもとにおもむいて、この意義をたずねなさい。尊師があなたに説明なさったとおりに、教えと戒律とを受けたもちなさい。」

「修行僧よ。かの尊師は、他の大威力ある神々に囲まれておられるから、わたしが近づくことは、容易にはできません。もしもあなたがかの尊師に近づいてこの意義をたずねてくださるならば、われらもまた教えを聴くために参ることができるでありましょう。」
「友よ。承知しました」とサミッディさんはその神に答えて、尊師のおられるところにおもむいた。近づいて、尊師に挨拶して、傍らに坐った。傍らに坐して、サミッディさんは、尊師にいきさつを話しました。

「尊いお方さま。もしもその神のことばが真実であるならば、その神はまさにここに、遠く隔たらないところにいるでありましょう。」
このように言われたときに、その神は、サミッディさんに、次のように申しました。
「修行僧よ。たずねよ。わたしはここに来ているのだ。」

そのとき、尊師は詩句を以て神に呼びかけられた。
「名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上ににのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、彼らは死の支配束縛に陥る。しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が[有ると]考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。その人を汚して瑕瑾となるもの(煩悩)は、もはやその人には存在しない。ヤッカよ。もしもあなたが、そのような人を知っているならば、告げてください」と。

「尊いお方さま。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしは詳しくは知っていません。よろしい。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしが詳しく知り得るように、お説きくださいませ。」

尊師いわく。
「『わたしは勝れている』『わたしは等しい』また『わたしは劣っている』と考えている人は、それによって争うであろう。これら三つのありかたに心の動揺しない人には、〈勝れている〉とか、〈等しい〉とかいうことは存在しない。もしもあなたがそのような人を知っているならば、それを告げよ。神霊よ」

神いわく。
「尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしは詳しくは知っていません。尊いお方さま。さあ、どうか、尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしが詳しく知り得るように、お説きくださいませ。」

尊師いわく。
「思慮雑念を捨て、迷いの住居におもむくことなく、この世における名称と形態とに対する妄執を断じ、結び目(束縛)を断ち、[煩悩の]煙りの消えた、欲求のないかの人を、この世とかの世とにおいて、神々と人々とが探し求めても、ついに見出し得なかった。天界においても、すべての住所においても。神霊よ。もしもあなたが、そのような人を知っているならば、告げてください。」

神いわく。
「尊いお方さま。尊師が簡略に説かれたこの事柄の意義を、わたしはこのように詳しく知ることができました。いかなる世界においても、ことばによっても、いかなる悪をもしてはならない。諸々の欲楽を捨てて、よく気をつけて、しっかりと念い、ためにならぬ苦しみに身を委ねるな。」


寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し) (平成16年9月19日)

寂然不動 如春在花(寂然不動、春の花に在るが如し)

(平成16年9月19日)

 秋彼岸、まだまだ蒸し暑く、それでも彼岸という季節が巡ってきてはいるものの、季節感のずれは、何とも致し方ない。暑さ寒さも彼岸までという言葉が、少しずつずれてきていることに、何故か、昔の言葉の魔力が、消えてしまいそうな予感に囚われる。それでも、夕刻の日の傾きは、彼岸という季節を物語っています。
 今年の一月になくなったHさんの息子さんと、孫二人が連れ立って、彼岸の墓参に来たときだった。孫といっても、一人は来年大学を卒業、もう一人は,母親が問題児という高校3年生男の子です。その上の孫が、丈の長い甚平を着ている姿を見て、息子さんが、「これは、お祖父ちゃんの形見です」と。
 その妙に似合う姿を見て、「これ、お父さんが着たら、親父スタイルに見えるのに、君が着ると今風のファッションになるから不思議だね。」
 季節も、9月19日、いくら、これも残暑なのか、蒸し暑いとはいえ、最早、秋。
 甚平のスタイルは、季節感として似合わないと思うのだが、今、旬の若者が着ると、妙に映えるから、面白い。そう言えば、あの夏場の雑踏で、8月の池袋の地下通路、ブーツ姿の若い女性を拝見した。見ていて、足が臭くなるのでは、靴の中が汗でグシャグシャになるのではないかと思ったものだった。それこそ、この季節にふさわしくないという思いが、グシャグシャのイメージを作る。この季節感という語感は、その人の生い立ちの姿なのだろう。

 そんな若者の着衣を見て、人間にとって着るものとは、人の季節を表現するものであると、つくづく思った。奔放に季節を表現するものが若者としたら、おじさんにとっての季節を忠実に現す着衣の甚平も、若者が着ると、その存在感が妙にまぶしく感じられて、嬉しい。
 そして、この嬉しいと思う気持ちも、年を取ったことの証拠なのだろうと苦笑する。今の自分にはない、何事も自分のものとしてしまう勢いをみて、きっと、自分もおじさんという花を咲かせているのだろうと……。

 「実は、昨年11月、母と別居しているんです」と、よく知る二人が墓参に訪れて話す。
「お母さんから聞いて知っていますよ。お母さんは気力も充実しているし、遠慮しながら、したいことをできない環境に、お互いのことを考えての、決心に、すごいひとですね」と。
 息子さんは、「こないだなんて、男の人がお茶を飲んでいるのにでくわして、すごすごと帰ってきてしまいましたよ」と。神奈川県のS市から息子が住む、茨城県のU市に引っ越してから、4年目、それでも、3年間は一緒に暮らしたものの、天性の人との交わりのうまさは、ウィンドゴルフに、地域の人とすっかり交わり、今では、リードするまでの変貌に、ただ感嘆するのみです。
 私の長男と同じ大学に通うことを知ってから、親しく感じて、話をしていたのですが、お嫁さんが、「母が別居していたことを知り、ホッといたしました」話す。

 まてよ、もしかして、子どもや孫達と同居していたときにも、同じ男性が来ていたと聞き、これは、もしかして、恋愛か。う~ん、そうだとしたら、すごい。いいとか、悪いとかということを越えて、想像できない。
 蒸し暑くても、どうなっているんだろうと思っても、草花は、秋の草花が、ススキはすでに白い穂を出しているし、稲刈りは進んでいるしと、時間は、人の遅い早いの作るものとして、草花は、じぶん自身で時を作り出している。
 人間も、それぞれに、老いも若きも、模様という時間を創りだしている。